三冠牝馬

登録日:2023/11/30 Thu 06:23:10
更新日:2025/04/29 Tue 01:58:45NEW!
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三冠牝馬とは、主に競馬の平地競走において、メスの馬のみ出走可能な特定のGⅠ三競走(=牝馬三冠)全てに勝利した馬のことを指す。




【牝馬三冠レースとは】

桜花賞 (阪神競馬場・芝1600m)
優駿牝馬(オークス) (東京競馬場・芝2400m)
秋華賞 (京都競馬場・芝2000m)

以上が現在における牝馬三冠レースとされ、サラブレッド系牝馬3歳(旧4歳)にのみ出走権が与えられる。よってこれも牡馬三冠と同じく、生涯一度しか出走が許されない

我が国における競馬体系は欧米のそれを模範して誕生したものであり、誕生以前から現在のクラシック三冠(皐月賞、東京優駿、菊花賞)レース*1及び『牝馬三冠』のレース体系が存在していたとも言われている。
ただ、日本が体系を模倣したイギリスには牝馬の三冠目にあたるレースが個別には存在せず牡馬三冠と共通だったため、日本の牝馬三冠は時代と共に変遷を余儀なくされた。
具体的には、三冠目にあたるレースが
(菊花賞→)ビクトリアカップ→エリザベス女王杯→秋華賞
と変化していった。
ビクトリアカップができた1970年で牡馬三冠と切り離されて牝馬三冠の体系が成立し、その後のエリザベス女王杯への承継を経て、秋華賞ができた1996年以降より今の牝馬三冠体系が成立している。

なお、三冠目の秋華賞は、菊花賞とは異なり正確には「クラシックレース」ではない。そのため、牡馬のほうを(正確には牡馬限定ではないのもあり)「クラシック三冠」、牝馬のほうは単に「牝馬三冠」と表現されることも多い。
クラシックとは歴史あるレースのことであり、秋華賞(および前身となったビクトリアカップ、エリザベス女王杯)は比較的近年になってから設立されたレースであるため。
宝塚記念が八大競走に数えられないのと同様の理由である。
その代わりクラシック競争ではないために秋華賞(エリザベス女王杯)は外国産馬ルールが適用されず、ヒシアマゾンファインモーションといった外国産馬が戴冠できたりする。

牡馬三冠と比べると、菊花賞のような長距離競走はない&距離幅自体もやや少なく、おまけに実力を持て余した牡馬が殴り込んでくるという心配もない(も滅多にないことではあるが)。
また、最後の一冠が二冠の中間距離帯なので距離面の不安なく三冠に挑むことができ、能力的な点での難度は低いと言える。
実際、2010年から2020年までの10年の間に4頭もの三冠牝馬が現れており、ここ最近に限定すれば頻度としては牡馬の方を大きく上回っている。とはいえ3歳春の牝馬にとって2400mは未知の距離となる場合が多く、かなりのスタミナを要するため、ここが最難関といえる。

そして、ささいな調子の良し悪しで大きくパフォーマンスが変わりやすいとされる若き牝馬が、一度きりしかない三冠路線を一つも取りこぼさず勝ち切ることは実際のところは至難の業である。
そんな中で牝馬三冠を達成した馬は少なくとも同期の中では傑出した存在であり、名馬の一員に数えられるのは至極当然のことだろう。

中には牝馬のみに飽き足らず牡馬すら蹴散らしていく女傑もいるのだから恐ろしい話である。時代錯誤な表現かもしれないが、男の立つ瀬がないとはこのことだろう。
ガタイがいかつすぎると「ゴリウー」呼ばわりされたり「実は"ついてる"んじゃ?」と噂されることも。うら若き乙女相手に何て失礼なのだろうか
以下、そんな各三冠牝馬を紹介する。

【歴代の三冠牝馬】

メジロラモーヌ(1986年)


-この一着は際どいぞ!どっちだ?メジロだー!メジロラモーヌ!!-

三冠達成時戦績:11戦9勝
生涯戦績:12戦9勝
三冠達成騎手:河内洋

日本競馬史上初めて現れた三冠牝馬。当時、三冠目は秋華賞ではなくエリザベス女王杯であり、ラモーヌは唯一の旧体制の三冠牝馬である。
名優マックイーンと並び、名門メジロ軍団を代表する馬であり、その美貌から「魔性の青鹿毛」と称される歴史的名牝である。

通常、各三冠レースには牡牝問わずトライアルレースと呼ばれる重賞が存在する。その名の如く本番前の前哨戦であり、ここで上位の成績を収めると本番の優先出走権が与えられる。

肩慣らしや賞金稼ぎのため出走する、負担回避のため出走しないなど様々な考え方があるが、ラモーヌは何と三冠全戦のトライアルレースに出走し、その全てでも優勝したのである。

