ステイゴールド

登録日:2011/11/21(月) 23:45:00
更新日:2025/04/18 Fri 20:36:03
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97年クラシック世代 G1馬 SS系 ウマ娘ネタ元項目? ゴドルフィンキラー ゴールドの前でステイ(元) サラブレッド サンデーサイレンス産駒 シルバーブロンズコレクター ステイゴールド デットーリの天敵 ローゼンカバリー涙目 世界にしか勝てない奴 二足歩行する馬 元シルコレ 問題児 問題児製造機 塞翁が馬 大団円 家訓『ゴドルフィンは意地でも倒せ』 小柄 平成の競走馬を見守ってきた馬 息子のおかげでリア充 愛さずにいられない 所要時間30分以上の項目 所要時間60分以上の項目 故馬 斜行 暴れ馬 有終の美 武豊 気性難 海外で無双 無事之名馬 無限に株が上がり続ける馬 熊沢重文 種牡馬 競走馬 競馬 終わり良ければ全て良し 迷馬にして名馬 阿寒湖特別 阿寒湖総大将 頑丈 香港ヴァーズ 馬のナリした肉食獣 馬体が小さい 黄金旅程




愛さずにいられない。




ステイゴールド(Stay Gold)とは、日本の元競走馬、種牡馬。
競走馬として50戦を走り抜き、引退後は種牡馬としても実績を残した。
関係者からの愛称は「ステイ」だが、ネット上では「ステゴ」と略されることが多い。
他に競馬の話題で「阿寒湖」のワードが出ればそれは間違いなくステイゴールドを指す。


【データ】


生誕:1994年03月24日
死没:2015年02月05日(21歳没)
父:サンデーサイレンス
母:ゴールデンサッシュ
母父:ディクタス
生国:日本
生産者:白老ファーム
馬主:(株)社台レースホース
調教師:池江泰郎(栗東)
主戦騎手:熊沢重文
生涯戦績:50戦7勝[7-12-8-23]
獲得賞金:(中央)7億6299万3000円
     (UAE)120万USドル
     (香港)800万香港ドル
主な勝鞍:97'阿寒湖特別(900万円以下)・00'目黒記念(GⅡ)、01'日経新春杯(GⅡ)・ドバイシーマクラシック(GⅡ)*1・香港ヴァーズ(GⅠ)
受賞歴:JRA賞特別賞(2001年)

【デビューまで】


父は説明不要の大種牡馬サンデーサイレンス。母は未勝利だが全兄にサッカーボーイを持つ良血である。
430kg程度の母馬似の小柄な馬体ではあったものの、幼少時からきびきびとしたよい動きを見せ、多少の斥量もものともしない力強さと旺盛な闘争心も備えており、スタッフからも大いに期待されていた。

競走馬として社台サラブレッドクラブに卸され、95万円×40口(総額3800万円)で出資募集。
名前は公募で決まったもので、映画『アウトサイダー』の主題歌であるスティーヴィー・ワンダーの同名の楽曲に由来する。小柄な牡馬(ポニーボーイ)に「Stay Gold(輝き続けろ)」と声をかけ続ける、実に粋な名前であった。

1996年9月、かつては「あの」メジロマックイーンを、後には「あの」ディープインパクトを管理した栗東トレセンの池江泰郎厩舎へ入厩。坂路コースの基準タイムを初日・馬なりであっさりクリアするなど期待以上の身体能力を示す。



【デビュー後】


1996年12月1日にデビュー。
一気にスターダムにのし上がる……なんてことはなく未勝利戦を勝つのに約5ヶ月・6戦もかかった。
1勝した時にはもう5月。ダービーに出られるわけがなかった。
そこから2戦を挟んで古馬相手のあかん子特別阿寒湖特別(当時芝2000m・900万円下ここ重要)を左右を蛇行しながら上がり3Fを34.5秒で走って勝利。
そこから菊花賞のトライアルである京都新聞杯に出走するも4着で優先出走権を得られなかったが、菊花賞に回避馬が出たことで滑り込み出走。ここではマチカネフクキタルの8着に終わり、栄冠を掴むには至らなかった。

この結果では休養がもらえるはずもなく、年末のゴールデンホイップトロフィーに出走。
圧倒的1番人気に推されるも、伏兵ファーストソニアに屈し2着
……ある意味、その後の競走馬生活を暗示する内容だったともいえるだろう。


【苦闘の日々】


古馬となったステイゴールドであったが、ここから文字通りの苦闘が幕を開ける。

1998年
  • 天皇賞(春)2着
  • 宝塚記念2着
  • 天皇賞(秋)2着
  • 有馬記念3着
1999年
  • 天皇賞(春)5着
  • 宝塚記念3着
  • 天皇賞(秋)2着

2年間でGⅠレースの2着が4回、3着が2回!
負けるの方が圧倒的に多いのが普通で、同期のサイレンススズカや一つ下の98世代を始めとしたライバルが多かったとはいえ、ここまでGⅠレースで惜しい負けを繰り返す馬はさすがに稀。
まあGⅡやGⅢなら敵なしなんでしょ?と思いたくなるが、そちらでも勝ちきらず掲示板内を彷徨っていたのだから徹底している。
まさしく究極の善戦マンにして至高のシルバーコレクター。ゴールドであり続けるのではなく、ゴールドの前で留まり(ステイし)続けていたのだ
主な勝ち鞍が当時条件900万円以下の阿寒湖特別、それなのに数億円もの賞金を稼ぐというちぐはぐぶりが、ネタ馬としての扱いを不動のものとしてしまった。
ちなみに、重賞未勝利のまま積み上げた賞金額、実に5億5466万1千円也。
この時点で並のGⅠ勝利馬やノーザンテースト産駒最高の稼ぎ頭のマチカネタンホイザ、後の世で中央重賞未勝利馬最多賞金記録を樹立する事になるサウンズオブアースの生涯獲得賞金を超えている。


……もっとも、すべてのファンがステイゴールドをネタ馬扱いしていたわけではない。
間違いなく力はあるのに勝ちきれない。どんなレースでもあと一歩が足りない。
牝馬みたいに華奢で可愛い。複勝馬券が美味しい。
それでもひたむきに走り続けるステイゴールドの姿に、本気の声援を送るファンもいつしか増えてきていた少しずつ、だがそして、着実に


【雨中の栄光】


時は20世紀末、同期はおろか98世代の主力の多くが競馬場を去っていく中でステイゴールドは引き続き現役続行。しかし相変わらず善戦するも勝利を挙げられず、ついに陣営は騎手の乗り替わりを決定。未勝利戦以降手綱を取ってきた熊沢重文騎手を下ろし、天才・武豊を鞍上にGⅡ目黒記念へと出走する。

「下がだいぶぬかるんどるしなあ」
当日の府中は生憎の雨模様。水浸しの重い芝を踏みしめながら、輪乗りで手綱を牽く山元厩務員の口から弱音が漏れた。
これを聞きつけた武騎手は一言、「勝ちますよ」と返す。

ここでは世紀末覇王その2番手もいない中で後方待機策がぴたりとはまり、2着のマチカネキンノホシに1馬身1/4の差をつけてゴールイン。
実に2年8ヶ月ぶりの勝利を手にするとともに、記念すべき重賞初制覇を遂げた。

雨降りしきる土曜日でありながら、スタンドからはGⅠに匹敵するほどの声援が送られたという。
モニター中継が行われていた中京競馬場でも拍手が巻き起こり、調教師や厩務員は人目をはばからずを流した。

この人気にJRAも押されたのか、GⅠ未勝利馬としては異例のヒーロー列伝のポスターが作られた。
GⅠ未勝利馬のヒーロー列伝自体はヤマノシラギクという前例があったが、あちらは中央10競馬場全てに出走という記録を記念したもの。
ステイゴールドのような、当時何か記録を成した訳でもないいっぱしのGⅡ馬に作られたのは極めて異例である。

そのキャッチコピーが、項目冒頭の「愛さずにいられない。」……今となってはその後の競争生活、そして種牡馬生活を暗示しているようである。

ここに至るまでの連敗数、実に28。苦難を乗り越えての重賞制覇。一般的な中央の競走馬ならこれだけでも普通に引退してる出走数である。
感動的な話であるということに異論を挟む人間はおそらくいないだろう。
おまけにこの勝利によって父サンデーサイレンスは産駒による重賞通算100勝という大記録を達成、まさしく日本競馬史に名を刻む勝利となった。

……この勝利が伝説の始まりに過ぎなかったなどと、当時誰が思っただろうか。


【黄金の旅程】


しかし、時はテイエムオペラオーの絶対王政の時代。そこにステイゴールドが入る余地がなかったどころか、これ以降2・3着に入ることもなかった。

世紀末覇王のグランドスラムの後、年も明けて馬齢表記方法も変わり、2度目の7歳を迎える。
一般的な競走馬はもう衰えて当然の年頃で、98世代の生き残りキングヘイローも去年いっぱいで引退した。
だが、ステイゴールドは順位こそパッとしないが1着との差は1秒未満に収めており、衰えは感じさせなかったので変わらず現役続行となった。

