マチカネフクキタル(競走馬)

登録日:2024/02/11 Thu 14:52:8
更新日:2024/10/11 Fri 20:33:00
所要時間:約 6 分で読めます




淀のターフに福来たる(血を乗り越えた豪脚)

週刊100名馬No.80 マチカネフクキタルより


マチカネフクキタル(Matikanefukukitaru)は日本の元競走馬。タレント揃いの1997年クラシック世代の菊花賞馬、夏から急激に力を付けて秋のGI戦線を賑わす「夏の上がり馬」の代名詞として知られる。

メディアミックス作品『ウマ娘 プリティーダービー』にも登場しているが、そちらでの扱いは当該項目参照。
マチカネフクキタル(ウマ娘 プリティーダービー)

+ 目次

データ

誕生:1994年5月22日
死亡: 2020年7月31日
享年:26歳没
父:クリスタルグリッターズ
母:アテナトウショウ
母父:トウショウボーイ
調教師:二分久男(栗東)
厩務員:熊沢吉末*1
馬主:細川益男
生産者:信成牧場
産地:北海道浦河町
獲得賞金:3億7024万6000円
通算成績:22戦6勝 [6-4-1-11]
主な勝鞍:1997年GⅠ菊花賞、GⅡ神戸新聞杯・京都新聞杯
備考:20世紀の名馬100 第79位

血統

クリスタルグリッターズはアメリカ生まれ、フランス調教馬。1983/84年にGⅠイスパーン賞*2を連覇している。1985年から同国で種牡馬入り、88年に日本へ輸出された。
フランスに残した産駒からスイスダービー馬Capel Meisterや米国芝GⅠ馬でトウカイテイオーのジャパンC3着Dear Doctorがいる。1990年から2000年にかけて日本で種牡馬として活躍し*3中央重賞馬を4頭輩出した。
代表産駒は地方でGⅠ級4勝、97/98NRA年度代表馬に選出されたアブクマポーロである。

アテナトウショウはGⅢ3着経験があり、馬格・血統を見込まれて本巣牧場(1989年から信成牧場)長・本巣信平に購入された。
初年度産駒アサクサキャノンは1990年セントライト記念2着馬で期待されたものの、菊花賞を前に故障で戦線離脱、脚部不安は治ることなく引退した。
2番仔はホースマンからの問い合わせが殺到する逸材だったが、頚椎に異常をきたし安楽死処分になった。本巣はこの馬を忘れることができず、再現を狙って生産されたのがマチカネフクキタルである。

母の父トウショウボーイは1976年度代表馬、TTGの一角「天馬」として知られるスピード馬。種牡馬として三冠馬ミスターシービーをはじめ数多くの産駒を送り出した。フクキタルの産まれる2年前に死去、菊花賞はグリーングラスの3着だった。

誕生

1994年5月22日に誕生。亡き兄より評判は良くなかったが、健康面では評価されていた。1995年7月の特別市場にて細川益男に1610万円で落札された。

細川益男はホソカワミクロン株式会社*4の経営者。1966年にイギリスで手術を受けた際、競馬ファンとしても知られるエリザベス女王の侍医からの勧めで1965~2007年までJRAで馬主をやっており、種付料無料で有名なマチカネイワシミズ、重賞4勝マチカネタンホイザ、日本ダービー3着マチカネアカツキなど多数の活躍馬を所有した。
ある時、細川が経済系新聞社からの取材を受けた際「所有馬の頭数が多くて命名に苦労している」と話したところ、記者から公募で馬名募集をしてはどうか?と提案された。細川は冗談交じりに「それもいいかな」答えたつもりだったが、後日新聞で「(細川氏が)馬名を公募することに決定した」と掲載されてしまい、募集せざるを得なくなった。結果8999件の応募が集まり、細川は自ら審査委員会を設置して対応、5通の応募があった「フクキタル」を採用したのだった。

馬名の由来としては冠名の「マチカネ」、細川が青春時代を過ごした大阪大学のある豊中市の待兼山+「笑う門には福来たる」の「福来る」を付けたとした。
1995年は「ことわざシリーズ」として同じ由来のマチカネワラウカド、「光陰矢の如し」マチカネヤノゴトシ*5が登録されている。

登録の際の英字標記は「Machikane Fukukitaru」であるべきだが、「途中のスペースを含めて18文字以内」の国際規約に違反してしまう*6ため「Matikanefukukitaru」でゴリ押ししている。

競走馬時代

2歳

実際に馬を見て選ぶことを重視した相馬眼の持ち主で知られる二分久男*7厩舎に入厩した。
デビューしたての頃は頭を高くして走り、ハミを取らない*8など気性難だった。
1996年11月30日、血統を考慮してダート1200m新馬戦でデビュー。2番人気だったが気性難が炸裂し3コーナーで逸走、後の桜花賞馬キョウエイマーチが2着に1.7秒差の大差勝ちし、本馬は3着に敗れた。
折り返しの芝1600m新馬戦も外にふくれる問題により4着に敗れた。
2歳2戦は96年ダービージョッキー藤田伸二が務めていた。

