未発売のゲーム機一覧

登録日:2016/03/26 Sat 15:06:40
更新日:2023/07/27 Thu 11:43:58
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M2本体公開!!











【解説】



1972年に世界初の家庭用テレビゲーム機『オデッセイ』が販売されてから40年以上経過する。

そのオデッセイを先陣として、世の中には多くのゲーム機が発売された。
ファミリーコンピュータPlayStationなど人々に多く普及したゲーム機は多い。
その一方、販売台数が振るわずに歴史の闇に消えたハードも数多く存在する。
だが、そんなマイナーハード達にも熱心に支えてきたユーザーという人々も一定数はいるものだ。

しかし、世の中に発売すらされずにマイナーハードにすらなれなかったゲーム機も存在する。
前世代のハードが売れなかった』『設計に失敗した』など、未発売に終わった理由は様々。
幻と化したゲーム機には、試作型が開発されて世の中に本体が存在するハードすらある。

この項目は、そんな幻に終わったゲーム機(と周辺機器)を記載する項目である。

なお、『日本では発売されず海外で発売されたハード』も存在する(日本未発売というやつ)。
そのようなハードは、海外では正式に販売されているハードのため記載しないのでご了承いただきたい。
日本での未発売ゲーム機は、今後日本国内での販売が解禁される可能性が存在するためでもある。
(現にニンテンドー2DSは海外のみの販売だったが、後に日本でも限定販売された)

逆に、この項目では日本で販売するか曖昧なまま未発売に終わったハードは記載する。


【据置機一覧】



オセロマルチビジョン FG-1500


オセロマルチビジョンとは、オセロやルービックキューブで知られたツクダオリジナルが1983年に発売した第三世代ハード。その名の通りオセロのソフトを内蔵するセガのSG-1000互換機。
その中で本機は初代(FG-1000)とオセロマルチビジョン2(FG-2000)の間に位置するマイナーチェンジハードとして想定されていた。
1984年発売予定でFG-2000と同時発売して展開する構想があったようだが、結局発売には至らなかった。

ハードとしては、従来機種よりもやや安めの15,000円程度の低価格が特徴の廉価版的な意義を持っていた模様。
一部では、従来機種に内蔵されていたオセロのソフトを廃止して低価格を実現したハードだったのではないかとの説がある。


オセロマルチビジョンEX


1984年頃に発売が予定されていたと言われているオセロマルチビジョンのマイナーチェンジハード。
当時の資料から、FG-2000との関連性が指摘されている。


TVボーイNEWタイプ(仮)


1983年に学習研究社が発売したゲーム機『TVボーイ』の外観を変更したマイナーチェンジハード。

ラポート社のマイコン★ボックス誌において発売予定のハードとして存在が言及され、パンフレットが掲載されていた。
カセットの挿入口などの仕様変更が行われており、発売予定価格は9,800円だった。
しかし、TVボーイ自体が商業展開で失敗に終わった事もあってか、発売されることは結局なかった。

なお、パンフレットで本ハードにセットされていたソフトの『EXCITING SHIFTER』は、TVボーイで発売されるとしていたソフトだったが、こちらも発売されることはなかった。


ファミコンアダプタ


開発公表段階においてファミコンとの互換機能を予定していたスーパーファミコンの周辺機器で、ファミコンのソフトが遊べる機器。
スーパーファミコン本体に直接ファミコンカセットを挿すのではなく、このファミコンアダプタを経由し接続することになっていた。
デザインは設計当時のスーパーファミコンに合わせ、薄グレーをベースにスイッチ類は赤色や濃グレーでまとめられており、
全体の形状やカセット差込口後部のスリットにファミコンの面影も見られる。

