アグネスタキオン(競走馬)

登録日:2011/11/21(月) 18:05:31
更新日:2025/01/26 Sun 02:23:14
所要時間:約 5 分で読めます






2001年、皐月賞。
その馬は、わずか四度の戦いで神話になった。
異次元から現れ、瞬く間に駆け抜けていった。
ライバル達を絶望させ、見る者の目を眩ませる、“超光速の粒子”。
その馬の名は…

――2012年皐月賞CMより


アグネスタキオン(Agnes Tachyon)は、日本競走馬・種牡馬。
その名に冠した「超光速の粒子」タキオンのごとくターフを駆けた至高の優駿にして、その真価を発揮することなく消えていった未完の大器である。


◆名馬を見抜け


さて、今回はちょっと趣向を変え、小粋なクイズから話を転がすこととする。

あなたは競馬に関する記憶を消され、2000年5月28日の日本に送り込まれてしまった。
到着早々で恐縮だが、ここに1998年生まれのサラブレッドのリストを用意してある。
この中から来年のダービーを勝つ馬をズバリ当ててくれ!

……お前はいったい何を言っているんだとお思いだろうが、座興と思ってしばらくお付き合いいただきたい。

信頼と実績の競馬情報サービスサイト「netkeiba」によると、2001年クラシック世代―――すなわち1998年生まれのサラブレッドは10655頭登録されている。
この中の1頭がダービー馬となり、世代の頂点たる栄光を掴むわけである。
さあ、それでは気合を入れて馬産地に乗り込み、1頭1頭馬体を見定めて評価を……できるわけないね、うん。

皆さんもご存じかとは思うが、お馬さんの競走能力を目で見て判断することはとんでもなく難しい。
パドックの確認ひとつで馬券が当たるのなら、それこそ誰も苦労はしていないわけである。
日々馬に接している生産者の方々でさえ、走る馬を確実に見抜くなんて芸当は無理なのだ。
仮にあなたが1998年生まれのサラブレッドすべてを実際に検分するチャンスを得られたとしても、その中からダービー馬を選び出すことはまず不可能。
となれば別の手段……すなわち、データをもって馬を絞っていくほかない。

競馬におけるデータ、それは血統
ここからはこの世代の競走馬の血統に目を向け、ダービー馬の候補を抽出していく。

競走馬の血統を評価するうえで、まず目が向くのはやはり父馬の名前である。
ここはやはり日本競馬史上最強の種牡馬、サンデーサイレンスの仔をチョイスすべきだろう。
データで見ても、1998年から2000年までの直近3年間はすべてサンデーサイレンスの仔がダービーを制している。抽出フィルタとしては上々である。
netkeibaによると、1998年生まれのサンデーサイレンス産駒は158頭。うち牡馬は76頭(騙馬含む)。
いきなり100頭を切るところまで絞れてしまった!幸先いいな!

さて、続いては母馬の方である。
この世界、種牡馬の良し悪しはともかく、「アタリの繁殖牝馬」は確実にいるとよく言われる。
どんな種牡馬をつけても良い仔を出す繁殖は実際におり、代々に渡って良い仔を出し続ける名牝系も世界各国に存在している。
走った馬の下―――すなわち、すでに中央芝重賞の勝ち馬を出している繁殖牝馬の仔をチョイスすれば、競走馬として優秀な能力を持っている可能性は高いものと考えられる。
上記の76頭から全手動で抽出を行った結果を以下に示す。

父馬 母馬 主なきょうだい馬とその勝鞍
サンデーサイレンス エリザベスローズ フサイチゼノン(2000年弥生賞)
サンデーサイレンス アグネスフローラ アグネスフライト(2000年日本ダービー)
サンデーサイレンス バブルプロスペクター マニックサンデー(2000年4歳牝馬特別)
サンデーサイレンス トウカイナチュラル トウカイテイオー(1991年日本ダービー他)
サンデーサイレンス バレークイーン フサイチコンコルド(1996年日本ダービー)
サンデーサイレンス レールデュタン メジロブライト(1998年天皇賞春)
サンデーサイレンス ローザネイ ロサード(1999年京阪杯)
サンデーサイレンス レガシーオブストレングス スティンガー(1998年阪神3歳牝馬S)

