登録日:2015/05/25 (月) 19:18:00
更新日:2025/09/12 Fri 20:16:49
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性能
全長:1,276mm(着剣時1,663mm)
銃身長:797mm
重量:3,73kg(着剣時4,10kg)
使用弾:三八式実包(6.5x50mmSR)
装弾数:5+1発
銃口初速:762m/s
有効射程:460m
最大射程:2400m
概要
日本の東京砲兵工廠にて開発され、1905年(明治38年)に採用されたボルトアクション式歩兵銃。太平洋戦争終結までの40年近くを戦い抜いた皇軍歩兵の顔である。
名前は採用した明治38年より。読みとしては「さんはちしきほへいじゅう」だが、読みやすさなどから「さんぱちしき」と呼ぶ場合が多い。
歴史
日露戦争当時、日本初の国産小銃である村田銃から飛躍的な進歩を遂げた三十年式歩兵銃を配備していた。しかし戦場となった遼東半島の砂塵舞う環境が想定以上であり作動不良に悩まされることになる。
そこで改修計画が立ち上がる。有坂の部下として開発に関与していた
南部麒次郎が中心となり、機関部の合理化や防塵用ダストカバー付加を実施。
作業はトントン拍子に進み、1905年に仮採用、06年に制式採用されたのが本銃である。
第一次大戦における青島の戦いを初陣とし、シベリア出兵/満洲事変/日中戦争/ノモンハン事変を経て太平洋戦争まで戦い抜いた。
1939年以降は後継の九九式短小銃が量産開始したが、タイミングの悪さから完全更新に至る前に戦争に突入したため継続して使用された。
1942年(満州では1944年)に生産終了していたことから、九九式と違い末期型といえる程質の悪いものは生産されていない。
総生産数は国産銃最多の約340万挺。諸外国にも多数輸出し外貨獲得手段としても利用された。また、同時期の各国の例にもれず多くの派生型が存在する。
三十年式歩兵銃について
日本初の国産小銃村田銃は進歩を遂げていたものの、西南戦争や日清戦争を経て性能的な限界に達していた。
日清戦争では統一した銃器による兵站の有利により勝利をつかんだものの、清が輸入し国産化していたGew88などの連発式小銃に相対。今後の戦線では連発式小銃を相手取ることになることは自明であった。
1889年に二十二年式村田連発銃が採用されていたものの主力にするには難があり、新型の小銃が必要と判断された。
そこで村田経芳少将の後任となった有坂成章陸軍大佐により、より進歩した設計をもって開発され1897年(明治30年)に採用された。
海外視察により
マンリッヒャー式の装弾システムやモーゼル式のボルトアクション機構、カルカノ式の弾を参考に構築されている。
固定式ボックスマガジンは底部を開くことができ即時抜弾が可能。クリップによる即時装弾にも対応する。
ボルトは諸外国に近いストライカー露出式でコッキングをしているかが確認可能。安全装置もストライカー末端の安全装置兼再コック用フックをひっかけて行う。
コッキングにはボルトアクションとしては珍しいコックオンクロージング式を採用し、ボルトを前に押す際にコッキングが完了する(Gew88やM1903その他大多数はコックオンオープニング)。
構造
砂塵舞う中国での戦闘を想定して機関部の単純化・簡素化が徹底されており、部品点数を5個に抑えている。
ただし最終工程(組み立て)では熟練工員の微調整が不可欠で、各部品がその銃専用に加工される都合 別銃と取り換えたりなどの現地修理は難しい。それらの改善が叶うのは30年代後半、九九式に入れ替わる頃のことである。
そして脱着が可能なダストカバーが機関部上面を覆えるようレール状のガイドが彫られている。ダストカバーは固く接合されているわけではないのでカタカタと鳴るが、機関部への異物の侵入は十分に防げる構造。
他の特徴としては、ストライカーが起きているかが視認できなくなったことと村田銃で一時期取り入れられていた異常腔圧対応のガス抜き穴を設けた点である。
実包は三十年式実包から弾頭を円頭型→尖頭弾に進化した三八式実包に改良された。
弾丸重量軽減と装薬増加により初速も70m/sほど向上しており、弾頭形状と相まって最大射程も延伸された。
各国の主力小銃に比べ小口径なため、低反動かつ発射炎や銃口の跳ね上がりも小さいが、貫通力や威力で劣る。
銃身は軍用銃としては珍しいタングステン合金鋼(高速度鋼)を採用。
さらに分厚いクロームメッキで
ライフリングを保護しており、耐久性はかなりのもの。銃身命数は8,000発程度。
ライフリングは耐久性の高い代わりに工数の増えるメトフォード型を採用した。初期は6条右回りだったが、溝が増えて錆が浮きやすくなる点に対処する為中期以降は4条右回りに減らされている。
