登録日:2023/10/19 Sat 13:03:22
更新日:2025/03/05 Wed 18:05:32
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ユーセイトップランとは日本の元
競走馬。長距離での末脚勝負を得意としたステイヤーであり、競馬史に残るドラマチックな勝利を挙げたことで知られる。
目次
【データ】
生年:1993年4月25日
死没:2015年9月16日(22歳)
父親:ミルジョージ
母親:タニイチパワー
母父:ネヴァービート
調教師:音無秀孝 (栗東)
馬主:アサヒクラブ
生産者:三枝牧場
産地:北海道浦河町
獲得賞金:2億7667万6000円
通算成績:43戦8勝 [8-1-2-32]
主な勝鞍:'98アルゼンチン共和国杯(
GⅡ)、'98・00ダイヤモンドS (
GⅢ)
【概要】
父
ミルジョージはアメリカで4戦2勝。イギリスダービー・キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスS・
凱旋門賞の欧州3大タイトルを優勝した
ミルリーフとアイルランドダービー・キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスS・イギリスセントレジャー等を優勝した
ラグーサという配合である良血が見込まれて中村畜産に輸入された種牡馬である。
初年度産駒のロッキータイガーが帝王賞など南関東重賞6勝・ジャパンCで三冠馬
シンボリルドルフの2着という成績を出すと地方を中心に人気を集める。
ロジータは牝馬ながら南関東三冠馬となり、他に東京ダービー馬3頭を輩出する。
中央でも産駒は活躍しエイシンサニーがオークスを、オサイチジョージが宝塚記念を、リンデンリリーがエリザベス女王杯を優勝した。
とりわけ代表産駒は南関東で東京大賞典を制した後中央に移籍し、天皇賞(春)・春秋グランプリ制覇を成し遂げJRA年度代表馬となった
イナリワンである。
産駒の特徴として
スタミナ自慢が多く、
晩成傾向にある。また
ナスルーラの3×4配合が大きく影響して
気性難が目立つ。
柴田政人は「産駒には天才と狂気が同居した様な馬が多い」とコメントしている。
母
タニイチパワーは5戦1勝。孫にGⅠ2勝、1998・2000年のJRA賞最優秀ダートホースウイングアローがいる。
母父
ネヴァービートは中山大障害4勝グランドマーチスなど数多くの活躍馬を輩出した1970年代のリーディングサイアー。BMSとして三冠牝馬
メジロラモーヌや「華麗なる一族の祖」イットーを輩出し牝系に影響を与えている。
曾祖母マーシュメドウはキーストンのいとこであるが、流石に遠すぎるか。
ユーセイトップランは父ミルジョージの影響をよく受けて豊富なスタミナ、よく目立つブリンカー装着の気性、超晩成型という特徴がある。
また母父ネヴァービート・母系のヒンドスタンの影響、グレイソヴリンの4×4から更にステイヤー傾向が増し、超長距離馬となったのだ。
【競走馬時代】
誕生
1993年4月25日、三枝牧場でタニイチパワーの8番仔として生まれる。
きょうだいの活躍に目立ったものはなく、同じミルジョージ産駒のきょうだいは1勝・未勝利で終わっている。
三枝牧場は83年平安S勝ちホースメンワイルド、88年GⅢフェブラリーH勝ちローマンプリンスを輩出するものの大物は出ず、2018年を最後に競走馬の生産はストップしている。
「ユーセイ」の冠名を用いるアサヒクラブに所有された。他の活躍馬に92年GⅢサンスポ阪神牝馬特別を最低人気で優勝したユーセイフェアリー、01年JGⅢ京都ジャンプS勝ちユーセイシュタインがいる。
