登録日:2024/12/05(木) 20:31:01
更新日:2025/03/20 Thu 21:21:17
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We can see the history this afternoon!
Goldikova, a true champion three Breeders' Cup wins!!
今歴史が変わります!ゴルディコヴァ、ブリーダーズカップ・マイル3連覇!
2010年TVGブリーダーズカップ・マイル 実況:ESPN Horse
ゴルディコヴァ(Goldikova)とは2005年生まれのフランスの元
競走馬・繁殖牝馬。
フランス競馬界の第一人者のもとに不思議な縁から現れ、
ブリーダーズカップ・マイル3連覇、
ロートシルト賞4連覇など
ヨーロッパ調教馬として最多のG1勝利数記録を樹立したマイルの絶対女王である。
概要
ヘッド
ゴルディコヴァについて語る前に、まずは彼女を取り巻く人々について語らなければならない。
フレディ・ヘッドという騎手がいた。
日本での知名度こそ少ないがフランスを代表するスーパージョッキーだった人物であり、
- フランスリーディングを6回獲得
- サンタラリ賞通算9勝(歴代1位)
- プール・デッセ・デ・プーリッシュ通算8勝(歴代1位)
- プール・デッセ・デ・プーラン通算6勝(歴代1位)
- ジャック・ル・マロワ賞通算6勝(歴代1位)
- フォレ賞通算5勝(歴代1位)
- 凱旋門賞通算4勝(歴代1位)
と色々すさまじい記録を打ち立てた人物である。
そんなヘッド騎手は数々の名馬にまたがってきたわけだが、その中でも特筆すべき存在が80年代の欧米マイル路線に君臨した名牝ミエスクである。史上初のブリーダーズカップ・マイル連覇と欧州馬としての最多記録となるG1・10勝、そして繁殖に上がってはあのキングマンボを輩出したこのパーフェクトな牝馬は、フレディ・ヘッドをして「最強馬」と言わしめるほど彼の記憶に深く残る存在となった。
1997年に騎手を引退した後は調教師に転じ、3年にわたって欧州短距離界のトップに立ち続けたマルシャンドールや、モーリス・ド・ゲスト賞3連覇などフランス史上最強スプリンターのムーンライトクラウドといった優駿を手掛けた。
そんな彼のもとに、ある名士の手によってミエスクの再来とも呼べる馬が訪れたのはまさに奇跡であり、また必然でもあった。
ヴェルテメール
ドイツ語読みでヴェルトハイマーとも呼ばれる通り、フランスとドイツの間で揺れ動いたアルザス地方に住んでいたフランス系ユダヤ人の一族である。
ヴェルテメール家は大変な資産家であるとともに商才に長けており、彼らがオーナーとなった化粧品会社ブルジョワはフランスにおける同業界のトップランナーに成長。さらにアメリカにも進出してここでも成功を収めるなど、世界的な大企業となった。
そんな華麗なる一族の御曹司として生まれたのがピエール・ヴェルテメールである。
彼もまた新進気鋭の人物で、父アーネストが亡くなると弟のポールと共に家業を継ぎ、さらに歴史的ファッションデザイナーのココ・シャネルと出会う。
ピエールとシャネルは合同企業「パルファム・シャネル」を創設し、ヴェルテメール家の持つ資産と商流によってシャネルNo.5は爆発的なヒットを記録。「シャネル」というブランドは確固たる地位を築き上げ、ピエールはそのオーナーとなった。
その反面、自身のブランドの経営権をピエールに握られたココ・シャネルとの関係は悪化。ユダヤ人を敵視する
ナチス・ドイツの侵攻によってアメリカへの避難を余儀なくされたばかりか、それに乗じてパルファム・シャネルを支配下に置こうとするシャネルの策略に遭うなど苦難の時期が続いた。
しかしフランス人実業家フェリックス・アミオらの助けも借りてフランスでの資産を守り抜いたピエールは、戦後の法廷闘争にも勝利し、以後現在に至るまで続くシャネルのオーナーとしてのヴェルテメール家の地位を確立することに成功したのだった。
そんなピエールだが、彼がパリの名士らしく本業とは別に情熱を注いだのが競馬事業だった。
フランスギャロから「競馬の伝説」とまで呼ばれる
エピナールやイギリスダービー馬の
ラヴァンダンなど多くの名馬を生産・所有したが、それだけでなく所有牧場でのサラブレッド生産も行うなど競馬に本格的に取り組んでいた。
ピエールの亡きあとも競馬事業はヴェルテメール家の家業の一つとして継承されていき、
ダンシングブレーヴの父である
リファールや
ゴール板誤認事件で有名なジャパンカップにも参戦した
コタシャーンを送り出した。
ピエールの孫である
アランと
ジェラールの兄弟が当主となった現在もその勢いは衰えず、最近の例では日本の競馬ファンなら忘れえぬ存在となった
ソレミア、2024年
凱旋門賞でそれぞれ2着、4着の
アヴァンチュール、
ソジーといった多くの優駿を輩出している。
同時にお抱え調教師も継承されており、ピエールが1949年に雇ったアレック・ヘッド調教師は絶大な信頼を勝ち得、その後もヴェルテメール家のサラブレッドを一手に預かるようになった。
アレックは調教師ながら馬主でもあり、父は騎手、妻は馬主、息子は騎手、娘も調教師という筋金入りの競馬一家の出でもあったため、彼の娘、息子も引き続きヴェルテメール家の競走馬を預けられている。
そのアレックの息子であるジョッキーこそ、まさに若き日のフレディ・ヘッドその人である。
時が進み調教師となったフレディ・ヘッドのもとに、かつ自らが主戦を務めたアナバーと、ヴェルテメール家所有馬の血を引く繁殖牝馬ボーンゴールドの間の子が預けられたのは、このような流れを考えれば必然だった。
