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3DO

登録日:2019/06/22 Sat 07:43:08
更新日:2025/12/30 Tue 13:47:57
所要時間:約 10 分で読めます




『3DO』とは、かつて米国に存在していた会社名であり、同社が保有していた規格名。
及び、その3DO社とのライセンス契約により、幾つかのメーカーから発売されていたインタラクティブ端末据え置き型ゲーム機である。
読みは“スリーディーオー”が一般的だが、実は"スリーディオ"が正式名称なのだとか。*1

日本からはMSX規格にも最後まで参加していた松下電器産業(現:パナソニック)が真っ先に名前を挙げて『3DO REAL』を発売しており、同規格を代表するハードとなった。
普通に3DOと言えば『3DO REAL』を指し、人々の記憶に残るハードである。
世界でも初めて、拡張機器としては存在していた光メディア(CD-ROM)を専用媒体としたハードである。

名称は3D(3Dimension)にAudioやVideoに倣い、末尾に“O”を付けて、それらの様に普及することを願っていた。
日本では、次世代ゲーム機戦争として知られる第5世代ハードの中でも、最も早くに登場して注目を集めたものの、諸々の事情により3DO自体はシェアの構築に失敗してしまった。


【登場まで】

元々は、米国第2位のゲームソフトメーカーである、エレクトロニック・アーツ(EA)の創業者の1人であるトリップ・ホーキンスが、次の時代のプラットホームとなる新しいゲーム機の開発を目指し90年に独立したのが始まりである。
ホーキンスは、SMSG(San Mateo Software Group)という企業を立ち上げて、数年をかけて基本となる仕様を作り上げた。

ホーキンスは、93年1月のコンシューマー・エレクトロニクス・ショーにて、16ビット機時代の末期に現行ハードの2倍のビット数を誇る32ビットマルチメディア端末である『3DO』を公開し、更には『3DO』は統一規格であるとして、ライセンス認可を受けたい企業や、任天堂やセガよりも安いロイヤリティでサードパーティーを広く募集した。
これに伴い、SMSGは3DO社(3DO COMPANY)に名称を変更している。

その際に公開した、当時の覇権ハードであるジェネシス(メガドライブ)やSNES(スーパーファミコン)には不可能な3DCGを利用した美しい映像は大きな注目を集めた。
当時は、まだセガの新ハードや、任天堂と袂を分かったソニーの新規参入ハードの情報も全く出ていなかった頃で、時代を変えるハードとして3DOは持て囃されることになった。

しかし、その後のプロモーションでも3DOはマルチメディアやインタラクティブを強調するばかりで、ゲーム機としての方向性が見えてこない状況が続いた。


【発売されてから】

そして、米国では93年10月に、日本では94年3月に『3DO REAL』が発売開始される。
米国では約1ヶ月後に発売され、当初はライバルとなると見られていたアタリ ジャガーとは違い、松下が関わっていることから、業界の最先端であった日本での流通にも支障がなく有利な条件にあった。

……しかし、米国では699.99ドル、日本では54,800円と、とんでもなく高額で資金力のあるマニアしか買わなかった。*2

これだけ高くなってしまったのには、契約によって3DO社はライセンス受託社やサードパーティーがハードやソフトを売る度にロイヤリティを受け取れるが、松下の様なライセンスを受けてる側はロイヤリティを払う側であり、幾らプロモーションを行い、ハードを作って売ってソフトが売れてもロイヤリティが入らず、自社製ハードの様に後の回収を計画出来もしないために、利益を上げる為には高く売るしかなかった……という事情がある。
松下の自社販売網でも扱われたが、そうした店では店の利益を上げるために商品の値段を下げれなかった為に、ゲームショップの様なハードの値下げは不可能であった。