…なのだが、このファミコンアダプタはスーパーファミコンのカセットコネクタや拡張端子などに接続する必要はなく、
単体で使用できるれっきとしたゲーム機なのだ。つまりスーパーファミコンにデザインを合わせた新型のファミコンである。
デザイン以外にスーパーファミコンと関係のある機能といえばコントローラ端子が同じで、スーパーファミコン用のコントローラを流用できること。これだけ。
映像出力は従来のRFからコンポジットとなり、ツインファミコンや一般のAV機器でも見られる汎用のピンプラグ端子に変わった。

一方、スーパーファミコン側には映像音声入力端子と変換スルー機能が用意されおり、あらかじめファミコンアダプタをピンケーブルで繋いでおきスイッチを切り替えると
ファミコンアダプタの映像をスーパーファミコン経由でテレビに映すことができる。任天堂はこれを「間接互換」と呼称していた。
しかしこれは互換というよりも、AVセレクタ機能付きのスーパーファミコンに新型ファミコンを接続してあるだけの状態にすぎない。
当然だが、当時のゲーム誌にも突っ込まれていた。

ファミコンとの互換構想が放棄されたためこのハードは未発売となったものの、後に発売されたニューファミコンの原型機と見てよいだろう。
ニューファミコンではスーパーファミコンのAVケーブルを流用し、初代機やスーパーファミコンとの互換性はないものの、海外版NESと同規格のコネクタを採用した専用コントローラが用意された。

ちなみに2010年代からスーパーファミコン本体でファミコンソフトを使う機器が『FCアダプター』の名で販売されている。もちろん中国製の非ライセンス品。
兄弟機として『MDアダプター』『ADアダプター』もあり、いずれも映像音声は付属ケーブルでアダプターの端子からテレビへ直に接続する。


SFC用CD-ROMアダプタ「PlayStation」


最初はPlayStationブランドも任天堂から生まれる予定だった。

当時のソニー・久夛良木(くたらぎ)(けん)氏はゲームの将来性を見抜いていた。
スーパーファミコンの周辺機器として、ソニー製のCD-ROMアダプタを採用するという確約を取り付けた。
当初は任天堂はこの提案に乗り気でなく、やがて面倒になったので適当にOKを出したというグダグダさ。
ともあれ、このソニー製の周辺機器の名前こそ、『PlayStation』だった。
そして、ソニーは米国のゲームショーでスーパーファミコンと互換性を持つCD-ROMハードの発表を行った。

1991年6月、任天堂はソニーとの契約を突然破棄。
スーパーファミコンのCD-ROMアダプタはフィリップスから発売するという発表を突如として下した。
(なお、我々の知るSFC周辺機器の一覧を見れば分かるが、実際には発売されずに終わった)
ソニーもこれには強く抗議を行い、交渉も続けられたが任天堂の首が縦に振られることは無かった。

事実上の裏切りとも言える契約破棄の明確な理由は今現在はっきりしていない。
提携想定時の契約のままだと任天堂がソニーの従属的立場になると危機感を抱き、当時の山内博を米国任天堂が説得したからだという。
その契約は「CD-ROMのライセンス料を全てソニー側が得る」という中々強気すぎる内容だったとも言われる。
あるいはフィリップス社との周辺機器を提供しなかったのを見るに、任天堂は初めからCD-ROMなど使う気は全くなく、ライバルへのブラフにしたという説もある(任天堂が64でなおCD-ROMに否定的だったことを考えるとあり得なくはない)。

ともあれ、この騒動でソニーは多大な損失を負い(15億円とも言われる)、久夛良木氏の社内での立場も危ういものとなった。
尤も、ソニーのCD-I部門はフィリップスの動きを掴んでおり、CD-ROMではなくCD-Iの普及を推進したいフィリップスとの思惑が一致。
CD-ROMの市場拡大に繋がりかねないPlayStation計画をつぶす事を目論んで情報の隠蔽や流出を行っていたため、これ自体はある種、一部門の暴走とは言えソニーにとっても予定通りであったと言えなくもない。
しかし、肝心のCD-Iはソニーとフィリップスという二大企業が考えるほどに広がらず、わずか7年でフィリップスはCD-Iから撤退する事になる。
ソニー社内でゲーム事業への進出意見がますます消極的になる中、屈辱に震える久夛良木氏は懸命に周囲を説得(ほぼ挑発に近かったという)してプレイステーションの開発を続行。
そして、後の我々が知るPlayStationという名ハードの完成に繋がり、見事にリベンジを果たしたのは皆さんもご存じの通り。

