オレたちひょうきん族

登録日:2022/03/05 Sat 20:00:27
更新日:2025/02/04 Tue 17:39:51
所要時間:約 15 分で読めます





『オレたちひょうきん族』とは、1981年から1989年までフジテレビで放送されていたバラエティ番組である。


概要

漫才ブームで台頭した東西の若手お笑いタレントをレギュラーに抜擢して制作されたバラエティ番組である。
「ひょうきんベストテン」と「タケちゃんマン」を中心に据え、コントやロケ、トーク等の企画が行われた。

内容も
  • 出演者のプライベートなどの内輪ネタや楽屋ネタの頻繁な使用
  • NGシーンの放送
  • それまで裏方だったディレクターやプロデューサー等スタッフが表舞台に登場
  • コンビ・トリオ芸人をピンで使う
など、これまでタブーや反則技と見なされていたものの本番組によって一般化したものも多数あり、現在のバラエティ番組の基礎を築いた番組の一つといっても過言ではない。またCGなどの最新技術も積極的に導入した。

東西のお笑い芸人を集めたレギュラーバラエティ番組というのは当時としては画期的なもので、またゲストによる常設の歌のコーナーも設けない点もこれまた当時では異例の存在だった。
本作の人気に伴い、それまで歌手や俳優に比べて低く見られていたお笑い芸人の地位は大きく向上するなど*1、芸能界全般にも与えた影響も大きく、当時関西ローカルに留まっていた吉本興業の知名度を全国区にしたのも本番組の影響が大きい。

ゲストにはお笑いは無論、俳優やアイドルやラテ欄で乱入が予告されていることでおなじみ泉谷しげるなどの歌手、文化人など多数登場しており、変わり種では『笑点』メンバー(林家木久蔵三遊亭小遊三三遊亭楽太郎)も登場実績がある。

開局以来長らく低迷期にあったフジテレビの視聴率向上に貢献し、年間視聴率1位、三冠王を獲得する等躍進のきっかけを作った。
後述する『8時だョ!全員集合』との視聴率争いは、当時の小学生に二大派閥を作らせることに。

番組に出演したタレントが今なお第一線で活躍していることは勿論、タレントやスタッフがことあるごとに本などで番組の回顧録を発表する機会も多く、終了から30年以上たつ現在も高い知名度を誇る。

また、フジテレビでは本作以降東西の若手芸人を集めたバラエティを製作しており、土8枠はひょうきん族の終了後の1990年から1993年に『ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!』、1996年から2018年に「平成のひょうきん族」の異名を取った『めちゃ2イケてるッ!』、そして2021年からは『新しいカギ』*2が放送されている。


歴史

当時の土曜20時はTBSテレビの『8時だョ!全員集合』(以下「全員集合」)の一人勝ち状態が続いており、各局とも抜本的な対抗策を打ち出せずにいた。
そんな中、視聴率ノルマが廃され制作者が作りたいものを作る路線に転じていたフジテレビで、自社の特番『THE MANZAI』*3等漫才ブームで台頭した若手芸人を使った番組を作ることが決定。
1981年5月から月一回ペースの単発特番として開始した。
「全員集合」をいかに倒すかを目的とし、練りこまれたコントと対照的に演者のアドリブを優先とし、コーナーも思いついたらすぐ作り、つまらなくなったらすぐにやめるなど柔軟な制作体制を敷いていた。
同年10月からレギュラー放送を開始し人気は上昇、当初は三か月で終了する予定だったが即座に継続が決まり、84年頃から視聴率で『全員集合』を上回り出した。
そして1985年秋に『全員集合』は打ち切りとなり、当初の目的は達成され、番組は頂点に立つ形となった。

しかし、頂点に達すれば落ちるのが世の常。1986年末に発生した「ビートたけしフライデー襲撃事件」をきっかけに陰りが見えだす。
この事件で当然ながらたけしは謹慎、島田紳助も同時期に入院と主力が離脱。
たけしは1987年から復帰したものの「お化けが出た」など不可解な理由で収録を欠席する*4ことが増え、プロデューサーの交代もあり、さんま色の強い番組へとシフトすることになった。
また、「全員集合」の後番組として始まった志村けんと加藤茶をメインとしたコント番組『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』の人気が上昇して視聴率が急落。
そして同じフジテレビ内でも『とんねるずのみなさんのおかげです』や『夢で逢えたら』といった新しいバラエティ番組が台頭、番組は役目を終えたとみなされ、この頃には出演者で最も発言力が強かったさんまが継続の意欲を失っていたこともあり、1989年秋で8年間の歴史に幕を閉じた。
当時のフジテレビは絶頂期を迎えていたが、終了後の土8枠はその後ドラマなどしばらく迷走を続けることとなる。