デビュー
1995年に厩舎を開業したばかりの音無秀孝調教師に預けられる。仕上がりが遅く、1996年2月3日の3歳新馬戦がデビュー戦となった。
ベテラン・河内洋を迎えたが、厩舎が未勝利・きょうだいが活躍していないことから49.5倍のブービー人気となる。評価を覆したいのだが…1着馬から6秒遅れ殿負けである。タイムオーバー判定となり1か月間の出走停止という最悪のスタートとなった。
なおこの新馬戦は快勝したオキノテムジンが中央2勝で終わり誰も出世しないレベルであった。
余談だが、ユーセイトップランの1つ上、ブービー負けのナリタアトラスは前述のユーセイフェアリーの半弟ということで種牡馬入りし、後に千葉県で乗馬となっている。
調整に時間がかかったのだろうか、復帰戦は9月にまで伸びてしまう。ダートで3戦したが全て1秒差以上の敗戦であった。この間に音無調教師は引き継いだ転厩馬のイナズマタカオーで7月23日の北九州記念を勝利し、初勝利を重賞初制覇で遂げる天才性を見せている。
3歳未勝利戦は11月まで、なんとか活路を開きたいと思っていた10月13日、フリーになったばかりの佐藤哲三を迎えた芝1800m未勝利戦で自慢の末脚を発揮し初勝利を飾った。
12月15日には土肥幸広を迎え2勝目を挙げ、3歳シーズンを終えた。なお前走の尾頭橋特別では後の北九州記念勝ち馬トウショウオリオンと対戦している。
なお1996年クラシック戦線はダンスインザダークら
サンデーサイレンス四天王や女傑
エアグルーヴが活躍していた。スピード重視の日本競馬となっていく90年代後半において真反対のスタミナ血統馬はOP昇格に向けて悪戦苦闘することになる。
OP昇格
4歳3月2日、久保田英敬の騎乗で熱田特別を制し準OP昇格を果たした。しかしGⅢ常連となるニシノダイオーや小倉3歳S勝ち馬で降格したエイシンサンサンとやや格上にぶつかったこともあり勝てず、降格してしまう。
11月23日、久保田英敬3度目の騎乗で4勝目を挙げ再度昇格に成功した。ここまで中京競馬場で3勝しており左回りが得意なサウスポーとしての特徴が見えて来た。
名ステイヤーへの道
5歳となり、時は同期の菊花賞馬ダンスインザダークの初年度産駒で後の安田記念勝ち馬ツルマルボーイが誕生した1998年になっていた。
寿S4着後、河内洋を迎えOP
万葉Sに挑戦した。血統的に得意な3000m戦であるが30.1倍の9番人気にとどまる。OP2勝のステイヤー牝馬アドマイヤラピスが1番人気だったが、1頭だけ抜きんでた末脚を発揮し2番人気
ステイゴールドをハナ差で制しOP初勝利を飾った。
この万葉SはダイヤモンドS連覇ユウセンショウやステイヤーズS勝ちサージュウェルズ、後の初代中山グランドジャンプ勝ち馬メジロファラオら実績ステイヤーが揃っており、内容のあるレースだった。
続けて重賞初挑戦となる芝3200mGⅢダイヤモンドSに出走した。前年の菊花賞4着トキオエクセレントや天皇賞(春)入着2回ハギノリアルキング、6年前の朝日杯3歳S勝ち馬エルウェーウィンが揃った。ここでも大外から上り最速の末脚で再度ステイゴールドを楽な手ごたえで破り重賞初制覇。音無調教師も手塩に育てた馬でしっかり重賞制覇ができた。
周知のことかと思うが、2度に渡って2着に敗れたステイゴールドはシルバーコレクター・ブロンズコレクターとしての道を進んでいくことになる。
長距離で対戦することが多く、結果としてユーセイトップランとステイゴールドは重賞で12戦を共にすることとなる。
続く
GⅡ阪神大賞典では実績が評価され3番人気となる。河内洋はステイヤーズS大差勝ち
メジロブライトを選び、ブライトの前主戦・松永幹夫を迎えた。
