元木大介

登録日:2016/04/19 (Tue) 16:05:00
更新日:2024/04/02 Tue 20:04:12
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元木(もとき)大介(だいすけ)とは、大阪府豊中市出身の読売ジャイアンツに所属した元プロ野球選手
……なのだが、かつての彼の活躍を知らない人からしたら、お笑いタレントと勘違いされてしまうことが多い
実際しくじり先生に出演した際、菊池亜美に野球が大好きなお笑いタレントだと勘違いされてしまった。
しかしこうみえて、高校生時代から華々しく活躍しているれきとした元プロ野球選手である。


  • 幼少時代
幼いころから南海ホークス(現・福岡ソフトバンクホークス*1の大ファンだった元木。
それはたびたび大阪球場*2に足を運び南海ホークスの活躍を見るだけでなくホークス友の会に入会していた。
更に南海OBによって運営されていた少年野球チーム・ジュニアホークスで野球を始めるほどだった。
しかしそんな彼にも大きな転機が訪れる。それは小学6年の時当時巨人の監督だった偶然にも王貞治と対面し、一緒に記念撮影をしたことだった。
そのとき王は彼に「プロ野球に入るなら巨人に来いよ」と話しかけたのであった。それに感激した元木はあっさりと巨人ファンとなってしまう


  • 高校時代
大阪の強豪野球高校の一つ上宮高校に進学した彼だが、そこで上級生にパシられたりしごかれたりなどキツイ生活を送ってしまうことになる。
また試合でたくさん活躍したのにもかかわらず、上級生の嫉妬により激しく暴言を吐かれるなど苦難な生活を送ってきた。
しかしそれにもめげずに頑張ってきた結果、1989年の夏の甲子園で1試合2本塁打を放ちスラッガーとして大活躍!
後のハンカチ王子のように甲子園の大スターとして大きな話題を集めるようになった。
そしてこの年のドラフト会議で大ファンである巨人の指名を願っていた。…が、しかし、巨人側はそれを拒否してしまう*3。代わりにダイエーホークスが彼を1位で指名するのだが、絶対に巨人でプレイしたいという強いこだわりが彼にはあったため彼自身もそれを拒否、結果的に1年ハワイで野球留学することとなった。
そして翌年のドラフト会議で念願の巨人から1位指名を受けたことにより、プロ野球への道へと進む。


  • プロ時代
1992年に華々しくデビュー。
イケメンである上にバッテリーを除く全てのポジションを守れるユーティリティープレイヤーとして活躍するなどとにかくすべてが輝いていた。
しかし、あのゴジラ松井こと松井秀喜が翌年にデビューし華々しく活躍したことにより彼のプロ野球選手としての存在が脅かされることとなる。
元木は足が遅い上にプロとしては長打力もないため、元木ほど男前ではないが努力家で才能もある松井にどうしてもかなわないと考えた結果、隠し玉を決行する。
またこの他にも守備を突き飛ばしてむりやりセーフにしたり、痛い思いをしてでも相手チームが送球するボールを手でブロックしたりなど過激なやり方でチームに貢献しようとするプレーみられた。
その結果、世間から『くせ者』と呼ばれるようになってしまったのであった。
だが監督だった長嶋茂雄は元木の野球技術や非凡なセンスを高く評価しており、チャンスに強い打撃力や状況を正確に読んでマルチに対応できる多彩な打撃技術や様々なポジションを守れることから『くせ者』と合わせて『スーパーサブ』と評しており、中日や阪神で監督として巨人と対戦してきた星野仙一からは『巨人で1番嫌だったのはオマエだ』と言わしめる程であった。
現役時代からテレビ受けはよく、東京ドームで試合がある土曜には決まってベンチ横カメラの映像がテレビおじゃマンボウの画面に映し出され、ベンチ入りスタートの日でも番組に登場していた。
プロ野球中継の関係上、ベンチ横にはマイクとスピーカーがないため、スタジオは筆談、元木はジェスチャーでやり取りを行っていた。
また、試合終了後の監督インタビューの際、いつも必ず監督の背後をカメラ目線で通り抜けていた。
これは監督インタビューの場所の背後にベンチから引き上げる選手の通路があったためである。
2000年には元日本テレビアナウンサーの大神いずみと結婚。
その後しばらく巨人で活躍していたが、故障の関係で2005年に戦力外通告を受けてしまう。
巨人に強いこだわりのあった彼は他の球団には移らずにそのまま引退したのであった。


