1997年第64回東京優駿(日本ダービー)

登録日:2020/06/13 Sat 10:25:11
更新日:2024/04/20 Sat 16:58:35
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サニーブライアンだ!サニーブライアンだ!
これはもう、フロックでも、なんでもない!
二冠達成!
────三宅正治(フジテレビアナウンス室)


1997年6月1日に行われた第64回東京優駿(日本ダービー)。
それは、不遇の名手とフロック扱いされた皐月賞馬が、その実力の確かさを世に知らしめたレースである。

【馬柱】



1997年東京3回6日9R 第64回東京優駿(日本ダービー)
東京芝左2400m 四歳牡牝 定量(57kg)


馬名 騎手
1 1 シルクライトニング 安田富男
2 セイリューオー 蛯名正義
2 3 ゴッドスピード 石橋守
4 ショウナンナンバー 河内洋
3 5 シルクジャスティス 藤田伸二
6 エアガッツ 横山典弘
4 7 エリモダンディー 河北通
8 サイレンススズカ 上村洋行
5 9 ビッグサンデー 南井克巳
10 マイネルマックス 佐藤哲三
6 11 スリーファイト 小野次郎
12 ランニングゲイル 武豊
7 13 フジヤマビザン 村本善之
14 マチカネフクキタル 柴田善臣
15 メジロブライト 松永幹夫
8 16 テイエムトップダン 和田竜二
17 トキオエクセレント 吉田豊
18 サニーブライアン 大西直宏

【決戦前夜】



この年のサンデーサイレンス産駒は牡馬の数が少なかった上に曲者が揃っており、クラシック戦線は明確な有力馬不在とされていた。
そうした中で行われたクラシック初戦の皐月賞は、11番人気サニーブライアンがまさかの逃げ切りで制覇。
複勝圏内も2着にシルクライトニング(10番人気)、3着はフジヤマビザン(12番人気)と二桁人気馬が揃い、馬連は5万円強もついた。
また、レース中にこの年のサンデーサイレンス産駒筆頭との声もあった素質馬、オースミサンデー(母ロジータ・弥生賞2着)が故障を発生。
予後不良という最悪の形で姿を消し、ダービーを巡る予想はいよいよ混迷を深めることとなった。

こうした状況であれば、まずは皐月賞を勝った馬を軸に考えるのが筋である。
……しかし、大多数の競馬ファンはこう見ていた。

あれは中山の馬場が悪くて前残りしただけのフロックだ
直線の長い府中では、中山のようにはいかない

前述のとおり、この年のクラシック戦線は一段抜けた有力馬がいなかった。
オースミサンデーが予後不良でいなくなり、皐月賞馬もフロック扱い。
ならばと有力視されたヒダカブライアンは皐月賞どころか京都4歳特別でも馬込みに沈み、ダービーに出ることなく休養となった。

とはいえ、そうした中でもダービーを狙う新星は存在した。

弥生賞でゲートをくぐって出走停止になり、皐月賞に出られなかった強力な先行馬、サイレンススズカがプリンシパルSを制覇。
西では大器シルクジャスティスが京都4歳特別を制し、クラシック戦線に堂々名乗りを上げる。
メディアはこの2頭に加え、7年前のダービーでアイネスフウジンの2着に泣いたメジロライアンの初年度産駒、メジロブライトを本命視。
皐月賞馬サニーブライアンの話題が上がることは多くなかった。
そもそも、サニーブライアン陣営自体が皐月賞の勝利に浮かれきっており、これでは勝てるものも勝てないと失笑する者も多かったのである。
実際、皐月賞勝ったのに何故かダービートライアル使おうとした挙句、直前に未勝利馬に蹴り飛ばされて軽い故障を発生してトライアル回避というドタバタ劇を演じていた。

