登録日:2024/12/07 (土) 18:08:10
更新日:2025/04/08 Tue 08:48:52
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碓氷峠鉄道文化むらとは、
群馬県安中市の
JR信越本線横川駅近隣にある鉄道保存施設。
施設は安中市が保有し、運営は指定管理者の一般財団法人碓氷峠交流記念財団が担う。
概要
碓氷峠の補助機関車の基地として存在していた横川運転区の敷地を利用し、1999年4月18日に開業した。敷地内には碓氷峠にまつわる車両や国鉄時代の貴重な車両が
機関車を中心に多数保存されている。
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参考:碓氷峠の補機について |
信越本線横川~軽井沢間にそびえる碓氷峠は最急勾配66.7パーミル(‰、1000m進んで66.7m標高が変化する)が連続し、上り坂では立ち往生の危険、下り坂では暴走の危険があることから電車・客車問わず全ての列車に補助機関車を連結していた。
当初はアプト式と呼ばれる左右のレールの間に歯車を噛み合わせるラックレールを配置し、補助機関車の台車に取り付けられた歯車と噛み合わせる方式を採用していたが、戦後輸送力強化のため通常の粘着式鉄道へ切り替え。補助機関車も粘着式のものに取り替えられた。
その後、 長野新幹線の開業に伴い特急列車が廃止され、当区間はこの特殊な条件に多額のコストがかかる上、利用客が見込めないという理由で廃線となってしまった。
現在の北陸新幹線の碓氷峠越えは文字通り山をぶち抜くトンネルで突破するが、それでも新幹線…というか高速鉄道としてはかなりの急勾配(だいたい30パーミル)となっている。
ちなみに、有名駅弁である峠の釜めしは、この補助機関車連結のために長時間の停車が必要となり、また従来の駅弁には個性が無く売れ悩んでいる中で誕生したものである。
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なお本所には碓氷峠どころか、EF30形やEF70形などの東日本と縁もゆかりもない車両も多く保存されているが、これは国鉄末期に
「西日本にはSLの博物館(梅小路蒸気機関車館)がある。だったら東日本には電気機関車の博物館を高崎に作ろう」
という構想があり、その展示用として高崎に機関車が多数集められており、この計画が形を転じて実現したのが当文化むらと言えよう。
そしてこの施設の最大の特徴は本物の電気機関車を運転できるという点だろう。詳細は後述。
アクセス
公共交通機関
横川駅が最寄り駅。1時間に1~2本程度、定期列車は各駅停車のみ。交通系ICカードが使用可能。
観光シーズンの休日には
蒸気機関車が牽引するSLぐんま よこかわ号が運転される。
軽井沢駅との間を結ぶJRバス碓氷線が横川駅に発着している。交通系ICカード使用不可。現金精算のみ。
施設構成
子供向けのミニ電車などが所在。
横川運転区の事務棟を活用したもの。碓氷峠を再現したHOゲージの巨大ジオラマ、車両を持ち込んで走らせることのできるNゲージのジオラマ、峠を越える鉄道に関する資料を展示。
HOゲージのジオラマは1日8回の演出運転の時間以外は、100円を入れてボタンを押すと列車を走らせることができる。
1997年の碓氷峠廃線まで実際に使用されていた検修庫を使用して様々な資料を展示。
ED42形・EF63形・EF62形電気機関車、クハ189形、ヨ3500形など、特に碓氷峠とのかかわりの深い車輛たちが展示されている。
また、EF63形1両の運転台を使用して横川~熊ノ平間の運転を体験できるシミュレータが設置されている。このシミュレータの利用料金は売店で販売している専用ICカードに1,000円をチャージしてそれで支払う。
シミュレータは本物のEF63のブレーキ配管のセンサー圧をマイコンを通してシミュレーターに送っているため、車体側の不調がそのまま再現されるとか。
国鉄時代に活躍した多くの機関車や客車、ディーゼルカーを多数展示。
