F2A バッファロー

登録日:2023/03/20 (月) 03:39:22
更新日:2024/03/18 Mon 17:29:32
所要時間:約 22 分で読めます





F2A バッファローとは、第二次世界大戦で運用された艦上戦闘機である。愛称の「バッファロー」は水牛のこと。F-2Aではない。

アメリカ海軍初の単葉戦闘機であり、ビア樽のような太ましくて丸っこいカタチがチャームポイント。
なお、製造会社名である「Brewster」は発音に厳密に従うと「ブルースター」と表記するのが正しいが、本項目では日本語文献における慣例にならい「ブリュースター」と表記してお送りする。


性能諸元(F2A-3)

全長:8.03m
全高:3.68m
全幅:10.67m
翼面積:19.4㎡
自重:2.14t
最大重量:2.87t
最高速度:484.41km/h(高度5,182m)
巡航速度:259km/h
到達高度:10,100m(最大)、9,296m(実用最大)
航続距離:2,703km
エンジン:ライト R-1820-40/42 9気筒空冷星型エンジン 出力 1,200馬力
固定武装:12.7mm機関銃×4
爆装:最大90.8kg
生産数:517機(諸説あり)


開発

時は1935年、アメリカ海軍は近代化のため、新型艦上戦闘機の開発を計画。

各メーカーに要求された性能は、

  • 時代が時代だし、単葉機にしてね。
  • 翼が折り畳めるようにしてね。
  • 着陸用の車輪は胴体にしまえるようにしてね。
  • あとコックピットはガラスで密閉してね。

というもの。「単葉機」というのは翼が1枚の飛行機のことで、要はゼロ戦みたいなフォルムの飛行機だと思ってほしい。それまでは複葉機という翼が2枚ある飛行機がメジャーだったが、ここ最近になって技術も進歩し、「翼を1枚にすればもっと速く飛べんじゃね?」ということに世界が気づき始めていたため、当然アメリカもこのビックウェーブに乗ろうと意気込んでいたのだ。

「翼が折り畳める」というのは、デカくてそれなりに場所を取る翼を畳むことで、「こうすればサイズが小さくなるから収納スペース削れるし、空母っていう限られたキャパにもっと飛行機たくさん積めるじゃん?」という発想。

「着陸用の車輪が胴体にしまえる」「密閉コックピット」というのもまた最近のトレンドで、文字通り今まで出しっぱなしで固定されていた着陸脚を格納できたり開けっ放しだったコックピットをガラスで仕切ったり。これによって空気抵抗が減って、今までより速く飛べる!というワケ。一方パスタの戦闘機*1は真逆の方向に走った。

全体的に近代的な設計思想・機構をふんだんに取り入れた条件で、海軍のホンキ度がうかがえる。

この公募に対し、新興メーカーのブリュースター、すでに軍への採用実績もある安心と信頼のグラマン鉄工所、やはり新興メーカーのセバスキーの3社が応募して試作競争を行った。

その結果、ブリュースター社のモノが性能トップだったため採用。海軍が提示した条件を見事にクリアし、武装もそこそこ、速度性能も悪くなく、まさに新時代を戦うにふさわしい先進的な仕上がりで、他2社がずっこけたこともあり「XF2A-1」として海軍に納入されることに。初飛行は1937年で、ちょうど九六艦戦とゼロ戦の中間くらいの時期*2にあたる。

量産機の引き渡しは1939年から始まり、アメリカでは太平洋の基地を中心に配備。またヨーロッパに輸出された機体は向こうの紳士たちに「バッファロー」と命名され、シンガポールやオランダ領東インド(現在のインドネシアあたり)などに配備。アメリカ軍の機体とともに太平洋戦争の緒戦を戦った。








……ここまで読んでみて、違和感を持った読者の方はいないだろうか?


