甲府事件

登録日:2016/12/20 (火) 18:35:00
更新日:2024/04/20 Sat 07:41:11
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甲府事件とは、1975年2月23日に山梨県甲府市で発生した未確認飛行物体及び異星人の目撃事件である。
日本における、いわゆる「第三種接近遭遇」*1事例の代表例で、それだけでなく目撃者がかなり多いこと、物的証拠と見られるものも複数確認されていることなどから、研究者の間でも信憑性はある程度高いとされ、世界的にも著名な異星人目撃事件でもある。


概要

同じ1970年代に発生した介良事件・仁頃事件と共に「日本三大UFO事件」とも呼ばれていた。
このうち甲府事件と「72年に高知県高知市の介良地区で小型UFOを捕獲した」という介良事件は現在でもかなりメジャーな事件。
だが、仁頃事件は「UFOに乗せられて木星まで行ってそこの岩石を採取してきた(※木星に岩石は無い)」という荒唐無稽なもので、さらに証言者が後に「サモンコール宇宙連合のスポークスマン」と称し、「自分はUFOを三台持っていて更にテレポート能力で他の星に6分で行ける」などと言いだした(じゃあUFOいらないじゃん)ため、現在ではほとんど言及されない。
現在では甲府事件と介良事件に、農林水産省の調査船(当時)開洋丸が1984年12月18日と1986年12月21日にそれぞれ「フォークランド諸島沖で飛行する光る物体」「北緯26度の日付変更線付近で肉眼視できないレーダーの影」と遭遇した「開洋丸事件」で日本三大事件とするのが妥当だろうか。



事件の発生


この事件は上述のように目撃者が多いが、中核的な証言をしているのは当時小学校二年生のK君とY君の2人である。
(異星人らしき者を見たと言う証言をしているのはこの2人と、後述する女性の3人だけである)

同じ小学校に通い、親戚同士でもあった彼らはその日午後6時半頃まで一緒に集合住宅の敷地内で、ローラースケートで遊んでいた。
この日の甲府市での日没時間は午後5時5分で、すでにかなり暗くなっていた筈である。

その時、東のほうにある達沢山上空に光り輝く2つの物体を目撃*2
1つは北のほうに遠ざかっていったが、もう1つは2人のほうに接近してきた。
それは2人の頭上で静止し、さらに底部から黒い筒のような物体を出した。
この時、「カチリ、カチリ」というカメラのシャッター音のような音が聞こえたという。

当然ながら2人は恐怖を感じ、K君の家に逃げようとしたが、UFOが頭上をついてきたため隣にある福王寺の墓地に逃げて身を隠した。
しばらくするとUFOはもう一体と同じく北に去っていった。

ほっとしてK君の家に帰宅しようとした2人だったが、途中でブドウ畑の中に発光体を目撃する。
火事だと思った2人が駆け寄ってみたところ、それは先ほどのUFOだった
それは畑の中を横滑りするように移動していたという。

今度は恐怖よりも好奇心が勝った2人は、接近して2手に分かれて観察してみた。
証言によると直径5メートル(資料によっては2.5メートル)、高さ2メートル(資料によっては1.5メートル)程の円盤*3で(事件後に書かれた図では完全にアダムスキー型UFOそのものである)、
半透明の窓がいくつもあり、底部には着陸ギアらしきものが3個あり、銀色の機体には謎の文字が書かれていた。

これだけでも特異な体験談としか言いようがないが、この事件の白眉はこの後である。
K君の観察していた側で突然UFOの搭乗口らしきところが開き、中の様子と搭乗員(異星人?)の姿が露になったのである

それは身長130センチほどで、深い皺の刻まれた茶色い顔をしており、3本の牙とウサギのような耳があった
さらに銀色の服を着ていて、腰にはレーザー銃のようなものを付けていた。

K君によると機体の中にいたのは2人であり、そのうちの1人が少年たちのほうに向かって歩いてきた。



そして、その時である。



K君とは反対側で観察をしていたY君が、突然何者かに肩を2度叩かれた

振り向いてみると―――そう、K君が目撃したのと同じ恐ろしい姿の搭乗員だったのである。


その搭乗員はテープレコーダーを早送りした時のようなキュルキュルという音を出していたという*4


Y君は当然ながら腰を抜かし、その場にへたり込んでしまった。
死んだふりをしながら薄目を開けて観察を続けたところ(この少年たち、年の割には肝が据わっているように思われる)、
その搭乗員は周囲を観察しながら何かを計測している様子だったという。

