田代まさし

登録日:2012/04/20 Fri 20:57:30
更新日:2025/04/19 Sat 13:18:22
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田代 まさし(本名・田代 (まさし))とは、日本でかつて活動していた元タレントであり、複数回の服役を経験した受刑者である。

1956年8月31日生まれ。佐賀県唐津市出身。
細面の顔にサングラスをトレードマークとし、かつてはレギュラー番組を何本も持ち、芸能界においても「不動の中堅」とも呼べる地位を築いていた存在だった。


目次


■経歴

タレント活動の始まり

芸能界進出の最初は1980年、ドゥーワップグループである「シャネルズ(後のラッツ&スター)」での歌手デビューであった。
高校時代の不良仲間だった鈴木雅之、桑野信義たちと共に発表した「ランナウェイ」が売上110万枚の大ヒットとなり、これがタレントとしての大きな一歩となった。
その後、志村けんからそのお笑いのセンスを見出だされ、芸人としてもデビューする事となる。
特に、ダジャレと小道具の使い方には定評があり、「ダジャレの帝王」「小道具の帝王」との呼び名を戴くほどであった。
また、芸能活動の他に本の出版や作詞業、さらには自分をモチーフとしたファミコンソフト「田代まさしのプリンセスがいっぱい」を発売するなど、その活動はまさしく多岐に渡っていた。
ある漫画では、「芸能界において、落ちこみも浮かび上がりもせずにずっと存在し続ける理想的な立ち位置」とまで例えられた事すらある。
だが、実はこの時から、些細な事で怒り狂い暴力を振るうなど、後の彼の姿を納得せしめるような情緒不安定な一面も見せていたらしい……

最初の転落

彼の転落の契機となったのは2000年9月24日、東急東横線の都立大学駅における盗撮騒ぎである。
彼は、サングラスにマスクと言う出で立ちで、鞄に仕込んだカメラを用いて女性の下着を盗撮していたのだ。
この時点では書類送検こそされたものの、実はそれほど騒ぎになっていなかったのだが、それを不服とした通報者が各メディアに情報をリークし、全国的に知られる事となった。
ちなみに、当の田代はインタビュー等では逆ギレの態度を見せ、「ミニにタコができる」と言うダジャレ映像を作ろうとしていたと言い訳した(側近の入れ知恵らしい)。
それからしばらく芸能活動を休止していたが、2001年6月末に各種番組にて復帰。心境の変化があったのか、「誠意を込めて頑張ります」と、謙虚な姿を見せた。
が、その姿には明らかにかつての精彩さは無く、めちゃイケでも盗撮をネタにされるなど微妙な空気。
昔のふてぶてしさすらあった態度からは信じられないほどのおどおどした姿で、共演者達も困っている様子だった。

逮捕

芸能活動再開からわずか半年後の2001年12月に、男性宅の風呂を覗く*1などの不祥事を次々と起こし、さらに家宅捜索の結果、大量の覚醒剤が見つかった事から、あえなく逮捕。
この時点では執行猶予がつき、またテレビにも姿を表していたのだが、2004年6月に今度は自動車での人身事故を起こしてしまった。*2
さらに、同年9月にバタフライナイフや覚醒剤が次々と見つかった事により逮捕され、とうとう懲役を避けられなくなってしまった。

彼は公判にて、「普段から芸能活動に対してものすごいプレッシャーを感じていた事」「最初の盗撮スキャンダルをきっかけに家族との折り合いが悪くなり、やけになっていた事」などを告白。
更に、裁判官の「元々芸能界に向いていなかったのでは?」と言う質問に対し、「そう思います」と答えた。
彼の代名詞たるあのサングラスは、実は上がり症である自分を守るためのものだった事も話している。*3
これには師匠の志村けんも、「あいつは最低なことをしたんだから、芸能界から消えてもらいたいね」とコメントし、以降彼のことを擁護しなくなった。
公判の最中も緊張から、身体も声も震えっぱなしだったという。
2005年2月、懲役3年6か月の判決を受けて服役。

活動再開

だが、かつての彼を知る者、更には2ちゃんねる等にてネタにした者の中にも彼の復帰を願う者は多かった。
2008年6月の出所後、志村けんを始めとした芸人仲間も田代の復帰を支援し、主にインターネットやラジオなどで芸能活動を再開し、徐々にではあるが、また彼の姿を見かけるようになっていた。
更に、有志による応援本「帰ってこいマーシー」の出版が発表されたり、元ラッツ&スターのリーダー鈴木雅之も「田代が居ない限り再結成しない」と告げるなど、確実に彼の帰りを待っていた者は存在していたのだ。

