日産・スカイライン

登録日:2010/07/07(水) 16:21:34
更新日:2025/01/29 Wed 19:56:33
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スカイライン は、日産自動車が発売する自動車。車種としてはスポーツセダンに分類され、モデルによってはクーペやワゴンも存在する。

概要

元は、「プリンス自動車」の主力車種として1957年から生産・販売を開始。
プリンスが日産自動車に吸収合併された後もブランド名は残り、現在は13代目のV37型が発売中。
2022年現在、日産の日本国内市場で唯一買える新車のセダンでもある。

初代のスカイラインを造り出したプリンス自動車には、ゼロ戦のエンジン開発に携わった人がおり、スカイラインのエンジン製造に当たりゼロ戦の知識が動員された。

2代目途中から7代目途中までは、プリンス自動車出身のエンジニア・櫻井眞一郎氏が設計主幹を担当した。櫻井はミスタースカイラインと呼ばれ、カタログやポスターにも登場した。
いちエンジニアが量販車の設計を20年以上にわたって担当することは、世界の自動車史を見ても極めて異例のことである。

スカイラインの中でも上級グレードの"GT-R"はとりわけ有名であり、
日本のチューニングカー業界にもたらした功績は大きい。

高級自動車としてよりも、レースカーとしての顔が強いのも大きな特徴である。


モデル別解説

初代・ALSI/S21系(1957~1963)

アメリカ車を意識したデザインで、三回マイナーチェンジした。
ちなみにグロリアは元々これの上級モデルである。
1962年にはイタリアのカーデザイナー、ジョバンニ・ミケロッティがデザインを担当した特別仕様のスカイライン・スポーツが発売された。
職人によるハンドメイド仕上げのボディで、価格は195万円(現在の貨幣価値では3000万円前後)と超高級車であり、当時モータリゼーションが始まったばかりの日本では全く需要がなく、生産台数は60台にとどまっている。

二代目・S50系(1963~1968)

初代より小型化された。
レース参戦のため、1964年にフロントのエンジンルームを無理やり伸ばし、グロリアの直6エンジンを搭載したGTモデル(S54)が追加された。
日本グランプリ*1で当時の最高級スポーツカー・ポルシェ904を抜いたことから「スカイライン伝説」の始まりと言われる。
1966年にプリンスが日産と合併したため、プリンススカイラインとしては最後のモデルである。

三代目・C10系(1968~1972)

日産・プリンス合併後最初のモデルで、キャッチコピーは「愛のスカイライン」。通称「ハコスカ」。
この代から直列6気筒のGT系がメインモデルとなり、4気筒はノーズが短いことから「ショートノーズ」と呼ばれることとなる。
GT-Rグレードが追加された初のモデルである。これもレースで勝つためにプリンスが開発していたプロトタイプレースカーのエンジンをデチューンしてぶち込んだという先代GTと似たような経緯。
1970年には2ドアハードトップが登場した。

四代目・C110系(1972~1977)

日産の設計による最初のモデルで、キャッチコピーは「ケンとメリーのスカイライン」。通称「ケンメリ」。
このモデル以降は同時期に発売されたローレルと兄弟車種となっている。
新たに低公害グレードのGT-E-Sが登場した。丸いテールランプを採用したのはこの代が最初。
GT-Rはレース仕様車も試作されたがオイルショックの影響で参戦ができず…というのは俗説で、実際は車体が大きくなったことやフェアレディZの熟成が進んだことから参戦しても意味がないと判断されたから。
というかそもそもGT-Rの生産計画自体が当初はなく、多数の希望を受けてスペアとして在庫していたS20エンジンを組み込んで急遽販売したということらしい*2。排ガス規制もあってここでGT-Rは一度姿を消すことになる。

ちなみにダットサン240Kという名前で輸出されたことがある。
若い男女のデートカーのイメージを前面に打ち出したCMで、スカイライン史上最も売れたモデルとなり、
フォークグループ「BUZZ」が歌うCMソング『ケンとメリー~愛と風のように~』もヒットした。
その一方、櫻井氏としてはケンメリについてエンジニアとしては非常に不満があったらしく、「本当のスカイラインではない」「商品として作った車」との言葉を残している。

流星人間ゾーン」のマイティライナーのベース車でもある。


五代目・C211系(1977~1981)