「そんな飛行機、聞いたことないぞ?」と。




その感想、ごもっともです。







少しばかり軍事をかじったアニヲタ・ミリオタ諸兄ならば、太平洋戦争の序盤でゼロ戦と戦ったアメリカ海軍の戦闘機が「F4Fワイルドキャット」という名前であることはご存知のはず。「F2Aバッファロー」なんて戦闘機が太平洋戦争にいたっけ?と思うのも無理はないだろう。

そう、なんとこのF2A、開発時期が時期なのに、参戦時期も戦場も割といい感じなのに、非っっっ常~~~~~に地味なのだ。第二次大戦史においてバッファローはまず触れられず、専門的な本になってようやく詳述されてくるという、世界史の教科書でいう第一次世界大戦のような薄っっっぺらい処遇を受けている。とにかくはちゃめちゃに影が薄い機体なのである。

では、なぜ地味なのか?という残酷な説明を今からしていこう。



不遇な子、バッファロー

まず、根本的な話として、生産元となったブリュースター社がそこそこ重大な問題を抱えていた
この会社は元を辿れば自動車の車体製造メーカーであり、このバッファローが初めての完全自社生産の飛行機で、しかも当時では珍しい全金属機であった。そして工場は自動車サイズであり、とても戦闘機をイチから作って組み立てるようなスペースが無かったのである。案の定というべきか、規模も小さければノウハウもほとんど無く軍の求める量産体制になかなか移行することができなかった。

量産機の引き渡し開始が1939年、というのは先ほど書いた通りだが、そこから半年間でたった5機しか納品されなかった、というエピソードからその深刻さが伝わるだろうか。この生産速度の遅さはバッファローのみならず、のちのち会社自体の首を絞めることにも繋がってしまう。


一方、海軍も海軍でブリュースター社のあまりの不甲斐なさに危機感を持っていた。なにせ、国防の要たる新型戦闘機が量産できず配備できない、というのは単なる契約的な問題とか国防的な問題に留まらず、自国の工業力のアピールなど、本来得るはずだったメリットをことごとくへし折る可能性があったからである。というか、仮にも軍事産業に参入したのに軍の大量発注に応えられないのは普通に大問題である。

しばらくは前任のはずのグラマンF3F(複葉機)を追加で発注したり、ブリュースター側に改造案を提示したりして糊口を凌いでいたが、いろいろと限界が来たのか、コンペで不採用となったグラマン社の戦闘機も採用するという手に打って出る。*3


実は、事故多発により試作競争ではF2Aに敗れたものの、海軍はグラマン社の引っ提げた機体「XF4F-2*4」を「磨けば光るものはあるよね」と結構評価しており、グラマン社は開発を続けていた。そしてF2Aがつまづいている間に、グラマン社の機体は制式採用「F4F」と名付けられた。いつまで経っても送られてこないバッファローを尻目に海軍が量産させてみると、実績とノウハウを持つグラマン社はF4Fを次々と量産し納品。F2Aがやっとこさ数を揃えてきた頃には、すでに主だった基地や空母には本来バッファローが座るはずだった椅子には、あの時蹴落としたはずのF4Fが大量に配備されていたのだった。F4UF6Fの件といい、グラマンは保険機扱いのほうが主力になりがちなのか?

しかも、完成した機体もいざ乗ってみると、機体重量の割にエンジンがパワー不足で重いトロいわ、そのトロさが機動性に響く操縦性も悪く格闘戦にも向かないわ、エンジンはスペック通りに動かないすぐオーバーヒートするわと褒める点が頑丈さ以外にほとんど無く、「空飛ぶビア樽」「空飛ぶ棺桶」などの不名誉なあだ名も多くつけられてしまった。

さらに戦間期~戦争直前特有の恐竜的な技術進化により、配備される頃にはF2Aの特色はほぼ失われてしまっていた。単葉機も引き込み脚も密閉されたコクピットも、今流行りのオプションどころかとっくに標準装備されてて当然というレベルであり、バッファローはすでに「近代的設計を取り入れた意欲作」ではなくなっていたのだ。時代の最先端を行くはずが、もたもたしているうちに時代に乗り遅れてしまった、悲しき運命を背負った子が生まれてしまったのである。



運用


さて、先に説明したとおり、数も揃ってようやく配備されるという頃には、アメリカにバッファローの居場所はほぼ無かった。それでも次期主力として採用してしまった海軍のメンツを保つため、ミッドウェーなどの海兵隊基地に少数が配備されており、ウェーク島の戦いなどで日本軍とドンパチやっていた……やられ役として。