これら一連の流れは全員集合開始前・全盛期のフジテレビ側の動きと共に「土曜8時戦争」と呼ばれ、日本における視聴率争いの代表例として取り上げられることが多い。
……なのだが、実際には制作側は両番組ともさほど視聴率について意識していなかったと語っており*5、ドリフのメンバーである志村と加藤は番組のスタジオに遊びに来ることもあったとか。
また、『ひょうきん族』に対しドリフのメンバーは「笑いの作り方が違うため、ライバルとは思っていなかった」という旨のコメントを残しているほか、ひょうきん族側のさんまは「ドリフという横綱がいるから番組が出来た」とドリフへの敬意を表しているほか、たけしも著書で『全員集合』を「今見ても面白い。それは完璧に計算して稽古して作り上げたものだから」と高く評価する一方で『ひょうきん族』は「今になって見ても面白くも何ともないし、古臭くて笑えるもんじゃない」「(楽屋話的な笑いは)芸の笑いとは別のもの」と評価している。

志村は「全員集合は『創る笑い』、ひょうきん族は『壊す笑い』」と表現したほか、たけしは「全員集合は『計算して作り上げた和菓子』、ひょうきん族は『調味料で作ったお菓子』」と表現しており、それが両番組のスタンスの違いを表していると言えよう。

主な出演者

番組の顔その1。
初期は漫才コンビ「ツービート」として相方ビートきよしと共に登場していたが、途中からピンで参加。
前述の通り87年以降休演が多くなリ、それをネタにした『カスタネットおじさん』なるキャラが作られた事もある。

番組の顔その2。
たけしが不在以降は名実ともにメインとなる。

  • 島田紳助
初期は松本竜介とのコンビ「紳助・竜介」での登場だったが、途中からピンでの出演に。
その後、番組放送中の1985年にコンビを解散している。
「ひょうきんベストテン」を皮切りに、その後の司会業の道を開拓した。
番組内では、やたら巨大な唇を付けた中田カウスの物真似を披露したことも。

  • 片岡鶴太郎
特番時代末期からの参加。近藤真彦や小森のおばちゃまなどの物真似やマイじいさんなどが持ち芸。
アツアツおでんと全裸監督こと村西とおるのパロディはこの人が元祖です。

  • 山田邦子
レギュラー期初期からの参加。出演当時は芸歴2年目の数少ない女芸人であり、他の男性芸人相手に堂々と渡り合った。*6
番組終了後、同じスタッフで冠番組『邦ちゃんのやまだかつてないテレビ』を手掛けることに。現在では「唯一天下を取った女芸人」*7として伝説化している。
最近では『M-1グランプリ』の審査員に起用されちょっとした再ブレイクを果たしており、『新しいカギ』のパロディ企画「先生とM-1グランプリ」では本家と同じ審査員を担当し、久々に土8に邦ちゃんが登場を果たしている。

  • 西川のりお
初期は上方よしおとのコンビ「のりお・よしお」での登場だったが、途中からピンで参加。
キレ芸の元祖はこの人だったりする。
「ツッタカタ坊や」「オバQ」「アライグマのノンノン君」などインパクトの強いキャラクターを演じた他、「のりおとにらめっこ」では毎回強烈なメイク芸を披露した。
アニヲタ的には「じゃりン子チエ」の竹本テツ役で有名。

  • ぼんちおさむ
初期は里見まさととのコンビ「ザ・ぼんち」での登場だったが、やっぱり途中からピンで参加。
のりおとの「狩人」のネタは後年めちゃイケでも披露されるなどあまりにも有名。

  • ウガンダ
元祖踊れるデブタレントで、正規の芸名はウガンダ・トラ。
元々はグッチ裕三・モト冬樹らと共にコミックバンド「ビジーフォー」(1984年解散)を組んでおり、時折ドラムの腕前も披露していた。
カレーは飲み物という名言を残した。
アニヲタ的には「∀ガンダム」のスエッソン・ステロ役で有名。
2008年に55歳の若さでこの世を去っている。

  • 島田洋七
元々は島田(藤井)洋八との「B&B」で有名で、本番組後期でのソロ参加では太平サブローともなんちゃってB&Bを組んでいた。
なお後世で言う「じゃない方芸人」となるビートきよし・松本竜介・島田洋八は、ひょうきん族初期に「うなずきトリオ*8」を組んでレコードも出していたり。