屋外展示場の周囲をぐるっと囲む形で配置された1周300mのコース。また、オーストラリアの軽便鉄道の電気機関車を模したファミリー列車がこのコースで運転できる。
園の敷地をぐるっと囲む形で配置された1周800mの線路を、イギリス生まれの蒸気機関車3950号グリーンブリーズが牽引する客車に乗車することができる。但し、石炭ではなくオイル焚き。
時々ディーゼル機関車の10000号あぷとくんも走るが、これはED42の前任である10000形(後にEC40に改称)を模したもの。
この手の遊覧鉄道としては珍しく両周り運転が可能。
廃線となった信越本線の下り線を利用し、園内の文化むら駅ととうげのゆ駅を結ぶ。途中の丸山変電所跡付近にまるやま駅があるが、とうげのゆ行の列車しか停まらない。
こちらも機関車はEC40を模したもの。
旧信越本線の一部およそ400mを利用し、かつて碓氷峠で活躍したEF63形電気機関車を来園者が運転することができる。おそらく日本で唯一の本物の…というか実際に運用に就いていた電気機関車の運転を体験できる場所。
本物の機関車を運転する以上講習を受ける必要があり、学科と実技、その後の試験で合わせて1日かかる。
試験に合格すると1回30分の運転体験に参加でき、9回で機関士見習、29回で補助機関士、49回で本務機関士、500回で優秀機関士、1000回で名誉機関士の称号が授与され、最終的には現役時代に行っていたこと全てが体験できるようになる。
運転体験に使用されるEF63を外部の工場へ整備や検査のために輸送する際や、展示車両の搬入に用いられる。
この理由から横川駅3番線と接続されており、後の京都鉄道博物館の展示用引込線と同様、書類上は正式な鉄道路線となる。
保存車両
機関車を中心に多数の車両が保存されている。登場時の姿に復元されているものや、現役末期の姿で保存されているものなど様相は多彩。
特記ない限り、屋外展示場に展示。
鉄道博物館の例によってというか、現存が確認されているのは鉄道文化むらの個体のみの車種も多い。
機関車
デゴイチの愛称でおなじみの蒸気機関車。96号機は煙突後ろの砂箱と蒸気溜めをドームで覆ったナメクジタイプである。
埼玉県長瀞町のSLホテルから移設されてきた。
碓氷峠で活躍した最後のアプト式電気機関車。廃車後も機関区で保管されていたものが1987年の碓氷峠電化75周年記念に合わせて動態復元。しかし、架線電圧の関係で動態走行時は変圧器を搭載した車掌車を併結していた。
普段は鉄道展示館の屋内で展示されているが、年に数日程度屋外展示が行われている。
デッキ付きの箱型車体を持つ貨物用機関車で、直流区間全線で活躍した。
茶色い車体にデッキがついたタイプ…旧型電機としては代表的な車種のひとつ。
機器類などは旅客列車用のEF58形と共通する部分が多く兄弟機である。
鹿児島本線の交流電化に伴って従来関門トンネルで使用していた直流電気機関車が使用できなくなることから製造された。世界初となる量産交直流電気機関車。
交流区間を走るのは門司駅構内のみなので交流区間での最高速度はわずか30km/hとかなり割り切った性能で、後述のEF80形と同じく軽量化のために1つの台車に1つのモーターを架装している。
関門トンネルの塩水対策で外板がステンレス製となっており、機関車では珍しい銀色の車体が目を引く。これは当時のステンレスカーは「サビない」こと自体が非常にお客さんへの希求力が強く、まったくの無塗装としてアピールすることが珍しくなかったのも一因である。
同型機は九州鉄道記念館(カットモデル)と北九州市の和布刈公園に保存されている。
20号機は量産型で、和布刈公園に保存されている先行試作機の1号機とは全く外観が異なる。
EF52形をベースに高速性能と信頼性を向上させた旅客列車用機関車。
当初は
東海道本線の東京~国府津・沼津間で活躍していたが(当時の電化区間はここまでだった)、東海道線の客車の暖房が架線から取り入れた電力で駆動する電気暖房方式だったために蒸気暖房用ボイラーを搭載しておらず、蒸気暖房…機関車から高温の蒸気を専用のパイプで引き込み、それをヒーターとする形式が主流になった戦後は地方へ転属するか、東京近郊の小運転に用いられるようになった。
