ビリー&チャック(WWE)

登録日:2016/03/19 (土) 20:51:33
更新日:2024/03/12 Tue 15:58:42
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♪ You Look So Good To Me ~~

画像出典 WWE.COM

ビリー&チャックは2002年にWWEを席巻したタッグチーム。
活動期間は1年弱であるにもかかわらず、強烈なインパクトを残し、伝説のユニットとなっている。
日本では「ビリチャク」「ビリチャキ」などと呼ばれカルト的な人気を博した。



◆メンバー

◎ビリー(ビリー・ガン)
本名 モンティ・キップ・ソップ
誕生日 1963年11月1日(活動当時39歳)
身長 193cm
体重 122kg
出身 フロリダ州オーランド

経歴 1993年にWWFに入団しスモーキー・ガンズで3度、ニューエイジアウトローズで5度タッグ王座を獲得するなど主にタッグ戦線で活動。
シングル路線でも99年にキングオブザリングを制すなど、WWFのトップレスラーであったが2001年頃はやや低迷気味だった。


◎チャック(チャック・パランボ)
本名 チャールズ・ロナルド・パルンボ
誕生日 1971年6月15日(活動当時30歳)
身長 196cm
体重 129kg
出身 ロードアイランド州ウェストワーウィック(ただし、キャラ設定としてカリフォルニア州サンディエゴ出身とコールされている)

経歴 その卓越した身体能力が評価され、WCWパワープラントを6ヶ月で卒業するという偉業を成し遂げWCWで活躍。レックス・ルガーのライバルに抜擢され「ザ・メインイベント」というニックネームがつくほどだった。ショーン・オヘアとともにWCWの最後のタッグ王者となる。その流れでアライアンス軍としてWWFに登場する。


◎リコ
本名 アメリコ・セバスティアノ・コンスタンティノ
誕生日 1961年10月1日(活動当時40歳)
身長 185cm
体重 99kg
出身 ネバダ州ラスベガス
通称 モミアゲ

経歴 2002年に下部組織OVWから昇格し、ビリー&チャックのオネエ系専属スタイリスト兼マネージャーとして登場。 結局、スタイリストらしいことは何もしなかったがホンキートンクマンを髣髴する立派なモミアゲで初登場からインパクト充分であった。


◆チーム結成の経緯

【2001年】
チャックの相棒ショーン・オヘアがWWF上層部に下部組織での再トレーニングを直訴。オヘアがOVWに送られてタッグチーム解消となる。
チャックはシングルプレイヤーとなるわけだが、同年12月にビリーに弟子入りを志願。ビリー&チャックがここに結成される。



◆タッグ王座獲得からリコ参加まで
【2002年1月~】
ビリー&チャック本格始動・・・!
すると、とんでもないことが判明したのだった。
それは・・・・・・・



















ビリチャクはホモタッグチームだったのだ




ビリチャクの怪しい行動
①もともとブロンドヘアーだったビリーに合わせる形でチャックが髪をブロンドに染める
バレンタインデーに互いにチョコレートをプレゼントしあう
③お互いの筋肉を褒め称える
④コスチュームは赤タイツと名前が書いてある赤鉢巻で統一、試合の際の入場では白いガウンを羽織る
etc・・・


そんなビリチャクがあれよあれよという間に王座獲得に名乗りを上げ、2月21日放送のスマックダウンでタズ&スパイク・ダッドリーから王座を奪取する。

その後も快進撃はとまらず、レッスルマニアX8にも王者として登場。
APA、ダッドリーズ、ハーディーズという実績豊富の3チームとイリミネーション式王座戦を戦うが、見事に防衛してみせた。
ただし、決着はレフェリーの死角でジェフを背後から王座ベルトで殴ってからのフォールというせこいやり方だったが


レッスルマニア後にRAWとスマックダウンによるドラフトが行われ、スマックダウンに所属。そしてリコが本格的に参戦。
タッグ王者のマネージャーとして(主にずるがしこく)勝利をサポートした。以降、バカヒールとして君臨。



◆王座転落
【2002年5~7月】
5月特番ジャッジメントデーでタッグ王座戦がブックされる。カードは

「ビリー&チャックvsリキシ&ミスターX」

だった。このミスターXは当日まで伏せられており、X以外全員が入場した後に発表される形となった。
そして、リングアナのハワード・フィンケルが言った。


「では、リキシのタッグチームパートナーを紹介します。
パートナーは・・・・・リコ!!」


WWEじゃよくある話なのだが、リコが裏切る形でリキシのパートナーになった。

しかしリコはそんな話はつゆ知らずなので(台本上)、試合は実質3対1のハンディキャップ戦に。
多勢に無勢、いくら巨漢のリキシとはいえ3人に勝てるはずも・・・と思いきや

チャックがリキシを羽交い絞めしたところにリコがエンズイギリしようとしたところ、リキシが避けてチャックに誤爆。
そのままリキシはリコをダウンさせて同じくダウン中のチャックにフォールして試合終了。


リキシ&リコがタッグ王座獲得!!


