テイエムオペラオー(競走馬)

登録日:2010/01/13(水) 23:42:13
更新日:2024/12/20 Fri 12:46:42
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2000年、有馬記念。

勝ち続けると、すべての馬が敵になる。

その馬は、完全に包囲された。

道は消えたはずだった。

テイエムオペラオー。
お前はなぜ走れたのか。

『年間全勝のレジェンド』

その戦いに、人は夢を見る。 

さぁ、夢を見よう。

───2013年第58回有馬記念CM


テイエムオペラオー(T.M. Opera O)とは、日本の元競走馬、種牡馬。
2000年の年間無敗記録およびグランドスラムを達成した、人呼んで“世紀末覇王”。


1996.3.13 - 2018.5.17


父:オペラハウス
母:ワンスウエド
母の父:ブラッシンググルーム
馬主:竹園正繼
調教師:岩元市三
主戦騎手:和田竜二
通算成績:26戦14勝[14-6-3-3]
獲得賞金:18億3518万9000円

主な勝ち鞍
  • 皐月賞(1999年)
  • 天皇賞春(2000年、2001年)
  • 宝塚記念(2000年)
  • 天皇賞秋(2000年)
  • ジャパンカップ(2000年)
  • 有馬記念(2000年)


生い立ち

デビュー前は良血でなかった事や、馬体のバランスは良いがこれといった特徴がなかった為、評価はあまり高くなかった。

しかし後に馬主となる竹園が牧場で「光り輝いて見えた」というほど惚れ込み、セリにて購入。
購入価格は誰も競らなかったので、スタート金額の1000万円だった。


現役時代

(馬齢は全て当時、現在はこれに-1歳)
3歳の夏に京都競馬場の新馬戦でデビュー、1番人気に推されるも2着に敗れ、その後骨折により休養する。
休養明けの未勝利戦こそ4着に敗れるも、次の未勝利戦で5馬身差をつけ初勝利。
続いて500万下条件のゆきやなぎ賞と連勝し、続く毎日杯では4馬身差をつけ3連勝で重賞初勝利を果たした。
クラシックの第一次登録をしていなかった為、200万円の追加登録料を払い出走した皐月賞では、アドマイヤベガナリタトップロードらがいた事もあり5番人気に甘んじるも、最後の直線で猛烈な追い込みを見せ見事にG1初勝利。
またこのG1勝利は、鞍上の和田、生産者の杵臼牧場、クラシックの追加登録料を支払って出走した馬主のいずれにおいても初勝利となった。

2冠を目指した日本ダービーでは、前述の2頭に続く3番人気に支持され3強を形成。
レースでは早めに抜け出すも、ナリタトップロードに競り負け、さらに追い込んできたアドマイヤベガに差され3着に敗れた。

夏場を休養し、菊花賞に向けた秋初戦はトライアルではなく、
古馬混合の京都大賞典でメジロブライトステイゴールドスペシャルウィークといった強豪馬たちと互角にわたり合うも3着。
本番の菊花賞も2番人気に支持されるが、1番人気のアドマイヤベガを気にし過ぎ仕掛けが遅れ、
猛追するも先をいくナリタトップロードにとどかず2着に敗れた。
敗因は明らかに和田騎手の騎乗ミスであり、激怒した竹園オーナーより主戦変更の申し出があったが、和田騎手をどうしても一人前に育てたかった岩元調教師は譲らず、最後には「どうしても乗り替わるというのなら転厩していただくしかない」と脅迫じみた文句まで言い放ち、これに竹園オーナーも折れて和田騎手継続になったとの事。(一説には武豊騎手への依頼を考えていたらしい)

その後ステイヤーズSに出走し、単勝1.1倍と圧倒的な1番人気になるも2着。
さらに強行軍で回避を予定していた有馬記念へ出走。
5番人気でむかえた本レースは、グラスワンダースペシャルウィークの歴史に残る4cmのマッチレースが繰り広げられ、
オペラオーはこの2頭にタイム差なしの3着。
これらが評価され、この年のJRA賞最優秀4歳牡馬に選出されるとともに、翌年に達成する偉業の予兆を感じさせてくれた。

そして和田騎手はJRA賞受賞記念の食事会において竹園オーナーから「今年は一度も負けてはならん、全勝だ」と言われたとのこと。
これを受け、和田騎手は「もう負けられない…。負けたら終わりや…」と極限状態で翌年のG1戦線に臨むことになる

