アグネスフライト(競走馬)

登録日:2024/07/11 Thu 16:00:48
更新日:2025/01/29 Wed 09:17:55
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きっと空を

僕は夢なんて見ない
あるのはただ確信だけだ

だから完璧に思えたプランが
崩れたとしても嘆かない
原因を究明して立て直し
次の機会にベストを尽くす
その姿勢こそが大切だ

そうこれは静かな戦いなのだ
僕にだって空を飛べると
立証するための戦いなのだ

───名馬の肖像 2022年 日本ダービー

アグネスフライト(Agnes Flight)は、日本の元競走馬、種牡馬。
偉大なる「アグネス一族」のため、関西の名手河内洋のため、ダービーを勝つために生まれてきた栗毛の貴公子である。

+ 目次

【データ】

性別:牡
毛色:栗毛
誕生:1997年3月2日
死没:2023年1月11日
享年:26歳
父:サンデーサイレンス
母:アグネスフローラ
母父:ロイヤルスキー
主戦騎手:河内洋(14戦中11回騎乗)
調教師:長浜博之(栗東)
馬主:渡辺孝男
生産者:社台ファーム
産地:北海道千歳市
獲得賞金:2億9919万3000円
通算成績:14戦4勝 [4-2-0-8]
主な勝鞍:2000年GⅠ 東京優駿(日本ダービー)、GⅢ京都新聞杯

【誕生】

1997年3月2日、社台ファームにて、アグネスフローラの4番仔・栗毛の牡馬が誕生した。父は97年3月までに産駒GⅠ勝利数10勝を記録していた日本最高の種牡馬サンデーサイレンスである。
祖母アグネスレディーは折手牧場の名牝イコマエイカンの仔である。1979年オークス馬であり、牡馬相手に重賞2勝した名馬である。生まれ故郷・折手牧場から社台ファームに移った10日後に事故死する悲しい最期を遂げている。

「母が勝てなかった桜花賞を獲りたい」という願いから生まれたのが、アグネスフライトの母アグネスフローラである。1990年に5戦無敗で桜花賞を制した名牝だが、レース中に故障しオークス2着後、骨折が立ち直らず繁殖牝馬となった。

母娘2代でクラシック優勝を成し遂げた一族は大きな問題を抱えていた。みな脚部不安を抱え、無事にデビューするのさえ難しいのである。きょうだいのアグネスセブンオーはデビューできず、アグネスセレーネーは1戦して引退、みな屈腱炎に苦しんでいた。

母の父ロイヤルスキーは安い種付け料で成功した名種牡馬。BMSとして武豊騎乗で仏国GⅠムーラン・ド・ロンシャン賞を優勝したスキーパラダイスや1999年に春秋マイル制覇を果たすエアジハードを輩出している。なお産駒には気性の荒さが目立つがロイヤルスキー自身は牧場見学者に人懐っこい性格だったと伝わる。

無事に誕生した栗毛の牡馬はすぐさま社台ファームで注目された。牧場代表・田辺滋久は「走るサンデー(サイレンス)の牡馬らしく、それほど大きいというわけではないのですが、無駄のない雰囲気を持っているという印象」と見立て、どうやら母父ロイヤルスキー譲りの温厚な馬だという。

一族のオーナー・渡辺孝男の耳にも4番仔の評判はすぐに入った。
全兄で長男のアグネスタカオーには渡辺自身の名をつけたが大成しなかった。今度こそアグネスフローラのいい仔に育って羽ばたいてくれ、そんな願いを込めて
渡辺が経営する印刷製版会社が発行する広報紙『飛翔』からフライト(flight)をとり、冠名「アグネス」と合わせて「アグネスフライト」と馬名登録したのであった。

なお「アグネス」は渡辺の長女がファンだった歌手アグネス・チャンから拝借し始まったものである。アグネスレディーの所有は元々子供たちのためだった。1700万円という当時としては高額馬だったアグネスレディーは、長浜師の父・彦三郎の軽い勧めで即決された。「まさか本当に買うとは思わなかった」と彦三郎は言うが、当時渡辺氏妻を亡くしたばかりで、残された2人の娘の幸せのために「子供たちと馬とで、楽しく暮らしていこう」という理由で馬主を始めたのだった。
1978年、初期馬アグネスホープは、4連勝で毎日杯を制し皐月賞6着・NHK杯10着後、12番人気で挑んだ日本ダービーでサクラショウリを半馬身追いつめる2着に健闘した。翌年にアグネスレディーがオークスを優勝したのもあって、これ以降、渡辺は「東京2400m」に対して強いこだわりを持つようになった。

