ズヴェノー・プロジェクト

登録日:2023/10/21 Sat 03:23:34
更新日:2025/01/29 Wed 09:09:27
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ズヴェノー・プロジェクトとは、実在した男のロマンである。


【前説】

突然だが、画面の前のWiki篭り諸君は「空中発進」もしくは「空中発艦」というと、何を思い浮かべるだろうか。
ガンダムだろうか?それともヤマトマクロス

人によってさまざまな回答があると思うが、どちらにせよ「空中発進」とは、
アニヲタ諸君の大好きなロボットものやSFメカにおける定番演出であることは疑いようもない。

指令室のオペレーターが慌ただしく動き、パイロットたちの独白やちょっとした会話が挟まりつつ、
けたたましいサイレンとともにカタパルトのような装置で母艦から射出され、広大な青空もしくは宇宙空間へ……

そんな、男心をくすぐるロマンあふれる情景を頭の中に浮かべるのは容易いだろう。

だが夢見ると同時に、「どうせフィクションの中の話、現実で空中発進なんて不可能でしょ」と割り切り、
妄想の産物だと切って捨てたこともあるのではないだろうか。




違うんです。


あるんです。


しかも実戦投入までされたんです!



その項目では、そんなロマンあふれる軍事戦略、ズヴェノー・プロジェクトについて解説していく。


なお、フィクションにおけるいわゆる空中戦艦や空中要塞については、この項目が詳述している。
こちらも是非参照のほど。




【概要】


さて、前述の通り、世間ではどうしても、空中発進はフィクションのもの~なんて思われがちである。
しかし、実は航空分野では昔から「空中発進いけるんじゃね?」的な発想や提言が何度かなされており、
世界各国で割としっかり研究されてきた歴史を持つ。

そもそも、現実における空中発進は、爆撃機の護衛をどうするか?という問題の中で生まれたものだった。

爆撃機で地上の敵を攻撃したいけど、向こうの戦闘機が怖い!じゃあどうする?

  • 選択肢その1『爆撃機こそ最強!』
    エンジンいっぱいで大馬力!重装甲!防護機銃たくさん!もうこれ爆撃機だけで充分でしょ!という考え。
    アメリカのB-17などは、まさにこの思想を突き詰めた一例である。

  • 選択肢その2『超高速爆撃機!』
    戦闘機より速く飛んで振り切っちゃえばいいじゃん!という考え。
    戦闘機より速い爆撃機は複数存在するが、重い爆弾を積んで飛ぶこともあり、あまり現実的ではないのが正直なところ。

  • 選択肢その3『いや、護衛は必要でしょ』
    何だかんだ言っても護衛はいるでしょ、という考え。基本これが主流である。

しかし、一番現実的な選択肢3をとろうにも、「護衛機の航続距離が短くて護衛しきれない」という問題がついて回る。
ゼロ戦マスタングはともかく、ありふれた単発単座の戦闘機では、敵地の奥深くまで侵入して戻ってくる爆撃機にはとてもついていけないのだ。


そんなとき、誰かがこんなことを言った。



「じゃあ、護衛の戦闘機を爆撃機で運べばいいんじゃね?」




一見すると荒唐無稽な夢物語だが、一応ちゃんとした理論があるにはある。

曰く、「片道しか飛べないのなら、行きは爆撃機に運んでもらって燃料節約、戦場近くで発進させて爆撃機を護衛し、帰りは一緒に飛んで帰ればいい」というもの。

護衛機の航続距離が問題になるのは、たいてい味方陣地から敵までの長大な距離を往復で飛ぶのが難しいからだった*1
しかし、「片道しか飛べない」というのは言い換えれば「片道であれば飛べる」ということ。

このような「爆撃機に運んでもらい、途中で空中発進する戦闘機」のことを、寄生虫に見立てて「パラサイト・ファイター(寄生戦闘機)」、
もしくは親と子に見立てて「親子戦闘機」と呼ぶ。

飛行機が本格的に戦争に投入されたのは第一次世界大戦の頃だが、実はこの頃からすでに空中発進の構想は存在していた
中でも技術と発想で一歩抜きんでていたイギリスでは、なんと終戦直後の時点で飛行船を用いた実験までこぎつけている。また英国面