口径に対しては十分長い銃身を備えているが、着剣時でも全長1.6mと当時としては短い。小柄な日本人の体格に合わせたものといえる。
完全軍装では、弾薬5発を挿弾子(クリップ)でひとまとめにして携行した。クリップ6個入り前盒2つと10個入り後盒1つをそれぞれベルトに固定し携行する(計110+5)。
また、三八式を装備する中隊には、補給効率を考慮して実包を共用可能な軽機関銃が配備されていた。
各国の主力小銃との比較
以下各国の比較となる。自動小銃はSVT-38とM1ガーランドのみで他はすべてボルトアクション。
国 |
1939年主力小銃 |
1905年主力小銃 |
日 |
九九式短小銃・三八式小銃 |
三八式小銃 |
独 |
Kar98k(Gew98のカービンモデル)・Gew98 |
Gew98 |
伊 |
カルカノM1938・カルカノM1891 |
カルカノM1891 |
仏 |
MAS 36 |
ルベルM1886 |
米 |
M1ガーランド自動小銃・M1917・M1903 |
M1903 |
英 |
リーエンフィールドNo.4・リーエンフィールドNo.1 MkV |
SMLE Mk III |
ソ |
SVT-38自動小銃・モシンM1891/30 |
モシンM1891/30 |
蘭 |
ダッチマンリッヒャーM.95 |
ポーモントM1871/88 |
各国とも主力小銃は1890年~1900年頃に開発されたボックスマガジン式ボルトアクションライフルを改良を挟みつつ40~60年近く運用していた。
当時のドクトリンはWW1の戦訓を基としており、歩兵部隊は軽
機関銃手とそれを守る歩兵という組み合わせが最も戦闘力を確保できた。その運用であればボルトアクションによる補助で十分というわけである。
アメリカのみ
BARを分隊支援火器として導入した都合火力が不足しており、M1903では戦闘力で劣り
M1ガーランドを持たせてようやっと対等になる。
前者は機関銃手が死ぬと火力がガタ落ちするが後者ならある程度維持できる。一長一短。
どちらかと言えば日伊が戦争開始までに弾の更新を完了できなかった点が問題である。兵站において少なからず負担となったことは想像に難くない。
フランスは戦前には更新をほぼ完了させていたし瞬殺されたのでノーカン。
バリエーション
下記基本的なモデル以外にも満州製モデルや中国製のコピー、空挺用試作モデルなどが多数存在する。
騎兵用に銃身を30cm短縮し、取り回し良くしたモデル。
騎兵科の陳腐化後も、取り回しの良さが評価されたためか、各種支援兵科のみならず一般兵にも使用された。
日本では騎兵用の銃は騎銃が制式名称だが、機銃(
機関銃)と紛らわしいので騎兵銃と呼ばれる場合がある。
三八式騎兵銃をさらに騎兵運用に特化したもの。
騎乗中の着剣は時間がかかり、また軍刀、銃、銃剣の3丁持ちはだぶつく。そのため折畳式のスパイク型銃剣を標準装備している。
当初は銃剣展開時に弾道が変化してしまう点が判明したため、生産中に3度改修がくわえられている。
本銃も同様に、取り回しが評価されたため騎兵陳腐化後も使用された。
銃身を15cm短縮したもの。概ね九九式短小銃と同じ長さ。
生産ラインから特に精度の優れた部品を選別し、狙撃用の2.5倍スコープとモノポッドを増設、専用調整を施したもの。機関部上面の菊花紋章手前に 九七式 と刻印されている。
三八式改は生産済みのものから高精度品を選別し、同等の改修を施したもの。
実包は主に
機関銃で使用される減装弾(G弾)を用いるが、基本的にはベースと同じなので通常弾もちゃんと撃てる。
スコープは工場出荷時に調整されたままの固定式で、射手による目測での修正が必要なもののサイトピクチャーは良好で軽量。右にオフセットされているためクリップを使用可能。スコープをよけるためにボルトハンドルは曲げられている。
小口径弾であることに加え、減装弾を用いている為発砲炎がより小さくなり隠蔽性が向上している。
ガダルカナル撤退時には、米軍足止めの任を負った狙撃手が
捨て奸のごとき決死の遅滞戦闘を繰り広げ、残存将兵の撤退に大きく貢献したとされる。最後の残存狙撃手投降は、戦後2年経った47年のことだった。
海外への輸出例
イギリス、ロシア(フィンランド)、メキシコ等に輸出されている。
メキシコ革命にはほとんど間に合わなかったものの、50万挺が輸出された。
その余剰分である60万挺は帝政ロシアへ売却された。自動小銃に良い威力と認識されたため、フェドロフM1916など6.5x50SR弾を使用するロシア製銃器が複数存在する。
フィンランド内戦時にはフィンランド白衛軍での運用が確認されている。
タイ王国へは同国の制式実包である8x52mmR弾仕様に改修され、66式小銃と銘打たれて約5万挺が輸出されている。