【競走馬時代】

デビューまで

アグネスフライトが1歳8月に入厩したのは栗東・長浜博之厩舎である。母アグネスフローラを管理した人物で、1990年には関西・優秀調教師賞を受賞している。尚且つアグネスレディーを管理した長浜彦三郎の息子でもある。祖母・母を育てた大川鉄雄厩務員、三冠馬ナリタブライアンを破ったスターマンを鍛えた影山一馬調教助手*1に託され、慎重に調教されていった。
長浜師はアグネス一族を長い間見てきただけあって「この一族は脚が弱いので、仕上げには特に気をつけなければならない」そう覚悟していた。
その予想は的中してしまう。デビューに向けて力を入れていた10月に脚部不安を発症、2歳デビューは絶望的となり、長浜師は脚への負担が軽いプール調教でじっくりと育てるしかなかった。

この頃、社台ファームではとある馬が注目されていた。
気品あふれるアグネスフライト、ダービーオーナー・関口房朗期待大のフサイチゼノン、GⅠ期待の牝馬マニックサンデー…これらを抑えて「エアスクデット」という牡馬が一番注目されていた。
半姉エアデジャヴーはクイーンS優勝、桜花賞3着・オークス馬2着・秋華賞3着を記録しており、「エアスクデット」は姉以上のスピードと加速力、4本脚のままでジャンプする元気はクラシック確実だろうと見られた。だが、最も注目されたのはサンデーサイレンス産駒らしい気性の悪さだった。調教助手たちがくじ引きで担当決めするような最悪の気性難はたちまち噂になった。
エアシャカール」に馬名変更され10月末にデビューした。…ところが5着だった。日本ダービー連覇の武豊が騎乗し、レース後「今はまだ全然足りないけれど、クラシックには乗ってくるでしょう」と語った。…これはあまりいい意味ではなかった。
武豊はスペシャルウィークアドマイヤベガの時は「ダービーを意識」「クラシックを狙える」と語っており、エアシャカールは彼らほどではないと示唆したのだ。

アグネスフライト陣営が必死にケアしていた12月、エアシャカールはOPホープフルSをクビ差で勝利、「完成度ではスペシャルウィーク、アドマイヤベガに劣るけれど、将来性では負けない」と武豊に言わさせるまでに成長していた。

なお、2歳時に最もクラシックに近いと騒がれたのは凱旋門賞馬の仔カーネギーダイアンであった。新馬戦で良血サマーベイブ*2を破ると黄菊賞で上がり34.9の末脚で圧勝*3、ナリタブライアンの驚異的レコード*4を0.3秒縮める1分47秒5という好タイムであり注目されたが、アグネスフライト同様脚が悪く長期休養に入っている。

アグネスフライトは2000年2月6日、京都競馬場の新馬戦でデビューを果した。
鞍上は祖母・母の手綱を握った河内洋、新馬戦の1週間前に長浜師より声がかかった。

デビュー

河内洋

体重制限に苦労しながら3度の受験を経て1974年に中央競馬でデビュー、デビュー戦で初騎乗・初勝利を挙げると関西新人賞を受賞した。1980年には全国リーディングジョッキーを受賞し、生涯で3度リーディングに輝き、騎手会長にもなった*5
「ターフの魔術師」武邦彦を兄弟子に持ち、6年目の1979年にはアグネスレディーでオークスを制し八大競走初制覇、アグネスレディーはこの年1勝だったが勝ち方が評価され、最優秀4歳牝馬に選出された。
上に福永洋一・下に田原成貴という二人の天才に挟まれながら卓越したコース取り・美しい騎乗フォームが評価され、特に牝馬の扱いはトップクラスであり『牝馬の河内』と呼ばれた。
河内洋は史上初の三冠牝馬メジロラモーヌ、短距離の名牝ダイイチルビーニシノフラワーを操る中で、武邦彦から学んだ先行策だけでなく、切れ味を活かす騎乗も磨いた。
ハシハーミットで菊花賞、カツラノハイセイコ・メジロブライトで天皇賞・春、レガシーワールドでジャパンカップ、ヒカリデユールで有馬記念を制して八大競走での強さを見せた。桜花賞はアグネスフローラを含め4勝、マイルの皇帝ニホンピロウイナーなど短距離でも圧倒的成績を残し、ミッドナイトベットで香港国際競走優勝と関西一の騎手となっていた。

そんな河内でさえ縁のないレースがあった。東京優駿・日本ダービーである。
1979年、アグネスレディーでオークス優勝直後にトウホクハヤテでダービー初騎乗するが25着/26頭という結果。81年に2度目の挑戦はアストロコマンダーで23着/27頭だった。
翌年3番人気ロングヒエンで挑むもゲートで突進して外枠発走の15着、87年に久々騎乗するがマイラーのホクトヘリオスでは13着、翌年サッカーボーイで1番人気に支持されたがまともに走れる状態ではなかったため15着。続くロングシンホニーで連続1番人気になるが5着だった。
90年メルシーアトラ5番人気11着、91年イイデサターン12番人気12着、92年ヤマニンミラクル9番人気10着、93年ラリーキャップ13番人気16着、94年マルカオーカン16番人気7着、97年ショウナンナンバー12番人気13着と掲示板すら届かず。
98年には14番人気ボールドエンペラーで猛然と追い込むも2着、5馬身前にスペシャルウィーク鞍上は兄弟子・武邦彦の息子で河内洋にとって弟弟子の武豊であった。
99年ニシノセイリュウ9番人気11着…天才と言われた福永洋一・田原成貴はダービー未勝利のまま引退し、弟弟子・武豊に先を越され、ここまで16戦未勝利、45歳とそろそろ引退してもおかしくない年齢であった。「ダービーには良い思い出がありませんでした」と後年コメントしている。