鞍上の執念が通じたのか古馬になった緒戦の京都記念で皐月賞以来の勝利をかざると、続く阪神大賞典も連勝。
そしてナリタトップロード、サイレンススズカの弟ラスカルスズカと
新たな3強を形成してむかえた天皇賞春で、1番人気に見事こたえ優勝。完全に本格化し、古馬戦線の主役に躍り出た。

ファン投票1位でむかえた宝塚記念は、グランプリ4連覇がかかるグラスワンダーと人気を分け合い、グラスワンダーがレース中の骨折で6着に沈む中、最内枠から大外を一気に捲り切り優勝。見事に世代交代を果たした。
またこのレースで、後に最大のライバルになるメイショウドトウと初対決。メイショウドトウは、クビ差の2着だった。

秋は京都大賞典から始動。スローペースで上がりの競馬になるも、斥量59kgを背負いながら3F33.3の脚を繰り出し、
食い下がるナリタトップロード以下を完封して、天皇賞秋に駒を進めた。

さて、当時天皇賞秋には不気味なジンクスがあった。1番人気必敗のジンクスである。1985年にシンボリルドルフがよもやの敗戦を喫して以降、人気を集めた名馬が様々な理由でこのジンクスに屈していた。ざっと例を挙げると


他にもライスシャワーナリタブライアンなどなど、錚々たるメンツがこのジンクスに涙をのみ続けていた。
「府中には魔物が棲んでいる」とも言われていたこのジンクスに加え、騎手の和田が当時東京競馬場未勝利だったのもあり、1番人気にはなったものの単勝2.4倍と高めのオッズとなった。
レースでは先行し、メイショウドトウを見ながらの競馬。残り400mから追い出すと、メイショウドトウをあっさり突き放し、見事勝利した。
またこの勝利で、史上初の中央競馬4大競馬場G1勝利を達成した。
これ以降、秋天のジンクスはぱったりと消え、人気馬が順当に勝つことの多い固いレースになるのだが、それはまた別の話。府中の魔物は覇王によって討伐されたようである。

次走ジャパンカップは、打って変わって当時の支持率レコードとなる1.5倍。
1つ下の世代のG1馬達(エアシャカール、アグネスフライト、イーグルカフェ、シルクプリマドンナ)や
ドバイからの刺客:ファンタスティックライトなどがいながらも高い支持を受けた。
レースは後藤騎手のステイゴールドが果敢にハナを切る異例の展開となるもスローペースで流れる。3コーナーでエアシャカール武豊騎手が捲りぎみに進出し、馬群は一塊で直線に向かう。直線では外から追いすがるファンタスティックライト、内で粘り込みを図るメイショウドトウ、間に入ったテイエムオペラオーの3頭の叩き合いとなったが、抜群の勝負根性にてこれを制す。ジャパンカップもサクラユタカオー以降1番人気が負け続けていたがこのジンクスも打ち破って見せ、入線後ファンタスティックライト騎乗のデットーリからハイタッチの祝福をうけた。
デットーリ曰く「クレイジーストロング」、また後に海外でテイエムオペラオーの強さの話題になった時「戦ったことあるけどくっそ強かった」と語った。

そして前代未聞の年間無敗がかかった有馬記念、ここではライバルたちが社台包囲網打倒テイエム連合を結成、執拗なマークに合う。
実況も困惑し、事態に気づいた観客からは怒号が飛ぶという異様な雰囲気の中、直線を向いても後方11番手という絶体絶命の窮地に追い込まれるも、
坂を下り終え馬群がバラけ始めるとそれを割く様に追い込み、最後はメイショウドトウをハナ差で捉え、辛くも勝利を収めた。
そしてオペラオーは、この年から始まった秋季G13競走(天皇賞秋、ジャパンカップ、有馬記念)、俗に言う「秋古馬三冠」
同一年勝利の特別報奨金2億円を獲得し、重賞8連勝、G15連勝を含む年間無敗で終え、
テンポイントシンボリルドルフ以来の満票でJRA賞年度代表馬及び最優秀4歳以上牡馬に選ばれ、2000年を締めくくった。

