2004年第129回天皇賞・春

登録日:2019/07/30(火) 03:30:00
更新日:2025/04/21 Mon 09:51:44
所要時間:約 5 分で読めます




第3コーナー、あとゴールまで800mを過ぎて
場内がどよめいている!
イングランディーレの大逃げだ!
実況・馬場鉄志(関西テレビ)
2004年5月2日に京都競馬場で行われた第129回天皇賞・春はイングランディーレが勝ったレースである。

【馬柱】


2004年京都3回4日10R 第129回天皇賞(春)
京都芝右3200m 四歳以上オープン 牡牝 定量(58kg)


馬名 騎手

1 1 ザッツザプレンティ 安藤勝己 3 5.0
2 ナリタセンチュリー 吉田稔 13 131.1
2 3 ダービーレグノ 幸英明 15 185.2
4 ウインブレイズ 木幡初広 16 194.1
3 5 サンライズジェガー 福永祐一 8 64.5
6 イングランディーレ 横山典弘 10 71.0
4 7 ウインジェネラーレ 蛯名正義 6 26.5
8 シルクフェイマス 四位洋文 5 14.1
5 9 チャクラ 後藤浩輝 9 65.9
10 ファストタテヤマ 安田康彦 7 31.1
6 11 ネオユニヴァース M.デムーロ 2 4.1
12 マーブルチーフ 池添謙一 18 345.2
7 13 ナムラサンクス 渡辺薫彦 12 82.3
14 リンカーン 武豊 1 2.2
15 カンファーベスト 藤田伸二 11 77.6
8 16 ゼンノロブロイ D.オリヴァー 4 7.7
17 ヴィータローザ 岩田康誠 14 147.3
18 アマノブレイブリー 小牧太 17 312.7

レース前

薄曇りの天候の下、昨年の二冠馬や菊花賞馬などが集まり、戦前は4強対決として盛り上がっていた。
1番人気は昨年の菊花賞と有馬記念で2着になり前走阪神大賞典の勝ち馬、武豊が騎乗するリンカーン。
2番人気は昨年の二冠馬(皐月賞・ダービー)で前走大阪杯勝ち、まだJRAの騎手免許を取っていない頃のM・デムーロが手綱を握るネオユニヴァース。
3番人気は昨年の菊花賞馬で前走阪神大賞典2着で昨年JRAに移籍したばかりの安藤勝己が駆るザッツザプレンティ。
4番人気は昨年のダービー2着馬で前走日経賞2着のゼンノロブロイ。当時オーストラリアから短期免許で来日していたD・オリヴァー騎手が鞍上だった。
と、この4頭が単勝10倍を切って人気が集まっていた。

4強はいずれも4歳馬であり、5歳以上の出走馬にはGⅠホースはいなかった。
前哨戦の阪神大賞典、日経賞、大阪杯は全て4歳馬が勝ち、大阪杯以外は2着も4歳馬であったため、4歳馬が強いと評価されていた。

レース本番

レースはまずまずのスタートを切ったイングランディーレが素早く先頭に立った。
ザッツザプレンディが行くそぶりを見せたが、ヴィータローザ、シルクフェイマスがかわしイングランディーレの後に続いた。

1周目のホームストレッチ、イングランディーレがあいかわらず先頭、アマノブレイブリーが2番手にあがり、人気の中ではゼンノロブロイが5番手に上がっていた。

2コーナーを回ると、イングランディーレと2番手の差はどんどん広がり10馬身差以上にもなろうとしていた。
向こう正面でもその差はじわじわと広がっていく。
しかし10番人気のこの馬がいつかスタミナが切れてしまうだろうと誰もが思っていた。

3コーナーがやってきてもまだその差は縮まらない。20馬身はあろうかという差がついていた。
4強がそれぞれ警戒し合って仕掛け所を探り合っている間にイングランディーレはどんどん逃げていった。

4コーナー、場内のどよめきとともにイングランディーレ1頭だけが悠然と直線に向いた。
ゼンノロブロイが2番手に上がるももう時すでに遅し。

しかし先頭はまだイングランディーレ!
この馬はスタミナがあるぞ!

イングランディーレの刻んだペースにつかまり、後続は思ったよりも伸びてこない。
残り200mを切っても逃げた馬との差は縮めることすらできなかった。

これは逃げ切る、逃げ切る!
なんと4歳四強もすべて退けて、イングランディーレの一人旅!

