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更新日:2025/04/22 Tue 22:05:33
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2010年ジャパンカップ本馬場入場 実況:塩原恒夫アナ
シリュスデゼーグル(Cirrus des Aigles)とは、2006年生まれのフランスの
競走馬。
世界を股にかけて活躍した史上最強セン馬の有力候補にして、
息の長い活躍で多くの優駿と渡り合った時代の生き証人である。
馬名の意味は「鷲の巻雲」。
鷲は舞い降りた
父Even Top、母Taille de Guepe、母父Septieme Cielという血統。
…どれも聞いたことがないって?それも当然である。
父は現役時代は英2000ギニー2着などの成績で、主に障害競走向けの種牡馬として活動しており平地競走では馴染みのない存在。しかもその父の父は
アホヌーラ。
つまり今や滅亡寸前の
トウルビヨンの直系、すなわち
ヘロド系である。
母は未出走の繁殖牝馬だが、母父はアメリカ史上初の無敗
三冠馬シアトルスルーの直仔で、フランスの短距離G1フォレ賞を制している。
とまあ、3代父アホヌーラやらニジンスキーの4×5のクロスやらと21世紀の競走馬とは思えないような要素が並ぶ雑草血統である。
実際血統面では期待されていなかったようでデビュー前に去勢されていた。
ジャン=クロード・アラン・デュプイ氏に購入されたシリュスは、同氏の所有馬としてコリーヌ・バランドバルブ調教師のもとに入厩することとなった。
2歳時
2008年10月7日に、フランス、シャンティイ競馬場の未勝利戦(芝1600m)でデビュー。
血統の悪さから12頭中10番人気と思いっきりなめられていたが、ふたを開ければ4着に突っ込む力走で低評価を覆す。
さらにその後11月に中10日で未勝利戦を連戦、クリスマスイブにも条件戦に参戦し、それぞれ3着、2着、2着。
結局4戦未勝利だったものの、タフなローテのなか掲示板を外さない堅実な走りを見せた。しかもこの4戦全部競馬場が違う。
このタフネスがのちに彼の大きな武器となる。
3歳時
1月22日のカーニシュルメール競馬場の未勝利戦(AW2000m)から始動。1番人気に推されながら2着に敗れるも、
1週間後の同競馬場AW1600mの未勝利戦でハナクビの接戦を制してついに初勝利を挙げる。
その後2月に、カーニシュルメール競馬場のAWで条件戦(1600m)とリステッドのポリースマン賞(2000m)をまたもや中1週で連闘するも共に僅差の2着。
3月にドーヴィル競馬場(AW1900m)、4月にロンシャン競馬場(芝1600m)での条件戦もともに2着と惜敗が続くが、
5月に入っては同じくロンシャン競馬場の芝2000mの条件戦をついに勝利し条件馬に昇級。10日後にもロンシャンで条件戦を連勝した。
6月にはサンクルー競馬場のリステッド競走マッチェム賞(芝2000m)に出走し、後にこの年のG1パリ大賞・G2ニエル賞を勝ち
凱旋門賞でも3着に食い込むことになる上がり馬の
キャバルリーマンと対決。
結果的に6馬身ちぎられるも2着に健闘した。
以降リステッド競走に集中し、18日後のトゥールーズ競馬場のラングドックダービーを2着、7月にはコンピエーニュ競馬場のペレアス賞、シャンティ競馬場のリッジウェイ賞をともに3着し、フランス中を駆けまわった。
そして8月にルリオンダンジェ競馬場のルリオンダンジェ大賞(芝2000m)に出走。ここから以降しばらく手綱をとることになるフランク・ブロンデル騎手に乗り替わると、ここを6馬身差で快勝しリステッド競走を初制覇。
同月末にはクレールフォンテーヌ競馬場のクレールフォンテーヌ大賞もアタマ差2着とした。
そして翌9月、陣営はついに重賞への初挑戦を決断。ロンシャン競馬場のG3プランスドランジュ賞(芝2000m)に挑んだ。