その馬の主戦騎手には、やはり馬主としてのヴェルテメール兄弟のお抱えで、かつ若き日のフレディと同じくフランスジョッキー界のトップを担う男がつくことになった。
ペリエ
エリシオ、
パントルセレブル、
サガミックスでの
凱旋門賞3連覇や
シンボリクリスエスでの有馬記念連覇、
ゼンノロブロイでの
秋古馬三冠など国を問わず大記録を成し遂げたオリビエ・ペリエの名を知らない競馬ファンはいないといってよいが、そんな彼が生まれたのは石職人の家で、競馬とはほとんど縁がなかった。
しかし近所のポニーレースを通じて騎手への憧れを強めたペリエは1987年にムーラン・ナ・バン競馬学校に入学。89年に卒業すると91年にはフランスの最優秀見習騎手に輝き、間もなく93年にジャンプラ賞を制してフランスG1を初制覇。
その後は96年・97年・99年・00年と
4回にわたってフランスのチャンピオンジョッキーとなり、
短期免許での来日では95年~08年まで14年連続でJRA重賞を制覇するなど世界で最も優れたジョッキーの一人として大活躍していた男である。
以降は2008年に患った目の病気や身体の衰えから成績も下降気味とはなったが、それでも2012年に
ソレミアに騎乗して
凱旋門賞を制するなど、2024年に引退するまで第一線で活躍し続けた。
そんなペリエはもともとフランスの名伯楽アンドレ・ファーブル調教師と専属騎乗契約を結んでいたのだが、2002年に袂を分かって契約を解消。変わって専属契約を結んだ相手こそ、フランス競馬界の一大勢力であるアランとジェラールのヴェルテメール兄弟だった。
以来2020年まで長きにわたりヴェルテメールの主戦騎手を務め、ファルコやアンテロ、ソレミアといった兄弟の所有馬でG1を制していった。
パントルセレブル、
ハービンジャー、
シンボリクリスエスなど多くの当代最強馬にまたがってきたペリエは、このヴェルテメール兄弟とそのお抱えであるフレディ・ヘッド調教師のもとで、そのキャリアにおいて最後の最強馬との出会いを果たすこととなる。
ゴルディコヴァ
4代血統表
Anabaa 1992 鹿毛 |
Danzig 1977 鹿毛 |
Northern Danser 1961 鹿毛 |
Nearctic 1954 黒鹿毛 |
Natalma 1957 鹿毛 |
Pas de Nom 1968 黒鹿毛 |
Admiral's Voyage 1965 鹿毛 |
Petitioner 1952 鹿毛 |
Balbonella 1984 鹿毛 |
ゲイメセン Gay Mecene 1975 黒鹿毛 |
Vaguely Noble 1965 鹿毛 |
Gay Missile 1967 鹿毛 |
Bamieres 1978 黒鹿毛 |
Riverman 1969 鹿毛 |
Bergamasque 1969 黒鹿毛 |
Born Gold 1991 栗毛 FNo.22 |
Blushing Groom 1974 栗毛 |
Red God 1954 栗毛 |
Nasrullah 1940 鹿毛 |
Spring Run 1948 鹿毛 |
Runaway Bride 1962 鹿毛 |
Wild Risk 1940 鹿毛 |
Aimee 1957 鹿毛 |
Riviere D'or 1985 鹿毛 |
Lyphard 1969 鹿毛 |
Northern Danser 1961 鹿毛 |
Goofed 1960 栗毛 |
Gold River 1977 栗毛 |
Riverman 1969 鹿毛 |
Glaneuse 1966 鹿毛 |
父アナバー 母ボーンゴールド 母の父ブラッシンググルームという血統。
父は
ノーザンダンサー系の名種牡馬ダンジグの産駒としてジュライカップ、モーリス・ド・ゲスト賞を勝った名スプリンター。現役時代には
フレディ・ヘッドが主戦を務め、彼の姉の
クリスティアーヌ・ヘッドが調教師、母の
ジスライン・ヘッド夫人が馬主というまさに『ヘッド一族』の馬である。
種牡馬としてもジョッケクルブ賞馬アナバーブルーなど多くの活躍馬を送り出した。
母は現役時代は7戦1勝だが繁殖牝馬として優秀で、ゴルディコヴァやその半妹ガリコヴァをはじめ多くの重賞馬を送り出した。そして祖母リヴィエルドールの父は名種牡馬リファール、母は凱旋門賞馬ゴールドリヴァーと、どちらもヴェルテメール家が所有した名馬で固められている。
以上の通り、『ヘッド一族の最強馬』に、『ヴェルテメール兄弟の最強馬の血を引く牝馬』をかけあわせて生まれたという、まさに両家の長く深いつながりを象徴するかのような馬である。
かくして生まれた「ボーンゴールドの牝馬」は、祖母リヴィエルドール、母ボーンゴールドと黄金にちなんだ名前が続いたことにならってGoldの文字をもらい、Goldikovaと名付けられた。
そして当然ゴルディコヴァは調教師となったフレディ・ヘッドの厩舎に預けられ、競走馬としてデビューするため調教を重ねることとなった。
ゴルディコヴァは馬場に出れば競走への意識が強く動きがよかったものの、ちょっと変わった性格の持ち主でもあり扱いにはそれなりに難儀することになった。
というのは彼女はパーソナルスペースにこだわりがあったようで、自分の馬房に入ってくる者に容赦がなかったからである。
それはヘッド師に対しても例外ではなく、馬房で彼が近づこうとするものなら噛みつこうとしたり蹴り飛ばそうとしてくる有様だった。
ただし調教助手兼厩務員のティエリ、厩務員長のブルーノ、装蹄師のニコラはゴルディコヴァが気を許す数少ない相手であったので、3人の尽力により管理自体はスムーズに行うことができた。
