池添謙一(騎手)

登録日:2012/03/20 (火) 21:58:55
更新日:2025/04/10 Thu 18:19:44
所要時間:約 4 分で読めます





池添謙一(いけぞえけんいち)は日本中央競馬会(JRA)栗東所属の騎手である。
滋賀県出身。妻はタレントの堀あかり。

史上最年少の三冠ジョッキー(32歳3カ月1日)。

【主な騎乗馬】


  • アローキャリー(2002年桜花賞)
  • デュランダル(2003年スプリンターズS、2003年・2004年マイルCS)
  • スイープトウショウ(2004年秋華賞、2005年宝塚記念、エリザベス女王杯)
  • トールポピー(2007年阪神JF、2008年優駿牝馬)
  • ドリームジャーニー(2007年朝日杯FS、2009年宝塚記念、有馬記念)
  • オルフェーヴル(2011年クラシック三冠、有馬記念他)
  • エイシンアポロン(2011年マイルCS)
  • カレンチャン(2011年スプリンターズS、2012年高松宮記念)
  • ショウナンパンドラ(2015年ジャパンカップ)
  • シンハライト(2016年優駿牝馬)
  • レーヌミノル(2017年桜花賞)
  • ブラストワンピース(2018年有馬記念)
  • インディチャンプ(2019年マイルCS)
  • グランアレグリア(2020年安田記念)
  • ソングライン(2022年安田記念)

【来歴】


1979年、滋賀県栗東市生まれ。(出生地は熊本県)父は騎手から調教師に転身した池添兼雄で、弟の池添学も厩務員・調教助手を経て2013年から調教師を務めている他、妹はバレット(騎手の助手的存在)、甥はポニー競馬の東海チャンピオンという競馬一家の出。

競馬学校を14期生として卒業し1998年デビュー。この年に38勝を挙げ、最多勝利新人騎手となる。

GⅠ初勝利は2002年の桜花賞。アローキャリーにテン乗りで騎乗し、単勝13番人気の低評価を覆してのものだった。

2011年にはオルフェーヴルとのコンビでクラシック挑戦。三冠を達成するとともに、史上6人目となる5大クラシック完全制覇を遂げている。

非常に涙脆く、初のGⅠ勝利となった2002年の桜花賞では、テレビ中継の勝利騎手インタビューや表彰式の馬上で号泣。
ダービー制覇や有馬記念制覇の際も泣き出す姿が見られた。

本人曰く、調子がいい時は周囲から堂本剛や櫻井翔に似ていると言われるらしい。


【騎乗スタイル】


最大の魅力はその勝負強さ。勝利数における重賞の割合が非常に高く、大舞台に強いジョッキーとしてその名を轟かせる。
特に春秋のグランプリレースである宝塚記念と有馬記念で強く、宝塚記念では3勝、有馬記念に至っては最多勝利(タイ)記録となる4勝を挙げている。
重賞で人気薄の馬を馬券内に押し込み、高配当を演出することもしばしば。

いわゆる「追い込み」が巧いジョッキーとしても有名。気性難として知られたデュランダルに追い込み戦法を仕込み、GⅠを勝ったことがその後の活躍につながった。
他にもヤマカツスズランやカレンチャン、ドンフランキーといった先行策を得意とする馬たちでも結果を出している。

一方で、大舞台での強さは決め打ちの巧さに由来する部分が大きく、流れが向かずに直線沈没する姿もよく見られる。
ゆえに、安定した騎乗が求められる条件戦での評判はイマイチ。
2022年1月1日~6月5日までの騎乗成績が通算22勝(内重賞5勝GⅠ 1勝)とか、
オルフェーヴルエイシンアポロンカレンチャンが揃って賞金3位を取った年が勝利数は59勝で全国18位と言う訳の分からない成績になっていたりしている部分とか、
生涯獲得賞金を勝利数で割った1勝あたりの獲得金額ランキングでは武豊やクリストフ・ルメール、ランフランコ・デットーリ等の錚々たるメンツを抑えて世界の歴代全ジョッキーの中で1位だったりする所を見れば顕著。
また、異様なまでにダート戦に弱いのも特徴であり、これまでのGⅠ全27勝の内ダートは1勝、重賞合計100勝中ダートは9勝、中央重賞に限れば17年間ダート重賞勝ってなかったと言った所も勝利数、と言う意味であまり伸びていない特徴にもなっている*1