……この条件で8頭も残ってしまったわけだが、きょうだいの勝鞍をGⅠに絞っても5頭、ダービーのみに絞ってもまだ3頭いる。
ぶっちゃけてしまえば、2000年5月28日以降に重賞を勝ったきょうだいがいる馬があと2頭存在する。そしてそのうちの1頭はこのあとガッツリ話に絡んでくる
これではまだ絞り込みが足りない。かくなる上は3つめの抽出フィルタ―――母馬の競走実績を加味するしかあるまい。

競走馬の血統を見るとき、多くのファンは父馬の方に注目する。
しかし実際の遺伝においてはむしろ母馬の影響の方が大きいとの研究報告があり、上述した「アタリの繁殖牝馬」なる概念にも合致する。
つまるところ、母馬が中央競馬の大レースを勝っている馬をチョイスすれば、高い才能を受け継いでいる可能性は高いものと考えられる。
名牝の仔はだいたい看板倒れだろって?ハハッそんなバカな

上記8頭の中で、母馬が中央競馬の芝重賞を勝っている馬は2頭
そして、母馬が中央競馬の芝GⅠレースを勝っている馬は1頭
10655頭の頂点に立つに相応しいバックグラウンドを持った馬が、今ここに浮かび上がった。

アグネスフローラの1998。
サンデーサイレンス、母アグネスフローラ、母父ロイヤルスキー。
母馬は1990年の桜花賞を制した名牝であり、彼と同じ配合で生まれた兄馬アグネスフライト2000年の日本ダービーを制している。
2001年の日本ダービーを制する馬として、彼以上の候補は存在しないと断言できよう。



……ここまで読んで、賢明なる皆様はこう思ったことだろう。「これが当たるなら苦労はねえよ」と。
とりあえずサンデー産駒というのが安直だし? 走った馬の下という発想も陳腐だし? そもそも名牝の仔なんてだいたい走らねえもんだろと。
まあ実際その通りである。この程度の理屈でダービー馬が当てられるなら、それこそ馬券で蔵が建てられる。
パドック派の皆様におかれましては、データばかり見てないで馬を見ろよと言いたくもなったことであろう。

前置きがだいぶ長くなってしまった。
次項からは答え合わせも兼ねて、アグネスフローラの1998、そして他の7頭+αの馬生を追っていくこととしたい。

◆夢と意地


2000年5月28日、東京競馬場。
この日のメインレースとして、「競馬の祭典」―――第67回日本ダービーが執り行われた。

1番人気は「天才」武豊の駆る皐月賞馬、エアシャカール。
武豊は1998年のスペシャルウィーク、1999年のアドマイヤベガとダービー連覇を達成しており、クラシック二冠とともにダービー三連覇を賭けての出走となった。
2番人気は落馬事故から復帰した苦労人、高橋亮の駆るダイタクリーヴァ。
皐月賞では1番人気に推されたものの、エアシャカールにクビ差屈し涙を呑んでいる。それでも乗り替わりとはならず、必勝を期してのダービー挑戦となった。
3番人気は「河内のオッサン」河内洋の駆る良血馬、アグネスフライト。
河内はメジロラモーヌでの牝馬三冠をはじめ多数の栄冠を手にしてきたが、日本ダービーのタイトルにはここまで縁がなかった。
なにより、武豊はかつて河内が所属していた武田作十郎厩舎の後輩、つまるところ弟弟子である。ダービー三連覇など許せるわけもない。
府中快晴の空のもと、夢の舞台が幕を上げた。

先行勢がレースを引っ張り、前半1000mは59.2秒のハイペース。
しかしそこからペースが緩み、後方の追い込み勢が無理なく先団に取り付ける流れとなった。
先に動いたのはエアシャカール。4角手前で早くも位置を上げ、直線前を阻む者のない大外に出す。
武豊の鞭が一閃し、皐月賞馬のギアがトップに入る。内でもがくライバルたちをあっという間にかわし、堂々の先頭に立つ。だが―――

アグネス! 河内の夢も飛んできている!!!