一歩間違えれば酷使にもなりかねない*2この過密スケジュールを乗り越え、トライアル・本番含めた完全三冠を達成した三冠馬は牡馬も含めた日本競馬史上ラモーヌしか存在しない*3
この重賞6連勝は、初代アイドルハイセイコーの記録を抜いた当時の単独一位記録だった。その後すぐ2代目アイドルそのライバルに並ばれたが。

周囲からの評価も非常に高く、当時史上最強牝馬と目されていた「後ろからは何にも来ない」ことテスコガビーと比較する声、上回るとする声もあがるほど。
主戦を務めた河内もその強さにベタ惚れ魅了されており、約10年後のインタビューでも自身の乗った最強馬としてラモーヌの名をあげたニホンピロウイナーオグリキャップを差し置いてである。
…一方で産駒成績が微妙だった事で後述のアパパネの繁殖成績まで「戦績と繁殖成績は反比例するのでは」なんてあらぬ疑いも一部ではあがったが、メジロライアンとの娘の孫グローリーヴェイズがGⅠ香港ヴァーズで2勝を挙げる等その系譜は確実に後世にその名を刻んでいる。

また、ラモーヌを語るうえで欠かせないのはその圧倒的美貌である。美しき青鹿毛とそれに映える鋭い流星、引き締まったグンバツの馬体は、まるで絵画の世界から現れたようだった。
JRAのCMでラモーヌが取り上げられた際、その美しさは「嫉妬すら追いつかない、憧れすら届かない。」という見事な文句で表現された。
百聞は一見に如かず。見たことない人はぜひ画像検索や実際のレース映像等でその端麗な姿を見てみてほしい。

強さと美しさを極限まで兼ね備え、「完全無欠」という表現が似合う初代女王メジロラモーヌ。引退の同年後の伴侶皇帝シンボリルドルフと共に顕彰馬登録されたのも納得である。

スティルインラブ(2003年)


-スティルインラブが勝ちました!史上2頭目の牝馬三冠です!-

三冠達成時戦績:7戦5勝
生涯戦績:16戦5勝
三冠達成騎手:幸英明(現役中ずっと同じ)

直訳すると「今でもキミを愛してる」。そんなロマンチックな名を授かった三冠牝馬がこのスティルインラブである。本馬の牝馬三冠戦線での戦いぶり、ひいてはその馬生そのものが名前に負けないほどロマン溢れるものだった。

スティルインラブという牝馬を語る上で、欠かすことのできない一頭の牝馬がいる。
その名をアドマイヤグルーヴ。父がスティルと同じく大種牡馬サンデーサイレンス、母が女帝エアグルーヴという超良血馬であり、おまけに主戦は母の背を熟知するレジェンド武豊という完璧な布陣だった。

2003年の牝馬三冠戦線の主役として、アドマイヤグルーヴには最初から最後まで多大な期待がかけられた。この年の牝馬三冠戦全てで一番人気に本馬が推されているのがその証拠である。オークスはともかく秋華賞はスティルでもよかった気がするが

ところが、2003年の本当の主役は彼女ではなかった。三冠戦全てにおいて二番人気に甘んじたスティルは、それを見返すかのごとく連戦連勝
最後の秋華賞でもアドグルの猛追を振り切り、見事17年ぶりの三冠牝馬に輝いたのである。

3歳最終戦となったのはエリザベス女王杯。ついにGⅠレースで一番人気の座を得ることとなったスティルだったが、そこで黙っているアドグルではなかった
更なる誉れを得たい三冠の女王と、逆襲に燃える元主役による、意地と意地のぶつかり合い
勝利の女神がほほ笑んだのは……アドマイヤグルーヴだった。スティルはハナ差で涙を呑み、今なお名勝負と謳われるエリザベス女王杯は幕を閉じた。

負けたとはいえ差のない2着となったスティルにファンは安堵。古馬以降もアドグルと共に牝馬戦線を引っ張っていくと思われた。
ところが、競馬の神様は残酷だった。古馬初戦で8着に大敗して以降、崩れた調子が戻ることはなかったのだ。結果、上の成績を見てもらえればわかる通り、古馬以降は一度も勝ち星を挙げず引退となってしまった。主戦の幸英明騎手によると、スティルは3歳秋に入ってから、調教でも耳を絞り、反抗するようになったという。

引退後も現実は厳しく、腸閉塞により7歳という若さで逝去。唯一の産駒も結果を残せず牡だったせいで乗馬行きとなったため、本馬の牝系は完全に途絶えてしまったのである。
実はスティル、血統表を見るとヘイルトゥリーズンの3×3*4というきついインブリード*5を有しており、一部ではこうしたきついクロスが、古馬以降の成績不振や繫殖入り後の短命さに繋がったのではないかという意見も出ている。
一方でアドマイヤグルーヴは繫殖牝馬としても活躍。末っ子ドゥラメンテ二冠馬となり、後述するが、その娘が三冠牝馬となり祖母の無念を晴らすなど、見事なまでに対照的な馬生を過ごしている。