メジロブライトと有馬記念勝ち馬シルクジャスティスのマッチレースに加われず3と半馬身差3着だったが、重賞路線で通用することは確かに分かった。
GⅠ初挑戦の天皇賞(春)では4番人気となる。上り3位の末脚を発揮したがGⅠの壁は大きく、メジロブライト、そして10番人気ステイゴールドから離された8着に終わる。
目黒記念は河内洋を迎え5番人気。府中の重馬場で軽ハンデの同期ゴーイングスズカに敗れ、1kgハンデの重いステイゴールドから1 1/4馬身差4着であった。
実力を競馬ファンに認められ宝塚記念に出走する。若手・幸英明の騎乗もあり234.7倍ブービー人気である。
サイレンススズカの逃げペースに適応できず、2秒差ブービー負けに終わった。
大金星のアルゼンチン共和国杯
11月の
GⅡアルゼンチン共和国杯で復帰となる。前走の内容から46.1倍12番人気と低い評価だった。阪神大賞典がピークだったと競馬新聞で言われていた。
というよりも、このレースの注目は
グラスワンダーであった。無敗で
GⅠ朝日杯3歳Sを制したが骨折、
毎日王冠ではサイレンススズカ・
エルコンドルパサーとの最強馬対決で5着に終わり、このレースを勝ってジャパンCでの復活が期待されていた。なおサイレンススズカは6日前の天皇賞(秋)で予後不良となり、東京競馬場は明るい話題を求めていた。
その他には前年の菊花賞など重賞で2着3回、気性難で出世が遅れているダイワオーシュウ、
武豊が期待を寄せている翌年の優勝馬マーベラスタイマー、他ステイヤーが顔を揃えるもピークを過ぎている状態だった。
サージュウェルズが先手を取るとグラスワンダーら人気馬は前目の競馬に。一方のユーセイトップランはトキオエクセレントと後方をゆっくりと追走していく。
残り400mの標識を通過したところでグラスワンダーが上がり場内から歓声が上がる。
が、それも束の間のことだ。
大外から上がってきたユーセイトップランと同期で52kg軽ハンデのエーピーランドの叩き合いに。1頭だけ上り33秒台のユーセイトップランがハナ差優勝となった。
鞍上はユーセイトップランに初勝利をもたらしていた佐藤哲三だった。12-10番人気の決着で馬連は4万円台だった。
グラスワンダーは6着に敗れ、ジャパンC回避を余儀なくされた。
大金星を挙げたユーセイトップランはジャパンCに出走する。15頭立て50.2倍の12番人気だったが、河内洋の騎乗もあって上り最速で坂を駆け上り6着(日本馬としてはエルコンドルパサー・エアグルーヴ・
スペシャルウィークにつぐ4着)、海外馬4頭とステイゴールドを退けまずまずの内容だった。
有馬記念にも出走、佐藤哲三を迎え63.2倍の13番人気、短い直線で上り2位の末脚を見せるもグラスワンダーの復活劇に12着で終わった。
この年はGⅠで入着こそできなかったが、タイムオーバー馬が重賞2勝とブレイクし、音無厩舎の看板ホースの1頭へと成長していったのだ。
低迷期
しかし、そのブレイクも一瞬にして終わった。
6歳となり5番人気で迎えたダイヤモンドSは57.5kgトップハンデとはいえ、まさかの殿負けである。上り2位とはいえまったく酷い初戦である。
この後4戦したがすべて1.5秒差の二桁順位、目黒記念で上り3位だったのがマシなくらいであり、前年と比べ明らかにエンジンの掛りが遅かった。
7歳初戦の日経新春杯も、マーベラスタイマーのブービー負けに終わった。
惨敗続きのためハンデが楽になったダイヤモンドSに向けて調整し、2日前となった2000年2月11日未明、競馬界に衝撃の事件が起こった。
山元トレーニングセンター火災
宮城県山元町にある「社台レースホース山元トレーニングセンター」で、厩舎5棟のうち1棟が全焼する事件が起こった。