……しかし、サニーブライアンの鞍上を務める大西直宏騎手、同馬の調教師である中尾銑治師、そして馬主の宮崎守保氏の心には、揺るがぬ決意があった。

【報われぬ日々】



華々しく勝ち続ける人間がいれば、その逆も存在する。
この前年まで大西騎手はその腕前を一部では認められていたものの、ほとんど有力馬に乗るチャンスがなく*1、引退を考えるまでに追い詰められていた。
中尾師も宮崎氏もリーディング争いには絡めず、平場のレースで地道に勝ちを拾う日々が続く。

そんな彼らにも、決して忘れられない栄光の記憶があった。

遡ること10年前、陣営はサニースワローと大西騎手のコンビで日本ダービーに挑んだ。
レースでは単勝22番人気(24頭立て)という低評価を覆し、2着に食い込む大健闘。
勝ち馬メリーナイスにこそ大きく離されたものの、例年なら勝てていてもおかしくなかったほどの激走であった。
これ以来大西騎手が日本ダービーに乗る機会はなかったが、それでもダービー当日は必ず府中に足を運び、スタンドのファンに交じってレースを観戦。
いつかダービーを獲るという決意を新たにしていたのだという。

「騎手にとって、ダービーだけは特別だから」

サニーブライアンはサニースワローの全妹の仔であり、人間でいえば甥にあたる。
生産者の「村下ファーム」というのもスワローの生産者が法人化したもので、実質の同陣営といって差し支えない。

……しかし、大レースを前にしての騎手変更はよくあることである。
前哨戦の若葉Sでまずい騎乗をしてしまったこともあり、大西騎手と中尾師は皐月賞での乗り替わりを覚悟していた。
そして皐月賞の事前打ち合わせの日、宮崎氏から騎手についての要望が出されたのだが……

「大西君にはサニースワローの頃からお世話になっているし、ここで乗り替わりというのは考えられない」

宮崎氏にとって、若葉Sでの失態は何の問題でもなかった。それどころか、レースに向けての激励の言葉まで贈ってくれたのだ。
大西騎手は燃えに燃えた。
そして皐月賞では見事な逃げ切りを決め、自身にとっても初のサラ系重賞勝利をクラシック制覇という形で飾ったのである。

……実のところ、陣営は皐月賞を勝った時点からダービーに向けての布石を打っていた。
10年越しの大チャンスを掴み、浮かれたふりをしてライバル陣営を油断させる。上述のドタバタ劇は流石にフォローできない失態なんだけど、結果的には油断させる後押しになっている。
また、皐月賞の時よりも大々的に逃げ宣言をする*2ことでサイレンススズカ陣営を牽制。
「競りかけてもサニーブライアンは退いてくれない」と認識させ、ハナ争いのイニシアチブを握ることに成功する。
出遅れても強引に逃げる*3ために大西騎手が大外18番枠を希望すれば、ものの見事に枠番抽選で18番枠を引き当てるという本物の幸運(フロック)も重なった。
サニーブライアン自身も調教で実力馬をぶっちぎる調子の良さを見せつけ、無事に6月1日のレース本番を迎えた。

【レース当日】



この舞台で敗れ去った人気者の仔がダービーに挑むというストーリーが人気を集めたか、単勝人気はラジオたんぱ杯3歳S・共同通信杯4歳S勝ち馬のメジロブライトに集中。
弥生賞勝ち馬のランニングゲイルが2番人気となり、シルクジャスティスとサイレンススズカがこれに続いた。
皐月賞馬サニーブライアンは締切時7番人気。皐月賞馬としては異例の不人気*4だった。

かくて若駒たちは府中の緑の絨毯、快晴の空の下に姿を現す。
……しかし、ゲート入り前の輪乗りでシルクライトニングが故障。競走除外となり、レースは17頭立てで行われることとなる。
その間にマチカネフクキタルが4コーナー方向へ逸走するなど、15万の大観衆の前でイレ込む馬も出ていた。

ファンファーレに迎えられてのゲート入りはスムーズに進み、大外18番のサニーブライアンが最後にゲートイン。
大観衆が見守る中、世代の頂点を決めるレースのゲートが開いた。

父ライアンはレコードで駆け昇るアイネスフウジンの後ろで涙を呑みました。
あれから7年…その息子が今、父を越えようとしています!
さあ、第64回日本ダービー!