そんな生涯を過ごしたことから、スティルインラブは一部ファンからこう言われている……“まるで、三冠牝馬になるためだけに生まれてきた”と。

スティルインラブはこのように早熟馬の扱いの難しさを知らしめることとなった不遇の三冠牝馬ではあるが、三冠戦で良血のライバルに打ち勝った実力は間違いなく本物だったといえよう。

アパパネ(2010年)


-一番外からアパパネだ!アパパネは正攻法でやって来る!白いシャドーロールが揺れて、アパパネだ!-

三冠達成時戦績:9戦6勝
生涯戦績:19戦7勝
三冠達成騎手:蛯名正義

ハワイ生息の赤い鳥の名を授かったこの馬こそ、日本最強の馬主である馬専門眼科医金子真人牡牝三冠オーナー*6という唯一無二の称号をプレゼントした孝行娘アパパネである。

アパパネの三冠路線は、決して楽なものではなかった。おそらく、史上最も際どかった三冠馬だったといえる。
根拠はその着差である。桜花賞では1/2馬身差勝ち、秋華賞では3/4馬身差勝ちであり、オークスに至ってはなんとサンテミリオンとの同着である。日本競馬史上、GⅠでの1着同着はこの一例しか存在しない*7といえばその際どさが伝わるだろうか。
言い換えれば、僅差勝負になったときに決して力負けしない勝負根性がアパパネの強さといえるだろう。

また、アパパネの勝負強さはレース選択の面でも表れている。生涯戦績は19戦7勝と特別優秀とは言えないアパパネだが、その7勝のうち5勝がGⅠレース(阪神JF、牝馬三冠、ヴィクトリアマイル)であり、まさしくGⅠキラーの名がふさわしい存在であった。

特に古馬初年度のヴィクトリアマイルでは当時の最強牝馬ブエナビスタをクビ差で制しており、「三冠牝馬はその後勝てない」というジンクスを打ち壊す結果となった。そしてブエナビスタのシルバーコレクター性を確かなものとした。

また引退後は馬主繋がりでディープインパクトと毎年交配され(彼の他界後は相手役がその全兄ブラックタイドに移行)、12冠ベイビーの第4子(長女)アカイトリノムスメが2021年の秋華賞を制した事で牝馬三冠初の母娘GⅠ馬にもなった。

そして、我々オタクの間で定説となっているのが、アパパネのかわいさである。実際、検索エンジンで「アパパネ」と入れると、十中八九「かわいい」がサジェストに現れるほど。
クリクリの目やシャドーロールとの親和性、厩務員にインタビューした時の細江純子氏に嫉妬していたエピソードなど、調べれば調べるほどアパパネのあざとさを理解することができるだろう。キンカメが羨ましく思い始めたら重症である。

ジェンティルドンナ(2012年)


-大外から一気にジェンティルドンナ!-

三冠達成時戦績:8戦6勝
生涯戦績:19戦10勝
三冠達成騎手:岩田康誠(桜花賞・秋華賞)、川田将雅(オークス)

牝馬三冠の達成に飽き足らず、日本史上最高世代と名高い同期先輩三冠馬臆することなく挑み、蹴散らしていった「鬼婦人」*8
牡馬相手でも全く引けをとらず、その鬼がかり的な強さでウオッカに次ぐ芝GⅠ7勝を挙げたその実績から、史上最強牝馬の呼び声も高い日本競馬屈指の女傑である。

詳細は当該項目に譲るが、ジェンティルドンナという馬を語るときまず出てくるのは鬼気迫った闘争心であろう。三冠最終戦秋華賞や、その直後に出走したジャパンカップにおけるライバル(それぞれヴィルシーナオルフェーヴル)とのタックル勝負熱い叩き合いを制したそのド根性は、本当に牝馬か疑いたくなるほどだった。
そのせいで「ゴリラウーマン」だの「馬の形した吉田沙保里」だの愛のこもったいろんなあだ名がつけられた

また、ローテを見てもらえばわかるが、本馬は三冠達成後一切牝馬限定戦に出ておらず、全戦で牡馬を相手にしている。
三冠達成後ずっと牡牝混合戦に出走しなおかつ勝利を重ねた牝馬は日本競馬史上本馬のみである。この事実がゴリウー扱いに拍車をかけてはいるのだが

さらに、ジェンティルドンナはその操縦性に関しても非常に優秀だったとされる。三冠戦で乗り替わりがあったという唯一無二の点*9もさることながら、生涯で8人*10もの騎手が鞍上を務めている。平均で一人あたり2.4戦といえばその変遷の激しさが伝わるだろうか。
それはすなわち、誰が乗っていても問題なく優れたパフォーマンスを披露できたということであり、馬自身のポテンシャルの高さを端的に表したものだといえよう。

