平和台事件

登録日:2011/09/08 Thu 10:50:53
更新日:2024/12/13 Fri 20:44:20
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平和台事件(へいわだいじけん)とは、1952年7月16日に福岡県福岡市の平和台球場での試合中に行われた遅延行為、及び試合後の騒動のこと。
東京都練馬区や千葉県流山市の平和台は無関係なので注意。

あまりにムチャクチャな内容の数々から、後に史上最大の遅延行為とまで言われることとなった。


経緯

当日は西鉄ライオンズ(現・埼玉西武ライオンズ) 対 毎日オリオンズ(現・千葉ロッテマリーンズ)の試合が15時から行われることになっていた。
ところが丁度梅雨の時期、雨足が絶えず試合開始は遅れに遅れ、16時55分にやっとプレーボールとなった。
平和台球場にはナイター設備がなかったため、日没予定時刻の19時29分までに試合が終わるか懸念されたが、当時のプロ野球の試合は大抵2時間ちょっとあれば終わっていたため、主催者は開催可能と判断した。
ようやく始まった試合だが、四回表までに雨で2度、計1時間以上中断する最悪の展開となった。
どんどん暗くなる空。試合進行を急がねば、規定の九回どころか五回終了までに終わらずノーゲームとなってしまう。焦る西鉄ナイン。

しかしただ一人、今か今かと日没を心待ちにする男がいた。
毎日総監督・湯浅 禎夫(ゆあさ よしお)である。


遅延

毎日は四回表終了時点で4対5と1点差で負けていた。これから裏の西鉄の攻撃。そこで湯浅は思いついた。


「日没まで粘ってノーゲームに持ち込み、試合自体をなかったことにしよう」


プロたる者が絶対に行ってはいけない最悪の行為である。しかし湯浅はこれを実行に移してしまった。

実例
  • 必要ないのにシューズの紐を結び直す
  • 一人ずつベンチに帰って水を飲む
  • 投手が一球投げる度に捕手がタイムをかけてマウンドに行きヒソヒソ話
  • わざと暴投する投手
  • わざとパスボールする捕手
  • 審判から新しくもらう球を捕り落とす投手、内野手はそれを拾いに行かず見て見ぬふり
  • 打球を見失ったふりをして、捕りに行かない外野手。たとえ捕っても明後日の方向へ悪送球
  • 凡フライを野手が補球すると、捕手が「何で捕るんだ、バカヤローッ!」
  • 監督自ら「こんな田んぼのなかで野球が出来るか」と審判にイチャモン

ありとあらゆる手を連発して時間を稼ぐ毎日に対し、西鉄は打者をわざと三振させて早く試合を進行させようとする。
しかし三振しようと適当に振ったバットがボールに当たっちゃう不運も重なり、この回西鉄は4点を挙げ9対4と毎日を突き放してしまう。
結局試合は五回終了まで進まず、毎日の目論見通り日没ノーゲームとなってしまった。

勝てるはずの試合をノーゲームにされた西鉄ナインは怒りに怒った。だがそれ以上に怒りが収まらない人たちがいた。
わざわざお金を払って球場に足を運び、雨の中試合開始を心待ちにし、西鉄リードの展開に喜んでいた西鉄ファンである。


暴徒

ありえない蛮行の数々のせいで、贔屓チームの勝ちが消えた。
目の前で展開された光景にキレた西鉄ファンはグラウンドに乱入し、まず審判に詰め寄った。恐怖を感じた審判は「悪いのはあっちや」と毎日ベンチを指さした。
とはいえ毎日が一番悪いのは当然だが、遅延行為の数々にロクに注意をしなかった審判もどっこいどっこいである。

ファンはターゲットを毎日に変え、暴徒と化して毎日選手を追いかけ回し、殴りかかった。
警官の制止なんて聞きやしない。あまりの状況に大下弘など被害者であるはずの西鉄の選手が仲裁に入るほどであった。
それでもファンは一向に収まらず、ついには警官隊数百人が突入し、毎日選手を球場から脱出させる事態にまでなった。
この時、湯浅はチームとはぐれて一人球場に置き去りにされてしまう。放送室に逃げ込んだ湯浅は場内放送でファンに謝罪をすることで事態を打開しようとした。
しかしその中で選手に責任を押しつけるかのような発言をしたことで、逆にに油を注いでしまう。

ファンは毎日選手の常宿まで押し掛け、深夜まで怒号を浴びせ投石を繰り返した。
最終的に同日未明に毎日、西鉄両球団の代表者がファンに直接謝罪。それを受けてファンは解散し、一連の騒動はようやく幕を閉じた。


その後

この一件に関して、毎日新聞本社は特にコメントしなかった(そればかりか紙面では騒動の原因が毎日側にあったことさえ伏せた)が、福岡県を中心とした毎日新聞の不買運動の兆候を察知すると、即座に湯浅総監督を解任した。
ただし名目上は湯浅がアメリカへ野球の勉強に行くためであり、直接騒動の責任をとったわけではないとされた。
マスコミは昔からマスゴミだった。

ノーゲームとなった試合は9月7日に当日開催予定分と併せてダブルヘッダーで行われたが、まるで戦意のない毎日はあっさり連敗。
湯浅の後任の別当監督(野手)がマウンドに立ったりするありさまだった。


結末

この年のパ・リーグ最終成績(上位のみ)

順位 球団
優勝 南海 76 44 1
二位 毎日 75 45 0 1.0

何のことはない、毎日は卑怯な手段に訴えず、あの2試合を全力で勝負し、勝利していれば優勝の可能性もあったのである。
まさに因果応報を地で行く結末となってしまった。



追記・修正は日没までにお願いします。

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最終更新:2024年12月13日 20:44