1963年に山陽本線瀬野~八本松間の補助機関車を蒸気機関車から置き換える際に持て余し気味になっていた事から補助機関車に抜擢され、EF59形へと改造。EF67形に置き換えられるまで活躍した。
本機はEF59 11から外観のみ復元された。
戦後を代表する旅客列車用電気機関車。登場直後は当時標準的だったデッキ付きの箱型車体であったが、蒸気暖房の取り付けに際してスペースが不足するため新造された流線型のボディへと載せ替えられ、電気機関車といえば箱型で速度もそんなに速くない物ばかりだった時代に人気を博した。
本所で展示されている172号機は1982年に
日光線でお召し列車が運転された際、
宇都宮駅での方向転換の都合からもう1両お召機関車が必要となったために一般機ながらお召牽引機に指定され、一般塗装のままお召整備が施されたという過去を持つ。
余剰となっていたEF53形を山陽本線瀬野~八本松間の補助機関車用として歯車比の変更や連結器の自動解放装置取り付けなどを行ったもの。
下り向き先頭部が警戒色のトラ柄に塗装されているのが目立つ。
旧EF53 8号機。
ブルートレイン牽引に活躍したいわゆるP形機関車の元祖とも言える機関車。
しかし、ベースが牽引力に長ける貨物機であったことからブルートレインに求められる高速運転と合わず、故障や遅延が相次いだという。
信越本線向けに開発された電気機関車。EF63との協調運転と信越本線通常区間での運転を両立し、いわゆる新性能機関車ながら軽量化を目的に台車が3軸式になっているのが大きな特徴。
勾配を登る時はEF62が先頭に立ち最後尾がEF63が押すプッシュプル、勾配を下る時はEF63が先頭になる三重連形態で運転した。後年一部の余剰機が峠を降りて東海道・山陽本線の荷物列車牽引に抜擢されていたのも有名な話。
1号機は先行試作型で側面上部の明かり取り窓がない、ルーバーが二個一組になっているなど量産型と外観が明らかに異なる。54号機は後期型で最終号機。また最後まで現役で使用されていたEF62でもある。
1号機は茶色、54号機は青色に塗られ、54号機は鉄道展示館で展示。現存するEF62はこの2両のみである。
碓氷峠区間専用の補助機関車。
横川〜軽井沢間の上下列車において必ず横川側に重連で連結され、列車を補助した。当初は単機で運用する案もあったが、故障時に備えて必ず重連運用されることとなった。
また、電車、気動車、機関車及び客車・貨車と様々な車両と連結する必要があるため、密着連結器と自動連結器両対応の双頭連結器と多種多様な形式に対応すべく9つものジャンパ線受けを持つ。
1号機は先行試作型で量産型とスカートの形が違う。10・11・12号機が量産一次型、18号機が二次型、24・25号機は最終型で、車番がナンバープレート化されていたり搭載機器が改良型になっているなど近代化されており、外観の印象が違う。
1号機と18号機が茶色の他は青色に塗られている。11・12・24・25号機は前述の運転体験に用いられており今も自走可能。
10号機と18号機は鉄道展示館で保存。18号機はシミュレータとしても使用。
また、一部車両はキハ82用ジャンパ線受けが撤去されているがここの保存車は全て残存している。
高速貨物列車牽引用として製造された500番台F形の1両。旅客列車用のP形を基本に重連総括制御機能、貨車の空気ばねに圧縮空気を供給する空気管を装備した連結器、連結器の自動復心装置、ブレーキ増圧装置、電磁自動空気ブレーキへの指令機能などを装備し、連結器周りが無骨で物々しい印象を与える。
本機は廃車後解体となる予定だったが、貴重な500番台F形ということで保存会が結成され、JR貨物の協力の下修復作業が行われた。
ちなみに現役時代には文化むらで保存する車両を横川まで牽引してきたこともあるため、文化むらと全く縁がない訳ではない。
北陸本線の重量貨物列車牽引を目的として製造された交流専用機関車としては珍しい6軸駆動の機関車。
1000番台は寝台特急日本海の牽引のため、ブレーキ系の改造を施して最高速度110km/hでの運行に対応させたもの。
記事ページ制作時点で現存が確認されている唯一のEF70形。