引退後は繁殖牝馬として活躍しており、3番仔であるジェラルディーナは見事GⅠエリザベス女王杯を制覇。他にもオールカマー1着・有馬3着・宝塚4着など、実力派として名を馳せた。
なお、繁殖入り以降のジェンティルドンナは現役時の豪傑ぶりが嘘のように子煩悩になっており、慈愛に満ちた母になっているらしい。

その類まれな闘争心ゆえ散々ネタにされているジェンティルドンナであるが、偉大な父から受け継いだレースセンスと持ち前の闘争心を合わせた実力は間違いなく最強の名にふさわしいものであり、不世出の歴史的牝馬であるという評価は概ね一致している。

アーモンドアイ(2018年)


-この馬には、三冠すらも通過点!!-

三冠達成時戦績:6戦5勝
生涯戦績:15戦11勝
三冠達成騎手:クリストフ・ルメール

平成最後に突如現れた三冠牝馬であり、人によってはルドルフディープにさえ匹敵するともいわれる日本史上最強牝馬Part2
芝2400mの世界最速記録日本馬史上最多賞金額、そして長らく破られなかったルドルフの壁こと芝GⅠ7勝をこえる9勝など、既存の大記録をいくつも打ち破り時代を作り上げた新時代の英傑である。なぜ2025年3月まで項目が立たなかったのか不思議なくらい

血統としても「龍王」ロードカナロアとエリザベス女王杯馬フサイチパンドラと言う、三冠馬・三冠牝馬史上初の両親ともに内国産GⅠ馬な馬である(内国産馬両親だけだとミスターシービーとオルフェーヴル、後のデアリングタクトも該当)。

まず世界最速記録に関してだが、これは三歳時のジャパンカップでの記録である。牝馬三冠を次元の違うパフォーマンスで制覇していたアーモンドアイは、三歳牝馬という立場ながら単勝1.4倍という圧倒的人気を受けていた。
本番では逃げる菊花賞馬あっキセキぃ…を徹底マークしたのち、直線で一瞬で差し切り見事優勝。そしてこの時のタイムこそ、当時の世界記録を1秒以上更新するスーパーレコード2:20.6である。

このワールドレコード樹立および三冠含むGⅠ4連勝が評価され、この年史上5頭目となる満票での年度代表馬に選出されたのである。

古馬以降もその実力に陰りが出ることはなく、勝ち星を重ねていく。5歳で覚醒したグランプリホースリスグラシューや史上最強のマイルクイーングランアレグリアといった超強豪を相手に遅れをとることはあったものの、シンボリクリスエス以来史上2頭目となる天皇賞(秋)連覇三冠馬3頭の競演となった夢のジャパンカップ制覇など、"現役最強"を証明し続けた。

そしてその結果、皇帝が樹立して以降数多歴史優駿が終ぞ破ることのできなかった日本競馬最大の壁こと芝GⅠ7勝の呪いを乗り越え、芝GⅠ9勝を達成。
それと同時に史上最多獲得賞金記録まで更新し、史上最強馬の一頭として名乗りを上げることとなった。

そのパフォーマンスは国際的にも非常に高い評価を与えられており、3歳時に与えられたレーティング124*11日本調教牝馬の中で歴代一位だった。また、5歳時にも同じくレーティング124を与えられており、これは同年の牝馬内で世界一だった。
ただ、アーモンドアイの時代にはGⅠ25勝&33連勝という控えめに言って頭おかしい成績を残したUMAウィンクスや、凱旋門賞2連覇&BCターフ優勝を達成した英国の女傑エネイブルなどがおり、アーモンドアイをもってしても世代一番手は名乗りにくかった。

そんなアーモンドアイに脳を焼かれた関係者は多く、主戦を務めたルメールは引退式にてラブレター手紙を取り出し
「最初から特別な存在でした」
「私たちは彼女の背中で味わったスリルと興奮をこれから先、永遠に忘れないでしょう」
3分半にもわたるスピーチを披露。彼女への想いの強さをみせつけた。

また、調教を務めた国枝は同じ厩舎の牡馬コズミックフォースがダービーで3着と好走したとき、「アーモンドアイはこっちだったか…」と漏らしたという。調教でコズミックフォースはアーモンドアイに全く敵わなかったためであるという。

引退後は繁殖牝馬となり、北海道で暮らしている。当然顕彰馬入りも引退時から期待されており、候補入り初年の2022年こそ逃してしまったものの、翌2023年に前年選ばれなかったことでファン一同にボロカスに叩かれたことに記者たちが懲りたのか圧倒的な支持を集めて選出され、父ロードカナロアとの父子顕彰馬となった。
是非とも、今後は日本のみならず世界の競馬ファンを虜にしたそのスピードを受け継ぐ仔が生まれてくれることを期待したい。

デアリングタクト(2020年)