米軍のバッファローが参加した最大の戦いは、ご存じミッドウェー海戦。F4Fとともに日本軍の第一次攻撃隊に奇襲を仕掛け、九九艦爆隊に一撃を食らわせている。しかし護衛のゼロ戦にはまるで歯が立たず、たった15分の戦闘で20機中13機が撃墜、5機が飛行不能という大損害を受けてしまい、これが決め手となり第一線から引退

ゼロ戦に対して全ての性能で劣るという厳しい現実を突きつけられると同時に、逃げ惑うパイロットたちが編み出した急降下高速ターンなどの回避戦術は、対ゼロ戦研究において貴重な実戦データとなった。それしか役に立たなかったとも言える。



また、開発当時のバッファローは最新鋭機ということもあり諸外国からも注目されていたが、生産が遅れているうちに陳腐化し、大戦が始まると主に「なんでもいいから戦闘機が欲しい!」と切羽詰まった国を中心に多く在庫処分輸出されている。例えば独伊とドンパチやりすぎて戦闘機が足りなくなっていたイギリスは、アメリカに直接掛け合って購入したほか、本国が道路にされて降伏し、宙ぶらりんになっていたルギ向けの機体を引き取っている。

そうして手に入れたバッファローに対してイギリスはとりあえず自国好みの魔改造を施したが、これがまさかの性能低下を招いてしまう。しかもこの改造失敗が判明するのと時を同じくして、地中海の英領クレタ島に配備されていたバッファローが枢軸機相手にボロ負けしてしまい、早々にいらない子認定を受けてしまう。

最終的に「ウチのスピットたちには及ばない二流機だけど、日本ならロクな戦闘機も無いしコイツで十分でしょ」という判断のもと極東に送り込まれ、シンガポールマレービルマなどに配備された。しかしここでも日本軍がゼロ戦やを引っ提げてくると見事にカモにされ、これまた大損害を被ってしまった。しかし爆撃機相手では意外と奮戦し、アメリカが成し遂げられなかったバッファローだけでエースになったパイロットを何人か輩出している。

またオランダは植民地である東インド(インドネシア周辺)にバッファローを送り込むも、やっぱり奮戦むなしくイギリス機とともにやられ役に終始した。なおオランダが現地に送りきれなかった機体はイギリスに引き取られ、さらにイギリスも持て余すとオーストラリア軍にお下がり譲られて、1944年まで運用された。

なお、東南アジアの軍バッファローが少数ながら日本軍によって鹵獲、回収されており、性能テストをされたり、他の鹵獲機体と一緒に展示されたり、国策映画に敵役として出演したりしている。




兎にも角にも、こうして時代に取り残されたバッファローは、生まれ故郷たる連合国においては枢軸側の高性能な戦闘機に太刀打ちできず、ボコボコのボコボコのフルボッコにされてしまった。そしてひっそりと最前線から引退し、より高性能な後輩たちに主力機としての道を譲っていった。時代と技術の荒波に揉まれ、翻弄され続けた哀れな機体といえよう。




追記・修正はゼロ戦を撃墜してからお願いします。

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こいつはビール瓶(ビールケグ)なんかじゃない……

空の真珠(タイバーン・ヘルミ)だ……!



そう、時流に揉まれまくり、時代遅れの粗大ごみと化していたF2Aバッファローが、唯一輝きを放った戦場がある。



北欧の地、フィンランドである。



フィンランドでの運用


まず、何故バッファローがフィンランドという北欧の果てなんぞに辿り着いたのか。

先ほど【運用】の項にて書いたバッファローの出荷先、そのひとつこそがフィンランドだったのだ。

バッファローがフィンランドに送られたのは1939年、ちょうどフィンランドは鉄ヒゲ粛清おじさんことヨシフ・スターリン率いるソビエト連邦に「冬戦争」という侵略戦争を仕掛けられていた。そう、あの冬戦争である。ボロクソに悪い質を物量でゴリ押すソ連軍少数精鋭を地で行くフィンランド軍による雪中のアツき戦いであり、白い死神をはじめとした数々の逸話や伝説、名将を生んだ、あの冬戦争である。その詳しい内容はここでは省略するが、とにかく陸でも空でも貧弱ながら持てる戦力全てをかき集め、数で勝負するイワン共を迎え撃っていた。その空軍戦力増強の一環として、このたびバッファローに白羽の矢が立ったのだ。