  • 太平サブロー・シロー
漫才ブームを代表するコンビの一人で、番組では一貫してコンビで出演し続けた。サブローの方は後年横山やすしの公認物真似で知られることになり、関西ローカルではバラエティ番組のサブMCとしてもおなじみ。
シローはデーモン小暮の他、師匠である「レツゴー三匹」のじゅんのモノマネが高評価を得たが、2012年に急死。奇しくもウガンダと同じ55歳での旅立ちだった。

  • ヒップアップ
本番組でのキャラ「アダモステ」で人気となった島崎俊郎・後に『踊る大捜査線』のレギュラーとなった小林すすむ・後に福岡で有名となった川上泰生のトリオ。番組初期は持ちネタコーナーを担当していた。
メンバーは2012年に小林、2023年に島崎が亡くなっている。

  • コント赤信号
劇団『テアトル・エコー』の養成所出身で、後にラ・ママ新人お笑いコンテストを主催することで知られる「リーダー」渡辺正行・後にアニメ版こち亀両津勘吉役で知られるラサール石井・近年は擬宝珠夏春都役兼俳優活動がメインの小宮孝泰によるトリオ。
特に渡辺がさんまとたけしに叩かれまくるお玉コントや、人間打楽器は後年めちゃイケでもパロディされた隠れた名作である。

  • 伊丹幸雄
「青い麦」のヒットでお馴染み往年のアイドル歌手。
初期のタケちゃんマンにレギュラー出演し、ピンチの時に法螺貝を吹いてタケちゃんマンを召喚する役柄だった。

  • 安岡力也
見た目からわかるコワモテでおなじみの俳優。氏がホラ貝をホタテと言い間違えたことから生まれたホタテのキャラクター「ホタテマン」に扮して人気を博した。
ここから発売された楽曲「ホタテのロックンロール*9」は32万枚というヒットを記録。コミックソングながら本格的な造りで、作詞・内田裕也、作曲・加瀬邦彦、編曲は駆け出し時代の小室哲哉という超豪華な布陣なうえに、そもそも安岡力也は歌手出身なので地味に歌唱力も高かったりする。

  • 天地真理
1970年代にアイドルとして一世を風靡した氏だが、休業から活動再開後、前期にレギュラー出演していた。

  • 榎本三恵子
前期のレギュラー。もともとは田中角栄総理の筆頭秘書官夫人だったが、戦後最大の政治スキャンダルである「ロッキード事件」に検察側の証人として出廷。氏の「ハチの一刺し」発言は流行語となった。その後タレントに転身。加納典明の撮影でヌード写真集を刊行するなど一時期広範囲で話題をさらった。
番組内では上記の発言からハチの格好をして登場しており、タケちゃんマンに針刺し攻撃を加えるなどのセルフパロディをしている。

  • 石井めぐみ
特にお笑いとは関係ない普通の女優なのだが、貴重な女性レギュラーとして後期を彩った。
本番組の「女優枠」は当時モデルとして活躍していた賀来千賀子が出演していたことがあり、以降の土8枠にも清涼剤的ポジションで必ず設定されている。

  • たけし軍団
本番組では松尾伴内・グレート義太夫・ラッシャー板前・そのまんま東・大森うたえもん・芹沢名人が参加している。
特に松尾は最初期から出演し、タケチャンマンのアシスタントとしてさんまへの攻撃をアシストする傍ら、いつのまにか酷い目に合うなど体を張っていた。

  • 村上ショージ・Mr.オクレ・前田政二
本番組後期に「何人(難民)トリオ」として売り出された吉本の若手組。前田はダウンタウンらと同じNSC1期生でもある。
その後、村上はさんま関連番組の常連となり、オクレは吉本新喜劇に加入、前田は紆余曲折を経て放送作家に転向している。

  • ジミー大西
おさむの弟子でさんまの運転手だった元祖天然芸人。
番組末期に準レギュラーで出演し、その天然ぶりを遺憾無く発揮していた。

  • ピンクの電話
女性二人組の漫才コンビ。ひょうきんベストテンなどで活躍した。
アニヲタ的には両名とも夢のクレヨン王国に出演経験があるほか、竹内はわさドラ版ジャイアンの母ちゃん役でもおなじみ。

