エリトリア(通報艦)

登録日:2017/08/01 (火) 21:12:15
更新日:2024/02/16 Fri 22:11:27
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エリトリアとは第二次世界大戦直前にイタリア海軍で建造された植民地通報艦である。
艦名の由来は(たぶん)当時植民地だったエリトリア国。
なぜこんな知名度皆無の艦にわざわざ記事が作られたかと言えば、コイツの艦歴がまさしくヘタリアの権化そのものなのである。


性能諸元

基準排水量:2,165t
満載排水量:3,060t
全長:96.9m
水線長:87.0m
全幅:13.32 m
吃水:3.7~4.7m
機関:フィアット式2サイクルディーゼル機関2基&電気モーター併用2基2軸推進
機関出力:7,800hp(ディーゼル)、1,30 hp(モーター)、合計9,100hp
速力最大:20.0ノット
航続距離:14ノット/6,900海里
乗員:234名
兵装:1926年型 12cm(45口径)連装速射砲2基、
   1932年型 37mm(54口径)連装機関砲2基、
   1931年型 13.2 mm(75.7口径)単装機銃4基


建造経緯がてら植民地通報艦の説明

第一次世界大戦に勝利しリビア・ソマリアなど(独立後大惨事になる)植民地を維持、更に領土拡大の野心を肥大化させるイタリア王国。
しかし従来の本土~植民地・海外領土の海路の通商路確保を行っていた艦種と言えば
  • 航洋砲艦…小回りが利き沿岸警備は最適だが外洋能力が低い
  • 装甲巡洋艦…航続距離・戦闘力は文句なしもコスパが劣悪
と揃いも揃って微妙な中古品だらけ。
この植民地警備艦問題はイタリアのみならず植民地持ちの海軍のほぼすべてが抱えており、海軍軍縮条約最中の情勢も相まって低コストで植民地警護に適する次世代艦の登場を必要としていた。

そんな1927年、規模は中堅の癖に先進性だけはやたら高いフランス海軍が「軽巡に分類されない基準排水量2000t以下で砲力・航続距離は同等更に水上機付き冷暖房機能増し増し」な傑作ブーゲンヴィル級通報艦を新造&大量生産を開始。これが植民地通報艦のスタンダードモデルとなった。
ポルトガル・オランダなどの植民地持ちの海軍が我先にとパクリ始め、フランスを仮想的とするイタリアも同様に通報艦の新造を開始。
そして伊製植民地通報艦の第一号として生まれたのがエリトリアである。


艦歴

さて肝心の艦歴だが、はっきり言って逃げ続けの生涯である。というか基本的に詰んでいる。
ムッソリーニ「フランスは死に体。米ソは中立。今や枢軸の敵はイギリスしかないンゴ!参戦するンゴ!」
エリトリア「やべぇよやべぇよ。」

まず第二次世界大戦でイタリアが参戦した1940年6月10日に彼女は紅海艦隊に属していた。
紅海艦隊には当時エリトリアの他にレオーネ級3隻とサウロ級4隻の優れた雷装を持つ駆逐艦隊の他に潜水艦8隻と仮装巡洋艦ラム1世とラム2世が配備され、それなりの戦力を有していた。
問題なのは母港の位置。というか地理に自信ニキは紅海艦隊の時点でピンときただろうが紅海の立地がイタリア艦的には最悪だった。
艦隊母港は紅海にあってはエリトリア国随一の良港マッサワ。しかしそもそも紅海とイタリア本土がある地中海の間には英最重要拠点の一つスエズ運河があり無数の駐留艦が留まっていた。つまりイギリスと戦争状態になった瞬間に一艦隊全てが孤立状態となってしてしまったのだ。
そもそも植民地通報艦自体が艦隊戦なんぞ想定していない艦種な上に当時イギリス海軍と言えば戦間期中狂ったように軽巡を量産していた天敵の中の天敵。どこぞの巡戦姉妹と幸運娘よろしく海峡突破なんぞ自殺行為そのものだったのである。
あと仏領ソマリランド(現ジプチ)にフランス海軍もいたが、規模も戦局への影響も無視できるレベルなので省略する。
もちろん魚の住処になりたくないエリちゃんはしばらく同地に引き籠ることになる。