年間無敗。
言ってしまえば1戦1勝だって年間無敗なので一概に記録としては評価しづらいものだが、
そもそも無敗以前に同一年にG1を5勝してる時点でJRA史上唯一無二
当時存在する芝2000m以上で出走可能なG1に全部出て全部勝った+G2も3つなので、これ以上詰める余地はないと言っていい。
そして、G1勝数と圧倒的な生涯勝率を両立したシンボリルドルフ(3敗)、後年のディープインパクト(2敗)やアーモンドアイ(4敗、1敗は新馬戦)でさえ古馬以降の年間無敗はないのである。
今だったら使い過ぎだと批判されかねないローテーションで、それでも彼は過酷な戦いを勝ち抜いたのである。

明けた2001年も現役を続行し、海外遠征の期待もあったが、引き続き国内でのローテーションを選択した。
(オペラオー陣営に海外のノウハウや伝手がまったくなかったのが大きい)
和田が骨折した影響や放牧地が大雪に見舞われ調整が遅れた不幸もあり迎えた産経大阪杯では、
レース前の追い切りが悪かった事や執拗にマークされた事もあり4着に敗れ、昨年からの連勝がいきなりストップしてしまった。
しかし天皇賞春では、4コーナーから鞭が入りながらも勝利し、メジロマックイーン以来となる天皇賞春連覇を達成し、
シンボリルドルフと並ぶ(当時の)JRAG1最多勝利タイとなる7勝に並んだ。

新記録がかかった宝塚記念では、単勝支持率1.5倍と圧倒的に支持された。
しかしここまでずっと惜敗していたメイショウドトウが早めに先頭に立ち、オペラオーが道中不利を受けて立ち上がった事もあり、とどかず2着に敗れG1の連勝も6でストップ。
一方のメイショウドトウは悲願のG1初勝利を成し遂げた。
余談ではあるがメイショウドトウはオペラオーの2着続きのせいでシルコレとしての印象が強いが、G2では他馬をボッコボコにしているのでどちらかというと無慈悲側の馬である。

秋シーズン初戦の京都大賞典は、ステイゴールドが最後の直線で内から外に大斜行をかましてオペラオーに激突、
これに挟まれたナリタトップロードが落馬して競走中止になる事故がおき、ステイゴールドが失格となり、オペラオーが繰り上がりで1着となった。

天皇賞4連覇がかかった天皇賞秋は、逃げ馬サイレントハンターが出遅れ、好スタートを切ったメイショウドトウがハナに立つ思いもよらない展開に。道中は2.3番手に付け、直線では早めにメイショウドトウを捉え突き放すも、
大外から1歳年下のアグネスデジタルが強襲し差し切られて2着。
またこのレースで1年半にも及ぶ中〜長距離G1のオペラオー世代による上位独占に終止符がうたれ、覇王の絶対王政の落日が始まった。

連覇を狙ったジャパンカップも、早めに抜け出し先頭にたったものの、ゴール直前でダービー馬ジャングルポケットに差し切られまたも2着。
またこれまでずっと僅差の勝負をしてきたメイショウドトウが5着に敗れ、初めて着順が離れた。

引退レースとなった有馬記念では1番人気になり、初めてメイショウドトウと同じ枠順に入った。
道中はスローペースの中、中団待機。3.4コーナーで和田騎手が仕掛け始めるも、反応が悪く、レースでは過去最低の5着に敗れた。なお、同じく引退レースとなったメイショウドトウは4着と、最後は2頭揃って馬券外となった。
1着はマンハッタンカフェ。世紀末の伝説は、新世紀のスーパールーキー達によってついに引導を渡され、世代交代と相成った。

翌2002年1月13日に京都競馬場でメイショウドトウとの合同の引退式が行われ、種牡馬となった。
また2004年にJRA顕彰馬に選出され、殿堂入りした。


主な記録

歴代最高賞金獲得: 18億3518万9000円(当時世界最高収得賞金額)
G1勝利数2位: 7勝(タイ記録)
G1最多連対: 11連対
G1最多連勝: 6連勝
G1最多連続連対: 9連続連対
G1年間最多勝利: 5勝
重賞最多勝利: 12勝(タイ記録)
重賞最多連勝: 8連勝(タイ記録)*1
重賞年間最多勝利: 8勝
天皇賞最多勝: 3勝(タイ記録)

