登録日:2014/04/23 (水) 20:46:12
更新日:2025/04/20 Sun 15:31:43
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『森田一義アワー 笑っていいとも!』(以下笑っていいとも!またはいいとも!)は、
フジテレビ系列(FNS)で1982年10月4日~2014年3月31日まで、毎週平日正午から13時まで放送されていた生放送のバラエティ番組である。
司会は
タモリだが、当番組では本名の森田一義でテロップが出されていた。
基本データ
- 放送回数 8054回
- 在籍期間最長レギュラー 関根勤(1985年10月~番組終了まで)
- 在籍期間最短レギュラー とんねるず(2014年1月から3月まで)
- 最年長レギュラー 浜田幸一(元自民党衆議院議員・2002年4月から9月、当時73~74歳)
- 最年少レギュラー 鈴木福(祝日・お盆時期及び年末年始に2012年4月~番組終了まで出演、当時8~9歳)
- 最多中断日数 2011年3月14日~18日の5日間(東北地方太平洋沖地震による特別報道のため)
- 最多テレフォンショッキング出場者 和田アキ子(22回)
概要
元々同枠では「笑ってる場合ですよ!」という生放送のバラエティを放送していたが、それをリニューアルする形で始まったのが本番組である。
そのため、スタジオアルタからの生放送や
日曜日に一週間の総集編を放送するというフォーマットは「笑ってる場合ですよ!」から引き継いだもの。
アルタ以外ではイベントやアルタの改修工事などでお台場のフジテレビ本社スタジオや、バブル期にはハワイから生放送を行ったこともある。これ以外ではあまり知られていないが1986年に
愛媛県の松山市民会館から、1989年にはタモリの地元
福岡県の「イムズホール」から生放送をしたこともある。
司会にタモリが起用されたのは「大人の笑いを求める」という制作側の意向で、これに合わせ応募の観客も「18歳以上」に引き上げられた。
当時「恐怖の密室芸人」と呼ばれたタモリを昼の番組に起用するのは当時は非常に無謀ともいえるもので、当人も3ヶ月程度で終わるものだと思っていたという。
ところがふたを開けてみると人気番組と化し、同時期の「
オレたちひょうきん族」とともに
フジテレビの躍進を支えるバラエティ番組となった。
最終的には32年間放送され、
ギネスワールドレコーズから「生放送バラエティー単独司会番組記録及び生放送バラエティー最多放送回数記録」の世界記録を保有するまでに至った。
番組のレギュラーにはお笑いタレントやアイドル、文化人や政治家など幅広いジャンルの著名人が起用されており、特にお笑い芸人にとっては本番組のレギュラーがブレイクの登竜門となったと言っても過言ではない。
また、レギュラーでなくてもコーナーレギュラーとして出演した著名人も多く、ここからブレイクした人も多い。
日曜日の午前10時から11時45分には一週間の見どころやオンエア終了後のフリートークをまとめた「増刊号」、年末には全レギュラーが集合した「年忘れ(
クリスマス)特大号」、毎年夏の
FNS27時間テレビでは増刊号とほぼ同じ時間帯に特別版が放送されていた。
また、2000年代以降は改編期特番としてレギュラーと新ドラマ出演者が出演する特大号が放送されたが、これは後述するいいともCUPをベースとしたゲームを行うものだった。
2010年からはゲーム企画を廃止し、トークメインとした「夜も笑っていいとも!春・秋ドラマの祭典」を放送していた。
番組の構成
オープニング→トークコーナー『テレフォンショッキング』→日替わりコーナー→いいとも選手権→エンディングが基本の流れ。
尤も生放送のため後述するハプニング発生時や報道特別体制時はこの限りではなかった。
オープニング
『ウキウキWatching』
作詞:小泉長一郎、作曲:伊藤銀次、編曲:鷺巣詩郎、小西康陽
いいとも青年隊がオープニングで踊りながら歌ってる曲。番組後期はイントロ部分のみが披露されるだけに留まってしまったが、当初はタモリと青年隊が1コーラス分を実際に歌っていた。
