ゼンノロブロイ(競走馬)

登録日:2023/08/12 Sat 04:44:30
更新日:2025/03/20 Thu 20:33:12
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王道の覇者。

その秋、黒鹿毛の大器は、王道を制覇した。

すべてに参戦することさえも困難で過酷な、秋古馬中長距離3冠

王道の覇者、ゼンノロブロイ

その揺らぎ無き強さは、
伝説の英雄 の名にふさわしい。

───JRA ヒーロー列伝No.59より

ゼンノロブロイ(Zenno Rob Roy)とは日本の元競走馬

メディアミックス作品『ウマ娘 プリティーダービー』にも登場しているが、そちらでの扱いは当該項目参照。
ゼンノロブロイ(ウマ娘 プリティーダービー)

目次

【データ】

誕生:2000年3月27日
死亡:2022年9月2日
享年:22歳
父:サンデーサイレンス
母:ローミンレイチェル
母父:マイニング
調教師:藤沢和雄 (美浦)
馬主:大迫忍→大迫久美子
生産者:白老ファーム
産地:白老町
セリ取引価格:9,450万円 (2000年 セレクトセール)
獲得賞金:11億1,560万円 (中央)
通算成績:20戦7勝 [7-6-4-3]
主な勝鞍:04'天皇賞(秋)・ジャパンC・有馬記念

【概要】

2000年3月27日生まれの黒鹿毛の牡馬。父はお馴染みの大種牡馬ことサンデーサイレンス、母はローミンレイチェル。
父馬のサンデーサイレンスは言うまでもなく。母馬のローミンレイチェルもアメリカにおいて障害戦績15戦9勝、
バレリーナハンデキャップやボーモントステークスといった複数のダート重賞を勝ち抜いた名馬であり、双方の血を引いた良血統。
尚、ローミンレイチェルを購入した白老ファームは当時の低迷を脱却するために最高額の予算を投入しており、
そこに社台グループの大種牡馬であるサンデーサイレンスが結びつくことで、ゼンノロブロイが誕生することになった。

当初から白老ファームで生まれた当歳馬の中でもトップクラスの素質を持つと太鼓判を押されていたようで、
厩舎入後も当時調教厩務員を担当していた川越靖幸氏が「うわべだけの元気の良さとは違う、内面的なパワーが伝わってくる」と、高く評価していた模様。
主戦騎手は横山典弘の他、秋古馬三冠を共に走り抜いたオリビエ・ペリエ*1など。
全体の内、着外だったのは引退時の有馬記念一戦のみ、2着が6回、3着が4回、秋古馬三冠含めて重賞を合計5つ勝ち取っているなど、
総合成績を取ってみれば紛れもない名馬の1頭であることは間違いない。

【戦歴】

2003年2月9日に中山競馬場の3歳新馬戦芝1600mでデビュー。後続のペイシャンスキングに2馬身差をつけての勝利を飾る。
続くOPレースのすみれステークスは3着に終わるも、山吹賞、G2の青葉賞で連続勝利を飾った後、初のG1となる東京優駿(日本ダービー)に挑戦。
2枠3番の出走、先行しながら好位置をキープしつつ、最終コーナー通過後は皐月賞馬ネオユニヴァース、後の菊花賞馬ザッツザプレンティと横並びに。
接戦の末に半馬身差を覆すことができず、ミルコ・デムーロがネオユニヴァースで勝ち史上初の外国人ダービージョッキーに輝く脇で2着という結果に終わる。

続いて挑んだ神戸新聞杯で2つ目の重賞を勝ち取った後、更なるクラシック三冠である菊花賞に挑戦。
しかし、第3コーナー以降でネオユニヴァースを追走しようとするも進路が確保できず、ザッツザプレンティが父子2代菊花賞馬となる脇で先頭争いに外れる形で4着となった。

そして続いて挑んだのが2003年最後のレースにして、厩舎の先輩であるシンボリクリスエスの引退レースにもなった有馬記念。
柴田善臣を騎手に据え、シンボリクリスエスとタップダンスシチーに次ぐ3番人気で出走。
ハイペースの中善戦するも、最終コーナー以降で進撃したシンボリクリスエスに9馬身以上も離された末に3着。
当時のレースを観戦していた調教師の藤沢和雄氏は「シンボリクリスエスが『ロブロイ君、大丈夫かい?』と、心配そうに語りかけているようだった」と述べており、
同時に、同レースで引退となったシンボリクリスエスの後継者としてゼンノロブロイの今後に期待もしていた。