常磐線の上野~水戸間の電化開業時に製造された交直流対応電気機関車。直流用と交流用両方の機器を搭載することによる重量の増加を相殺するため、1つの台車に1つのモーターを架装し、6軸駆動のF級機関車ながらモーターが3基のみ搭載なのが特徴。
63号機は二次型・最終号機で、一次型と前面形状が異なる。
これも現存する唯一のEF80形。
液体式変速機を搭載する本格的幹線用ディーゼル機関車。1号機は試作型で、丸みを帯びた車体とヘッドライト、切り抜きナンバー、トラ柄エンドビーム、白線の入り方のパターンが量産車と異なるのなどが特徴。
1も0番台量産車とほぼ同じ塗装になった時期もあったようだが、新成当時の茶色の塗装に復元して保存されている。
500番台や1000番台の保存車は多いが、0番台…初期型の重連運転がまったく出来ないDD51で現存するのはこの1号機だけ。
三八豪雪でロータリー式除雪機関車のDD14形が
新潟地区の湿った重い雪に対して全く役に立たなかった反省から、DD51をベースに搭載する2機のエンジン出力全てを除雪ロータリーの駆動にぶち込めるよう設計されたロータリー除雪機関車。
しかし、除雪能力があまりにも強力すぎたために、飛んできた雪が沿線の屋内にあったピアノを破壊したという真偽不明な話まで生まれるほど投雪による被害が多発。本来の性能を発揮したことは数えるほどしか無い。
一方、いかにもパワフルな生まれや「ディーゼル機関車ぽくない」外見から人気は高く、JR期には何回か臨時列車イベントに起用された記録も残っている。本車もまた、役に立つ機関車ではあったとは言えるだろう。
電車
- ●クハ189-5・●モハ189-5・●クハ189-506
183系をベースに、EF63から制御を受けられるように回路を追加した特急型電車。故に形式名の前に横軽対応車である丸マーク(Gマーク)が付いている。クハ189-506は開園当初から敷地内にあったが、クハ189-5とモハ189-5は2006年に旧丸山変電所付近から横川駅4番線を経て移設された。
クハ189-506は鉄道展示館近くの屋外で国鉄色及びJNRロゴ付きで保存。クハ189-5とモハ189-5はあさま色で屋外保存されているが、あさま色の2両の方は原則的に遠目にしか見られない。
気動車
地方ローカル線向け液体式気動車の第2世代。赤色とクリーム色の国鉄気動車色で保存。
都市近郊の非電化路線向けに開発されたキハ35系気動車のうち、オールステンレス車体の試作車として製造されたもの。
ステンレス鋼は錆びに強く本来塗装は不要だが、動労からの反対意見が噴出したことや識別性向上のために先頭部の部分塗装→全塗装が行われ、現役末期と同じ首都圏色で保存。
急行用気動車キハ58系のグリーン車・キロ58形を種車に、高頻度・高速運転の電車列車から逃げ切る必要のある常磐線向けに改造された荷物車。走行用エンジンを床下に2機搭載している。
車体はキハ40系列に似たものに載せ替えられ、塗装は首都圏色となった。
DD51と連結されており、その顔を拝むことは難しい。
客車
車体の基礎となる台枠部分に強度を負担させる従来の構造から脱却し、車体全体で強度を負担するセミ・モノコック構造の採用などで大幅な軽量化を果たした軽量客車10系の普通座席車。
碓氷峠は客車列車の重量制限が厳しく、旧来の客車3両を想定した制限値で10系なら4両連結できるという強みから重点的に配備されていた。
現存唯一の10系座席車。
軽量客車10系のB寝台車。青い車体の寝台車という意味では
ブルートレインの元祖、あるいはご先祖様ともいえる。実際に10系寝台車を主力とした列車が走っていた区間が後のブルートレイン走行区間となっているケースも多い。
登場時は冷房装置を搭載していなかったため重量等級が1個下のナハネ11 29だったが、文化むら収蔵に際しては現役末期のオハネ12として整備されている。
軽量客車10系の食堂車。国鉄の食堂車で初めて客席定員を40名とし、その後に登場する各形式の食堂車にも大きな影響を与えた。
登場時からディーゼル発電機で駆動する冷房装置で冷房化されているが、調理設備は電化されておらず、石炭レンジと氷冷蔵庫の組み合わせ。発電機の容量よりも当時の電気調理器の信頼性の低さが問題だったらしい。