8頭中6番人気と低評価だったが、やはり評価をひっくり返す力走で2着に3/4馬身差つけて完勝。初挑戦にして見事に重賞馬となる。
その勢いのまま同じくロンシャンで10月のG2コンセイユドパリ賞(芝2400m)に出走すると、ここを2着に6馬身差で圧勝し難なく重賞2勝目を挙げた。
12月にはフランスを飛び出して香港遠征。G1香港ヴァーズ(芝2400m)に出走した。
一時は先頭に立って最終直線の攻防にくわわるものの、5頭が入り乱れる叩き合いのなか末脚で競り負け、同じフランス馬のダルヤカナから1馬身ほど遅れた5着に敗れる。
2009年は17戦6勝。同期の出世頭である
シーザスターズが
凱旋門賞を含むG1・6連勝とド派手に暴れ回った裏で、確かなレベルアップを見せてこの年を終えた。
4歳時
2月にカーニシュルメール競馬場のリステッド競走コートダジュール大賞(AW2000m)から始動するが、1番人気に推されたものの4着に敗れる。
この後一頓挫あって休養に入り、8月にドーヴィル競馬場のG3ゴントービロン賞(芝2000m)で復帰。
ここは前年にG1・2勝を挙げた1世代上のフランスダービー馬ヴィジョンデタの3着に敗れたが、
ロンシャン競馬場で9月のリステッド競走ブローニュ賞(芝2000m)、10月のG2ドラール賞(芝1950m)を連勝して復活。
同じく10月にはコンセイユドパリ賞連覇を狙ったが、初めての60kgの斤量が響いたか2着に惜敗した。
ここから欧州競馬のオフシーズンを利用した2度目の海外遠征を決行。
11月末のG1ジャパンカップに参戦した。だが日本の競馬ファンの間ではシリュスデゼーグルの知名度は低く、また主な勝ち鞍がフランスのG2かG3かという目立たなさや東京コースは適性外とみなされたのもあって18頭中16番人気という低評価であった。
実際ブエナビスタが斜行で降着したので繰り上がったローズキングダムの9着に敗れたので何も言えないが…だが人気を大きく上回って勝ちタイムから0.4秒差の激走。外国馬の中では最先着し気を吐いた。初めて掲示板は外したけど。
12月にはG1香港カップ(芝2000m)に参戦したが、こちらは日本ですんごい脚を見せた英愛オークス馬スノーフェアリーに充実度の差をみせつけられ、7着に敗れた。
この年は7戦2勝。G1の頂はまだ遠い。
というかこの時点で日本・香港のG1にしか出ていないフランス馬ってかなりレアキャラのような…
5歳時
3月にサンクルー競馬場で行われるG3エクスビュリ賞(芝2000m)から始動。
叩きのレースだったが半馬身差の2着と力を示したうえで、翌月のロンシャン競馬場でのG1ガネー賞(芝2000m)に参戦した。
結果から言えば前年のクラシック戦線で活躍したプラントゥール、前年のフランスオークス馬サラフィナの2頭に敗れる3着となったのだが、愛ダービー馬でG1・2勝の実力馬ケープブランコには先着。シリュスの素質が花開きつつあることは疑いのないものとなった。
翌5月には再びロンシャンでG1
イスパーン賞(芝1850m)に参戦。ここには
{
BCマイル3連覇を果たし当時
G1・12勝(最終的には14勝)の女傑
ゴルディコヴァがいた。
このレースではフランスの若手トップジョッキーで、後に最大の相棒ともなる
クリストフ・スミヨンがシリュスデゼーグルにテン乗り。スタートが切られるとスミヨンの手綱さばきのもとこのゴルディコヴァを徹底マークして直線で並びかけたものの、
凄まじい叩き合いの末に振り切られクビ差の2着。紛れもない健闘ではあったが惜しくも大金星を逃す形となった。
6月のG3ラクープ(芝2000m)は当然のように勝ち、13日後のG1サンクルー大賞(芝2400m)に出走。やや戦術を変えて積極的な逃げを打ち、直線でも末脚は衰えなかったがガネー賞でも対決したサラフィナに惜しくも差し切られクビ差の2着に敗れた。G1が本当に近くて遠い…
しかしシリュスデゼーグルの成長は続いていた。
7月には気を取り直してヴィシー競馬場のG3ヴィシー大賞(芝2000m)に出走し、1番人気を背負って3馬身差で快勝。