やがてK君が走ってきて、歩けないY君を背負って一目散に逃げだした。









さて、ここまでであれば、正直言って子供の与太話だと笑い飛ばしてしまう人が大半だろう。
今時銀色のスーツとレーザー銃を持った異星人などB級SFぐらいにしか出てこないし、友人を背負った小学生をあっさり捕り逃がす異星人などお笑い草である。

だが、この事件が真に奇妙な展開を迎えるのは実はこの後なのだ。




2人はK君の家に駆けこみ、たった今目撃したものをK君の家族に話した。
この時、家にはY君の両親と兄(当時小学三年生)も来ていたという(なおここからの話は、資料によって細部が微妙に異なる)。

最初は相手にしなかった家族で会ったが、あまりに2人の話し方が真に迫っていたためか、
2人の母親(兄も一緒だったという資料もある)は半信半疑ながらも2人と一緒に現場に向かった。
そこで、今度はブドウ畑のUFOを4人(もしくは5人)が同時に目撃したのである。
それはオレンジ色に光る光球のように見えたという。

驚いた母親が、家にいる父親たちを呼びに行った。
父親たちは棒を持って(どうする気だったんだ父ちゃん……)現場に急行したが、その時にはは消えかかっていた。
そしてUFOは最後に強烈な光を発して、そのまま消滅したという。


なお、K君はこの体験によるショックのせいか、その晩はひどい夜泣きをしたという。
またY君もこれ以降夜出歩けなくなったという。




事件後の騒動


翌日、2人が学校で昨日の出来事を話すと当然大騒ぎとなる。
担任の教師が昼休みに2人と一緒に現場に行ってみると、畑の中央部に着陸跡のようなものがあったという*5

やがて通報を受けた山梨日々新聞の記者まで駆けつけ、詳しい調査が開始された。
この時点で、畑にあったコンクリート製の柱が折れていること、金網が曲がっていることなどが確認された。


翌日にはこの事件の記事が山梨日々新聞に掲載された。
この記事を見て興味を持った県立機山工高電気科の教諭が、数日後に現場を訪れて放射線を測定した。
その結果、微量の放射線が確認された

放射線は自然界からも検出されるが、さらに1か月にわたって継続調査をしたところ、
自然界では考えにくい急激な減退(つまり半減期がやけに短い)が見られたという。

その2週間程後にオカルト誌『UFOと宇宙人』の記者が2人を取材する。
そして3月下旬には、現在も活躍しているオカルトライター、南山宏氏(『SFマガジン』の2代目編集長としても知られる)も取材に訪れ、いよいよ大騒動となった。




他の目撃者


この事件が特異的なのは、家族以外にも2人と直接かかわりの無い複数の人物が、UFOや搭乗員らしきものを見たと証言している点だ。
以下は目撃した人物及びその内容である。

  • 現場の東にある甲府市環境センター管理人のA氏:2人がUFOを目撃したのとほぼ同時刻に、2つの発光する飛行物体

  • 2人の同級生のM君とその母親:同じく同時刻、現場の北にある道路をで走行中に、南側の空に行ったり来たりする飛行物体

  • 当時親の転勤で甲府市に住んでいた作家の景山民夫氏:やはり飛行物体

  • 現場の南にある常光寺の住職:それから少し経過した午後7時頃、寺の南の空に発光物体が現れ、ジグザグ飛行をした後急降下する様子

そして最重要証言とも言えるのが保険外交員の女性Sさんの証言である。
彼女は現場付近を走行中、道の真ん中に立ちふさがる背の低い2人組と遭遇。徐行してすれ違おうとしたところ、そのうちの一人がフロントガラスに手を付けて顔を寄せてきた
あまりに醜悪な姿だったために非常な恐怖を感じ、「仮装行列か何かだったのではないか」とも思ったという。
その後、大騒ぎしている家族連れと遭遇し、「UFOを見なかったか」と尋ねられたという。
あまりに恐ろしく異常な体験だったため誰にも話さなかったが、7年後にマスコミに証言した。




