ラ・レジスタンス

登録日:2016/04/03 Sun 22:30:15
更新日:2022/10/30 Sun 13:49:06
所要時間:約 10 分で読めます





アメリカの皆さん、ごきげんよう

ラ・レジスタンスとはかつてWWEに存在したプロレスラーのユニット。
フランス人の2人により結成され反米思想をぶちまける。その後この思想に賛同するアメリカ人が1名加入して終始ヒールとして大ブーイングを浴びることとなった。
リング上に上がるとまずフランス語で挨拶し、その後英語アメリカを非難するトークを繰り広げるのが定番だった。


◆メンバー

◎レネ・デュプリー
通称、フランスの鬼才。身長190cm 体重120kg。パリ出身

◎シルヴァン・グルニエ
身長183cm 体重113kg 同じくパリ出身。どちらかというとマイクパフォーマンスはグルニエのほうが多い。

◎ロブ・コンウェイ
追加メンバー。身長183cm 体重105kg。通称、アメリカの裏切り者。


◆活動経緯
【2003年4月~】
当時アメリカが行っていた対イラク攻撃にフランスが賛同しなかったことがRAWにて採り上げられ、激論バトルが行われることに。
大先生ことスコット・スタイナーが激しくアメリカの正当性を訴えると、反論すべくデュプリとグルニエが登壇。
スタイナー先生をフルボッコにして、大ブーイングを浴びながらWWEデビューを果たす。

【2003年6月~】
PPVバッドブラッドにてタッグ王座挑戦権を得る。
相手は異色コンビRVD&ケイン。
相手が仲間割れしたのをいい事に勝利してタッグ王座奪取。
レネ・デュプリーはこのとき19歳で、王座獲得最年少記録を作った。

【2003年8月~】
タッグ王座16回獲得のダッドリーズと抗争開始。
百戦錬磨の相手に分が悪いと感じたか、客席最前列にアメリカ軍人の恰好をしたロブ・コンウェイを待機させ、ダッドリーズが油断した隙に襲撃。
アメリカ国旗を掛け布団のように2人にかぶせて自らの主張をアピール。以後、反米ヒール3人組として活動開始。





追記・修正お願いします。
































さて、前置きはここまででいいですかね。

ラ・レジスタンスは2003年にWWEに登場した2人のフランス人と1人のアメリカ人賛同者による反米ヒール軍団でしたが、実際のところ


デュプリもグルニエもコンウェイもフランス人ではありませんでした!!


◆仕切りなおしで メンバー

◎レネ・デュプリー 
誕生日 1983年12月15日(当時19歳)
出身地 カナダ、ニューブランズウィック州シェディアック
経歴 父親がレスリングプロモーターであり、その教えを受け14歳でデビュー。
17歳でWWEの門を叩くも、当時選手が飽和状態であったため門前払いに。その後OVWでトレーニングを積み2003年に昇格。

◎シルヴァン・グルニエ
誕生日 1977年3月26日(当時26歳)
出身地 カナダ、ケベック州モントリオール
経歴 俳優を志し、フロリダ州でモデル活動をしていた所をパット・パターソンにスカウトされ、ドリー・ファンク・ジュニア、ロッキー・ジョンソンのもとでトレーニング開始。
ラ・レジスタンスでRAWに登場する前にノー・ウェイ・アウト2003のとある試合でレフェリーとして初登場する。

◎ロブ・コンウェイ
誕生日 1972年11月28日(当時31歳)
出身地 ケンタッキー州ルイビル
経歴 1999年OVWに入団。ニック・ディンスモア(後のユージーン)とタッグを組み、実に10度の王座獲得を誇る。
時折、ジョバーとしてHEATやヴェロシティ(それぞれRAWとスマックダウンの前座番組)に登場していた。


とまぁ、このようにフランス人はいなかったりするのだ。
もっともデュプリーもグルニエもフランス語圏の出身ではあるのだが。。。


◆チーム結成の経緯
前年(2002年)、カナダ人レスラー3人でアン・アメリカンズ(嫌米軍団)というユニットが結成され、のちに英国人1名が加入してアメリカ国旗を逆さにして振り回す反米ヒール活動がされた。
がしかし、あまりにも苦情が強すぎた為、嫌米軍団は強制解散となった。
そして、反米思想の角度を若干修正して「フランス人による」嫌米軍団としてラ・レジスタンスが結成されたのである。
ま、結局カナダ人だったんだけど。

◆快進撃とグルニエ離脱
反米思想を掲げるチームは比較的ストーリー形成がしやすく(WWE上層部に共和党支持者が多く、アメリカ国民の愛国心を高める目的もあり)、絶対的ヒールとして君臨するのはそう時間がかからなかった。
デビューから3ヶ月でタッグ王座を獲得すると、挌上相手にも物怖じせず、反則攻撃や相手の仲間割れを誘発して試合に勝ち続けていった。
特に、途中から加入したロブ・コンウェイはアメリカ人でありながら反米ギミックとなったため、飛ばされる野次は怒号のようであった。
しかしダッドリーズと抗争時に、末弟スパイクを負傷させてしまい、懲罰的な形で王座転落の憂き目に。
その後グルニエが膝を負傷して離脱。以降はデュプリーとコンウェイのタッグで活動するも2004年のレッスルマニア20まで一進一退状態が続いた。
なお、レッスルマニア20は4WAY式タッグ王座戦に参戦するも惨敗。

