FNS27時間テレビ

登録日:2021/03/07 (日) 23:51:47
更新日:2021/04/01 Thu 16:54:01
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毎年の夏休みの中頃(7月中旬の土曜及び日曜)にフジテレビ系列で放送されるフジネットワーク(FNS)共同制作のスペシャル番組。「FNSの日」とも呼ばれる。



誕生からの歩み

第1回が放送されたのは1987年。『24時間テレビ 「愛は地球を救う」』(日本テレビ)のパロディ及びアンチテーゼが番組の根幹にあり、募金もチャリティー活動もしない、ただただお笑いだけをやる24時間の生放送番組として企画された。*1

チャリティーを行っていないため第1回の番宣広告や放送内では「募金は行っておりません」というテロップが出ていたが、第1回では、非チャリティーのバラエティ番組という事が理解されていなかったのか、開始した後すぐに勘違いした視聴者が小銭がぎっちり詰まったビンを河田町に持ってくる人もいた。
また、1993年・1994年の企画「全国〇×王座決定戦」の第1問目として出題された問題で「平成教育テレビ(当時の番組名)は募金活動を行っている」と自らギャグネタにすることもあった。

フジサンケイグループが東京と大阪で行った博覧会「夢工場'87」の連動イベントとしての側面もあったという。放送が始まってから数年間は『夢列島』(初回から1991年までのタイトルが『FNSスーパースペシャル 1億人のテレビ夢列島』だった事から)という通称で呼ばれたり、日テレ同様『24時間テレビ』と呼ばれることが多かった。

当初は1回きりの単発特番の予定だったが、初回放送の平均視聴率が19.9%、瞬間最高視聴率は38.1%という高視聴率*2。これをフジテレビが1年で捨てるはずが無く、次の年からも毎年継続して企画・放送。それから2019年まで一回も休まず放送を続けてきた。開始当時の放送時間は24時間だったが、伸び縮みを経て現在は27時間30分にも及ぶ。

視聴率は2012年まで毎年二ケタ台を記録していたが、その後は徐々に下降線をたどり、2016年からは1ケタ台に苛まれている。

名目上は「FNS各局との連携による製作能力の向上」を目指しているため、地方局との中継企画やFNS系列局対抗企画が多く放送されるのが特徴であり、なおかつその各局も空回りと言わんばかりのドンチャン騒ぎで番組を盛り上げるのが名物となっている。

エンディングではその年のフジテレビ新人アナによる「全スポンサー*3の提供読み」が第1回から毎年続く恒例行事となっている。
フジテレビの新人アナウンサーは入社してから研修期間を経てこの番組で本格的にデビューするため*4、全国に向けての新人アナウンサーの顔見世という重要な役割も担っている。


各回のデータと出来事






27時間テレビ事件簿

明石家さんま司会キャンセル騒動(1988)

1回きりで終わるはずだった27時間テレビは結果大成功に終わり、翌年以降も放送される事が決まった。
スタッフは2回目も総合司会はタモリ・さんまで行こうと交渉するが、タモリに交渉する際、まださんまに出演オファーをしていない状態で「さんまも司会をする」と伝えてしまい、タモリも快諾した。

しかし、それから何日か経ってさんまに交渉したところ「第一回放送内容を超えられない」という理由で司会を辞退したのだ。
タモリはさんまにオファーしていなかった状態で交渉した事実を聞かされていないまま、さんまが司会を辞退したと耳に入り、理由を聞く為、深夜にさんまに電話をした。それも何故か泥酔した状態で。

だがタモリがかけた番号は自宅ではなくさんまの個人事務所「オフィス事務所」。たまたま事務所に寝泊まりしていた村上ショージが応答した事が事を大きくさせてしまった。
夜中に、それもタモリ本人が電話をかけるとは思わず、タモリを名乗ったイタズラ電話だと思い込んだショージはなんと電話相手のタモリ本人に激怒してしまった。
そのことがタモリを「裏切られた」と勘違いさせる一因となり、三日三晩酔い続けたと後年さんまとタモリは語っている。
しかもタモリは1988年7月1日の「いいとも!」にも泥酔した状態で出演し、オープニングの歌唱で暴走。コーナーでもふらつきながら進行するなど酔いが醒める気配は全く無く、さんまに厳重注意されていた。


タモリ放屁事件(1989)

開始から十数時間が過ぎた日曜日の昼下がり、タモリ・さんまが一番辛いであろう時間帯に癒しの企画として二人を「笑っていいとも!増刊号スペシャル」から出演していたダウンタウンとウッチャンナンチャン、笑福亭鶴瓶と共に、ジャングル風に仕立てたスタジオに招待した。
そこでは鍼、鍼灸、整体、気孔、食事療法などを体験したが、気孔を体験中、タモリが気のゆるみからかおならをしてしまった。鶴瓶やさんまから突っ込まれたタモリは「気が出た」と弁明し爆笑を誘った。


東野幸治暴言事件(1995)

上岡龍太郎、そのまんま東、トミーズ雅、武田祐子、木佐彩子の5人がオーストラリア・ゴールドコーストマラソンに挑戦。
マラソンは全員完走かつベストタイム更新となったが、日曜朝の企画「料理の女鉄人」*9内でマラソンの模様を中継した直後(調理終了2分前)、東野幸治がこっそり炊飯器の中に入っていたご飯を盗み食いしているところをコーナー進行の笑福亭鶴瓶と今田耕司に発見された。
そのことを指摘した鶴瓶と今田に対して東野は「わしだって飯食うわぁ!!」「(マラソンなんて)どうでもええんじゃぁ!!」と暴言を吐いた。
同じく進行役の森口博子が「ケンカはやめて!」と仲裁した直後に東野が慌てて「ファイト!ファイト!雅!」とフォローしたものの、この発言に対し、フジテレビには視聴者から2万本の抗議の電話がきたという。