3歳前半

レース後裂蹄を発症し、3歳3月に上村洋行を迎えて未勝利戦で復帰、気性面で成長したのか初勝利を挙げる。4月の君子蘭賞では希少なイージーゴア産駒プレミアムサンダーの2着に敗れた。続くムーニーバレーRC賞では後の重賞馬テイエムトッキューを破り2勝目を挙げる。
日本ダービートライアル・プリンシパルSに出走したが、3戦共にした上村がサイレンススズカの騎乗を選んだため柴田善臣を迎える。サイレンススズカの2着に敗れたが、出走権を確保し弥生賞馬ランニングゲイルに先着したのはアドバンテージだった。

柴田善臣と11番人気で出走したGⅠ第64回日本ダービー、皐月賞馬サニーブライアンの逃げ切り二冠に敗れたが、0.5秒差の7着でサイレンススズカに先着する健闘を見せる。
しかし冷静な二分師は「やっぱりクリスタルグリッターズの仔だなあと思いました。一瞬の脚は速いんだけど、止まっちゃうんですよね」と分析し、脚の使いどころとスタミナの扱いを課題とした。
7月のさくらんぼステークスで武豊を迎え*93勝目を挙げた。

3歳後半

9月の菊花賞トライアル・GⅡ神戸新聞杯で復帰。武豊がサクラローレルのヨーロッパ遠征に向かい、三冠ジョッキー南井克巳に乗り替わった。
京都4歳特別でプレミアムサンダーを破りダービー2着のシルクジャスティスは後方で伸びない。サイレンススズカがセーフティーリードで逃げ切り濃厚、上村騎手は腰を上げて余裕を見せた…そこをマチカネフクキタルが襲い掛かる。上り最速35.2の末脚であっという間に差し切り重賞初勝利。
何ともドキドキさせる競馬!」と杉本清アナウンサーも唸った。上村騎手はこの敗戦の責任を取らされサイレンススズカの主戦の座を降りた。

続いてGⅡ京都新聞杯*10へ出走した*11。メジロ軍団期待のメジロブライトや重賞初出走・阿寒湖特別を勝ったばかりのステイゴールドを抑え1番人気になる。
ここでもフクキタルの豪脚と杉本節が炸裂する。

「外からメジロブライト飛んで来たぞ!一気にメジロブライト! さあシルクジャスティス見ているか!
メジロブライト先頭に立った!おおステイゴールド来た! ステイゴールド来た!そしてパルスビート!
内からマチカネフクキタルだ!また内からマチカネフクキタル! マチカネフクキタル先頭!
パルスビートが2着~! マチカネフクキタル!!神戸に次いで京都も制した! 京都でも福が来た!

第58回 菊花賞


新しい君よ

カレンダーをめくるたび
君の歩幅は大きくなっていく
いつか気付くだろう
見える景色が変化したことに

けれど変わったのは
周囲ではなく君自身なのだ

移ろう季節の中で
手にした新しい力とともに
勝利という至福へ向けて
いま駆けのぼっていけ
名馬の肖像 マチカネフクキタルより

そして菊花賞本番。この時二冠馬サニーブライアンは故障で休養中であり、トライアル2連勝で当然の1番人気に…ならなかった。
血統がザ・中距離馬であることが問題視される一方で、トライアルで破ったシルクジャスティスが古馬戦GⅡ京都大賞典を勝ち大注目を集め、またメジロブライトがステイヤー血統であるため2頭に人気を譲ることになった。

レースは14番人気のテイエムトップダンが1000m通過61秒8、2000m通過2分8秒0と大変なスローペースの逃げに持ち込む。フクキタルは折り合いをつけて4・5番手をキープ、人気2頭は後方待機である。
二分師は末脚とスタミナを温存させるべく南井騎手に「ダニのようにな! ぴったり内ラチに張りついて回って来い」と指示していたのだ。
3コーナーからメジロブライトが大外に持ち出し押し上げていくが、フクキタルはインコースでじっと我慢、4コーナーには馬群が一塊となり瞬発力勝負になった。
メジロの夢を乗せてブライトか!今度こそジャスティスか!いや間からフクキタルから物凄い脚で馬群を割って出てきたぞ!

「マチカネフクキタルか!
マチカネフクキタル4番!

マチカネ出た!
またまたマチカネだ!

マチカネフクキタル!
マチカネフクキタル!

福が来た京都!!
またまた福が来た!!

神戸~!京都に次いで菊の舞台でも福が来た!!

