登録日:2016/03/26 Sat 15:06:40
更新日:2025/06/27 Fri 18:19:07
所要時間:約 21 分で読めます
【はじめに】
1972年に世界初の家庭用テレビゲーム機『オデッセイ』が販売されてから、既に50年以上が経っている。
そのオデッセイを先陣として、世の中には多くの
ゲーム機が発売された。
ファミリーコンピュータや
PlayStationなど、人々に多く普及したゲーム機は多い。
その一方、販売台数が振るわずに歴史の闇に消えたものも数多く存在する。
そんなマイナー機達にも、熱心に支えてきたユーザーという人々が一定数はいるものだ。
しかし、世の中に発売すらされずにマイナー機にすらなれなかったゲーム機も存在する。
『前世代機が売れなかった』『設計に失敗した』など、未発売に終わった理由は様々。
幻と化したゲーム機には、試作品が開発されて世の中に本体が存在するものすらある。
この項目では、そんな幻に終わったゲーム機(と周辺機器)を記載する。
なお、『日本では発売されず海外で発売されたゲーム機』も存在する(日本未発売というやつ)。
そのようなゲーム機は、海外では正式に販売されているため記載しないのでご了承いただきたい。
日本での未発売ゲーム機は、今後日本国内での販売が解禁される可能性が存在するためでもある。
現に
ニンテンドー2DSは最初海外のみの販売だったが、後に日本でも限定販売された。
逆に、この項目では日本で販売するか曖昧なまま未発売に終わったゲーム機は記載する。
【据置機】
オセロマルチビジョン FG-1500
『オセロマルチビジョン』とは、オセロや
ルービックキューブで知られたツクダオリジナルが1983年に発売した第3世代ゲーム機である。
その名の通り、オセロのソフトを内蔵するセガのSG-1000互換機。
その中で本機は、初代(FG-1000)とオセロマルチビジョン2(FG-2000)の間に位置するマイナーチェンジ機として想定されていた。
1984年発売予定でFG-2000と並行して展開する構想があったようだが、結局発売には至らなかった。
ゲーム機としては、従来機種よりもやや安めの15,000円程度の低価格が特徴の、廉価版的な意義を持っていた模様。
一部では、従来機種に内蔵されていたオセロのソフトを廃止して低価格を実現したゲーム機だったのではないかとの説がある。
オセロマルチビジョンEX
1984年頃に発売が予定されていたと言われている、オセロマルチビジョンのマイナーチェンジ機。
当時の資料から、FG-2000との関連性が指摘されている。
TVボーイNEWタイプ(仮)
1983年に学習研究社が発売したゲーム機『TVボーイ』の外観を変更した、マイナーチェンジ機。
ラポート社のマイコン★ボックス誌において発売予定のゲーム機として存在が言及され、パンフレットが掲載されていた。
カセットの挿入口などの仕様変更が行われており、発売予定価格は9,800円だった。
しかし、TVボーイ自体が商業展開で失敗に終わった事もあってか、発売されることは結局なかった。
なお、パンフレットで本機にセットされていたソフトの『EXCITING SHIFTER』は、TVボーイで発売されるとしていたソフトだったが、こちらも発売されることはなかった。
Odyssey 5000
マグナボックス社がOdyssey 4000を発売した後に開発していたゲーム機。
合計7つのゲーム(テニス、ホッケー、バレーボール、バスケットボール、ノックアウト、戦車、ヘリコプター)を搭載し、バリエーションを加えることで24種類のゲーム体験に拡張可能だった。
開発中止にはなったものの、同社が発売したOdyssey 2の開発に生かされた。
ファミコンアダプタ
開発公表段階において
ファミコンとの互換機能を予定していた
スーパーファミコンの周辺機器で、ファミコンのソフトが遊べる機器。
スーパーファミコン本体に直接ファミコンカセットを挿すのではなく、このファミコンアダプタを経由し接続することになっていた。
デザインは設計当時のスーパーファミコンに合わせ、薄グレーをベースにスイッチ類は赤色や濃グレーでまとめられており、全体の形状やカセット差込口後部のスリットにファミコンの面影も見られる。