そんな一幕もありながら翌年のレース、天皇賞(春)や宝塚記念といった更なるG1戦線に挑んでいくことになるも、
イングランディーレ、タップダンスシチーといった強敵たちには届かず、それぞれ2着、4着という結果に終わる。ついでにネオユニヴァースも天皇賞(春)10着を最後に引退していた。
これらの惜敗に周囲からは「未完の大器」「善戦マン」などと呼ばれるようになっていき、クリスエスの後継者という期待にも暗雲が立ち込め始めていた。

が、その悔しさをバネにして挑んだのが、秋古馬三冠の1戦目となる天皇賞(秋)。
嘗てのライバルであるイングランディーレ、タップダンスシチー、そして当時圧倒的な注目集めていたキングカメハメハといった強敵たちが揃って不在となり、本命不在と称されたレース。
腐ることなくレースに挑んだロブロイは内側で脚を溜めつつ後半で追い上げを開始し、最終的に同厩舎のダンスインザムードを抑えて勝利を果たし秋古馬の一冠目を獲得。
惜敗続きだった中で1年1か月ぶりの勝利にして初のG1勝利でもあり、この先の挑戦に大きな弾みを付ける貴重な1勝でもあった。

2戦目となるジャパンカップ。天皇賞(秋)の勝利を経た末に1番人気、5枠9番での出走。
6~7番手をキープしながら追走し、後半直線でホッカイドウ競馬のコスモバルク、フランスからの遠征馬ポリシーメイカー、G1三勝馬ヒシミラクルなどの前衛たちを一気に抜き去り、
残り200メートル時点で独走状態、2着のコスモバルクに3馬身差をつけての勝利を果たし、二冠目獲得を達成。
この時点でスペシャルウィークテイエムオペラオーに次ぐ3頭目の天皇賞(秋)から続く秋古馬三冠連続勝者としての記録を樹立していた。

そして三冠目、1年前にシンボリクリスエスの遠い背中を眺めて終わった秋古馬三冠3戦目、2度目の挑戦となる有馬記念。
ジャパンカップで争ったコスモバルク、宝塚記念で敗北したタップダンスシチー、当代の菊花賞覇者であるデルタブルースといったライバルたちを抑えての1番人気で出走。
前を行くタップダンスシチーを追走し続け、最終直線でのギリギリの接戦を制し、半馬身差で勝利。
嘗てのシンボリクリスエスのレコードタイムを塗り替えると同時に、テイエムオペラオー以来、2頭目となる秋古馬三冠全勝を達成。
その偉業、その功績は嘗ての1年前の有馬記念の惨敗、惜敗続きだった春~夏期の不調を覆す、シンボリクリスエスの後継者として相応しい偉大な功績であった。
それによって年度代表馬、最優秀4歳以上牡馬を同時に受賞し、ゼンノロブロイは名だたる名馬たちと肩を並べる存在となった。


しかし、これが生涯戦績において最後の勝利にもなり、翌年以降も現役を続行するも、
宝塚記念では当時最強クラスの牝馬であったスイープトウショウに敗れ、海外レースのインターナショナルステークスでは2着入賞などを果たし、リベンジとなる2005年秋古馬三冠でも善戦はするも勝利には届かず。
馬主であった大迫忍氏は死去、馬主業は妻の大迫久美子氏が引き継いだが
3度目の挑戦となった有馬記念では、ディープインパクトの初敗北となった同レースにおいて、ハーツクライ含めた新世代のライバルたちに呑まれて8着敗北。
このレースを最後に競走馬を引退となった。

【引退後】

引退後は種牡馬入り。
種牡馬としては、2010年優駿牝馬を後の牝馬三冠馬アパパネとの中央競馬G1レース史上初の1着同着で勝ち取ったサンテミリオン。同年のG1ダートレースであるジャパンダートダービーを勝利したマグニフィカを中心に数多くの重賞馬を輩出。
更に主に娘の子世代から重賞馬が現れるなど、ブルードメアサイアーとしても成績を残すこととなった。

2016年からは北海道日高町のブリーダーズスタリオンステーションに移動。
回数は減少しながらも種牡馬生活を続け、2021年からは北海道新冠町の村上欽哉牧場でプライベート種牡馬となる。

