ここではレセスティア連邦の歴史をスティア連邦成立以前の時代から解説する。
簡略版はレセスティア連邦/歴史年表を参照。

概要


前史

1818年

第二次大陸戦争勃発。ガルト・アルバ条約機構と銀色同盟が正面衝突し、お互いに疲弊したのちイグニシア連合率いる国家連合の介入によって戦争は終結。この戦争で義体技術が普及する。

1820年

シルファーガレン宇宙条約締結。イグニシア連合以外の国家が宇宙の軍事利用を禁じられた。

1846年

バーミュオン計画。衛星ラントへの植民及び惑星カンネーを拠点としたダイソンスウォーム建設が開始される。

1912年

パルタス紛争勃発。世界各地での同時多発テロ攻撃を皮切りに、殖民惑星解放連合が惑星カンネーで蜂起。イグニシア連合主導で結成された国家連合統合軍はこれを鎮圧するも、植民惑星解放連合は最後の拠点としていた惑星カンネー上のエレツィタ市でメガトン兵器による自爆を決行し、壊滅する。

1920年

エレツィタの爆発により露出した地層から遺跡が発見される。ew-001と命名。


1921年

パルタス紛争の混乱を治めるため、スティア統合政府が成立。

1935年

スティア統合政府解体。スティア連邦が成立。

1950年


2000年

再構築

スティア連邦時代

ソーリスからの旅立ち

Sint.1500年、ew-001から発見されたew超航法が実用段階に移行し、遂にスティア連邦は実用段階のFTL航法を利用できるようになった。国立外宇宙調査・開発機構(EGSP2C)及び植民惑星管理機構主導で植民船団が結成され、以前から植民先として有望視されていたヴェスヴィネ星系に入植が行われた。

分離主義の芽吹き

ヴェスヴィネ星系の開発が進むと、次第に星系の各植民地は独立を志すようになる。ヴェスヴィネの分離主義者たちは「パルタス派」を自称し、革命指導者インテリアス・アンテロープの下で結束を強め、ヴェスヴィネ植民地政府の多く、管理局から惑星軍まで―を植民地市民の支持を受けて掌握した。
スティア連邦中央政府はヴェスヴィネ星系に対する締め付けを強め、独立を防ごうとするが、この行動はヴェスヴィネの分離を更に加速させる結果となった。最終的には宙軍情報部によるアンテロープ暗殺未遂事件をきっかけにヴェスヴィネ星系全土での暴動と政府施設掌握が巻き起こり、中央政府の撤退とともにヴェスヴィネ自治政府が成立した。

イェスタ危機

ヴェスヴィネ星系を失ったスティア連邦は新たな労働者の受け入れ先を得るため、近隣のイェスタ星系の開発を開始する。一方でスティアとの関係を失い資源供給地を必要としていたヴェスヴィネもここに目を付け植民を開始した。スティア・ヴィスヴィネ両国がイェスタの開発領域を広げると次第に軋轢が生じ、衝突が目立つようになった。両国は自国軍をイェスタに派遣するが、正規軍同士の直接的な衝突をさけるため契約したPMCや傭兵を軍事作戦に投入するようになる。しかし15■■年のシルファージェナの戦闘でスティア側のPMCを救出するためにスティア海兵隊が特殊部隊をヴェスヴィネ側の領域に投入したことをきっかけに正規軍が直接衝突するようになり、イェスタでの両国の対立は激化していった。

第一次星系間戦争

イェスタでの対立の激化に対応するため、スティア連邦は宙軍を投入し、惑星メルデッサの宙域封鎖を行う。
ヴェスヴィネ自治政府最高統治委員長アンテロープはこれを主権への攻撃と見なし、一連の出来事はヴェスヴィネ侵略のためのスティア連邦による計画としてスティア宙軍の行動を批判した。
ザーバラリカの有力者の取り計らいで両国の代表による会談が行われたが、一方でヴェスヴィネ防衛軍(VAR)はイェスタ星系のスティア艦隊を攻撃するため艦隊を演習の名目で集結させる。
会談が特に結果を出さずに終了したのち、ヴェスヴィネ防衛軍はイェスタ星系のスティア艦隊を強襲した。メルデッサ軌道上にワープアウトしたヴェスヴィネ艦隊がスティア宙軍の艦艇を次々に撃破したのだ。スティア宙軍は奇襲を受け、更にヴェスヴィネ防衛軍の新鋭艦である強撃艦アンバーに手も足も出ず、撤退を余儀なくされた。
軌道上のスティア宙軍が撤退したのと時を同じくして、ヴェスヴィネ防衛軍地上部隊が攻勢を開始し、メルデッサ地表上ではラヒュスの外宇宙進出以降初となる大規模な地上戦が展開された。数と質に勝るスティア海兵隊は善戦したが、宇宙をヴェスヴィネ艦隊に抑えられたため支援と補給が受けられず徐々に敗走を始めた。あわや壊滅かと思われたその時、ソーリスからスティア宙軍の救援艦隊が到着し、メルデッサ上の海兵隊の大部分が撤退を完了した。

反撃


アトナーグ平和条約―二つの道へ


二極統治時代


スティア統治連合の成立


ザーバラリカ開拓競争


第二次星系間戦争


ザーバラリカ、無法地帯化


第三次星系間戦争


小康戦争

第三次星系間戦争で連邦・連合双方は大きな被害を受け、戦闘続行不可能による強制的な停戦という形で終結したが、戦闘はなくとも未だに戦争は続いているというのが互いの認識であった。
そのため連邦・連合のお互いが自分の身を守るために軍事力を増大させ、相手の軍事力の増大を警戒してさらに軍事力を増大させるという安全保障のジレンマ的な状態に陥り、その一方で第二次及び第三次星系間戦争のような破滅的な事態を恐れ、双方が本格的な軍事力の行使を避けたことで冷戦構造が形成される。
Sint.1695年から始まったこの対立は本格的な戦闘を伴わない戦争という意味で「小康戦争」と呼ばれた。

