ヤマニンゼファー(競走馬)

登録日:2023/08/17 Thu 06:16:01
更新日:2024/09/08 Sun 08:07:57
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限界を突き破った闘志 父子2代の大願成就

週刊100名馬No.26 ヤマニンゼファー 表紙より

ヤマニンゼファー(Yamanin Zephyr)とは日本の元競走馬

メディアミックス作品『ウマ娘 プリティーダービー』にも登場しているが、そちらでの扱いは当該項目参照。
ヤマニンゼファー(ウマ娘 プリティーダービー)

目次

【データ】

誕生:1988年5月27日
死亡:2017年5月16日
享年:29歳
父:ニホンピロウイナー
母:ヤマニンポリシー
母父:Blushing Groom
調教師:栗田博憲 (美浦)
主戦騎手:田中勝春→柴田善臣
馬主:土井肇
生産者:錦岡牧場
産地:新冠町
セリ取引価格:-
獲得賞金:5億8,080万円 (中央)
通算成績:20戦8勝 [8-5-2-5]
主な勝鞍:92'安田記念、93'安田記念・天皇賞(秋)
受賞歴:1993年最優秀4歳以上牡馬、1993年最優秀父内国産馬、1993年最優秀短距離馬

【誕生】

1988年5月27日生まれの鹿毛の牡馬。
父のニホンピロウイナーは短距離戦線の開拓者にして、マイルの帝王と称されたスターホース。
母のヤマニンポリシーの方も自身の成績は優れなかったものの、フランスの短距離G1レース4勝*1を成したブラッシンググルームの血を引いており、当初からスプリンターとしての活躍を見込んでの交配だった。
産まれた当初から前後躯が発達した短距離馬にとって理想的な体型をしていたが、トレーニングセンター入り直後に骨膜炎を発症したことで、デビューが1年遅れた。

ゼファーという名は元々はギリシャ神話の西風の神「ゼピュロス」の英語読み、そこから転じて「柔らかな風」「そよ風」を意味する語だが、命名自体は語の意味合いからではなく馬主の土井肇氏の妻が持っていた化粧品*2から借用したものである。

【戦歴】

1991年3月の中山競馬場の4歳新馬戦芝1200mでデビュー。
デビュー戦を1着で勝利し、続く条件戦はダートに挑み連勝を果たした後、初の重賞挑戦となるG3のクリスタルカップに挑戦、カリスタグローリ、ユウキトップランに敗れるも3着と好走した。

2度の条件戦を挟み、迎える初のG1レースであるスプリンターズステークス。
ダイイチルビーをはじめとした強豪たちに追いつけず、7着という結果に終わるものの、
この際に騎手を務めた蛯沢誠治は、準オープンレベルの身ながら強豪相手に一定の走りを見せたことに確かな手応えを感じていたらしい。

翌1992年は条件戦の羅生門ステークスでの勝利やG2レースの京王杯スプリングカップでの3着入賞などの後、
次なるG1レースとして選択したのがマイルの安田記念。この当時では11番人気と低評価だった。
しかし、その前評を覆し最終コーナー手前からスパート、前を行くカミノクレッセをかわし見事にG1初勝利を飾った。
同時に「マイルの皇帝」と呼ばれた父ニホンピロウイナーとの親子制覇。
このレースで騎手を務めた田中勝春の初G1制覇ともなった。

その後は休養を挟み、秋のマイルチャンピオンシップ、2度目となるスプリンターズステークスなどに挑戦するも、
それぞれダイタクヘリオスニシノフラワーといったライバルたちに阻まれ勝利は叶わず。

翌1993年からは読売マイラーズカップ、中山記念、京王杯スプリングカップといった複数のG2レースで入着、勝利を果たし、
迎えることとなったのはこちらも2度目の安田記念。これまでの活躍から前年とは打って変わり2番人気と高評価を得ながら出走。
スプリンターズステークスでは敗れた1番人気だったニシノフラワーをかわし、見事安田記念連覇を達成。
こちらでも、騎手を務めた柴田善臣の初G1制覇となった。

