登録日:2024/01/04 Thu 01:46:15
更新日:2025/10/10 Fri 02:54:23
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ケイエスミラクルは
日本の
競走馬。
目次
【データ】
誕生:1988年3月16日
死亡:1991年12月15日
享年:3歳
父:Stutz Blackhawk
母:レディベンドフエイジヤー
母父:Never Bend
調教師:高橋成忠 (栗東)
主戦騎手:佐伯清久→南井克巳
馬主:高田喜嘉
生産者:Tsukao Farm
産地:
アメリカ合衆国
セリ取引価格:-
獲得賞金:1億3,370万円 (中央)
通算成績:10戦5勝 [5-2-1-2]
主な勝鞍:91'スワンS(GⅡ)
【誕生】
1988年3月16日生まれの鹿毛の牡馬。米国産日本調教となる「◯外」で、父はスタッツブラックホーク。母はレディベンドフェイジャー。
父のスタッツブラックホークは
ミスタープロスペクター産駒だが、現役時代は40戦してようやく3勝しただけの馬であり、種牡馬としても重賞馬を1頭出しただけと、偉大な父とは違いド三流と言わざるを得ない馬だった。
そのうえ、言わずと知れた大種牡馬ミスタープロスペクターだが、日本でその血が定着するのは実はもっと後の話。
当時はまだダートの短距離専門だと思われていた節があり、彼が日本にやってきた90年頃に至っては
ミスプロ系の日本での実績は皆無だった。
さらに言えば
「外国産馬を輸入して走らせる」のも比較的珍しかった頃であり、来歴からして早すぎる馬である。
そんなわけで血統的にもパッとしない中、3歳(以下旧表記)の秋に来日し千葉の牧場に入厩。獣医師が最悪を想定しうるレベルの高熱を発症し命の危機に瀕するも、奇跡的な回復を遂げたと言われている。
そしてその後は栗東の調教師である高橋成忠氏に預けられることになり、来るデビューに向けてトレーニングに臨むことに。
ただ、これによってデビューが遅れてしまい、デビュー時には4歳を迎えていた。
【戦歴】
1991年4月20日に新潟競馬場の4歳未勝利戦芝1600mでデビュー。
デビュー戦ではパリスハーリーに敗れて惜しくも2着に終わるものの、続く2週間後の未勝利戦では、着差がつきにくいはずの短距離戦ながら2着のシンコウヤマトに8馬身もの大差をつけて圧勝。
その後は条件戦であるわらび賞での2着入賞を果たした後、2ヵ月半を休養に当てることになる。
続いて、騎手を南井克巳へ交代した上で挑んだ石狩特別でも4馬身差をつけての勝利、次戦の藻岩山特別でも2着に9馬身差の圧勝と、
条件戦ながらも他を圧倒する程のスピードの才を覗かせていた。
しかし、後に挑んだ初の重賞であるGⅢ、セントウルステークスでは今までの快勝が嘘のような13着という惨敗を喫してしまうことになる。
ところが、更に続いてのOPレース、オパールステークスではレコード勝ち達成と、前戦の惨敗が嘘のような活躍を披露。
1月も経たない内に次に挑んだのが初のGⅠ戦線であるマイルチャンピオンシップ。
ダイイチルビーと並んで当時の強豪スプリンターとしての人気を決定的にしながらの出走であったが、
同じライバルであったダイタクヘリオスの豪脚を捉えきることができず、ルビーと共に敗れて3着に終わった。
そしてやってきた運命の日、1991年12月のGⅠスプリンターズステークス。
当時は
サクラバクシンオーの快進撃の少し前であり、短距離路線の整備は現在ほど進んでいなかった。実際、スプリンターズSは1年前にようやくGⅠに昇格したばかりであり、高松宮記念の前身である高松宮杯に至っては芝2000mのGⅡという現在とは全く異なる条件で開催されていた。
つまり、この頃のスプリンターズSは中央競馬で開催される唯一の短距離GⅠレースだったのである。