思えばアイネスフウジン20万人からの中野コール、ウイニングチケット柴田政人の悲願、夢を掴んだ武豊…様々なドラマを見てきた河内洋にとって、自身が手掛けた一族の貴公子の騎乗は願ってもないチャンスだった。
アグネスフローラを「岡部さんにとってのシンボリルドルフのような存在」と語り、「いつか、フローラの子でフローラよりもっと大きな仕事をしたい」と願った河内洋はついにアグネスフライトに騎乗する。

しかし…「まだ仕上がりきっていないかな。動きがちょっと重い」という感触は現実のものとなった。
2番人気ながらスタートからなかなか進まず、最後方の競馬に。「レディーやフローラはシャッといくタイプだったから、フライトもレースになれば少しはいけると思っていた」河内はやや期待はずれに思ったのかもしれない。
しかし、アグネスフライトは非凡な馬であった。第3コーナーを11番手で回ったアグネスフライトは一気に加速し河内と周りを驚かせる。
良馬場とはいえ雨の影響で湿っていた競馬場、上り35.9最速の強烈なまくりで後続を4馬身突き放し見事に勝利したのだ。
河内は「外に持ち出してからは、エンジンが違ったねこれからが楽しみな馬だね」と喜び、長浜師は、渡辺オーナーに「ひょっとしたら、こいつは怪物になるかもしれません」と興奮気味に報告、牧場での評判通りに活躍すると思われた。

皐月賞トライアル・報知杯弥生賞には評判馬エアシャカール・フサイチゼノンやマイネルビンテージ・ラガーレグルス・ジョウテンブレーヴ重賞級、後の中山グランドジャンプ勝ち馬ブランディス、トウカイテイオー産駒期待のチタニックオーとハイレベルな馬が揃っていた。
スプリングSも同様で期待のフジキセキ産駒ダイタクリーヴァ、2歳時最注目のカーネギーダイアン、重賞級には ヤマニンリスペクト・ミデオンビット・エリモブライアン・トッププロテクター、帝王賞・川崎記念を制することになるカネツフルーヴが揃っていた。

アグネスフライト陣営は「皐月賞になんとか間に合わせたい」ということで手薄なOP若葉Sに出走することとした。
1番人気は怪我から復帰した2戦2勝ヒダカサイレンス、エリカ賞で後の京成杯勝ちマイネルビンテージ・地方名馬ミツアキサイレンスを破ったことが評価されていた。
とはいえ他にはゆりかもめ賞快勝のモリスガタほどで2番人気として勝算があった。
しかし…当日アグネスフライトはマイナス22kgの上、何が気に入らないのかイライラしていた。精神的には幼く血統的な勝気な性格が悪い方向に出てしまう。
河内は強気の騎乗を見せたが、終始機嫌が悪く後方のまま末脚不発で12着惨敗、11番人気クリノキングオー・9番人気タイムリートピックの決着で馬連3万馬券という大波乱だった。
河内は「これは、時間がかかるかもしれないな・・・と思った」と落胆し、陣営は皐月賞を断念せざるを得なかった。
大川厩務員は河内に「気合をつけるような騎乗をすると掛かってしまう」という弱点を言い忘れていたという。

「残念皐月賞」ことOP若草Sに出走したが「底が見えた」という評価から、前走で撃沈したヒダカサイレンス・河内が手綱を取ったレガシーワールドの半弟レガシーアンサーに続く3番人気に。
河内はアグネスフライトのいくままに、フライト自身がやる気を出すまで待つ競馬に切り替えた。3コーナーで動かず「直線に入った時、すぐに反応しなかった」と肝を冷やす河内をよそに、阪神の短い直線で末脚を爆発させジンワラベウタに半馬身差をつけ優勝。
ヒダカサイレンスはここでも振るわず生涯未勝利のまま、レガシーアンサーはあまり出世せずに終わった。なお、3着スターリングローズは後にJBCスプリントな等重賞6勝、5着タップダンスシチーはジャパンC・宝塚記念を優勝するという、歴史的名馬が後方にいたのだった。

肝心の皐月賞は1番人気ダイタクリーヴァを2番人気エアシャカールが差し切り優勝。3着に13番人気チタニックオーが突っ込み、3番人気ラガーレグルス競走中止という波乱もあった。前者は脚の爆弾により高知へと行き、後者は悪質なファンにより競走馬として活躍できずに消えていった。弥生賞勝ちフサイチゼノンは皐月賞を回避し陣営のいざこざに巻き込まれた。この辺りが2000年クラシック世代の内国産組の運命を表しているように後年思うことになる。