疑問点・検証


多数の目撃者、着陸痕や放射線などの物証と、この手のネタにしては異例なほど肯定的な材料が揃っており、信憑性が高いとされているのも頷ける事件である。

しかし、詳細に見ていくと疑問点もないではない。少なくとも、手放しで「UFOが実在する証拠だ!!」と言い切るのは疑問が残るのも事実である。


まず、この事件を考察する際に考慮しなければならない点が2つある。



◆時代背景


事件が発生した70年代は、日本は空前のオカルトブームだった。
現在では甲府事件と介良事件くらいしか語り継がれていないが、当時のオカルト雑誌などには、UFOや異星人との遭遇事例はゴロゴロ載っていたのである。

2人の少年たちも当然この時代の空気に影響されていただろう。
特にK君は、担任教師によれば、なかなかのUFOマニアで、かつ想像力が豊かな子だったという。



◆最初の取材者の問題


もう一点、この事件の証言内容に疑問を抱かせる要因になるのは、この事件を全国区にした最初の媒体が『UFOと宇宙人』誌であったことである。

タイトルからしていかにもオカルト系な雑誌という感じだが、実はこの雑誌、ただのオカルト雑誌ではない。
実は初代編集長は日本GAPの創設者なのである。

日本GAPというのは、当時にして一般人はもとより、UFO研究者らからすらも「信憑性は極めて低い」とされていたジョージ・アダムスキー*6を絶対視していた団体である。

アニヲタ的には、『さよなら絶望先生』のアニメ版のオープニング『林檎もぎれビーム!』の元ネタである「リンゴ送れ、C」事件を起こした団体と言えば通りがいいだろうか*7

そんな人が編集長なので、『UFOと宇宙人』誌はあの『ムー』すらも裸足で逃げ出すトンデモ雑誌として現在まで語り継がれている。
UFOに乗せてもらって他の星を見てきたとか、異星人の頭を挿げ替えた(?)とかいった、信憑性も確認できない荒唐無稽な記事ばかりが載っていたのである。

となると、この雑誌の記者が2人に取材をした時に何らかの「入れ知恵」のようなことをしたことは十分考えられるし、同誌に掲載された記事の内容も全面的に信頼できるかどうか疑問に思える。

当時の日本にブルーブックやNICAPのようなしっかりしたUFO調査組織があり、客観的かつ迅速・詳細な調査をしていれば……と悔やまれるばかりである。



以上の2点を踏まえた上で、もう一度事件の詳細を考察してみよう。




◆2人が目撃した異星人とUFO

上述したように、複数の牙・長い耳・銀のスーツ・レーザー銃といった2人が見た異星人のデザインは、今から見ると随分レトロなものである。
いかにも当時の特撮やSF番組に出てきそうなデザインで、そこから何からの影響を受けている可能性は無視できない。


そして実際、2人が書いたイラストは『帰ってきたウルトラマン』の最終回に登場したバット星人、またはウルトラセブンに登場したフック星人に酷似しているという指摘がある。
この2話はいずれも事件前に放送されている。

新しいほうの『帰ってきたウルトラマン』でも本放送当時は2人の少年は5歳であり、
見て記憶に残っていたかは微妙であるものの、再放送もされていた上に書籍やソフビ人形など、目に触れる機会はいくらでもあっただろう。

UFOについて言えば、至近距離で観察したという2人の証言およびイラストがどう見てもアダムスキー型円盤にしか見えない点が重大な問題である。

アダムスキー型円盤はジョージ・アダムスキーの証言及び写真・動画によって世に知られるようになったUFOだが、上述のようにアダムスキーの信憑性はUFO研究者の間ですら極めて低いとされている。
写真や動画も全てトリックが暴かれており、さらには元ネタとなったであろう他人の論文まで特定されている。
このため、UFO研究者の間ですら、UFOはいたとしても、アダムスキー型円盤なるものが実在するのかどうかは極めて怪しいとされているのである。

おまけに少年たちの証言によると、UFOの内部にはスクリーンのようなものと、それを操作する機械などがあったという。
……随分とレトロなUFOに乗ってきたものだ。


2人以外に異星人を見たという女性が書いたイラストは、2人の証言とは似ても似つかないし、家族が目撃したものは「光球」であって円盤ではない。
こうして見ると、少なくとも2人の細部についての証言は、本などで得た知識を無意識のうちに引っ張り出したものであるという可能性が捨てきれない。