現役時代
2歳時
2007年9月17日にシャンティイ競馬場のマイル戦であるトートヴォワ賞(芝1600m)でデビュー。3番人気の評価だったが2着に4馬身差の大楽勝をおさめ、翌月に同コースで行われたロリー賞も2馬身差で快勝。
以後は休養に入ったがこの2連勝で評価は大きく高まり、一気に翌年のフランス牝馬クラシック戦線の有力馬に名乗りを上げた。
ただしヘッド師が後に「過保護すぎた」と語った通りゆとりを持ったローテで使われたため、あるもう一頭の有力馬が君臨していた2歳G1戦線に出走することはなかった。
3歳時
ああ哀しきクラシック
牝馬クラシック一冠目のG1プール・デッセ・デ・プーリッシュ(芝1600m)を見据え、その前哨戦として4月にロンシャン競馬場のルーヴル賞(芝1600m)に出走。
ここは結果的には勝ち馬からクビ差の2着に敗れてしまうのだが、不良馬場にくわえて勝ち馬に3kg以上のハンデを与えていたこともあり叩きとしては十分と陣営も判断。意気揚々と翌月のプール・デッセ・デ・プーリッシュに参戦した。
が、その本番ではゴルディコヴァはいたくご機嫌斜めで、スタート前にゲート内でペリエを振り落とす有様。肝心のスタートでも後手を踏んで出遅れてしまった。
それでも持ち前の能力で中盤からまくっていき5番手で最終直線に突入。残り200mで先頭にたった
――と思ったのもつかの間、緑の勝負服を乗せた白いシャドーロールが並ぶ間もなくかっ飛んでいき、あっというまに2馬身差をつけられて2着の敗戦。ペリエが終始追って鞭も入れ続けたのに対し、向こうは残り200mでたったの鞭1発だけという完敗であった。
勝手知ったるシャンティイ競馬場で距離延長したならばと向かった翌月のクラシック2冠目、G1
ディアヌ賞(芝2100m)では好スタートを決めたものの、
またしても白いシャドーロールに残り300mであっさり交わされ3着に終わった。
その白いシャドーロールこそ、この年生涯無敗のまま
フランス牝馬三冠に輝き
凱旋門賞も制した無敵の名牝
ザルカヴァであった。こればかりはいくら何でも相手が悪かったというほかない。
ともあれザルカヴァと同路線では勝ち目もなく、距離延長も裏目に出たと判断した陣営はクラシック路線から離れてマイル路線への転向を選択。そしてこれによってゴルディコヴァの非凡なマイラーとしての素質が一気に開花するのである。
マイル女王覚醒
仕切り直しということで7月にメゾンラフィット競馬場のG3クロエ賞(芝1600m)に出走。クラシック戦線の有力馬だっただけありここは2着に3馬身差で快勝を果たした。
この勝利に希望を得た陣営は、フランス牝馬マイル路線の大一番であるドーヴィル競馬場のG1ロートシルト賞(芝1600m)に参戦。
古馬との初対決となったこのレースには
- 昨年のプール・デッセ・デ・プーリッシュ勝ち馬でアスタルテ賞、ムーラン・ド・ロンシャン賞とマイルG1・3勝のダルジナ
- 昨年の英1000ギニー馬にしてカルティエ賞最優秀2歳馬にも輝いたナタゴラ
など有力馬が揃い、ゴルディコヴァは上記2頭から遅れた3番人気の評価だった。だがレースでは3番手から競馬を進めると残り300mでナタゴラを抜いて先頭を奪取。代わって追い込んできたダルジナの強襲を粘りで封じ、半馬身差でG1初勝利を得た。
陣営はさらに勢いに乗り、今度は牡馬も相手になる9月のG1ムーラン・ド・ロンシャン賞(芝1600m)へとステップアップ。
ここでは先に破ったダルジナ、ナタゴラにくわえて
- エイダン・オブライエンが送り出す、英愛2000ギニーなどマイルG1・4勝と勢いにのるヘンリーザナヴィゲーター
- この年のG1イスパーン賞勝ち馬サージュブルク
- 当時はG1未勝利だったが、最終的には短距離からマイルまでG1を3勝し長く走った暴れん坊パコボーイ
など牡馬の強豪が集結してきていた。
レースが始まるとゴルディコヴァはペースメーカー3頭に続く4番手に立ち、それを見る形でダルジナが追走、ヘンリーザナヴィゲーターは後方からの競馬となった。残り400mでゴルディコヴァが先頭に立つと同時にダルジナもこれに並びかけていきゴールまで壮絶な一騎打ちが続いたが、ゴルディコヴァはすさまじい根性で最後までリードを譲らず半馬身差で優勝。
ダルジナに2連勝し、ヘンリーザナヴィゲーターをも下して欧州マイルの頂点を制した。
ますます自信を深めた陣営は、ここで初めての海外遠征を決断。
ヘッド師のかつての愛馬ミエスクを意識してか、北米最大の芝のマイルレースであるG1ブリーダーズカップ・マイル(芝8F)に向かった。ここでの主要な相手は現地アメリカの芝マイラーで、
- 前年のBCマイルを含むG1・3勝のキップデヴィル
- 同じくアメリカで芝G1・3勝のプレシャスキトゥン
- 重賞を相次いで制した上り馬のワッツザスクリプト
などが顔を揃えた。
アメリカと欧州の芝馬のレベル差もあって1番人気に推されたゴルディコヴァは、スタートが切られると好位を先行。
しかし4コーナーで各馬の動き出しに遅れをとり、最終直線では完全に馬群に包まれてしまう。
万事休すかと思われたが、残り1ハロン地点で前を走る2頭の間に活路を見出すとここでゴルディコヴァの豪脚が炸裂。
...but Goldikova goes through at the rail and look at the accelaration from Goldikova as she bursts forward!
What a brilliant philly is this!