【運命の分岐点】

さて現役続行が決まったからには次は出走するレースを決めなければならない。
前年に倣うなら中山のアメリカジョッキーズクラブカップ(AJCC)である。しかし、頭を悩ませた陣営はもう一つのレースにも登録した。AJCCより1週間前に京都で行われる日経新春杯である。

出走するレースを決める際、レース日程に合わせて馬の心身を仕上げる以外にも、考慮すべき要素は多い。
輸送距離の問題。栗東トレセンから中山競馬場までの長距離輸送&出張馬房で一泊するより、ホームともいえる京都競馬場で日帰りした方が良いのではないか?
競走相手の問題。有馬記念からちょうど4週間となるAJCCではそろそろ年末の疲れも取れた強豪が出てくる時期である。後の予定(・・・・)の為にも重賞勝利を一つでも増やしておきたい。

とすると今度は鞍上の問題が浮上する。陣営が手が合うと見ていたのは武騎手と後藤騎手だが、前者は春シーズンはフランスを拠点に活動、後者もオーストラリアに遠征の予定が入っている。
テン乗りを依頼された藤田伸二騎手も「『もし京都で使うことになったら乗って貰えないだろうか』とかいう、はっきりしない騎乗依頼だった」と振り返る。
それで、期待しないで待っていたら木曜日になって正式な依頼があったので、おっとり刀で調教に向かったのだと。

レース当日、元々ハンデ戦故に大荒れになりやすいこのレース、獲得賞金額では他馬にダブルスコアを付けていたが、そのために課されたトップハンデ58.5kg、有馬記念から中2週で+6kgの馬体重が調整不足を懸念させたか、ステイゴールドは7.6倍の5番人気に甘んじる。
ちなみに単勝1番人気は薔薇一族のロサードと、京都競馬場2400mのレコードを持つ*2サンエムエックスの3.9倍だった。

ともかくスタートすると1枠1番の利を逃さず、早々に好位3番手を確保。スローペースに折り合い、逃げ粘るサンエムエックスを直線半ばで捉えて悠々と突き放し、1馬身1/4差を付けて勝利。
あまりにスマートで、らしくもなく『強い競馬』であった。
同日、同競馬場の7R、栗毛の牝馬が生涯最後の勝利を上げた。
その牝馬の名はオリエンタルアート。後にステイゴールドの“正妻”と呼ばれる馬である。

この勝利を受け、陣営は前々から計画していたドバイ遠征を決行する。

なお翌週のAJCCを制したのはこの年の有馬記念で最低人気を背負って2着となるアメリカンボス。こっちを選んでいたら、結構厳しかったかもしれない。


【世界のステイゴールド】

もっとも、その実情は同厩の牝馬トゥザヴィクトリー*3が世界的なダート競走の一つ・ドバイワールドカップに出走するため、その帯同馬として白羽の矢が立ったもので、言ってしまえば「ついで」程度の扱いであった。
とはいえ、海外遠征の機会などそうそう訪れるものではなく、またとないチャンスであることは疑いない。
陣営は武豊を鞍上に据え、国際GII競走*4ドバイシーマクラシックへの参戦を決定。欧州が誇るトップジョッキーランフランコ・デットーリ*5の駆る世界最強馬・ファンタスティックライト*6に挑戦状を叩きつけた。
このレースの格は当時GⅡだったが、莫大な賞金を目当てにファンタスティックライトをはじめ前年に香港ヴァーズを制したダリアプール、ミラノ大賞を制したエンドレスホール、カナディアン国際ステークスを制したムタファーウェク、翌月にクイーンエリザベス二世杯を制すことになるシルヴァノなど錚々たるメンバーが揃っており、ぶっちゃけ下手なGⅠなど比較にもならない魔窟ぶりを呈していた。
国際GⅠ認定はそのレースのレベルや実績等で昇格や降格が決まる事も多いので、翌年以降国際GⅠに昇格したのもこのメンバーの強さが無関係とは言えない。


……そんな中でステイゴールドはすでに7歳。こんな錚々たる面子ではいかにも分が悪い。
実際、応募したのは同時なのに、ステイゴールド宛ての招待状が届いたのはトゥザヴィクトリー宛てのそれよりかなり後だった。既に若くもないGⅠ未勝利馬であり、日経新春杯で勝っていなかったら恐らく落選していたことだろう。

それでもステイゴールドなら善戦し、2着には入るかもしれない。
ある者は心からの声援を送り、ある者は斜め上の期待を胸に秘め、レース当日……

そこにはガリガリに痩せこけたステイゴールドの姿が!

成田国際空港から香港を経由して輸送する30時間で体重が30kg近く落ちてしまい、現地に着いてからも食欲が戻らない状態だった。
通常、気性の荒い馬ほど我慢が効かず、何とかしろとばかりに激しく体調不良をアピールする事が多いが、ステイゴールドは弱みを見せまいとばかりに食べるふりをしていたため現地スタッフに指摘されるまで発覚が遅れたのだ。
早朝の涼しい時間を使わせてもらって調整し、「ベストな状態」とコメントを発したがどう見ても絶不調である。
馬体重は記録されていない*10が、推定400kgあるかどうかとなった小さな馬体*11には骨が浮き、観客席からは「小さい……」「あれポニーじゃないの?」と声が上がり、陣営からも「無理しなくていいから!順位よりも無事にゴールすること優先で!」と悲鳴が上がった。


各馬はスタート直後に密集、3列の細長い馬群となり、ハナを切ったエンドレスホールの作るスローペースのまま淀みなく流れて行く。
当時の*12開催競馬場であるナド・アルシバ競馬場は、3つの長い直線に最初と最後のコーナーが鋭角の、ほぼ鈍角三角形のコースとなっており、小回りを苦手とする欧州勢の作戦は最終直線での末脚勝負で一致していた。

ファンタスティックライトは最内の5番手好位を確保。それを見て肚を括った武騎手はステイゴールドを中団7・8番手──否、ファンタスティックライトの2馬身後ろに押し込んだ。
馬群の外を走る馬たちがスローペースに焦れ、呼吸を乱し消耗していく。

迎えた最終直線、コーナーを曲がり切った馬群が崩れ出し、その隙間を縫うようにゴドルフィンブルーを背負った鹿毛が抜け出した。シルヴァノも追うがリードは広がっていく。誰もがひとりと一頭の勝利を確信し、会場は歓声に包まれた。
一瞬の後、2馬身後ろから、痩せこけた黒馬が凄まじい勢いで飛び出してくるまでは
ゴムのように弾む馬体がシルヴァノを、エンドレスホールを抜き去り、ファンタスティックライトの1馬身(カゲ)に踏み込んだ時、僅かに振り返ったデットーリ騎手の鞭が閃いた。それでも差は縮んでいく。
コンマ数秒後、応援と怒号が飛び交う中、鹿毛と黒鹿毛の馬体が完全に重なったところがゴールだった。

待つこと5分、写真判定によりステイゴールドのハナ差での勝利が確定した

当時の世界最強馬を下す大金星。そして日本調教のサンデーサイレンス産駒として初の海外重賞制覇*13である。
ついでに馬自身の誕生日でもあった。
想定外の快挙にファンは仰天し、GⅠ制覇を期待する声もにわかに増え始めた。

……しかし、そうそう都合よくいかないのも競馬である。
国内に戻ってからは最高4着と馬券内に入ることもできず、年内限りでの引退が決定。
有馬記念の人気投票では6位に支持されていたもののこちらには出場せず、国際GⅠ香港ヴァーズを引退レースとし、再び海外遠征を決行した。

当日は1番人気に支持され、前回のファンタスティックライトほどの絶望的な対抗馬はいなかった。
代わりにゴドルフィンからは雪辱に燃えるランフランコ・デットーリの駆るエクラールが参戦。
他にもイギリスのGⅠ2勝馬ホワイトハート、ドバイでも相まみえた前回覇者ダリアプール等油断のならない敵は多数犇めいていた。
レース本番、ステイゴールドは中団のいい位置からレースを進めるも、向こう正面からデットーリが精密機械のようなラップから奇襲*14を仕掛け、セーフティーリードといって差し支えないほど大きなリードを確保したまま、最終コーナーを回る。
エクラールはさらに馬群との距離を離して独走していく。

……ああ、やっぱり無理なのか。GⅠ制覇のは、夢のままで終わるのか……。

見守るファンの、スタッフの心を絶望が支配した。鞍上の武豊騎手ですら、半ば諦めていたという。
残り200m。馬群を外から迂回して前に出たステイゴールドはいくらか差を詰めるも、もたれる様に右に斜行する。
エクラールとの差は5馬身、残り150m。黒い馬体が内ラチに近づいていき……


突如、地面が爆ぜた。*15


壁に弾かれたピンボールのように、手前を変えたステイゴールドが爆発的な勢いで加速する。
このとき内ラチにぶつかったように見えるが、パトロールビデオではギリギリ触れていなかった模様。




──14年後、武豊騎手は当時を振り返って以下のように述懐する。


「前を走るエクラールが止まって見えるほど、ステイゴールドの脚が強烈で。
この後に登場してきた無敗の三冠馬、ディープインパクトの走りを“飛ぶ”と表現しましたが、
あのときのステイゴールドは“背中に羽が生えている”ようでした」





「ステイゴールド!差し切れ!