ゲート内でうるさかったトキオエクセレントが多少遅れたものの、残りはほぼ揃ったスタート。
馬場中ほどからサイレンススズカが飛び出すが……

さあ先行争い、行った行った行った行ったー!
皐月賞馬、サニーブライアンが内に食い込んで早くも先頭!

サニーブライアンが大外から吹っ飛ぶような勢いでインコースに突っ込み、そのまま先頭に立とうとする。
サニーブライアン陣営の発言を受け、共倒れを懸念したサイレンススズカの上村騎手は抑えて位置取りを下げた。
……実際の大西騎手が「スズカが競ってきたら控えろ」と指示されていたことなど知る由もなく。
サニーブライアン陣営の策謀、まさしくどんぴしゃり。サイレンススズカ陣営は情報戦の罠にまんまと嵌ってしまっていた。
他の馬も互いに牽制しつつ、第1コーナーへと向かっていく。

第1コーナーではフジヤマビザン、サイレンススズカがサニーブライアンについていく形で先行。
ランニングゲイルが早めに前に行く。
メジロブライトやシルクジャスティス、エリモダンディーといった追い込み勢は後方からの競馬となった。

第2コーナーあたりでサニーブライアンの折り合いが付き、レースの流れが落ち着く。
向こう流しに入り、サニーブライアンと2番手フジヤマビザンの差は2馬身ほど。
ここでサイレンススズカは掛かり気味になってしまう。
スタートのハナ争いの時点で口を割るそぶりを見せており、抑えたことが完全な裏目に出てしまった。

残り半分を切り、後方のメジロブライトが徐々に進出。
3コーナーの大欅を過ぎたあたりで中段に位置をとる。
第3コーナーから第4コーナーにかけてマチカネフクキタルが早めに仕掛け、ビッグサンデーやランニングゲイルも進出を開始。
徐々に追い込み勢のエンジンがかかり始める中、先頭のサニーブライアンが最後の直線に入った。

……この時点でもまだ、ほとんどの競馬ファンは現実が見えていなかった。
「どうせ後ろからブライトかジャスティスだろ?」「サニーブライアンはここで一杯だし、消して大正解だった」と思っていた。
実際、4コーナーにてフジテレビ中継の実況・三宅正治アナはサニーブライアンを完全に無視し、こう実況している。

さあ現在2番手はフジヤマビザン、その後ろからサイレンススズカ!
さらに……ビッグサンデーもいる!
さあ、4コーナーをカーブして、間もなく直線コース!

最後の直線に入ると同時に、後方の追い込み馬が先行馬に襲い掛かる。
一杯となった先行馬が、どんどん前進する馬群の中に飲み込まれ、遅れていく。
折り合いを欠いたサイレンススズカは苦しい展開。メジロブライトやシルクジャスティスといった人気どころが徐々にスピードを上げていく。

しかし、先頭を征くサニーブライアンには十分な余力があった。
一杯どころかむしろ加速し、追いすがる後続を突き離していったのである。
残り200mを切り、府中の坂を上がりきった地点でリードは5馬身ほど。
いち早く現実を理解し、サニーブライアンを猛追するメジロブライトとシルクジャスティス。内を突いてマチカネフクキタル。間からはランニングゲイル、エアガッツ、エリモダンディー。
メジロブライトを差し切り、シルクジャスティスが前に出る。馬群は差し切った! いざサニーブライアン!

……それでもなお、サニーブライアンの脚が止まることはなかった。
2着のシルクジャスティスに1馬身の差をつけ、サニーブライアンは栄光のゴールに飛び込んだのだった

これはもうフロックでもなんでもない!
サニーブライアン堂々と、二冠達成です!