また、3DO社が本機を「ゲーム機」として扱う事を頑なに拒み、あくまでも「マルチメディア端末、家電」であることに拘った事もあり、日本でも主にゲーマーが普段は立ち寄らない家電量販店がメインの流通先となり、ゲームショップでもあまり取り扱われる事が無く、仮に取り扱われていても高額なままの為に手を出せないユーザーが多かった。

94年10月には三洋電機から『3DO TRY』が同価格で発売されたが、松下より弱い販売網では認知度すら低く、更に普及しなかった。

尚、3DOは販売直後からのソフトのラインナップの数自体は決して悪くはなかったとのことだが、殆どが歴史を持たないポッと出のソフトばかりでキラータイトルが存在せず、日本人からしてみると当時は大味でつまらないとされていた洋ゲーの邦訳版ばかりで、やっぱり購入が進まないという状況が続いた。
米国ではEAが、日本ではコナミやカプコンといった大手も参入したのだが……。

【販売されたタイトル】

3年程の販売期間の中で200本程のソフトが発売されている。
当初の期待値からすると少ないと言えるが、進化の過渡期だったことも加わって他ハードにない独特な空気感も特徴となっている。

実写

ソフトの傾向として、3DCGを利用した見た目が派手だが中身のないゲームや、実写、アニメを利用していても肝心のゲーム性には欠けるゲーム等、先行していたCD-ROM拡張機と似たような展開がされた。
まだまだ3D表現を活かしたタイトルは登場しておらず、そうしたゲームはPSやSSから生まれていくこととなってしまった。

特に実写のこだわりは本ハードの売りとされ、「山村美紗・西村京太郎シリーズが実写で登場」「T&Eソフトのゴルフゲームでわざわざ登場人物全員が実写で表現」「クイズゲームも実写のテレビ番組風のものがEA中心に多数登場」と、独特のソフトが送り出された。
SLG『ザ・ホード』は幕間に実写のコメディドラマが入り、3DSTG『ショック・ウェーブ』は映画がステージごとに挿入されるなど、まさしくテレビの延長のようなゲームが送り出された。

フォローしておくと必ずしも実写要素は不評だったわけではなく、上記に挙げたソフトの多くはムービー要素が功を奏して雑誌でも高い評価を受けていた。
特に「山村美紗・西村京太郎」は後のPSP移植で実写映像が削除されたこともあり、ドラマとの相性の良さが再評価されていたりもする。*3

英語圏の作品

前述の様に海外製のゲームが多かったことは日本の市場ではマイナスに働いてしまった。
ただしそうしたタイトル自体は名作と呼べるものも多く、現代の様々な海外オープンワールドに影響を与えた伝説のゲーム『スターコントロールⅡ』、『バイオハザード』の元ネタとして有名な3Dポリゴンの草分け『アローン・イン・ザ・ダーク』は2025年現在も3DO以外の家庭用ゲーム機に移植されていないため、大変貴重である。

中でも、EAの人気レースゲーム『Need for Speed』が3DOで誕生したのは大きな特筆事項である。この1作目自体が様々な機種に移植されたのち、シリーズ作品はここから30年経っても継続することとなる。
日本でも『オーバードライビン』という名前でローカライズされたが、セールス・評価共に上々であった。

後に『トゥームレイダー』シリーズを手がけるクリスタル・ダイナミックスはEAと深い関係にあったこともあり、3DOに積極的に力を入れていた事で知られる。中でも2Dアクション『ゲックス』は同社を代表するタイトルとして評価されている。

この他には、高速バイクレースの最新作『ロードラッシュ』はシリーズ最高傑作と名高く、単発IPでは見下ろし視点のウォーシミュレーション『リターンファイアー』あたりが、輸入作品としては高い評価を得ている。
当サイトで押しなべて記事の熱量がとんでもないことになっているあの『ウォーハンマー40K』からも、スペースマリーン戦団のひとつ「 ブラッドエンジェル 」を主役としたスピンオフ作品『Spacehulk』がゲーム化されており、これもまた本ハードの名作として海外では頻繁に名前が上がる。日本では元のゲームが大して日本展開されていなかった事情もあってマイナー止まりではあるものの、3DOでしかローカライズされていないためこれまた中々に貴重である。
日本未発売だと『Cannon Fodder』『Wing CommanderⅢ』は特に名作と名高く、ローカライズされなかったのは何とも悔やまれる(幸いいずれも他機種でプレイ可能)。