2015年には、このSFC互換を持つPlayStationの試作機の実機が発見された。


NC-1


ナムコが発売する予定だった幻のハード。『ナムコ・コンシューマー1』とも呼ばれていた。

ナムコは初期からファミリーコンピュータにソフトを供給していたが、任天堂との間で結んでいたロイヤリティ契約の優遇の見直しに不満を抱いたことから計画は始まった。
ナムコの中村雅哉は上記の不満以外の理由として、「技術者としてハードを作りたい」「任天堂による市場独占は好ましくない」としていた。
これらの動きは案の定任天堂の不信感を買う事になり、ナムコと任天堂は関係を悪化させることになる。

16bit級の性能を誇り、CD-ROM媒体をソフトメディアに採用予定だったとも言われる。
世のファミコンブームに対抗するため、「ゲームソフトを2本買ってくれたら本体プレゼント」という出血サービスも予定していた。
しかし、1986年頃からハード開発が始まったNC-1だったが、1992年頃に開発は完全に打ち切りとなる。

なお、ナムコの役員の一人がソニーと繋がりを持っていたことから、久夛良木健を開発現場に呼んだこともある。
しかし、氏からは「ナムコさんって、89年頃から3Dポリゴンに力を入れていたのになんでこんな2Dのハードを作っているんですか」と酷評された。

後にPlayStationの情報が入ると、ナムコは自社ハード構想からPlayStationへの注力に方針を転換し、PlayStationを支える事になった。


Panther


かのATARI社が『Atari Jaguar』の前に開発・設計を行っていたハードのコードネーム。
以前はハード名に数字を冠していたATARIだが、Epyx社の持ち込み企画だった携帯機のLynxに続き、据え置き機でもネコ科の動物の名前を利用する流れがここから起こったと言える。

このPanther、最初は32bitの次世代ハードとして、メガドラやネオジオと同じくCPUにMC68000を採用し開発されていたという。
ところが、開発途中の時点で想定していたスペックが陳腐化してお蔵入りになってしまう。
そのお蔵入りの結果、『ジャガー』が自称「64bit」として送り込まれた。

ハードスペック的には16bit機と32bit機の中間みたいな性能らしい。
ポリゴン表示能力は無かったが、スプライトが2000枚表示できるなどの性能を持っていた。

なお、Pantherの代役として驚異の64bitを自称した『ジャガー』はと言うと……。


セガ ネプチューン


米国セガが開発を行っていた幻のセガハードであり、『超次元ゲイム ネプテューヌ』シリーズの主人公・ネプテューヌの元ネタでもある。
ただし、実際のハードはネプテューヌのイメージカラー(紫)ではない。

その実体は、『Genesis(米国版メガドライブ)』と『スーパー32X』の一体型ハードである。
プロトタイプとして試作機も開発され、当時の雑誌ではセガサターンと一緒に紹介していたともされる。
一体型なので、もしかしたら『メガタワー』ことメガドラ+メガCD+スーパー32Xの拡張機器大合体がもたらす、複雑すぎるコード配置やアダプタの負担を消す見込みもあったのかもしれない。

ただ、価格設定的な面やセガサターンとの関係で発売は断念された。
ちなみに、この米国セガの32Xに関する迷走は米国市場のセガサターンに大ダメージを与える。
北米ではスーパー32X自体が馬鹿にされる風潮なので、このハードもコンセプトが評価されてない。

