メジロパーマー(競走馬)

登録日:2023/08/22 Tue 01:53:47
更新日:2025/04/08 Tue 12:46:57
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驚きとともに成就したグランプリ連覇 遅れてきた逃亡者

週刊100名馬No.28 メジロパーマー 表紙より


メジロパーマー(Mejiro Palmer)とは日本の元競走馬

メディアミックス作品『ウマ娘 プリティーダービー』にも登場しているが、そちらでの扱いは当該項目参照。
メジロパーマー(ウマ娘 プリティーダービー)

目次

【データ】

誕生:1987年3月21日
死亡:2012年 4月7日
享年:25歳
父:メジロイーグル
母:メジロファンタジー
母父:ゲイメセン
調教師:大久保正 (栗東)
主戦騎手:松永幹夫→山田泰誠
馬主:メジロ牧場
生産者:メジロ牧場
産地:伊達市
セリ取引価格:-
獲得賞金:5億2,785万円 (中央)
通算成績:38戦9勝 [9-5-2-22]
主な勝鞍:92'宝塚記念・有馬記念

【誕生】

1987年3月21日生まれの牡馬。父はメジロイーグル、母はメジロファンタジー。
両親の名前から分かる通り生粋のメジロ血統であり、父親のメジロイーグルも重賞勝利こそ京都新聞杯のみではあるが、東京優駿5着、菊花賞・有馬記念3着、宝塚記念4着と八大競走を含むGI級レースにおいても好走を見せ、5歳時のオープン戦では「緑の刺客」グリーングラス*1を相手に5馬身差圧勝を遂げるなど、実力も兼ね備えた個性派として人気を博した馬。
因みに父馬のメジロイーグルも逃げ戦法で人気を集めていたのだが、同期に埋もれてあまり期待されていなかったなんて繋がりも。

名前の由来はプロゴルファーの「アーノルド・パーマー」から。
競走馬としてデビューする前から、妙に首を立て頭を高い所に置く姿勢で走っていたという。
余談だが、メジロ牧場は年度ごとにテーマを決めて生産馬の馬名を名付けていた。パーマーの生まれた1987年は「映画俳優、スポーツ選手」から取られており、メジロマックイーン(スティーブ・マックイーン)、メジロライアン(ノーラン・ライアン)、中山大障害(春)を勝ったメジログッテン(アメリカの野球選手ドワイト・グッテン)の他、タイソン(ボクサー)、ピンカイやマッキャロン(騎手)などなど。

【戦歴】

函館競馬場の3歳新馬戦芝1000mでデビュー。
デビュー戦と次戦で2着の後、3戦目の未勝利戦で初勝利。
続くコスモス賞でも連勝するなどなかなかの好スタートであったが、その後は長きにわたって不調が続き、初のG1である天皇賞(春)でも16頭中13着という厳しい結果に終わる。
その更に後、父馬であるイーグルと同じ逃げ戦法を取るようになってから、段々と成績が上向きになっていき、1991年6月の十勝岳特別杯で1年9カ月振りの勝利を飾り、続くG3の札幌記念でも連勝、初の重賞制覇も成し遂げる。
このまま勢いづくかと思われたがどっこい、その後はまたも不調が続き、その果てに障害レースへ転向となったりもしたが、飛超があまり上手ではなく、帰ってくるたび傷だらけだったこともあり、大久保調教師の判断で再び平地競走に戻ってくることに。

が、この障害競走での経験によってトモとスタミナが強化された結果、ステイヤーとして実力を発揮できるようになる。
その際に当時騎手4年目の若手、山田泰誠騎手へ乗り替わる事となり、その後引退までの主戦となった。
そして来たる1992年の宝塚記念において、ダイタクヘリオスとの出会いを果たす。
本命馬不在の隙を突く形でもあったとはいえ、前に出た2番人気ヘリオスと人気薄のオースミロッチに追いつかせず、終始ハナを取り続ける大逃げで見事宝塚記念を制しG1勝利を果たす。

……が、この勝利は周囲の競馬ファンはおろか、北野ミヤ会長はじめとしたメジロ牧場の関係者からも期待されておらず、同時に出走予定だったメジロマックイーンが骨折し、出走回避が決定した時点で牧場の応援団派遣が中止。
ただ一人メジロ商事の社長だけが観戦していたため、普段なら関係者で埋まる口取り写真が物凄く寂しいことになっていたなんて不憫な思いをさせられたりもしている。
レース展開もレース展開で大逃げして上がり4ハロン52.2、3ハロン39.8と完全に撃沈していたパーマーに対し、後続勢が「良馬場なのに例年の不良馬場並に時計がかかる」とされた異常馬場*2の結果揃いも揃ってパーマー以上にバッテバテになる事態が発生。
その上がり4ハロンで最速と0.2秒しか違わない2位、当時半年前に全面改修を終えたばかりだった為にレコードタイムは条件戦の物だったが、それよりも3秒遅い事から評論家達からの評価も散々。
何せ「下級条件戦」だの「全体のレベルが低いからこんな事になった*3」だの言われていたのだから……。