このとき空中発進する側に使われたのは、ソッピース・キャメルという複葉機。
軍用機どころか飛行機自体が黎明期という中にあって、一次大戦における最多撃墜数を誇るガチの名機である。
どこぞのイヌーピーが乗っている飛行機、といえば通じる人も多いだろう。

そんなキャメルくんを母艦である飛行船にぶら下げ、上空でヒモを切り離して発進させる…というのが、イギリスが行った実験である。

この実験は、キャメルの航続距離の短さを飛行船で運ぶことでなんとか補えないか?というのが動機だった。
しかしいざ蓋を開けてみれば、戻ってきたあとの再合体が難しいだの、飛行船がやられたら元も子もないだの、飛行機積まずに爆弾積んで爆撃したほうが効果的だのとイマイチであることが判明し、あえなく計画はボツ。やはりロマンで飯は食えなかった。

一方、アメリカは1931年にアクロン級飛行船を建造。
こちらは設計時から5機分の偵察機格納庫を備えたマジモンの空挺空母であり、小型複葉機とともに実験や偵察任務を行った。

しかしイギリスの実験と同じく、母艦の打たれ弱さ再合体の難しさが常に課題として重くのしかかる結果に。再放送
さらに不運なことに、雷雨と嵐により2隻とも墜落してしまい、こちらも計画はおじゃんになってしまった。



しかし、各国の実験がつまづく中でも、めげずにロマンあふれるパラサイト・ファイター計画を練り続けていた国があった。


それが、ソビエト連邦である。



【ズヴェノー・プロジェクト】

時は1931年。アメリカが飛行船空母を作っていたのと同じころ、ソ連空軍の航空技術者ウラジミール・ヴァスミストローフにより、パラサイト・ファイター研究、ズヴェノー・プロジェクトがスタートした。
ちなみに「ズヴェノー」とはロシア語で「鎖」や「連帯」、あるいは「飛行編隊」などを意味する単語である。

当時の開発コンセプトとしては、

  • 航続距離の短い戦闘機を爆撃機で戦場まで輸送
  • 戦闘機は戦場で切り離して爆撃機の護衛を担当

というパラサイト・ファイターのセオリーに則ったものもあったが、ヴァスミストローフは研究を重ねる中で、今までのコンセプトに加えて独自の運用法を編み出す。

その運用法というのが、

  • 戦闘機に普段なら持てない重さの爆弾を持たせ、急降下爆撃機にする
  • 戦闘機のエンジンも回すことで全体の馬力を上げ、爆撃機の積載力を高める

というもの。

通常であれば重すぎて離陸できないような重量の爆弾を戦闘機に持たせ、爆撃機のペイロードを活かして強引に空まで持っていき、切り離して護衛戦闘機&爆撃機、つまるところ空中発進ヤーボとして使おうというアイデア。

また、爆撃機の燃料タンクと子機のエンジンを繋げ、ぶら下がっている間も回し続けることで、実質的にエンジンが何個か増えたような挙動を見せ、馬力や速度の向上、積載数の増加などが見込めるのだ。

聞くだけだとなんだか良さげに見えるが、果たして…?

そんなこんなで始まったプロジェクトだが、1931年の初実験でいきなり飛行に成功する。
それ以降は、切り離し方法や空中ドッキング、子機の配置などを回数を重ねて入念に研究し、ひたすら試行錯誤を繰り返していく。

新型機が出るたびに仕様変更を強いられて開発が振り出しに戻ったり、開発している間に機体が時代遅れになったり、
軍のお偉いさんから難癖をつけられ効果のほどを疑問視されて計画が縮小されるなど苦労も絶えなかったが、
それでも1939年、苦節8年の研究の末、ついに完成形となるズヴェノーSPBが制式採用されたのだった。


さて、時が少し流れて1941年
この年、かつてソ連と手を組んでポーランドをピザにし、世界を驚かせ平沼の心を折ったドイツは突如としてソ連に宣戦布告独ソ戦の幕開けである。