若干戦歴が21世紀時点から見るとやや過密気味ではあったものの、使い詰め上等な当時としてはまだ配慮されてる方だったことや、スワンステークスでのレコード勝ちがあったこと、マイルチャンピオンシップなどの好走があったことも経て、ケイエスミラクルは既に当時の強豪スプリンターとしての評を更に盤石なものとしとしていた。
今回は得意距離である1200mであることに加え、騎手は先約のあったフェイムオブラスの騎乗が決まっていた南井克巳から、かの七冠の皇帝
シンボリルドルフの相棒たる名騎手、岡部幸雄に交代。
ダイタクヘリオスも有馬記念を選択し本レースを回避したため、最早ケイエスミラクルが勝利に最も近い馬であることを疑う者がいない程の万全の態勢であり、2.2倍の1番人気に推される程であった。
なお、ヘリオスはその有馬でダイユウサクにスワンS・マイルCSのリベンジを喰らい、翌年スプリンターズSと有馬を連闘するがそれは別の話
レース本番、前半3ハロンを32秒2というハイペースをものともせずにいつも通りの鮮烈なスピードを見せ、
中団に位置しながらやってくる第4コーナーカーブ、ここから追い上げて先頭集団に取りつこうとしたのだが…
おおっと!? ちょっとおかしくなったぞ13番ケイエスミラクル!!
ケイエスミラクルが突然の失速。
先頭を突き進むライバルのダイイチルビーの勝利を後ろで眺めながら、医師が下したのは左第一趾骨粉砕骨折という余りにも重く辛い現実。
最早競走馬としての生を謳歌するのは不可能である事は明白であり、再度の奇跡も起こる事なく予後不良の診断が下され、そのまま薬剤による
安楽死の処置が取られる。
奇跡の先でスプリント路線を駆け抜け続けた先、あまりにも突然すぎる最期に多くのファンが悲しみに暮れることとなった…
もしこのスプリンターズステークスで勝利していたならば、翌年に米GⅠ・ブリーダーズカップへの参戦も検討していたという。
そうなっていれば4年後のタイキブリザードに先んじて初のBC挑戦馬となり、また種牡馬入りしてその快速を受け継ぐ馬を出すことができれば日本のミスプロ系の隆盛も現実とは全く別物になっていたかもしれない。
生涯戦績は10戦5勝[5-2-1-2]、獲得賞金は1億3370万円。
デビュー前の苦難を乗り越え、その名の通り奇跡のデビューを果たした先、あまりにも短く儚い馬生を駆け抜けた1頭だったと言える。
スプリンターズSは本来出走せずに休養予定であったが馬主の意向で出走した使い詰めの結果、と当時のファンから言われる事もあったが、そもそもダイイチルビーがラスト3戦は全く同じ秋ローテを組んでいたうえに、所属厩舎が「長くレースに使い続ける」タイプの調教師だった為体調維持等には慣れていたはずである。
また、この馬が勝利できるこれまでG1勝利がなかった馬主が目の前にその大チャンスが転がってた時に飛びつかずにいられるかと言うことも考慮するべきであろう。なにせ、仮にスプリンターズSを回避していたなら、次に勝利を狙えそうなレースは早くても半年後の安田記念、最も得意な短距離のG1レースは1年後まで出走を待たなければならなかったのである。
【創作作品での登場】
2022年8月21日放送の「ぱかライブ Vol.20」でダイイチルビー共々初登場。
ルビーはダイタクヘリオス絡みで匂わせ描写もあったため熱望されていたが、こちらは全く前フリ無しの登場であったため驚きの声も多かった。
一人称「おれ」の温和な王子様系で、「ガラスの脚」のメジロアルダンと同じ水色の髪と尻尾でどこか儚さを感じさせるデザイン。実際に病弱で、「こんな自分を支えてくれた人たちに走りで報いたい」という自己犠牲精神の塊。
これだけキャラ造形から匂わされている通り、自身および周辺人物のシナリオではその悲劇がフィーチャーされ、舞台版でも物語の山場として扱われた。もちろんストーリーによっては乗り越えることができるが。
追記・修正お願いします。
最終更新:2025年10月10日 02:54