レゲエ(音楽ジャンル)

登録日:2012/04/30(月) 20:41:53
更新日:2024/07/01 Mon 22:02:27
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とはジャ発祥の音楽ジャンル。


本来はワールドミュージックの一つだが、シーンが大きくなった現在では独立したジャンルとして扱われる事も多い。


音楽特徴


一般的なレゲエの特徴としては、

黒人音楽全般に見られる裏拍を強調したリズム
図太くうねるベースライン
小節の2拍4拍目で『ッチャッチャッ』と鳴らされるギターのカッティング

これらの『ワンドロップ』と呼ばれるビートが骨組みとなり

ホーンセクション(管楽器隊)
ブルースやジャズ的なギターがメロディー
を奏でるのが基本となっている。


これらの基本を備えたレゲエをルーツロックレゲエと呼び、全ての基本となっている。
後述のダブや、R&Bやヒップホップとの融合から生まれたダンスホール及びレゲトンが若年層を中心に人気を博した。

アニヲタ民諸兄の中にDQN御用達と思っている人がいるのなら、貴方がイメージしているレゲエはダンスホールやレゲトンの方だろう。


イエイエドッチモ好キデスヨ?



【歌詞】


歌詞はルーツロックレゲエとダンスホールレゲエで随分差がある。

前者は社会や政治に対する批判や反抗、ジャマイカ発祥の宗教的思想ラスタファリズムについて。
後者は反面俗っぽい題が多く、恋愛や下ネタが多い。

いずれにおいてもジャマイカのキリスト教およびムチズモに由来する同性愛嫌悪が頻繁に多く見られる。とりわけダンスホールレゲエにおいて過激であり、揶揄を通り越して暴力迫害・果ては殺害を呼びかけるアーティストも多く存在した。
00年代後半以降は反差別団体の抗議によりライブやリリースが中止に追い込まれたり、過剰に差別的なメッセージ歌わないことを宣言する『Stop Murder Music』に賛同するアーティストが現れたり、特に問題視された曲は存在が抹消される*1といった動きが見られた。
近年ではLila Ikéなど若手を中心にLGBTを公言するアーティストが現れるなど、少しずつだが変化は見られる。


ジャマイカの公用語は英語だが、『パトワ』と呼ばれるジャマイカ独自の訛りが存在し、レゲエも多くのアーティストがパトワを用いている。
ジャマイカに限らず欧米や日本のアーティストも本格的なレゲエを志向するアーティストはパトワを用いることが多い。
代表的なところでは、一人称においてimeを区別せず、いずれの場合もmiと発音するというものがある。レゲエでしばしば使われる『so mi go so』という言い回しは、日本語に訳すなら「俺から行くぜ!」となる。
加えてゲットーのスラングも織り交ぜられるので、英米の人でも何言ってるかワカンネとなることもしばしば。


【大麻信仰】


ジャマイカにおいても大麻は非合法ではあるが、ラスタファリズムにおいて大麻は「ガンジャ(ハーブとも)」と呼ばれ神聖視されているため、これに関する歌詞を歌うアーティストが多い。

ボブ・マーリーのような大物アーティストも多くのガンジャ・チューンを歌っており、ピーター・トッシュに至ってはガンジャ畑の前で煙を燻らせるトッシュ本人の写真を堂々とアルバムジャケットに使った。
タイトルはそのものズバリ「解禁せよ(原題:Legalize It)

そして遂に2014年4月からジャマイカでは、大麻が一部合法化された。きっとボブやトッシュも草葉の陰でキメている事だろう。


【ダンス】


『レゲエ』と聴いてこちらを思い浮かべる人も多いのでは無いだろうか?

小麦色に焼いたギャルがに股腰をグイングイン振ったりプルプルいわしたり、
三点倒立腰を振るインパクトある卑猥な振り付けを目にした事があるだろう。

まぁその…なんだ、動きが動きだけにビッチとの関係が深いっちゃ深いんだが、違うんです!!こういう踊りなんです!!!!