……だが、このファミコンアダプタはスーパーファミコンのカセットコネクタや拡張端子などに接続する必要はなく、単体で使用できるれっきとしたゲーム機なのだ。
つまりスーパーファミコンにデザインを合わせた、新型のファミコンである。
デザイン以外にスーパーファミコンと関係のある機能といえばコントローラ端子が同じで、スーパーファミコン用のコントローラを流用できること。これだけ。
映像出力は従来のRFからコンポジットとなり、ツインファミコンや一般のAV機器でも見られる汎用のピンプラグ端子に変わった。
一方、スーパーファミコン側には映像音声入力端子と変換スルー機能が用意されおり、あらかじめファミコンアダプタをピンケーブルで繋いでおきスイッチを切り替えると、ファミコンアダプタの映像をスーパーファミコン経由でテレビに映すことができる。任天堂はこれを「間接互換」と呼称していた。
しかしこれは互換というよりも、AVセレクタ機能付きのスーパーファミコンに新型ファミコンを接続してあるだけの状態にすぎない。
当然だが、当時のゲーム誌にも突っ込まれていた。
ファミコンとの互換構想が放棄されたためこの機器は未発売となったものの、後に発売されたニューファミコンの原型機と見てよいだろう。
ニューファミコンではスーパーファミコンのAVケーブルを流用し、初代機やスーパーファミコンとの互換性はないものの、海外版NESと同じ規格のコネクタを採用した専用コントローラが用意された。
ちなみに、2010年代からスーパーファミコン本体でファミコンソフトを使う機器が『
FCアダプター』の名で販売されている。もちろん中国製の非ライセンス品。
兄弟機として『
MDアダプター』『
ADアダプター』もあり、いずれも映像音声は付属ケーブルでアダプターの端子からテレビへ直に接続する。
SFC用CD-ROMアダプタ「PlayStation」
最初はPlayStationブランドも任天堂から生まれる予定だった。
当時のソニー・久夛良木健氏はゲームの将来性を見抜いていた。
スーパーファミコンの周辺機器として、ソニー製のCD-ROMアダプタを採用するという確約を取り付けた。
当初、任天堂はこの提案に乗り気でなく、やがて面倒になったので適当にOKを出したというグダグダさ。
ともあれ、このソニー製の周辺機器の名前こそ、『PlayStation』だった。
そして、ソニーはアメリカのゲームショーで、スーパーファミコンと互換性を持つCD-ROMゲーム機の発表を行った。
1991年6月、任天堂はソニーとの契約を突然破棄。
スーパーファミコンのCD-ROMアダプタはフィリップスから発売するという発表を、突如として下した(ただし我々の知るSFC周辺機器の一覧を見れば分かるが、実際には発売されずに終わった)。
ソニーもこれには強く抗議を行い、交渉も続けられたが任天堂の首が縦に振られることは無かった。
事実上の裏切りとも言える契約破棄の明確な理由は、今なおはっきりしていない。
提携想定時の契約のままだと任天堂がソニーの従属的立場になると危機感を抱き、当時の山内博を任天堂のアメリカ法人が説得したからだという。
その契約は「CD-ROMのライセンス料を全てソニー側が得る」という中々強気すぎる内容だったとも言われる。
あるいはフィリップス社との周辺機器を提供しなかったのを見るに、任天堂は初めからCD-ROMなど使う気は全くなく、ライバルへのブラフにしたという説もある。
任天堂が64でなおCD-ROMに否定的だったことを考えると、あり得なくはない。
ともあれ、この騒動でソニーは多大な損失を負い(15億円とも言われる)、久夛良木氏の社内での立場も危ういものとなった。
もっとも、ソニーのCD-I部門はフィリップスの動きを掴んでおり、CD-ROMではなくCD-Iの普及を推進したいフィリップスとの思惑が一致。
CD-ROMの市場拡大に繋がりかねないPlayStation計画をつぶす事を目論んで情報の隠蔽や流出を行っていたため、これ自体はある種、一部門の暴走とは言えソニーにとっても予定通りであったと言えなくもない。
しかし、肝心のCD-Iはソニーとフィリップスという二大企業が考えるほどに広がらず、わずか7年でフィリップスはCD-Iから撤退する事になる。
ソニー社内でゲーム事業への進出意見がますます消極的になる中、屈辱に震える久夛良木氏は懸命に周囲を説得(ほぼ挑発に近かったという)してプレイステーションの開発を続行。