そしてそのままイングランディーレが逃げ切ってしまったのだった。


結果

1着 イングランディーレ
2着 ゼンノロブロイ
3着 シルクフェイマス
4着 チャクラ
5着 ナリタセンチュリー
6着 アマノブレイブリー
7着 ダービーレグノ
8着 サンライズジェガー
9着 カンファーベスト
10着 ネオユニヴァース
11着 ファストタテヤマ
12着 ヴィータローザ
13着 リンカーン
14着 ウインジェネラーレ
15着 ナムラサンクス
16着 ザッツザプレンディ
17着 ウインブレイズ
18着 マーブルチーフ

払い戻し

単勝 6 7,100円 10番人気
複勝 6 1,930円 12番人気
16 320円 4番人気
8 500円 5番人気
枠連 3-8 8,960円 23番人気
馬連 6-16 36,680円 50番人気
ワイド 6-16 9,050円 54番人気
6-8 10,170円 59番人気
8-16 2,000円 18番人気
馬単 6→16 75,650円 89番人気
三連複 6-8-16 211,160円 206番人気

勝ち時計、3分18秒4、上がり3F36秒1は決して早い時計ではなかった。しかしその脚を誰も止めることはできなかった。
四強を始めとする他馬同士の警戒が仕掛けを遅れさせ、鞍上の横山騎手にイングランディーレのスタミナを残させるスローペースを許してしまったのである。

天皇賞春史上2位タイの7馬身差、1976年のエリモジョージ以来の逃げ切り勝ちであった。
そう言えば、エリモジョージが勝ったときも4強対決と盛り上がっていたのだった。

出走馬のその後

イングランディーレは前年にもダイヤモンドSと日経賞の芝の長距離重賞を2連勝して、天皇賞(春)に挑戦するも9着に敗れている。
その後ダートへと切り替え、前走はダイオライト記念(船橋・ダート2400m)2着だった。
後にも先にもこのようなローテーションで天皇賞(春)を制する馬はいないだろう。
10番人気というのも前年の同レースでの大敗と近走で好走していたのはダート重賞であり所詮は芝で頭打ちになったダート馬がまた芝に挑みにきたという印象ゆえだろう。
しかも横山騎手はこれがテン乗りだった。
4月5日の池添謙一騎手の結婚式でオーナーから直接依頼されたものだったのだ。
そしてこの後、距離4000mに及ぶイギリスのゴールドカップに日本馬として最初の(そして2021年現在最後の)挑戦をすることになる。
ちなみに2006年に引退後は韓国に輸出され、コリアンダービー馬チグミスンガンを輩出。2020年にそのまま韓国の牧場で他界した。

他馬より早めに仕掛けてなんとか2着に入ったゼンノロブロイは善戦マンという役割が続いたまま次の宝塚記念に臨むが本格化したタップダンスシチーに手も足も出ず4着。
しかし、秋になりオリビエ・ペリエを鞍上とすると一変してGⅠを3連勝、テイエムオペラオー以来の秋古馬三冠を達成し、見事年度代表馬に輝くことになる。

残る「4歳4強」は軒並み二桁順位で、その後もロブロイとは明暗分かれることとなる。
1番人気のリンカーンはその後も善戦はするも、ロブロイや下の世代の台頭、さらには例の衝撃まで登場して、ついにGⅠは勝てずに引退することになる。
2番人気のネオユニヴァースはこの後宝塚記念に向けて調整中に屈腱炎を発症。このレースを最後に引退することになった。
3番人気のザッツザプレンティは宝塚記念に出走後に屈腱炎を発症。翌年復帰するもそっちの天皇賞(春)がラストランになった。
つまりこの「4歳4強」が競う古馬GⅠはこのレースが最初で最後であり、結果「4強って言われてたけど……」という形で語り継がれるだけの看板になってしまったのであった。


余談

波乱を演出したイングランディーレだがこのレースが印象に残った少年が2人いた。
一人目は横山和生
彼は横山典弘の長男として生を受けて三男・武史*1と共に2025年時点で親子3人で中央の騎手として活躍している。
そんな彼が少年時代に普段レースに行く時もあまり口にしない父が「くるっと回ってくるわ」と発言し見事逃げ切ったこのレースを、父の中で1番印象に残っているレースとして挙げていた。
騎手となった彼はタイトルホルダーと共に春天に出走、大外からハナを奪うとそのまま逃げ切ってみせた。
これは彼にとって騎手生活苦節11年目で初めてのGⅠタイトルであり、それが父で一番印象に残ったレース、そして着差も父と同じ7馬身差で見事初GⅠを手にした。
更には次走宝塚記念でも勝利し、春は日経賞から3連勝も達成した。