そんな悲劇にもめげずに走り続けた先の有馬記念。
宝塚記念には勝ったものの、京都大賞典では9着*4、天皇賞(秋)に至ってはダイタクヘリオスと仲良く前半1000mを57.5秒という異常なペースで逃げた結果最下位17着と、「宝塚記念ってフロックだったんじゃね?」という認識が広まってしまい、直近のグランプリホースでありながら15番人気、単勝49.4倍というとんでもない評価をされてしまう。宝塚ではちぎったG2馬のオースミロッチより下。秋天でも一桁着順で持ち堪えたG1馬のヘリオスが上なのはまだしも……。
レースが始まると、案の定大逃げのパーマーをヘリオスがつつき続ける展開。誰もが秋天の惨敗をフラッシュバックさせるが、そもそもマイラーなのに連闘してまで有馬に来たヘリオスと違ってパーマーは自慢のスタミナで今度こそ最後までバテることなく、レガシーワールドの猛追も振り切って見事勝利。
1989年のイナリワン以来史上5頭目*5となる春秋グランプリ連覇も成し遂げた。
馬券の払い戻しでは、馬番連勝3万1550円、複勝式1590円は有馬記念史上最高配当。単勝4940円は前年のダイユウサクに次ぐ史上2位である。
年明け1993年の阪神大賞典での勝利や、天皇賞(春)でメジロマックイーンとライスシャワーの頂上決戦の最中で唯一奮闘して3着入賞なども果たすも、さすがに燃え尽きたのか以降のレースでは着外が続き、1994年の日経新春杯での2着入賞後、脚部不安から引退した。

【引退後】

引退後は種牡馬入り。
産駒ではメジロライデンが障害重賞馬になったが、それ以外では目立った活躍馬を出せず2002年と早々に種牡馬も引退。
その後はメジロ牧場で余生を過ごし2012年に他界した。

【創作作品での登場】

メジロ軍団のエースであるメジロマックイーンライバルとしての出番がメイン。
宝塚・有馬のグランプリ連覇は演劇に置き換えられて「急遽出られなくなった主演俳優メジロマックイーンの代役として主役を務めるメジロパーマー」として描写されている。

一方でダイタクヘリオスが専らと絡んでいたためか、彼とのコンビネタは皆無だった。

アニメ第2期1話にて予告なしで突然登場。
高貴な「メジロ家」らしからぬ快活で親しみやすい雰囲気のお姉さんで、劣等感から家出した先で野良レースをしていた過去(=障害時代のイメージと思われる)を持つ異端児。
しかし居づらいというだけで縁を切ったというわけではなく、他のメジロのウマ娘との関係自体は良好。
レースも私生活も「逃げ」を信条としており、運命的な出会いをしたヘリオスと「爆逃げ」コンビを結成し、アニメを筆頭に彼女との絡みがフィーチャーされることが多い。
第1期のキングヘイローと同様に首を起こして走るフォームを再現した、他のウマ娘とは明確に異なる前傾しない上半身直立のフォームで逃げまくる。

【余談】

有馬記念で勝利した時の鞍上を務めた山田泰誠騎手は副賞として高級車(マツダ・MS-8)が贈られたのだが、この時は師匠の許可が下りておらず、免許は持っていなかった。
これをきっかけに自動車免許を持つことが認められ、無事に取得。
騎手名鑑の愛車欄には他の騎手が車種を挙げる中で、山田騎手はこの車を「パーマー号!」と称して記載している。

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最終更新:2025年04月08日 12:46

*1 テンポイント、トウショウボーイと共に、3頭の馬の頭文字を取って「TTG」と称され、三強の一角を担った。

*2 芝の生育ミスの結果完全に荒れ果てていた

*3 実はメジロマックイーンとトウカイテイオーの春天以降の再戦と目されていたのがどちらも骨折回避した結果、G1馬がマイラーのダイタクヘリオスと1発屋のダイユウサクしかいなかった

*4 この時山田騎手は落馬で足を骨折していたがパーマーを他の騎手に取られたくないと言う理由で骨折を隠してパーマーに乗った

*5 1963年リュウフォーレル、1965年シンザン、1970年スピードシンボリ