メジロブライト(競走馬)

登録日:2023/12/22 Fri 02:51:41
更新日:2025/03/23 Sun 13:24:31
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メジロブライト(Mejiro Bright)とは日本の元競走馬

メディアミックス作品『ウマ娘 プリティーダービー』にも登場しているが、そちらでの扱いは当該項目参照。
メジロブライト(ウマ娘 プリティーダービー)

目次

【データ】

生誕:1994年4月19日
死亡:2004年5月16日
享年:10歳
父:メジロライアン
母:レールデユタン
母父:マルゼンスキー
調教師:浅見国一→浅見秀一 (栗東)
主戦騎手:河内洋
馬主:メジロ牧場
生産者:メジロ牧場
産地:伊達市
セリ取引価格:-
獲得賞金:8億3,258万円 (中央)
通算成績:25戦8勝 [8-8-3-6]
主な勝鞍:98'天皇賞(春)(GⅠ)

【誕生】

1994年4月19日生まれの鹿毛の牡馬。父はメジロライアン、母はレールデユタン。
名前の由来はメジロ牧場の冠名「メジロ」+特急「かがやき」。
半弟にアグネスタキオンマンハッタンカフェと同期同父でメジロ牧場最後のGⅠ馬となったメジロベイリーがいる。

父のメジロライアンは1991年の宝塚記念の勝ち馬で、同期のメジロマックイーンメジロパーマーと共にメジロ牧場の誇る名馬であった。
しかし彼らの引退後、メジロ牧場は不調が続いており、メジロブライトも生まれたときは貧相な肉体から期待されていなかった。

【戦歴】

1996年8月31日に函館競馬場の3歳新馬戦芝1800mでデビュー。最低人気だったが、それを覆して見事に勝利。
デビュー戦で初勝利を飾るものの、そのときのタイムは2分1秒6、2000mのタイム相当を1800mで記録するという超スローペース。
さらに前半1000mの通過タイムは1分12秒*1とあまりにも遅いペースであったことから、「あれだけは要らん。千八を2分で走るような馬なんて」と厩舎入りを拒まれたエピソードもある。

しかしそんな不安をかき消すように二戦目のすずらん賞(OP)と三戦目のデイリー杯3歳S(G2)を2着と掲示板入り。
そして四戦目となるラジオたんぱ杯3歳ステークス*2にて早くも初の重賞制覇を達成。
初年度を4戦2勝、2着2回と好成績で終えた。

翌年も初戦となる共同通信杯4歳ステークスを勝利。このときもタイムは1分47秒5。三冠馬ナリタブライアンに並び立つレコードタイだった。ちなみに、同じ距離だった新馬戦の勝ちタイムより21秒も速い計算である。
重賞連続勝利を果たし、1997年クラシック戦線の有力候補として、父メジロライアンが為し得なかったクラシック戴冠を期待され、皐月賞、日本ダービー、菊花賞などのGⅠ戦線に挑む。
しかし、クラシック三冠レースでは、メジロライアンと同じく、サニーブライアンマチカネフクキタルといったライバルたちに阻まれ、惜しくも勝利は掴めず惜敗が続いた。手綱を取った松永幹夫が腰痛の持病に苦しみ、追い込みが得意でなかったのも要因だといわれることもある。
だが、「負け続けてなお人を惹きつけるという不思議な魅力を、これまた息子が引き継いでいる」とも評されてもいる。

次走はステイヤーズステークス。
このレースは重賞最長距離の3600mを走り切るスタミナと、中山競馬場の急坂を2回登るパワーが要求される。
それに加えてこの年のレースは雨で重馬場。ただでさえ高かったパワーとスタミナの要求値は更に跳ね上がっていた。
しかし、騎手が河内洋に乗り替わり挑んだこのレースで、メジロブライトはその高い潜在能力を示すことになる。なんと2着のアドマイヤラピスに1.8秒差をつけて大差勝ちを決めたのだ。
そこから流れが良くなったのか、怒涛の重賞4連勝を達成。阪神大賞典では昨年の有馬記念馬シルクジャスティスとのマッチレースを繰り広げた。
その4戦目は天皇賞(春)であり、ここでようやく初のGⅠ勝利の快挙も成し遂げたものの、これがメジロ牧場が得た最後の天皇賞の盾となった。ステイゴールドがちゃっかり2着に入ってきた


ブライト先頭!ブライト先頭!さあ先頭はメジロブライトだ!
メジロ牧場に春!メジロブライトだ!羊蹄山の麓に春!!
メジロブライト!ライアン…父が成し得なかった天皇盾を見事に獲得しました!!