河内は「ラクではないけれど、意外性を感じさせる勝ち方」といいつつも後方一気しかできない現状、賞金不足が否めない状況は楽観視できず、脚のコンディションを見ながらも日本ダービーのためには無理しなければならなかった。

ダービー向きと思っていたこの馬で、皐月賞が獲れました。こうなると、当然もっと大きなところも視野に入ってきますね」と河内の弟弟子・武豊は語った。管理する森調教師は青葉賞からダービーを目指そうとしていた馬での勝利は「予想外」だったという。
スペシャルウィーク・アドマイヤベガで連覇した次は前人未到の日本ダービー3連覇、そして英国のキングジョージ6世&クイーンエリザベスダイヤモンドS遠征を予告する。
名馬スペシャルウィークが成し遂げられなかったことをエアシャカールに託すまでに、河内とアグネスフライトにとって大きな存在となっていた。

ダービーのためGⅢ京都新聞杯へ出走した。1番人気は武豊騎乗で前走・皐月賞を11番人気5着に入った後の函館記念勝ち馬ヤマニンリスペクトである。覚醒まで時間のかかるタップダンスシチー・カネツフルーヴもいた*6
「2着でもいい」と言う渡辺オーナーに対し長浜師は「2着なら、ダービーでは用はありません」と厳しい発言をしている。「エアシャカールは強い。あの馬にはかなわないかもしれない」、ダービー優勝を現実のものとするためかなりの熱意があった。
河内はひたすらアグネスフライトに任せ、最後方の競馬で第4コーナーへ。後ろから3頭目の位置から異次元の末脚で先行馬を撫で切り、11番人気マルカミラーに3馬身差つけて圧勝、上り34.5という頼もしい切れ味を見せ、ダービーへの切符を手にした*7

年が経つとともに、ダービーに勝ちたいという気持ちが強くなってきた」「ダービーを勝てたら騎手を辞めてもエエ、いうのは別に政人さんだけやない。自分も辞めてもエエと思ってるんやけどね」こうつぶやくようになった河内は45歳になっていた。デビュー24年目・通算19回目の44歳で悲願のダービー制覇を果たした柴田政人の背中とその後を見ていた河内は、「これがラストチャンスかもしれない」と、自分に残された騎手生活が長くないことを分かっていた。

ダービーフェスティバルにおいて自身の想いをあらわにした。「良馬場でやりたいね。あとは、運が回ってくれば、だろうな・・・」
「思い出のダービーは?」との質問に「今年のダービーを思い出にしたい」と答えた後、独占インタビューの申し込みをすべて断り、前日の中京競馬場での騎乗を諦めて東京競馬場で数回騎乗をし、集中力を高め、ダービーの日に備えていた

第67回東京優駿・日本ダービー

1番人気は単勝2.0倍断トツの皐月賞馬エアシャカール、2番人気は4.8倍の皐月賞2着に馬ダイタクリーヴァ、アグネスフライトは5.1倍の3番人気、4番人気は7.8倍・青葉賞を勝ち復調をアピールしたカーネギーダイアン。サラブレッドクラブ・ラフィアは3頭出しであった。
エアシャカールの入れ込みの激しさに却って安心感を覚え、冷静に偉業を見据える武豊、父フジキセキの果たせなかったクラシックの夢を見つめるダイタクリーヴァとルーキー・高橋亮、そこを見せず数多の夢を託されたアグネスフライトと河内洋…18頭18人は熱く燃えていた。

河内は、長浜厩舎のスタッフたちによって渾身の仕上げをかけられたアグネスフライトの万全の仕上がりを確認すると大変満足し「いい勝負ができる」と確信した。
長浜師は「これは河内のダービーだ、好きに乗ってこい!」そう送り出したのだった。

アグネスレディー、アグネスフローラの手綱を取った河内洋、17度目の夢を掴むかアグネスフライト
そして、夢は日本最強から世界最強へ、二冠を目指すエアシャカールと史上初のダービー3連覇へ、武豊
本馬場入場は少しチャカつき、発汗もあったが最早問題はない。ただ後方での競馬に徹するだけだった。

エアシャカールを意識しすぎて、アグネスフライトのよさを消してしまっては何にもならない」と、とにかく末脚の温存を河内は考えていたのだが…アグネスフライトはデビュー以来最高のスタートを切ってしまった
よりにもよって、こんな時に出るなよ…」と、まともなスタートを切る可能性などまったく想定していなかった河内は「このまま行かれたら、困るな・・・」と思いつつもアグネスレディー・アグネスフローラで磨き上げてきた折り合い技術でアグネスフライトをそっと下げて、スタート後間もなく息を入れ、かかることもなく馬群の最高峰につけた。