  • 横澤彪
番組初代プロデューサーで、懺悔室の初代神父として出演。
ひょうきん族を筆頭に『笑ってる場合ですよ!』『笑っていいとも!』や『ライオンのいただきます』『THE MANZAI』『タモリ・たけし・さんまBIG3 世紀のゴルフマッチ』などフジテレビ80年代の人気番組を多数手がけたほか、『FNS27時間テレビ』の企画を立ち上げたのもこの人である。
退社後は吉本興業の東京支社長も担当したが、2012年に他界。
なお、番組スタッフのクレジットは全てミドルネームが付けられており、横澤は「オジン」、三宅は「デタガリ」が付けられていた。

  • 三宅恵介
番組後期プロデューサー。出演時には赤いセーターを着ていることが多かった。
1987年以降横澤に代わって神父(その衣装も赤色だった)役を務めたほか、ディレクター時代には「ひょうきんディレクターズ」名義で歌手デビューも果たしている。
『ひょうきん族』以外ではドラマシリーズ『心はロンリー気持ちは「…」』や『ライオンのごきげんよう』等を担当し、現在も制作会社「千代田企画」の代表取締役社長を務めながらフジテレビにエグゼクティブディレクターで籍を置いており、『はやく起きた朝は…』『明石家サンタの史上最大のクリスマスプレゼントショー』のほか、『27時間テレビ』において火薬田ドンの演出を担当している。
実は『パタリロ!』の「クックロビン音頭」の振り付けも手掛けている。

主なコーナー

【オープニング】

ロッシーニの「ウイリアム・テル序曲」に乗って出演者がナレーションで次々と紹介される。
この楽曲が使用されたのは一説によると、スネークマンショー*10のアルバム「スネークマンショー海賊版」がこの曲から始まることに感銘を受け、それを真似したと言われている(初期はスネークマンショーのレギュラーメンバーだった伊武雅刀がナレーションを担当していた)*11
1982年からの一時期は当時放送中あるいは60~70年代のアニメ声優陣が週替わりで登場し、当該作品のパロディでナレーションを行う豪華なものとなっていた。
後期は千葉繁が女性相手の寸劇風ナレーションを担当。

【ひょうきんベストテン】

当時TBSテレビで放送されていた『ザ・ベストテン』のパロディで、芸人が歌手に扮してその歌を披露するもの。
だが、スタジオ登場時には大量の紙吹雪を落とされ、歌の途中でフラワーダンシングチームなどの芸人ダンサーズが乱入してまともに歌えないのがお約束。ゲストによっては本家同様中継ロケをすることもあった。
最後は本家と同じく記念写真で締めるが、シャッターが下りる際にスモークが大量にたかれてまともな写真にならないのもこれまたお約束だった。
西川のりおの沢田研二、片岡鶴太郎の近藤真彦、稲川淳二の西城秀樹と常連のネタもあった。
今では怪談の人のイメージしかない稲川だが、当時はリアクション芸人として活躍しており、とりわけ酷い目に合うのがお約束だった。

司会は島田紳助とフジテレビの女性アナウンサーが担当。
担当したアナウンサーはアイドル的人気を博すこととなり、今に続く女子アナのタレント路線を作り出すきっかけになった。
初代の担当アナウンサーである山村美智子(現:山村美智)はこれがきっかけで女優業に転身を果たしたほど。
また、紳助の司会の上手さも注目されるようになり、後に日テレの『歌のトップテン』では和田アキ子とのコンビで本当に歌番組の司会も担当することに。
年末には『日本歌謡大賞』*12をもじった「ひょうきん歌謡大賞」という特別版も放送されていた。

なお全部が物真似系という訳ではなくモノマネの題材になった本業の歌手もゲスト出演することがあり、中にはYMOやオフコースなど、本家ベストテンに出演経験のないアーティストが登場することも。
回によっては演歌歌手のバックダンサーとして知られる花柳糸之社中も登場し、以降同社中がバラエティ番組にも出演する機会を作った*13
そして、本物でも容赦なくドッキリ演出の被害者となった。

コーナーの時刻は20時台の前半と決まっていた。これは、裏番組である「全員集合」の前半コントと被せることで、視聴者が「全員集合」と本番組(のタケちゃんマン)両方が見られるようにスタッフが配慮したもの。

