長門型戦艦

登録日:2013/10/09 (水) 22:39:49
更新日:2018/04/14 Sat 23:25:17
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長門型戦艦とは、
世界初のポストユトランド型高速戦艦」
世界初の16インチ級艦砲搭載艦」
世界にただ7隻のビッグ7の一角」
日本初のほぼ純国産戦艦」
八八艦隊計画第一号艦」
様々な称号で呼び表される、日本建艦史上に燦然と輝く傑作艦。
日本は本艦級建造により、戦艦後進国から一躍トップレベルにワープ進化を果たした。


『諸元』


全長:215.8m
全幅:28.96m
基準排水量:32,720トン
満載排水量:調査中トン
機関出力:8万馬力
最大速力:26.5ノット※公試状態
航続距離:14ノットで5,500海里
兵装:
 主砲:45口径40cm砲(3年式41cm砲),連装4基計8門
 徹甲弾(5式)砲弾重量1020kg 初速790m/s
 副砲:50口径14センチ砲、単装16基計16門
 高角砲:40口径7.6cm砲,単装4基計4門
 魚雷:53cm魚雷発射管,単装8基計8門
装甲:
・舷側305mm
・甲板75mm+70mm
・主砲防盾305mm
・司令塔440mm
乗員定数:1,333名


同型艦:長門、陸奥


『建造の経緯』

本艦級は、八八艦隊計画の第一陣として計画された。
(長門予算成立時は、まだ八六までしか認可されていない)
当初は改伊勢型戦艦として36センチ砲搭載艦として設計が進んでいたが、
列強各国はより大口径の砲を搭載した戦艦を出現させつつあった。
そこで、同盟国イギリスのクイーンエリザベス級戦艦を参考に、
41cm砲を搭載した戦艦として計画が促進された。


『そもそも、八八艦隊計画って?』

八八艦隊とは、
艦齢年以内のピチピチな新造艦を、
戦艦隻、
巡洋戦艦

体制を維持するという

頭のネジと財布のヒモが緩みまくった巨大艦隊建造計画である。
その維持費だけで、国家予算の半分が消えるという。

もちろん、これを守る補助艦艇も主力艦の数に合わせて100隻近く新造する。
恐ろしい事に最終16号艦が配属される頃には、

第一号艦たる長門は代艦が必要な計算になる。

後述する理由で巡洋戦艦は高速戦艦へと発展統合された為、
実質世界最強41cm砲で統一された高速重防御の最新鋭戦艦を、
16隻量産するというモノ凄まじい計画である。


『なんで出来ると思ったの?』

日本は第一次世界大戦の主戦場から遠く離れていたため、
戦争特需で経済規模が急速に大きくなっていたから。
一応、その規模の経済成長を10年近く維持できれば、成立する余地はあった。

勿論、戦争はいつかは終わるものである。

正直に言って、とらぬ狸の皮算用であった。

アメリカも同じ理由で発展速度が急加速し、
遂には凋落した英独をぶっちぎって最大の海軍国となる。


『ユトランド沖海戦の勃発』

長門の起工は、第一次世界大戦の真っただ中の1917年8月28日
後の大和と異なり、長門は最初から16インチ(40.6cm)砲搭載艦として公表される。

世界に激震が走った。

「かつて英国から造船技術を学んだ小国が、まさか」と
伏線である

一号艦を起工し、これで一躍トップレベルだと関係者一同は胸を躍らせた矢先に・・・

特大の爆弾が投げ込まれる。

英国の本国艦隊<グランドフリート>と、
独国の大洋艦隊<ホーホゼーフロッテ>が、
ユトランド沖で激突。

その結果・・・

「英国巡洋戦艦が、3隻も汚ねぇ花火になった」と。


『ユトランド沖海戦の戦訓』

ユトランド沖海戦の結果、以下の事が分かった。
  • 遠距離から弓なりに突き刺さる砲弾を防ぐには、現存する戦艦全ての水平装甲は余りに不足している。
  • 速力は装甲の代わりにならない。防御を軽視した英国巡洋戦艦は、大打撃を被った。
  • 鈍足の戦艦は、そもそも戦場にすら辿り着けなかった。