ステイゴールド!ステイゴールド!エクラール!

ステイゴールド!ステイゴールド!!ステイゴールド!!!

ステイゴールドォ!!!!差し切ったぁ!!!!」

──加藤裕介(ラジオ日本アナウンサー)


ドバイの地で破ったゴドルフィンブルーの勝負服を再び捉え、アタマ差差し切ってのゴールイン。
なお、2着エクラールと3着以下は6馬身3/4もの差が開いていた*16

通算50戦目の引退レース。GⅠに挑むこと20回。ステイゴールドにとって、最初で最後のGⅠ勝利となった。
日本産・日本調教馬としても初めての海外GⅠ制覇*17という大快挙。
もうネタ馬どころか21世紀最初の名馬である
この劇的な勝利に日本の競馬ファンは大歓喜。2ちゃんねる競馬板が鯖落ちする事態になった。
この時、武豊からステイゴールドの引退を聞いたデットーリは「君にとっては寂しくなるが、僕にとっては朗報だね」と返した*18

余談だが、この香港ヴァーズのレースはニコニコ動画における最古の「競馬」タグの動画として知られている。

この時出走競走馬を漢字表記するためにステイゴールド黄金旅程としたのは有名な話。
多くの強大なライバルに囲まれ、長きにわたって走り続けたステイゴールドに相応しい名訳*19である。

通算成績50戦7勝。重賞36戦・GⅠ20戦、古馬王道3年皆勤*20という誰にも真似できない黄金の旅路*21
同期のマチカネフクキタルの絶頂期から始まり、サイレンススズカの悲劇、98世代の激戦、テイエムオペラオーの絶対王政から、メイショウドトウの執念とアグネスデジタルの襲来、そしてジャングルポケットによる世代交代まで見届けた生き字引である。
当初予定されていなかったが香港GⅠ制覇で多くのファンから引退式の要望が集まり、JRAもそれに応え翌年1月に京都競馬場で引退式が行われた*22
その会場では、上述した名前の元ネタであるスティービー・ワンダーの楽曲が流されている。おや、エルコンドルパサー*23が何か言いたげだぞ?

世界を舞台に勝ち取った勲章を携え、ブリーダーズスタリオンステーションにて種牡馬入りを果たす。
ステイゴールドの血を継ぐ馬たちもまた、勝利に向かってひたむきに走り続けてくれることだろう。






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『肉やったら食うんじゃないかと思った』
──── 池江泰寿(現調教師)


勝てずともひたむきに走り続けて、最後の最後で栄冠を掴む。
非常に感動的である。このうえなくドラマティックである。
しかし、事実は小説より奇なり。
引退から時間が経ち、関係者の証言が出揃った結果、事実は180度逆だったことが明らかになっている。
ひたむきに走り続けた? んなこたぁなかった

  • 馬房の前を通ると肉食獣のごとき勢いで突進してくる
  • 調教中に立ち上がるのは日常茶飯事。ほぼ垂直に立ち上がってふらつきもせず、あまつさえ10歩ほど二足歩行して見せる
  • 騎乗しようとしたら回し蹴りが飛ぶ
  • 全身が非常に柔軟で小回りが利き、器用。後半身側に立っていても噛み付いて来るし、狭い馬房の中でも狙いすました蹴りを放ってくる。
  • ある時など、馬着を着せて留め金もバッチリ掛けたのに翌朝には脱げていた。脱出芸の稽古でもしていたのか。
  • パーソナルスペースがやたらに広い。調教の際、大抵の馬は前後に1mも離しておけば安全なのだが、ステイゴールドは5mは空けないと尻っ跳ねか飛び掛かって来るので非常に危険。
  • 隙あらば左に斜行し、自らレースをやめようとする

……等々、本当に馬なのか疑わしくなるような逸話が山ほどある。

ただ、これらの奇行の多くは卓越した身体能力の証左であり、パワフルな暴れ馬と言う評価がぴったりだと言えるだろう。

【意外性の血/狂気の血統】


「初めてステイゴールドに会ったのは、生後10日くらいでしたか……。形が整っていて、目つきがキリッとしていて、輝くものがあった、というのが第一印象です。」
──── 池江泰郎(調教師)
サラブレッドが生産牧場に居られる時間は短い。故郷・白老ファームの場長以下牧場スタッフの語る、後にステイゴールドと名付けられる仔馬は

簡潔に言って、とても印象が薄い馬

だった。
これは怪我も病気もなく、脱走や喧嘩といった問題行動が全くなかったことを意味する。
なにせ半年で他所に移される47頭の中の一頭に過ぎないのだから、手間がかからない仔馬はどうしても印象が薄くなるのである。

立ち会ったスタッフも記録簿を読み返さねば思い出せないほどの安産で、危なげなく立ち上がるまでおよそ40分。
馬体重は52kgと大きくも小さくもないが便宜上「サッシュチビ」と呼ばれることになる。

生後暫くは親子一組で生活し、9日目に母の次の種付け*24に立ち合い、その後は生活空間を徐々に広くして他の馬との共同生活に慣れさせる。
2ヶ月ほど経つと母の傍を離れて仔馬同士で戯れ、好奇心いっぱいに動き回るようになった。
人間に怯える様子もなく、蹄の内側にたまったゴミを掻き出す「裏ホリ」で、脚を掴まれたときに嫌がる馬はとことん嫌がるのに、まったく動じない。
またこの頃になると骨格や筋肉の付き方が、競走馬としての将来を期待させるものになって来る。???「ヒューッ 見ろよやつの筋肉を……まるでハガネみてえだ こいつはやるかもしれねえ……」

サッシュチビは母親から過保護にならない程度に、しかし深い愛情を受けてすくすくと成長し……250kgを超えた辺りで急に成長が鈍くなり、呼び名通りのチビになってしまう。まあ、サッシュ一族は代々こんな感じの成長曲線を描くので特に異常とは思われなかった。

9月、離乳したサッシュチビはノーザンファーム空港牧場に移される。
ここでの当歳馬は母親の名前で呼ばれるのが慣例なので、チビなのに「チビ」が取れて「サッシュ」と呼ばれるようになった。
ここから調教が始まるまでの約10か月間、一回り大柄な同期たちに相撲を挑んでは負かし、気付いたらボス馬になるような勝気な様子を見せる一方で人間に対しては大人しく、しかし物怖じしない涼し気で上品な姿を見せていた。

「ツアーで見た1歳馬は前年に比べてかなりレベルが低く、欲しいと思ったのは父がサンデーサイレンスに替わったホイッスルの半弟だけで、少しダンスインザダークに似た所があり、涼しげな美しい眼が印象的だった」
──── 山野浩一(出資者、社台サラブレッドクラブツアーを振り返って)

鞍を付け、人を乗せて歩かせる。ここまではまったく以て順調。しかし、闘争心を煽って走らせる調教が始まると一転して血筋から来る気性の悪さが目覚めてしまう。

母母父除いて揃いも揃って凶暴で、多少の気性難は想定内、むしろ勝負根性に繋がるからと歓迎すらされていた。

だが、サンデーサイレンスの烈しさとゴールデンサッシュの群れのルール絶対主義の合体によって生じたモノは人間の想定を越えていく。

デビュー戦では名手オリヴィエ・ペリエ騎手を鞍上に挑み、抜け出しにやや手間取りつつも上り3F最速で僅差の3着。
「良い脚を持ってる」「次のレースで勝ち上がるだろう」と期待させるレースであったが、ペリエ騎手は戻るなりHe is crazy!(ヤツはイカレてる!)と叫んだ。
2戦目ではレース中に右前脚に骨膜炎*31を発症、競走を中止しようと手綱を絞るヤネに反発し、シンガリ敗けではあるが走り切ってしまった。
あまりの制御不能ぶりに、ペリエ騎手は「二度と乗りたくない」と言い残し去ってしまった。

次の騎手として白羽の矢が立ったのが、ちょうど内藤繁春厩舎を離れてフリーになっていた熊沢重文騎手。癖馬を乗りこなす腕と、調教にも積極的な姿勢を見込んでの人選であった。
骨膜炎の療養を挟み3戦目はダート1800m、第4コーナーに差し掛かったところ、熊沢騎手は一瞬インコースを突くか逡巡したが手応えの良さから外を選択……しかしステイゴールドはコーナーを回るどころか逸走、外ラチにぶつかる直前で鞍上を振り落とし、カラ馬でコースに復帰しゴール。生涯ただ一度のダート戦は競走中止という結末を迎えた。
「広い芝コースでコースアウトする馬はたまにいるわけですけど、ダートでそれをやった馬は殆ど記憶にないですよね。僕とステイゴールドの、文字通り衝撃のデビュー戦でした(笑)」

菊花賞明けの12戦目、ゴールデンホイップT*32の鞍上は武豊。
乗る前は「ラッキーだと思った。勝つならこの馬だろうとアタリを付けていましたから」と楽しみにしていたが、
騎乗する段になると「なんだか気性の悪い馬だな」と不安になり、実際に走らせると2コーナーで外から併せて来た馬に噛みかかる始末。
「若い馬ならたまにいることはいるんですが、菊花賞に出た程の馬がそんなことをするとは思いませんよ。なんか、常に怒って走っているような、そういう意味では競走に対する集中力が全然できていない馬でした」