以降も、村上欽哉牧場で余生を送っていたが、2022年8月に入ってから歩様の乱れなど加齢による衰えを見せるようになる。
そして同年9月2日の朝、老衰を原因とした心不全のためにこの世を去り、22年の馬生の幕を閉じた。

【評価】

思えば同期同父には二冠馬ネオユニヴァースの他、史上2番目の牝馬三冠馬スティルインラヴ、エアグルーヴの娘にしてエリザベス女王杯連覇馬アドマイヤグルーヴ、戦後初の天覧競馬となった2005年天皇賞(秋)制覇牝馬ヘヴンリーロマンス、死んだ姉の無念を晴らすように高松宮記念を制したオレハマッテルゼと目立つネタがある馬が多数存在。
秋古馬三冠という記録側から見ても、4年前にテイエムオペラオーが年間全勝グランドスラムのおまけで達成したばかり。
おまけに前半惜敗続きであった2004年には、当時NHKマイルカップや東京優駿などを中心に圧倒的な実力を知らしめていたキングカメハメハ、
そしてゼンノロブロイの秋古馬三冠達成の翌年である2005年、1度の敗北と1度の失格以外、クラシック三冠含めたほとんどのレースで連戦連勝を重ねた伝説の名馬ディープインパクトと、
この両者に丁度挟まれる形にもなってしまったゼンノロブロイは、知名度において同2頭に塗りつぶされ、種牡馬時代でも同2頭やG1馬を複数輩出し孫世代でも父系母系ともに活躍馬がいるネオユニヴァースと比較されがちな、不遇な立場にあるかもしれない。

特にディープインパクトが台頭してきたタイミングに合わせて惜敗し引退したことや、活躍と戦績に反したゼンノロブロイそのものの地味さ目立たなさ、そしてディープインパクトを神聖化と称賛をするため、
「ロブロイはディープがいなかったから勝てていただけ」「秋天は強豪馬がいなかったから勝てた」「まぐれ勝ちの戦績」といった具合にゼンノロブロイを過剰に貶める評価や口コミが徐々に増えていき、2022年秋にゼンノロブロイが亡くなった際も未だにその声が出るほどアンチ側の意見が根深い。

しかしそれでも、未だに後続が現れることない秋古馬三冠を達成した1頭として、ゼンノロブロイもまた間違いなく競馬史に名を残す名馬であることを忘れてはならない。

【創作作品での登場】

  • 『令和 優駿たちの蹄跡』
「ロブロイの来た道」の主役馬として登場。
村上欽哉牧場時代のとある“日課”と、牧場に迷い込んだ野良犬・イチに纏わる物語。

ウマ娘では図書委員も務める大人しい文学少女。しかし同好の士にはやたら饒舌になる。オタクかな?
一見地味な装いに隠れているが、実は全然地味じゃない素晴らしきロリ巨乳の持ち主。そんなとこで史実再現せんでも…
ちなみに得意なことは「正確無比な道案内」だが、これは後述の馬主ネタと思われる。

【余談】

大人しい性格だったが、一方で落ち着いてはいるがむしろ威厳を感じさせる馬だったらしい。
イギリス遠征を行った際のエピソードとして、到着して初めの頃は大人しい受け入れ先の厩舎の馬たちを先導して調教をこなしたり、最初こそ動物にビクビクしていたがやがて落ち着いて犬に吠え掛かられた時も動じなかったという話がある。

地図会社のゼンリンの社長で北九州市の名士として著名だった大迫忍氏は、スポーツの支援等に熱心で「ゼンノ」の冠名で馬主活動を行っており、その最晩年の所有馬にして最高傑作として知られる。
2005年後半には逝去したため、引退を見届けることなく馬主業は妻の久美子氏が引き継いだが、ゼンリンの地図資料館には支援したスポーツと並び本馬の写真も飾られている。

担当していた厩務員、川越靖幸氏は現在メイショウドトウが繋養されているノーザンレイクの代表を務めている。
インターナショナルステークスではゼンノロブロイの仕上げ具合を評価され本場英国のベストターンドアウト賞を受賞した馬の手入れのプロフェッショナルでノーザンレイクのTwitterでも偶にそのスピーディかつ丁寧な仕事ぶりを見ることが出来る。

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  • 藤沢和雄
最終更新:2025年03月20日 20:33

*1 天皇賞秋、有馬記念時のシンボリクリスエスの騎手も務めている。