エアシャカールをマークして仕掛け、直線大外から進出。
両親譲りの豪脚を余すところなく開放し、前を征く皐月賞馬を猛追する。
関係者の、ファンの、そして騎手の夢を背負った栗毛の馬体―――アグネスフライトが、残り50mでついにエアシャカールを捉えた。
しかし、武豊も譲らない。外にヨレるエアシャカールを必死に矯正し、兄弟子の前に出んと意地を見せる。
激しい叩き合い。残り30m。
2頭は最後まで勝利を譲ることなく、馬体を揃えてゴール板を通過した。


河内の夢か!? 豊の意地か!?
どっちだーーーー!!!
────三宅正治(フジテレビアナウンス室)


写真判定の結果―――勝者は河内のアグネスフライト。決め手は僅かにハナ差7cm。
河内は17回目の挑戦にして初のダービー制覇。
夢と意地のぶつかり合った名勝負にファンは酔いしれ、両者に惜しみない賞賛を贈ったのだった。




同じ頃、アグネスフライトの故郷、北海道千歳・社台ファーム。
アグネスフライトの1歳下の弟が評判になっていた。



「兄以上の逸材かもしれない」



そう言った者までいた。



そして、それが真実だと証明されるのに1年もかからなかった。


◆超光速の粒子


アグネスフローラの1998は母馬と同じ馬主、「アグネス」の冠名で知られる渡辺孝男氏の所有となり、アグネスタキオンの名を与えられた。
序文で触れたとおり、タキオンは物理学における「超光速の粒子」である。速さを競う競走馬の名前として、これ以上のものはないとさえ言えるだろう。
また、前述したうちの1頭―――エリザベスローズの1998も渡辺氏の所有となり、アグネスゴールドの名を与えられた。
ついでというわけでもないが、他の6頭もセットで競走馬としての名前を記載してしまうこととしたい。

父馬 母馬 主なきょうだい馬とその勝鞍 馬名
サンデーサイレンス エリザベスローズ フサイチゼノン(2000年弥生賞) アグネスゴールド
サンデーサイレンス アグネスフローラ アグネスフライト(2000年日本ダービー) アグネスタキオン
サンデーサイレンス バブルプロスペクター マニックサンデー(2000年4歳牝馬特別) ウインシュナイト
サンデーサイレンス トウカイナチュラル トウカイテイオー(1991年日本ダービー他) トウカイビクトリー
サンデーサイレンス バレークイーン フサイチコンコルド(1996年日本ダービー) ボーンキング
サンデーサイレンス レールデュタン メジロブライト(1998年天皇賞春) メジロベイリー
サンデーサイレンス ローザネイ ロサード(1999年京阪杯) ロゼノアール
サンデーサイレンス レガシーオブストレングス スティンガー(1998年阪神3歳牝馬S) ブロンクス

アグネスタキオンは2000年12月2日、阪神6Rの新馬戦でデビュー。
手綱を任されたのは兄馬の相棒にしてダービージョッキー、河内洋。
ここには前述したうちの1頭、ボーンキングに加え、牝馬にして南関東三冠を達成した名牝ロジータの仔、リブロードキャストも出走してきていた。
煌めくような良血が揃ったこのレース、アグネスタキオンはリブロードキャストに3馬身半もの差をつけて勝利する。
前半は中盤で脚を溜め、半分を過ぎた辺りから徐々に進出。そして、先頭を交わしたと同時に突き放す。
新馬らしさのカケラもない完璧なレースぶりはファンを驚嘆させ、早くもその名を競馬界に轟かせることとなった。