良くも悪くも勝負に徹するタイプのジョッキーであり、ファンからの評価は賛否両論

また、何故か天皇賞は春秋どちらも勝てていないため、冗談混じりで『朝敵』と皮肉られている。

【トールポピー事件】


2008年5月25日、優駿牝馬(オークス)をトールポピーで制覇。
この際レース最後の直線走路で急に内側に斜行し、走行妨害に至らない危険騎乗をしたものとして開催2日間の騎乗停止処分を受けた。
しかしトールポピーに降着処分は課されず、多くの競馬ファンや評論家から裁定に対する疑問の声が上がった。

なお、審議中に池添はウイニングランを行ったほか、ガッツポーズや投げキッス等の派手なパフォーマンスを繰り広げ物議をかもした。
どうやら当人は他馬に影響を与えたことを認識していなかったらしい。
映像を見て初めて事態の深刻さに気付いたようで、聞き取り調査後に行われた勝利騎手インタビューでは
「他の馬に迷惑をかけてしまって」と青ざめた表情で話していた。
この時の満面の笑み→呼び出される→退室後蒼白に→インタビュー時には神妙になっている、という流れはファン必見。

なお、世界的ジョッキーであるM.キネーンは、

  • トールポピーの脚色は他の馬よりも良く、勝利自体に異論はない
  • ただし騎手はステッキの持ち替えなどを怠っており、危険な騎乗と言わざるを得ない
  • ゆえに着順変更なしで騎手に4日程度の制裁が妥当

という見解を示している。

池添ケンイチの災難



なぜかやたらと気性難の馬に縁があり、担当騎乗馬は「池添学級」・「池添塾」などと呼ばれる。
気性難絡みのエピソードでは特にスイープトウショウにまつわるものが有名。
2005年の天皇賞(秋)では本馬場入場時に同馬が全く動こうとせず、ついに返し馬を中止。
係員がスタート地点まで引っ張っていき、下馬した池添がそれを追いかけていくという珍事もあった。

また、ディープインパクトの引退レースでも只一頭ゲートに入ろうとせず、最後の雄姿を見届けようと駆け付けた満員の観客をヤキモキさせた。
無事にゲート入りしただけで拍手が起きるなんてことはそうそうあるものではない。

実際スイープトウショウにはガチで嫌われていたらしく、池添が何度人参を口に運んでも食べようとしなかった。
数年越しでやっと食べてくれた時も耳を絞っていた*2というあたりでお察し。引退後牧場を訪ねて行った際には池添が近づいて行っただけで一目散に逃げて行ったとか…。
調教の際もまたがったら真冬に30分以上微動だにせず猛吹雪に晒される*3等しており、「スイープトウショウを彼女にしたいか?」と聞かれた際は即答で「いやー、きついでしょ」と返している
そしてその質問から15年後に再度聞かれた際は「彼女は嫌ですね」とはっきり断言した

かのオルフェーヴルにも二度振り落とされており、そのうち三冠制覇時には外ラチにぶつけられている
しかも映像を見る限りぶつけたと言うよりは外ラチに脇腹を思い切り叩き付けたと言った方がしっくり来るぶつけ方で、直後に行われた勝利騎手インタビューこそしっかりとこなしたものの、
終わった直後に脇腹押さえて「痛い……」と呟く程度には痛めてしまっていた。
オルフェーヴルに「暴君」なる二つ名がついたのはだいたい池添のおかげである。もっともオルフェーヴル自身は池添にむしろ懐いていたらしいが。

以上の経緯により、オルフェーヴル×スイープトウショウの仔馬が産まれた際には池添が乗るというのがファンの間では確定事項に(当時はオルフェーヴルの父ステイゴールドのファンスレッド等でも本気で池添の命の心配がされていた)
池添の運命やいかにッ…!

