タイラント級陸上戦艦

[解説]
聖華暦500年代の終わりから600年代初頭にかけて、アルカディア帝国で建造された陸上戦艦。
合計で4隻建造されたこの艦は、主に第三次聖帝戦争で活躍した。
しかしネームシップである一番艦タイラントのみが生き残り、二番艦~四番艦の3隻は轟沈の憂き目にあう。
終戦まで生き残った一番艦タイラントは、700年代以降幾度もの修復と改修を繰り返し受け、息が長く使われる事になる。
合計で4隻建造されたこの艦は、主に第三次聖帝戦争で活躍した。
しかしネームシップである一番艦タイラントのみが生き残り、二番艦~四番艦の3隻は轟沈の憂き目にあう。
終戦まで生き残った一番艦タイラントは、700年代以降幾度もの修復と改修を繰り返し受け、息が長く使われる事になる。
本来このタイラント級は、アルカディア帝国における「ホバー走行を採用した陸上戦艦」のテストベッド的な存在であった。
そしてこの艦種における艦体そのものの基本的な設計思想は、後年に建艦された主力戦艦であるレガリア級陸上戦艦の雛型となったほど、優れた物である。
しかし武装など艤装面においては大艦巨砲主義を引き摺っている部分が多く、不合理な面も数多く見られた。
無駄に艦載砲が多いのも、そのひとつである。
そしてこの艦種における艦体そのものの基本的な設計思想は、後年に建艦された主力戦艦であるレガリア級陸上戦艦の雛型となったほど、優れた物である。
しかし武装など艤装面においては大艦巨砲主義を引き摺っている部分が多く、不合理な面も数多く見られた。
無駄に艦載砲が多いのも、そのひとつである。
タイラント級は履帯式からホバー走行への過渡期の艦であったため、後に帝国が実用化する「ホバー艦で高機動型の機装兵を運搬し、機兵戦で敵艦を撃破する」と言うドクトリンにはほとんど対応していない。
そのため機装兵用のカタパルトは無く、開閉ハッチよりの出撃方式を採用していた。
そのため機装兵用のカタパルトは無く、開閉ハッチよりの出撃方式を採用していた。
スペック
全長:305m
全幅:120m
速度:68km/h
全幅:120m
速度:68km/h
艦名
- 一番艦タイラント(退役後、練習艦へ)
- 二番艦テーヴィー(戦没)
- 三番艦タガール(戦没)
- 四番艦テレジア(戦没)
練習艦タイラント

[解説]
聖華暦500年代の終わりに建艦された、アルカディア帝国の陸上戦艦。
タイラント級陸上戦艦の一番艦でありネームシップ。
履帯式からホバー走行への過渡期に出現した艦であるため、大艦巨砲主義を引き摺っており必要以上に大量の砲を搭載している。
第三次聖帝戦争において運用されたが、同型艦3隻は戦没し、この1隻だけが生き残った。
タイラント級陸上戦艦の一番艦でありネームシップ。
履帯式からホバー走行への過渡期に出現した艦であるため、大艦巨砲主義を引き摺っており必要以上に大量の砲を搭載している。
第三次聖帝戦争において運用されたが、同型艦3隻は戦没し、この1隻だけが生き残った。
艦体そのものの基本設計はともかくとして、武装や格納庫などの艤装関係については時代遅れな設計になっている。
しかし700年代に大規模な近代化改修を受け、結果的にではあるが息が長く使われた。改修の内容は、以下の通り。
しかし700年代に大規模な近代化改修を受け、結果的にではあるが息が長く使われた。改修の内容は、以下の通り。
- 機装兵用の発艦カタパルトが艦体の側面に増設される。これにより、新時代の艦隊戦ドクトリンに対応できる様になった。
- 艦体を防護するための稼働防壁〈テセルの鱗〉がカタパルトデッキの横に装備された。この装甲板はスライドして移動し、側面からの砲撃より艦を護る事ができる。
その後この艦は、修復と改修を繰り返し重ねて聖華暦760年頃まで使われていた。
しかし最後の頃になると流石に老朽化著しく、艦速も現代の艦に比して極めて遅いため艦隊運動についてこられない状態であった。
そのため、一部の者からは惜しまれつつも現役を引退。
退役後は後方で、練習艦として用いられている。
しかし最後の頃になると流石に老朽化著しく、艦速も現代の艦に比して極めて遅いため艦隊運動についてこられない状態であった。
そのため、一部の者からは惜しまれつつも現役を引退。
退役後は後方で、練習艦として用いられている。
スペック
全長:305m
全幅:202m
速度:61km/h
全幅:202m
速度:61km/h
[兵装]
- 36cm長距離砲〈ガリーゲの矢〉×1
- 15cm三連装副砲〈ティエス〉×3
- 12cm対空砲 ×6
- 稼働防壁〈テセルの鱗〉×2
正面に副砲、背後に主砲として単装の長距離砲と言う、艦船としては少々良くわからない設計になっている。
しかしこれは、陸上戦艦が移動要塞であった時代の設計思想を引き摺っているためである。
履帯式の鈍重な旧来の陸上艦では艦の前後など曖昧であった。
当時の艦は、どうせ鈍重であるため背後も装甲、魔導障壁の護りは鉄壁であり、敵に後ろを向けて撃つ事などしょっちゅうであったのだ。
しかしこれは、陸上戦艦が移動要塞であった時代の設計思想を引き摺っているためである。
履帯式の鈍重な旧来の陸上艦では艦の前後など曖昧であった。
当時の艦は、どうせ鈍重であるため背後も装甲、魔導障壁の護りは鉄壁であり、敵に後ろを向けて撃つ事などしょっちゅうであったのだ。
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