一瞬のうちに馬群を突き抜けるとみるみる後続を引き離し、外から追撃してきたキップデヴィルも寄せ付けずこれに1と1/4馬身差で優勝。
鮮烈な末脚をもって大西洋の東西でマイル女王の称号を得ることになった。
かくしてこの年マイルG1を3連勝という素晴らしい成績をあげたゴルディコヴァだったが、年間表彰では
ヨーロッパでの
カルティエ賞年度代表馬と
最優秀3歳牝馬のタイトルは、いずれも
無敗のままフランス牝馬三冠と凱旋門賞を制したザルカヴァに
北米での
エクリプス賞最優秀芝牝馬のタイトルは
BCフィリー&メアズターフを含むG1・3勝をあげたフォーエヴァートゥギャザーに
それぞれとられてしまい、無冠に終わった。やっぱり時代が悪すぎたのだ…
4歳時
古馬の試練
5月にロンシャン競馬場で行われるG1イスパーン賞(芝1850m)からの始動となった。
ここでも実績面でゴルディコヴァに比肩する存在はなく1番人気に推され、レースでもいつも通りペースメーカーを追って3番手で先行。
…したのだが、いつもの反応の良さが見られず残り300mから失速。直線一気で優勝したネヴァーオンサンデーに10馬身差をつけられ、ペースメーカーにすら先着(4着)されての7着という惨敗に終わった。
陣営からは距離がこれまでより1ハロン長くなったことと、馬場状態が悪化し重馬場でのレースだったことが敗因としてあげられた。
陣営は立て直しのためマイル戦に戻ることを選択してイギリスへと遠征。ニューマーケット競馬場の牝馬限定G1ファルマスステークス(芝8F)に向かった。
ここでのライバルは昨年のカルティエ賞最優秀2歳牝馬レインボーヴュー。ゴルディコヴァが単勝2.75倍の1番人気、レインボーヴューが3.25倍の2番人気と、オッズを大きく二分する構図になった。
さて肝心のレースではいつも通りの先行スタイルから反応して最終直線で先頭に立った…が、いつものキレのある突き抜けがみられず、後方勢の末脚に迫られるものの、根性で2着以下を半馬身差に抑えて無事勝利した。これでG1・4勝目。
次走は去年に続いてロートシルト賞となった。
この年のプール・デッセ・デ・プーリッシュ勝ち馬イルーシヴウェーヴや前走の英G1コロネーションステークス2着馬レガーヌらが参戦しており、しかも馬場はイスパーン賞の悪夢を思い出すような重馬場。
しかし果敢に2番手で先行すると直線で後続を引き離す本来の走りをみせ、最後はイルーシヴウェーヴに1馬身半差に詰められたとはいえ馬なりで走らせる余裕をもったまま勝利。
アスタルテ賞として1929年に創設されて以来初めてこのレースの連覇を成し遂げ、G1・5勝目とした。
ミエスクを追って
そしてロートシルト賞から中2週でフランスマイル路線の最高峰であるG1ジャック・ル・マロワ賞(芝1600m)へと参戦。
- 前々走でG1ドバイデューティフリー(現 ドバイターフ)を3馬身差完勝したグラディアトーラス
- プール・デッセ・デ・プーランを制したフランス3歳馬の一角シルヴァーフロスト
- 英マイルG1ロッキンジステークス勝ち馬のヴァーチュアル
- イスパーン賞でゴルディコヴァを破り、その後英G1プリンスオブウェールズステークスを3着したネヴァーオンサンデー
と牡馬の強豪が集結したにもかかわらず、ゴルディコヴァは単勝1.5倍という圧倒的1番人気となった。
そしてレースではその人気を裏切らない圧倒的パフォーマンスを披露する。
レース前から入れ込んでいたのが嘘のように好スタートを決めるとペースメーカーを追走。残り600mを切ると他馬は鞍上の手が動き出す中、ゴルディコヴァの方はペリエが完全に持ったまま1番手に立ち、残り400mからペリエが少し促すと一気にスパート。
残り300mで鞭が入るとさらなる豪脚が炸裂し、2着アクラームをそのまま6馬身ブッちぎる圧勝。アクラームから3着ヴァーチュアル以下まではさらに5馬身も離れており、しかも勝ちタイム1分33秒5はそれまでの記録を0.9秒も縮める圧巻のレースレコードである。これでG1・6勝目。
ヘッド師はレース後の取材でかつて自身がまたがってジャック・ル・マロワ賞を連覇した最強馬に触れ、
「今や彼女はミエスクをも超えました」
と最大級の賛辞を述べた。と言っても実はまだまだ超えていくのだが。
続いて向かったのは10月のロンシャン競馬場の短距離G1フォレ賞(芝1400m)。
ここに来て短距離に転じるのは若干不可解なローテだが、以降も同じローテを使っているのでBCマイル挑戦を前提に逆算した何かしらの戦略だったようである。
ここでは特に有力なメンバーもおらず単勝1.7倍と抜けた1番人気…だったのだが馬場は稍重となり、しかもレースは超ハイペース。
そこに慣れない短距離とあってゴルディコヴァ本来の鋭い走りは見られず、10番人気の伏兵スウィートハースと競り合っているところを外から5番人気のヴァレナーにまとめて差され、大金星を献上する3着敗戦となった。
ちなみに前月に行われたムーラン・ド・ロンシャン賞では、ジャック・ル・マロワ賞でゴルディコヴァの2着に終わったアクラームがそのまま勝利した。
この敗戦でも予定に変更はなく、11月のブリーダーズカップ・マイルへ連覇を目指して参戦となった。
- 英2000ギニーであのシーザスターズに迫る2着と実績のあるデレゲーター
- 昨年の同レース3着のワッツザスクリプト
- ジャック・ル・マロワ賞の敗戦の後イタリアG1ヴィットリオディカプア賞を勝って立て直してきたグラディアトーラス
- ダートから芝に転向後ハリウッドダービー、シャドウェルターフマイルステークスとG1・2勝のコートヴィジョン
- 前走シャドウェルターフマイルSでそのコートヴィジョンの2着だったカレリアン
らが相手となった。去年と同じくサンタアニタパーク競馬場の開催ということもありゴルディコヴァが単勝2倍台の1番人気で、続く上位人気を欧州からの遠征勢が占める構図の中、レースはスタート。
好発進を決めたグラディアトーラスがハナを取ってレースを引っ張り、それをカレリアンとワットザスクリプトらが追走する展開。
そんな先行勢の中にゴルディコヴァの姿は…なかった。
なんとスタートでつまずいて思いっきり出遅れ、最後方からの競馬となっていたのである。
とはいえ元より大外枠からの発走だったので、腹をくくったペリエはそのまま控える競馬を選択。一方グラディアトーラスは最初の2ハロンが22秒93というハイペースで飛ばしたため馬群は縦長となった。
3コーナーでもまだ11頭中10番手だったためポジションを上げるべく動き出すも、4コーナーで大外を回される羽目になって結局直線入り口でもまだ8番手。一方で先頭を走るのは好位から抜け出して粘り込みを図る10番人気のカレイジャスキャットだった。
しかし馬群の外側に抜け出たことでコースが確保されたゴルディコヴァは猛烈な末脚を発揮。瞬く間に4番手までまくり上げ、残り1ハロンを切ったあたりで二の脚でさらに加速。残り50ヤードで粘るカレイジャスキャットをついに捉え、そのまま抜き去って半馬身差で勝利をもぎとった。