…ところが、当の息子であるスイープトウショウの2015が産まれた年に当のトウショウ牧場が2015年10月末を以て閉鎖、スイープトウショウと彼ら産駒21頭の当歳馬はノーザンファームへ売却されたが、気性難が酷過ぎてデビューすらできず現在行方不明と言う結果となり、2020年にスイープトウショウが他界したためこの可能性は限りなく低くなっている。
一応他のスイープトウショウの子やオルフェーヴルの子には乗ったことがあるが。

ちなみにこれらの実績からファンのみならず業界人からも癖馬巧者扱いされており、「馬が騎手の手に負えなくなる→池添に白羽の矢が立つ→馬の巻き添えで処分受ける」の流れが風物詩になりつつある。
実際2021年には本番限定の暴走癖*4で有名になったメイケイエールと共にスプリンターズSに臨み、古馬混合GⅠの中で4着と好走。そして斜行で戒告処分
その後もメイケイエールの鞍上を務め、翌2022年にはシルクロードS(GⅢ)に矯正馬具フル装備で挑んで勝利し、実に11カ月ぶりの重賞を獲得している*5
そしてその翌週に乗り替わったばかりのハギノモーリスのとばっちりで騎乗停止処分食らっていた
高松宮記念の敗戦を経て挑んだ京王杯スプリングカップ(GⅡ)ではメイケイエールが馬具に慣れてしまいまたも暴走しかけたところを必死で抑え込んで見せ、スタートで某120億円事件犯人のごとく立ち上がるギルテッドミラーやラチめがけて一直線に駆けていくリフレイムといった癖馬大運動会を制して*6彼女に2つ目のGⅡ勝利を与えた。
その勝利騎手インタビューで見せた汗びっしょりで息も絶え絶えにインタビューに「いやー、キツかったですね」と答える姿が彼女との激闘を物語っている。そんな彼の様子に気を遣ったのか、インタビュアーが1分足らずで質問を終わらせようとし、あまりにあっという間のインタビューに池添騎手が驚く一幕もあった(その様子を見たインタビュアーは池添騎手は大丈夫と判断したのか質問を続行した)。なおオルフェーヴルファンスレッドに「メイケイエール引退したらオルフェーヴル付けようぜ」とか言い出す暗殺者が沸いた
さらに2022年にnetkeibaの企画として「クセ馬図鑑」が展開された際は動画版全5回のお題が「オルフェーヴル」「デュランダル」「スイープトウショウ」「メイケイエール」「池添が騎乗したクセ馬達
当然の如くゲストとしてフル参戦する池添と完全にクセ馬図鑑じゃなくて池添図鑑状態に*7そしてハブられたドリジャは「殺しに来るのはクセ馬通り越してるのでは」とネタにされた。

そして2022年の夏競馬、かねてより白毛馬で見た目の美しさや大人しい性格と言う事で注目を集めていたオルフェの異母兄弟の120億円事件主犯の白いアレ産駒の「アオラキ」がデビューするのであるが、なんと池添騎乗でデビュー。そしてそのデビュー戦でよりにもよってアレとスイープトウショウのハイブリッドのような気性を見せつけ、見事に入塾する事になってしまった。池添の受難はまだ続く。