昔はハンドマイクを使っていたこともあって青年隊のダンスはステップ中心だったが、機材の発達やなんやかんやで振り付けが次第にアクロバティックになっていった。
タモリが歌わなくなってからは、登場時の拍手をタモリの手の振りで締めてから青年隊紹介→曜日レギュラー登場の流れとなっていた。
時期によってはここに日替わりコーナーが挿入されたこともある。
テレフォンショッキング
電話で『友だちの輪』を繋げていくリレー式コーナーで、毎回ゲストとのトークを展開する。
第1回のゲストは桜田淳子。ここから古今東西の有名人と『友達の輪』を繋げていき、タモリが当時ファンだった伊藤つかさに辿り着くのが当初の目標だった(放送3年目でようやく達成)。
ありとあらゆるジャンルの著名人が登場し、特殊な例だと
キティちゃんや
ガチャピン・
ムックも登場したことも。
…尤もテレビ番組という都合上、事前に繋ぐ相手は決まっていた節があり、番組末期の頃は電話まで行く流れが大幅に短縮された。
都合が合えば他局の現役アナウンサー(TBSの安住紳一郎や当時日本テレビの徳光和夫など)や一般人(80年代当時の世田谷区区長や大学教授)、番組終了間際の2014年3月には安倍晋三内閣総理大臣(当時)にも登場してもらえたのに、タモリが大ファンで夫が
フジテレビの社員である吉永小百合が何故か最後の最後まで登場しなかったり、
水谷豊は妻子が呼ばれたのに繋がれなかったりと友達の輪に縁のなかった人もいた。
また、ミュージシャンの大滝詠一など、元々メディアに露出しないタイプの芸能人だと出演を拒否されたことも。
タモリが嫌いなのに呼ばれた小田和正みたいな例もある。
観覧客とのやり取りが必ずあり、いちばん有名なのは「〇〇ですねえ」「そーですね!」の返しを繰り返すもの。
初期には「みんなでつなごう友達の輪っ!」と手で輪を作るポーズをやっていた。
これ以外にも数多くの
お約束が存在し、ゲストへの花を紹介する時、よゐこの場合は「よるこ」、ユースケ・サンタマリアの場合は「カタカナの人」と言うことも。
とりわけイジりやすいゲストの場合はタモリから「明日忙しいだろ?」とやんわりとした出演拒否から始まり、持ってきたポスターを破るマネをする、
電報を紹介しない、すぐにお友達紹介に持って行こうとするなどの流れが見られた。
2012年に矢田亜希子が「お友達」の大竹しのぶに電話で「はじめまして」と発言。「ゲストは事前に決まっている」という公然の秘密をばらしてしまった。
これ以降番組では「お友達」という言い方を「次回のゲスト」と改めるようになった。
日替わりコーナー
曜日ごとのコーナーが多数存在し、複数開催されたものから1回で終わったものを含めるとその数は1万以上に上るとされる。
内容は概ね視聴者が参加するものと、レギュラー出演者がゲームで競うタイプの2種類に分けられる。
後者は番組宣伝のゲストや稀にテレフォンショッキングのゲストが参加することもあった。
ちなみに初回のコーナーは「タモリの世界の料理」で、講師とともに世界の料理を作るというものだった。
明石家さんまがレギュラーだった時代は二人でトークをする「タモリ・さんまの日本一のホラ吹き野郎」というコーナーがあったが、これは打ち合わせなしで行う(雑談)タイプのトークをテレビで放送した最初の例とされる。
2013年7月から12月までタモリが日替わりコーナーに全く登場しない時期があり、その時は当時の曜日レギュラーだけでコーナーを進行していた。
曜日対抗いいともCUP
番組の最後に行うコーナーで、各曜日のレギュラーが毎週変わる様々な
ゲームに挑戦して記録を競い、年間成績トップの曜日レギュラーは賞金を貰える。
生放送で最後にやる都合上、尺が足りない時はCMが明けたら既に始めていたり挑戦中にそのまま番組が終了する事も多かった。
逆に尺が余ってる時はタモリがタイトルコールをゆっくり読んで時間を稼いだり、稀にゲーム終了後も時間が余って雑談した事も。
1991~1994年度までは「タモリンピック」、1995~2007年度までは「曜日対抗いいとも選手権」という名称で放送されており、明石家さんまはこのコーナーが嫌いで番組を降りたと言われている。
エンディング
コーナー出演ゲストやいいとも青年隊が様々な告知を行う。