日本での展開

日本においては、謎の肩書きとしてネタにされるハイパーメディア・クリエイターを名乗っていた高城剛も3DOでゲーム製作していた。
某大手広告代理店をバックに、3DOの看板役として大々的に起用された背景がある。
…のだが、肝心のゲームとしての質はあまりにも酷く、ローンチタイトルの『チキチキマシン』こそ映像ソフトの延長として高評価する層はいるものの、まともなゲームを求めたユーザーからは猛烈な顰蹙を買う羽目になってしまった。
唯一の専門誌では当初こそ忖度を入れていたものの、その後に出したソフトに対しては雑誌上であからさまな嫌味を書き連ねたレビューを掲載し、広告代理店の圧力が消えたとおぼしき雑誌末期では「3DOの価値を下げた」「売る奴の人間性を疑う」という散々な暴言が寄せられた。
広告代理店のパワーにしろ当時のゲーム雑誌のフリーダムさにしろ、なんとも闇の深いエピソードである。

日本での動向として特筆すべきは、シリーズが移植されてきていたSFCや、他の現行ハードでは移植されなかった『スーパーストリートファイターⅡX』が唯一移植されて注目を集めたことだろう。
(なおこんな移植が行われた理由は、元カプコン社員の岡本吉起氏もYouTubeチャンネルの中で「不明」とコメントしており、社内でも本当に謎な移植だったらしい…)
その人気から、日本では3DOに対して「ストⅡ専用機」なる不名誉な呼び方がなされることも。
なお『サムライスピリッツ』も実は移植されているが、3DO所持者以外だとあまり知られていないかもしれない。

新しい映像表現を使える3DOに注目したクリエイターが居なかった訳ではなく、コナミの小島秀夫は本機で真っ先に『ポリスノーツ』の移植を行い、当時は個人のクリエイターとしては無名であったワープ代表の飯野賢治が『Dの食卓』の成功により注目を集め、時代の寵児となっていったが、それらのゲームは後には後続で勢いのあるプレステやサターンにも移植されてしまい、3DOの存在意義はあっという間に無くなってしまった。
小島は『3DO』用にMSX2で展開していた『メタルギア』シリーズの新作として、3D表現を用いた『メタルギア3』を発表する予定であったが、阪神淡路大震災で本社が被災したことによる影響で開発が遅れ、その間に3DOが下記の様に撤退を表明した為に、3D表現に長けるプレステでの発表に切り替えられ、それが後々までの大ヒットシリーズとなる『メタルギアソリッド』シリーズとなったことが後に明かされている。

なぜかトップシェア以外のハードにばかり力を入れていたマイクロキャビンはここに来ても活躍。販売ソフトは多く、軒並み評価が高い傾向にある。
特に『ソード&ソーサリー』はハード末期の貴重な売れ筋となった他、英語圏ではJRPGの再評価路線が加わってとんでもないプレミア価格で出回っている。

当時のギャルゲーブームの波は3DOにも押し寄せ、主力となったのは『卒業』。
地味に他ハード版とかなり違う移植になっているので、興味のある方は触れてみても良いかもしれない。

