クロフネ(競走馬)

登録日:2022/01/06 (木) 20:44:00
更新日:2024/11/28 Thu 19:05:17
所要時間:約 33 分で読めます






記録を残した。

記憶を刻んだ。




クロフネとは、米国生産・日本調教の元競走馬・種牡馬。
その名の如くアメリカよりの来寇者・開かれた新世代の一角として駆け抜けたものの、獲得賞金額という名の運命と屈腱炎に屈した悲運の名馬である。
なお、1957年産馬(地味にヒンドスタン*1直仔)と1971年産馬(アングロアラブ種)に同名馬がいるが、この当代クロフネに至るまで普通に使えてるあたり、GⅠ勝利などの顕著な活躍や種牡馬入りはしなかった*2模様。

目次

データ

誕生:1998.3.31
死亡:2021.1.17
享年:23歳
父:フレンチデピュティ
母:ブルーアヴェニュー
母父:Classic Go Go
調教師:松田国英 (栗東)
馬主:金子真人
生産者:Nicholas M. Lotz
産地:アメリカ合衆国
セリ取引価格:-
獲得賞金:3億7,023万円 (中央)
通算成績:10戦6勝 [6-1-2-1]
主な勝鞍:01'NHKマイルC・ジャパンCダート

芦毛の黒船、その血統背景

フレンチデピュティノーザンダンサー系の直系サイアー。自身はGⅠ勝利こそ成し得なかったものの、日米通算12頭のGⅠ・GⅠ級ホースを輩出した大種牡馬である。2001年以降は社台グループに購入されて日本入りし、多くの活躍馬を輩出した。
母父としても強く、マカヒキ*3、ゴールドドリーム*4マルシュロレーヌ*5あたりが有名か。

ブルーアヴェニューは北米で5勝した後繁殖入りした牝馬で、GⅠ3勝した名牝ブロートトゥマインドを姉に持つため母系は素質十分だが、その父クラシックゴーゴーはテキサスのド無名馬(ほぼタダに近い値段で種付けしてるあたりお察し)。

無名の父から生まれた牝馬がノーザンダンサー系を付けられ誕生したわけである。
恐るべきは無名血統からすらもクソ強因子を引きずり出すノーザンダンサー系のウルトラニックスパワーなのか、はたまたどこから名馬が出るかパルプンテなブラッドスポーツの妙か。


芦毛の黒船の幼少期

ケンタッキー州の馬産家ニコラス・M・ロッツのもとで産まれる。1歳時にピンフッカー*6に買われ調教された後、2000年にファシグティプトン社主催のセリに上場され、ノーザンファーム*7の吉田勝己代表が落札。
同ファームで育成を受けることになるが、担当者が「デビュー前なのに古馬みたいな雰囲気がある」と語るなど、社台内では既にして3歳馬戦線の有力候補とみなされていた模様。
彼のデビュー後01年には日本ダービーが外国産馬にも開放されることが決定しており、馬主となった金子真人氏*8から「開放初年度のダービーを征服する君であれ」との野望と期待を込め、「クロフネ」と名付けられた。経年で白くなる芦毛なのに黒船とはこれいかに


芦毛の黒船の競争戦歴

旧3歳時(現2歳)

00年8月、栗東トレセンの松田国英厩舎に入厩。松田師曰く「馬体のバランスが良くて勝負根性もある。しかも品がある。彼こそ本当の紳士だよ」。
10月14日、京都競馬場での新馬戦(芝1600m)で松永幹夫騎手を鞍上にデビュー。折り合いよく楽な手応えでレースを進めるが、4角で窮屈な内に入ってしまったのが仇となり、外に持ち出し急追したもののクビ差届かず、エイシンスペンサーの2着に敗れた。
中2週で挑んだ2戦目は前走から2ハロン延長の2000m。好位先行から直線持ったままで先頭に並びかけ、鞍上が軽く鞭を入れるだけで一気に抜け出し、レコードを1秒2縮める圧巻の走りで初勝利。続く500万下のエリカ賞もだいたい同じ感じの走りでレコードを叩き出し、軽くひねる。
なお、ここまで2戦続けて2000mを使ったのには、クラシックディスタンスの日本ダービーを見据えて行きたがりの気性を矯正する思惑があったそうな。

重賞初挑戦となるGⅢのラジオたんぱ杯3歳ステークス(現・ホープフルステークス)では、後の皐月賞馬アグネスタキオンとダービー馬ジャングルポケットを抑え1番人気に支持される。
スローペースに進む中、久々のレースだからか手応えが悪く下がり気味なジャンポケを後目に、タキオンと並んで直線に突入。しかし前走までのように伸びずタキオンにあっさりと抜き去られ、直線で猛追してきたジャンポケをかわしきれず3着に敗れた。
松田師は「前走と同じくらいのタイムで勝てるだろ」と見込んでいたが、それを0.4秒ちぎるレコード叩き出されたらそりゃ勝てないってものである。
なお、菊花賞(マンハッタンカフェ)を除くクラシック世代最強の称号を分けあったこの3頭が一同に会したのは、これが最初で最後だった。


3歳時

3歳上半期

馬齢表記が数えから国際基準になったことを受けて迎えた二度目の3歳。
当初は共同通信杯を目標に始動する予定だった陣営だが、クロフネの体調もあり回避して毎日杯で始動。モタれる癖の矯正にブリンカーを装着して調教を行い、レースにもそのまま出走した。
ドバイ遠征*9していた松永騎手から四位洋文騎手に乗り替わるが、テン乗りもものかは、終始楽な手応えかつ馬なりでレースを進め、古馬のコースレコードまでわずか0秒3に迫る好タイムで圧勝、重賞初勝利を挙げた。レース後に四位騎手が「僕は乗ってただけでしたね」とコメントするほどの楽勝ぶりである。