それ以外にもロシア革命以後の流出品が周辺国で使用されたり、日本占領時の供与品が戦後も東南アジア各国で運用されるなどしていた。
満州や大陸方面で鹵獲されたものはその後中国共産党軍の主力小銃として国共内戦を戦い抜き、中国成立の原動力ともなった。
戦後
戦後は警察予備隊の装備として少数が改造/配備された。それ以外にも、連合軍による接収時に品質良好とみなされて廃棄処分を免れたものが残存し、兵士による鹵獲品などと同じく多数が民間に流出している。
三十年式~九九式をまとめて有坂銃として扱う場合が多い。
欧米では猟銃やスポーツライフルとして流通している例がみられる。当時の小柄な日本人でも容易に扱えるマイルドなリコイルは、バーミントハンティング向けに結構な好評を得たとされる。
ただ、流出直後は弾薬の流通がなかったため.257ロバーツ改造弾(6.5x56mm。三八式実包の弾頭直径が6.65mmなので径を広げる改造を要する)に適合するよう薬室が改修される場合があった。
現在はノルウェーのノルマ・プレシジョン、アメリカのホーナディ・マニュファクチャリングの両社において、三八式実包と九九式実包がアリサカの名で製造されている。
ちなみに、国内では曲がりなりにも軍用銃であるということで無可動実銃として輸入するか、スポーツ用途の改修を施すしか所持する方法がない。
どうしても撃ちたい場合は海外のシューティングレンジへ行こう。
余談として。機関部上面に彫られる菊の御紋は、西南戦争時に武器を捨て退却する兵士が多かったことに由来する。皇室の紋章≒天皇からの賜り物 として大事にすべきという村田による配慮とされる。
民間に払い下げられたり戦後の接収時には紋章を消すようにされていた。
よって鹵獲など軍を経由せず民間に流出した場合は紋章が残っている場合がある。
フィクション
旧帝国陸軍を代表する銃のため、支那事変以降を題材にした作品にはたいてい出てくる。
また、日露戦争を舞台とする場合、三十年式の小道具調達が困難なため代用品として用いられたりもする。
アニヲタ的には、とりあえず帝国陸軍の登場するアニメや
ゲームには嫌でも出てくるので、その辺のチェックは楽だろう。
惜しむらくは、そういったミリタリーゲームではヨーロッパ戦線がメインで次に北アフリカ、その次に太平洋戦線が部隊…と多少不遇な面がある。そういうゲーム作ってるの欧米の会社だし仕方ないね。
遊戯銃としては、KTWからエアーコッキングガン、タナカからガスガンとしてリリースされているので、そちらを買うというのもひとつの手。ただし高価である点は覚悟しておこう。
面白い使い方としては、09年に
埼玉県の老人ホームでの認知症短期集中リハビリにおいて、本銃のモデルガンが使われた。
従軍経験者に本銃を見せたところ、それまで座ってばかりだった入所者がモデルガンを背負って歩き出したり、これを題材にした回想法も目に見えて効果があったという。
当然である。彼らにとっては、若き日を共にした愛銃なのだから。
追記・修正お願いします。
- アメリカのテレビドラマのコールドケースにもでてたっけ?劇中ではアリサカライフルって呼ばれてたけど -- 名無しさん (2015-05-25 19:31:44)
- 実は本来の読みは~の部分、最初意味がわからなかった。普通にさんはちとしか読めないと思ったけど、さんぱちの方が読まれていたのか。しかしそう読まれることに一切触れずいきなりさんはちを強調するのは違和感が拭えない。 -- 名無しさん (2015-05-26 20:03:37)
- ↑実際のところ、当時の軍人さんから現代にいたるまで「さんぱち」と読む人の方が圧倒的に多いのさ。また日本語の法則として、「ん」の後に「は行」の音が来る場合は「ぱ行」になるのが自然なので、残念ながら「さんはち」と初見で読める人は(決していなくはないけど)少数派なのよ -- 名無しさん (2015-05-26 21:10:10)
- ↑2 読み方は項目を読む上でも重要だと思うから、冒頭にもってきたうえで両方を並べて書いておいたよ -- 名無しさん (2018-08-26 18:44:31)
- あんまり触れられない話だけど、有坂銃の機関部の強度は異様に高いらしくて、戦後にアメリカの専門家が実験で三八式の機関部を改造しただけ(銃身はそのまま)で.30-06弾を発射したところ異常が見られなかったとか、海外のYouTuberが九九式の銃身に15cmばかり泥を詰めて撃ってみたら銃身が一部膨らんで機関部が固着しただけで済んだ(普通は機関部が吹っ飛んだり銃身が破裂したりしかねない)とかいうとんでもない逸話があったりする。 -- 名無しさん (2025-03-09 11:51:50)
最終更新:2025年09月12日 20:16