ダイイチルビー(競走馬)

登録日:2023/08/14 Mon 02:38:11
更新日:2024/03/09 Sat 22:52:12
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魅せた!名家の底力 輝けるお嬢様

週刊100名馬 No.16 表紙より

ダイイチルビー(Daiichi Ruby)とは日本の元競走馬

メディアミックス作品『ウマ娘 プリティーダービー』にも登場しているが、そちらでの扱いは当該項目参照。
ダイイチルビー(ウマ娘 プリティーダービー)

目次

【データ】

誕生:1987年4月15日
死亡:2007年4月26日
享年:20歳
父:トウショウボーイ
母:ハギノトップレディ
母父:サンシー
調教師:伊藤雄二 (栗東)
主戦騎手:河内洋
馬主:辻本春雄
生産者:荻伏牧場
産地:浦河町
セリ取引価格:-
獲得賞金:4億3,080万円 (中央)
通算成績:18戦6勝 [6-6-1-5]
主な勝鞍:91'スプリンターズS
タイトル:JRA賞最優秀5歳以上牝馬・JRA賞最優秀スプリンター

【誕生】

1987年4月15日生まれの黒鹿毛の牝馬。
父は1970年代、皐月賞、宝塚記念、有馬記念など多くのG1レースで活躍を見せ「天馬」と称されたトウショウボーイ。
母はイギリス出身のサラブレッド、マイリーから続く通称「華麗なる一族」の血を引き、自身も桜花賞やエリザベス女王杯などで輝かしい功績を残したハギノトップレディ。
共にスピードに優れた良血中の良血な配合であり、取引価格も破格の1億円とデビュー前の血統時点で多大な期待を寄せられていた。
ハギノトップレディの産駒としては5番仔で、生まれた当初は前脚の蹄に左右差があるというハンデを抱えてもいたため、伊藤雄二調教師は将来を期待できないと管理に前向きではなかったそうなのだが、
いざその走りを見せられると「同年齢の馬とはレベルが違う」と感嘆する程だったらしく、一転して管理を受け入れることになった。

【戦歴】

脚部不安もあってか、まずはじっくりと体つくりを行い、4歳になってから競走馬としてデビュー。
デビュー戦は阪神競馬場の芝1600m。名ジョッキー武豊を鞍上に据えての、後続に5馬身差をつけての圧勝を飾った。

その後は桜花賞を目標に据えていたのだが、トライアルの報知杯4歳牝馬特別*1の抽選に漏れてしまう。
条件戦のアネモネ賞に挑み連勝を飾った後、桜花賞そのものへの登録を行うも再度抽選漏れ、出走は叶わずになってしまった。

続くOPレースの忘れな草賞や初の重賞にしてG2レースのサンケイスポーツ賞4歳牝馬特別*2での2着入賞などを経て、牝馬三冠の二冠目である優駿牝馬(オークス)へ挑戦。
同年の桜花賞制覇馬であるアグネスフローラも含めてのレースだったが、スタートで出遅れてしまい、後方待機から直線でスパートをかけたものの、ライバルたちとの差は埋まらずに結果は5着。

その後は休養を挟んだ上で、エリザベス女王杯への出走を目標にローズステークスに挑戦したが同じく5着に終わる。
このレースにおいて第4コーナー以降の直線でスピードが伸びなかったことから、路線転換が検討されたと思われる。
そしてレース後に右後脚のフレグモーネ発症が発覚したことから、長期休養に入ることに。

翌年の休養明け後は騎手が河内洋に交代。OPマイルレースの洛陽ステークス2着入賞の後、今度はマイルのG3レースである京都牝馬特別へと挑戦。
中団を追走しながら控えつつ、直線で内側から抜け出し一気に駆け抜け勝利。初の重賞制覇となった。
このレースにおいて河内は「まだまだ余力十分、牡馬に混じってのレースでも引けを取らない」とルビーを高く評価しており、本格的なマイル・スプリント路線への転向のきっかけとなった。

次戦の中山牝馬ステークスでは3着に終わるも、その次の京王杯スプリングカップでは勝利し重賞2勝目を挙げる。
因みにこの京王杯スプリングカップにおいて、ライバル兼片思いとなるダイタクヘリオスと初対決している。