そんなバカなと驚くビリチャクと2人に平謝りのリコがそこにはいた。

翌週、スマックダウンにて再戦権を行使、リターンマッチが行われる。


またしてもリキシvsビリチャクリコの1対3形式になるが、今度はダウンしていたビリーめがけてリキシがリコにスーパーキック。
リコはビリーの上に覆いかぶさって3カウント、王座防衛と相成った。
その翌週やっと王座を取り返しましたとさ、もちろん汚い手を使って。




それから1ヶ月。

放送日は7月4日。
アメリカの独立記念日ですね。



唐突にタッグ王座戦が組まれました。
快進撃中の王者ビリー&チャックwithリコに挑むは・・・



なんと、ハルク・ホーガンエッジ!!


アメリカンプロレスの象徴と7度のタッグ王者の夢のコンビが結成されてしまう!!
しかも放送日は7月4日。ビリチャクが勝つ要素ないじゃんよ・・・



ということでチャックがホーガン&エッジのダブルレッグドロップを食らってフォール負け。

タッグ王座陥落となってしまいました。


結婚式とタッグ解消
【同年8~10月】
8月、ホーガン&エッジからタッグ王座を奪取したクリスチャン&ランス・ストームがベルトを保持したままRAWへ移籍。
この頃、RAWとスマックダウンで互いの選手を引き抜きあう番組間戦争が勃発していた。
スマックダウン自体にタッグ戦線がなくなってしまい、行き場を失うことに。
すると、9月に話は一気にクライマックスへ。

リコがチャックに助言してリング上でビリーに告白させる。

チャック「良かったら、一生のパートナーになってくれないか・・・?」

チャックはひざまずいてビリーに指輪を差し出す


ビリー「YES!!」


観客「わーーーーーーー」



なんとチャックがビリーにプロポーズしてビリーが承諾。2人は結婚することになりました!!


WWEは男女混合団体なので、恋愛話はノーマルなのものからド変態なものまでよくあるのだが、男同士のカップル成立は前代未聞!!
そして翌週結婚式を挙げることに。展開が速すぎるとか言ってはいけない



結婚式はスマックダウンGMステファニー・マクマホンが立会い、式は順調に進む。
牧師が誓いのキスを・・・と言うと、招かれざる客が登場する。









"Pimpin' Ain't Easy"






ホートレインに乗ってザ・ゴッドファザー登場。
ビリーもチャックもゲイじゃなくて女好きだぜ、オレから娼婦を買ってたからな!と暴露。
それを聞いたビリチャクは「ゲイはアングルで俺らは本当は女好きだ。ここまでやれなんて聞いてねえぜ」と本音を吐露。
怒り狂うリコの顔がアップで映し出されると牧師がRAWのGMエリック・ビショフの変装であったことが判明。
結婚式はRAWに引き抜かれたリコとビショフによる罠だったのだ。


ビショフは自身の用心棒である3分警告隊(FMWでアルマゲドン1号&2号として活動していたこともあるジャマール&ロージー)をリングに送り込み、式場をメチャクチャに破壊。ビリチャクやステファニーまでもボコボコにして立ち去る。
翌RAWでビショフ&ジャマール・ロージーに仕返しを図り、ついにベビーターン。




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画像出典 WWE.UNFORGIVEN 2002
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こうしてRAWとスマックダウンの番組間戦争はピークに達し、9月特番アンフォーギヴェンで番組対抗戦が組まれる。
カードはビリチャクvs3分警告隊withリコ。
結果、敗北。ビリチャクの勢いは完全に失せてしまった。

その後、スマックダウンで新設されたタッグ王座の初代王者決定トーナメントに参戦するも、ディーボン&ロン・シモンズの急造チームに敗れ、ビリーのケガによる休場が発表されタッグ解消となってしまった。タッグチーム解消によくある喧嘩別れなどといったストーリーは作られず、自然消滅という寂しい結末となってしまった。


◆評価
このようにビリチャクとしての活動期間は1年に満たない。しかし、バカヒールとしてタッグ王座2度獲得やそのストーリーの濃さから今でも根強い人気を誇る。
また、プロポーズ会で2人の婚約に抗議して信心深いディーボン司祭が叫んだ「アダムとイヴはアダムとスティーブではない!」は当時、流行語にもなった。