無論、陣営も指を咥えてただ見ていたわけではない。気性を改善すべく懸命な努力が行われた。
幸い(?)にも、ステイゴールドはとても頭が良く、人間側の意図を正しく読み取るし、意思表示もハッキリしていたため
ある程度の対話が可能であり、記憶力も抜群に良いので『ちゃんと教え(しか)れば』覚えは非常に早かった。

3戦目の後、平地調教再審査を申し付けられた際にはハミをスライドビット*33に変更したことで、審査には一発合格。まだ左右にふらつくものの、騎手の指示通りに走るようにはなった。

立ち上がり癖も、長鐙と拍車で立ち上がろうとする度*34に「罰」を与える調教で封じ込めることが出来た。
マルタンガール*35のゴムストッパーが3回も切れたけど

こうして旧4歳後半頃には『猛獣』ではなくなったという。

なお98年のジャパンカップではスペシャルウィーク尻尾に噛みかかり、99年の天皇賞(秋)では噛みつきこそしなかったが勝利したスペシャルウィークをガン見していたりしている。


特に深刻だったのが左への斜行癖
元々「左ラチが好き、右ラチが嫌い」で、左ラチ沿いの調教では(比較的)素直なのに右ラチに構えると動かなくなるという癖があったのだが
いつの間にか「ラチにもたれ掛かってハミを浚ってしまえば、鞍上は手綱も鞭も使えない。楽」ということを覚えてしまい
これが右回りでは外に向けて余計な距離を走り、左回りでは内ラチにささって急減速するという悪癖として定着してしまった。

この悪癖が顕著に出たのは98年の天皇賞(秋)でのこと。
故障したサイレンススズカを上手くかわして最後の直線に入り、抜け出し態勢を図ったがなぜか急に脚が止まりオフサイドトラップの2着となった。この結果に鞍上の蛯名正義騎手(熊沢騎手の代打)は「内ラチにささって競馬にならなかった」とこぼしている。

貫禄を見せつけ勝った01年日経新春杯は、テン乗りの藤田伸二騎手が予め癖について研究し、鐙を左側だけ7cm程短くし右鞭は厳禁とするなど対策を講じていたことに加え、「右回り一枠一番で、左に行こうとしても他の馬に蓋をされて前に行くしかなかった」お陰とのこと。

まあ要するに、惜敗続きだったのは単に馬がサボっていたからというしょうもないオチだったのだ。

しまいには、先述のようにガリッガリに痩せ細り陣営が「もう完走してくれたらそれでいいから!」と悲鳴を上げていたドバイSCや引退レースとなった香港ヴァースでの勝利についても、「海外だと勝てたのは輸送による疲弊で反抗する気力が湧かなかったからじゃないか」なんて疑惑まで浮上する始末である。

最終年は特に酷く、京都大賞典ではインコースを先行しテイエムオペラオーにピタリと馬体を合わせ、第4コーナーを回りながら3頭(スエヒロコマンダー、ナリタトップロードテイエムオペラオー)まとめて抜き去るという理想的なレース展開をしていたのだが
左後方から追い上げてくるテイエムオペラオーを確認するや、猛然とタックルを敢行
状況に気付いた後藤騎手のを完全に無視し、テイエムオペラオーと並んでいたナリタトップロードの真ん前を塞いだ結果、ステイゴールドの後ろ脚とナリタトップロードの前脚が交差し、渡辺薫彦騎手を落馬させてしまう。
脱兎のごとく右斜行しながら1位入線を果たしたものの、流石に悪質だと失格処分を食らい、度重なる斜行に激怒したテイエムオペラオーの馬主に怒鳴り込まれるという醜態を晒している。

真面目に走っていれば普通に1着獲れていただろ、お前

続く天皇賞(秋)で再び武豊騎手に乗り換えたものの、手ごたえ抜群で最終直線に入り、鞍上が勝利を確信した一瞬の隙を衝いてラチにへばりついてしまい、「ささるなら内ラチ沿いに走らせる」という策も失敗に終わり、7着と惨敗。
武騎手は2000年の菊花賞にて、右への酷いささり癖があったエアシャカールで同じ作戦を実践し、見事勝利を収めているのだが、それを超えるステイゴールドの斜行癖の問題には流石にお手上げで、
「とにかく、真直ぐ走るように調教し直してください」と言う苦情を上げるに至った。

このため引退レースとした香港ヴァーズに向けて
  • 馬に主導権を奪われている調教メニューを見直して右ラチに沿って走らせる調教を積み
  • 余計な反発を招かない様に、ハミを制御力の強いリングハミ*36から舌当たりの柔らかい太バミ*37に変更、外れないようにハミ吊り*38も追加。
  • さらに左方向へ忌避感を抱かせるために左目だけのブリンカー*39を装着。
と対策を徹底、その成果か1か月後のジャパンカップでは自身過去最高の4着。初戦以来メイショウドトウに先着するという快挙でもあった。
最終直線で左方向がガラガラだったにもかかわらず斜行の兆しはなく、引き上げて来た武豊騎手は開口一番にこう言った。
「これなら香港、勝てるよ」

しかし上記の通り実際のレース中には右に斜行するという斜め上の反抗を繰り出し二重の意味で伝説を作った。


「ステイゴールドがレースで右側にもたれたのはあのときだけなんです。片側ブリンカーで視界を遮られているから左側には行けない。じゃあ右に行ってやれ、というね(笑)。常に何かをしでかして、『人間を困らせてやろう』と思っているようなところがあった馬ですから、あの斜行もそうした習性の表れだったんでしょう。」
──── 池江泰寿

ラスト200mの激走も咄嗟に手綱を絞って修正しサボらせてくれなかった武騎手に激怒し振り落とそうと本気で走ったからだとかなんとか。
実際ゴールした後5分以上も暴れ続けたそうで、膨大なスタミナを余らせていたことを示唆している。
ファンの感動を返せ

出資者のひとりである作家・競馬評論家の山野浩一氏は
「(他のサンデーサイレンス産駒が激走の末に短期間で故障引退していく例を挙げ)ステイゴールドはそうした状況に自分が陥るのを避けようとしていたのではないだろうか。とは言え他の馬と競っている限り、馬の本性として前に出ようとしてしまうので、内に切れ込んでラチに逃れようとするのだろう。ラチに沿って走っている限りは自分のペースで走ることができる」
「(00年目黒記念の勝利を祝福しようと検量室に駆け付け)その時に見たステイゴールドの恐ろしい顔は忘れることができない。
 激しいレースをしての興奮もあるのだろうが、なにか自分の大切なものを壊されて腹を立てているかのように思えた。」
「ステイゴールドは走るのが好きで、それを自分自身の楽しみとはしているが、人のために走る気は毛頭ないということではないだろうか」
と推察している。

散々手を焼かせた左斜行癖にしても、レース中に我に帰るためのスイッチとして、一番安心できる左ラチを求めていたのではないか、とも取れる。

一方、山元重治厩務員は「猛獣ではないし、扱えないってほどの馬じゃない」「自分のペース・ルールは絶対に曲げずやりたくないことは絶対にしない」。
熊沢重文騎手も山元氏同様に「要求に対して譲る・譲らないがはっきりしている、分かってしまえばかえって下手な馬よりも扱いやすかった」とも語っている。

京都大賞典の大斜行の件で激しい抗議を受けた後藤浩輝騎手は「決してヨレたのではなく強い馬に立ち向かい食らいつこうとしていた。騎手の油断や気の迷いを敏感に感じ取ってしまい、それを察知されたらこっちの負け。京都大賞典は失格になったとはいえああいう(闘争心をむき出しにした)走りを見せてくれたのだからようやく自分のことを認めてくれたのかなと」。
一度は匙を投げた武豊も目黒記念以降では「ようやく仕上がったのに種牡馬入りしてしまうのは勿体ない」。
池江調教師もその気性ゆえに故障せず引退したことを「まさに『無事是名馬』を地に行くような、素晴らしい馬」とも語っている。

因みに、気性の激しい馬でも小動物には優しい傾向があるがステイゴールドも例に漏れず、馬房を訪れるにデレデレだったという。
隣の馬房のナカヤマフェスタと共に、立ち去る猫を寂しげに見送る姿が撮影されている。
その優しさを、10分の1でいいから騎手にも向けてくれていれば……。

【種牡馬として】


実の所、ドバイSC制覇の時点で種牡馬入りは決まっており、その処遇を巡って外部との交渉が為されている。
何故外部なのかと言えば、2001年時点において父・サンデーサイレンスはいまだ健在*40で、ステイゴールドが走り続けている間に先に引退した先輩や後輩によって、社台スタリオンステーションが抱えられるサンデーサイレンス血統の枠が既に埋まっていたからである。

一時は日高軽種馬農業協同組合への売却も検討され、3億円で話が纏まりかけた。
だが、組合員からは産駒も小柄・晩成傾向になる可能性、すでに七歳を数える(比較的)高齢etc.様々な懸念事項、
そしてなによりこの6年前に起こったラムタラショックの影響もあり「3億では高い」という声が多く、社台グループも値下げ交渉に応じなかったことで結局この話は頓挫してしまった。