強さ

シンボリルドルフ同様全ての能力が最高クラスの器用万能な競走馬だったが、特筆すべきは他馬より強靭な心臓と自ら戦略を組み立てていたとまで言われる頭脳である。

引退後にJRAの研究施設が彼の体を検査したところ、通常のサラブレッドの約1.5倍の大きさの心臓を持っていたことが判明、その実力の一端が科学的に証明される事となった。
また、トレセンでの調教終わりに厩務員や和田騎手を振り落として自分で厩舎に戻る、厩舎から脱走して他馬の調教を眺めるなどのエピソードがあり、頭の良い馬だったと岩元市三調教師も語っている。
それが特に顕著だったのは00年有馬記念であり、他馬に前も横も塞がれ、和田騎手が諦めてしまった中でも、
一瞬の隙を見逃さず自力で包囲網を抜け出したオペラオーの頭脳は、並の馬とは一線を画したものと言えるだろう。
おかげで和田騎手がファンからお気に入りのリュック呼ばわりされる事も。
しかし、その頭の良さが仇となったのか、勝ちを確信すると減速してしまうという悪癖もあったようで、その弱点を付かれて01年天皇賞秋でアグネスデジタルのゴール直前に視界の外から最大外ブン回しという奇策に敗れてしまった。

この悪癖のせいでレコードを出しておらず、大差をつけて勝利することもなかったため、スピードを過小評価されることも多々あったが、
皐月賞や00年有馬記念、01年宝塚記念のようにその気になれば、後方からの直線一気でゴボウ抜きすることも可能な鋭い末脚を持っている。
追込戦法をやらなかったのは、和田騎手の師匠である岩元調教師が馬に負担をかける追込を好まなかったからである。*2
さらに、上述の強靭な心臓によってその末脚の持続力も凄まじく、00年JCの前半スローペースからの後半マイルG1並のラップを刻んだ超ロングスパートというタフなレースを制覇したことから、そのスピード持続力の高さがうかがえる。

これらの能力が組み合わさった結果、2000~3200mまで馬場を問わず走れる、超一流のスピードとスタミナと知能を持ち合わせた化物が生まれたわけである。


種牡馬としてのテイエムオペラオー

日本で成功例が少ないサドラーズウェルズ系であり、明らかに日本向きではない「重い」血統という大きな難点があり、やはり上手くはいかなかった。
中央平地重賞馬は出ておらず、傾向としては古馬になって力を出してくる産駒が多かった。
種牡馬としてのエリートコース(同父のG1四勝馬メイショウサムソン*3のような社台入り)に乗れず個人保有となり、繁殖牝馬の質が担保されなかったという逆風もあるが、
同じ馬主のよしみで二冠馬テイエムオーシャンとは5年連続交配されたものの生まれた3頭の合計でも中央では1勝止まりとなった。
ちなみに馬主が九州に牧場を持っているため、北海道で種付けした牝が九州で産むケースが多かったそうな。
また父オペラハウスと同じく障害戦で活躍馬を出しており、テイエムトッパズレ・テイエムエースが障害重賞馬となっている。


最期。そして…


晩年は悪質な見学者の接近を避けるべくオーナーの意向で所在が非公表だったため、一般のファンの目に触れる機会や公開される情報などが極めて限定されていたが、
2018年5月17日に心臓まひで亡くなっていた事が発表された。22歳だった。
近年語られた牧場スタッフの話では、その日は雨が降っていたが、
外にいたオペラオーが倒れ、亡くなるその時、空は晴れ虹がかかったという。
ファンが会いたい馬という投票で一位を獲得していたこともあり、
札幌記念の日に札幌競馬場でのお披露目も予定されていたそうだが、残念ながらそれは叶わなかった。

一方、主戦騎手の和田は以降もコンスタントに勝ち鞍を挙げ、トップとはいかずとも一線級のジョッキーとして定着するが、ことG1に関してはオペラオー以降すっかり遠ざかることとなり、ワンダーアキュートで地方G1(Jpn1)を2勝するに留まった。