さて、松田師の春の大目標である日本ダービーに殴り込むには、NHKマイルカップ2着以内、もしくは京都新聞杯か青葉賞を勝つ必要があった。松田師は金子氏と相談し、GⅠの格を重視しNHKマイルカップを選択。
4戦無敗で皐月賞を制したアグネスタキオンを意識し「GⅠ獲ってタキオンとダービーで対峙したら盛り上がるでしょ?」とも公言していた松田師だが、そのタキオンがマイルカップ前の最終追い切り後に屈腱炎で離脱、9月に無念の引退を余儀なくされたのは御存知の通り。
かくてクロフネは松国ローテのファーストチャレンジャーとなったのだった。


マイルカップでは金子氏が直接ラブコールを送った武豊騎手に乗り替わり、新コンビで出走する。
これまでの好位先行から抜け出してねじ伏せる王道のレース運びから一転、後方14番手からスタートすると、最終直線まで後方待機し馬群を縫うように進出。この時点では10番手で、逃げるグラスエイコウオーとはかなーり差がついていた、の、だが……
鞍上武騎手がステッキを入れるや否や、ドラッグカーもかくやの末脚が炸裂。凄まじい加速で直線一気に先団をぶっこ抜くと、粘るグラスエイコウオーを強襲。ゴール板直前の攻防を制し、半馬身差しきってGⅠ初勝利を飾った。
クロフネにとっても松田厩舎にとっても初のGⅠ勝利であり、武騎手にとってはデビュー2年目からの連続GⅠ勝利記録を14に伸ばす上々の成果。まさに記録づくしの勝利となった。

次走となる開国初年度の日本ダービーは、襲来する3歳マイル王の外国産馬(クロフネ)を皐月賞上位馬のダンツフレームとジャングルポケットが迎え撃つ形で三強を形成。
ダンツフレームが逃げるテイエムサウスポーの後ろで先行集団を引っ張り、後方に控えるジャンポケとそれをマークする形のクロフネという流れでレースが進み、一旦ダンツフレームが位置取りを下げたことで一時は上位人気3頭が並ぶ。
ダンツフレームとクロフネが3角から仕掛け直線を向くが、仕掛けをわずかに遅らせ脚をためたジャンポケが一気に2頭を抜き去り、懸命に追い上げるダンツフレームを1馬身半差かわしてダービー馬の栄誉を掴み取った。なお、クロフネは直線で伸びあぐね5着敗戦した。
松田師によると「ダービーに備えて余裕を残した調教が裏目に出た」そうで、「成功した感じはもちろんないし大敗した感じもない、なんとなく中途半端なレースになってしまった」と悔やんでいる。
しかしカリカリにフルチューンした仕上げでなく余裕残しでダービーの掲示板を確保するあたり、クロフネも大概とんでもない奴である。松国仕様のカリカリってカリカリ通り越して故障と紙一重だから、余裕残しの方がこっちは見てて安心するとか言ってはいけない


3歳下半期

夏をまるまる休養に充てて英気を養ったクロフネは、鞍上に蛯名正義騎手を迎え、秋の初戦として神戸新聞杯へ出走する。
ここではダービー2着のダンツフレームとの再戦となったが、スタートで躓いて後手を踏まされ、スローペースを堪えきれず鞍上との折り合いを欠く苦しい展開。直線で猛追しダンツフレームにこそ先着したものの、エアエミネムとサンライズペガサスを捉えきれず3着に敗れることとなった。
しかし上がり3ハロンは出走馬最速の34秒2を叩き出し、負けてなお強さと収穫を見せたレースではあった。実際松田師も負け惜しみかどうかはともかくそう言ってるし。

さて、ここで菊花賞か天皇賞(秋)あたりが選択肢になるわけだが、外国産馬は神戸新聞杯2着以内でないと菊花賞への優先出走権が与えられない。となればほぼ秋天一択である。そうでなくてもいきなり3000mは未知の領域すぎる
ということで獲得賞金額的にも出走条件を満たし、あとは満を持して秋天に挑むのみ。「このままテイエム王朝当代最強のシルコレ*11も撃滅してやんよ!!」と陣営が思ってたかどうかはともかく、本番に向け視界は良好。登録期限過ぎれば安泰だな、ガハハ!
……と、フラグを立てたところでネタばらし。白井最強白井寿昭調教師率いる真の勇者(認定前)が獲得賞金額で地味にクロフネを超えてた*12ため、秋天の外国産馬出走枠を掻っ攫われてしまったのだ。そもそも打倒世紀末覇王に燃えるドトウのお兄ちゃんも外国産馬だから、出走枠は実質1つしかなかったわけである。
なお、デジタルのマル外同期であるエイシンプレストン*13が色気出してたら、デジタルも秋天出走枠から弾き出されてた模様
繁殖入りを見据えてクロフネにGⅠタイトルが欲しい松田師と社台さんサイドは当然白井師説得に動くが、「今回だけはどうしても使いたいからご理解ください」と一刀両断され終了。松国ローテVS白井最強の夢のカードは白井最強に軍配が上がった。
さすがに理不尽ギレとわかっちゃいるが一部ファンはキレた。出走馬が13頭とフルゲートですらなく、ファンからすればなおのことやるせなかった模様。出走枠制限なかったら余裕で出られてたわけだしなぁ……