最近、義務教育でダンスが必修化したせいかレゲエを踊る女子小学生が増えてるとか…。けしからん。

ちなみに本場ジャマイカで開催される世界一のレゲエダンスの大会で優勝した日本人JUNKO(青森県出身)がいる事は割りと有名な話。
ジャマイカに行くと
OH!!ジュンコの国から来たのか!?
とか言われるそうな…


【歴史】

1930年頃のジャマイカは某メシのマズい国の植民地であった。
そんな中、ジャマイカ国民はジャマイカの民謡『メント』や、メシマズの国経由で流通していたジャズやR&Bに親しんでいた。

そしてそのうち
オーディオ持ち歩いたらドコでも音楽楽しめんじゃね?
と思った奴らが技術の発展を待たず『サウンドシステム』という無茶をやり出す。

これはトラックにオーディオシステムと大量のレコードを乗っけて運び、自分達がやりたい時やりたい所でパーティーをやるシステムである。
※余談だが、これをアメリカに移民したジャマイカ人がニューヨークで広め、ヒップホップの成立に大きく寄与している。

そしてそこで音楽に親しんだ人達がレコードレーベルやラジオ局を設立、後の布石となる。


1959年ジャマイカ自治権獲得。
1962年イギリスより完全に独立。
これによりジャマイカの音楽産業は更に激化。
アップテンポでダンサブルな『スカ』、
ゆったりとしたリズムにメロディアスな旋律の『ロックステディ』、
とジャマイカ国内の音楽家達は次々と新しい音楽を生み出していく。


そして1970年前後、遂に『』が誕生。

1972年ボブ・マーリー(&ザ・ウェイラーズ)がデビュー


斬新かつパワフルな音楽性、反抗精神溢れる歌詞とそのカリスマ性で瞬く間に人気を博した。
さらに、かのエリック・クラプトンが彼らの楽曲『I Shoot The Sheriff』をカバーした事が追い風となり、一気にレゲエの第一人者となり、
パンク、ニューウェーブ等と共に、70年代後半の音楽シーンに多大な影響を与える。

特に英国のロックミュージシャンへの影響は大きく、クラプトンの他ジョン・レノン、エルトン・ジョン、パンクバンドのクラッシュもレゲエ風の曲をリリースしたり、レゲエ風ロックを主に演奏するバンドポリスも活動を開始。
その他ドイツのハードロックバンドスコーピオンズまでもがレゲエナンバーをリリースしている。
ボブ・マーリーらトップアーティストが海外を中心に活動する中、ジャマイカ本国ではダンスホールレゲエが誕生する。
その後、ジャマイカ政府の政策の失敗やボブ・マーリーの死去などが重なり、より享楽的なダンスホールが人気を得ていく。


その後90年代以降は各国からレゲエアーティストがデビュー、レゲエの電子化が進み現在のような形となっていく。


【ダブ】

ダブとはレゲエのサブジャンル及び、音楽的手法である。モイスチャーミルクとは何の関係もない。

まず元になる曲があり、その曲にエコーやリバーブ、ディレイといった特殊効果をこれでもかと使って、「ふわふわグワァングワァン」というような、独特の浮遊感や酩酊感を生み出したものである。


そもそもは、音楽エンジニアのキング・タビーが、ヴァージョンと呼ばれるボーカル無しのトラック(つまりはインスト、カラオケ音源)を製作中、スタジオにあったリバーブやエコー、ディレイといった機材を弄っているうちに

「あれ、これ何かめっちゃ気持ちいいやん!」

という偶然の閃きから生まれたと言われている。


その後、ジャマイカ発のこのスタイルは、本家レゲエ同様イギリス経由で世界中に紹介される。
そしてこの手法に影響を受けたテクノ/ハウス系のアーティストがミニマル・ダブやダブハウス、ダブステップなどを生み出し、ヒップホップでもダブミックスだけでなく音作りにも大きな影響を及ぼした。


ちなみに基本的にはスタジオでの作業であるが、これをライブでリアルタイムで行う「ダブバンド」というものも存在し、ヨーロッパや日本に多くのダブバンドが存在する。


【Riddim】

RiddimとはRhythmのジャマイカ風表記であり、近年ではもっぱらばオケ、トラックのことを指す。
レゲエ業界にはこのRiddimを業界全体で共有するという慣習があり、誰かがヒットを飛ばすと同じRiddimを使った楽曲がいくつも作られるのだ。

もちろんヒップホップやその他のダンスミュージックにおいても、サンプリングやまんま使いという文化は存在する。
しかしトラック自体に名前が付いたり、1つのRiddimだけでコンピレーション・アルバムが複数作れるほど大量の楽曲が制作されるのは、間違いなくレゲエ独自の文化だろう。

初心者の人は「これ〇〇のパクリじゃね?」となりがちだが、違うんです!!こういう文化なんです!!!!