そして、後の我々が知る
PlayStationという名ゲーム機の完成に繋がり、見事にリベンジを果たしたのは皆さんもご存じの通り。
2015年には、このSFC互換を持つPlayStationの試作品の実機が発見された。
WOWOW
タイトーが開発していた幻のハードウェア。
1992年の東京おもちゃショーで初めて公開された。
CD-ROMドライブを搭載し、衛星受信機でもあり、衛星アップリンク経由でゲームをストリーミング配信もできると発表されていた。
しかしコスト面や衛星受信機という当時では珍しいシステムを搭載していたため、開発は難航し、開発中止となった。
衛星受信機とゲーム機を合わせたシステムには任天堂の「サテラビュー」もあるが、こちらも商業的に失敗している。
NC-1
ナムコが発売する予定だった幻のゲーム機。『ナムコ・コンシューマー1』とも呼ばれていた。
ナムコは初期からファミリーコンピュータにソフトを供給していたが、任天堂との間で結んでいたロイヤリティ契約の優遇の見直しに不満を抱いたことから、計画は始まった。
ナムコの中村雅哉は上記の不満以外の理由として、「技術者としてゲーム機を作りたい」「任天堂による市場独占は好ましくない」としていた。
これらの動きは案の定任天堂の不信感を買う事になり、ナムコと任天堂は関係を悪化させることになる。
16bit級の性能を誇り、CD-ROM媒体をソフトメディアに採用する予定だったとも言われる。
世のファミコンブームに対抗するため、「ゲームソフトを2本買ってくれたら本体プレゼント」という出血サービスも予定していた。
しかし、1986年頃から開発が始まったNC-1は、1992年頃に完全に打ち切りとなる。
なお、ナムコの役員の一人がソニーと繋がりを持っていたことから、久夛良木健を開発現場に呼んだこともある。
しかし、氏からは「ナムコさんって、89年頃から3Dポリゴンに力を入れていたのになんでこんな2Dのハードを作っているんですか」と酷評された。
後にPlayStationの情報が入ると、ナムコは自社ゲーム機の構想をやめてPlayStationへの注力に方針を転換し、PlayStationを支える事になった。
Atari Panther
かのATARI社が『
Jaguar(ジャガー)』の前に開発・設計を行っていたゲーム機のコードネーム。
以前は製品名に数字を冠していたATARIだが、Epyx社の持ち込み企画だった携帯機のLynxに続き、据え置き機でもネコ科の動物の名前を利用する流れがここから起こったと言える。
このPanther、最初は32bitの次世代機として、メガドラやネオジオと同じく
CPUにMC68000を採用し開発されていたという。
ところが、開発途中の時点で想定していたスペックが陳腐化してお蔵入りになってしまう。
そのお蔵入りの結果、『Jaguar』が自称「64bit」として送り込まれた。
ハードウェア的には16bit機と32bit機の中間みたいな性能らしい。
ポリゴン表示能力は無かったが、スプライトが2000枚表示できるなどの性能を持っていた。
なお、Pantherの代役として驚異の64bitを自称した『Jaguar』はと言うと……顛末は
単独項目を参照。
Atari Mirai
これまたATARI社が『Jaguar』の前に開発・設計を行っていたゲーム機のコードネーム。
上記Pantherと同時開発していた。
こちらは全く情報が無い。分かっていることは、ネオジオ互換機だったことぐらい。
Jaguar VR
ATARI社がVirtuality社と提携し、JaguarにVR機能を追加しようとした機器である。
経営難で開発中止になってしまったが、任天堂のバーチャルボーイを見る限り、開発中止になって良かったのかもしれない。
Jaguar Duo
ATARI社がJaguarとその周辺機器であるJaguar CDを一体型にしようとした機器である。
当時、カセットとCDの一体型ゲーム機はセガの「Genesis CDX」やNECの「Turbo Duo」などがあったため、それを参考にしたと思われる。
当時のジャーナリストからは、体重計みたいな形をしていると揶揄された。
セガ ネプチューン
その実体は、『Genesis(アメリカ版
メガドライブ)』と『スーパー32X』の一体型機である。