発売当時の注目度は大きくなかったものの、後年に入って地位を上げたソフトもある。
90年代生まれにとって馴染み深いドラえもんズは、3DOのゲーム『ドラえもん 友情伝説ザ☆ドラえもんズ』で初めて世に出た。
(当初はゲームだけのオリジナルキャラであり、派生作品や映画で活躍するのは先の事。)
今や3DOで生まれたことを知らない人の方が多く、3DOを今から入手する数少ないメリットになっていたりもする。
またレベルファイブの日野晃博社長は業界でいち早く3Dを勉強し、社内地位を上げたことで後年の独立に至るのだが、その3Dゲームを初めて送り出したハードがこの3DOである(『ドクターハウザー』)。このノウハウは本格的な出世作『OverBlood』の下敷きとなっており、3DOはある意味でレベルファイブが生まれた遠因となったハードと言えなくもない。
(ちなみに該当作は『ドラえもんズ』と同じチームの作品であり、日野氏もメインプログラマとして参加している)

アダルトソフト

初期のセガサターン同様、アダルトタイトルの販売が許可されていたので、実写を活かしたエロゲーも販売された。
グラビアアイドルの撮影を行う『バーチャルカメラマン』シリーズ、なんとも言えない棒読みが飛び交うコスプレ女優とバトルする怪作『トゥインクルナイツ』あたりが代表的だろうか。
なお3DOソフトがあまりに不足しすぎたために、専門誌の売り上げランキングは一時『バーチャルカメラマン』が埋め尽くす不名誉な事態に陥ったことがある。

インディーズ・低価格タイトル

「洋ゲー」「実写」と並ぶもう一つの特徴として、先述のロイヤリティやバックアップの充実により「ものすごく手軽にゲームを発売できた」というメリットがある。
今で言うインディーズのようなノリで参入することも可能だったため、先述のワープはこれを活かして低価格タイトルを次々送り出し、『D食』の開発費を工面したという逸話がある(しかもこれをPSの『SIMPLEシリーズ』より先にやっていた点は大いに注目すべきである)。
日本でこの点を一番活かしたのは合計4本(総集編除く)もの低価格タイトルを出したワープなのは間違いないが、他にも出世の糧にした企業は存在する。なんとあのノーティドッグである。
元々あの会社はインディーズ集団だったのだが、開発力に目をつけたユニバーサルが3DO用タイトルの開発に出資。そうして発売された『The Way of the Warrior』は海外でヒットし*4、後の『クラッシュ・バンディクー』への導線となった。つまり3DOの下積みがなければ、あのPSの看板タイトルは生まれていなかったのである。*5
ややマイナーなところだと、PC用グラビア写真集『セクレ』を販売したグラムスはその3DO版を出した実績を活かしてセガサターンに参入し、『クォヴァディス』を作るに至った。

この性質に加え、ハードそのものが多様な目的に使える家電として送り出されたこともあり、PCで出るような実用・教育ソフトが他の家庭用ハードに比べて非常に多いのも特徴である。
特に海外では『パットパット・ファッティベアー』といったロングセラータイトル、『Dinopark Tycoon』といういった有名タイトルも移植された。
(後者は日本だと全く知られていないものの、どうやら向こうでは学校に大量配布されたことで『サンリオタイニーパーク』『エアホッケー』みたいな懐かしいPCゲーの地位を保っているのだとか…)
こうしたソフトの一部は入手困難となり、コレクター泣かせとなっているのも特徴。特に5年間消息を絶っていた『えいごでGO!』は3DOマニアの間で伝説となっている。

しかし近年のアセットフリップ問題にも通じることだが、ゲームを出しやすいということは簡単に低クオリティなゲームが出せてしまうということでもある。
先述の実用・教育系も低品質なものが否めず、特に80年台の同人PCソフトばりのクオリティで販売された『ナオコとヒデ坊』シリーズなどはとても同世代ハードなら出せないレベルの代物。
海外では、返品騒動にまで発展したとされる実写格ゲー『シャドー・ウォリアー』に加え、AVGNに大々的に取り上げられて知名度を上げた『Plumbers Don't Wear Ties』などが伝説のクソゲーと扱われている(後者は記事を見て頂くとして、前者はどんなものかというと「飛び道具を連射するだけで容易に10割決まるキャラがいる」「フェイタリティを決めるタイミングが用意されているのにコマンドが何故か実装されていない」という、明らかに未完成品としか言えない代物)。