交渉の失敗を受けて4月下旬には60株4億5000万円のシンジケートが組まれ、余勢種付け*43は1回150万円(受胎条件)と設定された。
「中小牧場でも手が届くサンデーサイレンスの血統」の需要を見越しての価格設定*44だったのだが、前述の交渉で出た懸念もあってか、この年の申し込みは僅か3件であった。

そんな訳で「種付けシーズンは既に始まっていて間に合わない。箔付けのためにも、来期までにGⅠタイトルを取らせよう」と現役続行が決定され、その結果があの迷走と香港ヴァーズである。

香港で魅せた驚異の末脚の反響は凄まじく、応募が殺到。
現役時代はまるで馬っ気がなく、牝馬に興味を示さなかった上に小柄なためスムーズに遂行できるかという懸念もありかなり不安視された*45が、実際にやらせてみると非常にウマい*46上に積極的、というか飛び掛かる野獣そのもので、引き離そうとすると怒り出し、仕事を終えて馬房に戻ると全力投球の反動か現役時代には決して見せることのなかった惚けた様子で横になる有様。

また種付け料と種付け頭数は産駒成績と連動するもので、普通は初年度からどんどん下がっていき、産駒が重賞勝ちを収めるなどしてから回復していくものである。
しかしステイゴールドの種付け頭数においては「177頭→115頭→87頭→146頭→93頭→129頭」と産駒がデビューすらしていない4年目に一度回復するという奇妙な推移をしている。
これは「種付けが上手く、受胎率が高い」「産駒は小さく産まれるので安産、概ね健康で、『生産牧場にいる間は』大人しい」「安く種付けできる割に高く売れる」という評判が
「大事な資産である繁殖牝馬への負担が軽く、あまり手間もかからず、利益率が高い」という中小牧場にとって死活問題な需要にベストマッチしていたためだと言われている。
一方で種付け料の方は、初年度産駒から2歳重賞勝利馬が出なかった*47ことから5年目には100万円に値下がりした。

だが2年目産駒から2歳王者にしてグランプリホースドリームジャーニーを出したのを皮切りに、宝塚記念を制しエルコンドルパサー以来の凱旋門賞僅差2着となったナカヤマフェスタと続き、
ディープの再三なる不受胎を受けて急遽種付けして産まれたドリームジャーニーの全弟でクラシック三冠馬オルフェーヴル*48、天皇賞(春)を連覇したフェノーメノ、史上初の宝塚記念連覇を含めGⅠで6勝をあげた迷馬ゴールドシップ
更には3年連続で最優秀障害馬に選出され、日本調教馬としては初となる10歳でのGⅠ制覇を成し遂げた障害競走の王者オジュウチョウサンといった多数の名馬を輩出。
近年においても、苦戦の末についに天皇賞(春)を制したレインボーライン、香港GⅠを制覇したウインブライト、春秋マイルGⅠ制覇のインディチャンプなどを輩出。

他のサンデーサイレンスの後継種牡馬の成績が振るわなかったことから、いつしか筆頭格にまで成り上がった。
結局種牡馬成績は2020年までで総額約295億円、これには関係者も「あの時3億で売却しないで良かった」と語っている。

社台のサンデーサイレンス系主流から外れ、当初活躍をほとんど期待されていなかったがゆえに集まる牝馬の質も一枚二枚落ちる状況。バックアップ無しに自らの力でその評価をひっくり返して見せたステイゴールドを関係者は「奇跡に近い」と評している。
後にディープインパクトやダイワメジャー、ハーツクライがサンデー後継のライバルとして立ちはだかるも、その中でも見劣りしない存在感を最後まで示し続けた。

産駒は当たり外れが大きいものの、父に似て頑丈でかつ長く活躍できる傾向にある。ゴルシ世代の父ディープの牡馬が次々と故障引退していくのとは対照的である。
難を言えば、牝馬に競走馬、繁殖牝馬共に大物がいないことか。


【代表的な産駒たち/癖のある産駒たち】


活躍する産駒には総じて「長距離を走ってもバテないスタミナ」と「急勾配や多少の道悪を苦にしないパワー」、「小回りで減速どころか加速しながら曲がれるコーナリング能力」という、ディクタスとサンデーサイレンスのいいとこ取りな特徴が遺伝しており、これらの長所を特に活かすことができる中山競馬場や阪神競馬場での良績が目立つ。
このため「グランプリはステゴを買え」は産駒現役時代の馬券師の常識だった。
逆に本馬が1勝とGⅠで2着3回を記録した東京競馬場では斜行癖の有無にかかわらず何故か産駒はあまり勝てていない。
更に故障が少なく肉体的な衰えが来るのも遅い……というか繁殖入りの関係で肉体的なピークを迎える前に引退もザラであり、この点はサンデー後継では特筆すべき要素。
また、GⅢ→GⅡ→GⅠとレースのグレードが上がるに沿って勝率が高くなっていることから、大舞台になる程強いという他に類を見ない特徴を持っている。

しかしまあ、気性の方もキッチリ遺伝させてしまうようで、個性的な行動を見せる産駒も多い。
ドリームジャーニーはとにかく凶暴で人間にも馬にも噛み付こうとする、オルフェーヴルは勝利の直後に暴れて騎手を振り落とすということを2回もやらかしており、2012年の阪神大賞典では珍しく先頭を走るレースを見せたかと思えば向こう正面で唐突に失速、これには実況やファンも故障発生かと青ざめた……直後に最後尾から再加速・2着まで巻き返した通称「阪神大笑点」は今尚語り草である。こんな三冠馬見たことありません!
ゴールドシップに至っては列挙し切れないほどの奇行の果てに、史上初の三連覇がかかった宝塚記念のスタートでゲートオープンと同時に派手に立ち上がり117億円分の馬券を一瞬で紙屑にするという「120億円事件」と呼ばれる伝説を作った。
加えて、ナカヤマフェスタもまるで言うことを聞かず、叱るとやる気を無くしたために調教師が根負けしてある程度は許容してやった結果改善したという逸話があり、オジュウチョウサンも調教中に騎手を振り落として遊び始めることがあった。
「美浦のドルジ」とまで呼ばれたボス馬だけど人間には従順なフェノーメノなんて可愛いもんである。真面目に
そうした部分も「まあステゴの仔だし」で流されるあたりがステイゴールドの人徳、いや馬徳といったところだろうか。


あまりにも名馬を輩出するものだから、ファンからは「やっぱこいつ現役時代は手を抜いてた」という意見が多数を占めるようになった。
ただし50戦しても故障することなく走り続けることが出来たのは、彼の持つ身体能力以外にもこの手を抜いていた=無理をしなかったのも少なからずあったと思われている。
現に産駒の中でも特に気分屋として知られるゴールドシップも6歳まで目立った故障(筋肉痛と蹄球炎*66)をすることなく引退、そのうえでまだ現役を続けられると評される状態だったこと、
オルフェーヴルに至ってはむしろ引退後の6歳7歳の方が現役時よりも馬体が良かった事もこれを裏付けている。
宝塚でのゴルシ120億返せならぬステゴファンや関係者の涙返せである

【黄金配合/ステマ配合】

特に、父メジロマックイーンの牝馬との相性の良さも有名であり、ドリームジャーニー、オルフェーヴル、ゴールドシップを続けざまに輩出し血統派を沸かせた。
メジロマックイーンはサンデーサイレンスに好かれていた(当然ながら両方牡)ことで知られ、仔の代になって愛が成就したという説もある。尊い……

理論的には賢いが大柄で虚弱体質が多いメジロマックイーンの血統に小柄で頑丈なステイゴールドを付ける非常に堅実な組み合わせであり、人呼んで「黄金配合」(またはステイゴールド+メジロックイーンで「ステ配合」)と呼ばれ、重賞級の大物こそゴールドシップで打ち止めになったものの、派手さは無くとも着実に勝ちを重ねる「当たり」の馬を輩出する事に定評があり*67、一時期ドリジャ/オルフェの母オリエンタルアートや、ゴルシの母ポイントフラッグをはじめとした母父メジロマックイーンの馬に種付けさせたり、果てはヤマニンリュウセイのような2×3(父父・母母父にSS)の強烈な近親交配に走ったケースまで現れる狂乱とも言える勢いで競馬界全体で流行した。

オルフェーヴルが三冠&3歳有馬記念制覇を達成した翌年の2012年はドリームジャーニーの配合から9年遅れである。
そもそもメジロマックイーンが種牡馬としては大成せず、2000年頃には見切りをつけられ2006年に没したこともあり、牝馬の高齢化と供給不足は予期して然るべき課題であった。

そのため、余力のある生産者は他の道を模索していた。
馬体と筋肉の質に一家言ある岡田総帥のビッグレッドファームでは「パーソロン系の水っぽい筋肉」に着目しトウカイテイオーの牝馬を宛がい、初年度産駒パーフェクトジョイから牝系との相性を考えた長山オーナーは、坂東牧場にその半妹を提供。

前者はマイネルアウラートがオープン入り、母父トウカイテイオーとしては2番目の賞金*68を稼ぎ、後者はケイアイチョウサン・オジュウチョウサンの兄弟を輩出と一定の成果を得た。

