登録日:2015/06/07 Sun 17:05:02
更新日:2024/08/23 Fri 22:26:00
所要時間:約 7 分で読めます
今夜は2つの項目編集権を用意しました。
しかし選べるのは2つのうち1つだけです!
追記か! それとも修正か!
今の気持ちは
どっち!?
◆概要
どっちの料理ショーとは読売テレビ制作により、1997年4月17日から2006年9月14日まで日本テレビ系列で放送されていたバラエティ番組。
毎週木曜の夜9時から9時54分に放送されていて、2005年にリニューアルした「新どっちの料理ショー」ではパネリスト人数制の変更や一般人の参加、各キッチンにマスコットキャラの「ドッチくん」、「WHICHくん」を各々導入していた。
元々は1992年4月に月曜22時台(現在の「
月曜から夜ふかし」枠)で開始した関口司会の『ワンダーゾーン』という国内・海外の心霊などの不思議現象を追求する番組が始まりで、1年後に『関口宏のびっくりトーク ハトがでますよ!』という各界から招いたゲストの思い出の写真を見ながらトークする番組に衣替え。
途中から山田邦子を司会者に追加したり内容を「音楽バーのようなセットでゲストの思い出の1曲を歌ったり語らう」という路線に変えるテコ入れが何度かあったのち、1995年10月にそれまで放送していたドラマ枠と交換する形で木曜21時に移動。
『輝け!噂のテンベストSHOW』というタイトルになり、この時に三宅裕司が山田に代わるもう1人の司会者として登場し、本番組のルーツとなった。
当初は当時話題となっている人物や事柄をベスト10形式で紹介し、三宅がVTR前に5人のパネラー陣(+2人の司会者)がどれだけ関心がありそうかを見て5つ星満点(ミヤケ星)でつけてトークしてゆくスタイルで、番組の最後にVTRに出てきた人やトークに出てきた人の中からヒロシボシ(大きい銀色の星形クッション)を選ぶという番組だった。
ところがパネラーの意見を無視して司会者の独断でヒロシボシを決めたりすることもあった。
これがあまり評判が芳しくなかったためか1996年4月にテコ入れし、ここで『どっちの料理ショー』に連なる関口vs三宅の対決スタイルが確立。
関口・三宅双方が紹介したVTRに対し、6人のパネラー陣が入れた得点を競う形式になる。
パネラーの持ち点は各自5点、これを5回戦まで行い、総得点(30点満点)での多い側が勝者。
勝った側は次週の放送で「○○の輝け!噂のテンベストSHOW」と番組の冠タイトルになり、また10勝することにより銅像が建てられるという権利もあった。
そして関口が本当に10勝して銅像を建てることに。それが『ニッポン旅×旅ショー』が終わる2009年まで木曜21時台の番組のセットの一部として飾られることになった。
ちなみに、本番組まで続く料理の要素はこの番組内容の時代にVTRを選んでもらうためパネリストに対して料理を出したことに起因する。
1996年10月には『新テンベストSHOW』とタイトルを変え、この時に料理中心に方向転換。
7人のパネラーたちが、関口・三宅がそれぞれ紹介する料理を多数決によって選び、多い側が料理を食べられるという方式。
選択肢は、1st・2nd時には「関口側」「やや関口側」「半々」「やや三宅側」「三宅側」の5つが用意される。ラストオーダーでは「関口側」「三宅側」のどちらかに絞られ、多い方の勝利、料理が食べられる。
負けた方の料理は食べられなくなるため撤収となるが、料理が数品にも及んだため、視聴者から「食べずに撤収とはけしからん」とクレーム殺到。この反省から、『どっちの料理ショー』では一品ずつに落ち着いた。
また後半になると尺の関係で1st・2ndの意思表示の時でなくても、関口もしくは三宅のノリで意思表示の時間になるなどもしていた。この時代は関口が13勝、三宅は6勝だった。
1997年4月、ルール、番組名も全体的に変更する形で『どっちの料理ショー』がスタート。
19時台から22時台までの「バラ珍→マジカル(後に
週刊ストーリーランド)→どっち→DX」の流れが定着。『みなさん』以外の番組をバンバン終わらせることに成功した。以降は下述を参照。
視聴率は番組開始から数ヶ月はやや苦戦したものの、やがて安定して帯レギュラーの同時間帯首位を獲得し続けていた。しかし、2004年あたりからその視聴率が低迷した。それ以外にも