一方、後方策を狙っていたエアシャカール・武豊にも思いがけない出来事が起きていた。
前走・皐月賞で逃げたパープルエビスの逃げに絡むように、マイネルブラウ・タニノソルクバードが先手争いに加わり、ハイペースに。アグネスフライト・ダイタクリーヴァら人気馬が揃って後方待機となったため、その他の馬たちは容易に深追いできず、馬群は縦長に広がってしまった。
圧倒的1番人気の動きでレースが一転することなど競馬ファンの目にもわかっており、「エアシャカールと豊は、いつ動くのか」というプレッシャーが東京競馬場に漂っていた。
残り800mから内につけていたエアシャカールを武豊は、コーナーを回る際に外へと持ち出し、その勢いで一気に末脚勝負へと持ち込もうとしていた。他の馬に妨害されず、自身も他の馬を妨害しないように配慮していた。

アグネスフライトのよさ、直線での末脚を引き出す」という河内の目論見は「エアシャカールをマークしていたわけではない」にも拘らず、武豊の取った騎乗と一致していたのだ。
「これまでで一番スムーズな競馬だ」静かにヒートアップしていく河内は、「セーフティリードだと思った」エアシャカール陣営に襲い掛かる。
同じ父を持ち、同じ牧場で生まれたエアシャカール・アグネスフライトと、同じ師のもとで騎手としてデビューした師弟関係の河内洋・武豊による一騎討ちは内で粘るタラクシア・ジョウテンブレーヴを置き去りにして自然と起こったのだ。

ゴールよ、まだ来るな、まだ来るな」「向こうの方が強いのかな

ここまできたのに、やらないでどうする」「あと100mでダービーが終わってしまうのに

追い詰められた河内洋の激に応えアグネスフライトは末脚を伸ばしていく。

脚色は、相手の方がいい。馬体を併せての叩き合いにしなければ、一気に差し切られてしまう

武豊は、咄嗟にエアシャカールに左鞭を入れると右にササり、アグネスフライトと一瞬接触する斜行となった。審議のランプが光ってもなお、2頭はまったく怯むことなくサンデーサイレンス産駒同士の激情と二人の願いはゴール板まで譲らなかった。

さぁ500メートル!!直線コース!生涯一の夢舞台!残り400!栄光まで400!

ジョウテンブレーヴ先頭!ジョウテンブレーヴ先頭か!外からは懸命にアタラクシア!

あるいはエアシャカール!エアシャカール!

アグネスフライトきた!!! 外からアグネス!外からアグネス!

しかしエアシャカール!エアシャカール!豊だ!

アグネス! 河内の夢も飛んできている!!

エアシャカールか!エアシャカールか!それともアグネスか!アグネスか!

河内の夢か!!豊の意地か!!どっちだ!!!

エアシャカールか!アグネスフライトか!

豊のV3か!河内洋、悲願のダービー制覇か!!

すばらしい競馬です!武豊、河内洋、師弟コンビの一騎打ち!!

外から河内!内で武豊!」

フジテレビ・三宅正治アナウンサー

勝った!」とゴール後にガッツポーズを挙げた河内だったが、すぐ不安になった。
オレ、本当に勝ったんやろうか?」という気持ちで他の騎手を見つめると「おめでとうございます!」と返ってくるが確信は得られず。
ユタカに聞けば確実だ」と待っているが、武豊は帰って来ない。
…ウイニングランするのかな?いや、ゆっくりこっちに来ると「勝ったかな?」という問いに複雑な想いを殺して「おめでとうございます・・・!」と兄弟子に握手し祝福した。
ゴール板は確定しアグネスフライトが1着、写真判定ではアグネスフライトとエアシャカールの差はわずかに7cmだった。
ついに、自ら手綱を取った名牝の仔で、念願の日本ダービーを獲りました」16万人のファンが「河内コール」で祝福する中、何度も右手を上げてウイニングランを見事に飾った。

長浜師の「せっかくのダービーですし、大騒ぎしなくていいじゃないですか」という声によりエアシャカールの斜行は詮索されることなく、二冠・三連覇の夢と共に終わった。

渡辺オーナーはゴール前で絶叫した後、「やっとやな・・・」と天に向かってつぶやいた。すでにこの世を去った妻、アグネスレディー、長浜彦三郎、アグネスの名馬たちに掛けた言葉だったろう。
アグネスレディ―、アグネスフローラに続いてクラシックを優勝し、史上初めてとなる親仔三代クラシック優勝、母仔三代クラシック優勝という唯一無二の偉業を果たした。

夢破れたエアシャカールであったが、海外遠征の野望を実現する。3歳馬にとって斤量有利なキングジョージ6世&クイーンエリザベスダイヤモンドSに出走、3番人気に支持された。
しかし昨年エルコンドルパサーを凱旋門賞で倒したモンジューの持ったままの競馬に惨敗し8馬身差5着だった。

一方アグネスフライトはダービーの疲れにより夏はソエの治療に。神戸新聞杯で復帰しエアシャカールとの再戦が注目されていた。しかし高熱のハプニングで出走するのがやっとだった。エアシャカールも帰国まもなくであり殆ど休みなどなかった。「今まで自分が乗ってきた馬の中でも一番かもしれない」と河内はコメントしていたが、結果は夏の上り馬フサイチソニックの2馬身差2着、なおフサイチソニックは屈腱炎によりこれが最後のレースとなってしまった。

