鬼子母神

登録日:2019/06/10 Mon 03:45:11
更新日:2024/08/01 Thu 12:24:39
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■鬼子母神

『鬼子母神(きしぼじん、きしもじん)』は、大乗仏教(顕教)の尊格。
呼び名については基本的に呉音に準じる仏教用語に倣えばきし“も”じんだが、鬼子母神前の様にきし“ぼ”じんの呼び名も一般名詞として広まっている。
また、法明寺鬼子母神堂の鬼の文字には角を示すともされる鬼の頭の点が無いことでも知られる。

インド神話に於ける鬼女(女夜叉)である、ハリティー仏教に取り入れられたとされる。
人喰いと柘榴(ザクロ)に纏わる説話で知られるが、実は柘榴の話は日本のみのオリジナルだったりする。(後述)

ハリティーを音写した『訶梨帝母(かりていも)』の呼び名でも知られ、インド神話の血に染みれた大地母神カーリーとの関連も考察されている。


【説話】

夜叉王クベーラ(毘沙門天)配下の八大夜叉大将の一つパーンチカ(半支迦薬叉王、般闍迦、散支、散脂)の妻とされ、スリランカ等では夫婦像の作例も見られる。
鬼子母神の良く知られる説話は以下の通りである。

ある時、迚も美しい女夜叉が生まれ、夜叉達は彼女に『歓喜』と名付けて祝福した。
歓喜は長じて半支迦に嫁ぎ、夫婦は子宝に恵まれて歓喜は五百人*1もの子の母親となった。

それほどの子があったが歓喜は等しく子供達を愛しており、凡ての子等を育てる為に歓喜は人里に下りては子供を取って食うことで栄養を与えていた。

そんな調子であったので人々は歓喜を『鬼子母』と呼んで恐れ、それを聞いたお釈迦様は一計を案じ、歓喜の末子であるビンカラ(嬪伽羅)*2を拐うと、持っていた乞食用の鉢の奥底に隠してしまった。

特に可愛がっていた末っ子が消えたことで鬼子母とまで呼ばれていた歓喜は取り乱し、狂人の様になって七日間も嬪伽羅を探し回ったが遂に影も形も掴めなかった。
憔悴した歓喜は藁をも掴む思いでお釈迦様にすがると、お釈迦様は歓喜に“五百人もの子があるのにその内の一人が消えただけでお前はそれ程に嘆いているが、お前は多くても五人しか子を持てない人々から子を奪ってきたではないか?”と問うた。

子を失う哀しみを知った歓喜は、お釈迦様に“もし我が子が帰ってくるのなら、決して人の子を取って食うことはしない”と言ったので、お釈迦様は鉢に隠していた嬪伽羅の姿を見せた。
歓喜は我が子を手にしようとしたが、どうしても手が届かないので再びお釈迦様に泣きつくと、お釈迦様は己の弟子となって仏に帰依するように歓喜に諭し、歓喜も受け入れたことで漸く嬪伽羅を取り戻すことが出来たという。

これ以降、子供を取って食らっていた鬼子母は、反対に安産と子供を護る慈母神となったという。


【柘榴】

そんな鬼子母神を象徴する果実とされ、上記の説話に絡めて“お釈迦様が人肉を食う替わりに同じ味の柘榴を食べるように薦めた”なんて言われる柘榴(ザクロ)だが、実際に漢訳された仏典に記述され、鬼子母神像が手にしていると言われているのは吉祥果と呼ばれる架空の果実であり、本来は柘榴ではない

柘榴と言われる様になったのは中国で漢訳された時に吉祥果の説明を柘榴で代用したのが最初であり、更に“人肉の替わりにザクロを食べるように”とした説話は、日本で生まれたものである。

よって、柘榴が人肉の味がするという話も俗説なので気にしないように。

尚、柘榴の実には偶然か狙ってか結合・子孫の守護花言葉もある。

一方、花には不遜・高慢の花言葉もあるとされ、ギリシャ神話のエピソードから成熟した美・愚かしさという花言葉もあり、此方の方で知っている人の方が多いかもしれない。

……仏教説話にしろギリシャ神話にしろ何となくネガティブなイメージを感じる人が多いのも不思議ではないかもしれない。

この話はインパクトが大きいだけに、漫画とかでもネタにされるし。


【真言・種字】


種字


■ウーン

真言


■オン ドドマリ ギャキテイ ソワカ




追記修正は柘榴ダイエットに挑みながらお願いします。

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最終更新:2024年08月01日 12:24

*1 千人、一万人とする書もあり。

*2 愛児とする書もある。