百詩篇第2巻88番

原文

Le circuit du grand1 faict ruineux2
Le3 nom septiesme du4 cinquiesme sera:
D' vn5 tiers6 plus grand l'estrange belliqueux7.
Monton8,Lutece9,Aix ne garantira10.

異文

(1) grand : gland 1627 1644 1653 1665
(2) ruineux : ruine ux 1555V
(3) Le : Au 1557B 1589PV 1649Ca 1650Le 1668
(4) du : le 1557B 1589PV 1649Ca 1650Le 1668
(5) D' vn : 'Dun 1672
(6) tiers : riers 1772Ri
(7) belliqueux : bellicque 1588Rf 1589Rg, belliqueur 1600 1610 1716
(8) Monton 1555 1840 : Mouton T.A.Eds.(sauf : De Ram 1672)
(9) Lutece : Leutede 1653 1665
(10) ne garantira : ne garentira 1605 1611 1627 1628 1644 1649Xa 1672 1981EB, garantira 1649Ca HCR

(注記)HCRはヘンリー・C・ロバーツの異文。

校訂

 4行目 Monton は Mouton の誤記。ピエール・ブランダムールブリューノ・プテ=ジラールピーター・ラメジャラーリチャード・シーバースらが支持している。
 なお、1行目が8音節しかないかのようだが、ブランダムールは circuit と ruineux をそれぞれ3音節として扱っている。

日本語訳

その偉人の行軍は破滅的な事柄になる。
第五番目の者の第七番目の名は
三分の一だけ偉大だろう。好戦的な異邦人は
破城槌をルテティアにもエクスにも振るわずにはいないだろう。

訳について

 1行目 circuit はピエール・ブランダムールによると、この場合は marche (行進、行軍)、campagne militaire (軍事行動) の意味だという。DMF などではこうした意味が見当たらないが、ピーター・ラメジャラーリチャード・シーバースなども支持している。
 4行目 mouton は「羊」の意味だが、「破城槌、攻城兵器」の意味もあった。

 既存の訳についてコメントしておく。
 大乗訳について。
 1行目「大いなる行為の巡回がほろび」*1は、区切り方を変えた上で言葉を補えば一応成立する。
 2行目「七つの名が五つになり」は不適切。この行の数字はいずれも基数ではなく序数。
 3行目「武士のような人があらわれ」は誤訳。訳に反映されていない単語が多すぎる。
 4行目「羊はパリ アイクスを守るだろう」は使用した底本で ne が脱落していたことによるのだろうが、その異文を支持すべき理由がない。

 山根訳について。
 1行目「激甚なる破壊行為の完結」*2は、区切り方によっては理解できなくもないが、circuit を「完結」と訳す根拠が不明。
 2行目「七番目の名は五番目のそれとなろう」自体は、そう訳せないこともない範囲だが、3行目「三番目は並はずれた戦争屋の異邦人」は誤訳で、分けて訳すこと自体に無理がある。もしも3行目の tiers を「3番目の者」と理解して主語にするのが正しいのなら、その直前に d’ があるのがおかしい。
 4行目「パリとエクスは牡羊座にとどまることなし」はgarantirを「とどまる」と訳せるのかが微妙。

信奉者側の見解

 テオフィル・ド・ガランシエールは16世紀フランスにおけるカトリック同盟とアンリ3世・アンリ4世の対立と解釈した。3行目の「異邦人」もアンリ4世のことで、それは彼がナバラ王国出身であったことを示すのだという*3
 細部に違いはあれども、アンリ3世やアンリ4世とする解釈は、ヘンリー・C・ロバーツエリカ・チータムが踏襲した*4

 アンドレ・ラモンロルフ・ボズウェルは「五番目の者」を近未来に登場するフランス王アンリ5世と解釈した*5

同時代的な視点

 キーワードになる「第五番目の第七の名」については、ピエール・ブランダムールピーター・ラメジャラージャン=ポール・クレベールらはいずれも特定していなかった。

 当「大事典」でも一つ解釈を示しておこう。
 七番目の名前 (nom septiesme) という表現は、ノストラダムス自身がアンリ2世について Henry, second de ce nom (直訳は「その名前の2番目のアンリ」) と述べていたり*6、シャルル9世を Charles ix, de ce nom (直訳は「その名前の9番目のシャルル」) と表現していたこと*7からすれば、「7世」を意味しているのではないかと思われる。つまり「五番目の者の七番目の名前」とは、「五番目にあたる7世」のことと理解できる。
 となれば、これはヴァロワ朝第5代目の王シャルル7世 (Charles VII, le cinquième roi des Valois) のことではないだろうか。
 シャルル7世は百年戦争を終結させた時の王であり、ジャンヌ=ダルクが支持したことでも知られている。彼はパリをはじめとする領土の多くを奪還し、「勝利王」の異名を持っている。
 それが「三分の一だけ偉大」というのはどういうことか。これはシャルル1世と比較しているのではないだろうか。フランス史におけるシャルル1世とはつまりシャルルマーニュ (Charlesmagne, カール大帝) である。シャルルマーニュはのちのフランス、ドイツ、イタリアにあたる地域を平定していた。シャルル7世がフランスを平定したといっても、シャルルマーニュが平定していた地域の3分の1 (仏独伊のうちの1つ) にすぎないということなのかもしれない。
 こうした解釈で最大のネックになるのは4行目の「エクス」である。ノストラダムスは普通エクス=アン=プロヴァンスの略としてエクスを使っていたが、これは百年戦争の主戦場ではない。ただし、エクスは北フランスも含めてフランス各地にある地名なので、北部や西部など、英仏の衝突があった地域のエクスが想定されているということかもしれない。
 以上、若干苦しい部分があるのも事実だが、歴史的出典を想定する論者たちも有効なモデルを提示できていないので、参考情報として記載しておく。


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最終更新:2012年08月26日 13:16

*1 大乗 [1975] p.93。以下、この詩の引用は同じページから。

*2 山根 [1988] p.108 。以下、この詩の引用は同じページから。

*3 Garencieres [1672]

*4 Roberts [1949], Cheetham [1973]

*5 Lamont [1943] p.296, Boswell [1943] pp.288-294

*6 暦書版「アンリ2世への手紙

*7 1565年向けの暦