サンプル数を増やしていけば新たなニックスが見つかるのもそう遠くはない。
齢20を数えてなお馬体は活力に満ち、『日高の至宝』ステイゴールドがそこに在ったのだから──。

【旅程の終焉】


現役を退いても引き締まった馬体と鋭い眼光は相変わらず、息の長い活躍を続け種牡馬としては父越えも期待されたステイゴールドであったが、
2015年2月5日にその年最初の種付けを終えた帰りに激しく発汗し始め、クリニックを受診。
一時は落ち着いたため馬房に戻されたが再び苦しみ出し、やがて永遠の眠りについた。21歳没。
翌日の検死解剖により、死因は大動脈破裂とされた。

遺体はそのままブリーダーズSSに埋葬され、墓が建てられた。
1ヶ月後、"正妻"オリエンタルアートが後を追うように亡くなり、彼女の墓にはステイゴールドの遺髪(タテガミ)が納められた。
11ヶ月後、ステイゴールドが『帰って来る』筈だったビッグレッドファームの馬房に、代表産駒の一頭・ゴールドシップが種牡馬入り。受け入れ態勢は万全だったが、後日、岡田総帥の指示でネームプレートのかけ直しが行われた。馬房には今も2つのプレートが上下に並んでいる。[Gold Ship][Stay Gold]と。

一般的なサラブレッドの寿命が20代後半だということを考えると、まだまだ種牡馬として活躍できたはずで、早逝が惜しまれる。
ただ父は蹄葉炎を発症し16歳でこの世を去り、父の後継候補と考えられていた達もその多くが10代のうちに夭逝していることを考えると、長生きした方だったのかもしれない。

しかし、本馬の旅程は確かにここで終わったが、まだその開いた道のりは終わってなどいない。黄金の旅程は黄金の名を冠する息子や子孫たちに託され、いまだ輝きを放っている。
なんなら既にゴールドシップが成功率9割・受胎率8割とかいう意味不明な数字を引っ提げて床上手の後継者として名乗りを上げている。
なおオジュウチョウサンは2022年まで現役を続行したため、彼が勝つごとにステゴが死んで○年経つのに産駒の重賞連勝数・年数が更新されるという珍妙なことも起きていた……
と思えば、オジュウチョウサンがまだ走っていないうちからアフリカンゴールドが7歳にして(ゴールドシップの娘ユーバーレーベンも出走した)GⅡの京都記念を獲得、年明け早々に産駒が17年連続で重賞勝利というとんでもない記録を打ち立ててしまった。
さらに前述のステイフーリッシュがサウジのレッドシーターフHCを逃げ切り、実に約4年ぶりの勝利。
そして大本命のオジュウチョウサンは中山グランドジャンプを11歳にして当然の様に6度目の制覇。もちろんJRAの歴史においてこんな記録は前代未聞である。
ついでに3着のマイネルレオーネもステゴ産駒で、母父サッカーボーイというロック過ぎる血統*69もあって色々と話題を呼んだ。
前年には新潟記念を12番人気から勝利し、翌年は天皇賞(春)6着、宝塚記念5着のマイネルファンロン(ユーバーレーベンの半兄)も未だ健在である。
マジで何なんお前ら。
だが前述のようにオジュウチョウサン・ステイフーリッシュが2022年で引退、2023年以降も記録を伸ばせるかはアフリカンゴールド・マイネルファンロン・マイネルレオーネの肩にかかっていたが、
2023年中山大障害でマイネルレオーネがゴールドシップ産駒でマイネルファンロンの叔父なマイネルグロンに敗れ、直後故障によりレオーネは11歳一杯で引退、連続重賞勝利記録は17年で終わりを告げた。むしろなんで没後7年目まで記録継続してたんだ。
2024年になって2月にアフリカンゴールド、9月にマイネルファンロンが引退したことで平地のステゴ産駒はついに全員引退。この年は障害含め勝ちはなく、中央連続勝利記録もついにストップした。…のだが、
2025年、実質ラストクロップ世代で10歳のザスリーサーティが障害未勝利戦で中央初勝利を挙げ*70、久々に産駒成績に勝ちが記録された。ちなみにこの時点でステイゴールドは「中央で産駒が現役で走っている最古の種牡馬(生まれ年基準)」の模様。


【旅のこぼれ話】


  • ノーザンファーム空港牧場で育成調教していた頃、鞍がズレて人が乗れなくなるまで立ち上がるのを続けたせいか、背中にイボが出来たことがある。クリニックで切除し、大事を取って大学病院で検査ついでに傷痕にレーザー治療を施していたら突然立ち上がり、レーザー治療器を壊してしまった。青草で釣ってる間は大人しくなるだろうと試みたが17分で立ち上がり、2基目のレーザー治療器も壊れた
    • この時何かに引っ掛けたのか、足の裏が腫れ上がったため更に3週間ほど休んだ。デビューが12月と遅れたのはこのせい。
  • 後退りした拍子に尻で馬栓棒を2本折ったこともあるが、この時は馬体にはかすり傷もなかった。
  • 基本的に食が細い。普通の馬は1日2食、1食に付き30分から1時間で合計8升程度食べるところであるが、ステイゴールドは飼い葉を水につけて柔らかくしてから少し食べてその水をがぶ飲み(通称:お茶漬け)しては休むを繰り返し、丸1日かけて6升程度だった。オグリキャップだったら桶を齧って足りないアピールを始める量のはず。
    • 産駒のドリームジャーニーやオルフェーヴルの食事も同様に「お茶漬け」。一子相伝……?山下正一調教助手は「あまり飼葉が欲しくなくても、食べなければいけないことを分かっている賢さの表れ」と語っている。
  • レースの気配を察しているのか、前日の移動日の朝はさらに食が細り、馬運車に乗り込んで以降は勝手に断食を始める。出張馬房では隅の方でじっとエネルギーの消耗を抑え、レースを終えてトレセンの自分の馬房に戻ってからやっと食事を始める行動ルーチン。
    • 激やせ騒動のあったドバイSCにおいても、あまりにも「いつも通り」だったため、山元重治厩務員だけは特に心配してなかった。一方、現地の獣医とのコミュニケーションを任されていた池江泰寿*71は顔面蒼白だった。
  • 名馬によく付いて回る表現のひとつに「乗り味が良い」というものがある。騎手の体感的なものではあるが、「全身を余すことなく使って推進力を生み出す力強さ、走りの滑らかさ」への賞賛であり、サンデーサイレンスやサッカーボーイも絶賛されている。
    • 対して、ステイゴールドに跨った騎手や調教助手が口を揃えるには「乗り味が悪い」「バネの強さを感じない」「「なのによく走る」」。どうも背筋を固めて剛体とし、肩・トモと首の上げ下げで走ってたらしい。誰に似たんだ。
      • この癖は大なり小なり遺伝するらしく、ステイゴールド産駒は柔軟かつ強靭な体幹と優れたバランス感覚を持ちながら「背筋が固い」だの「全身の動きがチグハグ」だの言われる傾向がある。
  • 幼駒時代から一貫して青草が大好物。そして食べ過ぎると必ず腹を下す。それでも食べる。逆に、大体の馬は好んで食べるリンゴが嫌いで、匂いを嗅ぐことすら嫌がった。
  • 50戦大過なく終えたが、実は陣営も出走を悩んだ怪我が2回ある。1つが98年ダイヤモンドS、装鞍15分前に目の縁を切って下瞼が垂れ下がり、涙管を伝って鼻から血が滴る状態だった件。
    • 2つ目が00年目黒記念の前日からの球節炎。アイシングを施し、症状も治まったように見えたため、ギリギリまで悩んだ末に出走させたが……戻って来たら完治してた。スゴいね馬体♡
  • 某証券系列の会社に勤める男が、複数の顧客から合計7億5千万円を着服していた。資産運用して儲け分で補填すればバレないだろうと考えていたが、事業はいずれも失敗。7億円を喪失し、残る5千万円をすべて98年天皇賞(春)の馬連馬券にぶち込むという暴挙に出た。一番人気のシルクジャスティスと二番人気のメジロブライトでオッズは2.0倍、当たれば1億円になって返って来る手堅い予想……しかし最終直線でステイゴールド(10番人気)(とローゼンカバリー)が突っ込んできたためご破算になり、事が露見し逮捕されるという事件があった。悪いことは必ずバレるとステゴが教えてくれたのかも……?
  • これまで散々「小柄」と書いて来たが、実のところ体高に限れば種牡馬入りの時点で161cmと牡馬の平均程度はあり、「中背だが肉付きが薄いため小さく見える」というのが実際の所。グラスワンダーやナカヤマフェスタと同値である。
    • 参考までに、ドチビで有名な先祖のノーザンテーストが15.3hand(約155cm)、ドリームジャーニーが158cm、「小柄だが脚が長い」と言われたディープインパクトが164cm、大柄で有名なスペシャルウィークとゴールドシップが168cm、キタサンブラックが172cm。
  • 種牡馬入り後、立ち上がる際に前半身を右側に捻って着地するという技を修得した。頭が直角三角形の軌道を描き、通常の手綱では持って行かれて転倒してしまうので通常の倍の長さの専用手綱が用意された(釣り上げて崩すという柔道ばりの技である)。
  • ビッグレッドファームの放牧地にて、わざわざ牧草を掘り返し、入り口から緩いカーブを描く「道」を造成し(通称:ステイロード)、ご機嫌そうに往復したり、集牧時に「ここまで迎えに来い」とばかりに道の先で待って居たりしていた。秘密基地を作る子供か。