【武豊好き】


そんな池添だが自他共に認めるほど武豊を敬愛していることでも知られている。
そもそも騎手を目指した理由が競馬一家に生まれた以外にも武豊に憧れて騎手を目指したと語っておりメディアで武豊への思いを炸裂させている。
あまりにも愛が行き過ぎて配信では武豊に関する豊富な知識を持つ者に『武豊王』が与えられる大会を開き王座に君臨している。
事実その愛は本物で2023年に怪我で療養中に武豊がJRA通算4400勝の催しのためだけに栗東から小倉まで駆け付け、式終了後即栗東に帰るほど武豊に全力である。
しかし2024年5月12日にとんでもない事件が起きた。

この日武豊は勝てば4500勝の節目を迎え池添もそのために府中競馬場に来ており、乗鞍も武豊が勝つであろう午前中は騎乗予定を開けており万全の体制であった。
事実武豊は2R目で見事4500勝を達成、3Rの騎乗予定がある騎手以外は短期免許で来日していたジョアン・モレイラ騎手も参加するほど多くの騎手たちに祝福されていた。
…だがそのセレモニーに池添の姿はなかった…
これにはファンのみならず記念プラカードを持っていた川田騎手でさえも嬉しさと困惑の表情が見え、池添自身も午後の騎乗予定はしっかりと騎乗していたためこの日何があったかは分からずじまいだった。
翌日記者のXでなぜ池添がセレモニーに参加しなかったかが語られ、なんと武豊の騎乗レースを2Rではなく3Rと誤解していたとんでもない大ポカで逃したことが判明。
しかもこの時「次(3R)で4500勝達成ですね!」「(2Rで)もう達成したぞ」大学入試センター試験コピペのようなやり取りを横山典弘騎手としたというネタぶり。
一応本人の投稿で武豊と拗れることはなく穏便に収まったと語っている。
なお当の武豊は池添を普段から『俺を利用して目立とうとしている』と茶化しているので豊のネタが増えたとハナから関係が拗れると思ってないファンは多い
翌週メルボルントロフィーで4501勝目を挙げ表彰式が終わった後の武豊の元に自作の4501勝うちわを持ってウィナーズサークルに登場、無事先週の雪辱を果たした。転んでもただは起きなかった

ちなみにフランス出身で通年免許を取得したクリストフ・ルメール騎手とは同年齢で共に武豊を敬愛する者同士で非常に仲がいい。
2023年の有馬記念の公開抽選では池添が不利とされる外枠の8枠15番を引いたのを笑っていたらルメールは大外8枠16番を引くという因果応報を受けて壇上に上がる際に
池添とルメールが仲良く肩を組んで上がり、壇上では死んだ表情をしていたことはファンでは語り草となっている。


追記・修正は三冠制覇するか、気性難の馬を乗りこなしてからお願いします。

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最終更新:2025年04月10日 18:19

*1 ダート戦は逃げ先行有利な傾向があるのも原因と思われる。

*2 威嚇や怯えの印とされる。

*3 その逸話を聞いた武豊は「凍傷(トウショウ)になるとこやったな」とギャグで返したらしいが、実際にはその際に身体に雪が積もるレベルであった事も明言しており、割とギャグで済まない話だったりする。

*4 一説にはあまりに真面目過ぎる気性故、「何が何でも先頭に立たなければならない」という気持ちが勝っているためとされる。ちなみに普段の調教時は全くそんな様子を見せないとのこと。現に気性が荒い馬に付けられる蹴り癖のリボンはない(危険な為「わざと付けない」はあり得ない)し、桜花賞での暴走後に課せられた調教再検査は楽々合格して「(調教で絶対悪さしないから)意味ないよこれ」と当時の主戦の武豊が愚痴ったほど。

*5 ちなみにメイケイエールはこれを含めて重賞を4勝(GⅡ 1勝・GⅢ 3勝)しており、また先述したように古馬混合GⅠで好走するなど、ポテンシャルそのものは高いものを有している。

*6 因みにこの京王杯、ネット上では「京王杯スリリングカップ」という別名がつけられている。

*7 おそらく当時池添本人が落馬負傷で療養中だった(のでゲストとして呼びやすい)のも大きいと思われる。