ここでゲストが登場することもあり、主に来日していた海外アーティストが登場することが多かった。
また、レギュラー出演者の卒業時には挨拶もここで行われている。
放送終了後
生放送が終わると、出演者がそのまま残って30分ほどトークを行うが、こちらは収録の上で
日曜日の増刊号で使われる事があった。
増刊号専用のコーナーもこのトークの際に行われる場合が多かった。
また、1984年10月から1990年末までは後続番組の「ライオンのいただきます」が同じくスタジオアルタで公開生放送されていた為、観覧募集を2番組セットで行い、いいともを観覧した観客は引き続き「いただきます」を観覧し、番組間のCM枠中にセットを組み替えて放送していた。
この当時は同じスタジオで連続生放送という事を逆手に取って、初期はいいとも青年隊のうち1人が居残りしていたり、金曜レギュラーだった明石家さんまは、「いいとも!」終わりで毎週そのまま「いただきます」のオープニングトークに参加していたりしていた他、「いいとも!」でやっていたコーナーが「いいとも!」の放送時間内に収まりきらなかった為、CMを挟んで「いただきます」冒頭部まで食い込んだ事例まであった。
ハプニング
生放送番組であるため、ハプニングが多かった。
以下は特筆すべきものを記す。
テレフォンショッキング編
1983年に生放送中に男性観客が乱入、スタッフに取り押さえられる。
動機は「中曽根首相への不満を言いたかった」らしい。
同じく1983年、新幹線に乗車中の宮尾すすむを呼び出すため国鉄の電話オペレーターにスタジオの電話番号を伝えたが、オペレーターが復唱してしまったため、スタジオにいたずら電話が殺到してしまった。
末尾の部分の音量を絞ったもののそのせいで番号の近い電器店にも電話が殺到してしまい、電話局からフジテレビに苦情が寄せられる事態となった。
司会をガン無視して喋り続けることに定評のある
黒柳徹子や明石家さんまがゲストに呼ばれた回では、案の定大幅に持ち時間を超えてしまい、急遽放送内容を変更せざるを得なくなった。
1984年に作家の有吉佐和子が出演した際も同様の事態になり、その話の長さにさんまが「死ねババア」と暴言を吐き、出演直後に有吉が急逝したため大騒ぎになった…とされるが、実はこれは演出であったことをのちに佐和子の実娘が明かしている。
1991年に歌手の由紀さおりが47分の遅刻。1998年には女優の片桐はいりが45分の遅刻。
2005年に
山崎邦正がゲスト出演した際、突如男性観客が「いいともは2005年中に終わるのか?」と質問をして、スタッフにより
山崎 OUT一発退場。
退場後に男性が座っていた席には熊のぬいぐるみが置かれていた。
その他編
1984年10月12日の放送では「タモリが前日仕事のため
奈良に行ったが、当日の放送時間までに帰ってこれなくなった」という設定で、さんまにオープニングの代役を頼み、リハーサルまで行うというドッキリが企画された。
実際の本番開始時にタモリは観客席の最前列に座っており、さんまが
オープニングテーマを歌い始めた直後にステージに上がってきて主役を奪い取り、さんまを思いっきりズッコケさせている。
このドッキリは2週間前から準備を進めていて、当日の観客にも前もって知らせて協力を呼び掛けるという徹底ぶりだった。これに関してさんまは「ええ加減にしぃや!」とブチギレており、タモリからは「さんまちゃんを騙す企画ですので、私が入ってきても静かにして下さい」と観客に事前の説明がされていたことを聞かされると「君らも知っとったん?」と観客に尋ねていた。なお、観客に配布された説明書には『みんなでさんまちゃんを騙そう』と『さんまちゃんを騙そう友の会スタッフ一同』という一文が記載されていた。。
1986年9月5日の放送ではタモリより先に
ビートたけしが登場し、歌や煽りを行うなどやりたい放題を繰り返す途中にタモリが登場。曲終わりにさんまが登場し、いわゆるお笑いビッグ3のトークが実現した。まだ当時はあまりこの3人が「BIG3」と言われていなかった時代のことであり、当時は年に1、2回はほぼ必ずBIG3の共演が番組で実現していた。