次走は重賞「ラジオたんぱ杯3歳S(現ラジオNIKKEI杯→ホープフルステークス)」
前走同条件をレコード勝ちした外国産馬のクロフネ、トニービン産駒の期待馬ジャングルポケットを相手に、
アグネスタキオンは新馬戦同様の完璧なレースを展開。
クロフネの時計をさらに0.4秒上回るレコードタイムを叩き出し、並み居るライバルたちを完封する。
手綱を取った河内も「次元の違う馬だと思った」と太鼓判を押す文句無しの内容で、一気にクラシック最有力候補へとのし上がった。
このレースの内容が評価されてか、この年の最優秀3歳牡馬の投票では119票という異例の支持を獲得。
最終的にはGI朝日杯3歳S(現朝日杯FS)勝ち馬のメジロベイリー(147票)が選出されたものの、関係者に与えた衝撃のほどが伺える話である。

明けて2001年。
陣営は同厩のきさらぎ賞勝ち馬アグネスゴールドとの兼ね合い(こちらも河内が主戦だった)を考慮し、GⅡ弥生賞を初戦に選択。
ここには新馬戦で当たった京成杯勝ち馬ボーンキングに加え、+αの1頭―――この秋のオールカマーを勝つことになるエアスマップの半弟、マンハッタンカフェが出走してきていた。
土砂降りの不良馬場の中、アグネスタキオンはライバルたちを全く寄せ付けず完勝。2着ボーンキングとの差は実に5馬身。
河内は「良馬場ならもっと強い競馬をお見せできただろう」「今日は少頭数だから参考にならない」と強気のコメントを連発し、
ボーンキングに騎乗していた武豊が「強すぎるね、クラシックもハンデ戦にしなきゃ」と冗談交じりに返す一幕もあった。

迎えたクラシック一冠目、GⅠ皐月賞。
アグネスゴールドも無敗でここまで駒を進めてきており、河内がどちらを選択するのかという点にも注目が集まっていたのだが……そうした問題は意外な形で決着する。

アグネスゴールド、右前脚を骨折。
アグネスタキオンは僚馬の無念もその身に背負い、皐月賞に挑むこととなったのである。

当日の単勝オッズは堂々の1.3倍、単勝支持率は「幻の馬」トキノミノルに次ぐ2位(当時)の59.4%。
もはや勝利は当然、問題はどう勝つかだけといった雰囲気の中、アグネスタキオンは先行策からあっさりと抜け出し先頭に立つ。
ダンツフレームとジャングルポケットの追撃を抑え、最後は1馬身半の差をつけて勝利。あっさりと、危なげなく、当然のように皐月賞を制した。

アグネスタキオンの祖母であるアグネスレディーはオークスを、そして母のアグネスフローラは桜花賞を制している。
前年のアグネスフライトに続き、母仔三代によるクラシック競走制覇が成し遂げられた。
これは日本競馬史上でも唯一の記録であり、並ぶもののない金字塔として今も讃えられている。

ここまでの勝ちっぷりから、世間はアグネスタキオンにクラシック三冠を期待し始める。
……しかし、無敗のクラシック二冠、そして兄弟制覇のかかった日本ダービーの25日前。
アグネスタキオンの脚を残酷な運命が襲った。

左前浅屈腱炎を発症。全治6ヶ月。
アグネスタキオンはダービー出走を断念し、そのまま放牧に出されることとなった。
皐月賞の後、長浜調教師は「嬉しいけど、骨折したアグネスゴールドみたいにならないか気になる」と漏らしていたのだが……
そうした不安は最悪の形で現実となってしまった。

実のところ、アグネスレディーの牝系は2つの特徴でその名を馳せていた。
ひとつは競走馬としての類稀なる才能、そしてもうひとつは脚元の弱さである。
並ぶもののなき速さを誇ったアグネスタキオンも、自らの背負った「血の宿痾」からは逃れることができなかったのだ。

2001年8月29日。
アグネスタキオンはついにターフへの帰還を果たせず、競走生活から引退・種牡馬入りすることが決まった。
通算戦績は4戦4勝。獲得賞金2億2208万2000円。

三冠は幻に終わったのである。

◆最強世代


当項目の序文において、アグネスタキオンは「神話になった」と讃えられている。
実のところ、この言葉は彼自身のパフォーマンスにのみ由来するものではない。
彼の打ち負かしたライバルたちが大活躍し、並み居る古馬たちを叩きのめしてみせたのである。