鶴瓶開チン事件(2003)

27時間テレビを語る上で外せない伝説の事件。
鶴瓶とココリコが離島に上陸し島民が会いたい人との再会を実現させる企画で、この年は長崎県の松浦市にある飛島へ向かった。
鶴瓶は前年(2002年)の放送で夜中に『今夜も眠れない』のコーナー内で中継した際、酔いつぶれた挙句尻を丸出しにして爆睡したり、「さんまの若手時代の駆け落ち話」を突然暴露したりする体たらくぶりだった事を受けて「今年は酒を飲みません」と宣言。
だがそれにも関わらず、鶴瓶はその後の中継では既に村長と酒盛りをし、夜10時には「居酒屋つるべ」をオープンさせた。その後も隣に座った老婦人の乳を揉んだり、放送禁止用語を叫ぶなど失態を連発。

深夜、「今夜も眠れない」で中継した際に裸で寝ていた鶴瓶はさんまと中居にこっぴどく叱られた上に、タイミング悪く提供のテロップが出てしまい、さんまが表示されたほぼ全社の名前を言った上で「売れ行き落ちるわ!」とフォロー。中居から「座ってるなんて失礼ですよ!立って、びしっと!!」と言われて立ち上がったところ…

バッチリと画面に局部を露出させてしまった。

さんまも中居も驚いてひっくり返り、さんまはCMに入った途端「あのおっさん脱いどったぁ…」と呆然。
CMが明けた後さんまは「中居、お前が謝れ…。もうあのオッサンの為に尽力するのイヤや…」と匙を投げていた。
渋々ながらも中居は視聴者に向けて謝罪したが、さんまは追い討ちとばかりに
「明日映像を見直してみ、鶴瓶にいさん、きっと“どや顔”してるぞ!」
「ジャニーズ事務所も正式に抗議した方がええかも分からんね…。というか、ジャニーズ事務所で鶴瓶にいさん、潰せ
と、真顔で語った。
コーナーの終了後にも改めて高島が「先程中継の中でお見苦しい点がありました事をお詫び申し上げます。」と視聴者に向けて謝罪する事態となった。

そしてこの事件は後年まで27時間テレビや他番組の中で尾を引く形となった。
まず、鶴瓶は局部露出について後日フジテレビに謝罪。放送翌日の新聞各紙にも記事が掲載されるほどの事態となった。
翌年の放送でも初めてオンエアのテープを見せられた鶴瓶本人が改めて視聴者に謝罪した*10。そして、過ちを再び起こす事のないように鶴瓶には前述した通り「南京錠付きの鉄製パンツ」を穿かされたのだ。

これ以前にも1988年の総合司会時には番組中に熟睡した挙句『いいとも!増刊号』では「テレフォンショッキング」のVTR中にソファで横になったことや、1997年の企画「大決戦!日本列島エエヒト怪獣ツルベVSワガママ怪獣ヒトシ」に登場した際には松本人志が鶴瓶の尻に火をつけてその熱さに系列各局の女性アナウンサーの目の前でスタジオを駆け回ったこと、そしてこの上記2年で起こった尻丸出し・御開チン騒動と番組内で何度も問題を起こしたことにより、2005年、制作発表の場で以下の5箇条を叩きつけられた。

「本番中に酒を飲まない」
「本番中に寝ない」
「本番中に脱がない」
「本気で怒らない」
「1つでも多くの企画を実行する」

逃亡劇の末、海猿の手でお台場に送還された鶴瓶はこれらを(逃亡劇の演出のため)実行こそできなかったが、フジテレビ、そしてライブドア問題に苛まれたニッポン放送へのメッセージを送った。
その後番組に関わった各セクションのスタッフから贈られた自分への感謝の手紙を聞いた鶴瓶はスタジオに来た幹部やスタッフへ感謝のメッセージを送ったのであった。
2012年、「今夜も眠れない」のスタジオにやってきてさんま・タモリ・中居とトークした鶴瓶は「このコーナーで俺はこの世界から居なくなりかけたんや」と回想して笑いを誘い、中居が鶴瓶の頭にムヒを塗った。「ムヒが目に入ったんや!!

1・2事件(2008年)

にしおかすみこ号泣(2008年)




―追記・修正はレンジローバーの修理をしてからお願いします。

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最終更新:2021年04月01日 16:54

*1 一部の年はブレこそあったが、『27時間テレビ』は今日に至るまでバラエティの路線を貫いている。

*2 なお、視聴率の最高記録は1987年(第1回)の平均視聴率19.9%と、1992年(第6回)の瞬間視聴率38.3%である。

*3 ローカル別にスポンサーがつく時間帯の企業は省かれる

*4 近年は6月ごろに『ダウンタウンなう』などの番組で先だってお披露目となるため、27時間がデビューとは言えなくなっている。

*5 当時の社名は「新潟総合テレビ」

*6 クイズに正解すると滑り台の角度がどんどん傾くルールで、それから落ちずに耐えられるかというゲーム。毎日放送でかつて同名のレギュラー番組として放送されていた。

*7 その後、共同テレビへの出向を機にバラエティの現場へ復帰。『チコちゃんに叱られる!』を手掛けた。

*8 岩手県・宮城県・福島県を除く。

*9 「料理の鉄人」の女子アナ大会で、25局を3チームに分けて対戦した。

*10 ちなみに、2005年の事前番組でもこのテープは放送されたが、その後封印されたらしく2008年の事前特番以降の同局ではトークで話題に出そうが、VTRだけは絶対に放送しない措置が取られている。