◆デュプリーのスマックダウン移籍とギミックチェンジ
レッスルマニア終了後、グルニエが復帰。しかし、ドラフトにより中心メンバーのデュプリーが1人だけスマックダウンに移籍。
デュプリーがフランス人キャラのままスマックダウンで活動した為、RAWに残ったグルニエとコンウェイはフランス色が薄くなった。そのためフランス系カナダ人が多く住む「ケベック州在住」という設定に変更し、ケベック州旗を振り回しながら入場するようになった。
このときラ・レジスタンスは解散とせず、シングルプレイヤーになったレネ・デュプリーにも新しい入場曲が用意されなかったので、RAWとスマックダウン両方で同じ入場曲が使われる現象が起きた。


~参考~
レネ・デュプリーのスマックダウン版タイタントロン

グルニエ&コンウェイ版タイタントロン


グルニエ&コンウェイのコンビも相手の仲間割れなどをついて試合を勝っていくようになり、タッグ王座を3度獲得する。
またロブ・コンウェイはこのとき、自身のリングネームをフランス語っぽく「ロベール・コンウェイ」に変更した。
レネ・デュプリーはシングル戦線でジョン・シナと抗争した後、鈴木健想と「日仏同盟」タッグを結成し、王座を1度獲得する。



◆チームの終焉
3度目の王座陥落後(因みにその時の対戦相手は我らがTAJIRIとリーガル師匠)、今度は自分らに仲間割れが発生。
2005年、チームは解散してグルニエがスマックダウンに移籍してしまった。また、デュプリーはRAWに出戻りするもヘルニアにより長期休場に。
その後、2006年秋、OVWでグルニエ&コンウェイで一度再結成するもたいした活躍ができずフェードアウト。
すると今度は2007年にECWにてデュプリーとグルニエにより再結成・・・されたのだがデュプリーにウェルネスポリシー違反が発覚し、解雇となった。
グルニエも巻き添え的に解雇された。
コンウェイは2007年1月1日のRAWで「今日負けたら、RAWから去る」と宣言し、ジェフ・ハーディと試合をしたが、あっけなく敗北。
ビンス・マクマホンからクビを宣告される。
ストーリー上の話・・・と思いきや5月に本当に解雇された。
以降、インディー団体でデュプリーとグルニエがたまにタッグを組むことがあり、細々と活動中。



必殺技
◎ボン・ソワ
デュプリーとグルニエによるダブルスパインバスター。
この技でスパイク・ダッドリーをテーブル葬しようとした際に怪我をさせてしまった事により、以降封印

◎オール・ボワール
ダブルスパインバスター以降に使用された合体技。2人で相手を掲げ上げたらねじり落とす。




◆3人のその後
◎レネ・デュプリー
ご存知の通りハッスル⇒全日本プロレスと日本で活動をし、日本人の嫁さんをもらう。
さらに左半身に「日本」とタトゥーを入れる。持病のヘルニアを悪化させた後はインディー団体を転々と。
OVWでタッグパートナーだったランス・ケイドの急死に伴うお別れ会では人目もはばからず号泣していた。


◎シルヴァン・グルニエ
WWE離脱後、NCWやTNAで活動。主にコメンテーターとしての役割だった。
2010年にレスラー復帰し、インディー団体を転戦中。

◎ロブ・コンウェイ
NWA加盟のインディー団体を転戦。2013年にNWA世界ヘビー級王座を獲得すると、新日本プロレスに登場。
小島聡や天山広吉などと王座戦を戦っている




【余談】
◎2009年ごろ、WWEの下部組織で「第2のラ・レジスタンス」と思われる「ル・フレンチ・メン」というタッグチームが存在した。
”フレンチマン・アン”と”フレンチマン・ドゥ”の2人によるチームで直訳すると、フランス男1、2という超安易なネーミングであった。
試合の際リングサイドにフランスパンを用意し、凶器に使用したり、体力補給の為フランスパンを食べるという突っ込み所満載のチームであった。
結果的にこのチームは長続きしなかったが、この2名は後にWWE昇格を果たす(既にリリースされてますが)。

◎2015年11月13日に発生したパリ同時多発テロ事件を受け、多くのWWEユニバースがラ・レジスタンスの入場動画を再生することになり、結成12年にして初のベビーフェイス転向となる。

◎ラ・レジスタンスの対戦相手には「USA」の大合唱が送られるのだが、その対象はアメリカ人に限らず、テストエッジといったカナダ人やイギリス人のウィリアム・リーガル師匠、TAJIRIさんにもUSAコールが起きた。


追記・修正はフランスパンをかじりながらお願いします。



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最終更新:2022年10月30日 13:49