前年は馬群に包まれこの年は大外を回って後方一気と不利にさらされながらも、1987・88年のミエスク、1992・93年のルアーに次ぐ史上3頭目のBCマイル連覇を達成。これでG1・7勝目。
フレディ・ヘッドが手掛けるこの牝馬はついにミエスクに追いついた。
この年の大活躍が年間表彰で評価され、ヨーロッパでは
カルティエ賞最優秀古馬、北米では
エクリプス賞最優秀芝牝馬のタイトルを手中にした。
だが当年はイギリス二冠から
凱旋門賞まで欧州の中長距離G1で無双していた
シーザスターズのド派手な活躍にカルティエ賞年度代表馬の座をもっていかれることになってしまった。
ザルカヴァは前年で引退していたのだが、どうにも星の巡りあわせが良いのか悪いのか…
5歳時
ミエスクを超えて
普通ならとっくに引退しているような戦績なのだが、競馬のスポーツ性を重んじるヴェルテメール兄弟の意向で現役続行。
目標は当然ミエスクを超えるBCマイル3連覇という前人未踏の頂である。
初戦は昨年同様のローテでイスパーン賞となった。対戦相手は、
- 前年のフランス牝馬二冠を含めG1・3勝のスタセリタ
- 前年のドイツダービー馬ヴィーナーヴァルツァー
- 次走の英G1プリンスオブウェールズSを勝つバイワード
と、シーズン初戦にしてはなかなかのメンバーが揃った。
昨年に痛い敗戦を喫したレースではあるが今年は良馬場で、コンディションも味方したかいつも通りの好位先行からスムーズに抜け出すゴルディコヴァ。ほとんどの馬はついていけずズルズルと後退していった。
…が、ただ1頭だけ彼女に追いすがる馬があった。道中最後方からじわじわポジションを上げ先頭集団まで抜けてきたバイワードである。
ここから双方一歩も譲らず激しい叩き合いが続き、一旦はゴルディコヴァが前に出たもののバイワードも全てを懸けた二の脚で猛然と差し返しを図った。
しかしペリエの必死の騎乗と人馬一体の気迫が勝ったか、ゴルディコヴァが半馬身差バイワードを凌ぎ優勝。これでG1・8勝目。
両馬の死闘から3着ヴィーナーヴァルツァーは10馬身も離されており、勝ちタイムの1分49秒4はレースレコードという文句なしの名勝負だった。
次走はイギリス伝統のマイルG1クイーンアンステークス(芝8F)となった。
- ゴルディコヴァが3歳時に勝ったムーラン・ド・ロンシャン賞で3位入線失格となったが、今やG1・3勝の強豪パコボーイ
- 前年の同レース勝ち馬であるオブライエン厩舎の刺客リップヴァンウィンクル
らが相手のこのレースでも、いつも通りゴルディコヴァは先行してスムーズに抜け出し、残り1ハロンで先頭を奪取。
パコボーイが持ち味の鬼脚で猛然と追い込んできたが持ち前の勝負根性でクビ差こらえて優勝。G1・9勝目となった。
その後は前年と全く同じローテとなった。
8月のロートシルト賞は昨年2着のイルーシヴウェーヴがいたがゴルディコヴァを脅かせるような存在はなく、レースでも残り400mで先頭に立つともはや鞭を使う必要もなく、2着に3馬身差で圧勝。これで同レース3連覇を果たし、G1・10勝目。
とうとうミエスクが保持しているヨーロッパ調教馬のG1勝利数記録に並んだ。
続いて中2週でのジャック・ル・マロワ賞は、前走に引き続き
パコボーイ、そしてこの年の英2000ギニーを人気薄で制した
マクフィが参戦。
単勝1倍台の圧倒的1番人気だったゴルディコヴァはいつも通り好位先行からの抜け出しを試みたものの、抜けたところで折からの重馬場ゆえか脚色が鈍り、
そこを中団待機で脚を溜めていたパコボーイとマクフィが強襲。
失速したパコボーイを意地で差し返したもののマクフィには届かず、
ドバイミレニアム一族3代連続のジャック・ル・マロワ賞制覇を2着から祝福することになった。
次走、10月のフォレ賞はこれで4度目の対戦となるパコボーイにくわえ、
- 前年の仏G1ジャン・リュック=ラガルデール賞勝ち馬で、後の名種牡馬シユーニ
- この年英2000ギニーを含むG1を3連続で2着し、前走G1ジャンプラ賞を勝ったディックターピン
- 英1000ギニー、プール・デッセ・デ・プーリッシュを連勝しているスペシャルデューティー
- モーリス・ド・ゲスト賞、スプリントカップと短距離G1・2勝のリーガルパレード
と、去年とは打って変わってG1馬が大挙参戦するハイレベルなレースに一変。
昨年のメンバーレベルで後れを取っており、馬場が悪化していたこともあってゴルディコヴァは1番人気ながら単勝2倍台となっていた。
このレースでは珍しくゴルディコヴァ陣営のペースメーカーが出走していなかったのだが、ここでペリエは名手の名手たる所以を発揮。
ゴルディコヴァのスタートの良さを利用して逃げの手を打ったのである。
先行が本来のスタイルであるゴルディコヴァが逃げるのは初めてだったが、ペリエは抜群のペースメイクでレースを支配。
直線に入ると2番手を追走していたリーガルパレードが先頭を奪取していったが、ペリエが促すとゴルディコヴァはすぐさま加速。残り200mでリーガルパレードを抜き返し再び1番手に立った。あとはいつものパコボーイの直線一気も半馬身差で封じ優勝。
G1・11勝目とし、ついにミエスクの持つG1最多勝利記録を更新した。
そして11月、ゴルディコヴァは真の決戦であるブリーダーズカップ・マイルへと挑んだ。
この年のブリーダーズカップの開催地は過去2回から変わってケンタッキー州のチャーチルダウンズ競馬場。かつてヘッド師がミエスクにまたがりBCマイル連覇を果たした、まさにその地である。
決戦らしくそのメンバーも過去2回を上回る充実ぶりとなった。
- ここまでで実にG1・6勝、前年のエクリプス賞最優秀古馬牡馬・最優秀芝牡馬を受賞し前年のBCクラシックであのゼニヤッタに迫る2着の北米総大将ジオポンティ
- G1サンタアニタダービーを勝ち、前走G2ラホヤハンデキャップもレコード勝ちしたシドニーズキャンディ
- 以前ロートシルト賞でゴルディコヴァに敗れたのちアメリカに移籍しG1・4連勝と変わり身を遂げたプロヴァイゾ
- 前年の英G1デューハーストステークス勝ち馬ベートーヴェン
- 北米芝G1で2勝し前走G1ウッドバインマイル2着のザユージュアルキューティー
スタートが切られるとシドニーズキャンディが逃げ、ゴルディコヴァは無理せず中団を選択、ジオポンティは出遅れて後方からとなった。昨年がハイペースとなり先行勢が沈没したのに対して、今年は最初の2ハロンが24秒02と絶妙なスローペース。
ゴルディコヴァは3コーナーから4コーナーにかけて外目を回ってスパートを始めたが、スローペースゆえ前が止まらない状態で5番手から直線に突入することとなった。
But Goldikova is catching up with each and every stride!