事態が動いたのは翌1941年。
この間に本土艦隊は戦艦ウォースパイトらの増援により大強化された英地中海艦隊の圧迫を受けており、日本海軍以上に貯蓄資源が詰んでいたイタリア海軍が現存艦隊主義に走ったらタラント空襲という痛恨の一撃を食らい絶賛暗黒期。
(因みに陸戦では英領ソマリランドに侵略し、英側の判断ミスもあり準備不足な中でも無事勝利……が、ムッソリーニがトチ狂ってギリシャと開戦したら逆侵略される始末。大戦を通じてイタリアが自力で成し得た勝利はこの英領ソマリランドくらいであった)

駆逐一隻と潜水艦の半分を失いつつせっせと通商破壊に励んでいた紅海艦隊にも大攻勢が目前に迫っていた。
そして2月、艦隊司令部は一つの決断を下した。戦闘力に劣る通報艦・仮装巡洋艦と潜水艦の脱出である。
しかし前述の通りマッサワは最早孤島同然。潜水艦ならいざ知らず、水上艦がスエズ突破なんぞ不可能そのもの。バルチック艦隊の如くアフリカ一周も補給地皆無なので無理無理&無理。
だが一方で東には同盟国の日本がいた。マラッカ海峡などの難所も多いが地中海戦線に比べれば警戒は遥かに緩い世界の果てである。ていうか他の選択肢がなかった。
これが通報艦エリトリアの最初にして最大の大逃走劇。インド洋横断による日本勢力圏への脱出である。
僚艦にラム1世とラム2世を率いて心細くも小戦隊を組み紅海を突破。大海インド洋に出る事に成功。
しかし…
リアンダー「パスタとバナナのにおいがするよおおぉぉ!!」
ラム1世「ヤッダーバァアァァァァアアアアア!!!」
ラム2世「姉貴いいいいいい!!」
モルディブ沖で先行していたラム1世がニュージーランド軽巡に捕捉され轟沈。この尊い犠牲で本隊は警戒網を察知することが出来、無事神戸に2隻とも入港を果たした。
またエリトリア戦隊とは別行動を取った潜水艦戦隊はドイツ勢力下にあった仏領ボルドーへの全艦到着に成功。
一方で戦力を維持していたが故にマッサワ港に残っていた駆逐艦隊はイギリスの空海連携作戦により全艦遺棄され、紅海艦隊は消滅。まさに間一髪の脱出であった。

在日伊艦エリトリア

なんとか逃避行に成功したエリトリアとラム2世だったが当時の日本は一応中立状態だったので外交問題に成りかねない伊艦の活動を認めるわけにもいかず、彼女らは神戸港にてニート居候生活を送ることになる。
エリトリア「あぁ^~ジパング最高^~」
ジパング人「トラトラトラ。ワレキシュウニセイコウセリ。」
エリトリア「」
しかし一年経たずに太平洋戦争が開戦。ニートから早々に脱却した。
公式に日本から援助と行動の自由を認められ、天津のイタリア租界にいたアツィオ級敷設艦「レパント」(基準排水量615t)と砲艦「エルマーノ・カルロット」(同212t)の小型艦二隻によるイタリア極東艦隊に加わる形になる。
しかしそこは戦闘力皆無な通報艦。イタリア商船の護衛や枢軸潜水艦の補給・修理など、縁の下から友軍を支える任務に就くことになった。
とはいえ無能イタリア海軍とは異なり日本軍は破竹の如く連勝。マレー沖海戦・セイロン沖海戦と二度に渡り英東洋艦隊を下し広大な制海権を獲得。天敵のいない海でのんびり仕事に励む日々である。

そしてミッドウェー海戦を経てガダルカナルの戦いが繰り広げられていた1943年9月8日に一大事件が起きた。
イタリア本国で政変によりムッソリーニが失脚、連合国と休戦したのである。
途端にエリトリアの立場は一変した。日本を母港にしているとはいえエリトリアはイタリア海軍籍。本国が休戦したのなら即座に武装解除しなければならない。しかし、たかが植民地通報艦とはいえ連合国と合流するのは日本軍に何の益もない。拿捕されて沈むまでこき使われるのは目に見えていた。
現に神戸港内でこの事を知ったラム2世や上海で知ったレパントは日本軍に拿捕されないため即座に自沈されている。
まあ結局は引き上げられてエルマーノ・カルロットともども日本軍に使われたんだが