【フィクション作品への登場】


漫画馬なり1ハロン劇場』(よしだみほ)

主に3着ばかりが続き「実力はあるけどイマイチ」な馬が集う…というか勧誘される親睦団体『ブロコレ倶楽部』の主要メンバーとして登場。
創設者ナイスネイチャの引退後一人寂しく続けていたホッカイルソーから「ゴールドの前でステイ」だからと勧誘を受け、2着が多いので『シルコレ部長』の称号も用意され、最初は微妙過ぎる参加資格に加入を渋るも1999年宝塚3着により涙目で加入。
以降は故障からの復活で倶楽部活動から手を引き出したホッカイルソーへの当てつけの如く各地でメンバーを捕獲、中には入会直後から一気に強くなったテイエムオペラオーもいたりしたがナリタトップロード等仲間も増え着々と足場を固めることに成功。
その一方で競走馬として成功する夢を忘れはせず、何かと倶楽部が気になっていたロサードにテレビで京都大賞典での醜態を見られつつも香港ヴァースでのラストランビデオを仲間に自慢、トップロードに後を託し引退した。
その後は倶楽部の重鎮や馬達の親としてよく顔を見せており、ゴールドシップの活躍で種牡馬成績(2012年)でもブロンズになった際は、ゴルシの有馬祝として新年会にて父サンデーと息子の母父メジロマックイーンを呼びパ●ュームパロを披露していた。
他界後もたまに頭に天使の輪を載せ現世に降臨し、『最後の仔』(2016秋収録)では生前最期の種付けから生まれた末娘「エレインの2016」(ハルノナゴリ)の様子を見に天国に自分を追って来た妻オリエンタルアートに見つかりつつ降りて来たりもした。
そして2018年の『逸材』(第977R、2019年春収録)では、倶楽部の新鋭として息子エタリオウを輪ごと口がもつれた上身体を張って笑いを取ろうとするのを見かねた別な倶楽部会員息子グランシルクに抑えられつつ捕獲している。
この様に妙に出番が多いため、連載1000回記念時武豊氏から「よしだみほさんの競馬愛、ステイゴールド愛には、いつも関心させられます。」との祝辞が贈られている。
だがその一方でオリエンタルアートとの次男オルフェーヴル以降の活躍した仔との直接会話は妙に少なく、ゴールドシップとは2012年ダービーのワンショットのみ、オジュウチョウサンとの絡みは0だったり。
また現役時のデカいやらかしが京都大賞典くらいなせいか、金色の暴君不沈艦が基本普通だが途中から盛大なポカのせいで「時々アレな感じになる」を追加されたのに対し、本馬自身は父譲りの凶暴性を見せることはなかった。

漫画『優駿劇場』(やまさき拓味)

「オレがここにやって来た目的はただ一ッ
世界で一番有名な競走馬になる事だッ」
微妙に活躍時期がズレていた事もあってメインシリーズである『優駿たちの蹄跡』では最後まで出番に恵まれなかったが、派生作の劇画版『馬なり1ハロン劇場』『優駿劇場』の方でドバイシーマクラシックが取り上げられた。
自分のせいで交代させられたにもかかわらず応援し続けてくれた熊沢重文に報いるため、世界一有名な日本馬になるべくファンタスティックライトと激闘を繰り広げる。
ちなみに熊沢騎手と普通に会話するシーンがある。
馬と人間が会話するのは『優駿たちの蹄跡』ではたまに見られる演出だが、『優駿劇場』の方ではそもそも人間の出番自体が少ない事もあって殆ど見られない。


余談だがやまさき氏の代表作『優駿の門』のメイン馬の一頭は「ボムクレイジー」というのだが、本作後ステイゴールド産駒からボムクレイジ(Bomb Crazy)(2014年生まれ、7戦0勝で乗馬に転向)なんてのが登場している。

メディアミックスプロジェクト『ウマ娘 プリティーダービー』(Cygames)

ゴルシの120億事件がネタにされている『ウマ娘』では、ステイゴールドの名を持つウマ娘は登場していない。
しかし、ゲーム含め各種メディアミックスにおいて様々な形でその存在が示唆されている。
アニメ一期では、彼のポジションに該当する「キンイロリョテイ」と言う隠す気ゼロな名前のウマ娘が登場している。
デザインは汎用モブの使い回しであり台詞も全くない完全なモブキャラなのだが、ネームドキャラに交じって好走を見せており、元ネタを忠実に再現している。
基本的にファンの間ではほぼ「キンイロリョテイ=ステイゴールド」として扱われており、上記のエピソードに基づいたアクの強いキャラ付けが勝手になされている。
ゲームにおいてはメインストーリー5章で彼に該当すると思われる「小柄なウマ娘」が出走しているほか、キタサンブラックの個別シナリオで「5年間走り続けた末に最後のレースでG1初勝利を決めた*72ウマ娘」というまんまなエピソードが語られている。
長い間ステイゴールドの名前は使われずじまいであったものの、2024年6月26日に育成ウマ娘化を果たしたドリームジャーニー*73のシナリオで明確に「ステイゴールド」の名前が登場し、ウマ娘としての追加も時間の問題となっている。



追記・修正はゴールドの前でステイせずにお願いします。

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最終更新:2025年04月18日 20:36

*1 翌年からGⅠ昇格。

*2 2:22.6。京都競馬場の芝2400mの重賞が日経新春杯と京都大賞典しかないためか、2022年現在も残っている。

*3 芝メインなのにフェブラリーSで3着の後ドバイWC(ダート2000m)で2着を取ったスゴイである。

*4 当時。翌2002年より国際GⅠ競走に昇格。

*5 1970年、イタリア生まれの男性騎手。「同じ馬でも彼が騎乗すれば5馬身は変わる」と言われるほどの名手であり、ファンタスティックライトをはじめ、ドバイミレニアムや「奇跡の馬」ラムタラなどの主戦騎手として凱旋門賞制覇6度を始めとして欧州を中心に伝説的な活躍をしている。日本でも2017年に武豊に抜かれるまでは歴代最多記録となるジャパンカップ3勝を挙げたほか、2002年には日本競馬史上初のジャパンダートカップ(現:チャンピオンズカップ)→JCの2日連続GⅠ制覇を果たした名実最強のジョッキー。2024年現在も現役。

*6 2001年ヨーロッパの代表馬・最優秀古馬、アメリカ最優秀芝牡馬。かのドバイのムハンマド・ビン・ラーシド・アール・マクトゥーム殿下率いる天下のゴドルフィン馬。2年連続ワールドチャンピオンであり、2001年に彼を負かしたのはKGVI&QEDS・アイリッシュチャンピオンSで死闘を繰り広げたアイルランドのガリレオとステゴしかいなかったほどの名馬。2023年現在存命。

*7 自滅覚悟でハイペースを作るペースメーカー(通称ラビット。稀にそのまま勝ってしまうのもいる)等。タックルやブロックの判定も緩い。

*8 馬券が絡む場合はチーム内でオッズが統一される。UAEは賭博禁止だが。

*9 1着のタイムは2:26:1。2400mレコード(2018年アーモンドアイ)より5.5秒遅い。

*10 日本では当たり前な出走時の馬体重発表だが、実は世界的には行わない国の方が多い。

*11 馬にとって、6~7%の体重減少は70kgの人間で言えば4~5kgにあたる。いかに調子を崩していたかが判る。

*12 2010年からは隣に建設されたメイダン競馬場で開催されている。

*13 サンデーサイレンス産駒としてはフランスに輸出されたサンデーピクニックが初。

*14 400mごとのラップが26秒→24秒→26秒→24秒とスロー→ミドルを繰り返した後に400m23秒2とロングスパートを仕掛けた。

*15 強く踏み込んだ状態からの方向転換と強烈な蹴り脚によるものか。レース後の検査で右後ろ脚の落鉄が確認されている。レース中の落鉄はカリスマ装蹄師・西内荘氏のキャリアでも初めての出来事であった。

*16 このように超エリート集団のゴドルフィンの一員としてデットーリと共にハイレベルなレース巧者ぶりを見せたエクラールだが、彼もまたGⅠの勝鞍を惜しいところで逃し続けている。彼が念願のGⅠを獲ったのは13回目の挑戦、デビューから数えて5年に及ぶ競走馬生のその最終戦でのことだった。

*17 この年香港でステイゴールドと共に日本旋風を巻き起こしたアグネスデジタルとエイシンプレストンはアメリカ産。

*18 海外向けのインタビューでも“He has nailed me twice now so I am glad they have decided to retire him.”“I tried to nick four lengths to make him chase me but he got me again.”とほぼ同じことを語っている

*19 しかし現地の人にはあんまり語感がよくないとかで不評らしいが。

*20 2年以上皆勤したのは他にテイエムオペラオーのみ。

*21 GⅠ出走数はコスモバルクが更新。重賞出走数は中央に限れば歴代1位。

*22 ちなみに「GⅠを1勝」でJRA公認の引退式を行った例は2024年現在、ステイゴールドのみである。「GⅠを2勝以上」しているのがJRA公認引退式の基準だと言われており、いかに彼の香港GⅠ制覇がファンの心を動かしたかがうかがえるエピソードである。