だが今年は馬場の真ん中から豪脚を繰り出して先行集団に襲いかかると一気に撫で斬り。
残り2ハロンを切ったところで逃げるシドニーズキャンディからあっという間に先頭を奪うと、追撃してきた2着ジオポンティに決定的な1と3/4馬身差をつけて完勝。
ここにミエスクを超え、前人未踏のブリーダーズカップ・マイル3連覇の偉業が成し遂げられた。G1最多勝記録も12勝に更新した。
BCマイルに限らず、ブリーダーズカップの平地競走全てにおいて3連覇もしくは3勝が達成されるのは創設以来初めてのことだった。
ヘッド師はレース後賛辞を惜しまず、
「全く夢のようで(中略)全てが感動的です。この瞬間を長い間夢見てきましたが、現実にはならないだろうと思っていました。私は本当に幸せ者です」
と述べた。
2着に敗れたジオポンティのクリストフ・クレマン調教師はさらなる賛辞を送っている。
「ゴルディコヴァが参戦してこないことを祈っていましたよ。彼女は私たちが見たことのないような、最強のマイラーです。彼女は怪物です」
年間表彰では2年連続となるカルティエ賞最優秀古馬とエクリプス賞最優秀古馬芝牝馬だけでなく、ついにカルティエ賞年度代表馬を受賞。
念願の欧州最強馬としてのタイトルをも手中におさめた。
ミエスクは翌年の1月、ゴルディコヴァのそんな偉業の数々を見届けて満足したかのように、27歳で亡くなった。
彼女が最期を迎えたのは、まさに偉業の果たされたチャーチルダウンズ競馬場があるのと同じケンタッキー州であった。
6歳時
レース後にヴェルテメール兄弟がBCマイル4連覇を目指す可能性を否定しなかったことで、ブックメーカーがゴルディコヴァが4連覇を達成するかどうかにオッズをつけるほどこの話題は盛り上がったが、翌年も現役を続行することがほどなく正式に発表された。
これほど頂点を極めた馬が6歳でもレースを走ることはほとんどないが、BCマイル4連覇というさらなる偉業を明確に目指してのものであった。
夢のその先へ
一昨年・昨年と同じく、始動戦はイスパーン賞となった。
ここでの相手はG1馬の称号を得て昨年のリベンジを誓うバイワード、重賞を連勝し成長の気配著しい
シリュスデゼーグルなどであった。
このレースでは終始
シリュスデゼーグルからの徹底マークを受けることとなり、いつも通りの先行から最終直線で抜け出したところでシリュスデゼーグルも並びかけてきたため激しい叩き合いとなった。
しかし最後はクビ差で競り落とし、からくも勝利。27年ぶりとなるイスパーン賞連覇を達成した。
これでG1・13勝目。
次走は連覇を狙ってクイーンアンステークスに参戦した。
ここには英愛の新興勢力がやってきており、
- アイリッシュ2000ギニーを皮切りにマイルG1を破竹の勢いで4連勝中のキャンフォードクリフス
- G1・3勝の前年アイリッシュダービー馬ケープブランコ
- 前年のジャン・リュック=ラガルデール賞勝ち馬リオデラプラタ
が相手となった。特にキャンフォードクリフスは評価が高く、ゴルディコヴァが単勝2.25倍の1番人気に対しキャンフォードクリフスが単勝2.375倍の2番人気。現役最強マイラーの座をかけた両馬の一騎打ちの様相となった。
レースが始まるとどちらも好スタートを決めたがゴルディコヴァはそのまま先行、キャンフォードクリフスは抑えて後方待機を選択した。
最終直線に入って残り2ハロンでゴルディコヴァはいつも通り楽に先頭を奪ったが、それをマークするように進出していたキャンフォードクリフスが一気にスパート。するとゴルディコヴァは残り半ハロンであっさり交わされてしまい、そのままキャンフォードクリフスのマイル王戴冠を見届ける1馬身差の2着に敗戦。
良馬場のマイルレースというゴルディコヴァに向く条件での敗戦は3歳時の1000ギニー以来のことだった。
…のだが、実はペリエがこの時ゴルディコヴァの負担重量を指定より2ポンド超過していたことがレース後に発覚。
ぺリエには罰金が科されたがこのミスがなければどうなっていたかわからず、どうにもモヤモヤした後味のレースになってしまった。
とはいえ陣営はローテを堅持し、すでに3連覇しているロートシルト賞へと参戦。
一昨年ゴルディコヴァに敗れてから英G1サンチャリオットステークスを連覇しているサプレザ、そのサプレザを前走ファルマスSで破ったタイムピースなど牝馬の実力馬が揃っていた。とはいえ牝馬限定戦でゴルディコヴァに敵うと評価される馬はおらず、単勝1.4倍の1番人気。
それを証明するようにいつも通りのレース展開を見せ、追撃してきたサプレザを鞭1本だけでクビ差抑えつけて優勝。
G1勝利記録を14勝とし、同時にロートシルト賞4連覇という大記録を達成した。
ヨーロッパの平地競走だと他のG1レース4連覇の例はイェーツ(ゴールドカップ)、ヴィニーロー(アイリッシュセントレジャー)、ストラディバリウス(グッドウッドカップ)と長距離競走が占めており、牝馬限定のはとはいえ世代交代の激しいマイル戦線でこのような大記録が達成されるのはとても考えられないことであった。
玉座を降りる時
続くジャック・ル・マロワ賞では、前走で下したサプレザにくわえて
- コロネーションS勝ち馬の3歳牝馬代表イモータルヴァース
- ジョッケクルブ賞とパリ大賞を2着しG1ガネー賞を勝っているプラントゥール
- G1ジャンプラ賞勝ち馬のミューチュアルトラスト
- プール・デッセ・デ・プーラン勝ち馬のティンホース
などの若い実力馬が参戦してきた。