【撤退へ】

3DOのメインの牽引役となった松下電器だが、前述の様に当初はリスクを背負った展開を行えず、プロモーションに関しても「ゲーム機ではなく、あくまでもマルティメディア端末、家電である」という、3DO社の意志を反映したものばかりを行っていた。

しかし3DOの国内登場から半年以上が経過し、94年11月にセガサターン(SS)が、12月にプレイステーション(PS)が発売されると、漠然としたイメージしかなった3DOに対して、文字通りの次世代ゲーム機としての性格が色濃い両ハードは着実に売上を伸ばし、95年には早々に3DOの居場所を奪ってしまった。

この事態に、松下電器は漸く本腰を入れることを決定。
SCEを真似たのか、パナソニック・ワンダーテインメントを設立すると、96年2月に業績不振に喘ぐ3DO社から、3DOばかりか、更なる次世代機計画であるM2の権利を買い取って、漸く、ゲーム機としてのプロモーションを開始した。
REALの値下げを敢行し、更にはM2のプロモーションを展開、97年の4月か6月の発売を予告し、現行の3DOにも何かしらのアップグレードを宣言し、97年には松下と韓国のLG電子(旧:金星電子。現:LGエレクトロニクス)からM2の試作機が発表されて反撃の狼煙を上げた……筈だった。

だが最早手遅れだった。松下電器のプロモーションはあまりにも遅過ぎたのだ。
最早ゲーム業界の情勢は大きく変わってしまっており、今更3DOが割り込める余地など微塵も無くなっていたのである。

これらの発表が行われた96年から97年は、プレイステーションが爆発的に売れた期間だったのだ。
特に、96年には1年のみで1,000万台を売上、この時点で最大のライバルであったセガサターンの最終売上にも2倍近くの差を付けていたことになる。
また、値下げをしても尚、計画的な値下げを実行したプレステや、値下げは不可能だとされていながらも強引な値下げに応じたサターンよりも高額で、決して性能では劣っていないとされつつも、ゲーム機としての扱い易さや完成度で劣る3DOでは、最早存在感を出すことは難しくなっていた。

肝心のソフトの方も、末期は散々な結果であった。*6
日本では『リッジレーサー』の露骨な後追いとして作られたレースゲーム『アウトバーン トキオ』がその低品質さから顰蹙を買い、海外ではWindowsの3D迷路を彷彿とさせるトチ狂ったFPS『Cyberdillo』を送り出したうえに、劣悪パブリッシャーに振り回された『DOOM』移植版が後に「最低の移植版」と呼ばれるほどの惨状になるなど、いずれも大切な年末商戦でこける始末であった。
日本ではその後も人気TRPGのゲーム版『ブルーフォレスト物語 〜風の封印〜』を送り出すのだが、散々発売延期したわりにゲームとしての完成度は低く…*7
結果、3DOソフトは96年6月(英語圏は9月)を最後に販売されず、その後はしばらく雑誌の発売予定カレンダーに3DOソフトがしぶとく残り続けていた。

こうして、M2の発売予定であった97年6月に松下電器はゲーム業界からの撤退を宣言。
M2の開発計画も含む、全ての3DO関連の展開を中止することとなった。

もしプレイステーションやセガサターンが世に出る前に、松下電器が迅速なプロモーションを行っていたならば。
もし3DO社が本機を「マルチメディア端末」である事に拘らろうとせず、最初から「ゲーム機」として本腰を上げて宣伝していたならば。
性能自体は当時の3台巨頭だったスーパーファミコン、PCエンジン、メガドライブよりも遥かに勝っていた事から、もしかしたら本機は一定の成功を収める事が出来ていたかもしれない…。


