ガスリー造船
創業は聖華暦569年。当時の自由都市同盟に於いて、ホバー輸送船プリマビスタの生産が追い付かなくなった事で、そのライセンス生産を引き受けた事で大きくなった会社である。
元々は風力船を建造していた造船会社がプリマビスタの隆盛によって潰れ、その会社に所属していた職人たちを初代社長エドマンド・ガスリーが雇い入れたのが始まりである。
ちなみにエドマンドは彼は彼で、それまで水上艦船の造船会社を経営していたのだが、産業革命に今一つ乗り遅れて経営に行き詰り、会社を売り払ってその金で陸上艦船の造船会社を創ったのである。
元々は風力船を建造していた造船会社がプリマビスタの隆盛によって潰れ、その会社に所属していた職人たちを初代社長エドマンド・ガスリーが雇い入れたのが始まりである。
ちなみにエドマンドは彼は彼で、それまで水上艦船の造船会社を経営していたのだが、産業革命に今一つ乗り遅れて経営に行き詰り、会社を売り払ってその金で陸上艦船の造船会社を創ったのである。
プリマビスタがバカ売れした事で、そのおこぼれ的に遅ればせながら産業革命に乗る事が叶い、ついて来た旧会社の技師たち、新たに雇い入れた元風力船の技師たちを食わせる事に成功したエドマンドは、新たな挑戦を始めた。
軍用のホバー式陸上輸送艦開発と、その受注である。
軍用のホバー式陸上輸送艦開発と、その受注である。
残念ながらエドマンドは、その結果を見る事なく早世する。しかし二代目社長グレアム・ガスリーにより、その夢は叶う事となる。聖華暦582年、ガスリー造船はプリマビスタを積載量と頑丈さで大きく突き放したマウント・アサマ級軍用陸上輸送艦を造り上げた。
まあマウント・アサマ級は今現在聖華暦800年代のホバー艦からすれば、大きく劣る存在ではある。これが現代基準にそこそこでも追いつくには、聖華暦610年第三次聖帝戦争のルウアンの戦いで大敗北を喫したカーライル王朝・聖王国から、価値を落としたホバー戦闘艦2隻を同盟が入手して解析するまで待たねばならない。
まあマウント・アサマ級は今現在聖華暦800年代のホバー艦からすれば、大きく劣る存在ではある。これが現代基準にそこそこでも追いつくには、聖華暦610年第三次聖帝戦争のルウアンの戦いで大敗北を喫したカーライル王朝・聖王国から、価値を落としたホバー戦闘艦2隻を同盟が入手して解析するまで待たねばならない。
都市同盟軍研究所よりの技術援助を得たガスリー造船は、その後は軍用陸上輸送艦を主軸に都市同盟軍よりの受注を続け、更にはその民生用モデルも広く販売する事で体力と技術を蓄える。
聖華暦700年代初頭には、この会社は陸上艦の船体だけではあっても都市同盟軍から建造を任されるほどになっている。都市同盟軍の機兵母艦中で幾種類かは、ガスリー造船が船体を建造し、都市同盟軍軍工廠で艤装工事を行うと言う形で建艦された物だ。
聖華暦700年代初頭には、この会社は陸上艦の船体だけではあっても都市同盟軍から建造を任されるほどになっている。都市同盟軍の機兵母艦中で幾種類かは、ガスリー造船が船体を建造し、都市同盟軍軍工廠で艤装工事を行うと言う形で建艦された物だ。