サニーブライアン、堂々のクラシック二冠達成
ゴール板を駆け抜けた瞬間、大西騎手は鞭を振り上げガッツポーズを見せた。
サニースワローで涙を呑んで10年、陣営の夢が結実した瞬間だった。

フロックで皐月賞を勝ったと嘲笑された馬は、競馬の祭典・ダービーでも逃げ切ってしまったのである。
府中の2400mを逃げ切った馬はこの時点で11頭、目黒に競馬場があった頃のダービー(東京優駿大競走)で逃げ切ったワカタカを含めても12頭*5しかいない。
そしてこの時以降、ダービーを逃げ切って勝った馬は20年以上現れていない

勝ちタイムは2分25秒9、あがりの3ハロンは35秒1!
このあがりでは、後ろの馬は届かない!


大舞台で見せた華麗な逃げ切りに、多くのファンは己の不明を恥じた。
「この馬は本物だ」と。

大観衆による「大西!」コールの中、サニーブライアンは検量室へと引き上げていった。
レース後の勝利ジョッキーインタビューで、大西騎手はこう語っている。

「1番人気はいらないから、1着だけ欲しいと思っていました」

さらに完全に展開を支配しての逃げ切りだった事から、「(府中の直線が)中山より短かったかも知れない*6」とまでインタビューで語っている。

二冠を制したことにより、サニーブライアンは誰もが認める世代の頂点となった。
次の目標はもちろん菊花賞。クラシック三冠への挑戦である。
インタビュアーの「淀の3000(=菊花賞)でも今日のように逃げますか?」という問いに大西騎手は「逃げます!」と即答、偉業への挑戦に向け決意を新たにしたのだった。

【レース結果】



2着にはシルクジャスティスが入り、皐月賞同様にブライアンズタイム産駒がワンツーフィニッシュ。
3着は1番人気のメジロブライト。父親悲願のクラシック制覇はここでも叶わず。牝馬クラシックも含めたらこの一週間前にメジロドーベルで取ったけど
道中折り合いを欠いたことが響き、サイレンススズカは9着に沈んだ。

1着 サニーブライアン 大西 2:25.9
2着 シルクジャスティス 藤田 1
3着 メジロブライト 松永 1/2
4着 エリモダンディー
5着 ランニングゲイル
6着 エアガッツ
7着 マチカネフクキタル
8着 トキオエキセレント
9着 サイレンススズカ
10着 セイリューオー
11着 スリーファイト
12着 ショウナンナンバー
13着 テイエムトップダン
14着 ビッグサンデー
15着 マイネルマックス
16着 フジヤマビザン
17着 ゴッドスピード
除外 シルクライトニング

払戻金
単勝 18 1,360円 6番人気
複勝 18 390円 7番人気
5 210円 3番人気
15 130円 1番人気
枠連 3-8 2,050円 11番人気
馬連 5-18 4,860円 17番人気

【果たせなかった三冠】



牡馬クラシック最後のレースとなる菊花賞。
……しかし、そこに三冠を狙うサニーブライアンの姿はなかった。

ダービー直後に骨折を発症全治6ヶ月
クラシック三冠の夢は、挑戦することすら叶わずに潰えてしまったのである。

二冠馬不在の菊花賞はマチカネフクキタルが制覇。
サニーブライアンはこの後屈腱炎を発症し、レースに復帰することなく引退してしまった。

もしここで無事に秋を迎えられていれば、サニーブライアンはどのようなレースをしたのだろうか?
対極とも言えるスタイルの逃げで頂点を目指したサイレンススズカと、宝塚記念でどんな勝負を見せてくれたのだろうか?

【夢の終わりとその果てに】



最後に、この世代の「その後」についても少し触れておきたい。

2着のシルクジャスティスは菊花賞とジャパンカップで掲示板入りし、暮れの有馬記念を見事制覇。
この世代が逃げ馬に牛耳られた弱卒ではないということを満天下に示してみせた。
……しかし、同厩のダービー4着馬で調教パートナーも務めていたエリモダンディーが故障により離脱。
療養中に内臓を患い、ターフに戻ることなくこの世を去ってしまう。
良き弟分でもあったエリモダンディーの喪失はシルクジャスティスにも大きな影響を与えたらしく、
古馬になってからは実力を発揮できないまま引退することとなった。