◆他の目撃証言

Aさんの証言に出てくる2つの飛行物体のうち、最初に見たという物体については「流星のようだった」と証言しており、
同じものを見たと思われる別の証言者ははっきり「流星でしょう」と述べている。

Aさんの目撃した2つ目の物体、およびM君母子や影山民夫氏が見た物体については、方角と飛行経路、
そして目撃された時刻が当時甲府市上空を飛行していた旅客機YS-11とピッタリ一致する
M君親子は物体が「行ったり来たり」したと証言しているが、この証言は事件直後には無く、一か月以上経過した後で聞きだされたものである。
大騒ぎになった事件と言うこともあり、一か月の間に記憶が変容した可能性は高いと言わざるを得ない。
更に言えば、M君が目撃者2人と同級生であったことも不安材料である。

なお、「旅客機は数千メートルの高度を高速で飛行するから、証言のように地上から長時間観察できる筈がない」という反論もあるが、YS-11は高度は三千メートル程度で、速度も旅客機としては低速であるため、十分見ることができたとされる。

常光寺の住職の証言には、さらに根本的な問題がある。
正体が何かとか言う前に、現場から南にある寺から見て「南」の方角に降りたという物体が、この事件と直接関係ある筈がない。(正体は不明)

そもそもUFOの目撃例は毎日のように発生しており、その9割以上は何かの誤認であることがわかっている。
異星人目撃事件が起きた現場の近くでUFOが目撃されたからといって、すぐに結びつけるのは早計である。


一方、異星人らしき者を見たというSさんの証言は最重要であると言える。
同一個体と思われる異星人を、別々の場所で直接関係ない人物が別々に目撃したという例は、世界的にもかなり少ない。

だが、問題はこの証言が公になったのが事件発生から7年も経過した後ということである。
やはりこの証言にも、当然時間経過による記憶の変質の影響があることが予想される。
実際、Sさんの証言ではこの直後にK君・Y君の一家と遭遇したことになっているが、この件はK君・Y君側からは一切触れられていない。
この点からも、何らかの思い違いをしている可能性は拭えない。

もっと大きな問題は、Sさんが目撃した異星人が、上述のように2人の少年が証言したものとほとんど似ていないという点である。

土気色で皺の刻まれた顔、という点は確かに一致していなくもないが、
その前に牙や耳、銀のスーツといったわかりやすい特徴を見落とすとは考えにくい*8
Sさんは「最初は中学生が土人の仮装でもしているのかと思った」と述べているが、上記のような連中を「土人の仮装」などと思うものだろうか。

付け加えれば、このSさんの証言する異星人は、上記の少年らによる目撃報告よりも、Sさんが告白する直前の時期に公開された映画『E.T』に出てくる異星人にそっくりである。
この点については、エイリアン・クラフト説を全面的に肯定している矢追純一氏からも疑義が出されているほどである。

さらに言えば、時間経過を考えると、この遭遇があったのは、K君・Y君やその家族がUFOを消え去るのを見た直前あたりであることだ。
そんなタイミングで、のこのこ徒歩でUFOから離れた場所を歩いていた異星人……集合時間に遅刻して置いて行かれたのではないか、と心配になってくる。

現在と違って街頭もあまりない道での短時間での目撃であり、何かの見間違いではなかったかとの疑問も拭えない。
なお「この時期は真冬で、夜に外を歩いている子供なんかいる筈がないから見間違えようがない」という意見もあるが、
そもそもK君とY君が直前まで外で遊んでいる


以上のように、第三者による目撃報告は、
いずれも「見間違いと決めつけて捨てるには惜しいが、全面的に信頼するのも難しい」といったところである。



◆物的証拠

ブドウ畑にあったという着陸痕や、柱や金網の破損などは、本当にUFOの出現によって生じたものなのかどうか確認が取れない。
そもそもコンクリの柱が折れたり曲がったりしてるのに、ブドウの木に全く被害が無いのも妙な話である。

また「ブドウ畑にUFOが着陸した」という点に関しては、この事件を最も詳細に検証した南山宏氏が疑問を呈している。
というのも、UFOの大きさが少年たちの証言通りだったとしたら、柱や金網に囲まれた畑に着陸することは物理的に不可能だからだ。