とまあ、こういった経緯で秋天出走を逃してしまったわけだが、松田師の「せっかく100%秋天に出られるよう仕上げたのに使わんのはもったいない。来年フェブラリーステークスに出る予定だったし、前倒ししてここらで一度ダート適性見ておくか」という考えから、ダートのマイルGⅢである武蔵野ステークスへ舵を切ることに。
で、再度武騎手に乗り替わって実際に走ってみたわけだが、中団の好位につけてハイペースを追走し、3角からの早仕掛けで一気に押し上げ、直線で一気に後続を突き放して芝コースばりの超速レコード*14を叩き出し、無事ダート初挑戦初勝利を飾った。
終わってみれば2着イーグルカフェに9馬身差つけるというとんでもない蹂躙劇を見せつけ、観客と関係者の度肝を抜いた。ダート初挑戦の実質テストランでこれである。そりゃポエマー塩原恒夫アナも「この走り!明日の芝2000mで見たかった!」ってなるわな。
ちなみに翌日の秋天では、世紀末覇王と怒涛の名将を観客席に向かって走った勇者が大外から鮮やかに差しきって絶対王政崩壊の狼煙を上げ、覇王の春秋天皇賞4連覇を阻止。クロフネ陣営とファンに対して最高の形でケジメをつけた。まさに白井最強

さて、ダートで勝っちゃったからにはGⅠも獲るっきゃなかろうということで、創設2年目の国際招待競争・ジャパンカップダート*15へ出走。鞍上交代はなく武騎手が続投。
アメリカからの刺客リドパレス*16、昨年のジャパンカップダート初年度覇者ウイングアロー、JBCクラシック勝利馬レギュラーメンバー、その他日米*17のダート巧者が集う中で、前走の衝撃もあってかクロフネが1番人気に支持される。もう一度言うけど、クロフネはダートレース童貞捨てたのが前走です
ゲートが開くとわずかに出負けしつつもそれに逆らわず、スッと下げて後方からスタート。アメリカのディグフォーイットとジェネラスロッシが先手を取り、1角から2角にかけてノボトゥルーやレギュラーメンバーが追走、ウイングアローは中団後方に位置取る。クロフネは中団に押し上げ、早仕掛けするリドパレスをマークする形となった。
そして向こう正面。モニターや望遠鏡、もしくは肉眼で馬群を眺めていた観衆がどよめく。馬なりのまま外を追走していたクロフネが、リドパレスや先行馬たちをかわして3番手につけると、600m標識付近で持ったまま先頭に躍り出たのである。

さあここで早くも先頭に立った!

ここで早くも先頭に立った!

クロフネだ!は・や・ば・や・と!!

武豊はここで先頭に立ってまだ直線あるが、どんなレースを見せるんだクロフネェェェッ!!!
※フジテレビ実況・アオシマバクシンオー青嶋達也アナ

青嶋アナが前走を唐突に回想している間にも、クロフネはセーフティリード並みの差をつけたまま先頭を驀進する。後続も必死に追い上げを図るが、差を詰めるどころかこれ以上ちぎられないよう踏ん張るので精一杯。
残り200mを切ってもクロフネ独走は揺るがず、2番手争いが熾烈になるのみ。ノボトゥルーやミラクルオペラが激闘を繰り広げ、外からディフェンディングチャンピオンが凄まじい猛追を見せたが、7馬身差での2着入線が限界。ウイングアローも自身の前年度走破タイムを上回るレコードペースを叩き出したが、さすがにこれは相手が悪すぎた。

強すぎるッ!強すぎるッ!!圧勝クロフネェェェェェェッ!!!

走破タイムは2分5秒9。ダート2100mのJRAレコードであり、ついでに当時のワールドレコードである。おまけに2着とのタイム差はまさかの1.1秒。ダートGⅠで後続を1秒以上ちぎった馬なんて彼を除くと21年チャンピオンズカップのテーオーケインズくらいである。なに、この……なに?
ちなみに、リドパレスの鞍上ベイリー騎手*18曰く「日米のダートの違いはあまり関係なかった。とにかく勝った馬が強かった。13馬身くらい離されたら何も言い訳にならない」だそうで。まあ、うん、そうですね……
また、クロフネの走りを目の当たりにしたアメリカの記者は帰国後に「日本にクロフネという名の白いセクレタリアトがいた」と記したという。芝とダートの挑戦順こそ逆ではあるが、走ったことのないコースをわずか2戦で伝説的な勝利を叩き出すあたりは確かに似ている。あと500kg超級のガチムチボディなとことか

この勝利で中央競馬の芝とダートダブルGⅠ制覇を果たしたクロフネは、ドバイワールドカップを目標に休養に入り、得票数がテイエムオペラオーに次ぐ2位だった有馬記念はかねてよりの明言通り出走回避。すべては順調のはずだった
しかし、12月22日の調教後に右前脚の発熱が確認され、検査の結果右前浅屈腱炎発症が発覚。少なくとも9ヶ月の休養は確定という診断が下された。当然ながらドバイワールドカップもブリーダーズカップクラシックもおじゃんである。フェブラリーステークス?死ねと?
そんなわけで3日後の25日に「クロフネ屈腱炎」と報じられ、翌26日には競争登録抹消と繁殖入りが発表された。
翌年1月の年度表彰では最優秀ダートホースに選出され、JPNクラシフィケーションでは当代ケンタッキーダービー馬モナーコスと並ぶ125ポンドを獲得し、3歳Mコラム*19では芝も含めて世界一という栄誉を得た。