  • 引退後
主にタレント活動をしていたが、おバカタレントを数多く輩出したことで有名な「クイズ!ヘキサゴン」にレギュラー出演するようになったことにより、王道から大きく外れることになってしまった
この番組のお蔭でおバカというイメージが定着してしまったうえに、元プロ野球選手よりもお笑いタレントという印象を野球を知らない視聴者たちに大きく印象付けてしまったのであった。
なお、ヘキサゴンに出た時に大縄跳びで転び、アキレス腱を切るという怪我をしてしまったことがある。元木ェ…
さらにほぼ裸でウォータースライダーや、スギちゃんの恰好で鬼ごっこなどの仕事を行うなどもはや元プロ野球選手というイメージは薄れてしまった。
しかし現在でもスポーツ番組でコメンテーターとして活躍する*4など全く元プロ野球選手というイメージが無いわけではない。
2010年にラーメン店を経営していたが2014年にすべて閉店させてしまったことがある。
2013年に元プロ野球選手が9人出演する仁侠映画『ダイヤモンド』に出演し、映画初出演。これをきっかけに俳優業にも意欲を見せ、翌年以降Vシネマを中心に仁侠ものの作品に出演し始めている*5。役柄としてはヤクザ役がメインだが、刑事の役も多い。

  • 指導者として
2018年にU12世界少年野球大会の日本代表監督に就任、チームを優勝に導いた。監督就任は星野仙一からの推薦によるものであった。
さらに翌年2019年より、古巣である巨人のコーチに就任している。背番号は星野仙一の監督時代からとった77である。
2024年に一軍作戦兼内野守備コーチを退任、同年からは巨人が子どもたちに野球指導するスクール「ジャイアンツアカデミー」の校長を務める。

  • フィクションでの彼の活躍
かっとばせ!キヨハラくん
ゴーゴー!ゴジラッ!!マツイくん
「モリモリッ!ばんちょー!!キヨハラくん」
史実通りタイエー(旧南海・現ソフトバンク)からのスカウトを蹴った後改めてプロ入りするもその後は微妙に影が薄かったが、『マツイくん』時代後半以降はキヨハラの子分という役割で登場。
後者は元木が清原和博率いる「清原軍団」*6のメンバーだと言われていたことが由来だと思われる*7
解雇される前にラーメン屋に転職するエピソードがあるが、連載終了後偶然にも元木自身は上記のようにラーメン屋を経営していた。

「いしいひさいち作品」
プロ野球ネタで度々登場した後、作家系のシリーズにも他の選手達同様にスターシステムで登場。編集部に出入りするアルバイトという役どころが多い。


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最終更新:2024年04月02日 20:04

*1 元木の幼少時代、南海は大阪府を本拠地としており、「地元の球団」という理由で応援していたと思われる。

*2 大阪スタヂアム。かつて大阪府大阪市浪速区難波中二丁目に存在した。南海の他には近鉄パールス、大洋松竹ロビンスが本拠地として使用していた。南海難波駅(南口)駅前に存在したため、「ナンバ(難波)球場」という通称でも親しまれた。

*3 当時ドラフト候補の大森剛が「高校生より下の指名なんて受けない」などとゴネたため。

*4 30代半ばの時期は若いこともあり、中継の際は必ず年上・年下問わず「XX選手」と言うようにしていた。

*5 野球出身のVシネマ俳優は元木の他に愛甲猛(元ロッテ→中日)がいる。彼は2003年に1年だけ俳優業を行っていたが仕事が来ずに廃業した。2013年に「日本統一」に出演し、再びVシネマに出演。前述の「ダイヤモンド」にも出演している。

*6 メンバーは元木・後藤孝志(現斗山ベアーズ打撃コーチ)・小田幸平(現中日バッテリーコーチ)らとされていた。

*7 「清原軍団」の実情はマスコミが勝手につけたものであり、単に清原と仲の良かった選手や慕っていた若手選手による集まりで、清原氏から指導を受けたり飲食をともにする等のもので特に清原が選手達を支配していたものではなかった。