アグネスタキオンの出走が叶わなかった2001年の日本ダービー。
勝ったのは皐月賞で下したトニービン産駒、ジャングルポケットである。初っ端から外してんじゃねーか!
ジャングルポケットは菊花賞4着の後ジャパンカップに乗り込み、「世紀末覇王」テイエムオペラオーを下して勝利。
長らく続いたテイエム王朝を終焉させ、この年の年度代表馬に輝いた。

菊花賞を勝ったのは弥生賞で下したマンハッタンカフェ。
マンハッタンカフェは年末の有馬記念と年明けの天皇賞(春)を立て続けに制し、凱旋門賞への遠征も果たした。結果は聞くな

ラジオたんぱ杯3歳Sで負かしたクロフネはGⅠNHKマイルカップを制し、日本ダービーでも5着と好走。
秋は白井最強が最強すぎたためダート路線に転じ、圧倒的な強さでGⅠジャパンカップダートを制した。
その勝ちっぷりからアメリカダートGⅠの勝利も期待されたのだが……右前浅屈腱炎を発症し無念の引退。
だから松国ローテはいかんのだ……

彼ら残されたライバルたちの活躍とともに、アグネスタキオンの評価は上がり続けた。
クラシックイヤーの時点で古馬を圧倒したことにより、この世代を「最強世代」とする声もあがった。
但しクラシック路線組は有力馬が相次いで故障していった事で、古馬になって以降の芝王道路線では短距離・ダート路線組の覚醒と入れ替わるように苦戦していったのだが…

最後に、前述した8頭の残りについても簡単に触れておく。

アグネスゴールドは骨折から復帰するも、今度は右前浅屈腱炎を発症してしまい無念の引退。
引退後は種牡馬として輸出され、ブラジルで大成功を収めるというまさかの結果を残した。
サンデーサイレンスの血を南米に広めた立役者であり、この世代においても上澄みの成功者といえるだろう。

ボーンキングは皐月賞以後勝利に見放され、2005年の年末をもって引退。
血統を見込まれ種牡馬入りを果たしたが、活躍馬を出すことはできずフランスに輸出された。
現地では2018年まで供用されたとの話で、こちらも成功した部類といってよいだろう。

メジロベイリーは朝日杯の後に脚部不安を発症し、2001年は結局全休。
2002年には屈腱炎を発症してしまい、引退を余儀なくされた。
種牡馬としては成功できなかったが、最終的には功労馬繋養展示事業の対象となって余生をまっとうしている。
父系こそ繋げなかったが、馬としては十分すぎるほどに勝ち組である。

ウインシュナイトはオープン勝ち。ロゼノアールは中央2勝。
残り2頭は中央で勝利をあげることはできず、地方へ転出している。
8頭中6頭が勝ち上がり、うち重賞勝ち馬が4頭、GⅠ勝ち馬が2頭ということで、考え方としてはまあまあいい線いってたと言えるのではないだろうか?

まあ結局のところ、ダービー馬を当てることはできなかったわけである。初っ端からもう違ってたしな
しかしこの年のダービーをジャングルポケットが制した際、とある解説者が「2馬身先にアグネスタキオンの姿が見えた」と漏らしたことはよく知られている。
もしアグネスタキオンが無事にダービーに出られていたら、果たして結果はどうなっていただろうか?
幻の三冠は、現実の三冠となりえたのだろうか?

◆種牡馬入り後


アグネスタキオンは社台スタリオンステーションにて種牡馬入りし、その血を伝えていく役目を担うこととなった。
アグネスタキオンが卓越した才能を持ち、競走馬として優れた実績を残したことは確かである。
しかし、それも3歳春までのこと。早いうちに活躍し、その後急激にパフォーマンスを落としてしまう「早熟馬」だって別段珍しくはない。
何より、アグネスタキオンは芝2000mでしか走っていない。ゆえに種牡馬・アグネスタキオンの資質を疑う人間もそこそこ多かった。