原因は漏電といわれる。飼料庫の出火は750平方メートルと拡大し、消防隊の手に負えなかった。
「蹴ったくらいでは絶対に壊れない。考えられない」と言われた扉を蹴破った5歳牝馬ハナランマンら8頭の救出に成功したが、残る
22頭が猛火に飲み込まれ、若い命を散らした。
ダービー馬
アドマイヤベガや重賞馬のイーグルカフェ・ローゼンカバリー・ロサード・ミッドナイトベット・アドマイヤボス・フサイチエアデールらは別厩舎にいたため大事に至らなかった。しかし
被害総額は20億円以上に及んだ。
なによりも注目されたのが重賞2勝・音無厩舎の
エガオヲミセテの死去だった。
阪神牝馬特別・マイラーズCと
GⅡ2勝のほかエリザベス女王杯では二冠女王
メジロドーベルの3着と現役牝馬屈指の実力馬であった。
JRA初、名前に「ヲ」の文字が使用されたインパクトと美しい栗毛のルックスからファンの多い1頭だった。
サンデーサイレンスとダイナカール系の血統は繁殖牝馬としても期待され「
3000万円はくだらないだろう」と言われていた。
東京新聞杯14着からの巻き返しを狙い放牧させた中での悲劇だった。
音無師にとって看板娘であり、自身の競馬人生において欠かせない1頭だった。小田切有一オーナーには騎手時代に初勝利・オークス優勝をもたらしてくれた大恩人である。二人にとって大事なエガオヲミセテの喪失は大きく、音無師は「今はショックとしか言いようがない。初めて放牧に出したのに残念だ。今は向こうも混乱しているし土日の競馬もあるので、一息ついてから現地に行って見る」と茫然自失だった。
血統面では全く釣り合わないユーセイトップランとエガオヲミセテであるが、ふたりとも勝気な気性であるが故に惹かれあったのか、厩舎では大変仲が良かったという。
馬なり1ハロン劇場ではエガオヲミセテが落ち込むユーセイトップランに「
Smile、Smile」と明るい笑顔で励ます描写がされている。
馬同士の絆というものはかなり影響をもたらすようで、ユーセイトップランと何度も対戦経験のあるシルクジャスティスは同厩・同期のエリモダンディーとだけ真面目に調教に取り組み、有馬記念優勝を果たしたが、エリモダンディーが病死してからはサボり癖が悪化し、ブクブク太り、まともに走ることができないまま未勝利で終わっている。
第50回ダイヤモンドS
厩舎のムードが真っ黒になる中ユーセイトップランは予定通りダイヤモンドSに出走した。第50回、節目のレースは陣営にとってエガオヲミセテへの「弔い合戦」であった。
今回の鞍上は佐藤哲三でもなく河内洋でもなく初コンビだった。これがファンにとって衝撃的な人物だった。
後藤浩輝である。
競馬界に知人はおらず、調教師とも不仲であった後藤は己の技術で成し上がる。デビュー3年目、代打騎乗で福島記念を制し重賞初勝利となる。アメリカに半年間の武者修行に出かけ、関東リーディング上位に名を連ねるほど成長していたのだが…1999年8月19日、美浦騎手寮で後輩の吉田豊に対して木刀を使うなど暴行を働き負傷させ、12月19日までの4か月騎乗停止となった。12月25日に復帰するも、26日有馬記念の日に進路妨害のため3週間の騎乗停止処分を受けるなど散々な状況だった。
低迷していたとはいえ重賞2勝のユーセイトップランにあの後藤を乗せるのか?音無師と特段縁もなかったこともあり、ファンはやや困惑した。55kgハンデとずば抜けた成績から16.6倍7番人気だった。
1番人気はエガオヲミセテと同じサンデーサイレンス産駒のタヤスメドウ。昨年3着、2連勝中と復調で騎乗センスを高く評価された
M.デムーロを迎えている。
2番人気は前年菊花賞5着・鞍上吉田豊のステイヤー名門メジロロンザン。