南井の豪快な手綱さばきに応え上り最速の末脚で菊花賞制覇!4連勝豪脚でとらえたGⅠ制覇に10万人の観衆から歓声が沸いたのだった。
細川は馬主31年目にして初GI制覇、信成牧場にとっても初GI制覇、本巣牧場長は「フクキタルが兄の分まで頑張ってくれたような気がしています」とコメントした。
二分厩舎は1980年ノースガスト以来2度目の菊花賞制覇、南井にとってはナリタブライアン以来のGⅠ優勝、そして最後のクラシック制覇となった。

休養に入った後は有馬記念に出走せず3歳シーズンを終了。メジロブライトがステイヤーズSを大差勝ち、シルクジャスティスがエアグルーヴマーベラスサンデーを破り有馬記念を制した。

4歳以降

晴れて菊花賞馬となったものの、古馬になってからは裂蹄や球節炎など蹄の病気に悩まされ、世代最強の末脚が二度と出ることはなかった。
復帰戦の金鯱賞ではサイレンススズカの圧勝劇に3.3秒差の惨敗、4歳時は3走して全て着外。
なおこの年前年の二冠馬サニーブライアンはダービー勝利後の故障が癒えず引退、サイレンススズカは天皇賞(秋)での負傷・エリモダンディーは日経新春杯勝利後の故障休養中に病死と共に現役中に非業の死を遂げている。

5歳時は6戦。南井は引退して調教師を目指していた。京都記念・大阪杯で2着に入るが、映像を見て頂ければ分かるように、故障するのを恐れているような、以前とはまったく違う走り方になっていた。
宝塚記念では5着もグラスワンダースペシャルウィークにちぎられ、ステイゴールドにも突き放されていた。

6歳は復帰が長引き金鯱賞に。しかしブービー負け。殿負け・有馬記念勝ち馬シルクジャスティスとの不甲斐ない同期惨敗を見せていた。そして宝塚記念8着後右前浅で引退、通算22戦6勝である。

引退後

アブクマポーロが種牡馬として失敗・引退したためクリスタルゲッターズ後継として期待されたが、地味目の血統ゆえか細川氏個人所有の種牡馬として登録された。
代表産駒はOP中山新春ジャンプSを制し中山GJ2着のリワードプレザンである。BMSとしても地方で72戦したモズキンボシが最高で、後継種牡馬は0とやや失敗に終わった。芝平地活躍馬は皆無に等しい。
2004年以降は種付け頭数が2頭以下になり、2008年以降は産駒0。2010年の種付けシーズン途中で種牡馬を引退した。
種牡馬引退後は山梨県北杜市の小須田牧場*12で過ごした。
5歳年上のマチカネタンホイザ(2014年12月他界)*13にちょっかいを掛けては𠮟られる愛らしい姿を見に訪れるファンは多く、フクキタルも人に対して驚くことなく大人しい性格だったため、引退馬の繋養事業に関するイベントに度々出向いており、2016年11月には甲府駅北口で触れ合い体験が行われていた。

2020年7月31日に26歳で死去。同牧場は「“馬名のフクキタルから、福をもらいに”と、常に多くのファンのみなさまに囲まれている馬でした。最後は放牧場の草地で眠るように亡くなりました。ご冥福をお祈りします」とコメントしている。

なお97年JRAGⅠ勝ち牡馬としては28歳タイキシャトルに次ぐ長寿である。

性格

母アテナトウショウはヒステリックで、仔馬を齧ったり蹴ったりして傷だらけにしてしまう危ない子育てだった。フクキタルはそんな母と安全にいられるよう、ぴったりと寄り添い、母の不機嫌を察すると早々に自分の部屋に避難するして上手に立ち回った。本巣牧場長は「今度の子(とね)っこは賢いな」と感心した。

現役中はやや激しい気性で特に2歳時は顕著だった。二分師は「馬は目を見るんや。そして元気が良くないといかん。血統は二の次や」と本馬の素質を信じて育てていった。
二分師は97年に年間では32勝を挙げて全国8位にランクイン、非主流血統で重賞6勝を挙げ優秀調教師賞、優秀厩舎スタッフ賞(関西)を受賞した。厩舎に福が来たのだった。

引退後に繋養されていた小須田牧場では、去勢の影響もあってか、見学者に頭を触らせたり、差し出されたニンジンを食べたりと穏やかだった。牧場は「ファンサービスに精を出す、賢く優しい馬だった」とコメントしている。
また本馬を囲う柵があまりにも低いことでも知られた。絶対に逃げないという人馬の信頼関係の証拠である。

評価

安静時の心拍数が一般的な競走馬より少なかったため、優秀な心肺機能を期待されていた*14。3000m戦を勝ち抜いた理由の1つであろう。GⅠ7勝キタサンブラックも同じだったという。

また、森秀行調教師*15は『20世紀スポーツ最強伝説 競馬 黄金の蹄跡』において本馬を「奇をてらうわけではなく、夏から菊花賞までの勝ちっぷりは圧倒的」と評し、20世紀の最強馬に挙げている。

調教師としてGⅠ制覇も果たした南井は本馬の死に際して「一番印象に残っているのは、サイレンススズカを差し切った神戸新聞杯。後方から進めていて、直線ではすごく差があったけど、楽に届きましたからね。そこから京都新聞杯も勝ち、菊花賞を制覇。私にとって思い出の一頭です。ご冥福をお祈りいたします」とコメントしている。

相棒?