そしてテイエムオペラオーの四十九日を翌月に控えた2018年6月24日の宝塚記念。
メイショウドトウに初めて敗れた枠と同じ4枠には和田竜二騎乗のミッキーロケットの姿があった。
ミッキーロケットは4コーナーからの直線で先頭に立つと外から猛追する香港のワーザーを抑え込み、17年ぶりの中央G1勝利をテイエムオペラオーに捧げた。
和田騎手はインタビューで「オペラオーが後押ししてくれた」と語った。
とある競馬ファン曰くパドックで見たミッキーロケットは普段と違い名馬のようなオーラを放っていたという。
もしかしたらオペラオーがミッキーロケットに乗り移っていたのだろうか。
ちなみに和田騎手は何度か引退後のオペラオーに会いに行ったが「G1勝ってねーだろ!」と噛まれたらしい。


和田騎手のTwitterより:
昨日のことのようにあなたの背中の感触があります。
心がえぐられるような悲しみが襲ってきます。
自分にとって大切なこと…大事なことは…
元気に走り回っていたようですね…
先生もあなたらしいと言われてたよ。
ありがとうね
あなたのおかげでまだここにいます。
まだまだ私は走ります。
あなたのように速く強くなりたいから…
ご冥福をお祈りいたします。


フィクション作品への登場


●『馬なり1ハロン劇場』(よしだみほ)
初登場回では皐月賞時の追加登録が題材となったが、皐月賞後の微妙な成績からブロコレ倶楽部*4に勧誘され加入、2000年の大躍進で扱いについて紆余曲折あったものの、最終的に「名誉会員兼ゴルコレ倶楽部会長」という肩書に落ち着いた。
そのせいで、総集編のブロコレ倶楽部版表紙が金のトロフィーを掲げ喜ぶオペラオーと銅メダルを見て悔しがるナリタトップロードになったのは別の話。
本作では押しの弱い面から倶楽部入り後の強豪化で微妙になる立ち位置に悩む気弱さを見せ、一方で進退に悩む後輩テイエムプリキュアとお見合いした際、彼女のコスプレ姿を見て現役続行を後押ししたりする好青年でもある。
一方でリアルタイム連載による雑誌掲載の都合上、2000年有馬記念と「オペラオー包囲網」に関しては特に触れられていない。
引退してからも倶楽部のメインステイゴールドと共にOB代表としてちょくちょく顔を出しており、
他にも『2010春』ではディープインパクトと共にウオッカが自分達と並ぶG17勝馬になるのを応援したけど一端足踏みした時に諦めていたら、7冠の先輩シンボリルドルフがシンボリクリスエスに馬車を引かせて7冠達成したウオッカを連れて来たり。
なお、ゴルコレ倶楽部がどういう会なのかは不明。
同じく勝ちまくった会員*5が出ても特に関連付けられなかった辺り、多分作者もわかってない。
なおナリタトップロードはオペラオー後に倶楽部入り(志願するも「馬券が低倍率過ぎる」と一端断られた後倍率が少し上がったため勧誘)しオペラオーと長い付き合いになり、メイショウドトウはフランスのシルコレ牝馬レーヴドスカー主催の「ル・サロン・ダルシャン」に入会した。
そのせいで京都大賞典のステイ・トップロード・オペラオーのごたごたが作中の外野からみたら内輪の醜態になってしまったのは別の話。
またメイショウドトウとは基本「良き戦友・ライバル」的関係だが、引退式前のブロコレ倶楽部飲み会では酔ったドトウに愛を告白され
そのせいか引退式後にはドトウと同じ種馬場に引っ越す様子が周囲からドトウとの愛の巣へと向かうハネムーン扱いされる悪夢を見る羽目に(しかも夢のドトウは曰くがたい無言のにやけ顔で固定。現実では普通に好敵手としての顔だったが)。
しまいには没後雲の上の天国で雲をぱくついてたら「毎年宝塚記念を見る約束だったろ!」と天上まで物理的に腕を伸ばしてきたドトウによって無理やり地上に降ろされと、稀にドトウ側からの感情が重めに描かれていた。

●『優駿劇場』(やまさき拓味)
第42回宝塚記念回に登場。
こちらはグランドスラム後に描かれたため、覇王寄りの自信家キャラとして描かれている。
かつて三冠馬が打ち立てたGI7勝の記録を破って歴史に名を刻むべく宝塚記念に挑む。
しかし、その裏ではメイショウドトウらライバル達による打倒オペラオー作戦が進行しており…。