通称「ジャパン」。
デビュー時排ガス規制をモロに受けて「名ばかりのGT」と揶揄された。
4気筒車はヨーロッパのセダンに設定されていたTIグレード*3を登場させるなど差別化を図ったが、テールランプは丸くなかったので評判は今一つだった。
1979年に初めてターボが追加された。
西部警察」に登場するマシンXのベース車である。

六代目・R30系(1981~1985)

引き続き6気筒L型のGT系と4気筒Z型のTI系に分かれるが、ノーズ部分の露骨な差別区別がなくなった。TI系は途中からCA18エンジンに変更された。
ポール・ニューマンがイメージキャラクターだった為、「ニューマンスカイライン」と呼ばれていた。
途中から新開発のFJエンジンが搭載されたRSグレードが追加。ターボエンジンと相まって最大190PSを出し、「史上最強のスカイライン」のキャッチコピーが登場。
これによりようやく規制以前のスポーツ性を取り戻したが、4気筒故にGTを名乗れなかったと言われる。
西部警察のマシンRSのベース車である。
モータースポーツでは110シルビア、ブルーバード910と共にシルエットフォーミュラ化して登場して度肝を抜いた。

後期型はインタークーラーを搭載して、グリルレス化したため「鉄仮面」と呼ばれた。
このころは宣言通り「最強」となるべく次々とマイナーチェンジ&パワーアップ。R30最終状態のターボRS-X インタークーラーでは(グロス計測とはいえ)205馬力に達した。

七代目・R31系(1985~1989)

通称7thスカイライン、都市工学
設計途中で桜井眞一郎氏が入院し、以降は弟子の伊藤修令氏が設計を担当。

TIは先代から続いてCA18だが、GT系は新設計のRBエンジンを引っ提げて登場した。が…
当時GX71系マークII3兄弟に対抗する為か4ドアハードトップしか設定されていないなど、
所謂ハイソカー路線…高級感のほうに走ってしまった為、スポーツ路線を求めていたユーザーからは評価を得られず(上述のようにR30はどんどん過激路線・ハイパワーに進んだのもあったのだろう)。スカイライン史上最も不人気なモデルとなってしまった。

C31ローレルがあるのに…。

その後、マイナーチェンジで2ドアクーペのGTSが追加され、それ以降はCM広告などもGTSをメインとしたスポーツ路線へ回帰した。
またグループA参戦のためのモデルとしてGTS-Rが800台限定で生産された。
なお、2ドアの試作段階ではGT-Rを名乗っていたが、当時RB20の評判が悪かったことを理由に伊藤氏がバッジを外させたという。GTS-Rもレースで勝てる見込みがなかったため、GT-Rを名乗れなかったらしい。

ちなみに、オーストラリアでCA20搭載車のみピンターラという名前で販売されていた。

八代目・R32系(1989~1994)

キャッチコピーは「超感覚スカイライン」。
伊藤修令氏が主査となって開発。
高級セダン路線から、スポーツ路線への振り戻しを図り、GT-Rを復活させた。
GT-Rは2600ccという中途半端な排気量を持つが、これはレースカテゴリの「グループA」のレギュレーションから、最も有利な排気量を逆算した結果。
加えて、アテーサET-Sという駆動輪切り替えシステムにより、高い操縦性と安定性を両立させた。
国内レースでは29連勝という大金星を挙げ、グループAカテゴリを事実上GT-Rのワンメイク状態にし、グループAというカテゴリーそのものを終わらせてしまう羽目に。
サイドシルがかなり弱く、ジャッキポイントにジャッキをかけて持ち上げると破損してしまう欠陥がある。
4気筒のGXiが最廉価で、6気筒のGTS系がターボとNA、HICASの有無、2Lと2.5Lでかなり細かく分かれておりGTS-4がGT-Rと同じ4WDを搭載とやたらグレードが多い。

九代目・R33系(1994~1998)

キャッチコピーは「日本のグランドツーリングカー」「GT9」
先代のR32をブラッシュアップする形で登場。
4気筒が廃止され、主力グレードも2Lから2.5Lに移った。
GT-Rニュルブルクリンクサーキットのタイムを、先代から21秒も短縮する快挙を成し遂げ、
「マイナス21秒ロマン」のキャッチコピーで売り出されたが、
むやみに大きく重くなったボディは評判が悪く、「R32とR34の間の谷間」と評する評論家は少なくない。
評論家の福野礼一郎氏によれば、「電子機器の進歩で補ってはいるが、自動車としての設計はダメ」とのこと。
他、ベストモータリングの広報チューン事件や頭文字Dでの酷評*4のせいで何かとイメージが悪い。
GT-Rでは初代以来となる4ドア車が設定されている。