8月には中2週でドーヴィル競馬場でG3ゴントービロン賞(芝2000m)とG2ドーヴィル大賞(芝2500m)を連闘してそれぞれ8馬身差、10馬身差と圧勝をおさめる。
10月にはふたたびドラール賞に出走するが、ここは英G1プリンスオブウェールズステークスの勝ち馬バイワードに寸前で差され2着となった。
シリュスデゼーグルはここから以前テン乗りしたクリストフ・スミヨンに主戦をスイッチし、
中2週でイギリスに遠征。
え、
凱旋門賞?あれはセン馬は出走できないので…
この年から賞金が増額されイギリス最高賞金のレースとなったG1
チャンピオンステークス(芝10F)に参戦した。
このレースには、
- オーストラリアからイギリスに移籍し中距離戦線を無双していた10ハロンの怪物ソーユーシンク
- 昨年の香港Cでシリュスを破り、この年の凱旋門賞でも3着、次走で日本のエリザベス女王杯を連覇する名牝スノーフェアリー
- 3歳馬ながらこの年のG1キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスステークスを勝った後の名種牡馬
でありフランケル被害者の会副会長ナサニエル
- ナッソーステークス3連覇などG1・6勝の名牝ミッデイ
- そのミッデイをG1インターナショナルステークスで下しこのレースも連覇しているトワイスオーヴァー
などなど超強力メンバーが集結し、シリュスデゼーグルはそれらから一歩後れた6番人気という評価だった。
しかしレースでは中団前でスノーフェアリーの外から、先行するソーユーシンクをマークする形ですすめると、直線で抜け出したソーユーシンクにジリジリと迫り、ラスト50mでこれを差し切り勝ち。
豪華メンバーを打ち破ってついにG1初制覇を果たした。実にデビューから38戦目。
会心の勝利にスミヨンもしばらく大興奮であった。鞭の使用回数が規定をオーバーしたためスミヨンの賞金の取り分がチャラにされてしまったのはご愛嬌。
年末にはもはや恒例となった香港遠征。
香港Cに再チャレンジするも5着に敗れた。が、以前敗れたバイワードにはきっちり先着した。
この2011年は11戦5勝で重賞5勝、G1・1勝の大活躍。雲まで舞い上がる鷲のごとくフランス古馬の代表格へと急成長を果たした。
またこの実績とチャンピオンステークスでの勝利が評価され、この年G1・3勝を挙げていたソーユーシンクらを抑えてカルティエ賞最優秀古馬にも輝いた。
6歳時
ドバイワールドカップを目標として3月のシャンティイ競馬場の条件戦(AW2000m)から始動したが、2馬身差の2着でよもやの敗北。
目標を切り替えて同月末のG1ドバイシーマクラシック(芝2410m)に出走した。
ここからこの年は名手オリビエ・ペリエに手綱を託すこととなった。
ドバイにおいては、
- 将来を嘱望されながら故障でクラシックを棒に振ったものの、復帰後G1コロネーションカップやBCターフを制したセントニコラスアビー
- アイリッシュダービー馬でアメリカG1セクレタリアトステークス勝ち馬のトレジャービーチ
- イタリアG1ミラノ大賞の勝ち馬ジャッカルベリー
などの強豪が相手になった。レースでは逃げ馬を見るように2番手につけると、3コーナーから追い抜いて先頭に立って内ラチ沿いをロスなく疾走。
最終直線で後方から追い上げてきたセントニコラスアビーと激しい叩き合いにもつれこんだが、クビ差で封じ切ってゴールし、G1・2勝目を挙げた。
帰国後4月にはガネー賞にリベンジ。ここでは不良馬場も味方し、G1ファルマスステークス勝ち馬の2着ジオフラに8馬身差をつける大圧勝を果たして連勝でG1・3勝目。
5月のイスパーン賞にも参戦したが、前年のフランス二冠牝馬ゴールデンライラックに差されて2位入線となり、しかもレース後のドーピング検査で陽性反応が出てしまい失格となってしまった。
その影響か次走に予定していたサンクルー大賞やキングジョージなどの出走は回避となり、結局復帰は10月のドラール賞まで遅れてしまう。
しかしここも不良馬場のもとで圧倒的パフォーマンスを見せつけて2着に9馬身差と大勝。連覇を狙ってチャンピオンステークスへ参戦した。