2011年のE3では、試作機が展示されている。


セガ プルート


セガサターン関連の未発売に終わった幻のハードであり、ネプチューンと同じく『超次元ゲイム ネプテューヌ』シリーズの登場人物である・プルルートの元ネタ

2013年に元セガ社員が暴露したことで存在が判明した、ネプチューン以上の幻の存在。
セガサターンにネットモデムを搭載したモデルチェンジ機だったとされる(つまりインターネット接続が可能なセガサターンという立ち位置)。
実際にセガサターンモデムというネット接続可能な周辺機器は販売されたが、これは生まれる時代を間違えたと評価される。

試作機が二台ほど開発されたらしく、一台はフリーマーケットで1ドルで売られていた
このフリーマーケットから流出したプルートはオークションで高価格で取引された。100円が155万円になるなんて前代未聞だよ。
残るもう一台は、現在元セガ社員が保管している。

なお、セガサターンの次世代機であるドリームキャストがネット接続を最大のアピールポイントにしていたのは皆の知るところ。


Yサターン


日本ビクターのVサターンや日立のHiサターンに並んでのセガサターンの互換機及びバリエーションハード。

セガサターンの音源関連の開発に携わったヤマハのハードとして発売される予定だった。
Vサターンなどの互換機は家電として電気屋での販売を可能としていたが、Yサターンは楽器店での販売を可能にする予定だったとされる。

諸事情で販売されなかったとされているが、その理由は現在まで不明。
しかしセガとヤマハの提携は次世代機となるドリームキャストの開発へと続いた。

実際に発売されたヤマハのセガハード互換機としては「コペラ」がある。「ピコ」にFM音源やマイクなどを追加した上位互換機であり、ピコと同じ玩具ルートのほか楽器店でも販売されていた。


3DO M2(Panasonic M2)


3DOの後継機として開発され、本格的に動いていた有名な開発中止ハード。

元々は3DO社が3DO周辺機器として開発を進めていたが、3DOの権利は松下に買収される。
こうしてM2の権利を手に入れた松下は、ゲーム開発部門でハード設計を行っていくこととなる。

当初は「M2アラクセレーター」という3DOのアップグレート機器の構想(後述)だったが、拡張用の周辺機器から次世代機ハードへと構想が変化した。
一応、既存の3DOユーザー向けにも何らかのアップグレード施策を行うなど救済策を継続して検討はしていた。

当時の松下曰く、性能はNINTENDO64の約十倍という第六世代に相応しい性能。
実際の性能は「Dの食卓2」*1を手がけた飯野賢治曰く『64の2~3倍、ドリームキャストはM2の3~4倍』とのこと。
通信カラオケなどの機能も搭載される予定だったとされる。

試作機も雑誌などで公開されていた。
これを見ると、コントローラーの形や3Dスティックの位置がかなり64に似通った姿であることが分かる。

しかし、3DOのかなりの不振が響いて最終的にはハードが発売されなかった。
ハード市場も、既にある程度ハード情勢が決まった状態となっており、3DOの次世代機を投入したところで勝ち目は薄かった。
権利を買収するために使った金も元を取れず、ハード開発部署は解散した。

最終的にM2は、1998年に松下電器産業の「vizHouse」やキオスク端末などの業務用機器として市場に投入される運命を辿る。
またコナミとカプコンはM2のアーキテクチャをアーケード基板に採用した。
が、このコナミの基板「タランチュラ」もロード性能の難から採用したゲームは多くない。

コンシューマゲーム機としてはソフト・ハード共に発売されなかったが、M2ソフトの『IMSA Racing』のベータ版が2010年に流出した。
これによって、一応はM2ソフトは世に残った形となる。


3DO M2アクセラレーター


上記のM2に3DOをパワーアップさせるために作られていたとされる周辺機器。

3DOに64bitCPU搭載チップを搭載させることで、M2システムへとアップグレートさせるという機器らしい。
後発のライバルハードの出現もあって貧弱だった3DOの3D機能を大幅に強化する3D画像処理技術を持つとされる。
旧世代機を拡張機器を使用する事で実質的な次世代機にアップグレートさせるというのは、後年でも見られない壮大で画期的な企画だったと言える。