*23 名前がステイゴールドと同様、楽曲が由来。

*24 この年の相手は92年英ダービー馬のドクターデヴィアス。

*25 普通の馬は眼球全体に色素があるのに対し、強膜が白く「白目」がある眼球。視力への影響は特にないが、感情が昂ったり何かを注視したりするとき白目が見えるようになる。

*26 格付けは低いが、1988年は青函トンネル開通を祝し、前年と前々年のダービー馬を含む例年にない豪華面子が揃っていた。これを5馬身ちぎっての快勝。

*27 タマモクロスも同レースにて引退、抜けた2頭と入れ替わるように台頭してきたイナリワンとスーパークリークがオグリキャップと共に“平成三強”と称されることになる。

*28 社台グループの慣例として放出される予定だったが、吉田勝己氏の一声で社台SSで繋養されることになった。社台内部で生産・繋養された種牡馬第一号である(内国産馬という括りでも三冠馬ミスターシービーに続く二頭目)。

*29 生産頭数が74頭、2年後からはほぼ2倍になるため平均収得賞金額に直すとそこまで悪くはないが、突き抜けた大物の数が少なかった。

*30 牝馬だてらに1989年の南関東三冠と東京大賞典を制したダートの女傑。同年中央の芝レースに挑むも、オールカマー5着、ジャパンカップ15着と揮わなかった。まあオグリキャップの全盛期世代に芝では相手が悪かったとしか言いようがない。その脚力はすさまじく、馬房の屋根を蹴り破る程であったという。

*31 化骨が済んでいない骨膜に生じる炎症。若駒にはありがちな症状で、多くは新馬戦を終えた後の休養中に治す。育成調教で先頭の馬にチョッカイ掛けて3頭ほど骨膜炎に追い込んだ因果が巡って来たようだ。

*32 2014年まで開催されていたワールドスーパージョッキーズシリーズの4戦目。外国からの招待騎手8名と国内のリーディング騎手を合わせた15・16名が4レースのポイントを競い合う形式で、馬と騎手の組み合わせは抽選で決まる。

*33 細いハミ身が管の中をスライドするためズレにくく、制御力が強い。

*34 担当した池江敏行調教助手が言うには「立ち上がったり噛み付くときは必ずサインを出していて、それを見落とさずに対処すれば振り落とされたり噛まれたりすることはなかった」とのこと。

*35 馬が首を上げ過ぎるのを防止するため、ハミと腹帯を繋ぐ革紐の補助馬具。さらに騎手の手元と接続したものが折り返し手綱となる。

*36 銜身が輪になっており、下顎に固定できるハミ。

*37 銜身が通常の5倍くらい太い。池江泰寿調教助手が修行帰りにイギリスで購入していた物。

*38 ハミを上顎に固定する器具。口の両端から頭頂部にかけて逆Y字形の紐

*39 メンコと共に装着する、レンズのないゴーグルのような器具。本来は馬の視界を制限し、レースへの集中力を高めるためのものである。片側だけなのは両方につけると前に対する意識が強くなりすぎて暴走が危惧されたため。

*40 この頃仕込まれたのがあのディープインパクトの世代である。

*41 この時点で種牡馬入りしているサンデーサイレンス産駒は33頭、内10頭のGⅠ勝利馬でマーベラスサンデーを除く9頭が社台SSで繋養されていた。

*42 サンデーサイレンスが輸入された当初、間近で見る機会を設けて貰ったのだが、その馬体の異常なまでの柔軟さに不安を抱き、手が出せなかった過去への猛省がある。

*43 シンジケート株主以外が料金を払って行う種付け依頼。

*44 同期の種牡馬アグネスタキオンとテイエムオペラオーの初年度種付け料が500万円。3分の1以下の大安売りである。

*45 前者はスペシャルウィークのように無理をさせて精神を病んでいく例があり、後者は息子のドリームジャーニーのように1回の種付けに90分以上かかる例がある。

*46 柔軟な身体で牝馬を抑え込む床上手。自分より大きな牝馬相手にも高さ調整の畳や段差を必要としなかったというから、相当である。また一度会ったことのある馬の顔は全部覚えていたらしく、誰かさんの母親みたいに蹴り癖や噛み癖のある牝馬には慎重に当たっていた。

*47 翌年6月のマーメイドS(牝馬限定GⅢ、芝2000m)を制したソリッドプラチナムをはじめ、最終的に計4頭の重賞馬を輩出しており、集まった肌馬の質の割に当たりは多かった。

*48 このとき回ってきた牝馬こそ、日経新春杯で勝ちを上げた日、同競馬場の7Rで勝った栗毛の牝馬であり後に正妻と呼ばれるオリエンタルアートだった。

*49 オリエンタルアートは牝系の近親に活躍馬がまったく居らず、繁殖牝馬としてのランクが低かった。初年度産駒の活躍次第では入れ替えのために繁殖牝馬セールに出される所だった。

*50 それまで父親が違う仔を4頭産んでいたが、いずれも父親の雰囲気がよく出ていたためディープインパクトならどうなるのか興味を持った池江(寿)からの提案。翌年もう一度試してマトゥラーという牝馬を産んでいる。

*51 前脚によるジャブなので『三冠馬パンチ』じゃないかとか言われもする。

*52 ちなみに戸田調教師がそう呼んだ理由は「幼い頃からの漆黒の馬体が黒豆を連想させる」というもの(尤もフェノーメノ自身は黒いことには黒いが馬体重500kg台の大型馬である)。実際に戸田調教師がテレビ番組に出演した際、フェノーメノが彼に「マメちん」と呼ばれて嘶く映像が残っている。なお馬名自体はポルトガル語で「超常現象」「怪物」を意味する言葉。

*53 幼駒時代、色素が抜ける前の毛色はゴールデンサッシュそのまんまである。

*54 もっとも、彼以前の半兄たちよりはかなり小さく産まれたのでステゴはちゃんと仕事している方で、元は母ポイントフラッグがデカすぎたのが原因である。

*55 しばしば非社台で既にオルフェーヴルがいるので社台入り出来なかったと言われているが、オヤジの例があったのでゴルシの事は社台の吉田照哉も認めていたし、現に吉田照哉がゴルシに手を出さないよう決着が付いたと言うネタになると一切笑わなかった等色々あった模様である。

*56 このジンクスは2023年、ダミアン・レーン騎手が駆るタスティエーラによって破られた。

*57 ちなみにウインレーシングは国内GⅠにはあまり縁がないが香港で強いのはお家芸らしく、ウインブライトに次ぐGⅠ制覇は、2022年香港ヴァーズ覇者ウインマリリンだった。

*58 厩舎のネズミ捕りに間違って引っかかってしまったらしい。

*59 なおレース前ということもあって、長沼厩務員は胸にバンドを巻き痛みに耐えながらオジュウの世話に当たったという。

*60 なおこの中山大障害を勝ったニシノデイジー(血統表を見ると母方にセイウンスカイニシノフラワーなどがいるという、馬主の西山茂行氏曰く「狂気の交配」「執念の血統」という血統の持ち主)、実はオジュウチョウサンのGⅠ初勝利となった2016年中山グランドジャンプの2日後に生まれた馬であり、世代交代を印象付ける結果となった。

*61 バローネターフより前は1968年のフジノオー(中山大障害4連覇の他、日本競馬史上唯一の海外の障害重賞競走を勝利した名馬)、1978年のグランドマーチス(中山大障害4連覇・京都大障害(現京都ジャンプステークス及び京都ハイジャンプ)3連覇を成し遂げ、障害競走馬として2022年現在唯一顕彰馬に選出)。

*62 メジロ牧場解散直前の最後の産駒

*63 騎手は無事だったもののラフィキは第3頚椎骨折で即死

*64 被害(?)猫のホッケも、迷惑そうな顔しながら律儀に戻ってはエタリオウの鼻面に身体を摺り寄せる等まんざらでもなさそうなのが不思議である。

*65 凱旋門賞は3週間前から内枠に仮柵を設けて前哨戦を行い、本番でこれを取り払うため、外枠はスタート直後に荒れた馬場を横切ってポジションを取りに行かねばならず、「内枠絶対有利」である

*66 特に蹄球炎に至っては2週間で治癒した上に42日後の春天で京都淀の坂手前からスパートして1着の狂気の騎乗ですら異常がなかった。

*67 2015年産のオンワードマルタの仔であるオンワードマリーが地方で健闘し、2023年まで活躍していた。

*68 53戦8勝、1億8,341万円

*69 競走馬の繁殖において全兄弟は基本的に同一の血統として扱われる。この場合は父方の祖母と母方の祖父が全兄妹なので、血統上は同じ馬の2×2と見なされる。

*70 馬名由来が「(メインレースがある)3時30分の男」で、奇しくもこの日は3月30日だった。

*71 イギリスで修行を積んだため、英語が堪能。

*72 なお、その模様を中継で見ていたあのゴルシがズビズビに号泣していたとか。

*73 なおウマ娘としてお披露目されたのは2日前の生放送