しかし、アグネスタキオンは種牡馬としても大成功する。
初年度産駒のロジックがGINHKマイルカップを制すと、翌年にはキャプテントゥーレが皐月賞を勝って親子での制覇を達成。
ディープスカイはNHKマイルカップ・日本ダービーの変則二冠を達成し、父の果たせなかったダービー制覇を成し遂げた。
更には2007年から2008年にかけてダイワスカーレットが桜花賞・秋華賞・エリザベス女王杯・有馬記念を制しGI4勝。
GI7勝で顕彰馬となった名牝ウオッカの最大のライバルとして、競馬界を大いに盛り上げてみせた。

種牡馬としては「クズを出さない」のが特徴で、一度も勝てずに終わる馬が少ない。
牡馬・牝馬の偏りもなく、芝もダートも両方対応可能。
基本的には早熟で早くから勝ち上がれるし、ディープスカイやダイワスカーレットのように中長距離で長いこと一線を張る産駒も出している。
アグネスタキオン自身がパワーとスピードを兼ね備えた馬であり、それを非常によく伝えていると言ってよいだろう。

だが、彼の弱点もまた色濃く引き継がれている。



虚弱体質



アグネスタキオン産駒唯一にして、最大の問題である。


キャプテントゥーレやディープスカイ、ダイワスカーレットを始め、重賞レースに名を連ねるレベルの馬はことごとく怪我や病気に見舞われた。
2000年代後半においては、だいたいの世代でクラシック候補と呼ばれるアグネスタキオン産駒がいたのだが、多くの馬が脚部に異常を発生させたのである。

例を挙げるとレーヴディソール、リディル、リルダヴァル。

レーヴディソールは無敗で2歳GIを制覇、桜花賞前哨戦「チューリップ賞」まで4連勝で進んだが本番前に骨折。
リルダヴァルは2戦目までのパフォーマンスからクラシックの有力候補だったが、やはり骨折。復帰後は勝てずにまた骨折。
リディルも2歳重賞を勝ち期待されたが骨折。こちらは復活後に重賞を勝っているが……。

アグネスレディー牝系の特徴である、致命的なまでの脚元の弱さ。
アグネスタキオンは自らの良い点だけでなく、悪いところもそのまんま自らの仔に伝えてしまったのであった。

余談であるが、レーヴディソールの母であるレーヴドスカーもアグネスタキオンとまったく同じ傾向を持つ繁殖牝馬として有名だった。まさしく狂気の配合である。
マイナスとマイナスをかけたらプラスになる理論ですねわかります

脚元の問題こそ大きかったものの、種牡馬・アグネスタキオンの活躍は目覚ましかった。
2008年には長きに渡りサンデーサイレンスが守ってきたリーディングサイアーの座を奪取。
内国産種牡馬としては1957年のクモハタ以来実に51年ぶりとなる快挙であった。
後は自身の産駒が菊花賞を勝ち、果たせなかった三冠を父として達成できるかどうかが注目されていたのだが……




競馬の神様は、彼に繁殖生活すらまともに送らせなかった。




2009年6月22日。
アグネスタキオンは急性心不全を発症し、種牡馬としても未知の部分を残したままこの世を去った。

ラストクロップとなった2010年産駒からは、マイラーズカップ勝ち馬レッドアリオン、エルムS勝ち馬ジェベルムーサを輩出。
産駒全世代での重賞制覇という大記録こそ作ったが、牡馬クラシックの残りひとつ・菊花賞を勝つ馬は遂に出すことができずに終わってしまった。
今後は孫世代以降の活躍、そして父系の発展に期待がかかるが、後継種牡馬の筆頭格と思われたディープスカイがどうにもうまくいかず種牡馬を引退。
キャプテントゥーレも後継を残せず、現状ではアドマイヤオーラの遺児であるアルクトス1頭にすべての期待がかかっている状況である。

“超光速の粒子”の血の行方は、果たして……?

◆超光速のダート馬?