- 調理時間が長く、演者からクレームがついた(これに関しては後述)
- メニューや特選素材のネタ切れ(実際、2004年辺りからは似通ったメニューではなく、同じメニューで競う回も散見された)
- 特選素材の扱い方に対する批判や価格高騰、エコ意識の高まり
などといった問題点が出てきてしまい、2003年4月辺りから番組も頻繁にリニューアルを繰り返すようになった。
キッチンが3人になる回が出たり、2004年4月から1年間は料理名と関口・三宅の名前が書かれた2つのサイコロを振って、出た目でどちらの料理を応援するかを決める「チロリンDON」が導入されたりした末に、2005年4月からは番組タイトルを『新・どっちの料理ショー』に改め、芸能人4名に加えて、オープニングで草彅に呼ばれて登場する「腹ヘリコプターズ」と称する一般参加者7名の計11名)が対決する内容になった。
これが仇になってしまい、更に視聴率が大幅低下。結果8ヶ月後には視聴者参加は廃止され、年が明けて2006年からは再び芸能人で対決するようになり、後に人数は11人から9人へ減らされた。
最終的に2006年9月で番組は終了。
最終回は「史上最強丼キング決定戦」と銘打って関口側は「親子丼」、三宅側は「
カツ丼」で勝負。結果は
親子丼が9対0で完封勝ち、参加全パネリストが食べられる有終の美を飾った。
本放送終了後も根強い人気があったのか2007年1月4日には「どっちの料理ショー RETURNS 2007」が、2012年4月19日には「帰ってきた!どっちの料理ショー 腹ペコ復活祭」が2時間特番として各々放送され、それから8年半後の2020年には期間限定(11月19日 - 12月31日)ではあったが、動画配信サービスの「TVer」・「ytvMyDo!」・「GYAO!」にて「帰ってきた!どっちの料理ショー.web」のタイトルでwebオリジナルコンテンツによる無料配信を実施した。
なお、2006年10月からは藤井隆を迎え、言わば『どっちの料理ショー』の旅版で、日本各地の「2つの旅」を比較する内容になっていて、総合司会者とゲストに、司会者グループの残り2人がプレゼンを行う『ニッポン旅×旅ショー』に衣替えするも健闘はむなしく1年で終了。
同時に関口宏と三宅裕司も降板となった。足掛け11年と10カ月だった。
なお、『テンベストSHOW』から『ニッポン旅×旅ショー!!』まで続いた関口・三宅司会の番組、そして後継の『秘密のケンミンSHOW』が放送されている21時台と『ダウンタウンDX』が放送されている22時台が続けて読売テレビ制作枠になっているのは、本来この枠が読売テレビ制作の『木曜ゴールデンドラマ』→『ドラマシティ'92』という2時間ドラマ枠だった名残りである。
◆ルール
関口のレッドキッチンと三宅のイエローキッチンの2チームに分かれ、中華丼VS天丼、抹茶パフェVSチョコレートパフェといった似通った料理を厳選した素材で用意し、どちらの料理にするかをパネリストは後述するラストオーダー後、各席に置いてある料理名のパネル2つのうち1つを上げ、多かった方が勝利となる。
負けた司会者と選んだパネリストは選んだ料理は食べられない上に、勝った方のメニューの司会者とパネリスト達の食事をただ眺めるだけという屈辱を味わう。
また、通常テレビ番組の収録ではロケ弁やケータリングが支給されるが、この番組ではそれらが一切支給されない為、腹ペコの出演者たちは「美味しい料理を満喫できる」か「腹ペコのまま食べられずに帰る」かまさに天国か地獄かを味わうものであった。
◆パネリスト
パネリストは絶対に引き分けにならないように、全盛期は7人、『新どっちの料理ショー』初期は11人、後期は9人と必ず
奇数でキャスティングさせられる。従って、お互いの席で半々(例:レッドキッチン側の席に4人、イエローキッチン側には3人)に分かれても必ず勝敗が決まる。コンビかトリオの芸人が呼ばれても2人・3人で1票にさせられて個人で決める事は許されなかった。団体戦の場合も1チームで1票しか投じられないルールだった。
パネリストのレギュラーはSMAPの草彅剛(番組開始から
最終回まで)、山田五郎(番組開始から1998年の12月まで)