最も有名なリディムは「Sleng Teng」と呼ばれるRiddim。
ウェイン・スミスが1985年にリリースした「Under Mi Sleng Teng」が初出で、打ち込みのドラムとブリブリのベースラインはレゲエに本格的な電子化をもたらし、レゲエの歴史を永遠に変えることとなった。
余談だがこのビートはカシオのキーボード「カシオトーン MT-40」に収録されているROCKというプリセットがそのまま使用されている
開発者もびっくり…と思いきや、このプリセットを制作したのは当時カシオの新入社員だった奥田広子という日本人女性エンジニアであり、彼女はボブ・マーリーの来日公演にも足を運び、音楽大学の卒業論文のテーマがレゲエだったという筋金入りのレゲエ好きだった模様。
奥田氏曰くUKロックを意識して制作したそうだが、頭の中がレゲエ一色だったためレゲエに引っ張られたのではないかとのこと。なんとも数奇な運命である。


【日本国内でのレゲエ事情】

日本ではコアな音楽好きを中心にひっとそりと親しまれる程度に留まり、メジャー歌手が時折レゲエ風の作品をリリースする事はあれど、本格的なレゲエミュージシャンのデビューは1980年代以降となる。

1980年代になると、ジョー山中がウェイラーズを迎えて本格的なレゲエアルバムを制作。また前述のダブを演奏するバンドMUTE BEATが結成。
ダンスホールの世界でも本場ジャマイカで活動していたNAHKIやRANKIN TAXIが国内で活動を開始するなど、日本でもようやくレゲエが芽吹き始めた。
1985年には屋外レゲエフェス「REGGAE JAPAN SPLASH」が開始。出演者のほとんどはジャマイカのアーティストであったが、NAHKIなど日本人キャストも本場のアーティストに混ざってパフォーマンスをしていた。

海外でダンスホール・レゲエが一大ブームと化していた1990年代頃にはレゲエ風のトラックを扱った槇原敬之の「遠く遠く」、織田裕二がマキシ・プリーストを迎えた「Love Somebody」、小室哲哉と浜田雅功による「WOW WAR TONIGHT 〜時には起こせよムーヴメント」*2などが大ヒット。お茶の間にも一気にレゲエが浸透した。

またその頃、大阪や横浜のアンダーグラウンドシーンでは本格的な日本人レゲエDJやサウンドシステムクルーが続々と誕生。
レゲエオンリーのイベントも頻繁に開催されるようになり、ラバダブやサウンドクラッシュなども盛んに行われるようになる。

そして2000年代になると、大阪のアンダーグラウンドで活動していた三木道三の「Life Time Rispect」がミリオンセラーの大ヒット。
これを皮切りにジャパニーズ・レゲエ略して「ジャパレゲ」が一躍ブームとなる。
初めは小さなフェスだった『横浜レゲエ祭』は横浜スタジアムを、『ハイエストマウンテン』は舞洲を超満員になるまで巨大化する。
現在では見る影もなく衰退したブームも落ち着いた感があるが、カルチャーとして定着していると言って差し支えないだろう。
元々のジャンルの成り立ちからして政治的な発言・社会運動にコミットする者も珍しくない。
実際に政治家に転身した者(本名の斎藤礼以奈名義で都議になったlecca)もいる。


【有名なレゲエアーティスト】

……ご紹介の前に簡単な解説
レゲエの世界で単に『DJ』といった場合、一般的にイメージされる「ターンテーブルで曲を流す人」ではなく、ダンスホールレゲエなどで「早口でリズミカルに歌う人」を指す。
これはかつてレゲエのディスクジョッキー達がイントロ部分で早口で曲を紹介していたのが(いわゆる“トースティング”)、次第にレコーディング参加するなどして一つの歌唱法に昇華したという経緯があるため。
ヒップホップでいうMC(Microphone Controller)に近い概念であるが、レゲエにおいてMCという役職は別に存在するため*3、混乱を招きやすい。