1988年7月1日の放送でタモリが泥酔した状態で出演し、オープニングの歌唱では暴走した末にコーナーではふらつきながら進行。この事は当時の金曜レギュラーである明石家さんまも呆れていた。
江頭2:50が当時レギュラーであった橋田壽賀子にセクハラ行為に及び、2014年2月までいいとも出入り禁止となった。
ある日スタジオ内が地震で揺れた時、タモリは震源地が茨城県南部と冗談半分で予言したが、直後のニュース速報で本当に茨城県南部で地震が発生したという珍事があった。
TOKIOのリーダー・城島茂が「
フィンランドの世界で一番臭うマスの缶詰を食べてみたい」という企画があり、実際に食べたのだがあまりの臭いに翌日までスタジオアルタはこの缶詰の臭いが取れず、この週の土日に業者に頼んで清掃をしてもらうハメになった。
補足
司会のタモリは1990年代までは定期的に休暇を取っていたが、1990年代後半以降は概ね無休で出演していた。2000年代以降では、ゴルフプレー中に他のプレーヤーが打ったボールがサングラスのつるに当たり、検査入院を余儀なくされた時と、健康診断で
白内障と診断されたことにより白内障改善手術を受けるために休んだ例がある。
現在のFNSネット各局が確立するまでは、他局系列の地方局に放送を依頼することが多く、
日テレ系列の山梨放送と高知放送、テレビ岩手、TBS系列の大分放送などで放送されていた(大分はFNS系のテレビ大分がNNSやANNとのクロスネットだった都合で、ANN離脱のタイミングで同局移行し同時ネット化)。
このうち、テレビ岩手に関しては「フレッシュ
たもり」という
スーパーマーケットがスポンサーについており、番組でタモリが
田森社長に電話をかけたというエピソードがある。
なお、最後まで系列外放送を続けたのはTBS系列の青森テレビであり、平日の夕方に最終回まで放送が続けられた(グランドフィナーレは未放送)。
1996年からしばらくの間はランキングを当ててしまった人が
罰ゲームで青汁を飲むというコーナーが存在したが、青汁をカメラの前で吐くという醜態を晒してしまう芸能人が少なくなかったため、後に味を少々改善したと言う。
タモリ自身も番組内での思い出として
最終回の冒頭で語っており、「(あまりの不味さで)飲んだ後お笑いやる気がしない」、「(飲んだ後に)誰かがボケると腹が立つ(やる気が失せた状態でツッコまないといけない為)」と話しており、相当な味だった事が窺える。
また本件、及びキューサイのCMで「
青汁=まずい」というネガティブイメージが必要以上についてしまい、これ以降一般向けの青汁は「飲みやすさ」をアピールする製品が急増することとなった。
それに代わって、罰ゲーム自体もノニジュース→苦丁茶と他の飲み物に移行しており、渡辺直美がいいとも少女隊時代にこれを飲んだ後のリアクションも名物になった時期もあった。
番組終了後
2017年9月28日に「とんねるずのみなさんのおかげでした 30周年SP」で「とんねるずアワー 祝っていいとも!」という「いいとも」完コピのコーナーが放送され、とんねるずの2人がオープニングで『ウキウキWatching』を踊り、ゲストにタモリが出演し途中から笑福亭鶴瓶も合流した。
2020年9月27日にTBSで放送された「アッコにおまかせ!祝35周年!豪華拡大SP」に
タモリがゲスト出演し、他局ではあるがお昼の生放送に登場し、コーナー司会を務めた。
学生さん
当然のことながら、平日の正午から放送されていたため学生さんたちはリアルタイムでは見られない。
当時まだ、ビデオデッキは普及し始めたばかりで高価であったため、人気番組に成長し始めたころ、目当ての有名人が出演するとラ・テ欄に記載されていた場合、学校をサボる輩が多数出たらしく、当時の教育現場ではガチで頭の痛い問題となっていた。
後に安価なVHSが普及し始めたことや、技術の発展で
携帯電話でワンセグ放送が視聴できる環境が整った為、徐々にこうした学生さんたちは減っていった。
ただし、系列外で夕方に放送されていた地域の人はその弊害はあまりなかった。
この記事を読んでいる人たちも中には学校や会社をサボったりして、いいともを見た人もいるとおもう。
風邪を引いて学校を休み、いいともを見ると言うのはなんか優越感に浸った思い出がある人もいるだろう。