海外からの刺客すらもぶっちぎってのレコード勝ちは、まさに記録を残すと共に人々の記憶に刻まれており、ダート最強議論の常連となっている。


芦毛の黒船の種牡馬生活

02年より社台スタリオンステーションで種牡馬入り。引退前2戦の衝撃的なレコード勝ちや父フレンチデピュティの評価が高まったこともあってか、初年度から肌馬が殺到し201頭と交配した。
初年度産駒は05年にデビューし、初年度からGⅠ馬を送り出す順調なスタートを切ると、07年以降はサイアーランキング10位以内をコンスタントに維持し、10年には史上16頭目のJRA通算産駒勝利数1000超えを達成。父ともどもヴァイスリージェント系を日本に定着させ、北米競馬の主流血統の一端を日本に導入する一助となった。
21年までの産駒通算勝利数は中央・地方合算で4465勝、歴代2位という堂々たる記録。ちなみに産駒の勝ち上がり率は中央・地方の総計から算出して53.89%と、これまたかなりハイレベルである。

産駒傾向としては芝ダートを問わないスピードタイプが多く、スプリンターやマイラーが多い。一方で後方待機からの蹂躙劇に大いに貢献したスタミナは、産駒にはあまり受け継がれていないようである。
芝ダートを問わないことから地方での活躍馬も多く、地味に障害部門においてもGⅠ馬を輩出している。
ちなみに1800m超の芝平地重賞勝利産駒がまったくいないという珍記録を持っていたが、クロイフネノムスメソダシが21年に札幌記念を勝ったことでついに“距離の壁”を破ることに成功した。
地味に後継種牡馬に恵まれておらずフィリーサイアーの傾向があり、クロフネ没時点での現役種牡馬産駒はテイエムジンソクただ1頭しかいない。しかもこいつも産駒数はわずか11頭と、サイアーラインに赤信号が絶賛点灯中。
とはいえ親父からしてクロフネ以外の息子共は揃いも揃ってろくな活躍馬を出せておらず、ぶっちゃけ母父としての方が強いまであるタイプの種牡馬なので、よほどのことがない限り牝系まで断絶ということはなさそうである。
実際ノームコア(2019年ヴィクトリアマイル・2020年香港カップ馬)・クロノジェネシス(2019年秋華賞、2020年有馬記念、2020・2021年宝塚記念馬)姉妹等、母父にクロフネを持つGⅠ馬も出始めている。

なお年を重ねるにつれ芦毛の常として白くなっていき、最終的にはほぼ白くなった白いクロフネとはこれいかに

種牡馬時代は社台SSにいたサンデー軍団と比べれば気性的には落ち着いたものだったようで、また人間にもよく慣れていた。某番組で武豊と再会したときは放牧地からいそいそと近寄ってきていた。覚えていたかは謎だが…
馬関係がいいのか芦毛で目立つせいなのか、他の馬(芦毛スキー疑惑のあるコイツとか)から見つめられたり反応されたりもしている。だがドリジャには威嚇された。芦毛嫌いらしい。

晩年は体調を悪くすることが多く、19年以降種付けを中止し経過観察と療養に専念していたが、高齢も相まって20年をもって種牡馬を引退した。
種牡馬入りから引退までの通算種付け頭数は2995頭であり、これは日本競馬史上最多記録である。
その後も社台SSで余生を送っていたが、21年1月17日、老衰のため23歳で死去。

代表産駒


  • フサイチリシャール
クロフネ種牡馬初年度産駒。デビュー戦こそ敗れるが以後重賞を含む3連勝を決め、朝日杯フューチュリティステークスでスーパーホーネットをクビ差退け4連勝で2歳王者となり、最優秀2歳種牡馬の栄誉を得た。そしてそれが最後の輝きとなった
クラシック戦線は精彩を欠き、創設されたばかりの年末の阪神カップでようやく年内初勝利。
古馬となった07年に至っては掲示板を確保できたのがわずか2戦という大惨状。ラストランとなった高松宮記念での急激すぎる失速から故障を疑われ検査した結果、左前脚の腱断裂が発覚し競走馬を引退。そのまま種牡馬入りした。

種牡馬としてもあまりパッとしない傾向にあるが、8歳にして中山大障害を制したニホンピロバロンや7歳にして突然覚醒し地方重賞を4勝したリッカルドのように、活躍馬は年食ってからが本番のようである。
14年を最後に供用停止、現在は乗馬クラブで功労馬として余生を送っている。

  • スリープレスナイト
04年産駒。クロフネにちなみ、ペリー来航時の狂歌である「泰平の眠りを覚ます上喜撰、たった四杯で夜も眠れず」から名付けられたスプリンター。
デビューが遅く、07年年始の3歳新馬戦を含む2戦で好走するも勝てず、ダートの未勝利戦に出走すると後続に10馬身差つける圧勝で初勝利。以後ダート路線を進むことに。
その後はダートの条件戦を勝ってオープンクラスに昇格し、08年は4月以降重賞2勝を含む4連勝でスプリンターズステークスに殴り込むと、キンシャサノキセキの追撃を振り切ってGⅠ初挑戦初勝利を飾り、同年最優秀スプリンターに選出された。
翌09年は高松宮記念とセントウルステークスのそれぞれ2着のみで、スプリンターズステークス連覇を賭け調整を行っていたが、屈腱炎で無念の引退。

生まれ故郷ノーザンファームで繁殖入りしたものの、12年1月末の2番仔出産から10日後に右橈骨を骨折し死亡。
忘れ形見の2番仔はディープインパクト産駒だが、どうも未出走のようである。