-咲いた咲いた、三冠の花!強く、逞しく、美しく!デアリングタクト三冠達成ー!-

三冠達成時戦績:5戦5勝(無敗)
生涯戦績:13戦5勝
三冠達成騎手:松山弘平

2020年という年は、日本競馬史上最高の年だったのかもしれない。親子での無敗三冠という快挙のかげで、日本史上初の無敗牝馬三冠という歴史的偉業もまた同時に達成されたのだから。
惜しむべきは、その「Double Triple」*12の実現を生で見られた人がごくわずかしかいなかったことだろう。

新型コロナウイルス流行により世間が自粛ムードを余儀なくされた中、当時の競馬ファンは2頭の優駿に釘付けとなった。一頭は無敗の三冠馬コントレイル。そしてもう一頭こそが本項で紹介する無敗の三冠牝馬デアリングタクトである。
ただ、これは名馬あるあるなのかもしれないが、生まれた当初の本馬の評価はあまり高くなく、最初のセールでは800万円という競走馬として格安の値段でも買い取りがつかない程だった*13
その後買い取った一口クラブも「値段の安い馬を一口にする事によって初心者にも格安で馬主体験が出来る」コンセプトだった事、そしてそんなクラブが購入して所有出来た事からも評価の低さがうかがい知れるだろう。

しかし、デビュー後はその秘められたポテンシャルを盛大に発揮。2戦2勝でクラシック戦線入りしたのち、なんと一度も前哨戦を使わず全てぶっつけ本番で三冠に挑戦した。
それでもその実力を疑う声は少なく、桜花賞こそ一番人気を譲ったもののオークス、秋華賞では単勝1倍台の圧倒的一番人気を得ることとなった。

そしてデアリングタクトはその期待を裏切ることなく見事に三連勝史上初の無敗牝馬三冠を達成し、その快挙は国内外に大きく報道された。また、5戦というおそらく今後更新不可能であろう史上最短キャリアでの三冠達成にもなった。
でも桜花賞勝った時にはクラブ会員は「当たりが入ってるなんて聞いてねえぞ!」と絶叫したとか

同年のジャパンカップにも三強の一角として参戦。偉大すぎる先輩や同じく無敗の同期にはさすがに及ばなかったものの、力強い走りで3着と好走し、実力を見せつけた。

ところが、以降は好走はするもののあと少し勝ちきれないレースが続く。また、2021年に繋靱帯炎を発症し、1年以上の休養を取る羽目にもなってしまう…
しかし、そんな逆境にもデアリングタクトは挫けなかった。復帰一戦目こそ掲示板を外す結果となったものの、その次の宝塚記念では競馬界のエースタイトルホルダー3着と底力を見せつけた。

以降もコンスタントに出走し、勝ちはなくとも二桁着順もない安定した走りを見せた。
特にエリザベス女王杯6着から中一週でジャパンカップに参戦という強行軍をこなしつつもメンバーが物足りなかったのもあったとはいえ4着の好走を見せた。
この時それまで主戦であった松山騎手から短期免許を取得して初来日したトム・マーカンド騎手*14に乗り替わったが、この経緯については要約すると
「彼女が手を抜く悪い癖がついていたことを危惧して今後を思って乗り換わりを松山騎手が具申した」ことが岡田牧雄氏へのインタビューで語られている。
そして2023年も現役続行を表明し、完全復活へ向け日々奮闘を重ねていた。
そんな彼女に魅せられ、再びその輝きを見せてほしいと思うファンが多くなるのは至極当然のことといえよう。某育成ゲームに現役馬ながら初めて参戦させたCyGamesもその一人なのかもしれない。

そんなデアリングタクトだったが、ネオムターフカップ(サウジアラビアのGⅢ)に向けての調教中に歩様に乱れが見られ出走回避、福島で調整を進めるも改善が見られず春全休を発表し放牧に出される。
ジャパンカップを目標に調整を進めるもなかなかタイムが出なかったが、彼女はやる気を見せていたためそれでも粘り強く出走に向けて調整が進められていた。
だが2023年10月5日の調教後に跛行が見られエコー検査で馬体に故障が判明、協議の結果翌6日体部繁靭帯炎再発のため引退を発表した。
2023年は1度もレースに出走することなく残念な引退になってしまったが、今後はどんな産駒を輩出するか繫殖牝馬としての活躍にも期待したい。

リバティアイランド(2023年)


-三冠は、人馬が見据える夢の途中!これは強い!圧巻の三冠!リバティアイランド!-

三冠達成時戦績:6戦5勝
生涯戦績:12戦5勝
三冠達成騎手:川田将雅(現役中ずっと同じ)

譲りの異次元な末脚を武器に、世代のライバルを歯牙にもかけない走りで圧倒した完璧で究極の「お嬢さん」*15
アパパネ以来史上二頭目となる牝馬四冠を達成した、2023年の日本競馬の"顔"とでも呼ぶべき才媛であった。

血統や素質から早くも期待が寄せられていたリバティアイランドは、現役トップジョッキー川田将雅を鞍上にデビュー。上がり3ハロン31.4という日本記録をマークする鮮烈なデビューを飾った。