プロトタイプとして試作品も開発され、当時の雑誌では
セガサターンと一緒に紹介していたともされる。
一体型なので、もしかしたら『メガタワー』ことメガドラ+メガCD+スーパー32Xの拡張機器大合体がもたらす、複雑すぎるコード配置やアダプタの負担を消す見込みもあったのかもしれない。
ただ、価格設定的な面やセガサターンとの関係で発売は断念された。
ちなみに、このアメリカ法人の32Xに関する迷走は、アメリカ市場でのセガサターンにも大ダメージを与えている。
北米ではスーパー32X自体が馬鹿にされる風潮なので、このゲーム機もコンセプトが評価されてない。
2011年のE3では、試作品が展示されている。
セガ プルート
セガサターン関連の未発売に終わった幻のゲーム機であり、ネプチューンと同じく『超次元ゲイム ネプテューヌ』シリーズの登場人物である・プルルートの元ネタ。
2013年に元セガ社員が暴露したことで存在が判明した、ネプチューン以上の幻の存在。
セガサターンにネットモデムを搭載したモデルチェンジ機……つまりインターネット接続が可能なセガサターンという立ち位置だったとされる。
実際にセガサターンモデムというネット接続可能な周辺機器は販売されたが、これは生まれる時代を間違えたと評価される。
試作品が2台ほど開発されたらしく、1台はフリーマーケットで1ドルで売られていた。
このフリーマーケットから流出したプルートはオークションで高価格で取引された。100円が155万円になるなんて前代未聞だよ。
残るもう1台は、現在元セガ社員が保管している。
なお、セガサターンの次世代機である
ドリームキャストがネット接続を最大のアピールポイントにしていたのは皆の知るところ。
Yサターン
日本ビクターのVサターンや日立のHiサターンに並んでの、セガサターンの互換機及びバリエーション機。
セガサターンの音源関連の開発に携わった、ヤマハのゲーム機として発売される予定だった。
Vサターンなどの互換機は家電として電気屋での販売を可能としていたが、Yサターンは楽器店での販売を可能にする予定だったとされる。
諸事情で販売されなかったとされているが、その理由は現在まで不明。
しかしセガとヤマハの提携は次世代機となるドリームキャストの開発へと続いた。
実際に発売されたヤマハのセガ互換機としては「コペラ」がある。
「ピコ」にFM音源やマイクなどを追加した上位互換機であり、ピコと同じ玩具ルートのほか楽器店でも販売されていた。
3DO M2/Panasonic M2
3DOの後継機として開発され、本格的に動いていた有名な開発中止ゲーム機。
元々は3DO社が3DO周辺機器として開発を進めていたが、3DOの権利は松下電器に買収される。
こうしてM2の権利を手に入れた松下は、ゲーム開発部門で設計を行っていくこととなる。
当初は「M2アクセラレーター」という3DOのアップグレード機器の構想(後述)だったが、拡張用の周辺機器から次世代ゲーム機へと構想が変化した。
一応、既存の3DOユーザー向けにも何らかのアップグレード施策を行うなど、救済策を継続して検討はしていた。
当時の松下曰く、性能はNINTENDO64の約十倍という第6世代に相応しい性能。
実際の性能は「Dの食卓2」を手がけた飯野賢治曰く『64の2~3倍、ドリームキャストはM2の3~4倍』とのこと。
通信カラオケなどの機能も搭載される予定だったとされる。
試作品も雑誌などで公開されていた。
これを見ると、コントローラーの形や3Dスティックの位置がかなり64に似通っていることが分かる。
しかし、3DOのかなりの不振が響いて、最終的にM2は発売されなかった。
ゲーム機市場も、既にある程度情勢が決まった状態となっており、3DOの次世代機を投入したところで勝ち目は薄かった。
権利を買収するために使った金も元を取れず、M2の開発部署は解散した。
最終的にM2は、1998年に松下電器産業の「vizHouse」やキオスク端末などの業務用機器として市場に投入される運命を辿る。
またコナミとカプコンはM2のアーキテクチャをアーケード基板に採用した。
が、このコナミの基板「タランチュラ」も読み込み性能の難から採用したゲームは多くない。
ゲームソフトはもちろん、コンシューマゲーム機としても発売されることはなかったが、M2ソフトの『IMSA Racing』のベータ版が2010年に流出した。