07年産駒。冠名「カレン」+「ちゃん」で馬主の娘さんの愛称そのものずばりという、ド直球なネーミングがチャーミングなクロフネ産駒最強スプリンター。
10年末の新馬戦2着を経て年始の3歳未勝利戦を勝つと、翌月の条件戦も勝ってフィリーズレビューで重賞初挑戦するが、8着敗退。次走葵ステークスではゴール直前で差され2着。翌月の条件戦で連敗を止めると休養に入った。
秋は出走せず、翌年1月下旬の条件戦で始動。3着に敗れるが、翌月半ばの条件戦で11年初勝利を挙げる。阪神牝馬ステークスで重賞初勝利を飾ると、ここから重賞3連勝を含む4連勝。スプリンターズステークスに殴り込みGⅠに挑む。
スプリンターズステークスではやや後方から末脚炸裂させてまとめてねじ伏せ、GⅠ初挑戦初勝利を見事に達成した。その後香港スプリントに招待され遠征するが、直線で伸びを欠き5着敗戦。

翌12年はオーシャンステークスで始動するが直線伸びきれず4着。中3週で挑んだ高松宮記念では1番人気を“龍王”ロードカナロアに譲るも、直線で抜け出し後続の追撃を抑え、JRA史上牝馬3頭目の秋春スプリント制覇を達成。
秋はセントウルステークスで始動したが4着敗戦。スプリントGⅠ三連覇と同一レース連覇を賭けて挑んだスプリンターズステークスは、ついに覚醒した龍王の神速に屈し2着。2年連続出走の香港スプリント7着をラストランに引退した。

繁殖牝馬としては今のところ重賞馬を輩出していない。カナロアとの子で母そっくりすぎて間違えれられたカレンモエにはやはりスプリンターの期待があるがシルコレ気味。
とはいえ22年でようやく9頭目(ただし生後直死1頭、不受胎2件)ということを鑑みれば、まだ慌てる時期でもないだろう。……と思いたい。

  • ホエールキャプチャ
08年産駒。父の名からの連想で、ペリー来航の主目的が捕鯨の寄港地確保だったことにちなむ。
新馬戦を落とすも次走で初勝利し、続く芙蓉SではIKZE絶対振り落とすマン後の三冠馬オルフェーヴルを抑え連勝。重賞初挑戦となるファンタジーステークスは最後方からのごぼう抜きを見せるも届かず3着惜敗、阪神ジュベナイルフィリーズも惜しくも2着。
翌11年初戦のクイーンカップで重賞初勝利を挙げ、桜花賞に挑むもマルセリーナを捉えきれず2着。続く優駿牝馬も3着。夏の休養明けに出走したローズステークスで久方ぶりの勝利を味わうも、本命の秋華賞は3着。続くエリザベス女王杯も4着と勝ちきれず。ブロコレシルコレ感が漂ってまいりました
12年はヴィクトリアマイルで念願のGⅠタイトルを手にするも、それ以外は惨敗続き。掲示板を確保できたのは勝鞍を除くと初戦の中山牝馬ステークスのみで、残り3戦は二桁着順の大惨敗である。何があった。
13年以降は勝鞍が府中牝馬ステークスと東京新聞杯の2勝のみ、掲示板を確保するか轟沈するかのほぼ二択というド極端すぎる戦績で、15年のヴィクトリアマイルを前に脚部不安により引退。日高で繁殖牝馬となった。

繁殖牝馬としては今のところ不受胎や生後直死もなく、全6頭が無事出生している。重賞馬もまだ出してはいないが、なにしろ4番仔以降はまだデビュー前である。慌てるどころか評価すること事態がまだ早い段階といえよう。
ちなみに縁あったオルフェーブルとの子も2頭いる。サンデーの3×3なんだけど、いいんスかこれ*20

  • アップトゥデイト
10年産駒。「障害競走の絶対王者」オジュウチョウサンの先代障害GⅠ覇者兼オジュウチョウサン被害者の会筆頭
12年のダート新馬戦で勝利し幸先のいいスタートを切る。クロフネ産GⅠ馬にしては珍しく初戦を勝つパターン。2戦目で芝に挑むも7着に沈み、そこからはダート路線を歩む。1勝した後地方重賞を2連戦、いずれも好走と手応えを掴む。
しかし明けて3歳時には一転して惨敗続きとなり、かろうじて5着に入った1戦を除き掲示板にすら残れない始末。14年夏になって1000万条件に降級するがやっぱりダメで、障害転向することに。障害未勝利戦2戦目で障害初勝利を掴むとオープンも勝って2連勝。
明けて15年は重賞を含む2戦して2着・4着とまずまず好走すると、障害GⅠ初挑戦となる中山グランドジャンプでは2着に大差をつけるレコード勝ちで、GⅠ馬の仲間入り。重賞1勝を挟み挑んだ年末の中山大障害も制してこの年GⅠ2勝。ジャンプグレード制導入後初の春秋ジャンプGⅠ連覇を果たし、年度表彰で最優秀障害馬に選出された。

16年は初戦を中山大障害でねじ伏せたサナシオンに逆襲され2着。中山グランドジャンプは左前脚骨瘤により出走回避し、その後中山大障害を含む3戦するも勝ちなし。中山大障害は中山グランドジャンプを制してGⅠ馬となったオジュウチョウサンの2着に屈した。
17年は3月始動もオジュウの2着。中山グランドジャンプは3着。大障害からの3戦は全てオジュウにフルボッコである。9月の阪神ジャンプステークスでようやく年内初勝利するが、今年の中山大障害もまたしてもオジュウに屈し2着。これは対オジュウチョウサン×ついてますね
18年は重賞2勝するも、中山グランドジャンプはまたまたオジュウの2着*21。オジュウがまさかの有馬記念出走により不在の中山大障害は1番人気に推されるが、最終障害で落馬し競走中止。以後出走することなく19年夏に引退し、馬事公苑で乗馬としてセカンドライフを送っている。
オジュウ台頭後もふがいないレースはしておらず、ぶっちゃけオジュウが強すぎただけ感が強い。というか仮にも障害GⅠ覇者相手に、GⅠの大舞台で毎度1.5秒以上ぶっちぎるオジュウがチートすぎるだけだろコレ。
人によってはオジュウとの関係性を指して10年に1頭の障害王者が100年に1頭の障害王者に捻り潰されたと言う人まで。
つくづく生まれてくる時代が悪かったと言わざるを得ない…。