再再転落

しかし、悲劇は終わらなかった。
彼は2010年9月に横浜にて、またまたコカインをポリ袋に入れ持ち運んでいた事が判明。また逮捕されてしまった。
2011年7月に懲役3年6か月の判決を受け、控訴を取り下げ、またまた服役。
この時の彼の顔はかつての顔からは想像もつかないほど痩せこけ、薬物がいかに人を変えてしまうかをまざまざと見せ付けてくれるので、検索してみるといいだろう。
「帰ってこいマーシー」というエールは耳に入ることはなく、ここまで信じていた人々も「今度こそ終わった」と落胆したことだろう……
志村けんはコメントこそ出さなかったものの、非常に落胆した様子だったという。
また、鈴木雅之に至っては「あれだけ家族や周りの人たち、そして自分自身がつらい思いを味わったわけだからその思いを肝に銘じて生きていって欲しかったです」「本当にあいつは大馬鹿です」と田代を完全に見限ることになった。

その後刑期を終えて2014年7月に釈放され、元受刑者が覚醒剤から抜け出すための互助団体「ダルク」に通い、講演などもするようになっていた。
覚醒剤阻止のキャンペーン役としては、ある意味ではうってつけと言えなくもなく、リハビリの一環でもあるという。
「覚醒剤使用経験者のタレント」として、有名人が覚醒剤を使ったニュースが流れた時にはメディアの取材が集まったことも。

…が、出所から1年を迎えたばかりの2015年7月、二子玉川駅で女性のスカートの中を携帯電話で盗撮した疑いで書類送検され、罰金刑を受けていた。
一応これについては警察の事情聴取の末、冤罪であるという判断にはなったようだが、いずれにせよそれらしい動きをしたことには違いない。
ちなみにその1か月前には「コカイン所持で捕まった」という情報が拡散したが、それは以前逮捕された記事でデマであると本人が公表したばかりだった。…一体どうなってんだ!?

現在

平成から令和に改元して間もない2019年6月、YouTubeにブラック・マーシーというチャンネルを開設。
ロックバンド「クールス」のリーダーにして盟友の佐藤秀光とともに転落人生を語る内容で、そこそこ人気を博していた。

しかし2019年11月、宮城県塩竈市の宿泊施設での覚醒剤を使用、及び都内で覚醒剤を所持していた覚醒剤取締法違反の疑いで宮城県警に四たび逮捕された。
ネットでは落胆や批判は勿論の事、その依存性から改めて覚醒剤の恐ろしさを思い知らされることになった。
なお、先のチャンネルにおける田代のトーク動画は今でも残されている。

懲役2年6か月の判決を受け、2022年10月に釈放された。
出所後に撮られた映像では手が震えていたが、禁断症状なのかストレスによる心身の不調の現れなのかは明らかになっていない。*4
また、服役中に志村が逝去。協力者を通じて後述するコメントを発表した。

2023年には「MARCY'Sちゃんねる」を開設し、YouTuberとして再スタートを果たす。ただし田代出所後まで温めておくはずだった「ブラック・マーシー」の方には復活せずだった。
また、小さな企業のCM(ネット専門だが)に登場したり、不祥事仲間の宮迫博之のチャンネルとコラボするなど、なんだかんだ言っても彼に手を差し伸べる企業や人物は今もいる。
出所後、遺族に許可を得て志村けんの墓前にも手を合わせたという。


■お笑いタレントとして

志村けんの相方は誰か?と言えば、加藤茶の次に来るのがこの田代まさしである。
特に弟子を取らなかったこともあって師弟関係という訳ではないものの、志村は田代が不祥事を起こすまで田代を非常に頼っていた。
後年、志村が後輩達が自分達に遠慮してツッコんでこないということに不満、というか煮えきらなさを持っており、容赦なく罵倒し殴ってくるダウンタウンの浜田雅功を高く評価していたが、田代にもそういう傾向はあった。

目上である志村相手でも容赦なく叩いたりするツッコミなどを行えて、ツーカーで笑いのセンスが分かる田代は、まさに志村にとっては理想的な相方であった。

タレント・芸人として一般的には期待されてはいないものの、ネットではしばしば動画に出演。
内容も往年のようなキレが見える程のトークの面白さがあり、未だに評価している人は評価している。