松下のインタラクティブメディア事業部長だった立花博之氏は、何としてもこの構想の実現を成し遂げようとしていた模様。
しかし、いつの間にか話は消え始めていた上に本格的にM2ハードのみで話は進み、そのM2ハードも開発中止になった事で実現はならなかった。

完全な新型のM2ハードの構想に変化し、アップグレートの具体的な策が出なかったのは、3DOにはM2アクセラレーターに使えるような拡張用の端子が少なかったからともされている。
M2と3DOの設計も別系統のハードとも言えるくらいには別物であり、外部機器でのアップグレートに懐疑的な声も当時から見られていた。

試作機が存在するM2ハードとは異なり、どのような外観を想定していたのかも今となっては知る術はない。


ドリームキャスト用Zipドライブ


ドリームキャスト用の周辺機器として米アイオメガによって開発されていた、100MBZipドライブ。

セガ・エンタープライゼスと共同開発しており、1999年に発売予定だった。
当時のアイオメガは、「この新しい装置で家庭用ゲームシステム市場を変えていきます」とかなり意気込んでいた。
しかしなかなか発売には至らず、後にドリームキャスト・カラオケの発売が予告されると同時に発売予定表から消えた。
なお、このZipドライブはドリームキャスト・カラオケと同様の形で接続を行う。

後に試作品と思われるZipドライブが、「eBay」に出品される形で世の中に流出した。
ただし、専用ソフトが作られなかった影響で、接続しても実質意味を持たない物体と化してしまっている。


ファントム


現在まで詳しい正体が分かっていないという、ある種伝説の存在。

アメリカのInfinium Labs社が開発していた海外製ハード。
一度は2004年11月18日発売とアナウンスされた。
諸々のトラブルを理由に2005年3月に延期されたが、その後まったくもって続報が無く終わった。

本体は2年間契約でユーザーにレンタル提供する特殊な販売形態を強調していたらしい。
しかし、2005年には2万~3万円での発売に変更するという普通の販売形態に訂正された。
ネットワーク配信でHDDにソフトを保存させるなど、後のゲーム市場を先駆けたソフト販売も構想していた。

本体外観はあのXboxと同じように、海外製ハードらしい大型の姿が確認される。
当時遊んだ人曰く、専用コントローラーやワイヤレスキーボードの操作感は良好らしい。

続報が無いどころか、開発中止の報告すらないというあんまりな末路である。
どうやら、今現在は『最初からそんなものは無かった』扱いなのかもしれない。

日本市場への参入予定があったのかも不明である(当時の紹介記事では『期待できない』)。


DVD対応型Wii


当初任天堂が発売を想定していたとされるWiiのバリエーションハード。

WiiはCDやDVD視聴に対応していないが、一応内蔵ドライブはそれらの読み込みに対応している。
Wiiはまだ「レボリューション」とも呼ばれていた発売前の時期、将来的に小型アタッチメントを利用する事でDVD視聴を可能にすると公式で声明を出していた。
後に、任天堂は「WiiにDVD再生機能を追加した新型モデル」の発売予定を発表し、2007年にリリースされるはずだった。

ところが、いつの間にかDVD対応モデルのWiiの話は消え去っていた。
公式によるQ&Aでは想定を超えた需要に対し供給を安定させるため延期すると説明されていたほか、DVD対応モデルの外装は通常モデルと変わらないこと、またライセンス料により価格が高くなる可能性も示唆されていた。

もしWiiの売れ行きがそれほどでもなかったら、テコ入れ策として当初の予定通り発売されていたのかもしれない。


PlayStation3ベースのユニバーサルなメディアプレーヤー(仮)