●『令和 優駿たちの蹄跡』(やまさき拓味)
メイショウドトウ回の後半にて、牧場「ノーザンレイク」で余生を過ごす2022年のドトウが猫のメトへ語る回想内に登場。
現役中容赦なくボッコボコにやられたドトウから「顔も見たくない」「貪婪で薄情で冷徹」「友達できない」と悪態をつかれるほど嫌われていたが、
最終的に合同引退式で共に引退する好敵手を労う優しさと器の大きさを見せた事で「勝負に冷徹」という一点は最後まで揺るがなかったものの和解した。
ラストはオペラオーの最期と、彼の命日に涙するドトウの姿で締められている。

●『ウマ娘 プリティーダービー
最初期から登場。
こちらも世紀末覇王寄りのキャラであり、いちいち言動が芝居がかっている超絶ナルシストなボーイッシュ少女という凄まじく濃いキャラ付けがされたネタキャラの一角。
どんな時でも超前向きで、時に常人には理解しきれない発想を見せつける生粋のハジケリスト。
が、同期が方向性は違うがどいつもこいつも生粋のド天然である事が判明した為、実はこんなんなのに同期の中ではツッコミ役に収まる事も多い。
しかし表に見せないだけでものすごい努力家であり、その言動も無謀なビッグマウスに見えてちゃんと実力に裏打ちされたものでもある。また面倒見も良いのでファンも多い。
だが、頭角を現すのが2000年以降、つまり主人公であるスペシャルウィークの引退後であるため、アニメ作中ではどうも三枚目感が抜けない。WDTでは、史実で叶わなかった最強世代との対決が実現したことを喜んでいた。

アプリ版グッドエンドがウマ娘世界からすると完全に焼け野原のひっでえ事(なおただの史実)になってる
詳細は個別記事参照。

余談

派手さがなく、勝ち方がいつも同じで面白みがないなど人気面では良好と言えなかった同馬だが、
現役中1度も掲示板を外す事なく、故障を心配される程真面目に走っていた同馬を大好きな人は多い。
また、前述の悪癖がありながら年間全勝に至った要因に数えられる、競り合いになれば譲らない勝負根性の強さも驚異的。
そんなオペラオーのレースぶりを表したのが「ハナ差圧勝」という言葉である。*6
ナリタトップロードとメイショウドトウ以外には2回以上先着を許さなかったことも、同馬の能力の高さを証明していると思われる。


現代競馬では距離別の棲み分けが進み、前哨戦に出てこない有力馬も多くなった。エージェント制により乗り替わりも当たり前になった。
そんな中ドトウとトップロードと共に若手騎手を載せ続け、前哨戦には必ず出てきて、古馬王道路線を皆勤したオペラオーの評価は近年上がってきている。
特に遠征こそ行っていないものの古馬路線を駆け抜け年間無敗を成し遂げた馬はその後も出てきていない事から、最強馬論争ではシンザンの時代からいる着差を重視しない層からの評価が高い。

仔の中には牡と牝、かつ母の父が共に「フジキセキ」な「テイエムオペラッコ」なる馬が2頭もいたりする。
牡のオペラッコ(2010年生まれ)は未出走のまま登録抹消されたが、牝のオペラッコ(2018年生まれ)は中央から同じオペラオー産駒もいる佐賀競馬に移籍し競走馬として活動している。






ゴール目前。
目の前に立ちふさがるライバルたちの群れ。
そのわずかな隙間を異次元の末脚で抜け出した。
ハナ差で掴み取った年間無敗という奇跡。
この伝説にたどりつく馬は、いまだ現れない。


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最終更新:2024年12月20日 12:46

*1 ただし障害競走まで含めればオジュウチョウサンが障害重賞で13勝・9連勝という記録を持っている

*2 皐月賞で追込戦法を行った和田騎手はレース後に岩元調教師に叱責されたとか。

*3 2006年クラシック世代の皐月賞・日本ダービー馬。ドトウを超えメイショウ軍団最高獲得賞金額を記録している。

*4 「ブロンズコレクター倶楽部」の略でいまいち勝ちきれない馬達による交流会。

*5 ブロコレ入り後に4連勝し、最終的にG1・JpnI合計で10勝したホッコータルマエ。

*6 特に2000年の有馬記念はそう語られる事が多い