なお、2020年に志村けんが死去したことにより、志村と田代の師弟コンビ復活は永遠に叶わぬものとなってしまったが、「志村さんより僕が逝くべきだった」と自身のYouTubeチャンネルで語るなど、田代自身もこれまでの所業に罪悪感はあったようである……

しかし捨てる神あれば拾う神あり。逮捕直前までずっと彼を支援してい佐藤秀光も、数度裏切られながらも今後も田代を見捨てないとコメントし、ライブに田代を呼ぶなど、現在も交流を続けている。
ちなみに保釈金を払ったのも彼で、クリスマスだったこともあり「サンタって本当にいるんだ」と泣いたという。
志村とは「いつかあの世でコントがしたい」とも語っているようなので、いずれにせよいつか必ず薬物と手を切り身を清めてほしいものである。


■インターネットスラングとして

今や、彼を「小道具の帝王」「ダジャレの帝王」として認識している者は少ない。
彼は、今や「盗撮の代名詞」と言う不名誉を戴いてしまっているのだ。
インターネットで「タシーロ」「タシロする」とは、盗撮するストーキングすると言う意味となってしまった(※実は彼はストーキングはしていないのだが)。

また、どこぞのマザコン英雄も、テーマ曲の空耳から田代呼ばわりされることがある。
なおこの空耳、公認ネタである。

2010年8月のコミックマーケット78では音楽サークルとコラボして東方Projectのボーカルアレンジ曲に参加したこともある。
歌詞は田代のここまでの所業と前科を自虐するような内容だった。
……まさかマーシーが射命丸 文のコスプレするとは誰も思わなかっただろうが。
田代自身も『東方風神録』をプレイしたことで文のことを気に入いったという発言をしている。シンパシー?
まぁ上述の通り、曲を出した1ヶ月後に逮捕されたわけだが。気づいた時にはもう手遅れ……一部では「逮捕されることで完成されるネタだった」とも
片翼の田代を公認したのもこの曲。

ネタ人物としての彼を好きな者はいれど、「芸人・田代まさし」の真の復帰を望む者は、もはやほとんどいない。


■田代祭り

前述の覗き・覚醒剤所有で逮捕された際に2ちゃんねるで起こった祭り。
米雑誌『News Week』の年中企画「Person of the year」(その年で話題になった人)に田代を推薦し、ネット投票で1位にしようという悪ふざけ。
当時は9.11アメリカ同時多発テロが起きたばかりであり、容疑者ウサマ・ビン・ラディンが最有力であったため、強力すぎる対抗馬に挑むというシチュエーションも参加者を燃え立たせたようである。

素早い多重投稿を可能とする「田代砲」なるスクリプトも制作され、圧倒的な票数で1位を獲得したのだが、
不正投票であることは誰の目にも明らかであったため、当然無効票。
その年(2001年)の「Person of the year」は、ニューヨーク市長ルドルフ・ジュリアーニとなった。

ビンラディンは田代に次ぐ2位だったのだが、やはり世論への配慮か無効となった。

単なる悪ふざけで、世界的なメディアに対し、サイバー攻撃とも取られかねないアクセスを繰り返すという、
非常にたちの悪い企画ではあったものの、この田代祭りは、今なお2ちゃんねる史上最大の祭として語り継がれている。
特に田代砲による大量投票はインパクトがあったのか、かのコイルショックやスフィンクスのワサビ事件にも転用されて大量投票ツールが作られた。
そのため「2ちゃんねる民の不正投票=田代砲を応用した連続投票スクリプト」という印象を持つ方もいるだろうが、意外にもイナズマイレブンの人気投票には使われていなかったりする。

なお、田代砲の使用はDDos攻撃として犯罪になるため、使用は控えるようにしよう。令和の今となっては古代兵器だが。
そもそもこんな古代兵器を持ち出すような事件が起こってたまるか。→起きました。


■薬物との関わり

田代自身や関係者が言っているように、田代はいわば「薬物依存症の反面教師」となっており、数度の逮捕後は生々しいエピソードを披露している。
本人にとっても、2度目の逮捕までは気持ち的に揺らいでいる中で「絶対にやりません」と豪語していたことから不安が増幅され、結局また手を染めることになったと自己分析。
そこで3度目の逮捕後は薬物断ちの一つの手法である「二度とやりませんとはお約束できませんが、今日はやらないということはお約束できます」という、一日一日約束を果たしていくという成功体験を重ねていき、少しでも薬物への思いを断つ、という施設でも行われていた方針に沿って薬物と手を切ろうという努力をしていた。
プラスに見れば、逮捕ごとに薬物断ちの期間が伸びており、少しずつ良くはなっているのは確かである。