ソ連としてはまさかドイツが攻めてくるとは予想しておらず*2、緒戦は撤退に次ぐ撤退でまともに応戦できなかった。
さらにフィンランド戦線の苦戦で兵器も微妙なものしかなく、なおかつ大粛清が重なった結果、有能な人材も不足していた。
要するに、とてもドイツと真っ向からやり合える状況では無かったのだ。

ならば、今あるものでなんとかするしかない!
ということで、ソ連軍はかねてから研究を重ねてきたズヴェノーSPBの実戦投入に踏み切る。
ちなみに名称の「SPB」とは「Составной Пикирующий Бомбардировщик」…日本語だと「複合急降下爆撃機」という意味。

そんな虎の子のズヴェノーSPBだが、実は新型機でも何でもなく、子機を担当するのは2機のポリカルポフI-16初飛行1934年)、
母機に至ってはツポレフTB-3爆撃機初飛行1930年)という、開戦時点ですら二世代ほど前のおじいちゃんトリオで構成されている。

主翼の下にぶらさがったI-16は、250kg爆弾を2個ずつ、2機合わせて1000kgの爆装を施された特別仕様。
開発時のコンセプトをしっかり受け継いでいることが窺える。

TB-3は爆撃機というよりI-16の輸送機のような役割であり、その運用としては、

TB-3(with I-16)が爆撃目標に現着→I-16を切り離して爆撃→そのまま2機でTB-3の護衛をしつつ基地に帰還

…という流れである。

ちなみに何故ストレートに爆撃機で爆撃せずにこんな回りくどいやり方をするのかというと、
絨毯爆撃ではどうしても狙うことができないピンポイントな精密爆撃ができる、という明確なメリットが存在するため。
そして、母機に選ばれたTB-3はオンボロすぎてまともな爆撃任務ではとても使えないが、
かといってロクな機体が無いのにあえて使わないとかいう贅沢な選択肢は当時のソ連には存在しないという悲しい懐事情もあったため。定年再雇用


そんなズヴェノーSPBは、納品されていたごく少数がクリミアに配備され、ついに実戦を迎える

デビュー戦の舞台は、このほど枢軸に仲間入りしたルーマニア
ソ連側の重要拠点であるオデッサ及びセヴァストポリに向かって進撃する枢軸陣営を、なんとかして食い止めるのが大枠の目的である。

今回の主要な攻撃目標は、ドナウ川に架かるカロル1世橋。この橋は鉄道石油パイプラインが通っている戦略上の要地であり、ソ連軍も何度か爆撃を試みていたが、精度が低いのかイマイチ戦果が上がらなかったとのこと。
水平爆撃がコケたとなれば急降下爆撃を…と言いたいところだが、クリミアからルーマニアまでの長距離を往復できる急降下爆撃機は、当時のソ連には無かったのである。

そこで、急降下爆撃による精密爆撃が可能で、なおかつそこそこ長距離を往復できるズヴェノー部隊に白羽の矢が立ったというワケ。

ひとまず小手調べとして、ソ連軍は橋の近くにある石油精製施設を目標に定めた。

目標付近に到着したズヴェノー部隊は、子機のI-16を無事に切り離し、親機TB-3から空中発進。
突然の敵襲に相手が対応できないでいる間に、見事に施設を爆撃することに成功
そのまま対空砲火を振り切り、迎撃が来る前にTB-3と共に無事に撤収することができた

……あれ?成功したぞ?

なんと一発勝負の初実戦で、ズヴェノー部隊は特に問題もなくあっさり攻撃と帰還に成功
すぐさま第二回の出撃が組まれると、今度は本命であるカロル1世橋を爆撃
すると機材トラブルや敵襲を乗り越え、数回のチャレンジの末に見事に橋桁の破壊に成功する
激しい対空砲火をくぐり抜け、なんとソ連軍サイドの損害無しで作戦目標を達成したのである。あれ?もしや名機か?