幸運だったのは彼女が輸送艦護衛の最中でシンガポールからスマトラ島北端のサバンへ航行中に休戦の報を得た事である。
共に死地を潜り抜けた僚艦が没した事を知ってか知らずか、エリトリアは護衛任務完遂後に即逃げた。
エリトリア「誰がブラック企業で働くか!もっかいインド洋に逃げる!セイロン島に行く!」
海軍航空隊「敵前逃亡も亡命も許さん!」
エリトリア「哨戒網ガバガバじゃないかww」
球磨「見つけたくまああああああああああ!!!」
エリトリア「あああああああああああああああああああああ!!!」
と激しい追撃を受けながらも振り切ることに成功。

セイロン島コロンボに入港した彼女は同地で武装解除。以降、大戦終結まで同地で大人しくしていた。
しかし彼女の戦争は終わらなかった。

仏通報艦フランシス・ガルニエ

エリトリア「やっと地元帰れる…」
イタリア「もう武装ないし軍籍から除籍しとくわ」
エリトリア「えっ」
フランス「ベトナムと戦争になって急ぎ船欲しいんや。戦時賠償艦扱いでくれ」
イタリア「おk」
エリトリア「えっ…」
フランス「んじゃ君、今日からフランシス・ガルニエって改名ね」
フランシス「」

エリちゃん改めフランちゃんの受難は終わらず、1948年にかつての仮想敵国フランスに譲渡。
一度オーバーホールされた後、仏極東部隊に編入されインドシナ戦争に参加することになった。まぁ今回の相手はゲリラで出番殆ど無いな上に編入されて直ぐ終戦になったんですけどね(敗戦)。
インドシナ戦争後は太平洋艦隊に編入。点在する仏海外領を警護する任務に就いた。なんやかんやで通報艦の本職に復帰である。また親善航海として懐かしの神戸に寄港したりしていた。でも結局イタリアには帰れなかった。

そして就役から30年を経た1966年まで軍務を全うし二度目の除籍。同年、ムルロア環礁にて航空爆撃の標的艦にされ沈没。
非戦闘艦かつ大戦期の駄目っぷりが目立つイタリア艦でありながら他に類を見ない活躍(?)を見せた彼女だが、何やかんや戦没せずに波乱万丈な生涯を大往生をもって終えた。因みに核実験であった。


余談

  • 同型艦はいないが後継にディアナという通報艦がいる。
    こちらは主砲が10.2cm単装2門と駆逐艦程度の火力なものの最速32ノットの高速仕様で扱い易い艦だった。扱いやす過ぎて高速輸送船やら魚雷艇母艦やらコロコロ用途を変えられた。
    最終的に英潜水艦スラッシャーの攻撃により撃沈。
  • エリトリアの僚艦となったラム姉妹だが他にも3世と4世がいる。4世のみ他とは違い病院艦。
    このラム姉妹は元々は民間のバナナ貨物船で、鮮度の維持とローテーション運用を目的に4隻建造していた途中に徴用された改装軍艦だったが、
    1世…前述通りモルディブ沖で撃沈。
    2世…神戸港で自沈後、日本海軍に浮揚・修理されCalitea2と改名を経て再就役。しかし連合軍の空爆で撃沈。
    3世…開戦当時は姉妹で唯一本国周辺にいたが、潜水艦に攻撃され大破→修理中にイタリア休戦→ドイツ軍に接収され機雷施設艦Kiebitzに改名→1944年11月に自沈→浮揚・修理後ユーゴスラビアに売却され王室ヨットGalebに改名。と彼女も凄まじい生涯をおくっている。因みにユーゴスラビア崩壊後はモンテネグロのコトル湾で保管されており姉妹で唯一現存している。
    4世…イギリスのマッサワ占領の際に接収されそのまま病院艦として使用されるも、ドイツのアレクサンドリア空襲の際に撃沈。
    と個性派揃いな艦歴を持っている。
    姉妹4隻で計5ヵ国の軍籍を持ち計6度の撃沈or自沈されたのは後にも先にも彼女たちだけだろう。


追記・修正は軽巡から逃げ延びてからお願いします。

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最終更新:2024年02月16日 22:11