【マルチメディア機】

3DO社は、本規格をあくまでも単なるゲーム機ではない、マルチメディア(複合媒体)、インタラクティブ(双方向)端末であるとしていた。

CM展開に於いても、アインシュタインをイメージキャラクターとして使う等、革命的な規格であることを強調していた。
アメリカで放映していたCMに至ってはSNES(スーパーファミコン)とGENESIS(メガドライブ)をおもちゃ箱に投げ入れ、しまい込むという衝撃的なCMを流し
このハードがただの玩具ではないということを強くアピールしていた。

しかし、当時のDVDも普及していない世界では、3DOで再生出きるのはフォトCDやビデオCD位のもので、しかもビデオCDにおいては別売のビデオCDアダプターが無ければまともな再生もできないと、名称の割には半端な機能しか持っていなかった。

今後の発展計画としてネット対応等も目論んでいたとも言われるが、僅か数年とは云え、日進月歩で発展しまうメディアの中では、余りにも世の中に出るのが早すぎた計画であったと言える。

また、あくまでもマルチメディア端末に拘っていた為に前述の様に日本では主に家電屋で発売される羽目となり、欧州への輸出の際にはEUの判断により“情報端末”と位置付けられ、多大な関税が加えられて、更に高額となってしまい、当然のようにここでも普及が進まなかった。

こうした、3DOが目論んでいたゲーム以外にも使える用途のハードは、00年代以降のゲームハードによって漸く叶えられていくことになる。


【日本の3DO】


3DO REAL(FZ-1)

  • 松下電器産業
最も最初に発売された『3DO』で、日本、アジア、北米、ヨーロッパと、最も早く、最も広く普及した機種である。
3DOと言えば本機を指すという程に記憶に残っているが、高額過ぎて販売実績は高くなかった。

3DO REALⅡ(FZ-10)

  • 松下電器産業
1995年に発売されたREALの改良機。
本格的にゲーム機としてのプロモーションを始めたこともあり、形状がよりゲーム機らしいものに改められた他、CDトレイの形式変更*8など全体のスリム化、軽量化が計られている。

ROBO

  • ナイスティック
FZ-1の業務用改造機で、ビデオCDアダプターを標準で装備し、五枚ものCDを切り替えて使用出来る。
ラブホテル用に500台程製作された。

3DO TRY

  • 三洋電機
日本のみで発売された機種。有名企業のサンヨーの商品ながら、REALの影に隠れて全く売れなかった。
形状もビデオデッキの様で、更にゲーム機らしくない。


【海外の3DO】


3DO ALIVE

  • 金星電子産業(現:LG電子産業)
韓国で発売され、形状はREALに似ているが中身は違う。今やオンラインゲーム・ソーシャルゲームで高い地位を築いている韓国だが、実は3DOに参入した数少ない地域だったのである。*9
ファイル処理数の制限により、幾つかのソフトが動かないとされる。

ちなみにこの会社は数本の専売タイトルを送り出していた。現在はいずれも入手困難とされているが、そのうち一本『The Eye of Tyhoon』のみが英語圏で復刻販売され、比較的入手しやすくなっている。こちらは知る人ぞ知るカルトゲーム『ファイトフィーバー』のスタッフが生み出したのだが、あちらと違ってちゃんと遊べる内容となっているので必見。ついでに後のソシャゲ興盛を予期するかの如く、当時の日本の格闘ゲームに劣らないほど女性キャラがかわいくて好評。