年の暮れの阪神JFを楽勝してクラシック戦線に乗り込むと、先代と同じく全戦ぶっつけ本番で挑戦。
その類まれな実力はオッズにも表れ、全てで単勝1倍台という恐るべき人気を得ることとなった。
特に三冠最終戦の秋華賞に至っては単勝1.1倍・複勝1.0倍という少し割の良い銀行とてつもない支持率を誇った。また、調教助手の松崎氏も「三冠は目標じゃなくて義務」という信頼に満ち溢れたコメントを残した。

そしてリバティはその期待通り、いやそれを遥かに超えるようなパフォーマンスを披露。
桜花賞では最後方近くから早送りみたいな末脚で全頭ごぼう抜きし、オークスではグレード制以降最大着差となる6馬身差での勝利を収めた。

秋華賞でも勢いそのままに横綱競馬で見事優勝。史上7頭目の牝馬三冠を達成し、コロナ明けの競馬場は歓声に包まれた。
ただ、単勝1.1倍というのはやはり相当なプレッシャーだったらしく、優勝後の川田は感動のあまり男泣きまで見せることに。鬼の目にも涙
同じく秋華賞に参戦したソレイユヴィータの鞍上武豊はリバティについて、「こだまの駅でのぞみが通っていくような感じだった」といつものユタカ節でその強さを称えた。各駅停車扱いされたソレイユヴィータさん…

その後世代の筆頭として、同年のジャパンカップに参戦。同父で前年の二冠牝馬スターズオンアースと並走する形になり、内にいたリバティはかかり気味になった場面もあったが最後は今まで通り、いやそれ以上の脚で優れた追い込みを見せた…ものの、天下無双の閃光には流石に及ばず二着
GⅠ連勝記録が途絶える形となったが、それでも他の強豪古馬は寄せ付けない走りを披露しており、次代の競馬界を担える力強さを十分みせつけられたといえよう。なお中内田調教師曰く「初めて一生懸命走った」らしい。やっぱりおかしいよお嬢さん……

岡部幸雄ルドルフ武豊ディープ福永祐一コントレイル等、時代を彩る名手には"相棒"と呼ぶべき名馬がつきものだったが、リバティの登場で川田にもようやくそんな相棒が見つかったという声も多くあがった。*16

その後はドバイでの惜敗を経て、右前脚に種子骨靭帯炎を発症してしまう。非常に厄介な部位の故障であり、春は全休を余儀なくされたほか、復帰一発目の天皇賞秋では本来の力を微塵も出せず13着と厳しい結果に終わる。

JCを回避して出た香港カップでは怪物ロマンチックウォリアーに屈したとはいえ、ようやく本来に近い走りを取り戻し二着に好走。暮れの対談で川田騎手は「リバティが素晴らしい走りをした時に限って、イクイノックスだのロマンチックウォリアーだのにあたる...」と少しボヤいていた。

年が明けて2025年、誰もが予想していなかった事件がおこる。ドバイターフで思うような結果を出せなかった後、再び参戦した香港のQE2世カップにて左前脚種子骨靭帯を内外共に断裂、予後不良と診断され安楽死処置を施されてしまった。
かつて誰もが輝かしい未来を予想した三冠牝馬の残酷すぎる結末に、日本中から悲しみの声があがることとなった。

【海外の牝馬三冠】

牝馬三冠体系は日本に限らず世界各地に存在するが、そのバリエーションは多岐にわたっている。具体的には、
  • しっかり牝馬専用の三競走が用意されているもの(日本、アメリカ、フランスなど)
  • 一部が牡牝混合のもの(イギリス、アイルランドなど)
  • そもそも牝馬三冠が存在しないもの(ドイツなど)
と様々である。
残念なことに、こちらも牡馬三冠と同様各国で形骸化が著しい。数年に一回は三冠牝馬が出る日本は非常にレアなケースで、最後の牝馬三冠達成から既に数十年経っているという国も数多い。

ただ、そんな三冠牝馬の中には今なお語り継がれるような恐ろしい強さを誇った名牝も一定数存在する。以下ではその中でも代表的なものに絞って紹介したいと思う。

ラフィアン(1975年)

三冠達成国:アメリカ(エイコーンS、マザーグースS、CCAオークス)
三冠達成時戦績:10戦10勝(無敗)
生涯戦績:11戦10勝(無敗?)