このあまりに予想外な成功は、ドイツに押され気味だった軍内部で明るい話題として大いに歓迎され、
ズヴェノー部隊にはオンボロとオンボロTB-3 with I-16が増備されることに。
そこ、体のいい廃材利用とか言わない。

こうしてそのポテンシャルを見せつけたズヴェノー部隊は、以降も30回ほど出撃を重ねてコンスタントに戦果を積み上げていく。
驚異的な精度で爆撃を次々成功させ、出撃における目立った損害や被撃墜はI-16が1機だけ
それどころか、勢い余って迎撃に来たBf109を撃墜すらしている。しかも2機

爆撃の成功率も非常に高く、この調子ならば親衛連隊の称号授与も現実味を帯びてきた。さあ今日も今日とて爆撃任務を…

…と思われたその矢先、1942年にズヴェノー部隊は突如として解散されることになった。

作戦成功率も高く損害も軽微で、上官の誰かが粛清に遭ったわけでもない。
ではなぜ解散しなければならないのか?そこにはソ連にしては珍しく特に政治的な意図などはなく、

ひとつは「部隊の本拠地にしているクリミアにドイツが迫っているから*3

そしてもうひとつは、ただただ単純に、
「ドイツに航空優勢を取られていて高性能戦闘機もバカスカ迎撃に出てくるし、こいつら遅いしボロいし弱いしで出撃させるのが怖い(損害的な意味で)というものだった。
正直言ってぐうの音も出ないド正論である。

なおその後は、急降下爆撃機や搭乗員の頭数が揃ってきたことや、より強力な機体の生産に注力するようになったこともあり、新型機による後継や代替案などは特に出されることはなかった

こうして、実戦投入された世界唯一のパラサイト・ファイター、ズヴェノー・プロジェクトは歴史の表舞台から去ることとなったのである。


【バリエーション】

とりあえず体当たりで試してみたり、新型機登場のたびに設計をやり直したりと開発が試行錯誤の連続だったため、見た目のイロモノっぷりとは裏腹に非常にバリエーション豊かである。なお、その見た目がどうしても曲芸飛行を連想させるのか、開発中は発案者の名前から「ヴァスミストローフ・サーカス」、実戦配備されてからは指揮官の名前から「シュビコフ・サーカス」とそれぞれあだ名されたという。

  • ズヴェノー1
    1931年に製作されたプロトタイプ。親機にTB-1爆撃機を使用し、子機であるI-4戦闘機2機を主翼の上に配置している。なお、子機を主翼上に設置するのは人力であるため、飛行場に居合わせた人員総出で『おおきなかぶ』めいた大作業を行う必要があった*4。初飛行にも成功し、元凶発案者のヴァスミストローフご本人もTB-1の前方銃座に乗って飛行を見届けている。

  • ズヴェノー1a
    1933年に初飛行。I-4に代わり、ポリカルポフI-5を子機に使用している。配置は1と変わらず主翼の上。

  • ズヴェノー2
    1934年に初飛行。I-5を続投させ、親機にTB-3を採用。なおTB-3はここからSPBまで使い倒されるハメになる。I-5は主翼上の2機に加えて、胴体上部に追加でもう1機のI-5を配置した3機体制である*5

  • ズヴェノー3
    親機のTB-3を続投とし、子機として2機のI-Z戦闘機*6を主翼下にぶら下げたタイプ。ここにきて初めて単葉機が子機となり、主翼下のスペースが初使用された。なおI-Zは固定脚なため着陸時にモロに地面と干渉してしまい、プロジェクト内で最悪の着陸事故をやらかしている。

  • ズヴェノー5
    1935年に初飛行した、TB-3の胴体下にI-Zを1機だけぶら下げたタイプ。胴体下というスペースの関係で親子は空中での分離合体が前提であり、くっついたまま地上に来ようものならその時点で事故確定というかなり尖った仕様。こちらはシリーズの他機と違い空中でのドッキングを検証する実験機としての意味合いが強いため、このような仕様となっている。

  • ズヴェノー6
    お馴染みTB-3の主翼下に、ポリカルポフI-16を2機ぶら下げている。世界初の折り畳み脚採用機体という特色を活かし、ズヴェノー仕様のI-16は地上でも常に脚を畳んでいる。なお地上での切り離しはできず、空中で切り離し後の再接続もできなかった模様。

