夜叉

登録日:2018/07/05 Thu 17:34:24
更新日:2024/04/07 Sun 22:03:24
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夜叉(やしゃ)

『夜叉』仏教で語られる護法善神の一つ。
そして、インド神話に於ける悪鬼、鬼神、精霊の類の名前である。
梵名ヤクシャ(yakṣa)の音写で、薬叉と表記される場合もある。
漢訳では暴悪、捷疾鬼、威徳となり、本来は風に乗って飛ぶヒマラヤの樹木の精霊であったものが、ヒンドゥーで悪魔の呼び名となり、更に仏教にも取り入れられた存在である。

スリランカに起源を持つ羅刹とは、同様の経緯でヒンドゥーで悪魔として取り入れられた地方神である、という共通点があり、また、共に主がクベーラであるとされる等、非常に近しい存在であるとされる。
一方で、スリランカではヤクシャはヤカーと呼ばれ、病魔を蔓延させる悪霊の類として畏れられている。

仏教では天竜八部衆の一氏族に数えられる護法善神の一つではあるが、仏教説話の中に於いてしばしばの類の名前として用いられることがあり、このため、中国~日本あたりの昔話でも鬼の一種の様な扱いを受けているが、このように元来は現在でいう鬼とも違う、また、鬼のイメージの源流となる存在ではあるが、後の鬼の定義には当てはまらない特徴を語られていた。

ただし、醜い面相をしているとの説明があり、これについてはヤクシャを信仰していたドラヴィタ族の特徴をアーリア人に込められたのではないかとも思われる。
ブッダもドラヴィタ系であったと言われており、ヒンドゥー成立までのインダス地域の先住士族との争いがうかがえる。

古代中国では“()”は姿の見えない霊魂のことであり、これらの呼び名の内の悪さをする者として夜叉や羅刹の名が用いられ、時代が降る毎に日本では実体を持った魔物と捉えられた“(オニ)と混同されて広まっていったらしい。


【インド】

元来はヒマラヤの土着の神であり、森や樹木に関連した信仰を持つ精霊とも呼べる存在であった。

男女両性が存在し、男をヤクシャ、女をヤクシニー(ヤクシー)という。
ヤクシニーもヤクシャも元々は寧ろ美しい姿で顕されていたが、後には醜悪であったり、人食いの性のある業を背負った者達とされた。

名の意味は水を拝む(yasy-)が語源であるとする説もある。

夜叉王(クベーラ)の眷属であり、この構図はヒンドゥーや仏教に於いても変わっていない。

一方で、ヒンドゥーではディーヴァ信仰の名の下に多数の地方神と同様に下位の神、或いは悪魔の類として取り入れられており、特にヤクシャの名はアスラと同様に“悪魔の総称”としても用いられるようになった。

仏教に於ける天魔の呼び名の一つにヤクシャ(夜叉)があるのはこのためである。

一方で、女性形のヤクシニーはガンダーラ美術*1の影響等もあって美しい女神像として姿を残されている。

このためか、ヤクシニーを女神の名としてクベーラの妃と紹介する例もある。

尚、同じインドでもジャイナ教ではヤクシャは守護神としての信仰を受けており、ヒンドゥーの前身となるバラモン教の時代には、精舎(寺院)の入り口の守り神として、左右一対のヤクシャ像を立てる慣わしがあったとされる。

これは、日本でもお馴染みの金剛力士の原型であるともされる。

【仏教】

仏教では前述のように、仏法に帰依した外教の神々である天竜八部衆の一氏族として取り入れられている。

もっとも、その性格についてはヒンドゥーに於ける悪魔としての属性も色濃く引き継いでおり、元来のヤクシャの性格である人々に福徳を与える精霊であるという反面、人を取って食らう鬼神の類であるとも考えられるのが定着した。

仏教では天夜叉、地夜叉、虚空夜叉の三種があるとされ、地夜叉以外は原型となるヤクシャと同様に空を飛ぶ力があるとされている。

夜叉王クベーラは仏教では毘沙門天、或いは多聞天と訳されており、強大な天部の尊格として四天王の一角にも数えられている。
他の四天王も乾闥婆(ガンダルヴァ)や竜(ナーガ)といった、アーリア人の支配を受けた地域で信仰を受けていた、ヒンドゥーでは魔物に零落、或いは下級神として取り入れられた神々の王であると説明されている。

薬師如来を守護する十二神将は、即ち十二夜叉大将である。
十二神将は各々に七千の夜叉を従えているとされる。

また、般若心経を守護する誓いを立てた十六善神も夜叉であるという。

人食いの神話がある鬼子母神(訶梨帝母)も夜叉であり、ヤクシニーの中でも特に有名な神格である。
また、同じくヤクシニーに起源を求められる女神には吉祥天が挙げられ、彼女は仏教では鬼子母神の娘である。
この他としては弁財天の原型となる河川の女神サラスヴァティーもまた、ヤクシニーであるという。