ディスクジョッキーとの混合を避けるためDeeJay、日本ではディージェイと表記することも。
メロディを歌い上げるタイプの人はそのままシンガーで、シンガー的な歌唱とDJ的な歌唱を両立する人は「シングジェイ」と呼ばれる。
「ターンテーブルで曲を流す人」はレゲエの世界ではセレクターと呼ばれる。

曲をかける リズミカルに歌う 会場を煽る
レゲエ セレクター DJ MC
HIPHOP DJ MC



ボブ マーリー(Bob Marley)
皆さんご存知レゲエの神様。特別レゲエファンでなくとも彼の事は知っているだろう。素晴らしい楽曲・作品を多く残した。
対立した政治家2人を自身のコンサート中に握手させ、ジャマイカ内乱勃発を止めたのは有名な話。


ピーター トッシュ(Peter Tosh)
ボブと共にウェイラーズで活躍していたが、後に脱退しソロデビュー。
気が短い性格で、歩くカミソリ(Steppin Razor)と呼ばれていた。なにそれこわい
ボブよりもゆったりとした重いトラックで、過激なメッセージを歌った。


ジミー クリフ(Jimmy Cliff)
1960年代初頭から活動しており、ウェイラーズよりも先にインターナショナルに活動拠点を広げた重鎮。
スカの時代から活動しているだけあり、ねっとりとしたビートを売りにした後発のレゲエミュージシャンよりもやや軽快な曲が多め。
彼が主演したレゲエ映画「The Harder They Come」のサウンドトラックはレゲエ入門にも最適。


ジェイコブミラー(Jacob Miller)
全盛期はボブマーリーを超える人気を博したと言われるシンガー。でもぽっちゃり。
映画【Rockers】にて、主人公に好物のチキンを奪われ、フォークとナイフを持って追いかける姿は必見。


ガーネット シルク(Garnet Silk)
90年代に活躍し早逝したダンスホールシンガーで、名前通り透き通った絹のような美声が特徴。
当時流行っていた銃や下ネタをテーマにした楽曲を批判し、コンシャスなメッセージを歌い上げたラスタマン。
彼の早逝は業界に大きな衝撃を与え、ダンスホールレゲエにもラスタ回帰の流れが生じた。


シャバ ランクス(Shabba Ranks)
90年代に活躍したダンスホールの帝王の異名を持つ男。でも歌詞は下ネタばっかり。
その野太く男らしい声と独特のフロウで、インターナショナルで最初に成功したディージェイでもある。


ニンジャマン(Ninja Man)
名前の由来は勿論日本の忍者。ディージェイ同士が即興で歌詞を考えて相手を貶す(Clash)という競技で無敵の強さを誇る。その強さは化け物級で、シャバやキャットですら当時の彼には歯が立たなかった。
また、歌詞を一切書かずにレコード1枚録音したというのは有名な話。


バウンティ キラー(Bounty Killer)
14歳の時に銃弾を浴びた事のある、ゲットーの代弁者。そのイカツイ声とルックス、そして殺意タップリの歌詞で大人気だが、そのジャイアンのようなキャラクター故色んなディージェイと常に喧嘩している。


ビーニマン(Beenie Man
シャバと同じくインターナショナルで活躍し、同じくグラミー賞を受賞したディージェイ。通称キング・オブ・ダンスホール。
最近までボウンティキラーとは腐る程仲が悪く、お互いのファンが殺し合いをする程にまで発展した。


ブジュ バントン(Buju Banton)
そのフレッシュさがあるダミ声と甘いルックスで爆発的な人気を博した。90年代流行りの下ネタやギャルチューンなどを歌っていたが、友人であるディージェイの多くの死を受けてラスタに改宗し、コンシャスなリリックを歌うようになる。ラスタ改宗後に発表された【Til Shilo】という作品は伝説の超名盤。必聴!
コカインの密輸で10年間投獄されていたが2019年に出所し、ジャマイカで行われた復帰ライブでは3万人を動員した。


シズラ(Sizzla)
ダンスホール界でも屈指の敬虔なラスタマン。ラスタのなかでもボボ・アシャンティという最も厳格な派閥に属し、それ故そして業界でも特に過激なバティマン批判(ホモフォビア発言)でおなじみ。
各方面からの抗議により休止に追い込まれた公演は数知れず。
独特のハスキーボイスとコンシャスなリリック魅力。あととてつもない多作で知られる。多いときは1年で5~6枚のアルバムをリリースする。