そもそも薬物事件というのは使った側ばかりに非難が集中し、売るだけ売って雲隠れする売人の方への批判が向きづらい。
かつ、薬物中毒は薬物断ちだけではなく、熱心なカウンセリングを合わせて行うことで精神的にも立ち直させる、つまり更生プログラムが求められ、その点はアメリカなどの諸外国ではしっかりと用意されているのである。
にもかかわらず、日本の薬物依存症からの更生プログラムはただただ懲罰的なだけに留まっており、ただ懲役刑を課して薬物と距離を置かせるだけという、世界的にもかなり遅れているものである。
使ったことは明らかに悪いことであるが、その過去を変えることはできない。大事なのはそこから抜け出すためのプロセスなのである。
が、そこが日本は先の通りろくな更生プログラムがなく、民間レベルの組織が成り立っているくらいであまりにも古臭く、薬物依存を防止するどころか助長しているまであるのである。
実際、田代自身も服役中に悪い人達から「あの田代まさし」としてすぐ有名になり、ヤクザ崩れなどから出所後の薬物を薦められるとされている。

今は薬物使用により削除されたが、かつてNHKの番組で語ったところによると「マーシー、そんなろくでもない奴から買うから捕まるんだよ。俺から買えば絶対バレないんだから…」と刑務所で言われたといい、田代自身が番組で「そいつ(今)捕まってるんだよ?」と突っ込むというオチが付いているくらいである。
結局売る側が諸悪の根源であるのにもかかわらず、日本の薬物取り締まりがまだヌルく、それを思わせるエピソードでもあるといえよう。
このことは4度目の逮捕の際、田代の息子が窮状を訴えている。
まあぶっちゃけ薬物使用者を捕まえてムショでシバいていれば薬物使用者が減る……という理屈が通るなら世の中こんなことにはなっていない。

まとめると、現在ネット上で田代の残している発言の数々はただ安易に自己弁護をしているわけではないことを、批判するうえで理解しておくべきである。
また、電撃ネットワークのリーダーで、数度の薬物逮捕の後も田代を応援していた盟友の南部虎弾が急逝した際、葬儀に出向いた田代を俗に言う「逮捕系/世直し系Youtuber」が葬儀の場で絡んでくるという不謹慎極まりない事態も発生している。
自業自得と言えるかもしれないが、だからと言って仮にも刑期を終えて罪を償った人間に向かって、しかも葬儀でやるようなことではなく、非難する人間にもモラルが強く問われる事件となった。

MARCY'Sちゃんねるで2年の保護観察が終わった後、彼が語ったところによると「ラッツ&スターを自分含めて完璧なメンバーで復活させることが夢」としており、薬物等の諸々の誘惑から手を切り、堂々とライブに立てるようにと奮闘しているという。
これはブラックマーシーの頃からそうだが、薬物から少しでも立ち直ろうとしている田代を応援する人自体は、まるでいないわけでもない。
4度目の逮捕の際もファンはガッカリこそしたものの、番組内では「いつまた気持ちが揺らぐかはわからない」という本音をしばしば吐露していた。
こうしたほとんどフィルターなしのリアルな薬物中毒者の姿は日本ではなかなか拝めないこともあり、反面教師としてある意味社会貢献しているのかもしれない。
当然、支援者は彼の依存症克服を信じて向き合っており、才能自体が枯れたわけでもないことから、それがしばしば企業等にお呼ばれされる要因になっている。



追記・修正はまたまた世間をお騒がせしてからお願いしマーシー。

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最終更新:2025年04月19日 13:18

*1 女性宅かと思って覗いたら男性宅だった。

*2 転回禁止区域でUターンしたため完全に田代に非がある。この時は代わりに鈴木雅之が謝罪した。

*3 彼の上がり症はかなり重度で、本人曰く「カメラの前ではサングラスか伊達眼鏡をかけていないとまともに話せない」ほどであったという。

*4 上記YouTubeチャンネルでは「通常時こそ震えやすく、むしろ平常にしているときの方が怪しむべき」と語っていた。