セントライト記念勝ち馬はアドマイヤボスだった。ダービー馬アドマイヤベガの全弟でクラシックを期待されたが脚部不安から回避、前哨戦で不甲斐ない結果だったクラシックホースにファンは不安を覚え始める。

エアシャカールは武豊に丸投げされ、「この馬の頭の中がどうなっているのかを見てみたい」と嘆かれながら調教に励んだ。一方アグネスフライト陣営は気性面での成長を実感しあまり不安はなかったという。

本番・菊花賞では、エアシャカールを上回る1.9倍の1番人気に推された。ところが武豊の名騎乗が光る。好スタートから中団につけると、「右回りである菊花賞の京都競馬場では、エアシャカールは内によれることになる。ならば、内ラチ沿いぎりぎりに走れば、エアシャカールはよれたくてもよれられない」という考えの下、ロスのない競馬で内を突き、トーホウシデンとのマッチレースをクビ差で制し二冠達成。
アグネスフライトは距離が長かったのか、気性が良くなりすぎたのか、末脚不発で5馬身遅れての5着に終わった。
準三冠馬」に上り詰めたライバルに一矢報いるべく、2頭はジャパンCに続けて出走した。しかしこれが没落のきっかけになるとはだれも思っていなかった。

2000年6戦無敗のテイエムオペラオー、それに食い下がるメイショウドトウステイゴールド、KGⅡ&QEDS2着の国際派ファンタスティックライトら海外馬7頭が参戦。
3歳世代はエアシャカール・アグネスフライト・オークス馬シルクプリマドンナ・NHKマイルC勝ちイーグルカフェが顔をそろえた。
ダイワテキサス・マチカネキンノホシに獲得賞金差で菊花賞馬ナリタトップロードが除外されるハイレベルなレースに、アグネスフライトらはどこまでやれるか期待された。
しかし…末脚不発のまま4番人気アグネスフライト13着、3番人気エアシャカール14着、イーグルカフェはブービー負け、シルクプリマドンナ殿負け…3歳世代が見事に下位独占、テイエムオペラオーから2秒以上つけられた惨敗。
たかが1戦とはいえ、「2000年クラシック世代は、実はとてつもなく弱い世代だったのではないか」という空気が広がるのも無理はなく*8
エアシャカールは「最弱世代の代表格」、アグネスフライトは「(三冠を阻止して)三冠馬の威厳を守った」などという皮肉な評価をされてしまう。

年明けは京都記念で復帰、しかし2勝クラスのマックロウの2着…大阪杯は伏兵トーホウドリームの10着…一族の宿命・屈腱炎を発症し春は全休となってしまった。
「外からあっという間に抜け出されてしまったものなあ。内容としては及第点なんだが」…河内はあいまいなコメントの裏にアグネスフライトの限界を示唆していた。

大阪杯の2週間後の皐月賞は、アグネスフライトの全弟アグネスタキオンが、4戦4勝で皐月賞を制した。
デビュー戦を見た時、兄は『怪物になるかもしれない』と思ったが、弟は『怪物だ』と思った」と長浜師は言った。アグネスフライトの時代はもう終ろうとしていた。
後年、白井元調教師と松浪記者の対談で「単純にお兄さんよりもたくましい。スケールアップしている」「どっちがパワーとスピードが優れているかといわれれば、答えはアグネスタキオン。すぐにわかるレベルの違いがありますね」といわれている。

何とか維持を見せたいと、現役続行のため治療を選び、1年7か月後の2002年10月の天皇賞・秋で復帰する。アグネスタキオンは屈腱炎で引退し、種牡馬としての活躍が期待されていた。
勝浦正樹に乗り替わった天皇賞・秋は16番人気、3歳新星シンボリクリスエスを前にエアシャカール・トーホウシデンが4・5着と健闘する遥か後方で15着。後藤浩輝と挑んだジャパンCは15番人気、海外馬の一騎討ちを眺めるだけの最下位16着だった。

6歳も現役続行し京都記念へ。ここで2月末で引退の河内洋と久々にコンビを組み5番人気に支持された。「フライトは、僕にダービーを勝たせるために生まれてきたような馬。僕の最後の重賞でこの馬に乗れるのは運命というよりほかに言いようがないね」という河内の重賞最終騎乗に少し応え0.3秒差6着に健闘した。
翌日、河内は引退した。ビデオレターの中で武豊は、ダービーでアグネスフライトに抜かれたことで兄弟子・河内を「嫌いになりました」と冗談交じりに送っていた。

河内最後のダービーはアグネスタキオンに代わって騎乗したダンツフレームの2着、勝ったのは皐月賞で2着に破ったジャングルポケットだった。
その後アグネスフライトは松永幹夫と阪神大賞典に挑み13着、引退となった。
5月10日、京都競馬場の引退式では、ダービーのゼッケン番号4を着用し、調教師に転身した河内を乗せて最後の雄姿を見せたのだ。