  • ズヴェノー7
    TB-3の主翼下にI-16をぶら下げたタイプ。格納式空中ブランコが装備されており、空中ドッキングが可能だった。ただし実際にできるかは……

  • アヴィアマートカ PVO
    1935年に初飛行。主翼下にI-16×2、主翼上にI-5×2、胴体下にI-Z×1というオールスター体制。「アヴィアマートカ」とはロシア語で「空中空母」、「PVO」は「防空軍」という意味で、おそらく防空のために長時間の空中待機や迎撃を想定して設計されたと思われる。

  • ズヴェノーSPB
    1937年に初飛行した、唯一の制式採用機にして実戦経験者であり、ズヴェノー・プロジェクトの集大成。構成はお馴染みTB-3 with I-16で、I-16は250kg×2という普段なら重くて離陸できない爆装が施された、急降下爆撃のための特別仕様。その活躍ぶりは先ほど述べた通りである。


【後輩?】

先ほどから何度も触れている通り、ズヴェノー・プロジェクトは世界で唯一実戦投入までこぎつけたパラサイト・ファイターであり、しかもそこそこ戦果を残したという本当に稀有な事例である。

ソ連国内では後継者に恵まれなかったものの、ズヴェノー部隊が解散したあともパラサイト・ファイターの研究は世界でたびたび行われている。
例えばドイツでは、メッサーシュミットMe328アラドE.381&ゾンボルドSo344のコンビ、V1飛行爆弾を搭載したHe111、果ては有人戦闘機と無人爆撃機という逆パラサイト兵器ミステルなど、末期ドイツ特有のトンチキ兵器祭り様々なパラサイト・ファイターが考案された。
また枢軸国つながりでは、末期日本の特攻兵器である桜花+一式陸攻も、広く見れば親子機の一種である。

そして終戦を迎え、戦後になると今度はアメリカが研究に動くようになる。
そうして誕生したのが、かの有名なXF-85ゴブリン+B-36ピースメイカーである。

だが時代が進むにつれて、軍用機の航続距離が伸びたり、長距離ミサイルが開発されたり、空中給油技術が確立されて普及したりと、環境の変化と様々な原因によって、パラサイト・ファイターという概念は徐々に廃れていった。

しかし、最近になって最先端の技術により、パラサイト・ファイターが再び注目されるようになってきた。

その技術とは、何を隠そうドローンである。

小さくて軽いことから輸送機に大量に積み込むことができ、状況や装備に応じて偵察や妨害、爆撃など、マルチな任務をこなすことが可能で、しかも無人なので運用コストや兵士を失うリスクも低減できるドローンこそ、かつての技術者たちがパラサイト・ファイターに求めた条件に合致するのだ。

未だ発展途上であり進化を続けるドローンはいずれ、太古のパラサイト・ファイター、ズヴェノー・プロジェクトの意思を現代へと繋ぎとめる「鎖」になれるのかもしれない。
今後の動向に要注目である……




追記・修正は空中で親機にドッキングしてからお願いします。

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最終更新:2025年01月29日 09:09

*1 長大な航続距離で爆撃機の護衛を問題なくこなせるという長所こそ、ゼロ戦やマスタングが名機と呼ばれる所以のひとつである。ただしパイロットは疲れる。

*2 正確には、ソ連侵攻の情報自体は掴んでいたものの、スターリンらソ連上層部が現実逃避して情報を無視していた。

*3 実はズヴェノーが初陣をこなしてから約2ヶ月後にはキエフが激戦の末に包囲され陥落しており、セヴァストポリを狙ってクリミアまで南下してくるのは時間の問題だった。

*4 なお、流石にキツすぎるということで、しばらくして優しいソ連軍からトラクターが供与されている。

*5 ただし胴体上のI-5は切り離しは想定しておらず、純粋に5番目のエンジンとしてのみ使用していた。

*6 なおこのI-ZもI-Zで、主武装が3インチ無反動ライフルという中々尖った機体である。