特に、英国を範として造船技術を磨いた日本には、英国式防御の欠陥の露呈は凄まじい衝撃だった。
保有する主力艦、特に初期の金剛型戦艦や扶桑型戦艦は危険すぎて砲撃戦に参加させられないレベルであった。


『ポストユトランド型戦艦』

長門の建造は一旦停止され、急遽設計変更を余儀なくされた。
戦訓に対応して水平装甲は増厚され、機関出力を積み増して2ノットの速力向上を果たした。
遠距離砲戦に対応した十分な装甲と、戦場を縦横無尽に駆け巡る26ノットの韋駄天の船足を兼ね備える。
結果として世界で最初にポスト・ユトランド型戦艦としての特徴を備えたが、
その内部を見ると、まだまだ従来型戦艦の構造の残る過渡期の設計である。


ダニエルズ・プランと大建艦争』

もちろん、日本を仮想敵国として想定する米国も、指を銜えて待っているだけではなかった。
ダニエルズ・プランによる大建艦計画により、コロラド級戦艦を初めとした、16インチ砲搭載艦の量産体制に入った。
日米ともに相手の計画を上回る事を企図し、質も量も際限なく拡大していった。
大戦により疲弊した英国も、対抗上16インチ砲以上の戦艦建造に着手せざるを得なくなる
真っ当な市民生活を恐怖のドン底に突き落とす
誰も幸せにならない恐怖のチキンランの始まりである。


『ワシントン軍縮条約の締結』

高い国力を持つ米国とて、当時は予算の制約が多い貧乏海軍である。
米議会からの突き上げは激しく、これ以上の軍備拡大は難しい。
日本はそもそも国力そのものが限界に達しつつあった。
米大統領の提案で、『いっせーのーでっ!』戦艦の新規建造を休止する事にした。

1921年11月22日の事である。

会議の日付までに完成しないフネは、思い切りよく全て廃棄処分にしてしまう。

↑ココ重要

この時、各国の保有割合は、現状の戦艦戦力保有数を考慮して決められた。
日本は対米7割を主張したが、受け入れられることは無かった。

最終的にその割合は米:英:日=5:5:3。対米6割に決まる。
日本は条約締結前、英国の半分以下の保有数にすぎなかった。

つまりこの条件でも実は得をしている


『陸奥を潰せ!』

陸奥の竣工は公式には10月26日、引渡しは11月22日
ということになっている。

測距儀すら搭載せず、装甲は熱処理が終わっていなかったり
端材や不良品をこれでもかと使い工期を短縮するも、
この時点では実際のところ、完成度は8割ほどでしか無かった。
※このときの不良部品は昭和の大改装まで残っていた。

当然、米英は反発。

陸奥は未完成だ、解体しろと大変正当な抗議をしてきた。

それもそのはず、この時点で16インチ砲搭載艦は日米の長門とメリーランドだけ。
陸奥が完成する事で、明確にパワーバランスが変わるのである。
※書類上コロラド級2番艦。完成が前後したのでしばしばメリーランド級とも呼ばれる。

日本は陸奥が未完成であることを頑として認めなかった。査察を受け入れた時も、
就役艦の医務室が空なのは不自然と気が付き、接待を駆使して足止めした。
その間にわざわざ病人を運び込んでまで就役艦であると演出した。


『ビッグ7-世界七大戦艦-』

すわ流会か、という時日本側が折れてこう提案した。
米国はコロラド級の1,3番艦の建造続行、
英国は軍縮条約の枠内での完全新規建造2隻とすればどうか、と。

陸奥一隻に4隻も認めたと後に批判の種となったが、
長門には戦隊を組む僚艦が何としても欲しかったし、
保有比率の割り当て上、この隻数は致しかたない事であった。
元々の国力差を考えれば、陸奥1隻と米英の4隻でも得をしているとも言える。
こうして、軍縮条約が効力を持つ期間、たった7隻の16インチ砲搭載艦が出揃った。

人はこれらの戦艦群を世界七大戦艦”ビッグ7”と呼んだ
      • と、まことしやかに伝えられているが、
実際の所、海外ではこの呼称を用いられている資料は存在せず、
また、日本でも軍でこの呼称が用いられた訳でない。