(▼_▼)o¶「それでは追記・修正してくれるかな!?」
- 911でもなかったね -- 名無しさん (2014-04-24 01:51:03)
- 「おじさんは怒っているんだぞ」というコーナーが面白かった。 -- 名無しさん (2014-04-24 11:44:56)
- FAXを使っての鶴瓶師匠とお悩み相談コーナーで、発信者の全裸が送信されてきた記憶がある -- 名無しさん (2014-08-12 01:02:26)
- 今年のフジテレビはあまりの低視聴率続きでたくさんの人事異動が起きたり春の新番組はほとんど半年で打ち切られたりかつての栄光はどこへ行ったのか -- 名無しさん (2014-10-27 00:55:38)
- 何だかんだであと数ヶ月でいいとも終了から1年も経つのか。ダウンタウン、とんねるず、ウンナンなど多数の芸人が一堂に会したのは当時は興奮した。 -- 名無しさん (2015-01-04 22:30:25)
- 後番組のバイキングは相変わらず迷走してるけど同時期に開始したいっぷく!が先に終了する事態に。 -- 名無しさん (2015-03-14 16:54:49)
- 地デジ化あたりからフジの勢いが衰えてきたような感じだったけどいいともが終わって完全にフジオワタと感じた -- 名無しさん (2015-03-17 19:03:31)
- 例え低視聴率でもいいともは今後も続けるべきだった。 -- 名無しさん (2015-03-18 15:29:13)
- ごきげんようも来年で終了する事に。 -- 名無しさん (2015-11-02 19:47:12)
- ○○をやるべき、続けるべきと言う奴はだいたいそれを見ないが、いざ止めると叩く。 -- 名無しさん (2015-12-21 23:29:04)
- 新宿アルタもなくなってしまったな…。 -- 名無しさん (2016-04-04 13:33:18)
- 最終回檀上で共演した芸人についても記載ほしいな -- 名無しさん (2016-07-30 11:16:05)
- トミーズのメガネの方である健はタモリに嫌われていてCM中の軽い失態を責められ、それを、わざわざ増刊号で流されるという公開処刑で降ろされ全国進出の道を閉ざされたんだっけ。 -- 名無しさん (2016-07-30 15:57:22)
- そういや吉本新喜劇の島田珠代も、この番組のレギュラー出演時は新喜劇の時と違って大人しく無口だったな。 -- 名無しさん (2016-07-30 15:58:50)
- テレフォンショッキングの公然の秘密が隠しきれなくなったりとか、低迷に次ぐ低迷は確かだったし、終わったのも当然だと思ったよ。 -- 名無しさん (2017-02-17 17:20:07)
- 後番組のバイキングは何だかんだで今は安定してると思う。 -- 名無しさん (2019-04-29 12:42:54)
- いいとも青年隊のひとりだった岸田健作もその後は波乱万丈な人生を送ってたな…。 -- 名無しさん (2019-10-16 00:51:18)
- タモさんとナイナイ、共演するのいいとも最終回以来なのか。 -- 名無しさん (2020-09-10 20:50:25)
- 未だに反省ダンスが忘れられない… -- 名無しさん (2022-03-10 20:19:42)
- 安部さんとのトーク最高だったな…。どうしてこうなったんだ…。 -- 名無しさん (2022-07-09 13:57:55)
- なんでか観ていなかった、ノリがわからなかった -- 名無しさん (2023-02-25 17:04:18)
- 有名人ネタが多かったコロコロの「バビブベボブボブさっぷくん」だと、当時のレギュラー陣がラスボスに抜擢されてて吹いた思い出 -- 名無しさん (2023-12-29 14:46:16)
- 体調不良で学校休んでいいとも見てると、最初は優越感なのに、見終わる時には罪悪感が芽生えるんだよなぁ。ずる休みじゃないんだから問題ないのに、あれなんだったんだろう。 -- 名無しさん (2025-01-10 09:29:25)
最終更新:2025年04月20日 15:31