しかしこの年のチャンピオンステークスには稀代の名馬が参戦していた。
並み居る強豪を歯牙にもかけず打ち破り続けてG1・9勝を挙げ、史上最強馬との呼び声高い怪物フランケルである。
それまで主戦場にしていたマイルから中距離へと距離延長したG1インターナショナルSで
8馬身差の圧勝を果たした彼が引退レースとして選んだのがこのチャンピオンステークスであった。
さらに、
- 昨年のキングジョージに続いてG1エクリプスステークスも勝ったナサニエル
- ドイチェスダービー、ダルマイヤー大賞とG1を連勝したドイツ総大将パストリアス
- ドバイG1ジェベルハッタの勝ち馬マスターオブハウンズ
と小頭数ながら抜群の優駿が集結し、怪獣大決戦の様相を呈した。
当日は雨の影響で重馬場となり、フランケルが抜けた1番人気ながらも、彼は重馬場が苦手と見られていたこと、逆にシリュスにとって渋った馬場が得意の舞台であるとすでに知られていたことから、「フランケルを負かすとしたら彼しかいない!」と2番人気に推された。
レースが始まるとフランケルは思いっきり出遅れ。一方うまくスタートを切ったシリュスデゼーグルは2番手につけた。
ここで先頭のブレットトレイン(フランケルのペースメーカー)がフランケルの出遅れを察して位置を下げたため、押し出されるような形で先頭に立つ。
最終直線を向くと後方からフランケルが、先行勢からナサニエルが位置を上げてくるが、脚色の差でナサニエルはついていけなくなりシリュスデゼーグルとフランケルの一騎打ちとなった。
ここで壮絶な叩き合いになったものの、フランケルの桁違いの末脚が優勢となってリードが開き、シリュスデゼーグルは必死で食い下がったがフランケルから1 3/4馬身差の2着に敗れた。
とはいえ古馬以降のフランケルに真っ向勝負でここまで肉薄したのはシリュスデゼーグルだけであり、負けこそしたものの生涯最高のパフォーマンスと評されることとなった。
年末は例によって香港遠征に向かったものの、左前脚を痛めたため出走を取り消してそのまま帰国となった。
この年6戦3勝、うちG1・2勝と昨年に続き大活躍。流石にカルティエ賞などのタイトルはフランケルに譲ることになったものの、この年のワールド・サラブレッド・ランキングではガネー賞とドラール賞での圧勝劇、およびチャンピオンSでの力走が評価され、フランケルに次いで当年の世界2位となる131ポンドの評価を得た。
7歳時
昨シーズン末の故障などからの調整に時間を要したため、6月のサンクルー大賞で戦線復帰となった。
しかしここはイタリアG1ジョッキークラブ大賞勝ち馬となって完全覚醒したドイツ最強馬ノヴェリストがあまりにも強すぎ、得意の重馬場にもかかわらず4馬身半ちぎられた5着に敗戦。
次走とした7月のキングジョージでも再びノヴェリストのレコード勝ちの前に4着}。
立て直すべく再び鞍上にスミヨンを迎え、8月は以前勝利したゴントービロン賞と、それから中2週でドーヴィル大賞にも出走するがそれでも2着、5着とまったく奮わなかった。
しかし9月のメゾンラフィット競馬場のG3ラクープドメゾンラフィット(芝2000m)を制すると、翌月のドラール賞は昨年に続き連覇達成。
調子を取り戻したということで陣営は同レース2勝目を目指しチャンピオンSに参戦。
前走の英G1ロッキンジSを勝ってやっとG1馬となったゴドルフィンの最終兵器にしてフランケル被害者の会会員のファー、3歳でデビューしてわずか3戦で英ダービー馬に輝いたルーラーオブザワールドらと激突した。
レースでは中団待機を選択して先行するファーを見る位置につけ、直線で先に抜け出したファーを追撃したものの、決死の粘りにクビ差届かずファーの2着に敗れた。
12月には昨年出走できなかった香港Cにリベンジ。先行して飛ばす策は奏功したが直線で前をとらえきれず、3着に敗れた。
この年は8戦2勝で、G1も未勝利に終わった。そりゃもうシリュスデゼーグルは7歳である。彼は燃え尽きてしまったのか…?