T.O.K
CRAIG-T、BAY-C、ALEX、FLEXXの四人からなるレゲエクルー。
R&Bからも影響を受けたコーラスワークとメロディアスな曲から、特に日本での人気が高かった。
山本KIDの入場曲にも使われた「I Believe」が有名。
2015年頃から開店休業状態(一応ダブは撮れたらしい)だったが、2023年以降イベントやライブへの出演など活動を再開している。


日本の有名レゲエミュージシャン



DOZAN11(旧芸名:三木道三)
三木道三として2001年の「Lifetime Respect」で大ブレイクしたが、その前からキャリアは長い人。
その後健康上の問題から一旦引退したが、現在は芸名をDOZAN11に改め活動再開中。


湘南乃風
DeeJay4人からなるクルー。日本のレゲエ界において間違いなく断トツの知名度を持つ。伸びの良い声のHAN-KUNが歌い上げの部分を担当。
純恋歌が有名だが、アニヲタ的には仮面ライダー鎧武タイガーマスクWの主題歌でも知られたところ。
メンバー個人のソロ活動や別ユニット活動も活発。
……が、人気が高まるに連れて音楽性がレゲエから離れて行ったため、多くのレゲエミュージシャンから曲中やステージ上でDISを受けるなど業界内では賛否ある存在である。


RYO the SKYWALKER
大阪出身のレゲエDJ。ハイトーンなガラ声とキャッチーな曲でジャパレゲブームの中心となった。


CHEHON
大阪のコリアンタウン・鶴橋出身のレゲエDJ。2006年に「みどり」が大ヒット。愛した相手の名前はみどり~というフレーズに聞き覚えがある人も多いのではなかろうか。
近年はフリースタイルダンジョンへの出演など、フリースタイルでHIPHOPのMCたちとよくバトルしている。


FIRE BALL
同じくジャパレゲブームを牽引した、横浜出身の4人組クルー。
横浜出身とは言うが純日本人はTRUTHFULのみで、中国系のJUN 4 SHOT、在日韓国人のCHOZEN LEE、アメリカ系のSUPER CRISSから構成される国際的なクルーである。
4人のコーラスワークが魅力。


HOME GROWN
横浜を中心に活動する日本を代表するレゲエバンド
固有のボーカリストを持たず、他のDJやシンガーとのコラボを中心に活動。
技術水準の高さはもちろん、アーティストの意図を的確に汲み取ったアドリブにも定評があるため、大きなフェス、クラッシュ、ラバダブでは必ずと言っていいほど演奏を担当する。


MUNEHIRO
タレントの鈴木紗理奈の別名義。
ある時レゲエに開眼して歌手活動を始め、多くのアーティストとのコラボも多い。レゲエ活動で知り合ったINFINITY-16のTELA-Cと結婚して一児をもうけたが、TELA-Cの度重なる浮気と双方の性格による喧嘩で離婚。


三宅洋平
元々はレゲエバンド「犬式 a.k.a. Dogggystyle」でデビュー。
橋本龍太郎の遠縁で大企業社員の息子とお坊ちゃん育ち。若き日より政治的な活動に積極的で、2013年に衆議院選にはついに立候補。
選挙戦では多くのミュージシャンを集め「選挙フェス」と称される選挙運動で脚光を集めたが落選し、現在では新たなバンド活動の傍ら社会運動家として活動中。


リア充DQNのイメージが強い方々も多いだろうが、先入観も脱ぎ捨てて聴いてみるのはいかがだろうか?





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最終更新:2024年07月01日 22:02

*1 著名な楽曲ではBuju Bantonの『Boom Bye Bye』や日本でも大ヒットしたT.O.Kの『Chi-Chi Man』は現在アーティスト側のカタログから抹消されており、サブスクや配信で聴くことはできず、中古のCDやミックステープでしか正規の視聴手段がない

*2 厳密にはレゲエから発展した「ジャングル」というジャンル。

*3 サウンドシステムクルーにおいて会場を煽る」という役割を担う人がそれにあたり、こちらはそのまま司会者を意味するmaster of ceremoniesの略。