今回はレースが始まるといつものような好位先行ではなく中団待機を選択。そして残り400mから進出を開始し残り300mで先頭に並びかけていったが、そこを後方から追い上げてきたイモータルヴァースが末脚一閃。
ゴルディコヴァはサプレザを3着にねじふせたものの1馬身差をつけられ、2着に敗れた。牝馬に後れをとるのは4歳時のフォレ賞以来1年10カ月ぶりで、能力の衰えを暗に感じさせるものであった。
次走のフォレ賞は昨年のようなレベルの高さではなかったものの、明らかな強敵が1頭参戦していた。
2歳時点でG1を2勝したが同期の怪物
フランケルに歯が立たず、
短距離路線に舵をとってスプリントG1・2勝を挙げていたドリームアヘッドである。
とはいえゴルディコヴァが有利と見られていたようで、こちらが単勝1倍台の1番人気だったのに対しドリームアヘッドは4.5倍と離れた2番人気であった。
レースが始まるとゴルディコヴァが3番手を先行し、対するドリームアヘッドはそれをマークするように4番手で追走。
最終直線ではドリームアヘッドが先手をとってゴルディコヴァを交わしハナに立ったが、今度はゴルディコヴァがそこに並びかけて激しい叩き合いにもつれこんだ。しかしゴルディコヴァの勝負根性をもってしても前に出られず、死闘を制したドリームアヘッドからハナ差の2着に敗戦。
3歳でザルカヴァに屈して以来の連敗を喫することになった。
状態が良いとはいえないことは明らかだったが、それでも陣営は4連覇の夢に挑むべくBCマイルに向かった。
- 前年このレース2着でG1勝利数を7に伸ばしてまだまだ衰え知らずのジオポンティ
- 愛G1フェニックスステークス勝ち馬で(騎乗ミスのお陰とはいえ)マイルでフランケルに最も迫った馬であるゾファニー
- 前年このレースで11着だが、この年G1・2勝を挙げているゲットストーミー
- 前々走G1シューメーカーマイルステークスを勝ったカレイジャスキャット
など昨年から力を増してリベンジを誓う馬が多くを占めたが、それでもゴルディコヴァのBCマイル4連覇の夢にかける人々は多かった。
この年はまだ2勝にもかかわらず単勝2.3倍の1番人気に推されたことがその証明であろう。
レースがスタートするとゲットストーミーがハナを主張し、ゴルディコヴァは今回は4、5番手の好位を確保。
4コーナーからスパートするも一時前が塞がる不利があったが、ペリエが力ずくで外に持ち出し進路を確保すると末脚に火がつき、残り1ハロンで先頭を奪取。
誰もが夢の4連覇を確信しかけた。
その瞬間、後方でじっと我慢していた伏兵2頭が一世一代の豪脚で強襲してきた。
残り半ハロンでゴルディコヴァを交わして1馬身差をつけ、一緒に追い上げた馬もねじ伏せて勝利した馬の名はコートヴィジョン。
一昨年、昨年このレースで4着・5着と同世代のゴルディコヴァに及ばず、このBCマイルが引退レースとなっていた馬だった。
かくしてBCマイル4連覇の夢は散った。
ここに至ってゴルディコヴァが塗り替えるべき目標もなくなり、レース後に引退と繁殖入りが発表された。
年間表彰でも、カルティエ賞最優秀古馬の座をイスパーン賞の敗戦の後に英G1チャンピオンステークスを含む重賞5勝をあげた
シリュスデゼーグルに明け渡すこととなった。
しかしBCマイルでの偉業を讃え、2017年に
アメリカ競馬殿堂入りが発表され、2024年には英G1・2勝の功績から
イギリスでも競馬殿堂入りが発表されている。
新世代に玉座を明け渡して、マイルの女王はターフを去った。
繁殖牝馬として
引退後はアイルランドを本拠地とする競走馬生産団体クールモアのもとで繁殖入りとなった。
ガリレオや
ドバウィといった説明不要の大種牡馬のほか、ヴェルテメール兄弟の所有馬としてジョッケクルブ賞を制したアンテロとも仔を成し合計7頭の産駒を送り出した。
しかしG1ウィナーはついぞ現れず、そんな状況下の
2021年1月5日に亡くなったことが報じられた。16歳であった。
この点ではフランス牝馬二冠馬イーストオブザムーンや、大種牡馬キングマンボを送り出し母としても名声を勝ち得たミエスクには敵わなかった。
ヘッド師はゴルディコヴァの死を悼んで次のように語っている。
「彼女は6歳までの5年間この厩舎にいましたから、皆落ち込んでいます…(中略)…彼女のような馬を手掛けることは二度とないでしょう」
ただ牝馬の産駒には血統を買われて繁殖入りした馬もおり、その所有者はやはりというべきかヴェルテメール兄弟である。
牝系は何がどうブレイクするかわからないものである。さらなる偉業を果たすようなサラブレッドが今後この血筋から現れることを期待したい。
競走馬としての評価
G1・14勝は現在もなお欧州調教馬としての最多G1勝利数、何より前人未踏のBCマイル3連覇&ロートシルト賞4連覇、ジャック・ル・マロワ賞をレコード勝利とあまりにも多くの記録を達成。
特にマイルでの戦績は重賞17戦12勝2着4回、3着になったのはラストランのBCマイルのみと圧倒的で、直線レースだろうが左右大回りだろうが小回りだろうが不問、フランス・イギリス・アメリカの3か国の計5つの競馬場でG1を制覇。
まさに史上最強マイラーと呼ぶにふさわしい実績だが、同期にザルカヴァ、1個下にシーザスターズ、3個下には同じマイル路線にフランケルという怪物たちがそれぞれ出現してしまったがために、実績に比してどうにも影の薄い扱いを受けがちである。