◆主なコーナー
合間に挟まるVTRは時期によって内容やタイトルが異なるため、ここでは省く。
番組開始と試食タイムの2回、パネリストに食べたい方をジャッジさせる。全盛期は選んだキッチン側の座席に座り、2回目のジャッジの際に移動しても可能なルールで、ラストオーダーもそこで行う。『新・どっちの料理ショー』になった後期はセット中央に設置されたパネリスト席でラストオーダーを含む全てのジャッジを行う。いずれも結果はラストオーダーに反映されない。
放送2年目の1998年4月からは1回目のジャッジの後に、関口「どっちも」関口・三宅「クッキング!」のコールで調理が開始となる。
調理はいずれのキッチンも辻調グループ校(辻調理師専門学校おゆび系列校)の講師が一人ずつ担当(スペシャルでは2人になる場合もあった)していた。
番組の目玉コーナーでその料理の食材から1つ選び、それを調達するまでを密着取材する。仕事人の来歴を兼ねた紹介、食材の入手(収穫)の過程をこと細かに紹介する。両キッチンにとってはある意味切り札でもあり、それで勝利に辿り着くメニューも数多かった。
たまにだが調理器具や食器といったの食材じゃないのも特選素材として紹介する他、海外ロケも行う。
2003年4月からはそのリポートやスタジオでのアシスタントを行う役割として、東京の日本テレビと番組制作を行う大阪の読売テレビから男性アナウンサーが1名ずつレギュラー出演するようになった。
関口と三宅が調理の過程で味見し、パネリストにその美味しさを訴える。試食タイムでは両キッチンがパネリスト達にも試食を用意するが、当然ルールに則り、用意されるのは特選素材一口分。それを食べさせ2回目のジャッジを下す。
ただし後期になると試食タイムが全員ではなく、ルーレットやクイズによって1人だけになった。
そのメニューを扱う店を紹介する。
その料理人がその料理の良さを説明し、調理して実食する。
料理を仕上げるコーナーで盛り付け等でパネリストに見せて最後のアピールを行う。
特選素材同様に調理時の香ばしい匂い、美しい盛り合わせ、そして追い討ちをかけるキンキンに冷えた
ビール等でこの場面で移り変わるパネリスト達もいる。
ファイナルプレゼンテーションで料理完成後に流れる。
お互いの料理の調理から完成までの過程が10秒のカウントダウンの映像として流れ、2人の司会者が改めて「今夜のご注文はどっち!?」と言う。
パネリストはテーブルにある赤(レッドキッチン)か黄色(イエローキッチン)の料理名が書かれた楕円形のパネルを手元のスイッチを押して立ち上げる。草彅などパネリストの何人かは机に突っ伏して、わざと自分が選んだ料理を見ないように押している。ちなみに番組開始から2回目までは「オーダープレート」という電飾が付いた2つの大きな円形の板をパネリストが自ら起こして、食べたい方のスイッチを押していた(選んだ方の「オーダープレート」が点滅する仕組み)。最終的に立ち上がったパネルの多い方が勝利となるが、2002年4月18日放送分以降、勝利したパネラーが立ち上げたパネルのみ点滅するシステムになった。
負けたシェフと司会者は、勝った司会者から「撤収」と言われそそくさと片付ける。この際に画面に撤収の文字が降下し、応援した視聴者などに詫びるテロップが流れる。
ファイナルプレゼンテーションを見て最初に選んだ料理と違う料理に乗り換えるといういわゆる「裏切り」展開も多くあり、半数以上が最初に選んだ料理とは違う料理と選び大逆転という展開もかなりあった。
勝った司会者とパネリストたちが選択した料理を堪能。
飲み物も提供され、未成年者以外は
ビール・日本酒・ワインなどの酒が用意される。
デザート対決の場合は緑茶やミルクティーになることもあった。負けた司会者とパネリストは負けキッチン側の座席に座ったまま眺める。
実は収録時間は54分ある通常回で倍の2時間、2時間SPではさらに倍の6時間に及ぶ。さらに放送上で調理しているのは実は1人前で
初めから人数分用意しているわけでは無い。撤収シーンの後、勝ったパネリストと司会者の人数分の料理を改めて調理しなければならないためさらに収録時間が長くなる。
上記した調理時間が長いという出演者からのクレームというのはこれが原因。