そしてもう一人は菱田裕二
競馬とは無縁の一般家庭で生まれた彼はサッカー少年だったが家族でピクニック感覚で競馬を初観戦、それがイングランディーレが逃げ切った天皇賞だった。
その衝撃はサッカー少年だった彼を一気に競馬の世界へ引きずり込むほどで、両親に反対されながらも最後は認められ無事競馬学校騎手課程へ入学。
上記の横山和生とは同年齢*2で同期入学となったが諸事情により1年留年となってしまい、騎手としては1年後輩になった。
デビューから数年で重賞を制覇、GⅠでも好走する活躍を見せるもそこからなかなかGⅠで勝てるほどの馬に巡り合うことはなかった、そんな彼にテーオーロイヤルとの出会いがあった。

未勝利戦を勝つと青葉賞こそ4着に敗れるも1勝クラスからは連勝でOP入りしダイヤモンドS(GⅢ)で重賞初制覇。
その勢いのまま念願の春天に出走するも憧れたイングランディーレのように圧巻の逃げを見せたタイトルホルダーの3着に敗れた。*3
そこから再起を図るも秋は成績不振で更に右後肢の寛骨の骨折により復帰には1年を要し、さらに菱田自身も怪我を完治させるために長めの療養を取り、春天へ万全の体制を整えた。
コンビ再開は2024年の共に重賞を獲ったダイヤモンドSからで見事勝利、次走阪神大賞典でも圧巻の走りで勝利し好調のまま2度目の春天を迎えた。
レース直前まで7枠14番の京都では不利な外枠を引いたにもかかわらず前年の菊花賞馬ドゥレッツァと人気を二分していたが最終的には両者とも単勝2.8倍の1番人気タイに支持された。
スタートから積極的に先行策に出てドゥレッツァをマークする位置を取り、逃げるマテンロウレオ(横山典弘騎乗)をドゥレッツァ・ディープボンドらと共に追走、残り800mを過ぎてから徐々に進出を開始。
早めに先頭に出たディープボンドを交わすと更に後続を引き離しにかかり、ワープスピードら後続勢を振り切って1着入線、見事初GⅠを手にした。
馬は勿論菱田にとっても13年目で横山和生共々憧れの春天で初GⅠを手にした。
デビューから2024年4月時点まで岡田稲男厩舎に所属しており、岡田師にとってもGⅠ制覇は開業22年目にして初でもあった*4
なお当日は父親も現地観戦しており、レース後サッカー少年から20年後GⅠ騎手になった息子と熱い握手を交わしている。

秋は京都大賞典から復帰する予定だったが故障で回避、*5更にはジャパンカップ・有馬記念と目標も切り替えるも何れも回避し2024年を終了。
2025年は天皇賞連覇を目指していたが、2月時点で治療に半年かかることが判明し連覇の夢は潰えてしまった。


逃げ馬を捕まえてから追記・修正をして下さい。

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最終更新:2025年04月21日 09:51

*1 次男は騎手としては身長がある方である兄よりも高いため騎手になるのを断念したと言われている。実際東京大賞典にウシュバテソーロが出走した時に父と共に兄の活躍をスマホにおさめる姿を激写されているが163cmの父よりも頭半分ほど身長が高い。ここまで高いと減量が厳しく事実武豊の弟である武幸四郎・現調教師は177cmもあったことで現役時代は骨密度が老人レベルの過酷な減量をしていた。

*2 菱田は1992年9/26生まれ、和生は1993年3/23生まれ

*3 タイトルホルダーとは同期だがテーオーロイヤルは未勝利突破に時間がかかり、クラシック戦線には縁がなかったのに対し、彼は新馬戦を勝ちその後2歳重賞で善戦、3歳でもクラシック戦線で活躍、最後の1冠を手にしたのとは対照的である

*4 GⅠ級であればテーオーロイヤルの半兄メイショウハリオが帝王賞・かしわ記念を制している。

*5 なおこの時は菱田が騎乗停止期間でもし出走していた場合は乗り変わりが確実だった