しかし、ここで問題が発生する。アメリカには「中立国には武器を輸出してもええけど、戦争してる国に輸出するのはアカンよ(意訳)」という法律、中立法が存在したのだ。フィンランドは戦争中であり、当然ながら中立国ではない。でも注文は受けた以上、在庫処分もしたいしどうにかフィンランドまで届けたい。そこでアメリカは、ある方法を思いつく。


「武装もエンジンも弱体化させて、鉄鋼製品として輸出するわ。ただでさえ戦えないのに、こんなにデチューンされたらとてもまともな戦力にならない。よって、これは、武器では、ない。」


……という、納得できるようなできないような、割とスレスレの理論でバッファローを送り出したのだ。さらに船で一旦ノルウェーに運び、スウェーデンまで輸送して組み立て、そこからフィンランドまで自力飛行で向かうという、心底めんどくさい用心深い方法をとり、何とかフィンランドに送り届けることができた。

フィンランド向けバッファローは「B-239」という形式で呼ばれる。基本性能はF2A-1準拠だが、前述の通りアメリカ標準モデルからダウングレードされており、到着した機体から現地で改造が施された。ちなみにフィンランドでは「バッファロー」呼びではなく、もっぱら製造元である「ブリュースター(Brewster)」をフィンランド語読みした「ブルーステル」と呼ばれていた。

しかし、時はすでに1940年。ようやく届いたその矢先に冬戦争は終結し、バッファロー、もといブルーステルは結局冬戦争には間に合わず。細々と改修を受けつつも倉庫の肥やしとして過ごしていた………かと思いきや。

1年後、ソ連再びフィンランドに侵攻継続戦争の開戦である。またこの開戦と同時に、国際世論におけるフィンランドの立場は「連合国であるソ連と戦争してる=実質枢軸国じゃね?というとばっちりも甚だしい交通事故状態になってしまう。でもソ連と戦争してる以上連合国からの支援が来るわけもなく、仕方なくドイツと接近することを強いられると、その外交によりますます「いち枢軸国」として扱われて……という最悪のループに陥ってしまった。

しかし、嘆いていてもソ連軍は容赦なくやって来る。そう、我らがバッファロー改めブルーステルの出番である。

でも、ブルーステルはアメリカでもイギリスでも「使えない」とボロクソに言われてるし実際その通りだし、そんな機体ばかり40機も届いたところで気休め程度にしかならないんじゃないのか…そう思ったアニヲタ・ミリヲタの諸兄も少なくないのではなかろうか。

しかし、フィンランドは一味違った。
なんと、保有している機体がことごとく旧式や二線級など問題児だらけであり、実質バッファローが最新鋭だったのだ。そんな装備で大丈夫か?

アメリカの言い分であった「戦力にならない」というのもあくまでアメリカ基準での話であり、環境がまったく違うフィンランドでは米帝ごときの常識にとらわれてはいけないのである。


さて、そんなこんなでブルーステルは冬戦争時の主力部隊、第24戦闘機隊に配属される。

だがしかし、ちょっと待ってほしい。ベースになっているのは日本相手にフルボッコにされるあのバッファローである。そして相手は時の連合国にして独ソ戦の地獄を競り勝ち、のちのち世界を二分するあのソ連である。いくらフィンランド空軍が精鋭揃いであるとはいえ、空軍内ではマシな性能であるとはいえ、魔改造も受けているとはいえ、流石にまたボコボコにやられてしまうのではないか。



ところがどっこい。



いざ開戦してみると、ブルーステルは戦争序盤から活躍、活躍、大活躍。
まさに獅子奮迅の働きを見せる。


交戦や事故で21機を失ったのに対し、なんと456機のソ連軍機を撃墜したのである。


キルレシオは驚異の約21対1。そのアメリカパートは何だったのかと言わんばかりの圧倒的な大活躍により35人のエースパイロットを生み出し、まさに救国の英雄としてフィンランドの空を駆け回った。そんな働きぶりのブルーステルを空軍のパイロットはもちろん国民も宝物のように扱い、空の真珠(タイバーン・ヘルミ)と呼んで絶賛した。