◆その後の3人

◎リコ
RAW移籍後、3分警告隊のマネージャーとなるがジャマールが早々にリリースされた為シングルプレイヤー化。
基本的にジョバー(やられ役)ポジションが多かったが、オネエ系というキワモノキャラが功を奏し、海外遠征などでは比較的出番が多かった。
日本公演ではヒールキャラであったにもかかわらず、「モミアゲ」大合唱が起こり、ベビーフェイス的な人気を博した。自分が何と言われているのかをTAJIRIさんにちゃんと確認し、2日公演の2日目にはモミアゲをアピールするなど勤勉さがうかがえた。
後、ミス・ジャッキーと変態カップルを演じた後2人揃ってスマックダウンに移籍。成り行きでチャーリー・ハースとタッグを組んで見事にタッグ王座を獲得した。また、チャーリー・ハースとミス・ジャッキーは実生活で結婚することとなった為、結果としてリコはキューピットにもなった。
2004年11月、WWEをリリースされる。その後、全日本プロレスに一時参戦したが、引退して警察官になった。


◎ビリー
約8ヵ月後の2003年6月に戦線復帰。ビリチャク結成前のギミック「ミスターアス(美尻男)」に戻ったが、たいした活躍はできず翌年退団。
以降、長らくWWEと絶縁状態だったが、2012年よりニューエイジ・アウトローズ、ひいてはD-Xとして復帰。NXTのトレーナーや若手の引き立て役として活動するも、2015年にパワーリフティングの大会で禁止薬物を使用していた事が発覚し解雇された。
2019年、D-XのメンバーとしてWWE殿堂入り。

◎チャック
しばらくシングルプレイヤーとしてブロック・レスナーのかませ役などをしていたが、自身がイタリア系アメリカ人であったため旧ECWを発祥とする
“純血イタリアン”小規模マフィアFBI(フル・ブラッテッド・イタリアンズ)に参加することとなり、ヒールターン。
リーダーのナンジオや、ジョニー・スタンボリとスマックダウンをかき乱す役割を果たした。
2004年にRAW移籍となり、FBIから脱退。自動車整備士「カスタム・チャッキーP」とキャラを変えるもあえなく退団。
翌年は全日本プロレスに参戦し、06年にWWE復帰。しかし、約1年もの間謎の自宅待機命令が出され、飼い殺し状態に。
その後TVに登場するようになるが結局泣かず飛ばずでまた退団の憂き目に遭う。


◆得意技

★コード・レッド
チャックが相手選手を肩車で担ぎ上げて、ビリーがコーナートップ上からダイビングクローズラインをする。
ビリーもチャックも190超なので非常に高さがあって迫力がある。



◆余談

★結婚式会において、同性愛であるビリーとチャックが結婚するということで、当時同性結婚は禁止されていたアメリカではこぞって新聞やニュースで取り上げられるなど話題になった。ゲイ、レズビアン協会であったGLAAD(中傷と闘うゲイ&レズビアン同盟)も積極的に協力したが、式がめちゃくちゃになって終わることを知らなかった為、逆に抗議するという事態も起こってしまった。

★その活躍ぶりが評価され、後年WWEを彩ったタッグチームを紹介するDVDに名を連ねることになる。
が、普通のチームはその強さを存分に紹介するつくりになっているのに対し、ビリチャクだけ恋愛関係が強調されたカオス作品となっている

★リコはプロレスラーになる前はSWATに所属していたこともある異色の経歴を持っている。
またOVW時代、ザ・プロトタイプのタッグパートナーだったということはあまり知られていない。
14歳年下の血気盛んな未来の大エースの逆再生コントに必死についていったおっさんだったのだ。

★チャックの自動車整備士ギミックは半分事実でチャックの趣味はバイクのカスタマイズである。
チャックがカスタムしたバイクで、アメリカで発行されているバイク雑誌「American Iron Magazine」の表紙を飾ったものもある。
レスラー仲間からも製作依頼も多く、バティスタのバイクなどをオーダーメイドしている。

★いつも赤い鉢巻にブリーフタイプの赤タイツなのにレッスルマニアでは衣装が黄色だった。


★入場曲「You Look So Good To Me」はリコが引き継ぐことになる。リコ退団後お蔵入りしていたが、2009年に突如現れたサンティーナ・マレラがリミックス版を使用した。

★タッグ王者として活動期間中にWWEがWWFから名称変更したため、最後の「WWFタッグ王者」であり最初の「WWEタッグ王者」である。

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最終更新:2024年03月12日 15:58