  • クラリティスカイ
12年産駒。2歳新馬戦を落とし3戦目で初勝利。新設重賞のいちょうステークスに挑みレコードを叩き出して重賞初勝利を挙げた。その後朝日杯FSに挑むも3着。
明けて15年は皐月賞に挑むも5着、続けて直行で挑んだNHKマイルカップを制し父子二代制覇を達成した。なお、皐月賞出走馬が本競争を勝ったのは初めて。
その後はときおり掲示板を確保するもほぼ惨敗を繰り返し、18年夏のダートレースを最後に引退。現在は高知県土佐清水市で功労馬として繋養されている。

GⅠ1勝した後低迷し勝ちに恵まれなかったあたり、なんというか異母兄(フサイチリシャール)みの強かったやつである。生涯成績も獲得賞金額も近いし。

  • ホワイトフーガ
クラリティスカイの同期でクロフネ産駒トップクラスのダートホース。出生前に母が腸捻転を発症し、入院馬房で出産というハードな生まれ。手術の影響で初乳を貰えず、ドナーホースから血漿輸血されて免疫を確保*22した。
14年12月のダート新馬戦でデビューし初勝利、翌年3月のフラワーカップで重賞初挑戦するも最下位に轟沈。オープンを2戦して関東オークスに挑み大差の圧勝、重賞初勝利を挙げた。その後2戦して両方3着後にJpnⅠ初挑戦となるJBCレディスクラシックに出走、5馬身差の完勝でGⅠ級初勝利を飾ると翌年も連覇した。
その後は地方重賞で勝ち星を挙げるも、フェブラリーステークスは2戦してどちらも惨敗。3連覇を賭けた17年のJBCレディスクラシック11着をラストランに現役引退し、繁殖入りした。

現在3頭を出産しているが、初仔チャプリからしてデビュー前である。今後に期待したい。

  • アエロリット
14年産駒。馬名はフランス語で隕石の意。
16年の2歳新馬戦で初出走初勝利を飾り、休養後に挑んだ条件戦で2着。年明け後重賞に挑むもまたも2着。再挑戦するもまたまた2着。その後桜花賞でGⅠ初挑戦も5着。
中1ヶ月で挑んだNHKマイルカップは好位の外から鮮やかに抜け出す直線の切れ味で見事勝利し、重賞初勝利をGⅠ初勝利で飾る。なお、所属厩舎の菊沢隆徳師にとってもこれが初のGⅠタイトルとなった。
7月末に重賞を1勝して弾みをつけ秋華賞に挑むも、初の掲示板外となる7着敗戦。17年はこれ以後出走せず休養に入る。
明けて18年は5戦1勝。ヴィクトリアマイルと安田記念で好走し、毎日王冠で年内初勝利を挙げた。が、マイルチャンピオンシップは12着と轟沈した。
19年は創設されたばかりのアメリカGⅠ・ペガサスワールドカップターフへの遠征で始動。10頭立ての9着と大敗した。
帰国後は検疫等をはさみヴィクトリアマイルへ直行。前半1000mを56秒1の殺人的ハイペースで通過し逃げ粘るが、外からまくってきた4頭に差され5着。中3週で挑んだ安田記念は前走同様逃げ粘るもインディチャンプにクビ差かわされ2着。史上最強女帝アーモンドアイに対してはかろうじて先着した。
夏を休養し、秋天へ向け1戦するもまた2着。秋天では逃げつつも直線でサートゥルナーリアとダノンプレミアムの2頭と叩きあい、一度は差されたサートゥルナーリアを差し返す凄まじい粘り込みを見せるも、女帝に屈し2着にクビ差の3着。
その後有馬記念をラストランと決め、外枠から果敢に逃げを打つもやはり距離適性不足か、最後に逆噴射し14着轟沈。現役を退きノーザンファームで繁殖入りした。
掲示板を外したレースが19戦中勝ち星と同じ4戦しかなく、地味に5億近い賞金をもぎ取ってきた馬主孝行。ホエールキャプチャに続くクロフネ産シルコレ牝馬2号とか言ってはいけない

産駒はまだデビュー前だが、その初仔は早逝したドゥラメンテの末期産駒である。タイトルホルダーに続く父譲りの豪脚に期待したい。

18年産駒。その純白の馬体から、サンスクリット語で「純粋」を意味する馬名を与えられた。クロイフネノムスメ*23
母ブチコは金子氏所有の白毛馬シラユキヒメと金子軍団の雄キングカメハメハの仔であり、いわば金子血脈の結晶的存在しかし彼女の全妹ママコチャは芦毛と白毛の仔なのに鹿毛だった。
ちなみにクロフネ自身もシラユキヒメと複数回交配しており、白毛馬初芝勝利馬したユキチャン(ソダシの同期メイケイエールの祖母でもある)等を輩出している。