以後太平洋戦争終戦までの20年以上、日本国の象徴として国民に親しまれた。


『性能』

主砲:

みんな大好き正41cm砲。
前級伊勢型戦艦の36cm砲連装6基よりも砲門数が減少したが、
大口径故の命中精度がその差を打ち消して余りあり、むしろ命中速度は向上している。

※長門型と伊勢型が同時に撃ちあいを始めた場合、長門型の方が先に命中弾を得るの意

広い範囲で装甲をぶち抜く貫徹力と合わせて、その砲戦能力は格段の進歩を見せた。
その貫徹力は、20kmで274mm。

なお、海軍の表記がメートル法に統一された時期に設計された為、16インチ(40.6cm)ではなく正41cm砲である。
外国を刺激しない為、

翌年こっそり名称だけ40cm砲に変更された。

表記上45口径だが、実は砲身長は16インチを基準に決めた為、実は45口径よりもちょっぴり短い
これは英国から技術供与された16インチ砲の、トウ径のみ設計変更した事から起こったと思われる。

砲塔動力は水圧だが、実は動力が不足気味で

一斉射撃が実用的に使用出来ない

この欠点を埋める為、日本海軍では交互打ち方の射撃法が発達。
まるでノギスで測ったかのような、超精密射撃を可能とした。


艦橋:

従来型の三脚から、支柱を増やした7脚檣となり安定性と被弾時の耐久性が増した。
中央の主柱を、6本の支柱が取り囲む形式である。この柱に、
上から積木のように部屋が段々と突き刺さって、独特なパゴダ・マストを形作る。
艦橋トップの測距儀はレール上を移動する珍しい方式で、10メートルのものを装備した。


装甲:

本艦級から艦前後の補助装甲は廃止され、集中防御方式に切り替わった。
その一方、船体断面は原型の伊勢型戦艦に似る。
即ち、旧弊な二段防御方式である
応急的に水平装甲を強化する事で、ポストユトランド型としての能力を得た。

例えば、
水平防御は、上部の70mmで敵弾を減速させ、下部の75mmで止める。
垂直防御は、側面の305mmで止め切れなかった敵弾を、水平装甲75mmの端の折り曲がった部分で止める。
こんな感じ↓
  _______70㎜
  ┃ _______75㎜
  ┃/
  ┃
305㎜

この方式は耐久に優れるものの、ちょっとした被弾でも一層目の装甲内部を破壊され、機器類や乗員をズタズタにされ簡単に戦闘力が落ちてしまう。
よって後の新型戦艦達は、「外部装甲の一段防御で全て耐えて最期まで戦艦としての役割を果たし続ける」というより優れた思想で建造されている。

なお、この時期の日本戦艦の装甲厚は、製造能力の限界により305㎜で頭打ちである。
装甲は分厚くなるほど製造が難しくなるため、これ以上の厚みは艦体の一部のみしか使用できなかった。

機関:

技術的には石油専焼缶のみで構成できたが、

油は高かったので

その内の6つは石炭も焚くことができる混焼缶である。
師匠の英国もR級戦艦で同じ理由で先祖帰りしている。

排煙が自分の艦橋を襲うという欠陥があった為、完成後煙突を捻じ曲げる事となった。
言わば自分の屁で窒息しかけている
げほっげほっ!オエッ!

苦肉の策として採用された屈曲式煙突は、皮肉にも長らくの間長門型の象徴として国民に愛された。

主機械は日本製だが、設計は米国製であり、技術的には未だ学ぶものも多かった時期である。
最大速力は軍機とされ、公称23ノットとされた。
日本お得意の逆性能詐称である
とはいえ、その基礎設計は米国であることから、25ノット位は出るのでは無いかと推測されていた。



昭和の大改装

長門建造から、既に10年以上の月日が経過した。条約の新規建造を禁ずる期間は過ぎ、
条約の範囲内で建造された、いわゆるに対抗する必要が生じた。
特に深刻なのが、装甲防御力の不足である。
技術の進歩は日進月歩である。砲弾の改良により、その貫徹力は飛躍的に増大。
装甲材の進歩も相まって、もはや長門の防御力も完全に陳腐化してしまった。