番組は裏番組同様なにかとから目の敵にされていたが、本コーナーで1984年に放送されたウガンダの「和風スリラー」は同年の民放連最優秀賞を受賞している。

なお、本コーナーは本家ベストテンと異なり組織票の投票を容認しており、松戸競輪のテーマ曲である「走れ!自転車」がこれでランクインしたことがある。

【タケちゃんマン→タケちゃんマン7】

「あ、鳥だ!」
「あ、飛行機だ!」
「あ、タケちゃんマンだ!」

番組のメインコーナー。
前半はたけし扮するタケちゃんマンとさんま扮する怪人によるコント、後半はその二人が様々な着ぐるみ姿でゲーム対決を行う二部構成。
コントは「スーパーマリオブラザーズ」など放送当時の時事・流行ネタや、「ゴーストバスターズ」や「ロジャーラビット」など当時公開されていた映画のパロディが多かった。
映画作品が多かったのは、本番組の構成作家である高平哲郎の趣味も反映されているという。
タケちゃんマンが怪人の正体に気づき、タケちゃんマンが「お前は○○(怪人名)だな!」と振り、怪人が「そういうお前はタケちゃんマンだな!」と返してゲームパートに突入する。

メインキャラ以外でも島田紳助の洗濯女、島崎俊郎のアダモステ*14、ラサール石井の石井光三社長*15など、数々の人気キャラもここから登場している。
1話完結のコントではあるが、連続ドラマ方式で7年も放送が続けられ、このノウハウはのちのフジテレビのコント番組にも生かされた。

当時の人気は絶大で、「タケちゃんマンライス」*16なる学校給食まで登場した。ちなみにこれはたけし本人も試食しており「まずくはない」とのこと。

怪人は全てさんまが考案したもので、飽きてきたらさんまが作中で死亡させ、次のキャラに移るというシステムを取っていた。
これらの怪人は他局含めたさんまの番組でたびたび復活しており、「ひょうきん族」は知らなくても怪人の姿は見たことある人も多いのでは。

○タケちゃんマン
金色の帽子に沢田研二の「TOKIO」のスーツ、足立区後援会の文字が入ったマント、ボクシング風チャンピオンベルトと徹底的にかっこ悪さを追求した衣装が特徴。主題歌の歌詞を見るに、趣味は風俗通いらしい。
コンセプトは「強きを助け、弱きを憎む」。
ナンデスカマンとの対決で一度死亡したが、タケちゃんマン7として帽子に7の文字を入れただけで復活。

○タケちゃんマンロボ
1984年2月頃に初登場。
北野水博士と助手の珍博士によって作られ、タケちゃんマンがピンチに陥った時6機のメカが飛来、合体して完成する。
必殺技はタケちゃんマンロボパンチ、恐怖のマグネティック攻撃など。
段ボールやウレタンではない、ましてや中に人が入っているようなせこいロボットではないのです。本当です。本当です!by大平透

○ブラックデビル→ブラックデビルJr.
初代怪人。クエッ!と甲高い声を上げるのが特徴。
当初は高田純次が担当していたが、高田がおたふくかぜでダウンして代役として体格の似たさんまを起用。それが大ハマりしたという経緯がある。
途中死亡し、尻尾が生えた息子という設定のブラックデビルJr.に交代したが、アミダばばあの登場後フェードアウトしている。
後年、某特撮番組にてコイツが元ネタの悪魔?登場した。

○アミダばばあ
「あみだくじ~♪あみだくじ~」の歌でおなじみ2代目怪人。
当初は普通のお婆さん姿であったが、途中からコシノジュンコがデザインした胴体が金庫になっている専用衣装に変更。
サザンオールスターズの桑田佳祐が作った「アミダばばあの歌」というイメージソングがあり、ばばあの過去を歌った悲哀溢れる作品となっている。

○ナンデスカマン
3代目怪人。黒と黄色のカラーリングで「WHAT DO YOU SAY?」と胸に描かれており、両手は耳のような形をしている。
登場時は「世界の国からこんにちは」のテーマ曲の替え歌が流れる。
途中ナンデスカマンロボにパワーアップし、タケちゃんマンロボを苦戦させるもタケちゃんマン7には勝てず、妻子にも見限られ服毒自殺を遂げ、閻魔大王により粉地獄などで責められ「俺もこれで、ジ・エンマ…」と最期の言葉を残し息絶える。
こちらもイメージソングとして松山千春作詞・作曲の「ビックリ箱のうた」が存在するが、「アミダばばあ」に比べて知名度は低い。