フィンランドがどれだけブルーステルを大切にしていたかというと、戦争中盤のある時、ブルーステル1機が交戦の末にソ連の勢力内に不時着したという一報が空軍から伝えられると、すぐさま陸軍が緊急出撃。遠路はるばる戦線を強行突破してソ連軍の背後にまわり、機体を回収して無事に戻ってきた、という逸話があるほどである。また、部品が消耗して予備パーツも少なくなってくると、空軍はブルーステルの国産化を叫び、モックアップまで作りあげた。「VL フム」と名前までつける熱量である。……ただし、木製。国産化どころか性能も下がっていたため、当然ながら計画はキャンセルされてしまった。


それにしても、何故あんな箸にも棒にも掛からなかった駄作機が、フィンランドに来た途端こんなに大活躍できたのだろうか。その疑問については、世界の歴史家や戦史研究家、軍事評論家たちによって、

  • 操縦するパイロットたちが超優秀だった*6
  • フィンランドの極寒環境でエンジンのオーバーヒートが抑えられた
  • フィンランド流魔改造がいい感じに成功した*7
  • そもそも大粛清のせいでソ連軍がまともな出来ではなかった*8

などなど、いろいろな考察がなされている。


さて、何だかんだ落とされたりもしつつ、順調にソ連のアカ共を叩き落としていたブルーステルだったが、ドイツからBf109Gが送られるとさすがに最前線を張るには力不足となる。また戦争も折り返しを過ぎると、ようやくソ連軍が粛清のダメージから回復。より高性能な敵戦闘機*9が参戦するようになると、いくら技量で勝るフィンランドとはいえ、流石にガンガンいこうぜとはいかなくなってくる。

部品の消耗が激しく純正パーツの調達も見込めないことや、そもそもブルーステル自体もかなり損耗し機体数が減ってきたなどの理由もあり、1943年春にブルーステルは配置転換、二線級に下がることになる。しかし動けるものは複葉機でも使う厳しい懐事情もあり、44年には被害を受けながらも35機を撃墜するなど奮戦を続けた。

継続戦争終結後に起こったドイツとの「ラップランド戦争」にて、ドイツ軍のJu87スツーカ2機を撃墜したのが、「ブルーステルB-239」、そして「ブリュースターF2Aバッファロー」が持つ、最後の公式戦果である。

1948年まで運用された5機のブルーステルは順次スクラップに送られ、最後の機体が退役したのは1953年のことだった。

不遇な誕生から一転、見知らぬ土地で彼らが歩んだ第二の人生は、まさに真珠のように光り輝く激動と栄光の連続であった。


バリエーション

  • F2A-1
    いわゆる初期生産型。武装は12.7mm機銃が1本であと3本は7.7mm機銃。海軍は66機発注したはずが合計でたった11機しか納品されず、42機は改造されフィンランドに送られた。

  • F2A-2
    武装強化型。機銃が12.7mm4本になり、爆弾搭載も可能に。エンジンもパワーアップしている。

  • F2A-3
    バッファローの決定版。-2からさらに防弾性能を強化し打たれ強くなったが、重くなり格闘戦には不向きに。また偵察任務も見越して燃料搭載も増やしている。

  • XF2A-4
    さらなる進化版だが、海軍はすでにF4Fに浮気しており発注は却下された。

  • B-239
    フィンランド向け機体。前述の通り全体的にデチューンされ、現地で魔改造された。

  • B-339、B-439
    ベルギー、オランダ、イギリス向けの各機体。細部が微妙に異なる。ちなみに「B」とは「ブリュースター」のことで、「B-339」は「ブリュースター・モデル339」となる。



