「
アニメのゴールデンエイジ」と称された1930年代において、
ミッキーマウスをデザインしたアニメーターとして知られ、
ウォルト・ディズニーとともにディズニー社の礎を築いてきたアブ・アイワークスが、
独立した「アイワークス・スタジオ」において作り出したキャラクター。
「フリップ・ザ・フロッグ」とも呼ばれる。
フリップと言ってもカエルの描かれた板ではない。
ユニバーサル社による『
しあわせウサギのオズワルド』のライセンス取り上げや作画の引き抜き工作以降も、
ディズニー社に残ったアイワークスだが、次第にウォルトのアニメ制作のやり方に不満を感じ、
またウォルトが作品の質の向上ばかりに儲けを注ぎ込み、業績に対するスタッフへの正当な報酬が得られていない事にも不満を抱き始めていた。
そんな中で、当時ディズニー社の映画の出資と配給をしていた実業家のパット・パワーズから独立の話を持ちかけられたアイワークスは、
1930年に退社してスタジオを設立した。
そこで看板作品の主要キャラとして生み出されたのが、このカエルのフリップであった。
なお、ウォルトがミッキーマウスを私物化したことも原因だと言う説もあるが、
そもそもミッキーは決してアイワークス一人で生み出したものではないため事実かどうかは定かではない。
結論から言えば、アイワークスの独立は失敗に終わった。
自分の思い描いたものを描くことを目的としてディズニーを離れたアイワークスであったが、
独立後の彼の作品は鳴かず飛ばずで、そのほとんどが人気を獲得することが出来ず、
1936年に投資家はアイワークス・スタジオへの資金援助を引き上げて会社はその後すぐに倒産した。
反面、アイワークスを失ったディズニー社はその間も新たな世代のアニメーターの育成に成功し、
数々の人気作品を作り上げていた。
そして、アイワークスは1940年代に再びディズニー社へ戻り、特殊効果技師として働くことになった。
アブ・アイワークスが非凡なアニメーターであったことは、彼がデザインしたミッキーの人気が証明している。
一方で、演出面やプロデュース面での才能はウォルトに及ばず、それが独立失敗の要因であった
(とはいえ、それは他の同時期に活動していたアニメ制作者達も同じだったわけだが)。
ウォルトは確かに作品の質の向上だけに金を注ぎ作画スタッフを薄給でこき使う困った癖はあったものの、
クリエイターとしては天才であり、ミッキーの作品群が大成功を収め、彼に続く人気キャラクターが続々と登場する中であっても、
過去の栄光に甘んじることなく現状維持よりも常に新しい技術の取入れやクオリティの進歩への取り込みに熱心だったが、
こうした姿勢が良く言えば職人気質、悪く言えば保守派なアイワークスとの間に溝を生み出す要因となってしまったのである。
加えて、アイワークスが独立後に描いた作品は、演出面でウォルトの作品に及ばなかったばかりか、
オズワルドやミッキーが活躍を始めた当時の作風に近い、いわば一昔前の時代遅れのものばかりであり、
その姿勢は目まぐるしくアニメの進化を促進していたゴールデンエイジという情勢の中では、
視聴者側のニーズに即しておらず、この点もニーズをくみ取って質を上げながら、
業界を発展させつつコンテンツを供給したディズニー社との評価の差を広げた原因となった。
よってこれらの作品の評価及び独立の失敗は、アイワークスにとっては、
「ウォルト・ディズニーの演出・プロデュース力」が彼に不可欠だったことを証明する証拠となってしまった。
とはいえ、先に述べたようにアイワークスはディズニー社にとってはその繁栄には欠かせない人材であり、
同時期のアニメーターと比較しても間違いなく最上位に入る逸材であったのは事実である。
やはり、ウォルト・ディズニーという規格外の比較対象と同時期に生まれたことが、
彼の最大の幸運であるのと同時に最大の不幸であったのだろう。
MUGENにおけるカエルのフリップ
コンパチキャラに定評のあるCrowSar氏の製作したキャラが公開中。
氏のレトロアニメシリーズキャラの最終作とされており、構想から完成にこぎつけるまで5年かかったキャラらしい。
カエルらしくジャンプ力が高く、ロケットのように跳ぶ突進攻撃で近付いての接近戦や、
蹴りやアッパーなどのかち上げ攻撃からの空中戦が強い。
また、本を投げたり銃を撃つなどの
飛び道具も持つ。
超必殺技は
乱舞技や
突進技に加えて、
緑のオーラを纏いハイパーアーマー状態になる技を持つ。
AIもデフォルトで搭載されている。
出場大会
最終更新:2023年08月19日 13:15