PlayStation3のAV家電版。一応本項目で扱うが、ゲーム機としての機能を持っていたのかは不明。

PC WATCH連載の『本田雅一の「週刊モバイル通信」』にて、久夛良木健が開発プロジェクトの立ち上げを宣言。
本田氏が「PlayStation3ベースのユニバーサルなメディアプレーヤー」の要望を話したところ、久夛良木氏自身も欲しいという事でリクエストを了承した。
この会話を受けて、ソニーのオーディオ事業部とSCEの一部人員が具体的な行動に移るという事態にまで発展した模様。

久夛良木氏の構想では「一般的なAVコンポーネントと同等サイズ、振動対策が施された強力な電源を持つ筐体、メインメモリを2倍にアップ」との事。
本田氏は「HDMI×2出力でオーディオと映像を分ける仕様」も要望して久夛良木氏も実現を約束したが、実際このリクエストも実行すると価格の問題が発生すると述べている。

結局最終的には実現しなかったどころか、続報すら全く出ないまま自然消滅した。
その場の口約束に過ぎない話だった可能性も高いが、PS3初期の不振やCell構想の失敗も理由としては大きいと考えられる。


【携帯機一覧】



携帯型スーパーファミコン


『東京おもちゃショー1993』にて参考展示されていたという情報が残っている、携帯型のスーパーファミコン。
バンダイが販売するハードで、ラップトップ型だったらしい。


立体視対応ゲームボーイアドバンス


テスト用に試作機だけが作られた幻のハード。

ディスクシステムで発売された3Dホットラリーに始まり、あのバーチャルボーイを作り、
そしてニンテンドーゲームキューブには3D立体視表示機能があったのは有名な話。
任天堂(特に当時の山内溥社長と宮本茂氏)はそれほど立体視が大好きで、その仕組みに夢と希望を抱いていた。

そんなことで、ゲームキューブの次のテストはゲームボーイアドバンスで立体視に挑戦する。
そして3Dディスプレイを付けたゲームボーイアドバンスSPが完成した。

ところが、高解像度の画像はあまり綺麗ではないという弱点が早速露呈したらしい。
視差バリア方式のディスプレイはきちんと動作する物ではなかった。
これは、ゲームボーイアドバンスのグラフィック処理能力は充分ではなかったからだと述べている。

この試作機を見た任天堂は3D表示、特に裸眼立体視を成立させるにはハードの性能やコストの面での問題が大きく、
消費者に対して充分な魅力を持っていないとして商品化はせずに一端は諦めることとなる。
携帯機での立体視は、後のニンテンドー3DSで成功することとなる。

このハードのプロトタイプは故・岩田聡氏の引き出しに保管されており、今後世に出回る可能性は限りなく低い。


The Jungle


第七世代携帯ゲームハードとして発売する予定だった、パナソニックのハード。

姿は任天堂携帯機のように、折り畳める姿をしている。
オンラインゲームに特化した携帯ゲーム機として開発されていた。
キーボードやタッチパッドも使用可能としていた。

このように今までのゲームハードとかなり性質が異なる。
これは任天堂携帯機以外が全滅している海外携帯機市場を考えて、住み分けを狙ったと推測できる。

米国で試作機の配布を始め、いずれ日本市場にも参入する予定があったという。
一部ユーザー向けに既にテストも行っていたという話がある。
しかし、ニンテンドー3DSなどが発売されてもいつまでも続報が無い状態となっていた。

すると、気が付いたら発売中止の決定が報じられた。
米国の一部のユーザーは知っていたのかもしれないが、最後まで全容が分からずに終わった。
仮に日本でも発売されていたら、携帯ゲーム市場の環境に影響は及ぼしたのだろうか……?

公式声明は「市場および戦略の方向性の変化により、開発を中止にすることにした(要約)」とのこと。





追記・修正は未発売ハードの試作機を見つけてからお願いします。

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最終更新:2023年07月27日 11:43

*1 ドリームキャストで発売されたが、最初はM2での発売予定だった