畜生

登録日:2021/09/27 Mon 00:48:20
更新日:2021/10/17 Sun 23:05:33
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Sie ist ohne Ehre!(ちくしょうめー!)

アドルフ・ヒトラー(映画『ヒトラー 最期の12日間』)の空耳
本来は「恥晒しだ!」という意味合いの台詞*1である。
ちなみに、「チクショー!」が持ちネタのお笑い芸人・コウメ太夫の誕生日はヒトラーと同じである。

ちく‐しょう【畜生】━シャウ
㈠  〘名〙 鳥・獣・虫・魚の総称。特に、けだもの。
◇人に養われる生き物の意から。
㈡  〘感〙 人を憎み、ののしっていう語。また、失敗などをくやしがっていう語。ちきしょう。
「━、やりやがったな」
「━、またはずれた」
──明鏡国語辞典より抜粋







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…これだけではあまりに味気ない…というか出オチなので、本項では「畜生」という言葉について、その語源である仏教用語からその意味を紐解いていきたいと思う。


※なお筆者は仏門には入っていない身のため、以下はあくまでも部外者のいち解釈である。仏教関係者としての公式見解ではないことに注意されたし。


仏教における畜生

六道と畜生界

仏教において、我々生ける者は生まれて死ぬとまた別の生命に生まれ変わり、これを繰り返しながら生きているとされる。これを「六道輪廻(りくどうりんね)」と呼ぶ。
六道とはその命の在り方を6つの世界*2に分類したもののことであり、その中には楽な世界もあれば苦しい世界もある。
しかし楽な世界であっても苦がないわけではなく、六道の輪廻にいる限り人は苦しむ*3という。人間道に生まれた我々もご存知の通り。
そこで苦しみの人生に何度も迷い込むのは辛いので、この輪廻を抜け出して(解脱して)苦しみのない世界「極楽浄土」に生まれる方法を悟りましょう!…というのが仏教の基本的なあり方である。

さて、迷いの世界「六道」のひとつが、ここで取り上げる畜生界
簡単にいえば「人間以外の生き物として生きること」を指す。
生き物全般であるため、象のような大きな獣からアリやノミのような小さな虫、魚まで全てあてはまる。
というより虫は非常に種類が多いため、実は畜生界の半分以上は虫である。現代科学で微細に観察すれば、「線虫」などの微生物な「ムシ」が生物界の大半を占めるわけで、もはや「生物界」とかいうカテゴリは意味がない…。
念の為に言っておくが畜生界に聖徳太子の知り合いとかガメゴンの親戚が治める暴力団はない。これらの文章を見て分かる通り、そもそもあの世界における畜生界は解釈からして違うし。

獣や虫として生きる…すなわち弱肉強食の世界に囚われることになり、また仮に強い獣に生まれたとしても人間に文字通り牛馬の如く扱き使われるか、最悪害獣として駆除されてしまうなどその道は過酷を極め、ここに生ける生命はみないつ死ぬかわからない不安と恐怖に駆られている。

何より人でないために言葉がわからない=仏の教えを聞くことができないため、悟りなど開けるはずもない。畜生道にいる限り決して浄土への行き方を知ることが叶わないのである。*4

そのような理不尽極まる世界であるため、この世の言葉では表しきれないほどの責め苦を受け続ける地獄界決して満たされることのない飢えに苛まれる餓鬼界と並び「三悪道*5のひとつに数えられる過酷な世界とされる。

畜生界に堕ちるには

さて、仏教にはもう一つ「因果」という大切な概念がある。
すなわち「過去の自分の行いが現在の自分に繋がっている」という考え方である。
これは六道輪廻にも当てはまり、前世で善行を重ねた者は良き世界に、悪行を重ねた者は苦の世界に生まれ変わるのである。
「因果応報」という言葉を聞いたことはあるだろう。
これは噛み砕いて言えば「過去にやったことがアレなのだから、こんな目に遭うのは当然だよね」というノリで生まれた言葉なのである。

すなわち、苦の世界──三悪道に堕ちるのも、相応の理由があるのだ。命を殺めれば地獄界に欲深い者は餓鬼界に堕ちる。では畜生界は?

ーー畜生道に堕ちるのは、愚痴の心を持った者である。
この「愚痴」とは、上で書いた因果の道理を理解せず、幸福な人を妬み他人の不幸を喜ぶなどといった、浅はかで人道に反する言動のこと。つまり平たくいえば「ものを知ろうともせず、他人を悪く言ったり、思ったりする人は畜生界に堕ちる」のである。
そう、我らWiki篭りにとっては愚痴篭りの言葉でよく知られる、「愚痴」の語源である。

加えて、刹那的な快楽主義者もまた畜生界に堕ちるとされる。これもまた「世の在り方は心の在り方=世界は自らの心によって決められる*6」という考えに基づく。
すなわち後先考えなかったりの恩義がわからない(ケダモノ)のような生き方をする者には、それにふさわしい世がある…というわけである。

罵倒語としての「畜生」

さて、ここまで読んで頂けた諸兄にはなんとなく察しがついたであろうか。
我々が激しい憎しみに駆られたとき、あるいはやりきれぬ悔しさを抱いた時に口にする「ちくしょう!」という言葉。
これを語源から解するなら、この人でなし!」「あんな奴、畜生になっちまえ!」といった意味合いの言葉である、と解釈できる。
要するに「お前ら人間じゃねぇ!」「これが人間のやることかよぉぉぉぉ!!」「ぜったいにゆるさんぞ虫ケラども!!!!!」というわけである。
あるいは、自分に言い聞かせるように放つ「ちくしょう…!」という台詞であれば、「こんな行いをしていては、畜生に堕ちてしまう…!」と捉えることもできるか。

…が、もう一度思い出してほしい。
畜生界に堕ちるのは、他人を憎み、悪く言う者。
つまり憎しみをもってこの言葉を使えば、貴方が死んだあと、次の生は犬や虫で送ることになるかもしれないのだ。犬や猫だとむしろ喜ぶ人は多そうだけど。
やはり口は災いの元。よい人生を送るためにも、悪しき心に染まらぬよう己を戒めたいものだ。

ちなみに似たような言葉に「鬼畜」があるが、これは元を正せば「餓鬼畜生」の
すなわち六道のうち餓鬼と畜生を指し、その両方に堕ちうるような非道な行いを指した言葉である。
また「犬畜生」という言葉もあるが、こちらは元々犬も畜生のうちであるため概ね同じ意味。





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最終更新:2021年10月17日 23:05

*1 直訳では「彼には名誉が無い!」という意味であり、転じて「恥知らず」となる。

*2 天人の住まう天道、我々人間の住まう人間道、阿修羅が住まい戦いの絶えない修羅道、ここで取り上げる畜生道、飢えに苦しむ餓鬼の住まう餓鬼道、悪しき者に阿鼻叫喚の苦痛を以て罪を償わせる地獄道。宗派によっては修羅道が地獄道に統合されている「五道」とされることも

*3 快楽に満ち苦しみのないとされる長寿で神通力を使える天人となれる天道ですら煩悩から解放されていない時点でそれが苦しみである。この快楽と長寿を逆に退屈と感じてしまうこともありうる。

*4 ただし、こちらは仏法を聞いて悟りを開けるのは人間に生まれた時だけとされているので、人間界以外の五道すべてにあてはまる。

*5 争いの絶えない修羅道を入れて四悪道とされることもある

*6 仏教においては、世界とはそれぞれの心の中にあるものであり、人が見ている世界はその人の心が映したものである。人の数だけ見える世界もまた異なる、という考え方をする。