8歳時
まだだ、まだ終わらんよ!とばかりに2014年も現役続行。
一昨年と同様ドバイワールドカップを想定してシャンティイ競馬場の条件戦(AW1900m)から始動したが4着に敗戦。
目標をドバイシーマクラシックに切り替えて参戦した。
ここでは、
- 我らが日本の三冠牝馬
鬼婦人ジェンティルドンナ
- 愛2000ギニー、BCターフを制したクールモア代表マジシャン
- パリ大賞をはじめ仏独G1を4勝した名牝ミアンドル
- メルボルンCや香港ヴァーズ等G1・3勝を挙げ、シリュスデゼーグルと同じくアホヌーラを父の父に持つドゥーナデン
とまた豪華なメンバーが集結した。
レースでは日本馬の強さ
とサンデー勝負服の恐ろしさを知る鞍上スミヨンのもと
ジェンティルドンナを外から徹底マークして並走。
3コーナーからジェンティルドンナの動きを完全に封じ、直線では斜行スレスレのカットインで前を潰して葬り去りつつ先頭に躍り出た。
勝ったッ!第3部完!
と思われたその瞬間、
前を潰されたジェンティルドンナが凄まじい横っ飛びでシリュスデゼーグルの後ろを外目に抜けるという神回避を披露。
しかも減速するどころか加速して前方をまとめて交わしさっていき、
シリュスデゼーグルは1 1/2馬身差の2着に完敗した。
この会心の騎乗をもってしても勝てないとは、やはり衰えが来てしまったのであろうか?
ちなみにこのレースの結果により、奇妙な三角関係が完成することとなった。これについては後述。
帰国して4月には
ガネー賞に参戦。
ここはそれほど強豪が集まったわけでもなかったが、一頭だけ規格外の存在がいた。
フランス牝馬二冠、そして凱旋門賞と前年を無敗で駆け抜け、圧倒的強さを示した名牝、トレヴである。
このレースが
休み明けの初戦、
ペースメーカーも配した万全の体制、
鞍上は名手フランキー・デットーリと非の打ち所がなく、
当然のように単勝1倍台と断然の1番人気に支持されていた。
さてシリュスデゼーグルはトレヴに続く2番人気に推されて出走。
レースではペースメーカー2頭から離れた3番手の位置につけて進め、直線に入るとそれを抜いて早めの先頭に立つが、ここでトレヴが後方から追い上げてきた。
良い脚色でシリュスデゼーグルに外から並びかけていき、前に出るとそのまま置き去りに…するかと思われた。
が、シリュスデゼーグルはここで本来の持ち味である怪物的な勝負根性を発揮。
斤量の軽いトレヴ相手に一歩も譲らず抜かせまいと踏みとどまり、約400mに渡って引き離させずに食らいつく。
そして凄まじい叩き合いの末、シリュスデゼーグルが最後の踏ん張りでクビ差差し返したところがゴール板であった。
8歳の、もう燃え尽きたかと思われた老兵が、後に凱旋門賞連覇を果たす名牝に初めて敗北を与えたのである。
8歳馬がこのレースを勝つのは史上初の快挙で、まさに驚きずくめの復活劇であった。
そして5月のイスパーン賞ではG1・3勝の快速馬オリンピックグローリーらを打ち破り、3度目の挑戦で悲願の初制覇。
6月のイギリスG1コロネーションカップ(芝12F)ではパリ大賞馬にして欧州最強のシルコレフリントシャーを2馬身差の2着に破って快勝。G1・3連勝で完全復活を遂げた。
ちなみにこのコロネーションカップは、同レースを史上初めて3連覇したかつての好敵手セントニコラスアビーが急逝したことを追悼して「セントニコラスアビー記念」の副題を冠していた。なんという運命の不思議だろうか。
しかしこの