十代目・R34系(1998~2002)

キャッチコピーは「ドライビングボディ」。
評判の悪かったR33の欠点を修正する形で登場。
V35の登場が早められたため、GT-R以外はわずか3年(後期型は僅か数ヶ月)で製造終了となった悲運の系列である。
GT-Rは第二世代GT-Rの集大成とも呼べる存在となったが、排ガス規制のため、2002年をもって生産終了。*5
GT-Rは2008年に復活するも、以降はスカイラインから分離した独立車種として扱われることになる。

4ドアセダンは、ドリフト選手権のD1グランプリに野村謙選手のマシンとして出走しており、D1世界選手権大会で優勝する快挙を成し遂げている。

基本的にゲーム作品ではR32~34はGT-Rグレードのみ収録となることが主流だが、『頭文字D』の作品ではこの代のGTターボもいるのがお約束。これは原作に使用しているドライバーが登場するため。
湾岸のゲーセンのやつにもGT-RじゃないR34が出られそうだったんだが、その枠を決める選挙でケンメリGT-RとシルビアS14ツリ目に負けて落ちちゃったため実現しなかった

十一代目・V35系(2001~2007)

1999年の東京モーターショーで出品された「XVL」がそのままの形で登場。
車両形式がR(RBエンジン搭載)からV(VQエンジン搭載)になり、外見が従来のスカイラインとかけはなれたデザインになってしまい従来のファンが大きく離れるも、
北米市場でヒットして現行路線の礎を気付いた。
後ほどGT-Rとは別にクーペモデルも登場している。

結果、R派とV派に分かれて喧嘩が起こる事に。
確かに日本の狭い道路走らせるならR時代のスマートなボディの方が都合は良いのになぁ…ボディがデカいと燃費も嵩むし。

十二代目・V36系(2006~2016)

日本国内ではこの代を最後にクーペは廃止された。また、クロスオーバーSUVも存在する。

十三代目・V37系(2014~)

初のハイブリッドモデルが設定。日本国内ではセダンのみのラインナップに。
当初は北米ブランドのインフィニティブランドのロゴが装着されており、カタログでも日産ロゴが使用されないなど異例の扱いであった。また、スカイラインでは久々に4気筒エンジン装備グレードも登場している。
2019年の前述の装備を全否定するようなビッグマイナーチェンジが行われ、日産ロゴの復活に加えハイブリッド車には運転支援システムの「プロパイロット2.0」が装備された。また、R33のNISMOで設定された「400R」グレードが新たに登場している。
2022年の改良でハイブリッド車がラインナップから姿を消し、ガソリン車のみとなったが、翌年「NISMO」グレードが新たに設定された。2024年4月5日現在、国内で販売されている同メーカー唯一のセダン。
相棒」の冠城亘の愛車として登場、コラボCMも製作された。



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最終更新:2025年01月29日 19:56

*1 JAFが主催していた四輪乗用車の大会で、現在のF1選手権とは無関係。

*2 S20エンジンが排ガス規制をクリアできないので在庫処分として出したという説もある

*3 ツーリング・インターナショナルの略称。

*4 おそらくR33の大柄なボディが狭い峠道にはミスマッチという話だと思われるのだが、件のキャラクターは「失敗作」とまで言い切ってしまっている。余談だが、これ以前にアニメ版でランエボ乗りのキャラからR32が「オモチャ」呼ばわりされている(これはあまり取り沙汰されていない)が、実際のところWRCに参戦したR32は畑違いと言わんばかりに結果を残せず早々に撤退した。逆に高速道路での最高速アタックが題材の『湾岸ミッドナイト』では逆に安定性に優れる大柄なボディを絶賛する場面や、同じ人物が「R32にもR33にもそれぞれいいところがある。どちらも超高速域バトルだと名車」と見なしている場面が存在する

*5 本車種だけでなく、同じメーカーのシルビアやマツダ・RX-7、トヨタ・スープラなど、多くの国産スポーツカーがこの年に生産終了している。