改装案はいくつか提出されたが、その中でも有力だったのが
『防御力の強化は最低限に留める代わり、機関を完全に更新して29ノット発揮』
『装甲強化と、最低限の機関更新による純戦艦としての再生』
大和型で戦艦戦力を更新していく以上、10年は扱き使っても20年は不要。
はやくドックを空けたい事情もあり、後者の案が採用された。

この大改装により、長門型戦艦は20年型落ちの旧式戦艦でありながら、
条約型戦艦と比べて同等以上の攻防力と、速力において1~2ノット劣る程度の恐るべき旧世代戦艦として再生した。

主砲:

砲塔を一度全て取り払い、未成の加賀型戦艦の砲塔を改造した新型砲塔に取り替えられた。
  • 従来と比べて遥かに進歩した91式徹甲弾を、運用可能なように揚弾装置を改良。
→対VC装甲で20kmで464mm、対VHで約400mmほどと言われる。
  • 仰角拡大による射程距離の延伸。
  • 砲塔動力を水圧から空気圧式に変更し、実用的な一斉射撃を可能とした。
  • 発砲遅延装置の装備により、一斉射撃時の砲弾同士の干渉を防ぐ。
  • 砲塔測距儀を大型の10mに変更。

艦橋:

  • 九四式方位盤照準装置をトップに据え付ける。
  • 各種指揮所の増設・機能拡大(ますます浮かぶ違法けんt(ry

装甲:

装甲強化にもいくつか案があり、
その中のひとつは何と傾斜装甲に造り替えるというものだった。
機関の積み替えの時点で造り直しに近いが、ここまでくるともはや原型が無い。
結局、この案も十分な幅が確保出来ず復元性が低下する恐れからボツになり、
従来の装甲帯に沿って装甲を張り足す事に決定した。

※なお、こちらの案でも半完成状態まで解体した船体に沿って張り足すのは、造り直すよりも手間である。

この改装により、砲塔及び弾火薬庫は41cm砲に対して20~28kmまで耐えられる性能を取り戻したが、
機関部は新造時のままで対36cm砲防御とされた。
旧式艦は機関部が広く重いため、全部を守ることは難しい為である。

ちなみに、20年近い月日は装甲材の性能を1割以上進歩させた上、
張り足した箇所は同じ厚みの一枚板に比べて1割以上性能が落ちる。
新造艦と比較する場合、見かけ上の厚みと実際の耐弾性能には乖離があることに注意されたし。

機関:

  • 缶を重油専焼缶に更新し、従来の22缶から8缶まで削減する事に成功した。
  • 缶の削減により、煙突は直線一本に減らすことが出来た。
  • 燃料搭載量と燃費の向上により、航続距離が8,650海里に増えた。
  • その一方、主機械は更新しなかったため、機関出力は2000馬力しか向上していない。
※一説によると、陸奥の主機械は状態が悪く、既に既定の出力を出せなかったとも言われるのだが...

船体の改良:

  • 艦尾延長による抵抗軽減
  • 大型バルジに装着により浮力と水中防御力の増大、船形の最適化
  • 艦首形状変更

排水量が1万トン近く増大したにも関わらず、機関出力はほぼ据え置きで
速力低下が懸念されるが、船形の最適化により速力は25ノット台後半を維持した。
元々満載状態では26ノット程度しか出なかったので、実質ほぼ速力低下していない。


『艦歴』

工事中

『陸奥、謎の爆沈』


1943年6月。前年にミッドウェーで敗れ、日本の戦局が傾き始めた時期にそれは突然訪れた。
内地泊地で待機していた陸奥は友軍艦が見ていた目の前で突然、第三砲塔から煙を発した。
そしてその次の瞬間に大爆発を起こし、船体がまっ二つに割れた末に轟沈してしまった。第三砲塔はその時に数十mも吹き飛んだと伝えられている。
この時の様子を目撃した戦艦扶桑は聯合艦隊司令部に『陸奥爆沈ス」と打電。アッツ島玉砕、山本五十六聯合艦隊司令長官の戦死などの
暗いニュース続きに打ちのめされていた日本海軍は顔面蒼白になり、国民の士気低下を恐れた陸奥爆沈をひた隠しにした。
この事故で死亡した陸奥の乗員は生存扱いにして俸給を支払い続け、生存していた乗員は口封じを兼ねて南方の激戦地へ送り込んだ。