一時期はその後の提供バックでスタジオを後にした出演者が出入り口でコメントする様子が流れ、勝者側の喜びの声はもちろん、負けた側の司会者とパネリストが愚痴をこぼし終始哀愁が漂っている様子も見られた。
勝利したチームの会食後、負けたシェフがその料理を1人寂しく食べてコメントを述べるコーナー。
余談だが負けた関口が清掃員の格好をし、モップで床を磨いていたことがあったり、草彅が出てくる事もあった。この他にも萩原流行が読売テレビの別のトーク番組で、「実は、負けたシェフの料理も収録後に食べてます」と暴露して番組永久出入り禁止となってしまった。
最後はCMを挟んで、勝った司会者とパネリストが一斉に「ごちそうさま!(パネリストによっては「ごちそうさまでした!」)」と言うエンドクレジットで番組が終了する。
他にも一時期、その料理の由来等を説明するコーナーなどがあった。
◆余談
「めちゃイケ」等の一部のバラエティ番組ではこれをパロディにした企画が放送された。
番組も長期化により以前出た料理が別対決で出ることがある。
無敗のものもあれば、一度も勝利したことない料理もある。
2004年の放送回では出演者の一人である当時未成年だったタレントが同系列の『カミングダウト』にて過去の窃盗事件を告白するという不祥事をやらかし、お蔵入りの危機に瀕する。しかし放送日を1か月先延ばしにした上で、当該出演者の顔をテロップやクマのぬいぐるみなどで無理やり隠すという荒業により何とか放送しきった。
2001年8月9日放送では前番組のプロ野球中継にて実況の日本テレビアナウンサー・小川光明氏が「(野球中継延長により)どっちの料理ショーは9時30分よりお送りします」と「(ジャイアンツ1点追加で)5対2になりました」がごっちゃになってしまい、
「どっちの料理ショーは5対2です」と言ってしまった。
そして本放送の結果は・・・・・・(三宅)5対2(関口)だった。
追記か!
それとも修正か!
今夜の項目編集は
どっち!?
- 末期頃に一般参加型にもなったが・・・2度も参加して2度とも食べれなかった男の子が番組最後にガチ泣きしてたのは覚えてる(終わった原因ってそれかな?) -- 名無しさん (2015-06-07 18:13:44)
- 食材を使ったフルコース対決とか無かったかな -- 名無しさん (2015-06-07 18:50:29)
- プロ野球中継での料理ショー予想外のネタバレには当時爆笑した記憶がある -- 名無しさん (2015-06-07 19:07:15)
- 牡蠣フライと何かの対決で牡蠣フライが満場一致だったことがあったなぁ -- 名無しさん (2015-06-07 20:07:00)
- ↑3有った。松茸とサンマはないと思った。 -- 名無しさん (2015-06-07 20:28:11)
- 僕は好き -- 名無しさん (2015-06-07 20:34:28)
- 俺が見てた時はやたらと草なぎが勝てなかった覚えがあるけど実際どれぐらい食えてたんだか -- 名無しさん (2015-06-07 21:20:42)
- 正直一般参加は蛇足だったなぁと。 -- 名無しさん (2015-06-07 23:53:44)
- ラーメン対決でレンゲに燻製の匂いをつけたのを、やり過ぎと言われて負けたのが記憶に残っている -- 名無しさん (2015-06-08 00:54:34)
- ↑5 その後リベンジとして松茸VS秋刀魚・なす・栗連合軍が行われ、松茸にギリギリで勝つんだよね -- 名無しさん (2015-06-08 08:45:37)
- 一番大人数だったのは、カレーvsラーメンで9チーム満場一致でカレーだった時の45人だったはず。 -- 名無しさん (2015-06-08 09:53:10)
- 当時から思ってたが、なんていうか「どっちが美味しそうでショー」だよねえ? -- 名無しマン (2015-06-08 12:58:15)
- 唯一覚えてるのは大学芋VS鯛焼きで6VS1で大学芋が買って負けた方の司会者 -- 名無しさん (2015-06-08 17:58:19)
- ミス↑勝って、負けた方の司会者が負けた人に帰り何か食べようか聞いたら大学芋って答えていた -- 名無しさん (2015-06-08 17:59:31)