南山氏は基本的にはオカルト肯定派(ただし明白な虚偽や捏造を行う人物は批判している)であり、この甲府事件も大筋では信憑性が高いとしている。
そんな人物の目から見ても、上記の矛盾点は見過ごせなかったということである。




しかし一方、放射線の測定結果については、未だに疑問の余地のない解釈はできていないようである。
放射線自体は自然界にもあるので測定されること自体はそこまでおかしくないが、短期間で大幅に減退するという、自然界ではあまり見られない特徴を示したからである。

だが、近年超常現象研究者の加門正一氏が追跡調査を行ったところ、この放射線に関するデータは必ずしも信頼できるものではないことが明らかになった。
もともと工業高校の先生が、「生徒たちの現地実習のテーマにちょうどいいかも」というノリで行った調査で、調査者が必ずしも実地検査に精通していなかったというオチである。


より詳細な原因の特定には当時の測定方法を検証し、土壌の正確な採取場所を特定して分析する必要があるだろう。



◆光球の正体

さて、実際のところこの事件の最大の謎は、上記の放射線と、少年たちの家族が目撃した光球である。
目撃者の数も多く、少年たちの一見荒唐無稽な異星人遭遇譚がここまで広まったのは、この一件が原因であると言っていいだろう。

とはいえ、家族が光球を目撃したのは「畑から50~100メートルほどの距離から」とのことで、
何らかの見間違いである可能性は完全には排除できないかもしれない(過去の事例では、複数の人物が、星などのありふれたものをUFOだと誤認していた事例もある)。

プラズマ現象の一種である「球電」がその正体ではないかという説もある。
この説では「カチリ、カチリ」「キュルキュル」といった音も説明できるとされており、
強い電磁波は幻覚を誘発するという説もあるなど、わりと事件と合致する点は多い。

ただし、球電は通常大雨の時に落雷に伴って現れるとされており、超高温の状態であるため金属を蒸発させることもあるとされる。
事件当時は快晴で、現場周辺に高温の痕跡が無かったことを考えると、この説にも疑問は残る。


結局、最初に少年たちの前に現れた発光体と、家族が目撃した発光体の正体は現時点では不明という他ない。



まとめ

ここまで見てきたように、本事件は極めて特異な事件であり、多くの人の興味を惹きつけている。
細かく見ていくと疑問点も数多く浮上してくるものの、それでも解けない謎が残るのも確かである。

おそらく、少年たちが何らかの異常な体験をしたことはまず間違いないだろう。
だが、それが異星人やエイリアン・クラフトの存在を示す証拠になりうるかというと、疑問が残るというのが実際のところである。

今後も本件については、多くの考察や説が出されることだろう。
いつか真相が判明することを期待したい。


















……それにしても、少年たちの証言する異星人とUFOのチープさ、そして特撮・オカルトブームという時代背景から考えても、
「特撮マニアかUFOマニアがコスプレして遊んでいた」説も十分ありうる気がするのだが。(それでも、解けない謎はあるし、そうなると光球の正体は完全に不明となるが)




追記・修正は異星人に肩を叩かれてからお願いします。



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最終更新:2024年04月20日 07:41

*1 未確認飛行物体の搭乗員と接触するケース。

*2 この時の光の色は資料によって異なり、オレンジ色だったとも青白かったとも書かれている。

*3 おそらく直径については事件が転載されるどこかの段階で半径と混同されたのではないかと思われる。

*4 この時日本語で話しかけてきた、などと書いている本もあるが、事件当時の資料にはそのような証言は無く、後世の創作だと思われる。

*5 ただし、担任の教師は「それほど変には見えなかった」と証言しているが。

*6 「異星人と知り合って他の星に連れて行ったもらった」と称した人物。証言内容は月や火星に高等生物がいるなど荒唐無稽だったことに加え、昔フィクションとして出版して売れなかった小説に酷似している。その支持者はUFOファンというよりは新興宗教の類と見なされている。

*7 ちなみに、本曲を手掛けた大槻ケンヂ氏は最初タイトル・歌詞ともに「リンゴ送れ、C」にする予定だったが、元日本GAP会員の人たちが本気にしたら困るので変更したという。

*8 ただし、Sさんは恐怖のあまり、あまり細部までは観察できなかったと証言している。