3番人気はダイヤモンドS7勝の岡部幸雄を迎えた重賞2勝、スエヒロコマンダー。
どう見ても勢いのある馬ばかりだった。
ポートブライアンズが前半1000m1分4秒台のスローペースの逃げを打った。スエヒロコマンダー・タヤスメドウは折り合いをつけ淡々と追走、ユーセイトップランは案の定後方であり、何頭か抜かして終わりだな、という感じだった。
ところが
2周目の3コーナーにかかる前にユーセイトップランが動いていったのだ。まだまだ1000m以上あるのに、東京競馬場の長距離戦ではタブーとされている3コーナーまくりを敢行していった。
後藤が強くグイグイ押しているのではない、いつもは後方から最後の直線で末脚を伸ばすユーセイトップランが自ら動いているようだった。
場内から驚きの声と怒声が混じり合い、他の騎手は動揺してグイグイ馬を押していった。
無尽蔵のスタミナ自慢は脚が衰えることなく4コーナーを先頭で曲がっていく。
最後の直線に向くと逃げる形で後方を突き放す。スエヒロコマンダー・タヤスメドウの外から76.6倍の11番人気ハンデ51kgのジョーヤマトが突っ込んでくる。
後方馬が上り37秒台の中36秒後半で逃げられてはどうしようもない、2と半馬身差でダイヤモンドS2勝目を飾った。
「13番のユーセイトップラン!最後方から一昨年以来の2勝目を飾っています!」
後藤浩輝はどんなもんだいと言わんばかりにガッツポーズ。
2004年に3200→3400mになったこともあるが、ユーセイトップランは
マチカネタンホイザにつぐ歴代2位タイムの
3:17.5で押し切ったのだった。
後藤浩輝はインタビューで「やっちゃいました」と笑いながら言った。音無師は後藤の騎乗を指摘したものの、「天国のエガヲが後押ししてくれたんだと思う」と少し笑顔を見せたのだった。その日の音無厩舎はどれだけ勇気づけられたことだろうか。
この年、後藤は年間101勝と関東リーディング2位に浮上、重賞3勝、ワールドスーパージョッキーズシリーズへの参戦、そしてマイルチャンピオンシップ南部杯においてゴールドティアラでGⅠ初制覇を果たすまでに成長していった。
そして、同じ日の京都競馬場において何かを感じさせられるレースが起こっていた。
3歳GⅢきさらぎ賞をシルヴァコクピットが優勝し、安田隆行厩舎の重賞初勝利がなされた。シルヴァコクピットの半兄スターシャンデリアも山元トレーニングセンターの火災で亡くなっていた。GⅢユニコーンS3着馬で、長期休養中の火災だったのだ。
兄の弔い合戦を成し遂げたシルヴァコクピットは毎日杯も連勝し、いざGⅠNHKマイルC…と思われた矢先に骨折、以降地方転厩もしたが未勝利に終わり、乗馬として2007年11月に亡くなるまで福島県で余生を過ごしたと伝わる。
サンケイスポーツ新聞の大穴競馬記者・佐藤洋一郎は山元トレセン火災の被害馬に対し深い哀悼の意を紙面コラムへ掲載した後、ユーセイトップラン、シルヴァコクピットを単勝予想していたという。
激走の代償
天国への激走、と言うに相応しいレースをしたユーセイトップランにとってこのダイヤモンドSが最後の勝利となった。
3度目の天皇賞(春)を目指す調教中に右第3中足骨を骨折し、春は全休となってしまった。
その年の天皇賞(秋)で復帰、欧州の名手M.ロバーツの騎乗もあってステイゴールドにアタマ差先着の6着と奮闘する。実況の杉本清もこの激走には「ユーセイトップラン…むほほほっ。」と驚かされたようだ。
連闘のアルゼンチン共和国杯では1着から0.2秒差4着と復活の兆しはあったのだが、ステイヤーズS6着、
有馬記念11着と使いすぎたか、末脚が鳴りを潜める結果に。