そしてこの時の活躍から、調教師の栗田博憲氏の方針から次なる目標を天皇賞(秋)に定めることに。
夏の休養期間、毎日王冠の6着、その後のスタミナ強化の厳しい調教などを経て、迎えることになった天皇賞(秋)。
"皇帝"シンボリルドルフと"マイルの皇帝"ニホンピロウイナーが現役中唯一対決し、ニホンピロウイナーが距離適性の壁に敗れたレースでもある。

いつものツインターボの爆逃げが展開される中、3番手を維持していたヤマニンゼファーは、
「ツインターボの逃げは早くもゴール前500mで壊滅している!」と直線に入ったところで逆噴射するターボを横目に、最終コーナーでトップに躍り出る。
最終直線でセキテイリュウオー(鞍上:田中勝春)に並ばれ、300mもの壮絶な競り合いを繰り広げるも、最終的には写真判定によりヤマニンゼファーがハナ差で勝利。
マイルに続き中距離のG1タイトル達成を果たした。

これを弾みに更なる目標としてマイル、中距離、そしてスプリントの3階級G1制覇を目指すことになり、
迎えることとなったのが生涯3度目の挑戦となるスプリンターズステークス。
天皇賞(秋)での活躍も含め1番人気に推されての出走だったが、迎え撃ったのが2番人気にして当時全盛期を迎えていたサクラバクシンオー
ヤマニンゼファーは善戦こそしたものの、最強のスプリンターたるサクラバクシンオーを捉えきることができずに2・1/2馬身差の2着。
3階級制覇という偉業にあと僅か手が届かなかったことを惜しまれつつ、このレースを最後に引退となった。

【引退後】

引退後は種牡馬入り。
種牡馬としてはG3の武蔵野ステークス制覇や、ジャパンカップ2着入りを果たしたサンフォードシチー、兵庫大賞典、摂津盃といった複数の地方重賞を勝利したマタカッタなどを輩出している。
また熱心なファンによって、ヤマニンゼファー産駒が出走するレースにはゼファー魂の横断幕がかけられていた。

2009年には種牡馬も引退。
故郷の錦岡牧場で功労馬としての余生を過ごした後、2017年5月16日に老衰により29歳の大往生でこの世を去った。

【創作作品での登場】

周辺の短距離名馬たちに比べるとやや遅めの登場となった。
「そよ風」を冠した名前と主戦騎手の影響*3からか「自然をこよなく愛する」という設定が盛り込まれており、何かと風に絡めた詩的な言い回しを多用する不思議ちゃん。
一見すると穏やかながらも、言葉の節々からは強い闘争心がうかがえるという、まさに強烈なそよ風を体現している。
対戦経験のある短距離組との絡みが多い一方で、アプリのシナリオでは同期だが関わりはなかった“皇帝”の子同士であるトウカイテイオーにフォーカスしたりしている。

【余談】

前述のようにヤマニンゼファーは2023年時点で50歳を超えても現役の田中勝春・柴田善臣2人に初G1をプレゼントしたことから『神の馬』と言われる。

かつてヤマニンゼファーで初G1を手にし、セキテイリュウオーの初G1を阻まれた勝春だが勝春は管理していた藤原敏文調教師に初G1をプレゼントできる絶好の機会と捉えていた。
だが早めに追ってしまった事や更にゴール直前で鞭を落とすなどミスもあり結果惜敗の2着に終わった。
しかも藤原調教師はこの3年後に現役で急死してしまい結局G1を手にすることが出来なかった、自身のミスによる勝敗の結果は勝春に30年経った今でも拭えない後悔を残した。
そんな勝春も2023年に調教師試験に合格、年末で騎手免許を返上し調教師として新たな道を進むことになった。


そよ風、というには強烈すぎた。

JRA「ヒーロー列伝」No.37 ヤマニンゼファー


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最終更新:2024年09月08日 08:07

*1 ロベールパパン賞、モルニ賞、サラマンドル賞、グランクリテリウム(現ジャン・リュック・ラガルデール賞)の4つ。

*2 資生堂のコロン「ゼファ」。

*3 釣り・ワイン鑑賞・犬・鷹狩り(そして競馬)と多彩な趣味の持ち主。