登録日:2011/02/10(木) 05:12:27
更新日:2024/10/13 Sun 16:38:01
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中里篤史とは、想像上の
プロ野球選手である。
中日ファンたちの妄想から誕生した。
初登板は1年目、9月の巨人戦
5回3失点だったが、151キロのストレートと適時二塁打を放つ打撃が光る。
阪神戦にも登板。
この年勝ち星を挙げることはできなかった。
打撃でも一軍2試合で4打数3安打3打点、二軍では9打数3安打3四球と素晴らしい成績を残す。
将来のスター候補である。
上記のことは全て事実である。
この後選手生命の危機を迎えることになり、それから一部のファンが「中里などいない」と言うようになった。
三年時の夏の大会決勝では坂元弥太郎がいる浦和学院に敗れ、
甲子園には出場できなかった。
2002年の春季キャンプ期間中に、
階段で足を滑らせ、手すりをつかんだ際に右肩を亜脱臼し、投手生命が危ぶまれるほどの重傷を負う。
実戦復帰は2005年8月、二軍での
広島戦に先発した。
4年ぶりの登板で、最速148キロを記録。
次の登板では150キロを記録した。
そして10月1日、1軍の広島戦に登板。
1イニングを2奪三振、三者凡退に抑えた。
その後チームが逆転勝ちし、プロ初勝利を挙げる。
オフには背番号70から18に変更。
2006年は13試合に登板し、
日本シリーズにも登板した。
新庄の最終打席の相手は中里である。
2007年はさらなる飛躍を期待されたが、なかなか一軍に上がれなかった。
そして7月
バランスボールから滑り落ち、左肘を骨折
結局この年は一軍登板はなかった。
2008年は13試合の登板に終わる。
オフに背番号は再び70に。
2009年は2試合にしか登板できず、ついに戦力外通告を受ける。
2011年、戦力外通告を受け引退。スコアラーに転身。
最速153キロのストレートが武器
コントロールが課題
プロでの実績はほとんどないが、伸びのあるストレートを投げていたり、たくさんの
プロ野球関係者に絶賛されていたため、知名度も実績の割に高い。
追記・修正お願いします
- 今パワプロ2013で作ってるんだけど、投球フォームどれが一番近いかな -- 名無しさん (2015-12-02 18:23:04)
最終更新:2024年10月13日 16:38