3着のメジロブライトは古馬になって天皇賞(春)を制覇。
長距離のメジロ牧場を象徴する活躍を見せたが、1つ下の黄金世代にはどうしても敵わず、
25戦8勝2着8回という何とももどかしい成績を残して現役生活を終えた。

不完全燃焼に終わったサイレンススズカは天才武豊のもとで素質を開花させ、圧倒的なハイペースの大逃げで無双する。
宝塚記念を制し、競馬界の玉座を手中に収めたが、天皇賞(秋)でまさかの故障。予後不良となってしまった。
その凄まじいスピードは今なお語り継がれ、20年以上経った令和の時代でも最強の逃げ馬・中距離馬の候補として名前が挙がる。

菊花賞を勝利したマチカネフクキタルは裂蹄、球節炎など脚回りのトラブルに悩まされ、古馬になって以降は不振に陥る。
99年京都記念(GⅡ)では2着に入り良化の兆しを見せたが、「(ゴール前のストライドを見ていると)気に入らない、全然復活ではない」と評された。
結局菊花賞で見せた無類の末脚を取り戻すことは叶わず、2000年宝塚記念の後に屈腱炎を発症。無念の引退を余儀なくされた。

最下位に終わったゴッドスピードはこの後、障害競走に転向。99年には障害界の最高峰中山大障害を勝ち、GⅠ馬の仲間入りを果たすことになる。

この他、ランニングゲイルやビッグサンデーは新世紀に入った後も走り続け息の長い活躍を見せた。
短距離路線ではタイキシャトルが圧倒的な強さを見せ、欧州GⅠを勝つ快挙を達成。ブラックホークもGⅠを2勝し、勝てずとも馬券に絡む高い安定感で人気を博した。
他にも、日本調教馬として初めて海外GⅠを勝利したシーキングザパール、スプリンターズステークスを最低人気で制したダイタクヤマト、根岸ステークス(GⅢ)で伝説の鬼脚を披露したブロードアピール、地方所属のまま中央GⅠを制したメイセイオペラなど実に多士済々である。
1つ下の世代があまりに華やかなため軽く見られがちだが、この世代もまた多くの有力馬を擁し、
競馬界を盛り上げた実力派といえるだろう。




……そして、彼らのほとんどがターフを去った2001年。
ダービーに出られず、GⅠ勝利の栄光を掴むこともなく、黙々と走り続けてきた1頭の馬がいた。
この世代の旅路の果てに、彼が歴史的な偉業を成し遂げることとなる。


追記・修正は最後まで逃げて逃げて逃げ切って夢をつかんだ方がお願いします。

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最終更新:2024年04月20日 16:58

*1 ただしこれは、大西騎手が口下手で寡黙な性格であるが故に自分を売り込むのが下手だったという側面も大きい。

*2 皐月賞の時もしていたのだが、なにせ人気薄だったので誰も気に留めなかった。

*3 持久力はあるが瞬発力に欠けるサニーブライアンはスタートが苦手で、若葉Sの失態も逃げ損ねて包まれたのが主な原因だった。

*4 皐月賞2着のシルクライトニングが6番人気と1つ上に位置していた程。しかもシルクライトニングは皐月賞では「1着だったサニーブライアンより人気が低かったのにダービーで人気が逆転している」有様。

*5 ワカタカ(1932年 第1回)、フレーモア(1934年 第3回:この年に東京競馬場に移転)、オートキツ(1955年 第22回)、ダイゴホマレ(1958年 第25回)、メイズイ(1963年 第30回)、キーストン(1965年 第32回)、タニノハローモア(1968年 第35回)、カブラヤオー(1975年 第42回)、カツトップエース(1981年 第48回)、アイネスフウジン(1990年 第57回)、ミホノブルボン(1992年 第59回)、そしてサニーブライアンの12頭のみ。

*6 皐月賞の逃げ切りが引っ掛かって行ってしまった馬に絡まれながらの物だったため道中消耗してのギリギリの逃げ切りだった事もあり、「今まで競馬で乗った中で一番直線が長かった」と言っていた程だった事もあるが。