これによって、ソフトは一応世に残ったことになる。
3DO M2アクセラレーター
上記のM2へと、既存の3DOをパワーアップさせるために作られていたとされる周辺機器。
3DOに64bit CPU搭載チップを搭載させることで、M2システムへとアップグレードさせるという機器らしい。
後発のライバル機の出現もあって貧弱だった、3DOの3D機能を大幅に強化する3D画像処理技術を持つとされる。
旧世代機に拡張機器を使用することで、実質的な次世代機にアップグレードさせるというのは、後年でも見られない壮大で画期的な企画だったと言える。
松下のインタラクティブメディア事業部長だった立花博之氏は、何としてもこの構想の実現を成し遂げようとしていた模様。
しかし、いつの間にか話は消え始めていた上に本格的にM2本体のみで話は進み、そのM2本体も開発中止になったために実現はならなかった。
M2という独立した完全新型ゲーム機の構想に変化し、アップグレードの具体的な策が出なかったのは、3DOにはM2アクセラレーターに使えるような拡張用の端子が少なかったからともされている。
M2と3DOの設計も別系統のゲーム機とも言えるくらいには別物であり、外部機器でのアップグレードに懐疑的な声も当時から見られていた。
試作品が存在するM2本体とは異なり、どのような外観を想定していたのかも今となっては知る術はない。
SAMSUNG 3DO
あのサムスン電子が開発していた、3DOのバリエーション機。
VHSビデオデッキの様なデザインをしており、本体内部にビデオCDアダプター接続専用のスペースがある。
全盛期に参戦した三洋電機や金星電子とは違い、3DOの敗北が確定した頃に参戦したため開発中止になったと思われる。
ドリームキャスト用Zipドライブ
ドリームキャスト用の周辺機器として、アメリカのアイオメガ社によって開発されていた100MBのZipドライブ。
セガ・エンタープライゼスと共同開発しており、1999年に発売予定だった。
当時のアイオメガは、「この新しい装置で家庭用ゲームシステム市場を変えていきます」とかなり意気込んでいた。
しかしなかなか発売には至らず、後にドリームキャスト・カラオケの発売が予告されると同時に発売予定表から消えた。
なお、このZipドライブはドリームキャスト・カラオケと同じ方法で接続を行う。
後に、試作品と思われるZipドライブが「eBay」に出品され、世の中に流出した。
ただし、専用ソフトが作られなかったため、接続しても実質意味を持たない物体と化してしまっている。
ファントム
現在まで詳しい正体が分かっていないという、ある種伝説の存在。
アメリカのInfinium Labs社が開発していた海外製ゲーム機。
一度は2004年11月18日発売とアナウンスされた。
諸々のトラブルを理由に2005年3月に延期されたが、その後まったくもって続報が無く終わった。
本体は2年間契約でユーザーにレンタル提供する、特殊な販売形態を強調していたらしい。
しかし、2005年には2万~3万円での発売に変更するという普通の販売形態に訂正された。
ネットワーク配信でHDDにソフトを保存させるなど、後のゲーム市場を先駆けたソフト販売も構想していた。
本体外観はあの
Xboxと同じように、海外製ゲーム機らしい大型の姿が確認される。
当時遊んだ人曰く、専用コントローラーやワイヤレスキーボードの操作感は良好らしい。
続報が無いどころか、開発中止の報告すらないというあんまりな末路である。
どうやら、今現在は『最初からそんなものは無かった』扱いなのかもしれない。
日本市場への参入予定があったのかも不明。当時の紹介記事でも『期待できない』と書かれていた。
DVD対応型Wii
当初、任天堂が発売を想定していたとされる、
Wiiのバリエーション版。
WiiはCD・DVD視聴に対応していないが、一応内蔵ドライブはそれらの読み込みに対応している。
Wiiはまだコードネーム「レボリューション」とも呼ばれていた発売前の時期、将来的に小型アタッチメントを利用することでDVD視聴を可能にすると公式で声明を出していた。
後に、任天堂は「WiiにDVD再生機能を追加した新型モデル」の発売予定を発表し、2007年に発売するはずだった。
