登録日:2022/07/10 Sun 07:13:19
更新日:2024/12/23 Mon 23:38:37
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JRA所属の競走馬として初めて名前に「ヲ」が用いられた馬であり、非業の最期、それに連なるドラマで有名な馬である。
血統
父は言わずとしれた大種牡馬
サンデーサイレンス。母父はカリフォルニアンS等GⅠ3勝を遂げたジャッジアンジェルーチ。母カーリーエンジェルはダイナカールを母に持っているため、本馬は
エアグルーヴの姪、アドマイヤグルーヴやルーラーシップの従姉妹に当たる。名前こそ変わっているが実はかなりの良血なのである。
デビュー~4歳時まで
馬主は珍名馬で有名な小田切有一氏、音無秀孝厩舎の所属となったエガオヲミセテはその良血っぷりからか1番人気に支持されるが18頭中15着と惨敗。しかし3週間後の新馬戦で勝利すると年明けの忘れな草賞に出走。
ここは後に何度か戦い合うことになる
エリモエクセルの9着に敗れてしまうものの、次走のスイートピーステークスを勝利し、優駿牝馬(オークス)への優先出走権を獲得。
しかし本番の優駿牝馬では、外傷のため調整不足の上に馬体重は大幅増(+18kg)。2400mという距離の壁に加え、ロンドンブリッジの前半1000m62秒8という超スローペースの逃げ。あまりにも不利な状況であり、最後の直線で大失速。エリモエクセルから離された15着と惨敗した。
次走のマーメイドステークスでは4歳馬として唯一の出走。初の古馬戦線ながらも1着のランフォザドリームから0.2秒差の3着と健闘し、秋華賞に向けて気合十分!…と思っていたら調整がうまくいかなかったためぶっつけ本番で秋華賞に挑むことに。
そんな状態ながらもスタートから果敢に前につけ、ファレノプシスの4着と健闘。しかし続くエリザベス女王杯では8着と惨敗。
そして年の暮れ、阪神牝馬特別に6番人気で出走。エリモエクセルの他、前年の桜花賞馬であるキョウエイマーチ相手に直線で抜け出し2馬身差で勝利。嬉しい重賞初勝利となった。
5歳時
明けて1999年、休養は挟まず京都牝馬特別に出走。ここでは8着に終わるものの続くマイラーズカップではGⅠ馬4頭(アインブライド、キョウエイマーチ、ファレノプシス、
マチカネフクキタル)を相手に直線で抜け出し重賞2勝目を達成。
しかしその後はやや精彩を欠き京王杯スプリングカップ8着、安田記念6着と2連敗。前年と同じくマーメイドステークスに出走すると中一週という過密ローテながらもエリモエクセルの3着と善戦。
秋初戦の朝日チャレンジカップでは
ツルマルツヨシの5着。府中牝馬ステークスでは1番人気に推されるもまたしてもエリモエクセルに惜しくも敗れ2着。その後のエリザベス女王杯では距離適性の不安を振り払い
メジロドーベルの3着と健闘。
しかしその後はいいところがなく一番人気に推された阪神牝馬特別で9着。年明けの東京新聞杯では14着と惨敗続き。
この後、復活を期して放牧に出されるのだが、その放牧先で悲劇が起こってしまう…
「涙は見せないで」
エガオヲミセテは宮城県にある社台グループ傘下のトレーニングセンターである山元トレーニングセンターへ放牧に出される。
ここで調子を取り戻し、再び重賞戦線で活躍してほしいと多くの関係者が願っただろう。しかし東京新聞杯から約一週間後の2月11日未明…。
発見された時にはすでに手遅れで助けられたのは30頭いた馬のうちたった8頭だけ。そしてその犠牲となった馬の中にはエガオヲミセテの名前もあった。
こうして、エガオヲミセテは志半ばで天へと旅立ってしまった。その血統から、母親としての期待も高かっただけに、あまりにも早すぎる死であった。
通算成績 19戦4勝[4-1-3-11]
「笑顔を見せて」
エガオヲミセテの夭逝から2日後の2月13日、エガオヲミセテと同じく音無厩舎所属であり、彼女と仲の良かった
ユーセイトップランが東京競馬場で行われるGⅢ、ダイヤモンドステークスに出走。しかし長らく惨敗続きであったこともあり7番人気とほぼ期待されていなかった。
が、後藤浩輝騎手と初コンビを組んだこの競争ではいつものような追い込みではなく、3コーナー手前からロングスパート。4コーナーで先頭に立つとそのまま押し切りゴール。
1年3ヶ月ぶりの勝利であり、この勝利について音無氏は「天国のエガオヲミセテが後押ししてくれたんだと思う」と答えた。
小田切氏は火災の後も
ゲンキヲダシテ等の馬を音無厩舎に預託しており、2006年にはエガオヲミセテの全弟
オレハマッテルゼがGⅠの高松宮記念で優勝。
自身の届かなかった栄冠を掴んだ弟の姿に、きっとエガオヲミセテは天国で満面の笑顔を見せたことだろう。
追記・修正は笑顔でよろしくお願いします。
最終更新:2024年12月23日 23:38