しかし陸奥程の巨艦の爆炎が目撃されないわけはなく、陸奥がいつまでたっても帰港しない事と併せ、国民は既に陸奥が戦わぬまま沈んだ事実を知っていた。
陸奥爆沈時に木更津に停泊していた戦艦武蔵の乗員は休暇中にこのような会話をしたという。

国民A「あのー陸奥が爆沈したんだけど、知ってる?」

武蔵乗員「( ゚д゚)……マジで?」

国民B「本当よ。爆炎見たんだから」

武蔵乗員「ナンテコッタイ(´・ω・`)」

海軍が最高機密にしても、一般人が既に知っている状態であった。公式に知らされたのは戦後だが、既に公然の秘密だったのですんなりと受け入れられたという。
しかし、当の日本海軍に取っては米軍に対抗できる有力艦をいきなり理不尽に奪われた形となり、レイテ沖海戦での謎のターンの一因にもなったとされる。

なお、この爆沈の原因は今なお明確になっていない。
駆逐艦の取りこぼした爆雷という説、敵潜水艦や潜水工作員によるという説もあったが、爆発の痕跡は船の内側からであったため、これらは否定された。
砲弾の自然発火説は他の戦艦でも例があったが、実験の結果否定。
苛烈なシゴキに耐えかねたか、不始末をやらかした乗員、あるいはスパイによる弾薬庫への自爆テロであるという説が比較的有力だが、これも警備が厳重であるため困難。
乗員の76%がこの事故で死亡、生存者も多くが戦死あるいは寿命を迎え、艦体も8割近くが引き上げられている現状、今後も原因が明確になることはないであろう。


『クロスロード作戦』


敗戦後も日本戦艦で唯一無二、稼働可能状態で生き残った長門は祖国を蹂躙した大量破壊兵器の実験材に使われ、ビキニ環礁でそれを浴びた。
なお、クロスロード作戦で処分されたのは日本艦船に限らず、アメリカの歴戦の空母サラトガなども入っており、別に嫌がらせ目的で長門が的にされた訳ではない。
もっとも、他の標的と比べて条件が悪かったのも事実であり、何より唯一の被爆国として複雑なところではあるが・・・

陸奥のその後


一方、謎の爆沈と言う結末を迎えた陸奥。サルベージも爆沈後すぐから検討はされたが、損傷は激しく復帰は叶わなかった。
が、戦後意外な形で出番が登場した。
戦後の製鉄では、作った鉄に微量な放射性物質が含まれる。大気中にも核実験によって放たれた飛沫がとんでいるので、ごく微量であれ放射性物質が付着してしまう。
もちろん人体がどうなるものではないが、放射線の精密機器の素材としては困ってしまう。
そこで、白羽の矢が立ったのが戦前に製鉄され、海中に遭って大気中の放射性物質の影響がない陸奥の船体だったのだ。
現在、陸奥の船体の鉄は「陸奥鉄」と呼ばれ、放射線精密測定機材のシールドに現役で用いられている。
(なお、近年は機材側で補正がかけられるため、測定器材に必ず陸奥鉄使用というわけではない)

終戦まで生き残りながら核兵器で沈められた長門と、終戦前に沈みながら放射線と今なお戦う立場に身を置いた陸奥。
両名の対比に運命を感じずにはいられない。

『フィクションでの活躍』

架空戦記においては基本大和型が主役となるために、艦隊決戦の脇役として扱われることが多い。
それでも長門は史実で生き残っているために、日本が敗北する物語でも雪風と並んで生存率が高いほうであるから恵まれていると言える。
陸奥の場合はお察しで、大戦後半がメインの物語では登場すらさせてもらえないことがほとんどである。
しかし、長門型が主役の架空戦記も探せばある。

例えば内田弘樹作の「双撃の巨竜」ではマレー沖海戦で米戦艦と交戦後、改装を受けて長門は43センチ砲へ換装し、陸奥は一部主砲を3連装化されて活躍する。
一応述べておくが、主砲の大口径化や砲数の増量は戦艦の強化として珍しくないプランである。


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