3DO ALIVEⅡ

  • LG電子産業
社名の変更により韓国国内でのみ流通。
この他、韓国では三星からも発売予定であったが、予定のみで終わっている。

3DO Blaster

  • クリエイティブ
PC用のISA拡張カードとして発売。
PCで3DOをプレイする為に二倍速CD-ROMとコントローラーが付属する。


※この他、マルチメディア端末というだけあり、米国では家電に組み込まれた物もあったとのことだが、現物は不明である。


【余談】

  • 権利を譲渡した後の3DO社はPS、SS、PC向けのソフト供給会社となったものの、03年に連邦倒産法第11章を申請して破産している。
    パナソニック・ワンダーテインメント社も、3DOの展開を中止した後は他社ゲームのサードパーティーとなるとしていたものの、実績のないままに99年に解散している。
    松下電器として任天堂と共にゲームキューブの開発に携わり、互換機『Q』を発売するも、ゲームキューブ自体が初代以上に普及してしまったプレイステーション2の牙城を崩せずQは短命に終わり、今度こそゲーム業界から去っていった。The Jungle?はてなんのことやら。

  • 計画が中止されたM2は97年にコナミのアーケード用基板『タランチュラ』として採用されるが、CD-ROMドライブが標準装備されていたが為にアーケードとしては致命的なロード時間の長さ等から評価も低く、僅か5本のゲームに採用されただけだった。
    また、98年から業務用機器として松下電器産業から商品化されており、建築プレゼンテーション用ソフト『visHouse』の専用ハードや、キオスク端末、ATM、自動販売機の組み込み用として利用された。
    ちなみにタランチュラ基板のスペックを見るとCPUだけ比較すれば3DOがARM60を1個搭載したのに対し、こちらはIBMのPowerPC 602を2個搭載したデュアルCPU構成になっていたり、標準搭載のCD-ROMドライブが4倍速になっていたり、(スペック値だけ見ると)ポリゴン描画性能も底上げが行われている。

  • 日本でのM2のプロモーション開始時に唯一人手を挙げたワープでは『Dの食卓2』の発売を宣言。
    M2を利用した、当時としては最高表現と言われたトレイラームービーを公開していたものの、M2の販売延期や販売戦略の見直しの挙げ句の企画中止に巻き込まれた結果、何度も作り直しをする羽目となった後で99年にドリームキャストにて『D2』の漸くの発売に辿り着いた。
    しかし、当初のプロモーション内容やトレイラームービーとは全く別のゲームとなり、ファンの期待を大きく裏切ることとなった。
    飯野はM2についてNINTENDO64の2~3倍程度の性能だがそれ以上ではなく、ドリームキャストは反対にM2の3~4倍程度の性能がある、と証言している。
    一方、3DOの登場以降の波に乗って知名度を獲得した飯野とワープもまた『D2』の不振により、長い期間に渡ってゲーム業界から離れることになった。




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最終更新:2025年12月30日 13:47

*1 『セガサターンマガジン』97年1月17日号より。…思いっきりCMでも“スリーディーオー”と言ってたのに何を後出しで。

*2 当初は79,800円で販売する予定であったが、3DOの登場した頃には同程度の値段のゲームハードが他にも存在しておりそちらも売れていなかった。

*3 尤も、このPSP版は実写の有無抜きに杜撰な移植だった背景もある。特に西村京太郎。

*4 ただしゲームとしての評価は賛否あり、難易度は高すぎて操作性も不親切だがゲーム性を理解すると名作に変わる…という尖った評価を受けている。

*5 ちなみに主力スタッフの片方は、先述したクリスタル・ダイナミックスの初期作品で既に実績を積んでいた。

*6 下記はいずれもパナソニックブランドで販売されたものだが、これ以外だと『キャプテンクエイザー』『王国のグランシェフ』といったカルト人気のある作品もあるにはある。

*7 ただしBGMやストーリーの評価は高い。後者は分岐によっては意味不明となる難点もあるが。

*8 REALのフロントローディング方式(機器の側面からCD-ROMを出し入れする方式)からトップローディング方式(機器上部にCDドライブを設け、蓋を開けてCDを出し入れする方式)に変更した

*9 こうした経緯のためか、上述した『リターンファイター』というゲームは多言語対応の一環として中国語を差し置いて韓国語にも対応している。