「生物の体には、100%の力をあえて発揮できないようなリミッターがかけられている」という俗説を聞いたことはないだろうか。肉体や精神への過剰な負担を防ぐため、極限状態でない限り潜在的に能力が抑え込まれているという主張である。
ではもし、そのリミッターが外れた馬がいたら?
その馬はおそらく、規格外の身体能力及び常時故障寸前の脚部という究極の二択を背負った存在となるだろう。

本項で紹介するアメリカ史上初の無敗三冠牝馬ラフィアンは、まさにリミッターが外れているとしか形容できない異次元すぎるスピードが特徴だった。
……そして、そのスピードは彼女を行ってはいけないゴールへといざなうことになってしまう。

名門牧場クレイボーンファームで生を受けた一頭の牝馬は、可哀そうなことに「ごろつき・悪党」を意味するRuffianという名を授かった。その身体は幼いころからとてつもなく大きく、牡馬と間違われることもあったという。ゴリウーとしての才能はデビュー前からあったのだろう。

そんなラフィアンは新馬戦以降毎度怪物級のパフォーマンスを見せる15馬身差勝ちという鮮烈すぎるデビューを飾ると、その後のレースも全戦圧勝
5戦5勝(うちGⅠ2勝)平均着差約9馬身という意味不明な戦績で二歳シーズンを終えた。

三歳となってからも規格外な速さは健在。前哨戦二つを楽勝すると、世代の女王を目指し牝馬三冠へ殴り込みをかける
アメリカ広しといえど流石にこんな怪物にかなうライバルは存在せず、危なげなく三連勝史上初の無敗牝馬三冠を達成した。

驚くべきはそのタイムである。何と、ここまで出走した重賞8戦全てでレコードタイムを計時
最後のCCAオークスに至っては、同コース同距離で行われる牡馬三冠戦ベルモントSのタイムを軽く上回っており牝馬どころか牡馬ですら歯が立たないのではないかと言われるほどだった。

こうなると競馬ファンが望むのは怪物牝馬による男退治である。そしてその願いはプライドが直接ぶつかり合う"マッチレース"という形で叶うことになった。
歴史的女傑ラフィアンに挑むは当年のダービー馬にして、二歳時同じく無敗を誇った実力者フーリッシュプレジャー
世紀の一戦に競馬への興味の有無を問わずアメリカ全体が熱狂の渦にまきこまれた

運命のレース本番。まずフーリッシュプレジャーが先手をとる。しかし内からラフィアンが食い下がり、その順は早めに逆転。そのままラフィアンの僅かなリードでレースは進んだ。



が……



RUFFIAN has broken down!!(ラフィアンに…故障が発生!!)



後に騎手が「板が割れたよう」と表現した鈍い音と共に、ラフィアンが突然の失速。その原因は、誰が見ても明らかだった
すぐに病院に連れ込まれたが、時すでに遅し。全米をとりこにした稀代のスーパースターは、三年というあまりに短い生涯を閉じた

ラフィアンの死は米国競馬界に大きな衝撃を与え、このレース以降マッチレースという文化そのものが急速に衰退したマジモンのUMAが出たせいで一頭立てになることはあったが。
また、競走馬への人道的な扱いを望む声が急激に大きくなり、麻酔後の怪我防止を目的とした「リカバリープール」をはじめとして後の医療や技術の発達に繋がった。
この悲劇は決して無駄ではないし、無駄にしてはいけないのだ。

今なお米国史上最速牝馬の呼び声すら挙がるほどの驚異的スピードで無双したのち、胸が締め付けられるような最期を迎えてしまった悲劇のヒロインラフィアン
「ラフィアンの再来」が現れること、そして「第二のラフィアン」が二度と生まれないことを願わずにはいられない。


ザルカヴァ(2008年)

三冠達成国:フランス(プール・デッセ・デ・プーリッシュ、ディアヌ賞、ヴェルメイユ賞)
三冠達成時戦績:6戦6勝
生涯戦績:7戦7勝(生涯無敗)

現代を生きる我々にとっては信じられない話だが、古来より競馬の世界では「牝馬は牡馬にはかなわない」というのが一つの常識となっていた。
2000年代後半は、そんな古い価値観の大きな転換点ともいえる時代であった。日本でいえばウオッカダイワスカーレットブエナビスタ、また海外ではゼニヤッタレイチェルアレクサンドラなど、とにかく「強い牝馬」が世界を席巻した時代といえた。
そんな激動の世界を生涯無敗で駆け抜け、欧州に"新時代"をもたらした歴史的名牝、それがザルカヴァである。

イスラム指導者アーガー・ハーン4世に生産されたザルカヴァは、世界的悪童名手クリストフ・スミヨンと生涯コンビを組む。
ところが、ザルカヴァには大きな弱点があった。スタートがかなり苦手だったのである。三冠最終戦ヴェルメイユ賞では何とおよそ5馬身差の出遅れをおこし、ラストランとなった世界最高峰の競走凱旋門賞でもゲートを失敗し後方からの競馬になった。

では、そんな彼女がどうして勝ち続けられたのだろうか。言わずもがな、それは神がかりともいえる末脚がなす業であった。
前述したヴェルメイユ賞ではワープかと見間違うほどの異次元な末脚最後方からまとめて撫で切り、凱旋門賞では自身を包んでいた馬群を一瞬の隙をついて鮮やかに一刀両断
その切れ味はもはやカミソリやナタどころではなく、研ぎ澄まされた刀による居合とでも表現するしかない恐るべきものだった。