ところが、いつの間にかDVD対応モデルのWiiの話は消え去っていた。
公式によるQ&Aでは想定を超えた需要に対し供給を安定させるため延期すると説明されていたほか、DVD対応モデルの外装は通常モデルと変わらないこと、またライセンス料により価格が高くなる可能性も示唆されていた。
もしWiiの売れ行きがそれほどでもなかったら、テコ入れ策として当初の予定通り発売されていたのかもしれない。
その後、Wiiの後継機である
Wii UもまたCD・DVD視聴に対応することはなく、そして
Nintendo Switchではとうとう光学ドライブの搭載をやめてしまったため、任天堂のゲーム機でのCD・DVD視聴は結局叶わなかった。
PlayStation3ベースのユニバーサルなメディアプレーヤー(仮)
PC WATCH連載の『本田雅一の「週刊モバイル通信」』にて、久夛良木健が開発プロジェクトの立ち上げを宣言。
本田氏が「PlayStation3ベースのユニバーサルなメディアプレーヤー」の要望を話したところ、久夛良木氏自身も欲しいと言ったことでリクエストを了承した。
この会話を受けて、ソニーのオーディオ事業部とSCEの一部人員が具体的な行動に移るという事態にまで発展した模様。
久夛良木氏の構想では「一般的なAVコンポーネントと同等サイズ、振動対策が施された強力な電源を持つ筐体、メインメモリを2倍にアップ」とのこと。
本田氏は「HDMI×2出力でオーディオと映像を分ける仕様」も要望して久夛良木氏も実現を約束したが、実際このリクエストも実行すると価格の問題が発生すると述べている。
結局、実現しなかったどころか続報すら全く出ないまま自然消滅した。
その場の口約束に過ぎない話だった可能性も高いが、PS3初期の不振やCell構想の失敗も理由としては大きいと考えられる。
【携帯機】
携帯型スーパーファミコン
『東京おもちゃショー1993』にて参考展示されていたという情報が残っている、携帯型のスーパーファミコン。
バンダイが販売する製品で、ラップトップ型だったらしい。
立体視対応ゲームボーイアドバンス
テスト用に試作品だけが作られた、幻のゲーム機。
ディスクシステムで発売された3Dホットラリーに始まり、あの
バーチャルボーイを作り、そして
ニンテンドーゲームキューブには3D立体視表示機能があったのは有名な話。
任天堂(特に当時の山内溥社長と宮本茂氏)はそれほど立体視が大好きで、その仕組みに夢と希望を抱いていた。
そんなわけで、ゲームキューブの次のテストとして
ゲームボーイアドバンスで立体視に挑戦する。
そして3Dディスプレイを付けたゲームボーイアドバンスSPが完成した。
ところが、高解像度の画像はあまり綺麗ではないという弱点が早速露呈したらしい。
視差バリア方式のディスプレイはきちんと動作する物ではなかった。
これは、ゲームボーイアドバンスのグラフィック処理能力が充分でなかったからだと述べている。
この試作品を見た任天堂は3D表示、特に裸眼立体視を成立させるにはハードの性能やコストの面での問題が大きく、消費者に対して充分な魅力を持っていないとして商品化はせずに一度諦めることとなる。
携帯機での立体視は、後の
ニンテンドー3DSで成功することとなる。
このゲーム機の試作品は故・岩田聡氏の引き出しに保管されており、今後世に出回る可能性は限りなく低い。
The Jungle
第7世代の携帯機として発売する予定だった、パナソニックのゲーム機。
姿は任天堂携帯機のように、折り畳める姿をしている。
オンラインゲームに特化した携帯ゲーム機として開発されていた。
キーボードやタッチパッドも使用可能としていた。
このように、今までのゲーム機とかなり性質が異なる。
これは任天堂携帯機以外が全滅している海外携帯機市場を考えて、棲み分けを狙ったと推測できる。
アメリカで試作品の配布を始め、いずれ日本市場にも参入する予定があったという。
一部ユーザー向けに既にテストも行っていたという話もある。
しかし、
ニンテンドー3DSなどが発売されてもいつまでも続報が無い状態となっていた。
すると、気が付いたら発売中止の決定が報じられた。
アメリカの一部のユーザーは知っていたのかもしれないが、最後まで全容が分からずに終わった。
仮に日本でも発売されていたら、携帯ゲーム市場の環境に影響は及ぼしたのだろうか……?