エアシャカールとは3勝4敗。
彼も彼で菊花賞以来未勝利のまま(重賞2着3回、GⅠ4着2回)、脚部不安と「最弱の二冠馬」という不名誉を抱えて引退していった。

種牡馬生活

現役引退後は日高スタリオンで種牡馬になった。アグネスタキオンは、父サンデーサイレンスと同じ社台スタリオンステーションで繋養され、年間200頭の繁殖牝馬を集めるとG1馬を輩出し期待に応えた。
一方のアグネスフライトは初年度に鼠径ヘルニア、2年目も病気で振るわず、3年目92頭がピークだった。
なおアグネスタキオンは2008年のリーディングサイアーとなった翌年2009年に早逝。しかしアグネスフライトには弟の代替としての需要すらなく、8年目の2011年を最後に種牡馬を引退した。
……結局サンデー系種牡馬としては同期のアドマイヤボス*9やアッミラーレ・ニューイングランド・ゴールドヘイロー*10に一歩上を行かれる結果となったが、それでも種牡馬入りまもなく事故死したエアシャカールと比べれば遥かにマシではあった。
産駒は一応末脚自慢が目立つも、JRAでは産駒128頭中23頭しか勝ち上がらず、8600万円稼いだワンダーアシャードと札幌日経OP3着フミノヤマビコが代表馬か。重賞馬はインザエアが佐賀・ロータスクラウン賞を優勝したのみだった。BMSもJRA3勝ホッコーアカツキほどである。
血統を考えると、もう少し活躍馬が出ても不思議ないけど…」そう関係者は言葉を濁した。

種牡馬引退後は生まれ故郷・社台ファームに乗馬として引き取られ、若いホースマンたちの指導役となった。2015年9月に社台ブルーグラスファームに移り、功労馬厩舎にてローエングリン・スカーレットブーケ・スティンガーたちと悠々自適で健康的な放牧生活を送っていた。

「サンデーサイレンスの仔だから、ちょっとうるさいところもありましたけど、年齢を重ねてだいぶ落ち着きも出てきました。ただ、まだ寂しがり屋の面が残っていて、放牧地でも厩舎でも、周りに馬がいた方が安心するようです。周りに馬がいなくなると心細いのか、仲間を探して走りまわったりします」という可愛いエピソードもあった。

2023年1月11日、起立不能となり、懸命な治療も回復の見込みが立たず安楽死。享年26歳。
社台ファーム場長・東礼治郎は「エアシャカールと体をぶつけ合いながらもハナ差で勝利をもぎ取ったダービーのゴールシーンは鮮明に脳裏に焼き付いています祖母の代から3代続けてクラシックレースを制した血のドラマに感動しました。長きに亘り、我々と過ごしてくれたことに感謝の気持ちで一杯です。安らかに眠って欲しいと思います」とコメントした。


評価

JRAの「最強馬決定戦」であるクラシックは長らく外国産馬を完全に締め出す政策だったが、1998年世代のエルコンドルパサーとグラスワンダーの活躍や2000年クラシック世代の動向等により「クラシックの勝ち馬が世代最強馬ではない」という問題が見えてきた事もあり、
2000年の天皇賞春・秋の枠数限定外国産馬参戦解放に続いて、翌年から段階的に外国産馬のクラシック登録解禁が行われている。
だが初年度はアグネスタキオンら内国産馬が活躍し、外国産馬がクラシック優勝したのは2007年オークスを制したローブデコルテまで待たなければならない。
とはいえ「時期によっては外国産馬の方が世代最強馬」というのは2002年世代の芝王道路線で活躍したシンボリクリスエスと牝馬のファインモーションが証明したが*11、きっかけは2000年クラシック世代だった。

初めにNHKマイルカップ馬となったイーグルカフェは、ジャパンCブービー負け後七夕賞優勝後立て直し、G1ジャパンCダート優勝を果たした。
クラシック初戦で戦ったタップダンスシチーはシンボリクリスエス・ファインモーションを退け宝塚記念・ジャパンCを優勝した。
ゼンノエルシドがマイルCS、ノボジャックがJBCスプリントを優勝し、アグネスデジタルは馬場不問、テイエムオペラオーに引導を渡しGⅠ6勝を記録している。
そもそも2000年クラシック世代の最優秀2歳牡馬は外国産馬、香港でGⅠ3勝することになるエイシンプレストンだった。

そして「準三冠馬」エアシャカールは「内国産馬の中では1番頑張った」「それなりに強い」、アグネスフライトは「エアシャカールの三冠を阻止した功労馬」「彼のおかげでシャカールは『最弱馬』と言われなくて済んだ」「ダービーで燃え尽きた馬」「河内にダービー取らせるためだけに生まれたような軌跡の馬」とみなされている。
しかしファンは「シャカールとタキオンのぶんまで長生きしたな大往生や」「世代レベルは最弱扱いやけどあのダービーは最高のダービーやったわ」と思い出の馬として受け止めている。