公募により決定したマチカネフクキタルだが、由来を「笑う門には福来る」なので、細川氏はセットでもう1頭の同期をマチカネワラウカドとして登録していた。
日本で人気を集めたスキャン*16産駒であるワラウカドだが、デビュー当時はフクキタルが快進撃を見せる中条件戦をさまよっていた。ファンの中にはコンビで戦えば?と思うファンもいたが菊花賞優勝でそんな考えは立ち消えたとか。
だが98年後半からダート中長距離で本格化。OP霜月Sで殿か凄まじい豪脚で勝利を挙げると、東海TVウインターSと東海菊花賞の2つのGⅡ、白山大賞典も優勝しダート界で力を誇った。

2頭とも長い距離で豪脚を振るうタイプで、また「菊花賞」馬同士でもあった。トラブルにより脚部不安で衰退していった点も類似するが、血統的にはナスルーラ系というほか赤の他人である。
そしてワラウカドは滋賀県の甲賀ファームで乗馬として活躍後、松本乗馬協会に移り功労馬として過ごし、フクキタルに先立ち2013年10月12日に19歳でこの世を去った。

もう一つの「フクキタル」

マチカネフクキタル晩年の2017年、オーナーだった細川氏が一時期開いていた牧場「待兼牧場」の元関係者で、現在は牧場「パカパカファーム」代表のハリー・スウィーニィ氏によって、愛馬会法人「株式会社ワラウカド」と一口馬主クラブ「フクキタル」が誕生。
馬のフクキタルの他界から2年後の2022年にゼノヴァース(父ディープインパクト)がJ-G2東京ハイジャンプで勝ち、「フクキタル」に初重賞勝利をもたらしている。

創作作品での登場

占いに一喜一憂し、運を重視するウマ娘。
アニメではトレセン学園内に勝手に占い小屋を開いている占い師キャラとして登場。
実は結構な背景や過去を背負っているのだがギャグっぽいテンションもあって普段はそれを感じさせない。
セーラー服調の衣装に招き猫を背負うというどう見てもハンデ戦にしか見えない勝負服が印象に残るが、実はこれは招き猫型バッグらしい。

ゲーム内でも姉が亡くなっていると本人より明言されている。普段の行動とは裏腹に走りで姉を超えることを走ることの目標にしている。当人のSSRサポートカードのイベントは是非一度目を通していただきたい。
アドマイヤベガとも違った姉妹の愛は必見間違いなし

追記・修正は福が来た!方にお願いします。

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最終更新:2024年10月11日 20:33

*1 GⅡ大阪杯勝ち馬ショウナンマイティなども担当。

*2 日本馬ではエルコンドルパサー2着、エイシンヒカリ優勝の経験がある。

*3 初年度産駒には週刊競馬ブックの裏表紙を長い間飾ったドミナスクリスタルや関西テレビのドリーム競馬で馬名を募集されたテンシンランマンなどがいる。

*4 世界16か国に拠点を持つ粉体機器メーカー・プラスチック薄膜関連事業の最大手企業。

*5 カツラギエース産駒、未勝利引退。

*6 日本で種牡馬供用されたマークオブディスティンクションは「Markofdistinction」などというように工夫されるケースはいくつかある。

*7 後にツルマルツヨシなどを管理。

*8 馬が集中してレースができていないこと。

*9 武豊にとっては初めての福島競馬場参戦だった。

*10 1967~1999年まで菊花賞トライアルに指定されていた。

*11 当時はトライアルを2つ使うことは何の不思議にもされなかった。菊花賞が11月上旬開催なため約2ヶ月期間が空くから鈍らせないようにしたのだ。

*12 株式会社ホースブリッジ。

*13 ノーザンテースト後継種牡馬としてこちらも失敗。

*14 通常の競走馬の心拍数が毎分30拍以上、フクキタルの心拍数は毎分28~30拍だった。

*15 G1で11勝を上げた栗東の調教師。主な管理馬はフェブラリーSを勝ったノボトゥルーや二冠馬エアシャカール、海外の短距離G1で2勝を上げたアグネスワールドなど。

*16 史上初の同一年小倉三冠馬メイショウカイドウなどを輩出。