○サラリーマン
その名の通り、七三分けにスーツ、ネクタイに眼鏡をかけたサラリーマン怪人。
「出世とマイホームを諦めたサラリーマンほど怖いものはない」「普通の人が一番恐い」という楽屋話から生まれた。
さんま本人は怪人の中で最もお気に入りだったとされるが、案の定子供にウケず、途中でライダーサラリーマンになるも三週で打ち切られた。

○妖怪人間知っとるケ
「今年で30、知っとるケのケ!」のギャグでおなじみの怪人。
ある子供が変じた山姥風の妖怪。背中にカラスを乗せている。
体毛を拾った者は爆発し、煙とともに白髪の老人になってしまうという恐ろしい力を持つ。
最後は当時発生していた実際の事件の容疑者に祭り上げられ追われる身となり、絶望の果てに焼身自殺するという悲劇的なものだった。
前述のギャグは「30歳といういい大人になってこんなことをしている」という自虐的意味合いなのだが、30でも若手芸人と呼ばれる現代ではギャグの意味合いが通じなくなったと語っている。

○パーデンネン
「アホちゃいまんねん パーでんねん!」でおなじみ、パーの形をした被り物で登場する白塗りの怪人。
登場時にはテーマソングを歌いながらダンスをし、〆に両腕を広げ片脚を上げて「パ~ッ!」と叫ぶのがお約束。
上記のギャグは当時小学生だった月亭八光から5000円で買ったもの。
本作以降の怪人(バイキンガーZ、カスタネットマンなど)はたけしの謹慎および収録をサボるようになってから誕生したもので、タケちゃんマンの相手として登場した怪人はこのパーデンネンが最後。
最終回ではお待ち娘から変身するも、大石内蔵助に変装したタケちゃんマンに斬られて一応決着…という事になったが、その後も事あるごとにCMやドラマ、『めちゃイケ』の中で何度も登場している。

○お待ち娘
さんまが金色バニーガールに扮したもので、怪人変身前の代表的な形態。
タケちゃんマンが酒を注文すると、ウイスキーの水割りセットが載ったワゴンを押しながら登場する。
当初は妊娠をほのめかす、後半では狂言自殺を行うなどたけしと愛人のようなやり取りを行う。

【ひょうきん絵描き歌】

前期の代表的なコーナーで、出演者は山田邦子のみ。
男女混声のコーラス隊の合唱(『森へ行きましょう』の替え歌)に乗せて絵描き歌を披露するもので、題材は番組内のネタや下ネタ、捻りのきいたもの*17など様々。
このコーナーでは視聴者からの投稿を受け付けており、内容に応じて山田から誉め言葉を向けられたり花丸を描かれたり、時には罵声を投げられたりすることもあった。

【ひょうきんプロレス】

そのものずばり出演者同士でプロレスをやるもの。
当初は実在するプロレスラーのパロディだったが、回を追うにつれて当時ワイドショーをにぎわせていた人々のパロディキャラが対戦する形式に変わった。
中でもビートたけしの番組で放送作家として活動していた景山民夫は、その見た目がロス疑惑の三浦和義にそっくりだったことから「フルハム三浦」なるリングネームで登場。これが人気を博し以降景山はタレントとしても活動するようになった。
この企画も後年「めちゃイケ」内で「めちゃ日本女子プロレス」としてオマージュ企画が放送されている。

【CM・通販パロディ】

文字通り当時放送されていたCMや通販のパロディコントコーナー。
通販では「大韓航空機の破片」のようなブラックなネタも登場したことがある。
内容によっては視聴者プレゼントとなったことも。

【かまへんライダー】

変〜態!!お父ちゃんやめてやめて!!

番組末期のメインコーナー。
仮面ライダー風のスーツを着たさんま・ラサール石井・村上ショージ・Mr.オクレ・前田政二の5人が街中でロケを行うもの。
オープニングは『光戦隊マスクマン』の挿入歌「オーラに輝け!グレートファイブ」。

スーツは戦隊風の5色であるが、決して「ゴライダー」ではない。
その名称や企画からどう考えても『仮面ノリダー』の二番煎じ感は否めず*18、さんまもロケ中「仮面ノリダーではありません」「そらノリダーに負けるわなあ」などと自虐なネタをしばしば放っていた。
このコーナーは群馬県の草津温泉の替え歌を使っていたことから、後に草津温泉から感謝状を贈られている。