河内は振り返る。
「行きたがったので我慢させる競馬を教えないといけない」「勝ったとはいえ、目標を“ダービー制覇”と考えると、もっとはじけてくれないと…と感じました」と苦悩する日々、しかし京都新聞杯で「考えていた以上の脚で差し切ってくれました」「これだ!!」「能力的には十分に通用すると考えていました」と前向きになる。
「勝負は時の運だから、それ以上に意識したことがありました」「勝ち負けはともかく“悔いのないレースをしよう”と心掛けました」その思いが実現されたのだった。

訃報を受けて「ダービーを勝ってくれたので、俺の人生を大きく変えてくれた馬。あの時、45歳だったのでラストチャンスだと思っていたゴールの瞬間『勝った』と思ったけど、その後、(武)豊が『おめでとうございます』と言ってくれて勝ちを確信したいいレースだった。あの馬はああいう感じ(最後方から)で乗らないと、と思っていた。一世一代の大勝負やったね。最後は伸びてくれるのを信じていた。最後はエアシャカールと接触して、普通はひるむけど、根性を出してくれた。豊のダービー3連覇を阻止したね。えらいことやったなあ」と思い出を振り返った。

現役引退後も何度か会いに行っていたと明かし「最後に会ったのは2、3年前かな。去年の夏も苦しい時期があったみたいで、乗り越えたけど、力尽きたかな。いつかはこういう時がくる。感謝しかないこの血統は(弟の)アグネスタキオンも乗ったし、桜花賞(母アグネスフローラ)、オークス(祖母アグネスレディー)、皐月賞(タキオン)、ダービーとみんな勝ってくれた。タキオンも亡くなったし、ひとつの時代が終わった感じ。ありがとうですね。安らかに」と、偲んだ。

アグネスフライトは2月デビューからわずか3カ月半でダービーを制した。それはアグネスレディーの誕生から24年が経っていた。渡辺孝男オーナーと長浜調教師親子、河内洋、そしてアグネス一族の想いの蓄積であり、奇跡ではなく必然な勝利だったのだろう。
ダービーを勝つために生まれてきた馬」と言うなど容易ではない生涯だった。

なお2001年には渡辺孝男氏が循求器病研究振興財団にアグネスフライトらが稼いだ賞金を心臓移植支援基金として寄付している。厚生労働省坂口力大臣より感謝状が贈られ「アグネス基金」と名付けられた。アグネスフライトの走りで救われた人もいるだろう。

フィクション作品への登場

出番自体はモブ率が多めなものの、2000年ダービー回では主役を務めており、母がカワチ騎手の事ばかり気にしているように見える様子に嫉妬し一時低迷するも、その真意を母から聞かされた事で立ち直りダービーを勝利した。
また弟アグネスタキオンのラジオたんぱ2歳S後、勝ちに喜ぶ弟のある無知に気づき、ちょっとした悪戯発言を行っていた。
…皐月賞回で父サンデーサイレンスと同父のフジキセキ・菊花賞回でゴーステディとクリノキングオーに主役を持っていかれたエアシャカールは泣いていい。



追記・修正は夢と執念を乗せた方にお願いします。

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最終更新:2025年01月29日 09:17

*1 後にGⅠ大阪杯勝ち馬ジャックドールも担当

*2 母ダイナフェアリー、重賞馬サマーサスピション・ローゼンカバリーの妹

*3 20世紀では上がり33秒台は珍しかった

*4 京都芝1,800m 3歳馬のレコードを1.1秒更新するものだった

*5 同期は益田・マカオ・シンガポール・ニュージーランドで活躍した道川満彦。同い年は田島信行・村本善之・西園正都・南関東の桑島孝春・アメリカのC.マッキロンなど。

*6 なお京都新聞杯は菊花賞トライアルGⅡだったが、京都4歳特別廃止を受けてダービートライアルとなっている。

*7 なお、河内にとって京都新聞杯優勝は1978年メジロイーグル以来だった。

*8 ちなみに他にも同じ世代にあたるフランスから来たG1馬レーヴドスカー(後にアグネスタキオンとの産駒レーヴディソールが2010年阪神JF馬に)が7着となり、順位こそ低めなものの1997年生まれの馬としては最高着順となったがこのレースを最後に引退・日本で輸入繁殖牝馬となった。

*9 セントライト記念馬でダービー馬アドマイヤベガの全弟。産駒から重賞馬3頭を輩出している。

*10 共に重賞未勝利馬ながら引退後産駒から重賞馬を輩出し、後継種牡馬登録も行われている。

*11 だが結局ローブデコルテのオークス勝利を最後に、なぜか外国産馬のG1クラスでの活躍場所はダート・マイル・短距離路線へとシフトしていく事になり、結果的にクラシック・芝中長距離路線での外国産馬の活躍は薄れていく事になる。