- この手の番組のお約束として、中間ジャッジで一人だけ別の色の席に座っていてラストオーダーで裏切ったら他の六人全員がその色を裏切ると言う展開がよくあった。 -- 名無しさん (2015-06-08 23:41:48)
- 山田五郎はなぜ降板したのか -- 名無しさん (2015-06-09 12:37:22)
- 中尾彬さんは出演して食べられなかった事がないような。 -- 名無しさん (2015-06-09 12:39:15)
- ↑あっても、1、2回だけだったような。 -- 名無しさん (2015-06-09 15:34:25)
- たまに出演してた山田五郎見て爆笑してた記憶 -- 名無し (2015-06-09 20:54:25)
- たまにこれが勝つの?って思う料理がある。お赤飯とか豚肉とキクラゲの卵炒めとか。 -- 名無しさん (2015-06-27 00:32:42)
- 天丼コースVS親子丼コースみたいに一品で取り上げられる事が出来る料理をメインにしたフルコース対決もあった。 -- 名無しさん (2015-11-25 05:18:26)
- 負けた方は悔しそうだが、散々見せられてどうせ食べられないこっち(視聴者)だってきつかったw -- 名無しさん (2016-10-26 15:21:44)
- これのおかげで鍋焼きうどんが好きになったw ある回での鍋焼きうどんが凄い旨そうで翌日母親に晩飯で近くのうどんが美味い店に連れて行ってもらったのがきっかけ -- 名無しさん (2016-10-26 15:25:23)
- これ好きだったなぁ。そして応援するほうがよく負けるというね・・・w -- 名無しさん (2016-10-26 16:06:17)
- またやってほしいなぁ。あと、ラーメン三国志編はとても面白かった。 -- 名無しさん (2018-07-17 12:41:44)
- 好きな料理の方を基本的に応援するが、レシピにより食べられない食材が入っているとテンションが下がり、好きでもない方を応援したりした。 -- 名無しさん (2018-08-19 05:07:27)
- これ、番組の制作スタッフの人たちはみんな料理を食べられると聞いたけどホントかしら? -- 名無しさん (2018-08-19 12:01:10)
- 収録見に来ている人達とかに振る舞われたりしたのかな? -- 名無しさん (2019-07-31 20:26:07)
- 帰ってきた、を見たけど、面白いには面白いんだけど、今一つだったなあ。料理番組としてはいいんだけど、やっぱり関口さんと小宅さんとゲスト、そして負けシェフの晩餐がないとあの面白さは出せないんだろうね -- 名無しさん (2020-11-24 18:33:11)
- 放送時間が遅いのもあって飯テロされた挙げ句にどこも飲食店がやってなく苦痛を味わわされたw -- 名無しさん (2022-07-27 11:09:34)
- ↑4 「命で遊ぶな」「食い物を粗末にするな」は飯系番組が避けて通れない課題だからなぁ。そのためのテンプレが「スタッフが美味しくいただきました」だけど、この番組でそれ言っちゃうとコンセプトが爆散しちゃうというか…… -- 名無しさん (2022-07-27 20:36:09)
- 負けたらそのレシピを破棄しなければならないってルール、なかった? -- 名無しさん (2022-07-27 21:26:56)
- ↑16 亡くなった渡辺徹さんは28回出演して一度も負けを選んだことがなかった。 -- 名無しさん (2022-12-03 10:43:50)
- メイン食材が魚と肉の対決だったらほぼほぼ肉が勝つことに気づいてからは熱心に見なくなってしまった。 -- 名無しさん (2023-12-14 12:52:07)
- 懐かしい。子供の頃、なぜか毎回三宅側を応援してた。ファンでもないのに -- 名無しさん (2024-01-12 00:21:24)
- 本当に良い飯テロ番組だった。今のネットの発達した社会だとお手軽に飯テロを発掘出来るから、放送しても当時ほどは受けないかな? 材料の産地の宣伝もできてなかなか良さそうではあるんだが… -- 名無しさん (2024-08-23 22:26:00)
最終更新:2024年08月23日 22:26