だがこれは当時の欧州競馬が切れ目なく毎年のように歴史的名馬を送り出していたことを考えれば、その中でこれだけの偉業を達成したこと自体がゴルディコヴァの偉大さを証明していると捉えるべきである。
そもそも実績を積むと早々に引退するケースが多い欧州では上記の業績がそう簡単に塗り替えられるわけもなく、あのエネイブルですら届かなかったG1最多勝利、欧州平地G1・4連覇の記録は当分の間は燦然と輝くことだろう。
ゴルディコヴァの生涯全レースで手綱をとったペリエの巧みな騎乗がゴルディコヴァを後押ししたことも見逃せない。
基本的にゴルディコヴァの強みが最も生きる前目の競馬を選び続けたが、2度目のBCマイルでハイペースを察知して後方に控えた競馬や、逆にペースメーカー不在を利用して逃げの手を打ってハイレベルなメンバーを一蹴したフォレ賞はその最たる例である。
ペリエ自身はゴルディコヴァを絶賛しており、
「F1レーサーになったような気がするほどの加速力でした。彼女に騎乗したときは、少しの間、バレンティーノ・ロッシになれました」
と分かるような分からないような形容で評している。
だがそれ以上に何よりゴルディコヴァは、生涯を通じてミエスクと比較された。
事実ミエスクとはフレディ・ヘッドの元に現れたことやBCマイル連覇など共通項が多い。
その一つには先述した気性の激しさが挙げられる。
ミエスクは特にレースですさまじい闘争心を見せたが、ゴルディコヴァの気性もヘッド師曰く「ミエスクよりはずっと扱いやすい」が激しい気性の持ち主だった。
それはプール・デッセ・デ・プーリッシュで枠入りの際にペリエを振り落としたり、1回目のジャック・ル・マロワ賞直前に入れ込んだりした点に現れているし、その性格が高い競走能力に転化された点もまた似るところである。
またペリエがBCマイル3連覇達成直後に語った通りゴルディコヴァはフットワークの軽やかな馬だったが、ミエスクも同じく脚さばきが器用だったようで、両者とも競馬場の特徴に左右されない走りができたのはこのお陰だと思われる。
一方でミエスクとは真逆の特徴を持っているのもまたゴルディコヴァである。
特に脚質はまったくの正反対で、抑えに抑えて最後に切れ味を爆発させるタイプだったミエスクに対し、ゴルディコヴァは好位先行という牡馬のチャンピオンがやるような王道競馬だった。
ヘッド師もこの点について
「ゴルディコヴァはミエスクよりトップスピードに乗るまでに時間がかかりましたし、ミエスクの方がスピードがありました」
と述べている。
そのため末脚にかける伏兵の奇襲を受けることもしばしばだったが、それを退けて勝ち星を重ねられたのはゴルディコヴァの類まれな勝負根性によるものであろう。
しかし何より異なるのは、6歳まで第一線で牡馬とも互角に渡り合った衰え知らずの身体である。
遠征を苦手とせず身体的にも極めて健康的だったといい、競走馬にはつきものの怪我や体調不良に泣かされることさえ現役生活において一度もなかったようだ。
この頑丈さ、たくましさは明らかにミエスクとは異なるもので、それゆえに息の長い活躍が可能となった。
そもそも欧州の平地レースのトップがこれだけ長く走るのは稀で、カルティエ賞最優秀古馬を2年連続で受賞した競走馬は前代未聞で、他にはあのエネイブルがいるのみである。
とはいえ両馬は生きた時代が違いすぎるため、単純な比較は不可能である。
ヘッド師ですらゴルディコヴァとミエスクがどちらか上か決めかねていた節があり、ジャック・ル・マロワ賞勝利後こそ「ミエスクを超えた」と述べていたが、その後にミエスクの訃報に接した際は「25年以上も時が離れているため比較は難しい」と前置きしたうえで「どちらも同じレベルで強かった」と語っている。
ロンジン・ワールド・ベスト・レースホース・ランキングのレーティング上ではゴルディコヴァを130ポンド、ミエスクを132ポンドとして後者に軍配を上げているが、ミエスクの方は後に引き下げが提案されるなど疑問符のつく有様である。対してタイムフォーム・レーティングではどちらも133ポンドとして同等の評価を受けている。
だがゴルディコヴァの活躍は、ファン目線からでもミエスクを超えたと宣言するには十分すぎるものである。
ミエスクが成し遂げた以上のこと、それまで他の誰にも成し遂げられなかったことを現実のものとした馬こそがこのゴルディコヴァである。
少なくともチャーチルダウンズで3度目のBCマイルを走り終えたときの彼女は、間違いなくミエスクを超えていたといってよいだろう。
時は流れて2014年のブリーダーズカップ・マイル。
ゴルディコヴァが初めてこのレースを勝った時と同じ、サンタアニタパーク芝8ハロンのコースを1着で駆け抜けた馬の名はカラコンティ。
日本の白老ファームで生を受けた彼は、曾祖母ミエスクと同じ勝負服のもとでレースを勝ったのである。
そんなカラコンティが2着に従えたのは、ヴェルテメールの勝負服をまとうオリビエ・ペリエを乗せた、ゴルディコヴァの全妹アノダンだった。
血をめぐる戦いはまだまだこれからも続きそうである。
追記・修正はゴルディコヴァを超えてからお願いします。
- 競走馬の記事は苦手な罫線ツッコミとかはっちゃけたテンションの記事が多くて苦手だったけど、ゴルディコヴァの生涯を関わった人たちの歴史をなぞって解説されてたんで読んでて楽しかったです! -- 名無しさん (2024-12-06 16:00:49)
最終更新:2025年03月20日 21:21