アーネフォンによる改革

このような冷戦構造は軍事力競争と国力の回復を同時に行わなければならない統治連合を苦しめた、アーネフォン連合最高議長は経済改革と軍縮を進め、同時にファウゼラス・ドクトリンと呼ばれる新たな外交方針に従って連邦との関係改善に乗り出した。

文明はここスティアだけでは無い

17XX年、ザーバラリカ星系辺境においてヴァルエルク共和国の調査艦隊と連邦・統治連合の艦艇が接触、領域外文明の存在する可能性は以前から知られていたが、あくまで可能性でしかなかった文明が実際に存在していたこと、更に大宇宙連合として広範囲に文明圏を有していたことはスティア文明に衝撃を与えた。

大同連合結成

ヴァルエルクとの一件により小康戦争の雪解けは更に進み、連邦側の-議員と連合の-議員の会談で二国の関係が一気に近づいて大同連合の成立に至った。同時期に統治連合で進められていたアーネフォンの経済改革が失敗し、連合の構成国が離脱の動きを見せていたことも雪解けの一因となった。
この一連の動きを良く思わなかった国があった。イェスタ独立国である。イェスタは小康戦争中連邦と連合双方に戦略資源や兵器を売ることで稼いでいたが、小康戦争の終結で売上が落ちることを危惧していた。そのため独自のルートでサーヴァリアに接触し、貿易協定を結ぼうとしたがこの動きを察知した大同連合の介入によって失敗した(1742年)。この外交圧力には当時マーカス内戦でサーヴァリアと対立していたヴァルエルクも協力した。

レセスティア連邦黎明時代(アンドロイド時代)


レセスティア連邦成立

1742年、レスリアット会議が開催、この会議内ではスティア・ ヴェスヴィネ・イェスタ・ザーバラリカ星系のスティア文明が統一が確認され、正式にレセスティア連邦が成立した。
レセスティア連邦の成立と同時にヴァルエルクとの会談が行われ、大同同盟から引き継ぐ形でレセスティア・ヴァルエルク国交条約が結ばれた。

交渉

同時期に大宇宙連合への加盟が進められたが、機械知性の是非を問うマーカス内戦の最中とあって時期尚早と判断、オブザーバーとしての参加に留められた。レセスティアはこの期間を活かして大宇宙文明への適応を進めていくこととなる。
1747年、マーカス内戦が終戦、アイローム派が勝利したことにより大宇宙に機械知性の種族権が認められる風潮が高まったことを好機とみて大宇宙連合への加盟交渉を再開した。

レーウス出征

しかし1749年、レーウス機械反乱が勃発。この反乱によって連合加盟交渉が不利になると考えたレセスティアはヴァルエルクとの交渉の末惑星レーウスに出征、「人類の危機に人類と共に戦う友好的な機械知性」の姿をアピールした。一方でこの出征にはスクラップの回収とその分析による高度技術吸収や戦闘データの収集の一面もあった。

大宇宙連合加盟

1750年、レーウス機械反乱の鎮圧の後、レセスティア連邦は大宇宙連合に正式加盟、機械知能規制委員会の大宇宙連合正式機関認定という思わぬ事態も発生したものの、晴れてレセスティアは大宇宙に正式な国家として認められた。

光と闇の中で

大宇宙加盟後、レセスティアには好景気が訪れた。スティア統一後の混乱期から抜け出したことも一因であったが、何よりもヴェスヴィネ共和国を中心に設置した経済特区の成功が大きかった。
経済特区はレセスティアへの膨大な外国資本の流入をもたらしたが、その一方で様々な弊害が生じた。経済の成長により発展したヴェスヴィネ共和国では再び分離主義者による分離独立活動が活発になった他、外国人排斥運動が生まれ、テロ攻撃が増加した。
また、ザーバラリカ開拓共和国では多くの反社会勢力が流入し、既存のマフィアとの抗争が激化する。
スティア史上今までにない規模での経済発展を成し遂げた一方で、格差の拡大やテロなど、問題も増えていくこととなった。

サイバーの波

詳細はサイバー戦争を参照

Sint.1759に行われた電脳仮想空間の全世界開放はこの好景気をさらに加速させた。Sint.1760年にレセスティアは他国に先駆けていち早く[要出典]自国の仮想ネットワークを開放し、レセスティアでサイバー・ブームが巻き起こった。このブームは外国資本流入が落ち着いたことによる不景気状態を一気に吹き飛ばし、レセスティアにサイバー景気と呼ばれる大型景気をもたらした。

憧れの地へ

経済発展の一方でヴェスヴィネ共和国での分離主義活動をはじめとした連邦内の不和は拡大の一途をたどっていた。
連邦の協調を強めるため、時の行政院長オーゼン・ヴィルメルクはレガリオ星団の調査計画を発表した。ザーバラリカ開拓共和国の開拓も進んでいない状態での調査には批判も強かったが、スティアの人々の憧れであった(ついでに多くの資源産出が予想される)レガリオ星団への調査の期待は高かった。
1763年、国立外宇宙調査・開発機構(EGSP2C)主導でLSCFウィストリレを母船とする調査船団が結成され、レガリオ星団系に向け出発した。

ルカスタ条約締結


メルデッサ危機


反動時代


二―ネンとの摩擦


巨人と共に



関連項目

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最終更新:2021年10月27日 21:43