番外:話題になった産駒


  • ポルトフィーノ
05年産駒。名牝エアグルーヴの第6子でもある。
戦績自体は重賞未勝利9戦3勝で繁殖牝馬としても平凡なものの、クラシックレースに故障や除外等で出れなかった後やっと出走出来た2008年エリザベス女王杯にて…
乗っていた武豊をスタート直後に振り落としゴールまで疾走。判定自体は騎手落馬による競走中止だったものの、実レースではカラ馬なのに後方横で武騎手を載せた救急車が走る中一位入線してしまった。ちなみに、GⅠでカラ馬が一位入線したのは2023年末までで、この一回だけ。

  • ヘヴィータンク
15年産駒。…なのだが、なんと初レースに(ルール上未勝利でも参加可能な)重賞弥生賞を選ぶという無謀挑戦的過ぎるデビューで話題になった。
…が、結果はトップの馬より約124馬身も引き離されてのシンガリという惨憺たるもので、しかもこの一戦のみで速攻引退(乗馬行きだそうな)したため、陣営に対する批判が相次いだ。
そして彼の弥生賞から2年後の2020年から、これまで平地競走の通常戦にのみ適用されていた「タイムオーバー」(一位入線から一定秒以内に入線しないとペナルティを課すルール)が「重賞に参戦する未出走・未勝利馬」へも適用されるようになった。
なぜこんなことを?という疑問への回答はこちらのページに書かれているので参照されたし。

  • クールフォルテ
19年産駒。クロフネのラストクロップ世代でもある牝の芦毛馬。
ニコニコ動画の長期企画「リアルダービースタリオン」の一環として「大井競馬場で勝てる馬」を産むため、企画用に購入された繁殖牝馬シュシュブリーズ(フジキセキのラストクロップ世代)との配合で誕生した。
2021年に大井競馬場で無事デビューし、ストレートに2連勝。その後も勝ちにこそ恵まれぬものの掲示板を維持する底力を見せていたが、2022年11月に嫌な意味で父と母父譲りの屈腱炎発症で無念の3歳引退。母と同じ牧場で繁殖入りすることに。
そして2024年に第一仔(父チュウワウィザード、牡)が生まれたが、離乳を機に出産時患った「直腸膣瘻」の手術を行い療養生活となるも、10月12日に急性肺水腫により他界。
ネットの夢から生まれ血統にも恵まれ、無事夢が形になる様を見せた彼女が、これから先どのような仔を育むのか楽しみと思われた矢先の、儚い最期であった…。

フィクション作品への登場

ラジオたんぱ3歳S後、21世紀の競馬ルールに無知だったせいで兄に騙されたアグネスタキオンへとクラシックに向けての宣戦布告も兼ねて新時代の前提を教える役として登場。
NHKマイルカップ編ではまさにペリーに擬えられ、幕末の開国へと向かう動乱のように彼の雄姿が描かれたが、ダービーではジャングルポケットに一蹴され終了。
その後天皇賞(秋)の出走枠争いに一喜一憂し、最終的に刹那決まりかけるもアグネスデジタルに掻っ攫われ失敗。ゆえに武蔵野S後テレビでデジタルを挑発するも、天皇賞での雄姿に思わず感服した。
そしてジャパンカップダート後にはジャングルポケットと世代の強者として手を取りあう直後自分が下した先輩達の珍集団「ブロコレ倶楽部」の様子に呆れたが、
翌年引退となった際、先輩ブロードアピールの前で見せた空元気を彼女に見透かされ、彼女の勝利と発破を見届けて種牡馬入りした。
その後、オーナーが同じキングカメハメハのダービー直前にタニノギムレットと共に彼の主戦騎手の前に現れ法螺を吹いてカメハメハにどつかれる等たまに顔を見せており、
続編『馬なり1ハロン!NEO』では他界後にも、晩年の白くなった姿で幽霊として自分と同じ外国産馬のNHKマイルカップ馬シュネルマイスターや孫ハヤヤッコと娘ソダシの前に姿を見せている。


余談

2014年に行われたJRAと戦国無双のコラボ企画ではシークレットステージの相手に抜擢された。
…のだが、相方はまさかのペリー提督(CV:宮崎吐夢)。
名前繋がりでの人(?)選とはいえ、どう考えても出オチです、本当にありがとうございました。


追記・修正は黒船来航ばりの衝撃とともにお願いします。

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最終更新:2024年11月28日 19:05

*1 『神馬』シンザンの親父殿。愛ダービーを勝った実績で種牡馬入りするもパッとしなかったが、日高軽種牡馬振興会に買われ日本入りすると水が合ったのか、7回リーディングサイアーに輝く活躍を見せた。なおサイアーラインは完全断絶しているが、系譜の牝馬が多く繁殖入りしたため、国内生産の古い牝系出身活躍馬の血統表にはわりと名前が出てくる。

*2 顕著な活躍ないし種牡馬入りなどした競走馬は馬名が保護されるため、同名馬登録は二度とできなくなる。一応、アメリカで買って登録した二代目ヒシマサルみたく抜け道はなくもない。ちなみにベガアドマイヤベガ、シンザン→ミホシンザンなどの様に冠名など別単語を足したり換えたりすれば、馬名に使われた単語は使用可能。

*3 父ディープインパクト、名前の由来はハワイの収穫祭。16年の日本ダービーと仏GⅡのニエル賞を勝って以降、中2週で挑んだ凱旋門賞で14着と大敗したのを皮切りに、好走と凡走と大敗を繰り返しつつもまったく勝てない日々が続いていたが、21年の京都大賞典で国内競争では5年4ヶ月ぶりの勝利を達成。GⅠ馬の勝利記録としては歴代最長間隔である。なお、22年も歴代最長間隔GⅠ勝利を目指し現役続行したものの、札幌記念を最後に引退、種牡馬入りした。