後にフジテレビで制作された『明石家マンション物語』の「ダメダメボーイズ」の原型ともいえるコーナーで、出演者も一部共通している。

【ひょうきん懺悔室】

「懺悔!懺悔!」

番組のエンディングコーナー。進行は神父に扮した番組プロデューサー(横澤彪三宅恵介)が担当。
教会のセットにその日の放送でNGを出した人が呼び出され、NGに至った経緯を告白する。
磔にされたブッチー武者演じる神様が手で×又は○をして判断し、たいていは×が下される。後にブッチー武者本人はTwitterで「○×の判断は自分で決めていたが、次の予定が迫っていて水を浴びたら間に合わない場合は○を出していた」と語っている*19
○になった場合は神様がニッコリ微笑んで、天井から紙吹雪が舞い降り、×になった場合は神様が凄まじい顔芸を披露して、天井からバケツで冷水又はぬるま湯をかけられる。お水やお湯以外にも粉やインクやバケツなどが落とされることがあった。
水をかけるスタッフが悪ノリする様子が放送されたことも…
懺悔対象になるのはタレントのみならず番組スタッフや出入りの業者、果ては「プロ野球中継のせいで番組が2か月潰れた」*20との理由から当時のフジテレビの編成局長(後年フジテレビ6代目社長となる日枝久)まで懺悔を受けることもあった*21。また、神父役が「懺悔室への入室を促す台詞を噛んだ」として同じく裁定に掛けられたことも。そして、懺悔の神様がNGを出して神様自ら懺悔させられた回が存在したこともあった。

稀にNGを出さなかった回又はNGを出しても面白かったからOKにしたためNGなしの回も存在しており、その時は「今日は懺悔のない良い一日でした」の台詞と共に○の時と同じく紙吹雪が舞い降りた*22

○×が判定される際に流れる音楽の初出は『宇宙刑事ギャバン』の変身〜登場BGM。

放送終了から20年以上後には『銀魂』や『ジュエルペット サンシャイン』などのアニメでパロディにされた。
ドラえもん』のひみつ道具「さんげぼう」は、本コーナーをヒントに生まれたとされる。

ちなみに「教職者と向き合って罪を打ち明ける」形式の懺悔はプロテスタントでは行わないのだが、キリスト教全般で(水をぶっかけること以外は全部)似たことをやっていると思い込まれがちなほど、強烈なインパクトを残したコーナーと言える。

余談

  • 1986年から87年まで、スピンオフ番組として「ひょうきん予備校」が放送された。ダウンタウン4人だった頃ダチョウ倶楽部、久本雅美など当時の若手芸人が生徒役で出演し、本番組の出演者や大御所芸人が講師として授業を行うものだった。
  • 番組後期にプロデューサーを担当した三宅恵介とさんまは本作以降数多くのタッグを組んでおり、1999年から2001年まで放送された「明石家マンション物語」は若手芸人とのコントやロケ、視聴者投稿コーナーなど、ひょうきん族を彷彿させる構成となっていた。オープニングにクラシックの楽曲を使っている点も共通している。
  • エンディングテーマはepoや山下達郎、松任谷由実などの現在ではシティポップと呼ばれる楽曲が使われた。曲の中には放送日に因んで歌詞に「土曜日」が入ることが多かった。ちなみにepoは「タケちゃんマン」のテーマソングも作曲している。
  • 番組末期の1989年3月には、エンディングテーマが流れ出したタイミングで番組制御機器が故障して音声・映像が20分以上流れなくなるトラブルが発生。直後のニュース・天気予報だけではなくその次の『ゴールデン洋画劇場』にも映画の途中まで影響が出てしまった。系列局にも影響が出る大規模なトラブルとなったため、映画の終了後にアナウンサーが画面に出てきて謝罪する事態となった。皮肉なことにこの回は比較的視聴率が高く、さんまは後日「放送事故に負けた」と語っている。
  • 番組のレギュラーだった片岡鶴太郎は本番組で「たけしとさんまの二人には勝てない」と悟り、本番組終了前後からバラエティの仕事を徐々に降板。俳優兼芸術家兼ヨガの人へシフトすることとなった。但し当人はあくまでも基礎はお笑いとしており、現在もバラエティへのゲスト出演は多いしおでん芸も変わらずにやっている。
  • 青森県などフジテレビ系列がない県では、全員集合→加トちゃんケンちゃんごきげんテレビを放映していた局で遅れネットされていた所もあったため、この場合は両方見ることが出来た。