引退後のアグネスタキオンは種牡馬として活躍し、ディープスカイやダイワスカーレットといった名馬を多数輩出したのだが、
孫世代はなぜかダートで活躍する馬が多いことで知られている。
実現はしなかったものの、ダイワスカーレットもドバイ遠征を目標とし、ダートG1フェブラリーステークスへの出走が予定されていた。

アグネスタキオンの母父であるロイヤルスキーはダート種牡馬として結果を残しており、その血が強く出たものと思われるが、
ゆえにアグネスタキオンについても「実は芝では能力の高さでごり押していただけで、本質的にはダート馬だったんじゃね?」との推測が一部で囁かれている*1

実際のアグネスタキオンは芝2000mでしか走っておらず、ダート戦の資質を裏付ける傍証も存在しない。
しかし、世界最強ダート馬決定戦であるブリーダーズカップ・クラシックとドバイワールドカップはいずれもダート2000mの条件である。
もし故障することなく秋を迎え、海外への遠征が実現していたならば、世界最強馬の称号さえ手にしていたかもしれない。
無限の可能性を持ちながら、能力を発揮することなく引退に追い込まれた悲運の馬であった。

◆創作作品での登場


ラジオたんば杯3歳ステークス勝利後初登場したが、「4歳でも頑張る」と発言したせいで兄アグネスフライトからちょっとした悪戯発言をされ、自身の無知や新世紀のレース体制をクロフネとの対話で教えられる事に*2
「良血」仲間の同父アグネスゴールドが思わぬ苦労によってきさらぎ賞勝利後荒んでしまった様子には困惑したが、弥生賞時には「皇帝」シンボリルドルフに次代の三冠を期待され、
皐月賞時は馬に祟る悪魔「ターフデビル」に呪われるも他の馬達に次々誤爆していった事で枠入り不良くらいで済んだが、直後故障した事で打倒クロフネも兼ねてジャングルポケットにダービーを託した。
また引退後息子ショウナンタキオンの新潟2歳ステークス出走前に姿を現し、母の死後知った皐月賞2着のダンツフレームの急逝に涙しその後自分の早期引退を息子にチクりとされつつその勝利に励まされ、
アドマイヤオーラの弥生賞時にはジャングルポケット・マンハッタンカフェと邂逅し内国産種牡馬の隆盛を喜んで調子に乗ってポケットを置き去りにしてカフェと共に「マル父マークに代わるS(サンデー系)マークを」なんて願った。
なおその他にもロジックのNHKマイルカップやダイワスカーレットの秋華賞後にも親として顔を見せている。ロジックの時はそのせいで産駒の中央G1完全制覇が泡と消えた父サンデーサイレンスが天国で愕然としていたが。

  • 『優駿劇場』
第61回皐月賞回に登場。
何故か占い師のコスプレをしたジャングルポケットに「皐月賞で屈腱炎を発症する」と占われるが、連戦連勝で調子に乗っていたタキオンには通じず、逆に「自分の3着に敗れる」という占いで反撃する。
そしてレース本番、まさに占いの通りのレース模様が繰り広げられる事になるが……。

史実で脚元が弱く早期引退に追い込まれたからか、肉体改造を極めようとするマッドサイエンティストキャラのウマ娘。
やはりというか史実の娘であるダイワスカーレットには超甘いが、それ以外にはマンハッタンカフェだろうが担当トレーナーだろうがお構いなしにいかにもヤバい実験を行おうとする。なんならトレーナーは緑色に光った
そのせいか、ギャグ二次創作での「オチ要員」「メインになっているキャラに避けられる人」さらには「光源やイルミネーションを用意してくれる人」としての出番が多い。うまよんではちゃんとカルミラポジ悪の博士キャラ貰ってたのに…
またアプリ版・劇場版『新時代の扉』では史実でのラジオたんば杯3歳ステークスが2017年にG1昇格した後継レース「ホープフルステークス」に差し替えられており、結果史実を元にした劇場版ではG1獲得数が増える事に…。

追記、修正は身体が弱い人がお願いします

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最終更新:2025年01月26日 02:23

*1 これ自体はありえない話ではなく、例えば同期のクロフネは当初出走予定のなかった武蔵野ステークスでレコード勝ちするまでダート馬としての資質に気付かれていなかった事で知られている。

*2 2001年から馬齢表記が変更されており、2000年までの「4歳」は「3歳」に変更された。