レース中に脚を骨折するというアクシデントに見舞われており、スミヨンもエリザベス女王への拝謁もそこそこに入線後下馬。
この治療のため戦線離脱し、すでに3勝している10月のドラール賞で復帰。下馬評通り1位入線を果たすが
斜行をとられて5位に降着という悔やまれる結果となった。
次いで4年連続4度目のチャンピオンステークスに出走。
ここでの主な相手は、あの
フランケルの全弟で
G1・2勝を挙げているノーブルミッション、そして
イギリス二冠馬キャメロットを倒してG1・3連勝を果たしているアルカジームであった。
その中でも実績、そして重馬場という好条件から1番人気に支持されたシリュスデゼーグル。しかし好位をいつも通り確保したものの直線でまったく加速できず、ノーブルミッションがG1・3勝目、そして兄弟制覇の栄光に輝くなかの5着に敗れた。
年末は今度こそと香港Cに出走。直線で良く伸びたものの4着に敗れた。
9歳時
2015年もまだまだ現役を続行。とはいえ年齢もあって調整に手間をかけ、始動戦は5月のガネー賞となった。
流石に9歳馬は…と思われる中だったが、2着アルカジームにリベンジを果たす1 3/4馬身差の快勝。
史上6頭目のガネー賞連覇、そして史上初のガネー賞3勝を飾るメモリアルな勝利であった。昨年に続きガネー賞勝利の史上最高齢記録も更新してみせた。
繰り返すが「9歳馬が」である。最近の若いもんは…
しかし次走のイスパーン賞は勝ったソロウから5馬身半ちぎられた4着。
その後休養に入り、9月のレパーズタウン競馬場で開かれるG1
アイリッシュチャンピオンステークス(芝10F)にて復帰した。
しかしここはこの年の
凱旋門賞も勝つ
英ダービー馬ゴールデンホーンに
11馬身ちぎられ7着に敗戦。
掲示板を外すのは2010年の香港C以来実に5年ぶりのことだった。
その後もドラール賞は5着に敗れ、長距離に活路を見出そうと参戦したサンクルー競馬場のG1
ロワイヤルオーク賞(芝3100m)も
4着。
12月に参戦した香港ヴァーズはいいところなく
生涯最低着順となる10着に敗れた。
誰が見ても分かる通り、長年戦い続けてきたシリュスデゼーグルの身体は限界が近づいていた。
そして10歳を迎えた2016年。
現役続行を予定してはいたが、調教でもいいパフォーマンスが出ないことに気づいたバランドバルブ師が獣医の検査を仰いだところ、種子骨の靭帯の石灰化が起こっていることが判明。
この状態でレースで全力を発揮すると靭帯断裂となる可能性が高いということで、年齢も考慮しここで引退となった。
「彼を誇りに思います。戦うこと、そして勝つことを愛する勇敢な馬でした」
かくしてシリュスデゼーグルは、8年の長きに渡った競走生活に別れを告げた。
競走馬として
通算戦績は
67戦22勝。
重賞を17勝し、うちG1を7勝もした。
そしてもっと驚くべきは
2着が20回であること、そして
掲示板を外したことは生涯に4回しかないという恐るべき安定感である。
中1週と使い詰めることがままあったり、何度も負傷したりしながらフランス、
イギリス、ドバイ、アイルランド、香港、日本と6か国を巡り、かつ9歳まで走ってこれほどの戦績を残したのは(バランドバルブ師らの手厚いサポートも含めて)驚嘆すべきことである。
これだけ長く勝ち続けたこともあって生涯に獲得した総賞金は617万9490ポンド(約9億9800万円)にのぼり、ヨーロッパでは歴代1位である。