さらに、ザルカヴァが今なお最高級の評価を与えられている理由として、現役時軽々ねじ伏せたライバルたちが揃いも揃って強豪ぞろいな点がある。生涯で完勝を収めた7戦の中で、
  • ザルカヴァに敗れた後、同年に欧州GⅠ3勝をあげたハーフウェイトゥヘブン
  • ドバイシーマクラシックにて日本の大将ブエナビスタの追撃をしっかりかわして優勝したダーレミ
  • キングジョージインターナショナルSといった最高峰のGⅠレースを5勝していた、オブライエン軍団の絶対的エースデュークオブマーマレード
  • ヨーロッパやアメリカで長きにわたり無双し、BCマイル三連覇を含むGⅠ競走14勝を挙げた史上最強のマイル女帝ゴルディコヴァ
など、錚々たるメンツをその鬼脚でひねりつぶしているのである
彼ら彼女らにとってはまさに「生まれた時代が悪かった」としかいえないだろう……

全てを切り裂く風のごとき末脚を見せつけ、敗北を知らないままターフを去ったパーフェクト牝馬ザルカヴァ。
後に訪れる牝馬台頭時代のパイオニアともいうべき、時代を創った名牝だった。

-このwiki籠りには、追記修正すらも通過点!!-

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最終更新:2025年04月29日 01:58

*1 牝馬三冠と区別するため、これらを『牡馬三冠』と呼ぶこともある。

*2 ただし、ラモーヌのページを読めば分かるが、初めから「完全三冠」を狙っていたわけではなく、それぞれのトライアルにちゃんと理由があって出走している点には注意されたし。

*3 トライアルレースの全制覇例としては、サンエイソロン(1981年)、ダンスインザダーク(1996年)も該当。

*4 端的に言えば父の曽祖父と母の曽祖父が同じ事で、スティルの場合はヘイルトゥリーズンと25%血量が同じことを意味する。

*5 近親交配のこと。サラブレッドの場合、「奇跡の血量」と呼ばれる18.75%(4×3もしくは3×4)のインブリードが名馬を生み出しやすいと言われているが、それ以上の場合は逆に虚弱体質などの何らかの問題を抱えることが多いと言われている。この例としてはかのマルセル・ブサックが生み出したコロネーション(両親の父が同じという非常にきついインブリードの持ち主で、現役時は凱旋門賞を制するなど活躍したが、繫殖入り後は多くの有力種牡馬と交配されるも不受胎や死産続きで結局一頭の子孫を残すことなく消息不明に)が有名。

*6 牡馬の方はご存じディープインパクト。

*7 海外まで広げれば近年でもいくつか事例がある。日本の競馬ファンに一番なじみ深いのは2022年ドバイターフにおけるパンサラッサとロードノースの同着だろう。

*8 名前のGentildonnaがイタリア語で「貴婦人」を表すことから、その牡馬と互角以上に渡り合った勝負根性を「鬼」になぞらえてファンの間ではよくこう呼ばれる。ちなみに他の呼び名は「吉田沙保里」「アネキ」、果ては到底牝馬に似つかわしくない「ゴリラ(ただしジェンティルドンナのように牡馬と互角以上に渡り合う牝馬が珍しくない現在、彼女たちを半ば尊敬の念を込めて「ゴリラウーマン」と形容することがある)」といったものまで。

*9 当時主戦を務めていた岩田の父ちゃんが大事なオークス当日に騎乗停止を受けていた。ある意味、優れた勝負根性を持つ反面良くも悪くも感情の起伏が激しい性格の持ち主である岩田らしいと言えばらしい。

*10 最も多く乗ったのが岩田康誠(8戦)で、短期免許で来日したライアン・ムーア(3戦)、川田将雅・戸崎圭太(共に2戦)と続く。他にも短期免許時代のミルコ・デムーロ、クリストフ・ルメールがそれぞれ1戦ずつ、スペイン出身でフランスのリーディングジョッキーを4度受賞したイオリッツ・メンディザバルが1戦騎乗している。

*11 牝馬はアローワンスと呼ばれる制度により本来の値より3~5ポンドほど低い値となる。

*12 競馬雑誌ブラッドホースのタイトルより

*13 ただ、その後ぐんぐん体格が成長したおかげで最終的には1200万円での落札に至った。

*14 欧州を中心に各国で活躍する若きホープとして知られるイギリス出身の騎手。ちなみに奥様のホリー・ドイルも同じ騎手であり(こちらも史上3人目のイギリス平地GⅠ優勝を果たした女性騎手で、2022年にはディアヌ賞(フランスオークス)を女性騎手として初制覇するなどしたやり手)、この時は夫婦揃って来日し短期免許を取得している。

*15 新たに導入されたジョッキーカメラ映像にて、鞍上の川田騎手が本馬をこう呼んでいたことから。

*16 川田自身もリバティについて、「競馬の神様がくれた最高のプレゼント」とコメントしている。