*4 父はサンデーサイレンス産駒唯一のダートGⅠ馬ゴールドアリュール。GⅠ・GⅠ級ダートレースを5勝したダートの雄であり、掲示板を外したことは27戦中わずか5回と、勝てずとも凄まじい安定性で賞金をもぎ取ってきた馬主孝行。21年も8歳にして現役続行する予定だったが、脚部不安から引退。種牡馬初年度の種付け権は満口と、ゴールドアリュール後継種牡馬として期待は大きいようだ。

*5オルフェーヴル、母母キョウエイマーチ。ダンシングブレーヴの牝系曾孫にしてサンデーサイレンスの父系曾孫である。アメリカで産まれ英国に渡り凱旋門を駆け抜け、マリー病に苦しみ名馬の墓場と嗤われた売却先の日本で血を繋いだダンシングブレーヴの末裔が、変な見た目のヘイロー産駒と嗤われたサンデーサイレンス系の血を受けて、アメリカの牝馬限定GⅠレースの頂点を制する……まさにダンシングブレーヴの逆襲、サンデーサイレンスの凱旋。血脈に刻まれた因縁がわりとガチで重い。

*6 育成調教してからセリに出す調教業者のこと。当歳馬の素質を見極め、適切な馴致と初期調教を行うだけの相馬眼と調教手腕、そして何よりもマネーが必要とされる修羅の巷

*7 旧・社台ファーム早来。社台ファーム初代総帥吉田善哉氏の死後、社台グループ分割により改称・再編した。主要生産馬はかつてはサクラバクシンオー、ベガ、エアグルーヴなど、改称後はディープインパクトを筆頭にジェンティルドンナやアーモンドアイなど。まさに日本競馬界を牽引してきた優駿の中の優駿揃い。

*8 株式会社図研の会長にして日本史上最強の個人馬主。ブラックホークを皮切りに続々とGⅠホースを見出したのみならず、ディープインパクトとアパパネで三冠馬を牡牝揃えて所有・白毛馬によるGⅠ制覇など、日本競馬史上類を見ない栄誉すら複数持つレジェンドオーナー。曰く「馬の目を見て決めてます。目つきが悪いやつはどんなに血統や馬体が良くても手出ししません」とか。自身の見出した優駿を交配させて血を繋ぎつつ、さらに新たな優駿を輩出してくるため、「リアルにダビスタやウイポやってるとんでもない人」としても有名。

*9 ドバイワールドカップに出走するレギュラーメンバーの鞍上

*10 皐月賞→マイルカップ→ダービーの3連戦という、変態すぎる過酷ローテを唯一経験した苦労人、もとい苦労馬。フジテレビの青嶋達也アナが最終直線で「タニノギムレット!!」連呼した02年ダービーの覇者である。種牡馬としてはウオッカのオトンとして、種牡馬引退後は牧柵の破壊神として有名。

*11 言わずもがなのメイショウドトウ。世紀末覇王の絶対王政の前にGⅠシルコレロードを驀進していたが、GⅡGⅢで覇王がいないところでは他の有力馬をボコボコにしており、覇王の影に隠れているがこの馬も大概無慈悲枠。

*12 マイルチャンピオンシップとマイルチャンピオンシップ南部杯を勝って当時GⅠ2勝。グレード制導入後初の芝とダートのダブルGⅠ勝利馬である。言うまでもなく白井最強

*13 香港魔王の異名を持つシャティン競馬場専用機。むしろJRA登録馬なのに日本国内戦がビジター疑惑まである不思議な奴。国内では朝日杯3歳ステークスを除き全ッ然GⅠで勝てなかったが、01年に追加招待された香港マイルで鮮やかな勝利を挙げると、02年と03年のクイーンエリザベス2世カップを連覇する活躍を見せた。ガチガチの完全マークを受けてなお香港カップ5着と掲示板を外してないあたり、シャティン競馬場◎は確定である。ご当地では彼の強さを讃えて「エイシンプレストンハンデキャップ」なんてレースまでできた。なお、親父が72年生まれのニジンスキー系ではさすがに血統が古すぎ、種牡馬としては惨敗。

*14 マイルカップの勝ちタイムと比較してもコンマ3秒遅いだけ

*15 現・中京競馬場ダート1800mのチャンピオンズカップ。当時は東京競馬場ダート2100m

*16 チリ生産の競走馬。チリ競馬史上初のチリダート三冠を獲った実績を引っさげアメリカ競馬に移籍し、ウッドワードステークスを連覇するなどアメリカダートレースの雄として活躍した。

*17 フランスのキングオブタラとドイツのアエスクラップはこれがダート初挑戦

*18 ジェリー・ベイリー。引退までに6000勝弱の勝ち星を挙げたレジェンドジョッキー。米国三冠競争6勝、ブリーダーズカップシリーズ15勝、90年代アメリカ最強馬シガーの主戦騎手を務めるなど、20世紀終盤~新世紀のアメリカ競馬を語る上で欠かせない御仁。

*19 SMILE区分のマイル部門。1301m以上1900m未満

*20 奇跡の血量と呼ばれる3×4に比べるとインブリードが近い。

*21 しかも自身が制した15年中山グランドジャンプのように大差を付けられた上、レースレコードまで更新されるという嬉しくないおまけ付きだった。アップトゥデイトの名誉のために追記しておくと、18年中山グランドジャンプにおけるアップトゥデイトの走破タイムはそのレコードを更新している。こればかりは単にそれを上回るレコードを叩き出したオジュウが強かったとしか言いようがない…。

*22 馬は母から初乳を貰うことで免疫を継承する。

*23 一応、このネタが使われるのはディープインパクト産駒アカイトリノムスメが絡む場合のみであることは明記しておく。