そのタフさ、そして各世代の強豪と演じた名勝負の数々から
ファイティングシリュスの愛称で親しまれた。
血統について
冒頭で述べたように現代では絶滅危惧種となったトウルビヨン系の競走馬。ようするにバイアリータークの直系子孫である。
当時の流行りの種牡馬も繁殖牝馬もまったく入っていない、化石と思えるような配合も相まってキャラが立っていた。
だがそんな競走馬が世代のトップとして長く君臨するのだから血統とは不思議なものである。
ちなみにドバイシーマクラシックで対峙したドゥーナデンは先述の通り父の父アホヌーラの同父系。
こちらは去勢されていなかったばかりか、バイアリーターク系の救世主としてカタール王族の庇護のもと鳴り物入りで種牡馬入りしたが、2019年に死去。残せた産駒は少数であった。
日本でも直系種牡馬はわずか2頭となり、世界的にいよいよ滅亡が近づきつつある状況である。
三角関係
ドバイシーマクラシックでセントニコラスアビー、ジェンティルドンナと3年がかりで奇妙な三角関係を構成したことも話題となった。
2012年
1位 |
シリュスデゼーグル |
2.31.30 |
2位 |
セントニコラスアビー |
クビ |
2013年
1位 |
セントニコラスアビー |
2:27.70 |
2位 |
ジェンティルドンナ |
2 1/4馬身 |
2014年
1位 |
ジェンティルドンナ |
2:27.25 |
2位 |
シリュスデゼーグル |
1 1/2馬身 |
ちなみに対決したのもお互いにそれぞれ一度きりである。そして3頭ともG1を6勝以上した名馬。
どこまで仲良しなんだお前ら。
ロンシャン巧者
シリュスデゼーグルはロンシャン競馬場でのレースが極めて得意で、22勝のうち13勝をロンシャンであげている。
これはロンシャンの女王と呼ばれた名牝アレフランスに並ぶ数。さしずめロンシャンの王といったところか。
だが残念ながらフランスの競馬はセン馬が活躍できる場が少なく、クラシック以外にも例えば凱旋門賞やその前哨戦のニエル賞、フォワ賞はセン馬が出走不可となっている。
しかしこのフランス競馬の構造が、シリュスデゼーグルがイギリスやドバイなど国外に進出する決め手になったことも事実である。
鷲は飛び立った
引退後はキャリア後半の主戦騎手であるクリストフ・スミヨンがシリュスデゼーグルを引き取り、以降彼の自宅にて生活している。
ザルカヴァやダラカニなど数多くの名馬にまたがったスミヨンにとって、シリュスデゼーグルはそれほどに思い入れの強い存在だったのだろう。
フランスでも高い人気を誇り、2024年のG1ジョッケクルブ賞(フランスダービー)にもリーディングホースとして招かれた。
セン馬ゆえに産駒はいないが、異端な出自を持ちながら長年にわたってパワフルな走りを続け、各時代を代表する強豪としのぎを削った熱いキャリアは今も多くの競馬ファンの記憶に残り続けている。
その記憶こそが、シリュスデゼーグルの残した最大の遺産である。
アニヲタからwiki籠りは舞い降りた
シリュスデゼーグル、追記・修正お願いします
- なんでタマ取ったんや……と思うが、取ってなかったらそもそも結果残せなかったかもしれんというね -- 名無しさん (2024-06-08 20:01:17)
- 来日した時に乗ってたのがあのブロンデルおじさんというのも印象深い -- 名無しさん (2024-06-08 20:09:25)
最終更新:2025年04月22日 22:05