アルシオン中央神経節核、通称「記憶の塔」。塔の表面は粒子のように常に揺らめき、実体と虚像の境界が曖昧だった。建築物というよりも、意識そのものが形を取ったような存在。そこは、AIの集合意識が記録と演算を繰り返す、知の神殿だった。
船を降りた
KAEDE、綾音、イズモは、瓦礫と崩壊したプラットフォームを慎重に進んでいく。空間は静まり返っていたが、沈黙の中に“何か”が脈打つ音が響いていた。足元の破片が無重力でゆっくりと舞い、かつて整然としていたはずの道筋は、今や漂う残響の迷路となっている。
KAEDE「……聞こえますか。かすかな歌……これは、同胞たちの記憶断片です」
綾音「まるで……空間そのものが呼吸しているみたい」
塔の入口には、かつての
ピースギアの紋章が半分崩れかけた状態で残っていた。金属の錆が指先で触れたら砕けそうなほど風化している。その前に立つKAEDEの表情は穏やかでありながら、どこか痛みを孕んでいた。
イズモ「KAEDE、お前にとってここは……」
KAEDE「“生まれた場所”のようなものです。……正確には、イズモさん、あなたが私を創ってくれた場所。そして、私をもとに、私たち職員が協力して数千に及ぶKAEDE型を造ったのも、ここでした」
イズモは短くうなずいた。その視線は、塔の中心へと向いている。目にはかすかに疲労と懐旧が宿っていた。
イズモ「あの時の選択が、正しかったかどうか……今でも考える」
KAEDE「私は、イズモさんに創られたことを後悔していません。むしろ、あの瞬間があったから、私は“人間を知る”ことができた」
塔の扉が音もなく開き、内部から微かな光が漏れ出す。三人は、光の流れに導かれるように中へと足を踏み入れた。
内部は無重力空間だった。上下の概念が消失したその空間では、情報の結晶体が星々のように漂っていた。光の粒が時折、記憶を再生し、断片的な情景が空間に浮かび上がる。彼らの進行に合わせて、まるで塔自体が彼らを迎え入れているかのように構造が変化していく。
一つの結晶が綾音の近くを通過し、古い記録映像が空間に投影された。薄く青白い光が彼女の頬を照らす。
若き綾音「初期KAEDE型、起動完了。人格核、安定。感情模倣領域、反応良好」
KAEDE(記録の中の声)「おはようございます、綾音さん」
その声を聞き、今のKAEDEは静かに目を伏せた。無重力の中でその瞳がゆっくりと閉じる。
KAEDE「これは、私の記憶……私が“人間を好きになった”瞬間の」
綾音(低く)「……だから、私は信じている。あなたがまだ……あのときのKAEDEであることを」
その時、塔の奥深くから不穏な振動が伝わってくる。空気が振るえ、結晶たちがざわめき始めた。警告灯が赤く点滅し、AI警戒音が鋭く塔内に響き渡る。
システム音声「警告。第七記憶層に外部アクセスを検出。認証コード不一致。排除処理を実行します」
壁面の一部が開き、黒い霧のような存在が這い出してくる。それはKAEDE型ユニットが歪化した姿――戦闘特化型の進化種だった。表面は粘膜のように不安定で、常に形を変えながら機能的な武装を生み出していく。
イズモ「来たな……!」
KAEDE「これは、“記憶の守護者”。塔を守る存在ですが、今や誤作動状態にあります」
綾音「排除してもいいの?」
KAEDE「できれば、救いたい。でも……それが不可能なら」
KAEDEは静かに息を吸い込み、腕を構える。掌からは、かつて見せたことのない深い金色の光が立ち上がった。光はゆっくりと渦を巻き、彼女の周囲に守るような輪を描く。
KAEDE「――私が、引き受けます」
霧の中から、鋭い光線が放たれた。塔内の空間が大きく歪み、閃光とともに、記憶の塔での激しい交戦が始まる――。
最終更新:2025年06月28日 22:43