そして迎える2度目のG1レースとなる安田記念。バンブーメモリーに次ぐ2番人気での出走となる。
バンブーメモリーと共にしばらくは後方を追走していた中、最初に動いたのは中団外にいたダイタクヘリオス。
それを追うようにしてバンブーメモリーが内側、ダイイチルビーが外側に動いてヘリオスを追走。
進路模索に苦戦するバンブーメモリーを内目にダイイチルビーは爆発的な末脚を発揮し、並ぶ間もなくダイタクヘリオスをあっという間に抜き去って勝利、初のG1タイトル獲得。
同年においてグレード制が初導入されて以降、史上初となる牝馬の安田記念優勝という記録も打ち立てた。

その後も高松宮杯、スワンステークス、マイルチャンピオンシップなどの数々のレースに挑んでいき、ダイタクヘリオスやケイエスミラクルと鎬を削り合いつつ、全て2着の惜敗という惜しい結果に終わる。

その先で迎えた更なるG1レースにして、短距離レースの最高峰であるスプリンターズステークス。
バンブーメモリーの引退やダイタクヘリオスの不在などにより、ケイエスミラクルとの一騎打ちという形に。

スタートで出遅れるも後方待機のままハイペースで追走。
最終コーナーでケイエスミラクルが先頭を窺う中、ダイイチルビーは内側の馬群に控える形に。
前方を行くケイエスミラクルの背後を捉えつつ、坂に到達してからの末脚で一気に抜き去ろうと試みる。

……しかし、残り200メートル、ケイエスミラクルに故障が発生、競走中止。
予想外の展開で急減速したケイエスミラクルをかわす形でダイイチルビーは内側の先行勢を差し切り勝利。
レース後ケイエスミラクルが故障により予後不良で逝ったという悲劇はあったものの、安田記念に続いて史上初の牡馬牝馬混合競走におけるG1競走2勝を達成した牝馬という更なる記録を残した。
これらの功績によって、同年の最優秀5歳以上牝馬及び最優秀スプリンターに選出されている。

主戦騎手の河内からも「1600メートルまでなら本当に安定している。まだまだ楽しませてくれそう」と評される程の実力を備えていたのだが、快進撃はここまで。
翌年以降も現役を続行したものの、レースに対する闘争心を著しく失ってしまっており、陣営は「フケ(発情期)によるもの」と判断。
その状態でいくつかの重賞に挑んだ後、1992年5月の安田記念において15着と、往年の実力から程遠い衰えを実感させる形で引退した。

【引退後】

引退後は繁殖牝馬入り。
北海道三石町に馬主が開設したダイイチ牧場においてノーザンテーストやTBS*3エルコンドルパサーシンボリクリスエスなどトップクラスの種牡馬と交配された。初子のダイイチシガー(父トニービン)は重賞やオークスで掲示板入りしたが、おおむね目立った戦績を挙げる仔は出ず。ただ未出走を除けば未勝利で終わった産駒はいなかった(期待値との落差はあるにせよ)。牝系の子孫はまだまだ繋がっている。
どっちかというと半々程度の受胎率の方が結構やばい。
ダイタクヘリオスとの産駒はいない。種牡馬としては地味だし、さすがに宿敵はね…。ファーストサフィー(ウイニングポストのスターホース、ちなみに牝馬)で我慢しよう。

最後は2007年4月26日に蹄葉炎を発症し、20年の生涯を閉じた。

【創作作品での登場】

アニメ2期でダイタクヘリオスが新登場した初っ端から「お嬢様がつれないんだよー!!」と叫んでいたことに始まり、ヘリオス関連で存在が何度も匂わされていたが、登場は1年半くらい後となった。
「華麗なる一族」はやっぱり設定として採用されているが、元ネタの小説に影響を受けたのか、政財界に名を馳せる超ビッグな一族という設定で、
パリピのヘリオスとは対を成すようにクールでお淑やかで塩対応、一族の誇りを実現することに全てを捧げる小柄な縦ロール少女。
本格登場以降の彼女を取り巻く関係性は、同時に登場が発表されたケイエスミラクルを交えての三角関係の様相になっている。


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最終更新:2024年03月09日 22:52

*1 現フィリーズレビュー

*2 現フローラステークス

*3 トニービン、ブライアンズタイム、サンデーサイレンス。いずれも90年代の日本競馬を支えた大種牡馬