公式声明は「市場および戦略の方向性の変化により、開発を中止にすることにした(要約)」とのこと。
追記・修正は未発売ゲーム機の試作品を見つけてからお願いします。
- ハード項目ニキお疲れ様だけど、文章がちょいちょいくどかったり改行が多すぎたりするから気を付けてね -- 名無しさん (2016-03-26 15:21:48)
- プルートがネプテューヌシリーズのプルルートの元ネタなのには触れないのか? -- 名無しさん (2016-03-26 17:34:45)
- 結果論だけどPlayStationの誕生が、任天堂の裏切り行為が元だった事を考えると、64以降の据え置きハードがPS系にシェア取られて売れなかったのって完全に自殺行為だったんだな -- 名無しさん (2016-03-26 18:01:08)
- でも逆に「裏切ったからこそ、シェアを取られる程度で済んだ」可能性もあるからな。軒を貸して母屋を取られた可能性も、共倒れして家庭用ゲーム市場が崩壊していた可能性もある。 -- 名無しさん (2016-03-26 18:30:53)
- ここのコメント欄は荒れそう -- 名無しさん (2016-03-26 18:45:39)
- もし通ってたらハード進化の歴史もかなり緩やかになってたんだろうか… -- 名無しさん (2016-03-26 19:24:20)
- バーチャルボーイといい任天堂の3Dへの執着は凄い。 -- 名無しさん (2016-03-26 21:10:43)
- 先々代の社長が3D大好きだったっていうからねぇ。 -- 名無しさん (2016-03-27 00:19:30)
- 生活必需品ならともかく、あくまで嗜好品なんだから客に合わせる必要は無いんじゃね? -- 名無しさん (2016-03-27 00:54:37)
- 下手したらニンテンショックが起こる可能性もあったんだな -- 名無しさん (2016-03-27 02:54:22)
- ↑某ジーコサッカーよりロムの調達がしやすいしありえたかも -- 名無しさん (2016-03-27 04:03:02)
- 荒れそうなら撤去した方がいいですか? -- 名無しさん (2016-03-27 23:14:38)
- いいんでないの?というかコメント欄はどの項目も記事の修正について話してるわけじゃなく、ただ雑談してるだけの場所になってるから全部撤去してもいいくらい。 -- 名無しさん (2016-03-28 02:46:22)
- 伸びないし編集合戦にもならないし全然平和だよ -- 名無しさん (2016-03-28 10:45:11)
- 偶然なんだろうけどサターン、ネプチューンの名が付くカブトムシがいて、そいつらが近縁種同士っていうのが面白い -- 名無しさん (2018-06-01 13:18:20)
- googleが作ってたやつもここ行きかな。開発中止になってたよね? -- 名無しさん (2021-06-28 11:31:33)
- 本当なのか確かめようが無い記述が多くて、うぃきぺ程とは言わないけど、もうちょっと出典をはっきりさせた方がいいと思う -- 名無しさん (2022-07-21 13:32:44)
最終更新:2025年06月27日 18:19