登場作品など


  • 『War Thunder』
    Gaijin Entertainment社提供のMOコンバットゲーム。アメリカ海軍戦闘機ツリーに「F2A-1」と「F2A-3」、アメリカ課金機に「サッチのF2Aバッファロー」(下記サッチ少佐の乗機)、スウェーデンのフィンランドツリー(?)に「B-239」がそれぞれ存在する。総じて火力も高めで初心者にも扱いやすく、一撃離脱も格闘戦もできる万能機体。なお、魔改造の件が反映されているのか、4機で一番性能がいいのはB-239である。




余談

  • フィンランド空軍のバッファロー調達に際し、現代では通信インフラや携帯電話のメーカーとして知られるノキア社*10がスポンサーとして1機分の資金提供をしていた。そのため、当該のブルーステルには「NOKA」のロゴが刻まれている。

  • 本機を駆った名パイロットには、「無傷の撃墜王」エイノ・イルマリ・ユーティライネン准将のほか、対ゼロ戦機動「サッチ・ウィーブ」を考案したジョン・サッチ少佐総撃墜数75機(フィンランド空軍2位)、ブルーステルでの撃墜39機(全世界最高記録)を誇るハンス・ウィンド大尉「ついてないカタヤイネン」ことニルス・カタヤイネン少尉などが挙げられる。

  • 90年代にカレリア地方の湖から不時着したブルーステル1機が引き上げられ、前述の木製コピー品「VL-フム」と共に、中部ユヴァスキュラのフィンランド中央航空博物館で展示されている。もしフィンランドを訪れた際には、かのBT-42が鎮座するパロラ戦車博物館と併せて巡礼し、スオミの陸空を駆け回った英雄たちにご挨拶するのもまた一興だろう。

  • 日本が鹵獲回収し性能試験に回した機体のひとつを、陸軍学校の校長が自家用機として乗り回していたというエピソードがある。なおその機体は戦争末期の空襲で破壊されてしまったが、米軍は機体形状から雷電だと誤認した模様。

  • 本項目の前半で散々コキ下ろしたブリュースター社だが、実はこの会社はバッファローの前後にも似たような理由で納品を遅らせまくっており、バッファローと合わせて三度同じ理由で納品遅延をやらかしている。しかもクライアントはすべて米海軍。そして最終的にはその海軍に引導を渡され廃業。正直この会社だけで一項目立ってしまうレベルでやらかしまくった大問題児であり、大戦期の航空メーカーでも屈指のネタ企業である。




追記・修正はイワン共を叩き落としてからお願いします。

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最終更新:2024年03月18日 17:29

*1 ベテランパイロットらを満足させる視界を確保するために後期改良型が開放型コクピットにされたマッキMC.200のこと。大体コックピット用ガラスの製造能力の都合。ついでに言うとイタリアは二次大戦直前になってCR.42という新型複葉機を開発している。

*2 九六艦戦の初飛行は1935年、ゼロ戦の初飛行は1939年

*3 一応、本命1機に的を絞って総ゴケしないように、保険としてもう1機を同時並行で開発させるのはアメリカの軍事産業では割とよくある手法。F4UとF6Fとかまさにその事例である。

*4 XF4F-1は複葉機だったが、流石にダメ出しを食らったため単葉機に変更し出直して来た。

*5 一応、1936年開戦のスペイン内戦で実戦を積んだ独ソでは一撃離脱が編み出されていたが、まだまだ戦術として不完全だった。

*6 ブルーステルのエース35人の中にはあの「無傷の撃墜王」ことエイノ・イルマリ・ユーティライネン氏もいた。彼はまさに前述の第24戦闘機隊に属し、Bf109に乗り換えるまでにブルーステルで34機を撃墜している。

*7 どこまで本当かは不明だが、英語版Wikipediaには「エンジンのピストンリングを裏返してみたところ、機体の調子が良くなった」という逸話が記されている。

*8 まともな将校もロクな兵器も無く、しかも数少ない使える部隊は独ソ戦に駆り出されており、フィンランド戦線は二線級の人材と兵器が中心だった。

*9 この頃にはソ連戦闘機だけでなく、レンドリースにより米英から供与された機体と空戦を交えることもあり、P-39やP-40、ハリケーンなどの撃墜記録が残っている。祖国の戦闘機と戦うことになるという、なんとも不思議な巡り合わせである。

*10 当時は製紙やゴム加工を手掛けていた。