なお有馬記念において中舘英二騎手は逃げを打つことも考えていたが「馬が自分の形を分かっていて、押しても進んでいかなかった」というユーセイトップランらしさにやられていたようだ。
8歳初戦の日経新春杯で河内洋の騎乗となるがステイゴールドの6着、11頭立て37.3倍の最低人気としてかなり頑張った方か。なお殿負けはシルヴァコクピットだった。
4度目のダイヤモンドSでは後藤が騎乗も7着、目黒記念は13頭立て11着だった。
引退
そして秋の京都大賞典に134.7倍のブービー人気で出走し5着だった。鞍上は河内洋である。
入着のためいいように聞こえるが、7頭立て、1位入線ステイゴールドは斜行のため失格、
ナリタトップロードは競走中止のため実質的に殿負けである。
斜行したステイゴールドの鞍上はあの後藤浩輝だった。テイエムの竹園オーナーに締め上げられたという。
1着
テイエムオペラオーから3.4秒差に終わったユーセイトップランは天皇賞(秋)、4度目の有馬記念出走を前に、2001年10月17日に登録抹消、現役引退となった。
通算成績43戦8勝、重賞3勝、獲得賞金2億円超えの中長距離バイプレイヤーは戦績以上に、ダイヤモンドSでの奇跡の激走が印象に残った名馬だった。
43戦[8-1-3-31]して左回り18戦[6-0-2-10]、右回り25戦[2-1-1-21]、とかなりのサウスポーであるが、内容としては短い直線では追い込めなかったタイプである。
勝つか負けるかハッキリする馬であったが、人気が着順を下回ったのは99年ダイヤモンドS13着のみ、と常に好走する頑張り屋でもあった。ミルジョージ産駒として第5位の獲得賞金馬でもある。アサヒクラブでは堂々の1位だ。
ミルジョージ系の孫世代が中央で活躍できなかったこと、牝系に魅力がないことから種牡馬入りすることなく、東京都世田谷区の馬事公苑に繋養され、乗馬となった。
東京競馬場のローズガーデン内ホースリンクで観客を迎えながら、2007年4月28日の「うまなで〜UMA to NADESHIKO〜」ジョッキー体験企画で登場し、タレントの安田美沙子を乗せ、後藤浩輝とTV共演を果たしていた。
2008年9月3日のプロ野球・千葉ロッテマリーンズvs埼玉西武ライオンズ戦では目黒記念10着時の鞍上・
柴田善臣を乗せて始球式に登場するなど幅広い活躍を見せた。
宮崎のJRA育成牧場に移動した後も若者相手に乗馬訓練を行い、人参を沢山頬張る元気さを見せていた。
2014年11月から功労馬繋養展示事業の助成を受け、熊本県の川俣静剛牧場にて余生を過ごし、2015年9月16日、22歳でこの世を去った。
笑顔を見せて
奇跡のレースを見せた後藤浩輝は2015年2月27日、ユーセイトップランに先立ち40歳という若さで亡くなっている。
2002年にダイヤモンドS2勝目を挙げ、GⅠ9勝を挙げる名手になっていたが、晩年は度重なる落馬事故による後遺症に苦しんでいた。
亡くなる6日前のダイヤモンドSで騎乗するリキサンステルスが落馬・予後不良となる悲劇が起こっていたのだった。
自殺とみられている。
音無秀孝調教師はユーセイトップランと共に中長距離を賑せたトシザブイで目黒記念を連覇して以降、2006年にエガオヲミセテの全弟
オレハマッテルゼで高松宮記念を制し
GⅠ初勝利を挙げると調教師リーディングの上位を賑わす存在となった。
オレハマッテルゼは2013年に、トシザブイは2015年3月20日に亡くなっている。色々とあったステイゴールドも同年2月5日に亡くなっていた。
音無厩舎に感動を齎した名優たちは天国でみんなで待ってたぜと出迎え、笑顔を見せていてくれているだろうか。
追記・修正は誰かの笑顔のために戦うことができる人にお願いします。
最終更新:2025年03月05日 18:05