この他としては、五大明王に代表される明王部の尊格に、インド神話に於けるヤクシャやアスラの名前や姿が取り込まれている。

また、恐ろしい夜叉を人の本性に捉えた「外面似菩薩内面如夜叉」(成唯識論)の言葉は、後には特に仏道修行の妨げとなる女人を顕した言葉として使われるようになっていった。


【民間】

中国や日本の民間説話では、所謂“妖怪”としての鬼の一種という扱いを受けている。
鬼には源流となる様々なイメージがあることが想像されているが、羅刹と共に夜叉が鬼自体の呼び名の一つとなったのは興味深い。

尚、前述の「外面似菩薩内面如夜叉」の説話から、特に女の鬼を夜叉や般若*2と呼ぶ例も多くなった。


中国の演義小説『封神演義』では「一気仙・馬元」を名乗った夜叉が登場。
本来はインド出身の妖怪だが、なぜか中国に紛れ込んだという設定で、殷の皇子・殷洪に加勢した。

背丈は小柄なものの、牙は大きく目玉は金色で、鼻から小さな炎が蛇の下のように飛び出し、人骨をネックレスにして頭蓋骨をひょうたんのように背中にぶら下げる、という恐ろしい姿。
しかも戦闘時には背中から巨大な「第三の腕」を飛び出させ、敵を掴んで地面に叩きつけて砕き、バラバラに解体して生のまま食べてしまう、というグロテスク・カニバリズム一直線のバケモノとして描かれた。
インドの怪物なので封神榜にも名前がなく「封神させられない」という扱いだったが、なんとか第三の腕を封じて生け捕り、最後はインドの行者「準提道人」に引き渡された。


中国の民間怪奇集『聊斎志異』では「夜叉国」という一編があり、交州(ベトナム北部)のさらに南にある臥眉山の夜叉の生態が描かれている。
そちらでも鋭い牙やギラつく目を持ち、爪で鹿を引き裂き生で食べる。「夜叉国」というだけあって一匹や二匹ではなく、挿絵でも収まりきらないほどの数がいる。
漂流した主人公の徐も、当初は殺して食べようとした。

しかし全く話の通じない怪物ではなく、徐が持っていた乾し肉がおいしかったことと、徐が身振り手振りで「乾し肉は作れる、差し上げる」と訴えたことから交流が始まる。
当初は監禁されたりしたが、夜叉たちはやがて徐に慣れていき、徐の側も夜叉の言葉を理解していき双方馴染むように
やがて夜叉の女を嫁にもらい、子供(二男一女)も生まれてすっかり仲良くなった。
あれ? これなんて異種婚マンガ

ところが、大風が吹いた時に望郷の念が沸いた徐は、妻に黙って長男を連れ中国へと脱出。
「彪」と名付けた長男は夜叉のハーフというだけあって怪力で、交州の将軍に見込まれて大活躍した。
別に商人が臥眉山に漂流したことで家族の消息がお互いに伝わり、彪は臥眉山に帰郷して母や弟妹を伴い、ついに父のもとに戻った。
ちなみに、勝手に逃げた徐父さんはきっちり奥さんに〆られてジャンピング土下座を披露しました。

やがて、母や弟妹たちも中国の言語や生活になれ、しかも夜叉の血からくる怪力・弓術などは抜群。
弟の「豹」は武官コースを邁進し、妹の「夜児」も彪配下の武将の後妻になったところ、三人張りの強弓で百発百中の腕前を発揮して夫とともに出征して大活躍。
豹が三十四歳で将軍になり南征した時には母親までが武装して参戦し、母子の共闘で敵を大破した。

この話では、夜叉たちは獰猛・怪力・野蛮ながらも、慣れれば愛嬌や人間味のある気のいい種族として描かれているのが興味深い。
また、これはいわゆる異類婚姻譚だが、最後は家族全員そろってのハッピーエンド、大団円なのが面白い。
あちらの項目にも書いたが、聊斎志異はハッピーエンドが割と多い。



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最終更新:2024年04月07日 22:03

*1 ガンダーラ王国にてギリシャ文明の影響を受けて誕生した、信仰対象としての彫像を作る文化、仏教美術。

*2 梵語のパンニャー、及び巴語のプラジュニャーの訳で本来は尊い智慧と云う意味。『源氏物語』の葵上のエピソードで、浅ましい鬼と成り果てた六条御息所が修験者の唱えた経を聞いて「あら恐ろしの般若声や」と苦々しく吐き捨て退散した事から鬼女のことを“般若”と呼ぶようになった。