同形式が北陸トンネルを走行中に電気配線のショートが原因の死亡火災事故を起こしたために早期に運用から外され、2両が乗務員の教習に用いる教習車に改造された他は全て廃車解体された。
2055号車は教習車に改造されて生きながらえていた車両で、塗装と表記を食堂車時代のものに復元。ただし、塞がれた貫通路や車内などは教習車時代のままで、模擬運転台も残っている。
30でも小樽市総合博物館のあれとはまったくの別車種。こちらはオハ31系客車に属する荷物車。後に事故復旧機材を搭載してスエ30 9へと改造され、保存に際して復元。
こちらは名古屋市の
リニア・鉄道館にも保存されている。
元々進駐軍専用列車に使うため軍の指示で製造されたが、それが無しになったので特急・急行列車に転用したもの。
元が進駐軍用として製造されただけあって豪華な内装を持ち、また晩年のブルートレインや現在活躍するクルーズ列車では定番の「個室寝台」のはしりでもある。また、進駐軍を意味する「J.G.R」のロゴも特徴的。現役を退いた後は線路工事の作業員の移動宿舎となるオヤ41 2へと改造された。
こちらもリニア・鉄道館に保存されているが、あちらは正面からしか見ることが出来ないので特徴的なロゴが見られるのはこちらだけ。
大正時代に製造された木造車体の客車を鋼製車体へと更新した普通列車用客車。普通客席と郵便室・荷物室を併設する。
現存唯一の客室・郵便合造車。
波動輸送用の急行型客車である12系から改造された和風お座敷列車くつろぎの1号車と2号車。くつろぎは各号車に北関東の山々から愛称が付与されており、1号車は赤城、2号車は榛名と名付けられている。
スロフ12は車内に入ることが出来る。以前は6両フル編成で横川駅構内に保存されていたが、屋外展示場への移設時に1・2号車のみが移設対象となり、残りの4両は解体されてしまった。
貨車
一段リンク式の足回りを持つ車掌車。後に高速化のために二段リンク式のヨ5000へと改造されるが、碓氷峠用車両は座屈対策のためヨ3500のままとなり、碓氷峠を通過する貨物列車にも連結されていた。
車掌車としての役割は国鉄時代に終えていたが、ED42 1を動態復元した際にED42のパンタグラフから集電した電力を一旦車掌車側へ引き込み、車内に設置した変圧器で600Vに降圧してからED42に送り込む電源車へと改造された。これは架線電圧が1500Vに対してED42の対応する電圧が600Vであるための措置。
文化むら開園時に電源車の装備は撤去され、現役時代に近い姿へと戻された。
貨物列車への車掌乗務廃止から40年近くが経過するが、今も少数が特殊な貨物列車が走る際の後方監視から、「保安設備を全部これに入れてる」までさまざまな形で現役を続行中の車掌車。
EF63運転体験の連結・推進運転プログラムに使用される。
橋梁の架橋に用いられた大型クレーン車。全長27.5m、自重153.5トンは国鉄最大クラスで、それを支える車輪の数は16軸に及ぶ。
貨車だけどディーゼルエンジンを搭載しており自走可能。
その他
夜間の保守作業後に作業がきちんと終わっているか走りながら確認する保線機材。
新幹線のトンネル巡回車。
本所が登場する作品
オープニングのトッキュウジャー5人が線路内を走るシーンを旧信越本線で撮影。第5駅から「みんなは線路内で遊ばないでね!」とテロップが追加された。
Mission7「エース整備不良?!」で登場。旧信越本線の線路や旧丸山変電所付近も登場している。
おそらく新西暦における普通の鉄道路線としてのロケのはずなのだが、それゆえにかなりショボいローカル線に見える。
TBS系のドラマ。第4話で旧信越本線の線路跡が撮影に用いられた。
阿羅本景のライトノベル。
13巻と16巻で2回登場。ただし名称は『横川鉄道博物館』に変えられている。
1期~2期に登場。登場したほかのJR系鉄道博物館同様に、超進化研究所横川支部はここの地下に秘密基地として存在するという設定。
実際の園内にはシンカリオンのパネルも設置されている。
名誉機関士による追記・修正をお待ちしております。
- なんかのついでに行くと意外と楽しめるよね、ここ -- 名無しさん (2024-12-09 16:53:36)
最終更新:2025年04月08日 08:48