(杉本清アナウンサー)

この勝利がJRA賞最優秀父内国産馬につながった。

その後はクラシック三冠時代と同じく、スペシャルウィークグラスワンダーら98年クラシック世代の台頭に苦しめられることになり、京都大賞典や有馬記念、天皇賞においてあと一歩届かない惜敗を重ねていくことになる。天皇賞後重ねた2着は5回に及んだ。

宝塚記念では闘志が溢れすぎたか、ゲートで立ち上がるハプニングを起こし外枠発走。レースでは後退するホウエイコスモスを正面に受けてあわや落馬の危機で、13頭中11着に終わる。秋の天皇賞では故障するサイレンススズカを避けるのに精一杯な騎乗に翻弄される、という不運さも見せた。

最後に勝利を果たしたのは1999年1月の日経新春杯。
そのしばらく後の2000年10月の京都大賞典において、更なる新世代である世紀末覇王ことテイエムオペラオーに敗れ8着。
このレースを最後に当時悩まされていた屈腱炎を再発し、引退することとなった。
生涯戦績は25戦8勝(8-8-3-6)で、デビュー戦を除く7勝全てが重賞だった*3

【引退後】

引退後は種牡馬入りしたものの、父と同じく受胎率の悪さから苦戦し、一時持ち直したかに見えた矢先の2004年に心臓発作で急死。
死後に産駒からマキハタサイボーグが重賞馬になるも、彼は去勢されていたため後継にはなれず、メジロライアンのサイアーラインは断絶してしまった。

【創作作品での登場】

おっとりとしてマイペースな性格のウマ娘。母父がマルゼンスキーであるためか容姿に彼女の面影がある。
アプリリリース以降初の新規追加ウマ娘で、メジロドーベルの育成キャラ実装告知と共にシルエットが掲載され、2021年11月19日に実装されたドーベルのシナリオ及びイベント類に登場。
同日にキャラクターイラスト及びCVも解禁となった。

余談だが情報が殆ど公開されていなかったシルエット時期でも枠の色*4と誕生日からほぼメジロブライト説が有力となっていた。
その反省(?)か、1thアニバーサリー以降に公開された不明ウマ娘は誕生日も伏せられるようになっている。

また2022年3月には育成ウマ娘としても実装。公表されてから4ヵ月という超スピードでの実装となった。

【余談】

普段のブライトは「(ベコ)」と称されるほど大人しい性格だったが、ふとした拍子でキレたりすると他の馬の尻に噛み付くほど激しい気性を見せたという。
1998年の宝塚記念では、この気性の影響かゲート入りの最中に立ち上がって、大外枠からの発走になる事件もあった。
引退後、同じ放牧地にいたタマモクロスのパドックの近くを通った際、走り寄って威嚇したタマモクロスにブライトが応戦しようとして、担当に怒られたとか。


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最終更新:2025年03月23日 13:24

*1 一般的に、2000m前後の良馬場でのレースでは、1分、つまり60秒前後が1000m通過の平均タイムであると考えられており、61~62秒でもスローペースの範囲内で、62秒より遅いというのはかなり珍しい。それを踏まえると、1分12秒(72秒)がいかに遅いタイムかがよくわかるだろう。

*2 現・ホープフルステークス

*3 というよりデビュー戦と続くOPのすずらん賞を除き、全て重賞に出走している。

*4 キャラクター紹介の枠は勝負服のカラーリングがモチーフ。