追記・修正は教会でNGを懺悔してからお願いします。

この項目が面白かったなら……\ポチッと/

+ タグ編集
  • タグ:
  • フジテレビ
  • ビートたけし
  • 明石家さんま
  • 土8
  • バラエティ番組
  • タケチャンマン
  • テレビ番組
  • 1970年代生まれホイホイ
  • ブラックデビル
  • お笑い
  • ひょうきん懺悔室
  • 腹筋崩壊
  • オレたちひょうきん族
  • 土曜8時戦争
  • 島田紳助
  • 懐かしの番組
  • ナンデスカマン
  • かまへんライダー
  • パーデンネン
  • ブッチー武者
  • 懺悔!懺悔!
  • 横澤彪
  • 三宅恵介
  • 山田邦子
  • 西川のりお
  • ぼんちおさむ
  • 石井めぐみ
  • 片岡鶴太郎
  • シティポップ
  • 顔芸
  • 俗悪番組
  • 壊す笑い
  • アドリブ
  • 吉本興業
  • バラエティ
  • ピンクの電話
  • ウイリアムテル
  • 1981年
  • ナイター中継被害者の会
  • 楽しくなければテレビじゃない
最終更新:2025年02月04日 17:39

*1 当時のテレビのメインはあくまでも歌手やアイドルであり、お笑いはその前座または露払いといった扱いだった。本番組のメインを張ったビートたけしは駆け出し時代に西城秀樹と共演したが、自分達とは口を利くことすらも許されなったとも語っている。

*2 開始当初は金曜8時の放送で、同年秋から移動。

*3 経緯がかなりややこしいが、2011年から毎年年末に放送されている同名の番組とは無関係。

*4 たけしが後年明かしたところによると、これらはやはり意図的なサボりだったようで、出演者が多忙かつ楽屋で株など金儲けの話しかしていない状況に嫌気がさしてこのような行動に出てしまったとのこと。

*5 両番組は定期的にスタッフ同士が会合する機会があり、視聴率の話は全く話題にならなかったという。

*6 そのせいか、男性器を観ただけで共演者がわかる、という特技ができてしまったという。また、当時の山田は将来の結婚相手を探すことを意識しており、後に、同一事務所のある共演者(イニシャルのみが記事に公表されている)にガチの恋愛感情を抱いていたことや、同郷で気が合う別の共演者も現実的にアリな線と見ていたら別の女性と交際しており、泣く泣く手を引いたことを明かしている。

*7 「ゴールデンタイムに冠番組を持つことを実現できた女性のピン芸人が、後にも先にも他にいない」ことを讃えた表現である。

*8 名前の由来は「相方の隣で頷いているだけの存在だから」。余談だがその名称から富山県の宇奈月温泉に表彰されたこともある。

*9 元々は内田裕也の持ち歌だった既存曲「マンジョキロックンロール」を元にリメイクした作品で、原曲の作詞は城悠輔が担当。

*10 桑原茂一・小林克也・伊武雅刀によるユニットグループで、前衛的なコントや楽曲で70年代後半からカルト的人気を博していた。

*11 「めちゃイケ」でも、学力テストのオープニングで使用されていた。

*12 「日本レコード大賞」に対抗して創設された歌謡賞。TBSテレビ以外の民放4局が持ち回りで放送していた。1994年廃止。

*13 番組ディレクターの三宅恵介は糸之の師匠にあたる花柳啓之の息子で、出演に際しては三宅の働きかけも大きかったという。

*14 桃太郎電鉄シリーズ貧乏神もしくは原型となったジャンプ放送局の「えのん」こと榎本一夫の衣装の元ネタと言った方が思い出しやすい人もいるかも。

*15 当時コント赤信号が所属していた芸能事務所・石井光三オフィスの社長。自身もタレントとして活動しており本人との共演も頻繁に見られた。

*16 米に米粒麦をまぜて牛乳で炊いた炊き込みご飯のこと。現在はミルクファイバーライスと呼ばれる。

*17 例えば「画板の向きを変える」が最後の手順に入り、一瞬にしてウォシュレットなど目的の物が姿を現す。

*18 但しノリダーと異なり事前に東映と石森プロから許諾を得ており、DVDにも収録されている。

*19 タレントのスケジュールから濡れさせるわけにいかない場合は○にするなど、多少の配慮はあったとのこと。

*20 裏番組の「全員集合」は、終了まで野球による休止がほとんど存在しなかった。

*21 ブッチー武者曰く、あまりに偉い人なので×を出してもよいか本番中に隣にいた横澤プロデューサーに腹話術で問うたところ、反応がなかったので×を出したという。

*22 懺悔の神様に水をかけるパターンが存在したこともあった。